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2015年9月

2015年9月29日 (火)

?自民党を倒せば日本は良くなる 単行本– 2001・4 白川 勝彦 (小泉首相に欠けている日本の革命の思想と戦略、戦術を明らかにした1冊 異常な小泉人気である。・日本の官僚は本当に優秀なのか?・163頁・平成27年9月29日・172頁・


引用


2015年9月27日 (日)自民党を倒せば日本は良くなる・ 2001・4 白川 勝彦 ・・わが国には、国家公務員が110万人、地方公務員が320万人もいます。この人達にとって、自分たちが諸悪の元凶だと言われると面食らう人が多いでしょう。162頁

http://amamioosoma.synapse-blog.jp/yosiharu/2015/09/20014-6dba.html

4:33 2015/09/29


引用・2015年10月 1日 (木)自民党を倒せば日本は良くなる 単行本– 2001・4 白川 勝彦・・小泉首相に欠けている日本の革命の思想と戦略、戦術を明らかにした・・第5章 人間から出発する政治―私が歩んできた道・191頁から・

http://amamioosimasanrinha.synapse-blog.jp/takita/2015/10/20014-5-dd22.html

6:26 2015/10/01


自民党を倒せば日本は良くなる 単行本– 2001・4 白川 勝彦 (小泉首相に欠けている日本の革命の思想と戦略、戦術を明らかにした1冊 異常な小泉人気である。小泉革命という活字さえ散見する。しかし、革命には、思想と戦略が必要である。小泉氏の言動からは、それが一向にみえてこない。私は、この本で、いまやらなければならない日本の革命の思想と戦略、戦術を明らかにしたつもりである。ご一読、ご高評をいただければ幸いです。

 内容(「MARC」データベースより)

 自民党リベラル派、加藤紘一の決起がつぶされ、加藤氏の側近だった著者は、もはや自民党に未練はないと離党。23年間の自民党改革の中で会得した自民党のすべてを暴き、自民党を倒す方策、平成革命への思いを語る。

 単行本: 268ページ出版社: アスキー (2001/04)発売日: 2001/04

目次

プロローグ・私が自民党を見限ったわけ・7頁・

新党・自由と希望・結党宣言・15頁・


第1章 張子の虎―自民党の虚像を暴く・19頁・

・このままでは日本は確実にダメになる・20頁・


・自民党は張子の虎である・30頁・

・自民党に政権担当能力などない・35頁・

・有形無象派が支配する自民党・42頁・

・実体のない幽霊政党・自民党・51頁・

第2章 こうすれば自民党は倒せる・67頁・

・平成革命の敵は自公保体制である・68頁・

・自公保体制の問題点と本質・74頁・

・自民党政略法・87頁・

・公明党政略法・92頁・

・自公保体制の打倒は正義の戦い・102頁・


第3章 「平成革命」は必ずできる・119頁・

・なぜ革命でなければならないのか?・120頁・

・破壊と建設のビジョン・127頁・

・革命の基本思想・133頁・

・平成革命の条件と必然性・140頁・

・何をどう変えるのか?・146頁・


第4章 「平成革命」で日本はこうなる・157頁・平成27年9月26日


162頁・平成27年9月28日 月曜日・ここまで


・自己増殖してきた官僚組織・


日本の公務員の数は諸外国に比べて決してはありません。人口1,000人当たりイギリスは81・4人、フランスは、96・7人、アメリカは74・6人であるのに対し日本の公務員の数は38・2人です。

諸外国の公務員に対する認識・評価がどのようなものか詳しくは知りませんが、我が国の公務員が持つ問題点は実は根本的なところにあると私は思っています。この問題を見た場合でも、昭和20年革命の限界が表れています。

新しい憲法により、行政のあり方・・官僚組織の使命は革命的に変わったのに、公務員(役人)の意識も実態もほとんど変わらなかったのではないかと私は思います。変わったのは言葉遣いくらいのものではないでしょうか。

人間にとって一番辛く難しいのは、自己を改革することです。革命はもっと辛く苦しいものです。不幸なことに、天皇に代わって官僚たちの使用者となった内閣総理大臣や各省庁の大臣たち、各地方自治体(1955年ごろまでは全国に1万近くありましたが、現在は市町村合併の結果3,300となりました)の首長たちには、使用者になった自覚も官僚組織を使いこなせる能力もありませんでした。


163頁・ですから、国においても地方においても、官僚たちが行政を自分たちの思いどおりにやってきたのだと思います。そして福祉社会の到来を機に、官僚たちは行政を肥大化させ、自己増殖をしてきました。

高度成長時代には、その負担は国民にとってそんなに重いものではありませんでしたが、安定成長そして今日のような不況下においては、その負担は国民にとって非常に重いものとなっています。

いろんなことを行政にやらせるのは実に簡単なことであり、また手っ取り早いのですが、それには経費がかかることを国民は忘れてはなりません。

また行政にやらせることは、サービスとして決して質の高いものは期待できないことに、国民はそろそろ気が付かなければなりません。


・日本の官僚は本当に優秀なのか?・163頁・平成27年9月29日・ここまで

163頁・平成27年9月29日・


どこの国でも官僚組織というのは、権威的であり、保守的であり、非自由主義的なものです。しかし、わが国の場合は、絶対主義者的な天皇制使用人として明治以来育ってきたということと、日本という国が自由主義社会としてまだ未熟なことと相まって、その傾向は救いがたいほど強いのが現状です。


164頁・15/9/29 4時47分・

日本という国家・社会を自由なものにするためには、現在の官僚組織を一度全部解体するくらいの革命をしなければ、その弊害を除去するなどということは不可能に近いことです。

私は戦後ずっと政権党だった自民党にいて、また大臣や政務次官を務めるなかで、官僚組織というものや、官僚と呼ばれる人間の生き方を見てきました。中央の官僚たちの権限拡大に対する強欲さ、自分たちの権限が侵されそうになったときの常軌を逸した「醜い」と表現しても決して差し支えのない闘争を、嫌というほど見てきました。地方の官僚だって同じだろうと私は思っています。


日本の官僚たちに自己改革をなどということは、木に登って魚を求めることと同じでしょう。本来それではいけないのですが・・・。だから、私は1,979年に国会に出た当初は相当なものだとは思いましたが、しばらくするうちに日本の官僚・官僚組織は優秀だなどと思わなくなりました。

日本の官僚は優秀だ、だから日本は大丈夫だ、などというのは間違いだということです。もし、日本の官僚たちが本当に優秀ならば、今日のような閉塞感に満ちあふれた日本を決して作らなかったでしょう。自己改革できない人間が優秀であるはずはありません。


・165頁・15/9/29 5時7分・ここまで


・官僚のコントロールは政治家の責任である・


わが国の官僚組織が、極めて権威的であり、保守的であり、非自由主義的になってしまった責任はだれにあるのでしょうか。それは、官僚組織のトップにいる政治家たちの責任です。国の官僚組織の場合ならば、総理大臣を筆頭とする内閣であり、地方自治体の官僚組織ならば選挙で選ばれた首長です。

大きかろうが小さかろうが、国民すなわち主権者の代表として官僚を使用する直接の任務についた政治家には、国民に代ってその任務をまっとうしなければならない責任があるのです。

国の場合について言えば、自民党にその最大の責任があると言えるでしょう。わが国の内閣は、議院内閣制だからです。政権を取るのは、自民党として取るのであり、その代表として自民党の総裁が内閣総理大臣となり、各省大臣が送り込まれていくからです。

自民党には、各省庁に対応する部会と呼ばれる組織があります。たとえば、これまでは建設省関係のことを議論する建設部会、郵政関係のことを議論する通信部会、厚生省関係のことを議論する社会部会・・。

ですから、本来ならば自民党が本当に意欲を持った政党ならば、各部会ごとにそれぞれの省庁をどのようにコントロールする必要があるのかを絶えず議論し、戦略をもっていなければならないのです。


166頁・しかし、そのような意欲もなければ能力も、自民党にはありませんでした。

・官僚組織を変えようと全てがよくなる・


166頁・官僚機構・・・官僚の意識・仕事のやり方を変えるということは、日本のあらゆる分野の大変革を伴うことになるでしょう。そのくらい日本の官僚たちは、あらゆる分野に貪欲に食い込んでいますし、官僚的というのは間違いなく一つの「日本的現象」です。


だから、官僚の皆さんには少しきつくても、諸悪の元凶・・・官僚組織と行ったのです。官僚が善意でやっていることも、自由主義という少し大きな視点に立ってみると、わが国の閉塞感をつくっている大きな原因になっていることが多いのです。


私は、明治以来わが国の本当の主権者は、官僚(役人)だったのではないかと思っています。もちろん、明治の初めごろには民主主義という仕組みさえなかったのですから、仕方がないと言えば仕方がありません。そして、官僚がやってきたことが全部が全部間違っていたなどという気もありません。

しかし、自由主義社会になったときから、また自由主義社会の発展を真剣に考えれば、官僚は、特に日本の官僚は、どちらかというと発展の大きな阻害物になるのだということを、官僚自身が自覚しなければならないし、国民も官僚をそのように認識しなければならなと言うことです。


167頁

・官僚組織を変えようと全てがよくなる・

167頁・15/9/29 6時34分・ここまで

情報公開ということが非常に大切だと言われ出し、これを熱心に取り組むボランティア活動が盛んになってきたのは、この表れだと思いますし、いい傾向だと私は思っています。

しかし、官僚組織こそ日本で最も長い伝統と経験を持つ組織です。組織という点では定評のある共産党であろうが、創価学会であろうが、とても比べ物にならない組織なのです。

しかも、政治権力そのものですから、権限とお金を持っています。普通の市民が簡単にこれに太刀打ちできるなどと考えたら、とんでもないことになります。だから、この官僚組織を変えるということは政治そのものなのです。

政党は、この意識を持たなければなりません。長年政権政党であると言って威張っている自民党に、この官僚組織に対抗する意識もなければ能力もないことは、これまで述べてきたとおりです。

自民党は長年にわたり政権政党であったし、自民党の中に官僚出身の政治家も多いため、他の政党に比べれば政権党らしく振舞うのに慣れてはいます。しかし、国民が求める官僚組織を変えてほしいという面では、あまりにも癒着しすぎているために、問題意識もなければ能力もないのです。


・168頁・平成27年9月29日・


・官僚組織を変えるのは簡単なこと・

そんなに強い官僚組織を変えることなどできるのだろうか、という不安や疑問が出てきても不思議ではありません。しかし、その点は大丈夫です。

官僚組織と言うのは組織中の組織です。ですから、トップの言うことは絶対なのです。国民は官僚組織のトップを選ぶ権利を持っています。そして、そのトップが官僚機構を変えようとすれば、極めて簡単に変えることができるのです。このことは、長野県の田中康夫氏が、土木部長が何と言おうが「ダム建設を中止する」と言えばどうにもならないのと同じです。


長野県の官僚組織では、県知事が絶対的な権限をもっているからです。

そして、国の官僚組織では、各省大臣が絶対的な権限をもっているのです。官僚が何というが、大臣が決定してしまえば官僚はそれに従わざるを得ないのです。このことは、私が自治大臣時代にやったことでも明らかです。

これは、大臣が偉いからではないのです。法律上、大臣にはそれだけの権限が与えられているからです。自民党の中にいて、何百人もの大臣を見てきました。威張る大臣を嫌と言うほど見ましたが、国民から与えられた権限を国民のために使う大臣を見ることはほとんどできませんでした。


169頁・

ですから、私は自信をもって、自民党に政権担当能力がないと言えるのです。ましてや、公明党や保守党から出ている大臣に、政権担当能力などあるなどとは到底思いません。大臣になってただ舞い上がっているだけです。この人達が、さも与党と言うのは大変なのだとか言っているのをテレビなどで見ると、本当に笑いたくなります。国民も、もうこういう田舎芝居に騙されるのはやめなければなりません。


169頁・15/9/29 10時14分・

・国民に奉仕する官僚組織・


ですから、平成革命を実行する政党は、官僚政治を変える意識と意欲を持たなければなりません。それはそんなに難しいことではないのです。そのような意識と意欲を持つことがそんなに難しいことではないことは、大半の読者には理解していただけることと思います。

しかし、官僚組織を変える能力は、そんなに簡単に持てるものではないのではないかと考える読者が多いのではないかと思います。一面の真実だけだとは思います。でも、私はそんなに難しくは考えていません。


170頁・15/9/29 10時46分・

一つは、官僚たちがやってきたことが、結果としてうまくいっていないからです。政治は結果責任ですから、官僚たちも責任を取らなければならないのです。

もう一つは、これまで官僚のやってきたことを変えようとした政治家が苦労したのは、国民の側にある種の官僚信仰があったからです。でも、これは完全になくなりました。

官僚の仕事、官僚のやり方に一番腹を立てているのは、国民です。ですから、官僚組織や官僚的な仕事のやり方を変えることを、主権者である国民が今度は支持してくれるということです。一時的には、官僚がサボタージュすることもあるでしょう。しかし、主権者である国民に逆らうことなど、官僚と言えどもできないのです。

確かに、日本という大きな国を運営するには、情報や知識も必要です。しかし最近では、民間にも非常に立派なシンクタンクも出来てきました。ですから、この国の運営に必要な情報や知識は決して官僚だけが持っているわけではないのです。ですから、大丈夫なのです。

これだけ言っても官僚組織を変えることなどできないと思っている人は、もうどうしょうもありません。そんなに官僚のしもべでいたいなら、官僚の給料を払いながら、本来ならば自分のしもべにしか過ぎない官僚の言いなりになるという、お人よしの人生を送られればいいと思います。そういう生き方がいいという人の自由を守るのも、私たち自由主義者の信念ですから。


171頁・9/29/2015 11:07 AM・ここまで・

最後に、官僚組織の中にも「現在のような官僚組織ではダメだ、官僚の生き方ではダメだ」と思っている、それこそ本当に優秀な官僚もいるということも言っておかねばなりません。ただ、現在では、こういう本当に優秀な官僚は、疎んじられ冷や飯を食わされているのが実情です。調子のいい、世渡りが上手なゴマすりが、官僚の世界で幅を利かせているのです。

国民に奉仕する行政をやろう、そういう官僚機構をつくろうという政治家が官僚組織のトップに就けば、こういう優秀高い論理感を持った官僚が、官僚組織のリーダーとなるでしょう。

