?自民党を倒せば日本は良くなる 単行本– 2001・4 白川 勝彦 (小泉首相に欠けている日本の革命の思想と戦略、戦術を明らかにした1冊 異常な小泉人気である。・日本の官僚は本当に優秀なのか?・163頁・平成27年9月29日・172頁・
引用
2015年9月27日 (日)自民党を倒せば日本は良くなる・ 2001・4 白川 勝彦 ・・わが国には、国家公務員が110万人、地方公務員が320万人もいます。この人達にとって、自分たちが諸悪の元凶だと言われると面食らう人が多いでしょう。162頁
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4:33 2015/09/29
引用・2015年10月 1日 (木)自民党を倒せば日本は良くなる 単行本– 2001・4 白川 勝彦・・小泉首相に欠けている日本の革命の思想と戦略、戦術を明らかにした・・第5章 人間から出発する政治―私が歩んできた道・191頁から・
http://amamioosimasanrinha.synapse-blog.jp/takita/2015/10/20014-5-dd22.html
6:26 2015/10/01
自民党を倒せば日本は良くなる 単行本– 2001・4 白川 勝彦 (小泉首相に欠けている日本の革命の思想と戦略、戦術を明らかにした1冊 異常な小泉人気である。小泉革命という活字さえ散見する。しかし、革命には、思想と戦略が必要である。小泉氏の言動からは、それが一向にみえてこない。私は、この本で、いまやらなければならない日本の革命の思想と戦略、戦術を明らかにしたつもりである。ご一読、ご高評をいただければ幸いです。
内容(「MARC」データベースより)
自民党リベラル派、加藤紘一の決起がつぶされ、加藤氏の側近だった著者は、もはや自民党に未練はないと離党。23年間の自民党改革の中で会得した自民党のすべてを暴き、自民党を倒す方策、平成革命への思いを語る。
単行本: 268ページ出版社: アスキー (2001/04)発売日: 2001/04
目次
プロローグ・私が自民党を見限ったわけ・7頁・
新党・自由と希望・結党宣言・15頁・
第1章 張子の虎―自民党の虚像を暴く・19頁・
・このままでは日本は確実にダメになる・20頁・
・自民党は張子の虎である・30頁・
・自民党に政権担当能力などない・35頁・
・有形無象派が支配する自民党・42頁・
・実体のない幽霊政党・自民党・51頁・
第2章 こうすれば自民党は倒せる・67頁・
・平成革命の敵は自公保体制である・68頁・
・自公保体制の問題点と本質・74頁・
・自民党政略法・87頁・
・公明党政略法・92頁・
・自公保体制の打倒は正義の戦い・102頁・
第3章 「平成革命」は必ずできる・119頁・
・なぜ革命でなければならないのか?・120頁・
・破壊と建設のビジョン・127頁・
・革命の基本思想・133頁・
・平成革命の条件と必然性・140頁・
・何をどう変えるのか?・146頁・
第4章 「平成革命」で日本はこうなる・157頁・平成27年9月26日
162頁・平成27年9月28日 月曜日・ここまで
・自己増殖してきた官僚組織・
日本の公務員の数は諸外国に比べて決してはありません。人口1,000人当たりイギリスは81・4人、フランスは、96・7人、アメリカは74・6人であるのに対し日本の公務員の数は38・2人です。
諸外国の公務員に対する認識・評価がどのようなものか詳しくは知りませんが、我が国の公務員が持つ問題点は実は根本的なところにあると私は思っています。この問題を見た場合でも、昭和20年革命の限界が表れています。
新しい憲法により、行政のあり方・・官僚組織の使命は革命的に変わったのに、公務員(役人)の意識も実態もほとんど変わらなかったのではないかと私は思います。変わったのは言葉遣いくらいのものではないでしょうか。
人間にとって一番辛く難しいのは、自己を改革することです。革命はもっと辛く苦しいものです。不幸なことに、天皇に代わって官僚たちの使用者となった内閣総理大臣や各省庁の大臣たち、各地方自治体(1955年ごろまでは全国に1万近くありましたが、現在は市町村合併の結果3,300となりました)の首長たちには、使用者になった自覚も官僚組織を使いこなせる能力もありませんでした。