国民に奉仕する官僚組織をつくるということは、日本の官僚が真に優秀ならば、本来は官僚自らがやらなければならないことなのです。


171頁・9/29/2015 11:27 AM・ここまで


・官僚組織を変えると、なぜ日本が変わるのか?・

なぜ官僚組織を変えると日本が変わるのでしょうか。たとえば、産業界の人などは日々の経済活動の中で、官僚がいかに入念に執拗かつ巧妙に産業活動に介入し、利益を得、かつ守っているかをよく知っていることと思います。

そして、官僚のこうした介入が自由な経済活動を阻害し、その結果今日のような閉塞感がある状態にしてしまったことを肌で感じているはずです。自由主義者で何としても官僚になりたいという人は、あまりいないでしょう。


172頁・15/9/29 12時55分13秒・ここまで


・官僚組織を変えると、なぜ日本が変わるのか?・

172頁・15/9/29 12時55分13秒・ここまで

私は勉強(?)した東大法学部というのは、そもそも官僚養成機関としてつくられた学部です。ですから、大学を卒業すると中央省庁に入る人が掃いて捨てるほどいましたが、私はただの一度も官僚になろうという気になりませんでした。

官僚というのは、自由主義社会のダイナミズムが分からないのです。官僚というのは、太古の昔から秩序というのは自分たちがつくるものだと素朴に信じているのです。自由主義の政治思想とは、そういうものの考えを脱却したところから出発しているのです。ですから、官僚機構そのものが国民から見られ、思われているのだと言ったのです。

本来、自由であるべきところに官僚いるだけで、自由な雰囲気が失われ、ダイナミズムが損なわれていくことを官僚は知らなければなりません。

日本のあらゆる分野が官僚に依存しているなどという気はまったくありません。行政などにまったくかかわらずにのびのびとやっている分野があることも知っています。でも、そういう分野を探すことの方が難しいと言っていいのではないでしょうか。

例えば、ボランティアやNPO(非営利組織)の世界にまで、官僚組織は介入してきています。わが「新党・自由と希望」は、これからは福祉・医療・教育・環境などの分野におけるボランティア・NPO活動を育成することにより、この分野に強くある行政依存体質を改めることで行政の負担を軽減し、そのことによって行政改革や財政再建を行おうと考えています。


173頁・15/9/30 4時18分・

しかし、NPOの法人資格は関係省庁が与えることになっています。NPOまで官僚組織は支配下に置こうとしているのです。NPOの法人資格を与えるかどうかなどと言うことこそ、長い間ボランティア活動をしてきたNPOに、その事務をしてもらえばいいのにと私は考えています。

官僚組織を変えれば、日本のさまざまな分野が音を立てて変わり、それぞれの分野に自由な雰囲気が出て来て、企業や団体や国民の自由闊達な活動が生まれ、それぞれの分野で21世紀に求められているものが必ずや生まれるはずです。また、それを信じて多少の混乱があってもじっと待つというのが、自由主義社会の発展の道筋なのです。

私学生時代に傾倒した本の一つが、ロマン・ロランの「魅せられたる魂」でした。そのなかにある一節であり、全編を貫くテーマは、「混乱を通じて調和を」ということでした。私に深い影響を与えた一冊です。


174頁・15/9/30 4時31分・


・「新しい日本」を信じて・174頁・

・戦いが希望と方針を打ち出す・

私が自民党を離党して、新党を旗揚げして、自公保体制に終止符を打とうと決意してから、まだ三ヶ月も経っていません。しかし、自民党も自公保体制もその矛盾をいっそう露呈し、憐れでもあります。

一方、私の方はというと、あのような腐りきった政党から「脱藩」し、心身ともにすがすがしい気分で、自公保体制打倒という目標に向けて、政治家としての全能力を駆使して、戦いを進めています。

人間というものは面白いものです。自分をどんなに客観的に対象化してみることができる人でも、やはり自分の存在基盤の足元は見えないことが分かりました。これまでも、自民党や自公保体制について、誰よりも冷静かつ厳しい批判をしてきたつもりですが、やはり自民党の中にいる限り、見落としていたことがいっぱいあったことに気が付きました。

175頁・これまでこの本に書いてきたことは、これまでにも似たようなことを言ったり書いたりしてきましたが、やはり違うことが多々あります。これまで私のWEBサイトで私の書いたものを読んできてくださった方は、きっとその違いに気が付くはずです。

ひとりの自由主義者として、23年間、自民党の改革に命をかけてきたことについて、私はまったく後悔はしていません。23年間と言えば、私の人生の三分の一を占めるでしょう。しかし、寺院等の中にて真の自由主義のあり方を真剣に模索し、挑戦してきたことは、決して無駄だったとは思いません。

その体験があるからこそ、今、日本の発展にとって百害あって一利もない自民党や自公保体制を打倒する手立てが分かるからです。過去の自分に恋々としない・・これが私のこれまでの生き方だからです。


175頁・15/9/30 5時21分・

・政策なんて馬に食わせるほどある・

・政策なんて馬に食わせるほどある・

私が旗揚げして以来、いろんな人から「白川さん。あなたの決意や心情は理解できる。しかし、政策がないじゃないか。政策を教えてほしい。そうでないと推せない」ということを、多くに人から言われました。もちろん、本当に善意でそういうことを言われる人もおられるとは思います。


176頁・15/9/30 9時7分・

しかし、そういうことを言う人は、概して相手を非難するために体制側の人が良く使う「ためにする」古い手法なのです。

それは、「自公保体制もダメだけれど、これを批判する野党には、対案がないじゃないか」という非難と同じようなものです。世の中には、変なことをやるよりも何もしない方がいいということも多々あるのです。「一害を除くには、百害を起こすに勝る」という古い諺もあります。

この人たちが言う「政策」なるものなど、実は体制側にさえ、馬に食わせるほど出されているのです。何か問題が起こると、政府や各省庁は審議会や諮問委員会をつくって議論します。そして、極めてスピーディに分厚い報告書や提言書が出されます。

自民党の国会議員の場合、そういうものが山ほど部屋に届けられます。実に立派なことが書かれています。しかし、そんなもので問題が本当に解決したことはまったくありません。舞台裏を明らかにすると、その報告書などを実際に書いているのは実は官僚なのです。

諸問題の本当の元凶は官僚であることが多いのですが、その解決策を官僚が書いたのでは笑い話にもなりません。ドロボーにドロボーを捕まえて来いというようなものです。

本当の「政策」とは、紙に書いたり口で言ったりすることではないのです。間違ったことをやめさせたり、不正を正すことなのです。そのことにより、困った国民が助かるなら、それは立派な政策です。


177頁・15/9/30 9時22分・

そのようなこともできない官僚や政治家が、こうすれば世の中はよくなると、いくら紙に書いてみたり、テレビでしゃべったりしても、何も事態は変わらないのです。

もし、本気で自分の考えていることが正しいと思うなら、その一つでもいいから体を張っても現実に実行することが、本当の「政策力」なのです。

「政策新人類」などと呼ばれる自民党の若手政治家が、「日本の明日を創る会」などをつくっています。しかし、彼らの加藤騒動の時の行動や、2,001年3月5日の森内閣不信任案が提出された時の行動などは、どう考えても分かりやすくありません。分かりやすい政治と言うのが、かられが常日ごろ言っていることですが、わかりやすい政治行動ができない政治家が、わかりやすい政策など実行できるはずがありません。


177頁・こお

・戦いの中で本質が見えてくる・

2015年9月27日 (日)

自民党を倒せば日本は良くなる・ 2001・4 白川 勝彦 ・・わが国には、国家公務員が110万人、地方公務員が320万人もいます。この人達にとって、自分たちが諸悪の元凶だと言われると面食らう人が多いでしょう。162頁 最初 http://amamioosoma.synapse-blog.jp/yosiharu/2015/09/20014-6dba.html 6:32 2015/10/01

 




2015年9月28日 (月)

/上勝町/徳島県の真ん中に位置する上勝町は人口2,200人ほどの山郷に囲まれた小さな町。多くの日本の山村地帯がそうであるように、ここも60歳以上の住人が全体の半分以上を占める過疎高齢化地域です。そんな上勝町が、今世界中から熱い注目が注がれているのをご存知でしょうか?

引用


まだゴミ回収を待ってるの?収集車ゼロの上勝町に学ぶカッコイイ暮らし方

2015年8月16日/上勝町/徳島県の真ん中に位置する上勝町は人口2,200人ほどの山郷に囲まれた小さな町。多くの日本の山村地帯がそうであるように、ここも60歳以上の住人が全体の半分以上を占める過疎高齢化地域です。そんな上勝町が、今世界中から熱い注目が注がれているのをご存知でしょうか?

 ごみゼロ宣言の町に3Rクリエイター集団がやってきた

上勝町

すでにピンと来た方もいると思いますが、上勝町は第三セクターによる「いろどり事業」(料理を引き立てるために添えられる葉っぱや枝花などの“ツマモノ”ビジネス)で成功を収め、また、我が国では初となる「ごみゼロ宣言(ゼロ・ウェイスト)」をしている町。自分たちのアイディアで地元経済を活性化させ、自分たちが考える町のあり方を着実に実現させているとして、この小さな町に各界から関心が集まっています。

 

RISE & WIN Brewing Co. BBQ & General Store

 

そんな上勝町に今年5月オープンしたのが「RISE & WIN Brewing Co. BBQ &General Store」。過剰な包装や不適切な量産が生むゴミを出さない、新しい買い物手段の提案として「量り売り」を行う上勝百貨店が、これからの環境問題を楽しく考えてもらう場所としてリニューアルしたものです。

今までのジェネラルストア(雑貨店)の機能に加え、クラフトビールとBBQを楽しみながらゼロ・ウェイストについて体験できるコミュニケーションスペースも誕生しました。この新ストアのオープンには、建築、内装、デザイン、ビール作りから料理に至るまで、上勝町が掲げる“リサイクル”“リデュース”“リユース”の3R理念に刺激された各界のクリエーターたちが集結し、それぞれの想いが見事にカタチとなったお店が出来上がりました。

:究極の3Rが生み出すクリエイティブでカッコイイ仕掛けとは

おしゃれクラフトビールリサイクル

小林繭

東京生まれ、湘南生息中のフリー編集ライター。沖縄、ハワイ、島、旅モノやロハスネタを発信中。All About沖縄ガイド。目下、踊れる編集ライター目指し趣味のフラメンコに取り組む日々。

http://allabout.co.jp/gm/gt/110/

究極の3Rで、携わるすべてがクリエイティブな仕掛けに生まれ変わる

ショップ空間を飾るのは、空き瓶を利用して作った巨大シャンデリア。町のゴミステーションにあった家具や農具が、独創的な味のある棚として生まれ変わり、製材所ででた端材は、ブルワリーの壁となり、立派な存在感を放っています。

RISE & WIN Brewing Co. BBQ & General Store

鹿の皮、古着をリメイクしたユニフォーム

古新聞に活版印刷を施せばおしゃれな袋や封筒となり、害獣として駆除された鹿や猪の皮は従業員のユニフォーム素材として使われています。

クラフトビールには廃棄対象になる上勝特産の柚香の皮を香りづけに使用。また、ブルワリーでビールを作るときにできる麦芽粕も、シリアルやパンケーキの材料として再利用しています。もちろん、ビールのボトルは繰り返し使えるリターナブルなもの。自分でボトルを持参すれば測り売りだってしてもらえます。

そして、自慢のクラフトビールとともにぜひいただきたいのが徳島産のジビエ。上勝の豊かな緑に囲まれたBBQスペースで、本格的BBQを楽しむことができるなんて最高ですね!

そこで目にする全てがサステナブル。3Rを追求すると、生産から流通、販売までがこんなにクリエイティブな仕掛けになれることにワクワクします。なるほど、「RISE & WIN Brewing Co. BBQ & General Store」はどこを切り取ってもカッコイイのです。

現在、上勝町にゴミ回収車は走っていません。住人たちの手によって34種に分類されたゴミは様々なカタチで再利用されています。川の上流に位置する上勝は、けっして川を汚す存在であってはいけないーーー「ゼロ・ウェイスト」を、上勝の人々選択しました。その選択から生まれたのが「RISE & WIN Brewing Co. BBQ & General Store」というわけです。

「ゼロ・ウェイストは楽しい」を体験できる「RISE & WIN Brewing Co. BBQ& General Store」で、上勝が真剣に取り組む“リサイクル”“リデュース”“リユース”の精神に触れてみたくなりませんか?

住所:徳島県勝浦郡上勝町大字正木平間 237-2

電話番号:0885-45-0688

営業時間:平日11:00~21:00 土日祝 10:00〜21:00

http://jimococo.mag2.com/shikoku/tokushima/kamikatsucho/900/2

19:24 2015/09/24


?奄美群島の概況は,奄美群島振興開発事業の成果のほか,奄美群島の自然,行政,産業経済並びに教育,文化などの各般にわたる統計資料等を総括的に集録し,現況と推移を明らかにしたものです。

引用


奄美群島の概況 > 奄美群島の概況について更新日:2015年4月1日

奄美群島の概況について

奄美群島の概況は,奄美群島振興開発事業の成果のほか,奄美群島の自然,行政,産業経済並びに教育,文化などの各般にわたる統計資料等を総括的に集録し,現況と推移を明らかにしたものです。

「奄美群島の概況」の構成

  表紙 目次 平成◯年度の主な出来事

 写真で見る平成◯年度 


第1章総説(沿革,奄美群島の一般概況,島別の概要等)

 第2章気象(奄美群島の気候,台風,気象概況と気象表等)

 第3章人口・労働力(奄美群島の人口・労働力)

 第4章交通体系(概況)

 第5章復興・振興・振興開発事業等(奄美群島の振興開発の意義と成果等)

 第6章農業(概況,農業生産の推移,担い手(認定農業者)の育成等)

 第7章農業農村整備(概況)

 第8章林業(概況)

 第9章水産業(概況,漁港)

 第10章商工・労政(概況,大島紬,奄美黒糖焼酎,電力・ガス等)

 第11章観光(概況)

 第12章土木(交通基盤,国土保全,住宅・都市計画)

 第13章福祉・保健医療・衛生・環境(福祉,保健医療・衛生,環境)

 第14章所得・物価・消費生活(郡民所得の概要,市町村民所得等)

 第15章財政・金融(大島地区市町村普通会計決算概要,金融機関等)

 第16章災害・消防・警察・海上保安(災害,消防,警察,海上保安)

 第17章教育・文化・その他(教育,文化,その他)

索引

https://www.pref.kagoshima.jp/aq01/chiiki/oshima/chiiki/zeniki/gaikyou/amamigaikyou.html

 11:39 2015/09/28


   鈴木/幸一1946年9月生まれ。国内インターネットサービスの草分け。インターネットイニシアティブ(IIJ)を設立し、郵政省(現総務省)との激しいやりとりの末、93年にネット接続サービスを開始。後に続くネット企業に道をひらいた業界の重鎮(資本主義の克服 「共有論」で社会を変える (集英社新書) 新書 – 2015/3/17 金子 勝 (著) 6件のカスタマーレビュー

引用

 

日本インターネット書紀 この国のインターネットは、解体寸前のビルに間借りした小さな会社からはじまった 単行本(ソフトカバー)  – 2015/3/13

 

鈴木 幸一 (著)        8件のカスタマーレビュー

きたみかど

インターネットは21世紀の産業のエンジンである。だが、日本に「IT産業」はない。「IT利用産業」があるだけだ――この国の壁、そして通信の巨人に挑んだ経営者の壮大な夢と危機感。インテル、グーグル、Amazon……インターネットには、これからどのような可能性が秘められているのか? 日本発の技術で、世界を変えるために必要なこととは?

 

内容(「BOOK」データベースより)

 

インターネットは21世紀の産業のエンジンである。だが、日本に「IT産業」はない。「IT利用産業」があるだけだ―この国の壁、そして通信の巨人に挑んだ経営者の壮大な夢と危機感。

単行本(ソフトカバー): 476ページ出版社: 講談社 (2015/3/13)

言語: 日本語発売日: 2015/3/13

 

目次

第1章 黎明期――ロング・アンド・ワインディング・ロード

◎沈鬱の船出◎ふたりの訪問客◎10億円の皮算用◎徒手空拳で、通信の巨人に挑む◎戦争が産んだコンピュータ、インターネット◎1969年の衝撃◎立ちはだかる制度と役人の高い壁◎貧乏企業には事業をさせない◎「水と油」の電話とインターネット◎縦割り行政の弊害◎夜逃げ前と見紛う珍妙なオフィス◎金策に明け暮れる日々◎ようやく下りた事業認可◎思い込みが、世界を変えた

 

第2章 日本から世界へ

◎ファーストユーザー、怒り心頭◎打倒NTTへの布石◎ネット証券の夜明け◎災害に強いインターネット◎ネットの可能性を阻むもの◎地下鉄サリン事件の裏側で◎競争相手を育て、ガリバーに塩を送る◎アジアを経巡る「法螺吹き珍道中」◎スーパーの2階で生まれた新技術◎日本初、インターネットのライブ中継◎日本を飛び越え、ナスダック上場◎9・11に見たアメリカの底力◎技術に宿る身体感覚◎グーグルの強み、日本の懸念

 

第3章 壮大な夢の光芒――通信の巨人に挑む

◎夢が潰えた日◎消えかけた個人資産◎ネット専用インフラをつくる夢◎ネットワークは愚かでいい◎カネの切れ目が事業の切れ目◎革新的なアイディアの代償◎幻の映像配信サービス◎「ラストワンマイル」を巡って◎もうひとつの「巨人」との提携◎提携破談までの道のり◎買収工作への守りが裏目に◎経済情勢の悪化で資金繰り苦しく◎紛糾した債権者集会◎宿敵の支援を仰ぐ◎忘れられない夏

 

第4章 反転――日本のインターネットはどこへ向かうか

◎債務超過100億円からの再スタート◎競争激化、価格破壊のその先に◎隠れたばらまき行政◎技術革新を阻むもの◎インターネットが壊れる日◎ITを理解しない経営者たち◎日本に「IT産業」はない◎「日本発」の技術へのこだわり◎新体制の船出

 

第5章 インターネットの半世紀

◎実現しつつある「愚連隊エンジニア」たちの夢◎ウィキリークスがつきつけた課題◎ネットを監視下に置く国家権力◎ネットはテロ組織にも開かれている◎止められないサイバーテロ◎何を守る「セキュリティ」なのか◎個人情報は誰のものか◎インターネット時代の新聞の価値◎変わりゆくテレビを巡る風景◎ネットは経済を活性化させるのか◎ネットの未来

 

この書は、二つの点視点から読むと興味深い。一つは、1990年代のデジタル通信革命はどのようにして始まり展開したか、というITCビジネスストーリーの視点。二つは、革命児鈴木幸一のIIJ経営者ストーリーの視点。

ビジネスストーリーとしては、コンセプショナルIPOに始まり資金繰りに行き詰まり破綻するCWCとそれに由来するIIJの信用不安をどう乗り越えたか、その間の経緯は、ビジネススクールのケーススタディに格好の素材だろう。

電話通信を独占するNTTの対抗軸をつくらなければならない、独自のインタネット通信インフラを持たなければならない、というビジョンはCWCを実現させたが、その膨大な初期投資額が彼のビジョンを破滅させてしまいかねない事態を招いた。

それにめげず、IIJを立ち直らせ1千億ビジネスにしたのは何か?

宿敵NTTの当時の相談役の宮津純一郎さんから「独りで安酒とたばこをやったらだめだ」と呼び出され、次のように言われた、と述懐するくだりがある。鈴木という経営者ストーリーのハイライトだ。「おめえのさ、あの事業は正しいと思うけどさ、インフラ事業を貧乏人がやっちゃいけないんだよ。金がかかるしリターンも遠い。

まあ貧乏人にしては、よくやったけどさ。」

起業を考えている人、インターネットに関わる人、いやビジネスパーソン皆にエネルギーをくれる本

現代経営者の著書で久方ぶりに心打たれ、改めてエネルギーを頂いた。 著者は日本でインターネットの世紀を切り拓いたインターネットイニシアティブの創業者で現在会長を務める。 帯には「この国の壁、そして通信の巨人に挑んだ経営者の壮大な夢と危機感」とある。 この国の壁とは、1990年代初頭の郵政省の通信行政の壁。 通信の巨人とは今のNTT。 そして危機感とは、インターネットの持つ本質の意味を未だ日本の為政者が良く理解しておらず、国防のありかたまで変わる恐ろしさであり、それを認識していないと警鐘を鳴らす。 行政の壁という側面では、宅急便サービスを開始したヤマト運輸の社長小倉昌男の「経営学」が心に残る。 今後本書は、それに並び行政の壁に立ち向かった経営者の足跡を記したものとしてビジネス書の歴史に残るだろう。 ドッグイヤーと言われるとてつもなく技術や事業環境の変化の速いインターネットや情報機器の世界での起業家を描いた本としては、アマゾンを描いたThe everything store、ザッポスを描いたDelivering Happiness, そしてアップルのSteve Jobs などがある。 しかし、どれもアメリカの話。 本書は日本のインターネットを切り拓き育てた鈴木幸一が、その半生を掛けた戦いを語っており痛快でもある。 本書は文章の切れ味良く、一気に最終ページに読み進む。 今、現役で頑張ってい

日本のインターネットの幕開けは解体寸前のビルから

本書は経営書というよりも鈴木幸一という日本発の商用インターネット事業創始者として日本のインターネット黎明期から現在まで最前線で闘ってきた1人の男が目にしてきた情報通信市場のヒストリーである。無関心、規制、出資、出資会社であるCWC倒産、出資者からのバッシング、IIJ存続と成長という壁に

孤軍奮闘し、全てを賭けた経営者の物語である。

著者の背景にはインターネットを支える技術の知的所有権をオープンにする(パブリックドメイン)というインターネット思想家としての哲学がある。そのため、出資者であるNTTに対しても、NGNがIPであるにもかかわらず電話に要求されるあらゆる監視を可能とする閉域網であることに対し、徹底批判をする。

またクラウド利用がアメリカの2〜3%に留まるなど、日本の保守体質に警鐘をならす。そしてインターネットの将来についてインテリジェンスはクラウドに宿る。端末が持っていたインテリジェンスは、クラウドの向こう側に外部化され、通信インフラも端末も、単なる土管になる、と予見する。

不屈の経営者魂をよみとれ。

苦境なとき、鈴木さんの髪の毛がみるみる白くなり、抜け落ち、安酒の為に通風を患い、しかしなおかつ水道管を日本全国に張り巡らしてやるとうい心意気。それを支える銀行マンやキャピタル。

儲けは、水が出てきてからだという彼の不屈の精神が描かれている。ただ金の為ではないという精神をこの人から学んでほしい。また、こういう人を支えた人が今後も出てくることを祈らんばかりである。諸君、理屈は解っただろう後はやるだけだ。

6:30 2015/09/27 


 

鈴木幸一の文明漂論 単行本  – 2011/12/13 鈴木 幸一 (著)   2件のカスタマーレビュー

 レールを外れ続けた人生の後、日本で初めてインターネットを商用化した“草分け”による「日経新聞電子版・経営者ブログ」。待望の単行本化。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

 鈴木/幸一1946年9月生まれ。国内インターネットサービスの草分け。インターネットイニシアティブ(IIJ)を設立し、郵政省(現総務省)との激しいやりとりの末、93年にネット接続サービスを開始。後に続くネット企業に道をひらいた業界の重鎮(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

 単行本: 373ページ出版社: 日本経済新聞出版社 (2011/12/13)

発売日: 2011/12/13

目次

耐えられない軽さ―2010年春

思えば遠くへ―2010年夏

怖いこわ~いインターネット―2010年秋

この国は何処へ―2010年冬~2011年新春

自然の力をまえに―2011年春

拙きを知らば、なんぞ、退かざらん―2011年夏

「人間」の分限―2011年秋

 

心に感じるものがあります。

最近の新聞にしてもエッセイにしても、表面的な、薄っぺらい、頭でっかちの考えがあふれ、読んでいて気持ち悪くなることがあります。時には狂を感じることがあります。そのような衆愚本の中で、この本は修羅場を乗り越えて来た人の心、大人の男の心を感じ、良い本と思えます。

革新がうまれる所とダメな所と

日経のコラムを読んで著作を購入しました。最近会長を引退されたと記憶しますが、酒、音楽、そしてIIJの革新的な存在(?)が発する辛口な批評ですが、羨ましい限り。非力な身には、存在の糧として読める一冊です。余談ながら、生存の糧としては、家入レオがお勧めです(笑)何はともあれ健康が一番、が実感の読後感です

6:32 2015/09/27


資本主義の克服 「共有論」で社会を変える (集英社新書) 新書  – 2015/3/17 金子 勝 (著)       6件のカスタマーレビュー

 内容紹介

 深刻化する格差を是正するために、新たな「共有」の道を示す画期的提言! 資本主義の歴史を俯瞰し、著者はその歩みを、国民国家の膨張とその衝突と捉え、

その中で、戦争や大恐慌などの歴史的転換期に起きる「非線形変化」と、経済循環による「波動」をつかむことで、危機的状況にある資本主義の病理を浮き彫りにする。

税制や社会保障制度などの新たな枠組みは、今日のような歴史的転換期に更新されていく。そこに、これらの制度やルールの空白が生じ、「独占」が生まれる。 「独占」に抗し、「失われた30年」とも言われる閉塞状況を打破するには、社会を変えていく原理として、制度やルールの「共有」が必要となる。

 個人の自由と平等を保障しつつ、新しい産業構造への転換を促す道を提示する。

 【目次】

 序章 ワンフレーズ化された経済政策

 第1章 共有論のパースペクティブ

第2章 グローバリズムの歴史的意味

 第3章 グローバリズムは何を強要するのか

第4章 資本主義はどう変化してきたか

第5章 社会保障制度における「自由と平等」

 第6章 波動から資本主義を見る

第7章 新しい独占をめぐる対抗

 第8章 地域民主主義の可能性

あとがきにかえて 

資本主義の歴史を俯瞰し、著者はその歩みを、国民国家の膨張とその衝突と捉える。その中で、戦争や大恐慌などの歴史的転換期に起きる「非線形変化」と、経済循環による「波動」をつかむことで、危機的状況にある資本主義の病理を浮き彫りにする。税制や社会保障制度などの新たな枠組みは、今日のような歴史的転換期に更新されていく。そこに、これらの制度やルールの空白が生じ、「独占」が生まれる。「独占」に抗し、「失われた30年」とも言われる閉塞状況を打破するには、社会を変えていく原理として、制度やルールの「共有」が有効となる。個人の自由と平等を保障しつつ、新しい産業構造への転換を促す道を提示する。

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新書: 208ページ出版社: 集英社 (2015/3/17)言語: 日本語

ISBN-13: 978-4087207774

発売日: 2015/3/17

 

目次

序章 ワンフレーズ化された経済政策

第1章 共有論のパースペクティブ

第2章 グローバリズムの歴史的意味

第3章 グローバリズムは何を強要するのか

第4章 資本主義はどう変化してきたか

第5章 社会保障制度における「自由と平等」

第6章 波動から資本主義を見る

第7章 新しい独占をめぐる対抗

第8章 地域民主主義の可能性

個人の自由と平等を保障しつつ、新しい産業構造への転換を促す道を提示する書!

格差是正にはどのような施策が妥当なのか?単なるピケティ式累進課税なのか?

深刻化する格差を是正するために、新たな「共有」の道を示す画期的提言!資本主義の歴史を俯瞰し、著者はその歩みを、国民国家の膨張とその衝突と捉え、その中で、戦争や大恐慌などの歴史的転換期に起きる「非線形変化」と、経済循環による「波動」をつかむことで、危機的状況にある資本主義の病理を浮き彫りにする。

税制や社会保障制度などの新たな枠組みは、今日のような歴史的転換期に更新されていく。

そこに、これらの制度やルールの空白が生じ、「独占」が生まれる。「独占」に抗し、「失われた30年」とも言われる閉塞状況を打破するには、社会を変えていく原理として、制度やルールの「共有」が必要となる。個人の自由と平等を保障しつつ、新しい産業構造への転換を促す道を提示する。本書は、民主主義による資本主義の修正を改めて説いている必読書です!