163頁・ですから、国においても地方においても、官僚たちが行政を自分たちの思いどおりにやってきたのだと思います。そして福祉社会の到来を機に、官僚たちは行政を肥大化させ、自己増殖をしてきました。
高度成長時代には、その負担は国民にとってそんなに重いものではありませんでしたが、安定成長そして今日のような不況下においては、その負担は国民にとって非常に重いものとなっています。
いろんなことを行政にやらせるのは実に簡単なことであり、また手っ取り早いのですが、それには経費がかかることを国民は忘れてはなりません。
また行政にやらせることは、サービスとして決して質の高いものは期待できないことに、国民はそろそろ気が付かなければなりません。
・日本の官僚は本当に優秀なのか?・163頁・平成27年9月29日・ここまで
163頁・平成27年9月29日・
どこの国でも官僚組織というのは、権威的であり、保守的であり、非自由主義的なものです。しかし、わが国の場合は、絶対主義者的な天皇制使用人として明治以来育ってきたということと、日本という国が自由主義社会としてまだ未熟なことと相まって、その傾向は救いがたいほど強いのが現状です。
164頁・15/9/29 4時47分・
日本という国家・社会を自由なものにするためには、現在の官僚組織を一度全部解体するくらいの革命をしなければ、その弊害を除去するなどということは不可能に近いことです。
私は戦後ずっと政権党だった自民党にいて、また大臣や政務次官を務めるなかで、官僚組織というものや、官僚と呼ばれる人間の生き方を見てきました。中央の官僚たちの権限拡大に対する強欲さ、自分たちの権限が侵されそうになったときの常軌を逸した「醜い」と表現しても決して差し支えのない闘争を、嫌というほど見てきました。地方の官僚だって同じだろうと私は思っています。
日本の官僚たちに自己改革をなどということは、木に登って魚を求めることと同じでしょう。本来それではいけないのですが・・・。だから、私は1,979年に国会に出た当初は相当なものだとは思いましたが、しばらくするうちに日本の官僚・官僚組織は優秀だなどと思わなくなりました。
日本の官僚は優秀だ、だから日本は大丈夫だ、などというのは間違いだということです。もし、日本の官僚たちが本当に優秀ならば、今日のような閉塞感に満ちあふれた日本を決して作らなかったでしょう。自己改革できない人間が優秀であるはずはありません。
・165頁・15/9/29 5時7分・ここまで
・官僚のコントロールは政治家の責任である・
わが国の官僚組織が、極めて権威的であり、保守的であり、非自由主義的になってしまった責任はだれにあるのでしょうか。それは、官僚組織のトップにいる政治家たちの責任です。国の官僚組織の場合ならば、総理大臣を筆頭とする内閣であり、地方自治体の官僚組織ならば選挙で選ばれた首長です。
大きかろうが小さかろうが、国民すなわち主権者の代表として官僚を使用する直接の任務についた政治家には、国民に代ってその任務をまっとうしなければならない責任があるのです。
国の場合について言えば、自民党にその最大の責任があると言えるでしょう。わが国の内閣は、議院内閣制だからです。政権を取るのは、自民党として取るのであり、その代表として自民党の総裁が内閣総理大臣となり、各省大臣が送り込まれていくからです。
自民党には、各省庁に対応する部会と呼ばれる組織があります。たとえば、これまでは建設省関係のことを議論する建設部会、郵政関係のことを議論する通信部会、厚生省関係のことを議論する社会部会・・。
ですから、本来ならば自民党が本当に意欲を持った政党ならば、各部会ごとにそれぞれの省庁をどのようにコントロールする必要があるのかを絶えず議論し、戦略をもっていなければならないのです。
166頁・しかし、そのような意欲もなければ能力も、自民党にはありませんでした。
・官僚組織を変えようと全てがよくなる・
166頁・官僚機構・・・官僚の意識・仕事のやり方を変えるということは、日本のあらゆる分野の大変革を伴うことになるでしょう。そのくらい日本の官僚たちは、あらゆる分野に貪欲に食い込んでいますし、官僚的というのは間違いなく一つの「日本的現象」です。