なんとも歯がゆい

著者の著書は1990年代後半から今日までほとんど読んでいますが、この著書は、この間に著者が論じてきた内容をコンパクトにまとめています。直近の情勢として、「アベノミクス」についての分析や、トマ・ピケティが『21世紀の資本』で主張するところなども踏まえて論述されています。

私が著者を注目してきたのは、セーフティーネット論と「構造改革」批判、社会保障改革、不良債権処理問題と長期停滞論、逆システム学、反グローバリズム、6次産業化と農業改革論、世界金融危機論、脱原発成長論と地域分散型のエネルギー転換等々、直面する数多くの難題について、主流派経済学者とは異なる国民的な視点に立って総括的な主張をされてきたからです。 

で、本書ですが、はっきり申し上げて、物足りない…。情勢分析はいつものように正確で素晴らしいですが、「運動論」が欠落しているため、著者が描く未来像を実現させる「主体」がはっきりしませんし、実現への具体的な道筋がまるで見えません。なおかつ、資本や資本家に対する見方が甘いように感じます。利害対立する政策転換を、資本家、権力者、既得権益者が、強制力なくして受け入れることはまずあり得ません。その甘さは、経済闘争や政治闘争といった階級闘争についての論述がほとんどないことからもうかがえます。著者が描く未来像は、修正資本主義として資本主義を延命させるものであり、それはそれで結構なのですが、運動とその「主体」が不明確では、「画餅」に終わる可能性が大です。志とビジョンは買いますが、なんとも歯がゆい読後感です。

個人の自由と平等を保障しつつ、新しい産業構造への転換を促す道を提示する書!

格差是正にはどのような施策が妥当なのか?単なるピケティ式累進課税なのか?深刻化する格差を是正するために、新たな「共有」の道を示す画期的提言!資本主義の歴史を俯瞰し、著者はその歩みを、国民国家の膨張とその衝突と捉え、その中で、戦争や大恐慌などの歴史的転換期に起きる「非線形変化」と、経済循環による「波動」をつかむことで、危機的状況にある資本主義の病理を浮き彫りにする。

税制や社会保障制度などの新たな枠組みは、今日のような歴史的転換期に更新されていく。そこに、これらの制度やルールの空白が生じ、「独占」が生まれる。「独占」に抗し、「失われた30年」とも言われる閉塞状況を打破するには、社会を変えていく原理として、制度やルールの「共有」が必要となる。

個人の自由と平等を保障しつつ、新しい産業構造への転換を促す道を提示する。本書は、民主主義による資本主義の修正を改めて説いている必読書です!

制度やルールの独占から共有への転換を説く好著!

 水野和夫氏の『資本主義の終焉』が話題になりましたが、長期的なトレンドを歴史的に分析することも大切ですが、本書は現在何が問題なのかということ、あくまでも現実的に問題の本質を分析していることが特徴です。資本主義にはさまざまな制度やルールが存在し、それらの制度やルールが国際的に通用している場合、それらの多くが米国主導により「独占」されてきたものであることに著者は警鐘を鳴らしています。自由貿易に基づいて地域的な経済連携が締結されており、日本もTPP交渉の最終段階に直面していますが、こうした枠組みもまた米国主導により提唱されたものであることが分かります。ここから資本主義国が利益を独占するシステム、あるいは利益を分有するシステムとして機能しているのが現代の資本主義である。こうした発想の下にアベノミックスが展開されていますが、大きな効果を生み出すまでに至っていない。このジレンマに著者は大胆な地方分権的な制度やルールを提唱し、社会保障制度も地方主体に再建することを提唱しています。中央からの押しつけとしての地方創成ではなく、地方からの発想で経済再建や社会保障制度の構築を模索していることは素晴らしい発想です。特にエネルギー政策も地方分権で考え、国が送電を統制し、電力会社の利益独占を排する構想には感心しました。現実的な政策を可能なことから一つずつ新たな発想で考察する本書は今後の日本の将来を考えるための良きヒントとなります。お勧めの好著です。

なんとも歯がゆい

著者の著書は1990年代後半から今日までほとんど読んでいますが、この著書は、この間に著者が論じてきた内容をコンパクトにまとめています。直近の情勢として、「アベノミクス」についての分析や、トマ・ピケティが『21世紀の資本』で主張するところなども踏まえて論述されています。

 

私が著者を注目してきたのは、セーフティーネット論と「構造改革」批判、社会保障改革、不良債権処理問題と長期停滞論、逆システム学、反グローバリズム、6次産業化と農業改革論、世界金融危機論、脱原発成長論と地域分散型のエネルギー転換等々、直面する数多くの難題について、主流派経済学者とは異なる国民的な視点に立って総括的な主張をされてきたからです。

 

で、本書ですが、はっきり申し上げて、物足りない…。情勢分析はいつものように正確で素晴らしいですが、「運動論」が欠落しているため、著者が描く未来像を実現させる「主体」がはっきりしませんし、実現への具体的な道筋がまるで見えません。なおかつ、資本や資本家に対する見方が甘いように感じます。利害対立する政策転換を、資本家、権力者、既得権益者が、強制力なくして受け入れることはまずあり得ません。その甘さは、経済闘争や政治闘争といった階級闘争についての論述がほとんどないことからもうかがえます。著者が描く未来像は、修正資本主義として資本主義を延命させるものであり、それはそれで結構なのですが、運動とその「主体」が不明確では、「画餅」に終わる可能性が大です。志とビジョンは買いますが、なんとも歯がゆい読後感です。

 シェア(共有)とUSスタンダードからの脱却

全くの門外漢が読んだ。

いつも経済関連の本を読んで思う事:経済学って本当に学問なんだろうか?ノーベル賞もあるけど。一部の人々に莫大の富の偏在をもたらす金融工学なんていうのもあるし、そもそも工学も学問なんだろうか?自然を征服管理しようとする工学が人類に必要なのかと。金子さんは、「失われた20年」と書くけど、ゴールを過ぎた20年と考えた方が良いのだと僕は思う。だって、もう世界で一番には絶対なれないのだから。もちろん、金子さんの脱原発論は素晴らしいと思っている。

筋がそれた。

金子さんは、以前より自民党政権、特に小泉さんの政策には猛烈に反対していたように思う。

そんな事を目次からも感じる。

序章 ワンフレーズ化された経済政策

第1章 共有論のパースペクティブ

第2章 グローバリズムの歴史的意味

第3章 グローバリズムは何を強要するのか

第4章 資本主義はどう変化してきたか

第5章 社会保障制度における「自由と平等」

第6章 波動から資本主義を見る

第7章 新しい独占をめぐる対抗

第8章 地域民主主義の可能性

あとがきにかえて

 

ざっくりまとめると、地方分散ネットワークでシェア(共有)型な社会 そして産業構造改革

米国型の制度、ルール押し付けからの解放(グローバルスタンダードは実はUSスタンダードなんだよね)

女性に不利な日本の社会制度改革

 

読み終えて思ったのだが、新自由主義はけしからん、公共事業で日本復活などと言っている強靭化の先生も実は古い既得権益(ドボクムラ)の利益代表であるのだろう、まさに原発ムラの構造と全く同じ。

そして、そのムラの人々には利他などと言う思想は無く、利己的権益にすがり、国を蝕んでいくのだろう。

この本は、結局、「資本主義の克服」の為の対案を提示できていない本になっています。

この本は、結局、「資本主義の克服」の為の対案を提示できていない本になっています。

現状の新自由主義やグローバリズムが悪い事を分析していますが、結局、対案が出せていません。

現行法で、具体的に、何をどのように制度や法律を改正して、日本をどのような国するかの「グランドデザイン」を描き切れていません。

作者が限りなく、マルクスや資本論が好きなのはわかりますが、現行法の日本で、どのように、生かすかを対案や提案を出来ていないのが残念です。

毎回、本を読ませてもらっていますが、いつも抽象的な言葉で終わるので、今度、本を書く時は、この法律のここを廃止するなり、新しい法律を作るなりの日本の国家の「グランドデザイン」を書いて欲しいと思います。

 

ちなみに、「坂本龍馬」が現代でも、評価されるのは、「船中八策」という明治維新の「青写真」を描いたからですから、作者にも、同じように、平成の日本の「青写真」を描いた本を書いて欲しいです。

6:34 2015/09/27


?騒音やCO2排出や熱中症のリスク・・・除草は大変です。ところが現在、そうした問題がほぼゼロのとてもエコで、画期的な除草法が大きな話題になっています。それはヤギによる除草。草刈機など燃料を使う通常の除草ならば1000平方メートルあたり約117キロのCO2を排出しますが、ヤギならば ほぼゼロ。1日に体重の1割程にあたる3~5キロの草を食べてくれるからです。そんなヤギを派遣する会社アルファグリーンのスタッフで、「ヤギ除草マスター」の山本富晴さんは、長年 家畜の除草能力や緑化事業の研究をしてきました。そして現在

引用


いつもお世話になっております。ヤギ除草の話題提供です。ぜひご覧になってください。共同通信(昨日配信、月末ごろまでに各地上局で使われるかもです)

https://www.youtube.com/watch?v=zDQlFym2BnU


BS朝日(5ch)

緑のコトノハ(9月28日から10月2日まで、夜8:54-9:00、一週間に渡ってドキュメンタリで放送されます)

http://www.bs-asahi.co.jp/kotonoha/num_185.html

2015年9月28日~10月2日

山本富晴(ヤギ除草マスター・アルファグリーンスタッフ)


騒音やCO2排出や熱中症のリスク・・・除草は大変です。ところが現在、そうした問題がほぼゼロのとてもエコで、画期的な除草法が大きな話題になっています。それはヤギによる除草。草刈機など燃料を使う通常の除草ならば1000平方メートルあたり約117キロのCO2を排出しますが、ヤギならば ほぼゼロ。1日に体重の1割程にあたる3~5キロの草を食べてくれるからです。そんなヤギを派遣する会社アルファグリーンのスタッフで、「ヤギ除草マスター」の山本富晴さんは、長年 家畜の除草能力や緑化事業の研究をしてきました。そして現在 東京近郊の約15か所に合計50頭ほどのオスの去勢ヤギを派遣し、面倒を見ています。都会にヤギが草を食む、のどかな光景が現れ、おとなしいヤギには人々との触れ合いによる癒し効果も期待されています。 そして地域住民との触れ合いイベントも開かれています。さらに嬉しいことにヤギ除草は、はびこる外来種の蔓延をある程度 防ぐことができます。セイタカアワダチソウなど背の高い外来種をヤギが食べることで、日陰に追いやられていたホタルブクロやフデリンドウなどの在来種が見られるようになったのです。ヤギによる除草を広める山本さんの、命を見つめる眼差しは生き物への深い愛情に満ちています。


アルファグリーン連絡先

 〒231-0023 神奈川県横浜市中区山下町99−207

 045-650-5360    ホームページ 

http://www.a-green.org/

http://www.a-green.org/yagi.html

 

 

6:43 2015/09/28

 

池崎拝

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有限会社 アルファグリーン 代表取締役

PRE(ピーアールイー)緑化工法協会 事務局長

池  崎   真 (IKEZAKI MAKOTO)

TEL 045-650-5360

FAX 045-650-5365

mailto:ikezaki@a-green.org

=====================

5:33 2015/09/28

 


2015年9月27日 (日)

自民党を倒せば日本は良くなる・ 2001・4 白川 勝彦 ・・わが国には、国家公務員が110万人、地方公務員が320万人もいます。この人達にとって、自分たちが諸悪の元凶だと言われると面食らう人が多いでしょう。162頁

引用


第4章 「平成革命」で日本はこうなる・157頁・平成27年9月26日 土曜日・


引用・2015年10月 1日 (木)自民党を倒せば日本は良くなる 単行本– 2001・4 白川 勝彦・・小泉首相に欠けている日本の革命の思想と戦略、戦術を明らかにした・・第5章 人間から出発する政治―私が歩んできた道・191頁から・

http://amamioosimasanrinha.synapse-blog.jp/takita/2015/10/20014-5-dd22.html

6:26 2015/10/01


諸悪の元凶=官僚機構の革命的改組・158頁・

・なぜ官僚の評判はこうも悪いのか・

わが国には、国家公務員が110万人、地方公務員が320万人もいます。この人達にとって、自分たちが諸悪の元凶だと言われると面食らう人が多いでしょう。

地方公務員で作る自治労(全日本自治団体労働組合)と伊労働組合は、数ある労働組合の中で、人数でも組織力でも日本で一番強力な労働組合の一つでしょう。自治労は、政治的にももちろん民主党を支持しています。したがって、あれだけ官僚批判をする民主党の菅さんなども、悪いのは霞が関にいる自民党と結びついた一部の高級官僚であり、それ以外の公務員はまじめで善良なよく働く人たちだと言うのではないでしょうか。

しかし、多くの国民はそう思っているでしょうか?決してそう思っていないと思います。第一、多くの国民には霞が関の高級官僚などと接触する機会は、ほとんどないのです。多くの国民が付き合うのは、また付き合わざるを得ないのは、地方公務員であり、高級官僚などとは呼ばれない国の出先機関の公務員(役人)なのです。


159頁・

国民は、こういう人たちを見て、また必要に迫られて付き合ってみたうえで、公務員(役人)というものに対し一つの認識を持っているのです。どういう認識を持っているかは、おいおい書きます。ただ、それは決して「まじめで善良なよく働く人たち」などという認識ではないことだけは、自信を持って言えます。

国民は公務員の皆さんをもっともっと厳しく見ていると思います。どうかこのことだけは忘れないで、もしこの本を手にされた公務員がいたら、私がこれから書くことを最後まで我慢して読んでもらいたいと思います。

な、こうも公務員(役人)の評判が悪いのでしょうか。それはそもそも自由主義社会においては、自由でありたいと願う多くの国民にとって、最初から権力(役所)というのは本質的に好ましいものではない。いや、むしろ敵対するものであるからです。多くの国民にとって、本当にあって助かるという役所は一体どの役所でしょうか。すぐには思い当たりません。

かりにそういう役所があったとしましょう。また、なければ困る役所も確かにあります。例えば福祉の仕事を行っている役所とか、治安をあずかる警察や検察などを、全く否定する国民はいないでしょう。

しかし、その役所はボランタリーな奉仕的な組織ではないのです。国民の税金でまかなっている組織なのです。


160頁・相当のことをやってくれて当たり前、その仕事ぶりがぞんざいであったり、十分でなかったりすれば国民が悪印象を持つのは当然ではないでしょうか。多くの公務員(役人)には、この基本的な認識がないのです。


160頁・公務員はパブリック・サーバント・

公務員というのは、つまり公僕なのです。わが憲法では「全体の奉仕者」(第15条)と呼んでいます。公務員は、奉仕者でなければならないのです。やらなければならいいことをやるだけでは、合格点はもらえないのです。

あいて(すなわち国民)から見て、いい仕事をしてもらった、助かった、いい気持ちになれたという仕事をしなければならないのです。外国などでは、そういう場合、その気持ちを表すためにチップを渡すのですが、公務員の場合はそれを受け取ると駄目。