だから、官僚の皆さんには少しきつくても、諸悪の元凶・・・官僚組織と行ったのです。官僚が善意でやっていることも、自由主義という少し大きな視点に立ってみると、わが国の閉塞感をつくっている大きな原因になっていることが多いのです。
私は、明治以来わが国の本当の主権者は、官僚(役人)だったのではないかと思っています。もちろん、明治の初めごろには民主主義という仕組みさえなかったのですから、仕方がないと言えば仕方がありません。そして、官僚がやってきたことが全部が全部間違っていたなどという気もありません。
しかし、自由主義社会になったときから、また自由主義社会の発展を真剣に考えれば、官僚は、特に日本の官僚は、どちらかというと発展の大きな阻害物になるのだということを、官僚自身が自覚しなければならないし、国民も官僚をそのように認識しなければならなと言うことです。
167頁
・・官僚組織を変えようと全てがよくなる・
167頁・15/9/29 6時34分・ここまで
情報公開ということが非常に大切だと言われ出し、これを熱心に取り組むボランティア活動が盛んになってきたのは、この表れだと思いますし、いい傾向だと私は思っています。
しかし、官僚組織こそ日本で最も長い伝統と経験を持つ組織です。組織という点では定評のある共産党であろうが、創価学会であろうが、とても比べ物にならない組織なのです。
しかも、政治権力そのものですから、権限とお金を持っています。普通の市民が簡単にこれに太刀打ちできるなどと考えたら、とんでもないことになります。だから、この官僚組織を変えるということは政治そのものなのです。
政党は、この意識を持たなければなりません。長年政権政党であると言って威張っている自民党に、この官僚組織に対抗する意識もなければ能力もないことは、これまで述べてきたとおりです。
自民党は長年にわたり政権政党であったし、自民党の中に官僚出身の政治家も多いため、他の政党に比べれば政権党らしく振舞うのに慣れてはいます。しかし、国民が求める官僚組織を変えてほしいという面では、あまりにも癒着しすぎているために、問題意識もなければ能力もないのです。
・168頁・平成27年9月29日・
・官僚組織を変えるのは簡単なこと・
そんなに強い官僚組織を変えることなどできるのだろうか、という不安や疑問が出てきても不思議ではありません。しかし、その点は大丈夫です。
官僚組織と言うのは組織中の組織です。ですから、トップの言うことは絶対なのです。国民は官僚組織のトップを選ぶ権利を持っています。そして、そのトップが官僚機構を変えようとすれば、極めて簡単に変えることができるのです。このことは、長野県の田中康夫氏が、土木部長が何と言おうが「ダム建設を中止する」と言えばどうにもならないのと同じです。
長野県の官僚組織では、県知事が絶対的な権限をもっているからです。
そして、国の官僚組織では、各省大臣が絶対的な権限をもっているのです。官僚が何というが、大臣が決定してしまえば官僚はそれに従わざるを得ないのです。このことは、私が自治大臣時代にやったことでも明らかです。
これは、大臣が偉いからではないのです。法律上、大臣にはそれだけの権限が与えられているからです。自民党の中にいて、何百人もの大臣を見てきました。威張る大臣を嫌と言うほど見ましたが、国民から与えられた権限を国民のために使う大臣を見ることはほとんどできませんでした。
169頁・
ですから、私は自信をもって、自民党に政権担当能力がないと言えるのです。ましてや、公明党や保守党から出ている大臣に、政権担当能力などあるなどとは到底思いません。大臣になってただ舞い上がっているだけです。この人達が、さも与党と言うのは大変なのだとか言っているのをテレビなどで見ると、本当に笑いたくなります。国民も、もうこういう田舎芝居に騙されるのはやめなければなりません。
169頁・15/9/29 10時14分・
・国民に奉仕する官僚組織・
ですから、平成革命を実行する政党は、官僚政治を変える意識と意欲を持たなければなりません。それはそんなに難しいことではないのです。そのような意識と意欲を持つことがそんなに難しいことではないことは、大半の読者には理解していただけることと思います。
しかし、官僚組織を変える能力は、そんなに簡単に持てるものではないのではないかと考える読者が多いのではないかと思います。一面の真実だけだとは思います。でも、私はそんなに難しくは考えていません。
170頁・15/9/29 10時46分・
一つは、官僚たちがやってきたことが、結果としてうまくいっていないからです。政治は結果責任ですから、官僚たちも責任を取らなければならないのです。
もう一つは、これまで官僚のやってきたことを変えようとした政治家が苦労したのは、国民の側にある種の官僚信仰があったからです。でも、これは完全になくなりました。
官僚の仕事、官僚のやり方に一番腹を立てているのは、国民です。ですから、官僚組織や官僚的な仕事のやり方を変えることを、主権者である国民が今度は支持してくれるということです。一時的には、官僚がサボタージュすることもあるでしょう。しかし、主権者である国民に逆らうことなど、官僚と言えどもできないのです。
確かに、日本という大きな国を運営するには、情報や知識も必要です。しかし最近では、民間にも非常に立派なシンクタンクも出来てきました。ですから、この国の運営に必要な情報や知識は決して官僚だけが持っているわけではないのです。ですから、大丈夫なのです。
これだけ言っても官僚組織を変えることなどできないと思っている人は、もうどうしょうもありません。そんなに官僚のしもべでいたいなら、官僚の給料を払いながら、本来ならば自分のしもべにしか過ぎない官僚の言いなりになるという、お人よしの人生を送られればいいと思います。そういう生き方がいいという人の自由を守るのも、私たち自由主義者の信念ですから。
171頁・9/29/2015 11:07 AM・ここまで・
最後に、官僚組織の中にも「現在のような官僚組織ではダメだ、官僚の生き方ではダメだ」と思っている、それこそ本当に優秀な官僚もいるということも言っておかねばなりません。ただ、現在では、こういう本当に優秀な官僚は、疎んじられ冷や飯を食わされているのが実情です。調子のいい、世渡りが上手なゴマすりが、官僚の世界で幅を利かせているのです。
国民に奉仕する行政をやろう、そういう官僚機構をつくろうという政治家が官僚組織のトップに就けば、こういう優秀高い論理感を持った官僚が、官僚組織のリーダーとなるでしょう。
国民に奉仕する官僚組織をつくるということは、日本の官僚が真に優秀ならば、本来は官僚自らがやらなければならないことなのです。
171頁・9/29/2015 11:27 AM・ここまで
・官僚組織を変えると、なぜ日本が変わるのか?・
なぜ官僚組織を変えると日本が変わるのでしょうか。たとえば、産業界の人などは日々の経済活動の中で、官僚がいかに入念に執拗かつ巧妙に産業活動に介入し、利益を得、かつ守っているかをよく知っていることと思います。
そして、官僚のこうした介入が自由な経済活動を阻害し、その結果今日のような閉塞感がある状態にしてしまったことを肌で感じているはずです。自由主義者で何としても官僚になりたいという人は、あまりいないでしょう。
172頁・15/9/29 12時55分13秒・ここまで
・官僚組織を変えると、なぜ日本が変わるのか?・
172頁・15/9/29 12時55分13秒・ここまで
私は勉強(?)した東大法学部というのは、そもそも官僚養成機関としてつくられた学部です。ですから、大学を卒業すると中央省庁に入る人が掃いて捨てるほどいましたが、私はただの一度も官僚になろうという気になりませんでした。
官僚というのは、自由主義社会のダイナミズムが分からないのです。官僚というのは、太古の昔から秩序というのは自分たちがつくるものだと素朴に信じているのです。自由主義の政治思想とは、そういうものの考えを脱却したところから出発しているのです。ですから、官僚機構そのものが国民から見られ、思われているのだと言ったのです。
本来、自由であるべきところに官僚いるだけで、自由な雰囲気が失われ、ダイナミズムが損なわれていくことを官僚は知らなければなりません。
日本のあらゆる分野が官僚に依存しているなどという気はまったくありません。行政などにまったくかかわらずにのびのびとやっている分野があることも知っています。でも、そういう分野を探すことの方が難しいと言っていいのではないでしょうか。
例えば、ボランティアやNPO(非営利組織)の世界にまで、官僚組織は介入してきています。わが「新党・自由と希望」は、これからは福祉・医療・教育・環境などの分野におけるボランティア・NPO活動を育成することにより、この分野に強くある行政依存体質を改めることで行政の負担を軽減し、そのことによって行政改革や財政再建を行おうと考えています。