受け取った公務員も渡した国民も、贈収賄になってしまいます。それは理想像だとか、あまりにも厳しすぎるという人もいるでしょうが、これが自由主義社会における公務員に関する原理・原則なのです。

明治憲法下では、国家公務員は官史と呼ばれていました。そして、官史は主権者である天皇の代理人であり、使用人でした。ですから、国民に感謝される必要もなかったし、国民も奉仕など求めはしませんでした。


161頁・官史(地方公務員のことは史員といいました)、すなわち役人は威張ってもよかったのです。

 

現在の憲法では、国民が主権者です。主権者である国民は、今政治家をボロクソに言っています。国会議員も地方議員もみんな公務員です。だから、ボロクソに言ってもいいのです。

そして、ダメだと思ったら選挙で落とす、すなわちクビにしていいのです。公務員の任免は、国民の固有の権利であるとされているからです(憲法15条)。


しかし、公務員(役人)のことをボロクソに言う国民は多いのですが、政治家以外の公務員については国民は任免の権利を直接持っていません。ですから、一般の公務員にとっては国民がどう言おうが、クビになることはないのです。普通の会社の場合、従業員の仕事ぶりやサービスが悪ければ、最後はその会社は潰れるでしょう。でも、公務員が務める会社は役所という潰れることのないところなのです。

今日のように厳しい経済環境の中で、リストラで雇用の不安を余儀なくされている一般の国民から見たら、「役人天国」と言われる状態に対しては、さらに厳しい指摘と批判がなされているでしょう。このことを公務員の皆さんは、正面から真摯に受け止めなければならないと思います。

162頁・平成27年9月28日 月曜日・



2015年9月29日 (火)

?自民党を倒せば日本は良くなる 単行本– 2001・4 白川 勝彦 (小泉首相に欠けている日本の革命の思想と戦略、戦術を明らかにした1冊 異常な小泉人気である。・日本の官僚は本当に優秀なのか?・163頁・平成27年9月29日・ここまで http://amamioosoma.synapse-blog.jp/yosiharu/2015/09/20014-1-a863.html

4:22 2015/09/29

 

 

 

・「新しい日本」を信じて・174頁・

・戦中八策・・21世紀の日本のかたち・179頁・

第5章 人間から出発する政治―私が歩んできた道・191頁・

・機屋の家に生まれ育つ・194頁・

・学生運動の中で・209頁・

・学生運動のなかで・209頁・

・ガリ版刷りのビラから生まれた自民党政治家・223頁・

・燃える自由民主党代議士奮戦記・245頁・

平成27年9月26日 土曜日


2015年9月24日 (木)

永続敗戦論・なぜ日本人は敗戦を認めないのか・・「敗戦の否認」本格化するのはいわゆる「逆コース政策」からです。それまで占領軍は民主化と脱軍国主義を徹底し、日本を戦前と断絶した国にしようとしていました。しかし、冷戦構造の中で、アメリカは日本を自由主義陣営に留めておくために、あの戦争を指導していた保守勢力に日本を統治させることにしました。これにより、あの戦争ついて明らかに多くの責任を負っていた人たちが次々と復権していきました。岸信介はその典型です・・14頁・平成27年9月25日 金曜日・。

引用


永続敗戦論・なぜ日本人は敗戦を認めないのか・白井聡「永続敗戦」とは何か・

・白井さんはベストセラーとった「永続敗戦論」戦後日本の体制「永続敗戦と呼んでいます「永続敗戦」どのような状況をしようか。・


白井・「永続敗戦」とはごく簡単に言えばあの戦争負けたという事実をちゃんと認めていないが故に、ずるずると対米従属が続いている状況のことですその中核には「敗戦の否認があります。つまり、知識としては敗戦したことを知っているが、現実としてはそれを認めていないということです。

その一番象徴的な現象は8月15日「終戦記念日と呼ばれていることでしょう。日本人の歴史認識の中では、あの戦争は日本の敗北によって終わったのではなく、あたかも自然に終わったかのように考えられているのです。

「敗戦の否認」本格化するのはいわゆる「逆コース政策」からです。それまで占領軍は民主化と脱軍国主義を徹底し、日本を戦前と断絶した国にしようとしていました。しかし、冷戦構造の中で、アメリカは日本を自由主義陣営に留めておくために、あの戦争を指導していた保守勢力に日本を統治させることにしました。これにより、あの戦争ついて明らかに多くの責任を負っていた人たちが次々と復権していきました。岸信介はその典型です。

これは本来許されざることです。敗戦によって国を破滅させた人たちが再び支配者の座に就くなど、決してあってはならなかった。そのあってはならないことを合理化するためには、敗戦の責任ひいては敗戦という事実そのものが曖昧化される必要がありました。


11頁・つまり、日本はあの戦争に負けていないので、あの戦争を指導していた人たちが引き続き権力の座にとどまったとしても何の問題もないということにされたのです。


「敗戦の否認」は、戦後の経済的よって実体を得ることになりました。経済的に豊かになることで、敗北の痛みをリカバリーすることができたからです。さらに、自由主義陣営が冷戦に勝利し、勝者の立場に立つことができたことで「敗戦の否認」は完成を遂げたと言えるでしょう。

しかし、冷戦構造の終焉は、日本にとっては新たな敗北の始まりでもありました。日本は冷戦下で発展・復興を遂げてきましたが、それはアメリカの庇護によって可能になったことです。冷戦時代には、アメリカは本音では日本にいろいろと文句をあったとしても、日本を重要なパートナーとして遇してきました。

平成27年9月24日 木曜日


平成27年9月25日ここから・


しかし冷戦構造が崩壊してしまえば、もはや日本を擁護する必要はありません。アメリカにとっては日本は庇護の対象から収奪の対象へと転換しました。それは年次改革要望書やTPP、集団的自衛権などを見れば明らかです。

本来であれば日本はこれに抵抗しなければなりません。しかし、日本の権力の中枢を占めているは、アメリカに免責されることによって地位を守った勢力の後継者たちです。彼らがアメリカに頭が上がるがあがるはずがありません。

日本はこのようにして支配層が敗戦を否認することによって権力を維持してきたが故に際限のない対米従属を続けなければならないという「永続敗戦」に陥ってしまったのです。


・・・対米従属そのものを批判しても仕方がない・・・

・日本がこれまでアメリカに従属してきたのには、やむを得ないところもあったのではないでしょうか。


白井・私は対米従属そのものを批判しているのではありません。冷戦構造下では対米従属にはある程度の合理性がありました。第二次大戦後、ほとんど全ての国がアメリカとソ連のどちらかに従属することを迫られました。

どちらかに従属するのがマシであったかと言えば、それはアメリカでしょう。もちろんどちらにも従属せず自主独立でやるのが一番立派な考え方だったことは間違いありませんが、その道を選択した場合は多くの血が流れたはずです。

また、現代においても、「対米従属」を「対米依存」と言い換えれば、いかなる意味でもアメリカに依存していない国は存在しません。北朝鮮でさえ、アメリカに対して何十年にもわたって「体制の存続を認めてくれと求めていることを踏まえれば、あれほどアメリカに依存している国はないという見方もできるわけです。それ故、無暗矢鱈に「アメリカに従属しているのはけしからん」と力んでみても仕方がありません。

むしろ批判すべきは、日本の対米従属の特殊性、その異様な在り方です。本来、国と国との関係は人間の関係と違い、ビジネスライクなものです。国家というは互いにとって都合が良いから従属や支配の関係を取り結ぶのであり、状況が変わればその関係は変化して然るべきです。

ところが、冷戦が終わり共通の敵が消滅したにも拘わらず、日本の対米従属はむしろ深まっていきました。ということは、日本にとって対米関係はビジネスライクなものではなかったということです。これは非常にウェットで、情緒的で、温情主義的な関係だというところにその特徴があります。


実際、日米関係を言い表す際に用いられる言葉は、「思いやり予算」や「トモダチ作戦」と言ったように、異様に情緒的なものばかりです。安倍総理がワシントンで行った演説も、極めてウェットな印象を与えるものでした。

・かつての指導者たちのアメリカに対する態度の中には、抵抗精神も感じられたと思います。例えば、岸信介は自衛のための核武装は合憲と述べるなど、アメリカへの牽制も行っていました。


白井・吉田茂や岸信介、正力松太郎など、アメリカに免責されることで復権した当時の支配層たち、いわば「永続敗戦レジーム」の第一世代の人たちは、対米関係についてジレンマを感じていたと思います。

彼らは国の復興や自立を成し遂げるためにはアメリカに従属するしかないとういうことで自覚した上で、苦悩しながら対米従属を続けていたはずです。

それに対して、安倍総理を始めとする「永続敗戦レジーム」の第三世代の人たちは、対米従属が自己目的化してしまっています。彼らは何かを達成するために対米従属を深めているわけではありません。

安倍総理は保守であることを強調しますが、対米従属を深めてまで何を保守したいのかが全く見えてきません。結局のところ、彼は世襲によって受け継いだ権力を保守したいだけなのです。


・・天皇よりも上位に位置するワシントン・・

・白井さんは「永続敗戦論」の中で、「永続敗戦」は戦後の国体であると指摘しています。「永続敗戦」が国体になったのはどういう意味でしょうか。

13頁・15/9/25 7時57分・

白井・国体が国の根本的な在り方を意味するならば、天皇を頂点に戴くところの日本の国体は、あの戦争によって一旦破壊されました。吉田茂は「国体は不変なり」と言いましたが、それはあり得ないことです。

例えば、西ドイツあれ東ドイツであれ、もしドイツが国際社会に復帰するにあたって「自分たちはあの当時のドイツと基本的に何も変わってはいない」と言ったとすれば、復帰を許されることはなかったでしょう。彼らはナチスドイツとは根本的に異なる国になったと約束したからこそ、国際社会に復帰できたのです。


これは日本にも言えることです。日本がサンフランシスコ講和会議を結び、国際社会に復帰できたのは、大日本帝国とは根本的に異なる国家だという了解を得ることができたからです。それ故、吉田が国内に対して「国体は不変なり」と言ったのは大いなる二枚舌なのです。

吉田の発言は、これまで見てきたように、敗戦の責任や敗戦という事実そのものを誤魔化すためのものです。

もっとも、日本の国体は破壊されたとはいえ、構造そのものは生き残りました。これは、自動車のフルモデルチェンジと比べればわかりやすいと思います。一つ前のモデルのカローラは別物だけども連続性があるように、日本の国体も形を変えて存続しました。


 

どのような形で存続したかと言えば、天皇を頂点とする日本国家の上にワシントンが位置づけられるという形によってです。これが戦後の国体の最も重要な特徴です。

実際、今の権力者たちが日米同盟について語る言葉は、戦前に天皇について語られた言葉と非常に似ています。ここ20年ほどの間に政府が出した日米関係に関するレポートなどを読むと、常に日米同盟は絶対の前提であると同時に不断に強化されなければならないと繰り返し書かれています。

これは「天壌無窮の国体」という言葉を彷彿とさせます。かつて「天皇陛下の統治は永遠である」と言われたことが、今日では「日米同盟は永遠である」にすり替わったのです。これこそまさに日米安保体制が国体化していることの証拠です。

その意味で、安倍総理たちにとっては、皇居にいる天皇よりもワシントンの方が大事なのだと思います。彼らが今の天皇陛下の憲法擁護発言や「戦争の歴史を十分に学ぶことが大切だ」といった発言などに対して内心腹を立てていたとしても、決して不自然ではありません。彼らは日本にいる天皇に対して不敬の限りを尽くしたことしても、何も感じないはずです。

14頁・平成27年9月25日 金曜日・


2015年9月23日 (水)

助け助けられるコミュニティ―立川市大山自治会の発明 (まちの知恵シリーズ) 単行本– 2011・11 福留 強 (著), 全国生涯学習まちづくり協会 (監修) 著者略歴 福留/強・町内会”は義務ですか? ~コミュニティーと自由の実践~

引用

2018.10.


町内会”は義務ですか? ~コミュニティーと自由の実践~ (小学館新書) 単行本  – 2014/10/1紙屋 高雪 (著)

吊るし上げられて…町内会長♪

 凶悪事件のニュースをきくと、まず「現場がご近所じゃないかが気になる」私達にとって、自分の住む地域のコミュニティーは大切……でも自身の手間と面倒は極力避けたい…というのが実際ですよね。そんな建前と本音がシビアな現実になる場が、町内会・自治会です。団塊ジュニア世代の著者は、町内会長(自治会長)をついひきうけてしまい、その仕組みと実態に驚きつつ、てんてこまいに。

ちょっとした成果に充実感をえたりもしながら、最後は、”吊るし上げ”にあった末、一風変わった「ミニマムで楽しくラクな町内会」の創生へと到りました。

体験ルポを通して、歴史や、法的な位置づけ、統計データも踏まえ、町内会・自治会の今後のあり方を提言します。

【編集担当からのおすすめ情報】

この日本に住む、約1億人が町内会(自治会)の構成員。

あなたもメンバーなのです。実は。

「町内会費○○○円」、「今月の当番」、「来年あたり○丁目(○棟)の役員に」、などなど、メンドーな“地域のご近所つきあい”が降ってきていませんか?

…自分の住む地域のコミュニティーは大切…

…でも自身の手間と面倒は極力避けたい…

そんな建前と本音に悩む、すべての大人にオススメの一冊です!

 内容(「BOOK」データベースより) 

地域コミュニティーは大切…でも面倒は極力避けたい…そんな建前と本音が現実になる場が、町内会・自治会。団塊Jr.世代の著者は町内会長(自治会長)をついひきうけてしまい、その仕組みと実態に驚きつつ、てんてこまいに。ちょっとした成果に充実感をえたりもしたが、最後は“つるしあげ”にあった末、一風変わった「ミニマムで楽しくラクな町内会」の創生へと至った。体験を通し、歴史や、法的な位置づけ、統計データも踏まえ、町内会・自治会の今後のあり方を提言する。単行本: 252ページ出版社: 小学館 (2014/10/1)

言語: 日本語・発売日: 2014/10/1

商品パッケージの寸法:  17.2 x 11 x 1.8 cm

目次

序章 町内会って入らなくてもいいの?

第1章 町内会は必要です!

第2章 町内会は要らない?

第3章 ゆるゆるな新町内会をつくってみた

第4章 町内会は今後どうしたらいい?

終章 親睦だけでもなんとかなる

 現代日本における「自治会」の大切さとムズカシサの相克


タイトルは"町内会"となってるけど、現代日本における自治会なんかのムズカシサについてを実体験と若干の理屈をもとに書いていて非常に面白い。著者自身は学生時代にも自治活動をやっていた人で、頼まれて賃貸の町内会の会長になった人。そんな経験があるので自治の重要性については重々承知しているものの、その辺りについては重く書きすぎずに実際的メリットとして自治会があるとはどういうことかに言及する。そして何より大事且つ面白く、本書の最大のポイントとなっているのは自治活動の負担に耐え切れず、とうとう自治会を休会し他の自治会との折衝を絶つという決定をするあたり。そもそも自治活動の負担が大きいのはなり手が少なくて撤退戦、消耗戦になってることや行政の下請け化してることなんかの背景があるってのは著者も分かっているけれど、それでも個人として負担が大きすぎてもう無理となっていく経緯には非常に臨場感がある。

とはいえいわゆる「自治」そのものを放棄したかといえばそういうわけではなく、その後はちゃんとできるひとがやりたいことをやる、ゆるゆるな町内会を組織してやっていってるとのことなので、ここで見直されたのはいわゆる「自治会」のあり方だったようだ。

 

星一つマイナスの理由は版型の割りに文字数が少なくて残念だったことと、もう一歩政治哲学寄りの議論と絡めて書いて欲しかったなあという読者のわがままから。

どの地域でも同じような解決ができるかと言われると難しいだろうが、あくまで参考事例として割り切って読むと良い。

どの地区にもある町内会や自治会についてよく起こる問題と具体例を紹介したもの。会費集めや会合、役割分担などさまざまな作業負担と住民間での衝突に疲弊している人が多い自治会だが、作者自身が体験したトラブルについて紹介していく。

どの地域でも似たようなことが起きているだろうが、自治会に対して悪いイメージを持つ人が想像する通りの非常にウンザリするやり取りが書かれているおり、読んでいるだけで疲れてくる。

フルタイムで仕事をしていて家族もいる人なら作者の気持ちは大いに理解できるところだろう。それに対する解決法として作者が行った完全ボランティア体制のやり方はかなり心が救われる。ただ、どの地域でも同じような解決ができるか、と言われると難しく、たとえ少数でも今までのやり方を変えることに抵抗を示す人がいると結局はモメることになるだろう。あくまで参考事例として割り切って読むと良い。

現代日本における「自治会」の大切さとムズカシサの相克

タイトルは"町内会"となってるけど、現代日本における自治会なんかのムズカシサについてを実体験と若干の理屈をもとに書いていて非常に面白い。著者自身は学生時代にも自治活動をやっていた人で、頼まれて賃貸の町内会の会長になった人。そんな経験があるので自治の重要性については重々承知しているものの、その辺りについては重く書きすぎずに実際的メリットとして自治会があるとはどういうことかに言及する。そして何より大事且つ面白く、本書の最大のポイントとなっているのは自治活動の負担に耐え切れず、とうとう自治会を休会し他の自治会との折衝を絶つという決定をするあたり。そもそも自治活動の負担が大きいのはなり手が少なくて撤退戦、消耗戦になってることや行政の下請け化してることなんかの背景があるってのは著者も分かっているけれど、それでも個人として負担が大きすぎてもう無理となっていく経緯には非常に臨場感がある。

 とはいえいわゆる「自治」そのものを放棄したかといえばそういうわけではなく、その後はちゃんとできるひとがやりたいことをやる、ゆるゆるな町内会を組織してやっていってるとのことなので、ここで見直されたのはいわゆる「自治会」のあり方だったようだ。

 星一つマイナスの理由は版型の割りに文字数が少なくて残念だったことと、もう一歩政治哲学寄りの議論と絡めて書いて欲しかったなあという読者のわがままから。

町内会、休止しても平気です

この本は、それまで町内会にさほどの関心を持っていなかった著者の(ひょんなことからの)町内会長体験記です。

別のタイトル候補として「自治協役員の異常な熱情。または、私は如何にして町内会を休止して、自治協を廃するようになったか」が適当でしょう。著者は町内会に一定のメリットを認めています。だからこそ町内会長を引き受けたわけですが、空洞化している町内会の現実に驚き、にもかかわらず理想を押しつけてくる自治協(校区自治団体協議会)の横暴に嫌気がさして、会員の総意をはかったうえで、町内会を休止してしまいます。

しかし、夏祭りと餅つきだけは残したいという会員の意見があったので、代わりに会費なし・義務なし・手当なしの新しい自治会をたちあげました。

賛否両論あるでしょうが、私は著者の行動には賛成します。

町内会の再定位

 平成17年4月26日、最高裁は、町内会は強制加入団体ではないと判示した。

これにより、町内会が任意加入団体にすぎないことが明確にされた。しかし他方で、町内会がこれまで、地域コミュニティにおいて一定の役割を担ってきたことは疑いようがない。

本書は、ときに学者の文献を引用しながら、ときに町内会長を務めた著者自身の体験から、町内会の意義、そしてその問題点について語った1冊である。

 著者は、町内会が不要であるとはしていない。「『自分はこのまちの一員だ』というコミュニティー意識、共同体意識を作り出すこと」は、町内会にしかできないとしている(本書237頁)。

しかし、他方で、自助、公助、共助のうち、共助として位置づけられる町内会の役割の強調が、公助たる行政の責任の縮小を正当化するものとなってしまっていること、また他面においては、町内会が行政の下請け的立場に置かれてしまっているという、現状の問題点を指摘する。これら現状は、任意加入団体としての町内会と果たして両立しうるだろうか。

一方の町内会の中にも、「『公民』としての義務を果たすというイメージとセットで、町内会を行政の末端に位置づけたい」(本書217頁)と考える人もいるとも指摘している。

そして、このような町内会の有り様が、町内会役員の過重負担と町内会離れという悪循環を生み出しているとする。


本書において著者は、自らの町内会長としての経験そして挫折をもとに、「ミニマム町内会」という町内会の在り方を提起し実践してみせている。

著者によれば「ミニマム町内会」とは、会費なし・義務なし・手当なしという完全ボランティアの町内会である。

そこには、共助としての役割を担う町内会は、行政の責任による公助にプラスアルファを加える存在であるべきだとして、町内会を本来的位置づけに再定位しようとするとともに、町内会の自発的性格(本書199頁)を取り戻そうという気概が見てとれる(もっとも、その中身は、(良い意味で)もっと緩く、もっとズボラな町内会であってもいいのではないかという肩の力の抜けた立論になっている)。

かかる著者の試みは、決して町内会の「解体」などではなく、町内会を本来的性質に立ち返らせるという全うなものではないだろうか、と個人的には思う。


1点だけ注意点を。

本書54頁において、からいもを作り、焼酎の販売を行っている町内会として、「鹿児島県鹿屋市の柳町町内会」を挙げているが、これは「鹿児島県鹿屋市串良町柳谷集落」通称「やねだん」の誤りではないだろうか。柳町町内会なるものは見当たらない。なお、私が所持しているのは本書の初版第1刷なので、その後訂正されているかもしれませんが。



町内会への自由

つながりは欲しいけどしがらみは要らない。そんな町内会作ってみたという実践の記録。

前半はビギナー向けに町内会についての一般的な説明で、あんまり関係無いって思ってる人にも興味が沸くような内容になっている。後半が本題の実践記ですが、著者が傷つき、挫折し、それでも「コミュニティー」に関わっていく姿が実に心を打ちます。映画化してほしいくらい(笑)

子育てしてはじめて「地域社会、こりゃ無視できないぞ」と気づいた次第でして、そこに来てこの新書は、積極的に参加するにしろ、やや逃げ腰のスタンスを維持するにしろ、どちらでも使えそうなヒント集として重宝しそうです。私の場合、本書を読んで、参加もいいかなと思うようになりました。いっしょに飛び込んじゃいません?

どの地域でも同じような解決ができるかと言われると難しいだろうが、あくまで参考事例として割り切って読むと良い。

どの地区にもある町内会や自治会についてよく起こる問題と具体例を紹介したもの。会費集めや会合、役割分担などさまざまな作業負担と住民間での衝突に疲弊している人が多い自治会だが、作者自身が体験したトラブルについて紹介していく。

どの地域でも似たようなことが起きているだろうが、自治会に対して悪いイメージを持つ人が想像する通りの非常にウンザリするやり取りが書かれているおり、読んでいるだけで疲れてくる。フルタイムで仕事をしていて家族もいる人なら作者の気持ちは大いに理解できるところだろう。

それに対する解決法として作者が行った完全ボランティア体制のやり方はかなり心が救われる。ただ、どの地域でも同じような解決ができるか、と言われると難しく、たとえ少数でも今までのやり方を変えることに抵抗を示す人がいると

結局はモメることになるだろう。あくまで参考事例として割り切って読むと良い。

いざとなったら、こんな考え方もある(笑)という気付きを与えてくれました。

40代サラリーマンの筆者は、前任の町会長の死去に伴って、ある日、突然に町会長を押し付けられるのですが、様々な苦労や、辛い経験、関係者との軋轢、法的な矛盾との戦いなどを経て、最終的に、”義務なし、町会費なし、完全ボランティアで運営されるミニマム町内会”へと辿り着きます。

この姿は、決して理想的ではありませんが、”地域のコミュニティーは大切”という気持ちと、”自身の手間と面倒は極力避けたい”というエゴを両立する、現代風町内会の一つの形ではあるのかもしれません。

お手本に良いかどうかは賛否あると思いますが、いざとなったら、こんな考え方もある(笑)という気付きを与えてくれると思います。

また、筆者は、この結論に辿り着く過程で、町内会の歴史や、法的な位置づけ、最高裁での判例、様々な統計データなどを使って、町内会・自治会の今後のあり方を提言しています。町内会に関する情報の探し方ノウハウや、ちょっとしたデーターブックとしても使えそうです。

役員のなり手不足や、町会への帰属意識低下は、我々の町会だけではなく、どこの町会でも起きている”よくある課題”なのを知って少し安心するとともに、どこの町会も、うまく解決できていないのだな、という現実も認識できます。僕も筆者と同世代であり、現在、町会の役員を務めていますので、この本で学んだことをヒントに、町会の改善に臨んでみようかな。と思う次第です。

未だ読書中

昨年度町内会の役員をしていたが、その前に読めば良かったと思いました。なかなか急所を突いた内容で良い。

身近から考える民主主義とコミニュケーション

著者は「超訳マルクス」(かもがわ出版)や漫画評論のブロガーとして有名な紙屋高雪さん。本屋で見つけて衝動買いした本です。別に町内会問題に関心があったわけでは無く、単に紙屋さんのちょっとしたファンであるだけ。しかし案外こういう「直感」がいい本に出会う確率は高い。最高に面白かった。

紙屋さんは団地の町内会長(自治会長)をつい引き受けてしまう。なってみてその仕組みと実態に驚く。そこは身近なのにワンダーランド(未知の世界)でもあった。そしてちょっとした「成果」のあとに、「吊し上げ」にあって、ちょっとした「ミニマムで楽しく楽な町内会」の創設に至るのである。

 

「行政からは「町内会」は行政の末端組織と位置づけられているから、嫌いだ」「隣り組組織はなくなったけど、現在は補助金を渡す仕組みを作って新しい隣り組組織になろうとしている」と、私の周りには町内会に対して「毛嫌い」する人がいます。反対に、張り切って地域の自治会組織に関わり、結果的に地域を振り回したり、ボランティアとは言えないほどに超多忙な町内会を作ってしまっている人もいます。

 紙屋さんは、団地の唯一のコミニュケーションの場である夏まつりなどの催しや、地域を代表して意見をいう場としての機能を尊重しながらも、行政の下請け団体になったり、いろんな圧力を跳ね除けて個人の思想・信条の自由を守る道をさぐります。緩やかな「方法」を模索します。

ちなみに、町内会は義務ではありません。加入・脱退の自由は(原理的には)あります。だって最高裁の判例があるんですよ。

ちなみに、オビの煽り文書はこうです。「町内会会費○○○円」‥‥「今月の当番」‥‥「来年あたりに○丁目(○棟)の役員に」‥‥などなど‥‥メンドーな「地域のご近所付き合い」が降ってきてはいませんか?

あなたもメンバーです吊し上げられるか、理屈ヌキで従うか、そんな仕組みがここにある!ちなみにひとつ気がついたこと。

町内会の運営や、役員の側からの言い分、入っているのかも自覚していない住民からの言い分、細かい仕事の内容、役を回すコツ等々を読んでいくと、これはそのまま労組運営で困っている役員や労組員にも当てはまるんじゃないか。いろんなヒントがあります。労組員や役員にオススメ!

出来たら、紙屋さんに労組編も書いてもらいたい。同じ小学館新書というメジャーな新書として。でも、町内会は、なんと89%もの加入率があるらしい(「町内会・自治会など近隣住民組織に関する全国調査」)。一方、労組の加入率は二割を切って17%台だ。おそらく小学館は出版してくれないだろな(^_^;)。

2015年4月15日読了


町内会の出発点は任意。 会費も加入も義務も無しの最小限で出直してみよう

町内会は、地域のお祭りにはじまって回覧板に代表される広報、防犯灯の設置や維持管理、資源回収、高齢者の見守りや生活支援、そして時には地域の代表など、その役割は非常に大きくなっている。

一方、町内会に加入しない人々が理由にする「何をしているのかわからん。抜けられない」、「役が大変。やめさせてくれない」が象徴するように、面倒は避けたいという住民の率直な本音が見え隠れする。では、多くの人に受け入れられる町内会とはいかなるものだろうか。

著者は、様々な困難に直面して一旦休止の町内会を「会費なし、加入なし、義務なし」の完全ボランティアで出直してみた。いわばゆるやかなミニマム町内会・最小限町内会である。

こうした体験から、「町内会の弱体化に悩む必要はない」、「コミュニティでは、楽しみのための親睦行事が一番コアな部分である。ゆるやかな新町内会で親睦だけでも何とかなる」、「親睦や交流が日常からあれば、災害の時も不器用ながら助け合いことができる」と主張する。これは、近年、精緻な組織論に走りがちな地域コミュニティ再生論に一石を投じるものではないだろうか。

著者の主張の原点には、「町内会の出発点は、任意加入」という点がある。住民にとって必要不可欠なインフラは、行政が担う。町内会のできることは、そこからプラスアルファに過ぎない。地域によって力量や組織力の異なる町内会に、最近、「自助、共助、公助」という言葉で、行政が共助を強要する危うさも指摘している。

この本は、ひょんなきっかけで町内会長を引き受けた著者が、自らの体験から導き出した興味深い”新町内会論“である。同時に、様々な困難に直面しながら、ゆるやかな関係から成り立つ次世代向けの新町内会を志向した実践の記録でもある。町内会の現状と課題を体感的に分かりやすく解説し、今後の町内会のあり方を考える上で大いに参考になる著作である。町内会関係者のみならず、研究者、行政関係者に一読をお薦めしたい。

明快なロジック 自治会組織のテキストにすべき明快で一貫した論理に基づく大胆かつ納得できる提言。社会の変化や人々の意識変化、諸外国におけるコミュニティ運営の実情などに照らしても、これからの自治会、町内会づくりの指針とすべき本です。

私は組織論の研究者ですが、アプローチは違っても、あるべき姿を探求すると同じ結論に至ることがわかりました。たとえば本書で提言されている「ミニマム町内会」は、拙著『囲い込み症候群』(ちくま新書,2001年)で述べた「強制最小化の原則」(165頁~)と同じ趣旨です。また行政との関係を一度リセットしたほうがよい、自治会は完全ボランティアにすべき、簡単に断れる自治会にする、そして必要なことは税金でやるべき、などの主張にも全面的に賛同します。そして何より、それを実践なさったことに心より敬意を表します。

さらに本書では行政が中間団体をつくってコントロールしようとしていると危惧が述べられていますが、肯定的に評価されがちな中間組織、中間集団には負の側面も多いことを私も強く感じています。

いずれにしても、本書のような視点から自治会を民主化していくこと必要不可欠であり、著者には自治会改革のリーダーとして全国的に活躍してもらいたいと願っています。

町内会長を受け持って、本書を参考にしています。

町内会長を受け持ちましたが、なにか義務のような気がして、行政の下請けのように感じ始めていた時、本書を知り購読しました。 町内会は義務fではなく任意なのですが、実際途中で役を降りるのは大変です。 最後の切り札に"降りる"選択肢を権利として持っているのが分かり、楽になりました。

町内会関係者は必読かも、読み物としても面白い

町内会、自治会とは何?という疑問に答えてくれる本です。自分も自治会会長に順番に回ってきた身として、今後の活動に参考になりました。そもそも町内会に興味を持つ人はほとんどいませんので、こういう書物があることが貴重です。後半に著者の一番の心根が展開していきますので読み物としても読ませます。

期待されるほどいいことばかりじゃない。

聞いている話とやってみるのは大違いなのを今年なってみて(市町村の嘱託員)わかりました。本書にある時間的な負担、人付き合いなど東日本大震災を機に見直されてきた自治会も普段は、精神的な拘束が大変です。それでも行政の下請けとして期待が大きくなってきています。少子高齢化により運営を見直す時期かもしれないと感じます。


町内会役員さん必読

私は東京下町の町内会の役員をしていますが、どこでも全く同じ悩みを抱えているんだなと共感しました。いざとなったら開き直るすべを教えて頂いた。町内会の役員をしていて悩みを持っている方は必読。

それでも役員はいや!でも協力くらいはしようかな。

私達がここへ引っ越してきた12年前は、今よりも確かにご近所や自治会の交流がありました。でも年月が経ち、自分たちよりも若い世代が増えるにつれて、ご近所とのコミュニケーションの機会はどんどん減り、 最近は知っている人と以外はすれ違っても挨拶もしない住人が多い状況。 変わったな・このままでは自治会も機能しなくなるのでは?と不安感を抱えている最中にこの本に出会いました。

こんな世帯数の多い町内会(自治会)ではないけれど、うちも何度も会長や役員になったことがあるので、著者の苦しみや葛藤には身をつまされる思いです。本の中で語られたエピソードのいくつかは、うちの町内会でも似たようなことがありました。

震災等でも普段からのご近所とのつながりの必要性は大きく見直されましたし、

正直「自分は絶対に積極的には参加したくないけど、誰かにうまく運営してほしい」というのが町内会に対する多くの人の意見だと思います。ならば、どうしていけば役員にも住人にも負担のない町内会が作れるのか?

著者は町内会長としてそれを実践しました。

会長としての負担の大きさにどんどんまいり、追い詰められていく著者・・・・。なんとかごまかしながらこなすのかと思いきや、最終的に彼は思い切った決断にでます。これまでの町内会の歴史を変える大きな決断!これには驚きました! 比較的新しい住人なのに会長に祭り上げられあげく、すべてを丸投げされるかのように押しつけられて、普通なら心が折れます。投げ出します。でも、それでも投げ出さずに新しい道を模索し、築き上げた著者に拍手です。

これから世の中は高齢化社会に向かってますます加速化します。そうなってくると隣近所とのつながりは今以上に大切にしていかなければなりません。この本を読んだ今でも役員になるのは正直嫌ですがww、過度に嫌がらずに協力くらいはしようかな。著者の努力を見ているうちにそんな気持ちになりますよ。

フリーライダー推奨本

呼んでガッカリ、一つ賛成して三つ否定 賛成意見の記述は軽い口調で、自己の考えは理路整然と 理論武装で意見を押し通す場合の典型的な手法を持って書かれている点が内容以前の問題です。本書の評価が高いのは、元々自治会反対派の方の賛同を多く得られただけと感じる。

特にあとがきではだしのゲンまで持ち出して結果的に町内会に対する悪印象を強調しているのに、後半からの町ぐるみでのフリーライダー推奨論を読まされた後だったので辟易してしまった。

筆者がつるし上げを喰らってしまった原因も、この辺りの意見を通す手法が相手の癇に障ったのだろうと考える。

 最終的には「税金でやればいい」「法に触れる訳ではない」「やりたいやつがやればいい」という三種の神器を使って、フリーライドの正当性を語っているだけで、町内会というものにマイナスイメージがある人が読むのであれば痛快な読み物である。町内会、自治会に携わる方には如何に現代において嫌われやすい団体であるのかを思い知らされる。相手を論破することにこだわり過ぎると自分を追い込むことになるという教科書であろうか。私ならあのつるし上げは2分と待たずに退席して終わりにするだけである。溜まったうっぷんを自分の自治会側で晴らすような事はしない。付け加えますが、私は著者の方よりはるかに時間に追われる中 自治会長をやっていますが、人間関係の構築に注力することで破綻することなく運営出来ています。

町内で回し読みしてます。

身に詰まされます。町会長共々で回し読みしてます。人数分買わなくてごめんなさい。

余りにも個人的な内容にガッカリ!

まるで何処かの団体のネガティブキャンペーンの様な内容。

自治会が行政の一端を担って何がいけないのかが良くわからない、行政が税金で行っている事柄は全て税金でやるのが良いと言われるが、はたして本当にそれで良いのだろうか?それでなくとも国・地方合わせて1000兆円以上の借金大国なのに。

この方は自治会(町内会)が行政の一端を担うとまた戦時中の「勝って来るぞと勇ましく~~♬」の歌が聞こえてくると思っているのだろうか?

マァ、人それぞれいろいろな考え方があり、それを発言する事は大変良い事だと思います。参考になったのは自治会がジイさん達の既得権益の制度じゃないよと仰る点に共感、

15:06 2015/09


麗しい地域コミュニティづくりをお手伝い・大地震、台風、火事、防災、防犯、ゴミ問題、高齢者扶助など、行政だけでは全てを掌握しきれません。

いざという時、頼りになるのは、普段からのご近所同士の協力です。住みよく、明るい町づくりの為の町内会・自治会活動には、地域コミュニケーションツールである「会員名簿」「地域住宅地図」「回覧板」「商店会マップ」が欠かせません

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町会/自治会関連ニュース•町内会のススメ〜あなたの知らない町内会の世界/柏市

•放火で見回り、自治会に感謝

•店主の言い分

•周囲から孤立死出さぬために

•自治会名を町名に

9:44 2015/09/19


周囲から孤立死出さぬために・朝日新聞に掲載された、品川区の50代の主婦の方からの投稿がございます。投稿者の住む、築30年の350世帯がすむ大規模マンションでの話です。ご多分に漏れず、ここでも高齢化が進み一人暮らしが増えているそう。

以前は、管理室でマスターキーを管理していたが、個人情報保護法の施行後この方式は廃止され、ドアを閉めてしまえば、壊さない限り外からは開けられない状態だそうです。

 投稿者の方のすごいところは、私は一つの大きな屋根の下で暮らす仲間と言う意識でできることはしていくとの意識です。独り暮らしの方に時々電話したり遊びに行ったり、老かいで会えばあいさつを・・。「反応なし」も少なくない中、この方の立派な取り組みに心が温まる思いになりました。

投稿者 文洋株式会社 : 2012年06月29日 16:11

9:45 2015/09/19


自治会の大切さ 再認識して 平成24年5月16日付け朝日新聞の投稿欄に同見出しで、八王子市の70歳代の男性からの投稿が掲載されています。

投稿者の住む地域の自治会では、今年度も自治会員の減少が報告された。その原因として、自治会が同好会と同一視されていることにあるのではないか、と指摘しています。

自治会も同好会も入退会は自由だが、同好会は入れば負担も恩恵も生じるが、退会すればそれらがなくなり、完結するだけ。

しかし自治会は、たとえ加入していなくても夜の街灯、きれいな公園、地域の安全など自治会活動の恩恵を受けられると指摘。投稿者は、学校給食の未払い問題と似た「他人の負担へのタダ乗りの風潮」とも書いています。 

最後に投稿者の対処法を転載します。

自治会が地域の環境、安全などに努め、その活動を広報することがまず前提になる。他面では、自分の住む地域は、自分たちで住みよい環境にしようという住民の自覚が求められる。全く同感です。 

弊社提供の、町内会・自治会ホームページ運営サービス「町会いんふぉ」も、その社会的責任の一翼を担い、ますます地域活動に貢献してまいります。

投稿者 文洋株式会社 : 2012年05月17日 15:15

町内会のススメ〜あなたの知らない町内会の世界/柏市

放火で見回り、自治会に感謝

孤立死 発していた微弱なサイン名簿をつくる〜安否確認に不可欠

9:46 2015/09/19 


助け助けられるコミュニティ―立川市大山自治会の発明 (まちの知恵シリーズ) 単行本– 2011・11 福留 強 (著),  全国生涯学習まちづくり協会 (監修) 著者略歴 福留/強

NPO法人全国生涯学習まちづくり協会理事長(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

単行本: 129ページ出版社: 悠光堂 (2011/11)発売日: 2011/11

目次

第1部 都市におけるコミュニティ形成(まちづくりの意義まちづくりの目標)

第2部 住民に必要とされるコミュニティ(立川市の概況事例 大山自治会の日常)

第3部 自治会・町内会の意義(自治会・町内会の現状町内会・自治会の活性化方策コミュニティ形成の方法震災に絆を強めたコミュニティ行政との関係)

第4部 その他関連資料

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9/23/2015


命を守る東京都立川市の自治会 (廣済堂新書)– 2012322 佐藤 良子 (著)

 ふるさとづくり大賞総理大臣賞、全国防災まちづくり大賞を受賞し、「日本で一番住みたい団地」とまで言われる大山団地(東京・立川市)。青少年対策、高齢者対策などでユニークな取り組みを実現するこの自治会の根底にあるのが“向こう三軒両隣”の精神。命を守り、人を救う自治会のあり方を解き明かします。

 著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より) 佐藤/良子

1942年宮城県生まれ。1989年有限会社エスク設立、取締役専務に就任。1999年から、東京都立川市の大山団地で、自治会会長として活躍。加入率100%、孤独死ゼロも実現。自治会葬を手がけるなど、行動派の運営で、日本一の自治会と称される大山自治会を取りまとめている。2004年内閣府男女共同参画局「女性のチャレンジ賞」受賞。2011年地域活動功労者賞を東京都より受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

 新書: 175ページ出版社: 廣済堂出版 (2012/3/22)発売日: 2012/3/22

 目次

 序章 私たちは東日本大震災にこう対処した

第1章 私が自治会長になった理由

第2章 住民に必要とされる自治会を目指して

第3章 コミュニティビジネスで財政を強化

第4章 自立した町づくりに必要なこととは

第5章 地域ぐるみで子どもを育てる

第6章 自分たちで守る防災防犯

第7章 「向こう三軒両隣」で孤独死を防ぐ

第8章 いきいきと輝く創年を目指して


 都会にふるさとはできるのか 東京都立川市の自治体の活動が描かれている。様々な技能を持った人々が登録された「人材バンク」を、自治体では、

困ったことが生じた住民を助けるのに役立てる。「大山ママさんサポートセンター」は、住民の中から看護師さん、保母さんなど信頼される

スタッフを集めたもので、出産時や入院の際の一時保育、子育てをサポートする。自治会のイベント開催。

 希薄になりがちな人間関係を、「人材バンク」や「大山ママさんサポートセンター」という仕組みを作ったり、イベント内容の工夫をし、

改善していこうという著者の行動には頭が下がるばかり。このような著者の原動力には、自身が支えられて生きてきた人生があるようだ。

 著者の提唱する「向う三軒隣り」の精神は、少なくとも、ちょうど一世代前の田舎の人々の日常の考え方やごく普通の行動の中に

あったように思えてならない。東京都立川市の自治体の活動を通じて、都会における共生の在り方を問う作である。

 自治会と言っても団地ですよね

 これらの多くは、各自治会や連合会で行われている内容かと思います。

まだ、その多くが実施されていなかったことに驚くところもありましたが、佐藤さんはよく頑張っているなっていう本ですかねー。

都心をちょっと離れた団地・・・今後田舎の付き合いが深まっていくといいdすね。

 都会にふるさとはできるのか

 東京都立川市の自治体の活動が描かれている。様々な技能を持った人々が登録された「人材バンク」を、自治体では、

困ったことが生じた住民を助けるのに役立てる。「大山ママさんサポートセンター」は、住民の中から看護師さん、保母さんなど信頼される

スタッフを集めたもので、出産時や入院の際の一時保育、子育てをサポートする。自治会のイベント開催。

 希薄になりがちな人間関係を、「人材バンク」や「大山ママさんサポートセンター」という仕組みを作ったり、イベント内容の工夫をし、

改善していこうという著者の行動には頭が下がるばかり。このような著者の原動力には、自身が支えられて生きてきた人生があるようだ。

 著者の提唱する「向う三軒隣り」の精神は、少なくとも、ちょうど一世代前の田舎の人々の日常の考え方やごく普通の行動の中に

あったように思えてならない。東京都立川市の自治体の活動を通じて、都会における共生の在り方を問う作である。


 自治会と言っても団地ですよね

 これらの多くは、各自治会や連合会で行われている内容かと思います。

まだ、その多くが実施されていなかったことに驚くところもありましたが、佐藤さんはよく頑張っているなっていう本ですかねー。

都心をちょっと離れた団地・・・今後田舎の付き合いが深まっていくといいdすね。

 理想的な町会

町会というのは、なかなか難しい世界です。日本中の町会が大山自治会のようにはならないけど、日々、町会で尽力し、悩んでいるみなさんにご一読をオススメします。元気がでますよ。

被災者の受入や子育て支援から孤独死の問題まで頑張ってる自治会!!!

投稿者残念系鍵盤係2012年5月12日 

立川市で孤独死が2件連続して起こり、お役所の対応に疑問を持った人も多いのでは。

同じ立川市内の大山団地では「向こう三軒両隣」で隣の住民に異変を感じたら自治会に通報し自治会が動く体制作りが出来ているそうです。

発見が遅れれば命に関わる問題なだけに「見守りネットワーク」は重要です。

 また「大山ママさんサポートセンター」を設立して子育て支援もしている。

政治家が子育て支援を謳うよりも遥かに現実的な施策です。

 役所や企業にも佐藤良子会長が粘り強く交渉して協力関係を構築していく、凄いパワーですね。

 現在、自分達の自治会活動の向上を考えている悩んでいるという人には良いヒントになるんではないでしょうか。

そんな意味でおすすめです。

 個人的にはスーパー主婦を支えている旦那さんの内助の功がとても大きいのではないかと想像します。

超高齢社会の典型である「団地」の元気再生のドキュメント

投稿者ワンダー2012年11月9日

仕事の関係で、著者である佐藤良子自治会長に直接取材することができた。かつては「陸の孤島」といわれた東京の西のはずれの都営団地。そこには、「向こう三軒両隣」の温かいふれあいがあった。

男性(ジジイ)中心の自治会で、初の女性会長になってから、佐藤さんの団地再生奮戦記が始まる。

昨年の東日本大震災では、福島からの被災者世帯を受け入れる。無為の日々を過ごさないように、様々の「内職」やコミュニティビジネスを展開して現在にいたっている。


おばちゃんパワー、バンザイ!、最大限の賛辞とエールを送りたい。超高齢化社会とかで、とかく暗くなりがちな日本のミライにむけて、一筋の光明ともいえる団地再生実践の記録である。

特に問題ありません

予定の日に特に問題なく十分満足できる状態で送り届けられました。

14:50 2015/09/23

 


2015年9月22日 (火)

・日本の地方自治は、「執行あって経営なし」と言われてきた。自治体は中央集権の元で、事業官庁に徹してきた・第3章 政策官庁としての自治体・自治体経営は民間企業に限りなく近い経営感覚が要求される。74頁・76頁・・変わるべきこと・・・78peji

引用


第3章 政策官庁としての自治体・平成27年9月21日・

2015年9月21日 (月)自治体をどう変えるか 佐々木 信夫著・・第3章 政策官庁としての自治体・平成27年9月21日・・機関委任事務制度の全廃・最大の焦点は、国と地方を上下・主従の関係に固定してきた機関委任事務制度が全廃されたことだ。機関委任事務制度の廃止で各省大臣から知事、市町村長に委任してきた五六一項目にわたる機関委任事務の七割近くが、自治事務として各自治体の固有事務とされた。これによって、自治体は行政裁量権が飛躍的に拡大した。

http://amamioosoma.synapse-blog.jp/yosiharu/2015/09/post-06c6.html

9:48 2015/09/21


・3・政策官庁をめざす・73頁・平成27年9月22日・


・・経営能力の向上・・


従来、行財政は「出るをもって・入るを制する」を運営の原理としてきたが、これは執行の論理であっても経営の論理ではない。なぜなら、住民からの需要を与件とおき、それを満たす財源が不足なら国に陳情するか公共料金を値上げして必要財源を賄う、という「執行賄い」の考え方に基づくからである。


経営というのは最小の費用で最大の効果を上げる営みだ。独自に定めた経営マインド(理念)に基づき、経営システム(体系)を構築し、自らの経営ノウハウ(技術)を駆使して組織目的の最大化を図る行為である。


74頁・平成27年9月22日 火曜日・

だから、そこには必要な金がいつでも集まるという発想法はない。必要な金が集まらない、借金をしてでも返せないかもしれない。自ずと「入るをもって・出いを制する」経営原則が支配することになる。民間企業の経営原則はそこにあり、自治体もそれに近づく。

自治体のトップに課せられる課題は、自らの理念に基づいて独自の経営を組み立てて、その効果について経営責任を明らかにすることである。ここでいう経営責任には、執行機関の首長や主要部課長のみでなく、もう一つの政治機関である議会の責任も含まれる。

74頁・


74頁・・変わるべきこと・・・

そこで自治体の経営を考える場合、次の四つの点に自己改革が必要となる。


第一は首長が変わること。

ここでいう「変わる」は交代も含むが、まずは現職に自己改革を求めたい、光線の首長は、政治家であり、経営者であり、外交官である。その行動は有権者との契約、「マニフェスト(政権綱領)」が行動規範となる。従来の選挙向け公約と違い、これは有権者との契約だ。これから首長には有権者との契約実現の請負人感覚が求められる。

75頁・自らの「任期」についても再考すべきだ。任期は一つの仕事の単位である。その間に仕事を完結するのが原則で、首長は長くても三期12年で十分ではないか。企業では10年やっても結果が出ないなら社長は交代するのが常識だ。政治も同じではないか。

任期制限は法律上難しいというが、それよりも首長自身が「多選自粛」を公約にしたらどうか。


第二は議会が変わること。

従来のチェック機関的な議会ではもはや限界である。分権時代の地方議会は立法機関を目指すべきだ。特に合併後の自治体議会は生まれ変わるチャンスである。議会は首長と対等な政治機関として、政策内容を総点検し、自ら条例を提案し、予算修正を試みる能力が求められる。

確かに現行法では議会に予算編成の義務も権限もない。しかし、議会として「もう一つの予算案」を編成してみたらどうか。それをもとに、首調停案の予算について政策論争を挑むらな審議の密度は濃くなる。予算を自ら編成してみてこそ、初めて仕事の全貌が分かる。各議会に予算研究会の立ち上げを期待したい。

議会は脇役から主役への転換期にある。


・・第三は職員が変わること。・・

まず職員はサラリーマン根性を捨てることだ。大過なく地位にしがみつき月給を食む、そんな時代ではない。職員は首長の政策スタッフであり、プロである。地域のリーダー職が自治体職員である。


76頁・平成27年9月22日 火曜日・職員自身、いったん雇われたら首長と無関係な終身職などと考えてはいけない。もう、世間にはそうした特権的な終身地位感覚は通用しない。

職員は政策の立案や執行に腕を振るう専門家として雇われている。少なくとも住民はそう見ている。その仕事の成果、業績に対して支払われるのが、月給である。身分報酬ではなく、労働の対価なのである。能力主義を徹底し、経験者採用を増やし、仕事のできるもののみが継続的に雇用されていく。公務の世界もそう変わる時代である。

事業官庁から政策官庁への脱皮には・・政策部門の充実・・幹部の執行役員化・・政策プロの育成・・政策評価など戦略的な改革が不可欠である。


・・・第四は住民が変わること・・・


従来の「お任せ民主主義」「観客民主主義」ではダメだ。自己決定・自己責任は、究極的には住民自身に求められる。地域経営は他人事ではない。参画と協働の責務をどう果たすか、ガバナンス(脇治)時代にふさわしい主体的行動が求められる。

参画民主主義の時代である。住民自身が決めることが望ましい領域は、思い切ってコミュニティレベルに分権する。そうした地域内分権も不可欠である。

76頁・ここまで・平成27年9月22日


・4・経営改革の実践・77頁・


平成27年9月22日 火曜日・15/9/22 11時27分・


・・シティ・マネーマネジャー・・


民間企業では「経営」と「執行」を分離する組織づくりが進んでいる。これからの自治体経営は、行財政の効率化と住民満足度をいかに両立していくかが課題となる。そこで注目されるのが、シティ・マネージャー制度の導入である。地方制度調査会など政府の審議会から幾度も提案されながら、いまだに具体化されていない。

市町村と言っても規模が様々だが、ここではまず人工語万人以下の比較的規模の小さい基礎自治体への導入を検討したらどうか。


日本では、シティ・マネジャー制度を「市支配人」と訳している。これは、むしろ特別職の「最高執行役員」と表現したほうがイメージがはっきりするかもしれない。

自治体の行政組織を地域で自由に設定できるアメリカでは、人口五万人以下の市町村ではこの制度が多用されている。最近では人口五万人以上、サリナス市(加州)など15万人程度の中規模市にも同制度が導入する傾向がみられる。


78頁・大都市ではサンジェゴ市が有名だったが最近制度を変えた。


アメリカの場合、、六万人の市なら市議会は五人程度で構成されるが、光線で選出された議員は行政実務をシティ・マネジャーと呼ばれる専門家に委託することが多い。これはシティ・マネジャー制度である。そこのシティ・マネジャーは、議会というフロントに対し、現場指揮を正枯れたプロ野球の監督に似ている。

彼は、議会との契約で数年間、行政部門を任され、それを統括する最高責任者の地位に就く。


9,22,


2015年9月21日 (月)

自治体をどう変えるか 佐々木 信夫著・・第3章 政策官庁としての自治体・平成27年9月21日・・機関委任事務制度の全廃・最大の焦点は、国と地方を上下・主従の関係に固定してきた機関委任事務制度が全廃されたことだ。機関委任事務制度の廃止で各省大臣から知事、市町村長に委任してきた五六一項目にわたる機関委任事務の七割近くが、自治事務として各自治体の固有事務とされた。これによって、自治体は行政裁量権が飛躍的に拡大した。68頁まで・・


引用


第3章 政策官庁としての自治体・平成27年9月21日・

・1・地方分権の意義・63頁・

64頁・・分権化の中央政府・・


・65頁・・地方分権改革・・15/9/21 8時59分・

こうした問題を解決する手段として1,995年に地方分権推進法が制定された。

66頁・それを第一次分権改革と呼ぶが、その結果、以下の点が変わった。

1・機関委任事務制度の全廃・最大の焦点は、国と地方を上下・主従の関係に固定してきた機関委任事務制度が全廃されたことだ。機関委任事務制度の廃止で各省大臣から知事、市町村長に委任してきた五六一項目にわたる機関委任事務の七割近くが、自治事務として各自治体の固有事務とされた。これによって、自治体は行政裁量権が飛躍的に拡大した。

2・地方への関与の縮小・廃止・従来の機関委任事務制度下で行われてきた国の包括的かつ権力的な指揮監督が廃止され、国の関与は法律に明記されている事項以外は、技術的助言、事前協議的なものに限定された。

国の関与の一般原則を「法定主義の原則」「一般法主義の原則」「公正・透明の原則」に沿うように変え、不透明な行政指導、行政官の判断に基づく通達などの関与を排除した。

また職員採用の資格を制限し、配置を決め、人口規模などの基準に必要数まで決めてきた、いわゆる「必置規制」が廃止ないし緩和された。これで人事面の裁量権は広がった。

3・自治立法権の拡大・わが国では「法律の範囲内」で条例を定めることを求めている。国の法律優先主義の思想がそこにある。


67頁・

67頁・これは国家の法秩序を維持するのには便利だが、地域特有の事情には対応しにくい。都市社会は地域特有の多様な問題が発現する場合が多く、独自のローカル・ルールが必要な場合が多い。

そこで今回、国の法律事項を減らし自治体の立法権をフルに活用する改革へ踏み切った。一種の条例優先主義への転換の芽を出したと言える。

4・国と地方の新たな紛争処理機関の設置・対等協力関係に置き換えた国と地方の間に、新たな係争処理のルールをつくり、国と地方の紛争(紛争)関係の処理については第三者機関が置かれる。

5・地方税財源の充実・自治の三大原則は自己決定、自己責任に加え、自己負担である。そこで自治体が「自分の財布観」を持てるよう、歳入の自治、歳出の自治が確立がポイントとなる。

今回、歳入の自治の確立をめざし法定外普通税の許可制廃止、法定外目的税の創設、個人市町村民税の制限税率が撤廃された。「当分の間」と規定されながら戦後60年以上続いた起債許可制も2,005年限りで廃止され、事前協議制に切り替えられた。これで自治体は借金の自由を手に入れた。一定の範囲だが歳入の自治も確立されたことになる。

しかし、歳出の自治については、補助金の廃止など後年の三位一体改革を持つことになる。また歳入面でも三割自治を大きく変えるだけの地方税財源の充実にはつながっていない。


68頁・平成27年9月22日・

ともかくこの五つの柱が第一次分権改革のポイントだが、一方で、地方行政の体制整備として市町村合併の推進が求められた。地方分権推進委員会の最終報告は強い調子で「自治体の自立」を促し合併を求めている。それに基づいて支援策を強化する形で合併特例法が改正され、平成の大合併が行われたのである。


・・分権化は手段・・

地方分権は自治体の自己決定領域を拡大する改革である。国と地方の関係を集権的関係から分権的関係に変え、地方側の自己決定権を相対的に大きくする改革だ。もとより、これはあくまでも手段であり、決して目的ではない。

こうした改革を通じて分権的・分散的国家をつくり、地域で多様な公共サービスと地域づくりが行われることを期待しているのである。それには自治体自身が自ら考え、実施し、責任を負う体制づくりを行わなければならない。

分権化はある種、「格差」を生む改革かもしれない。しかし、それは地域の能力差の反映であって、それを国家が権力的に調整するとか、保護することを前提とはしていない。基本的に自己努力が求められる。

成功する自由と失敗する自由を併せ持つ改革ともいわれ、自治体経営は民間企業に限りなく近い経営感覚が要求される。68頁・

・平成27年9月22日


引用2015年9月22日 (火)・日本の地方自治は、「執行あって経営なし」と言われてきた。自治体は中央集権の元で、事業官庁に徹してきた・第3章 政策官庁としての自治体・自治体経営は民間企業に限りなく近い経営感覚が要求される。74頁・76・

http://amamioosoma.synapse-blog.jp/yosiharu/2015/09/3-8-5d24.html

10:01 2015/09/22

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