173頁・15/9/30 4時18分・
しかし、NPOの法人資格は関係省庁が与えることになっています。NPOまで官僚組織は支配下に置こうとしているのです。NPOの法人資格を与えるかどうかなどと言うことこそ、長い間ボランティア活動をしてきたNPOに、その事務をしてもらえばいいのにと私は考えています。
官僚組織を変えれば、日本のさまざまな分野が音を立てて変わり、それぞれの分野に自由な雰囲気が出て来て、企業や団体や国民の自由闊達な活動が生まれ、それぞれの分野で21世紀に求められているものが必ずや生まれるはずです。また、それを信じて多少の混乱があってもじっと待つというのが、自由主義社会の発展の道筋なのです。
私学生時代に傾倒した本の一つが、ロマン・ロランの「魅せられたる魂」でした。そのなかにある一節であり、全編を貫くテーマは、「混乱を通じて調和を」ということでした。私に深い影響を与えた一冊です。
174頁・15/9/30 4時31分・
・「新しい日本」を信じて・174頁・
・戦いが希望と方針を打ち出す・
私が自民党を離党して、新党を旗揚げして、自公保体制に終止符を打とうと決意してから、まだ三ヶ月も経っていません。しかし、自民党も自公保体制もその矛盾をいっそう露呈し、憐れでもあります。
一方、私の方はというと、あのような腐りきった政党から「脱藩」し、心身ともにすがすがしい気分で、自公保体制打倒という目標に向けて、政治家としての全能力を駆使して、戦いを進めています。
人間というものは面白いものです。自分をどんなに客観的に対象化してみることができる人でも、やはり自分の存在基盤の足元は見えないことが分かりました。これまでも、自民党や自公保体制について、誰よりも冷静かつ厳しい批判をしてきたつもりですが、やはり自民党の中にいる限り、見落としていたことがいっぱいあったことに気が付きました。
175頁・これまでこの本に書いてきたことは、これまでにも似たようなことを言ったり書いたりしてきましたが、やはり違うことが多々あります。これまで私のWEBサイトで私の書いたものを読んできてくださった方は、きっとその違いに気が付くはずです。
ひとりの自由主義者として、23年間、自民党の改革に命をかけてきたことについて、私はまったく後悔はしていません。23年間と言えば、私の人生の三分の一を占めるでしょう。しかし、寺院等の中にて真の自由主義のあり方を真剣に模索し、挑戦してきたことは、決して無駄だったとは思いません。
その体験があるからこそ、今、日本の発展にとって百害あって一利もない自民党や自公保体制を打倒する手立てが分かるからです。過去の自分に恋々としない・・これが私のこれまでの生き方だからです。
175頁・15/9/30 5時21分・
・政策なんて馬に食わせるほどある・
・政策なんて馬に食わせるほどある・
私が旗揚げして以来、いろんな人から「白川さん。あなたの決意や心情は理解できる。しかし、政策がないじゃないか。政策を教えてほしい。そうでないと推せない」ということを、多くに人から言われました。もちろん、本当に善意でそういうことを言われる人もおられるとは思います。
176頁・15/9/30 9時7分・
しかし、そういうことを言う人は、概して相手を非難するために体制側の人が良く使う「ためにする」古い手法なのです。
それは、「自公保体制もダメだけれど、これを批判する野党には、対案がないじゃないか」という非難と同じようなものです。世の中には、変なことをやるよりも何もしない方がいいということも多々あるのです。「一害を除くには、百害を起こすに勝る」という古い諺もあります。
この人たちが言う「政策」なるものなど、実は体制側にさえ、馬に食わせるほど出されているのです。何か問題が起こると、政府や各省庁は審議会や諮問委員会をつくって議論します。そして、極めてスピーディに分厚い報告書や提言書が出されます。
自民党の国会議員の場合、そういうものが山ほど部屋に届けられます。実に立派なことが書かれています。しかし、そんなもので問題が本当に解決したことはまったくありません。舞台裏を明らかにすると、その報告書などを実際に書いているのは実は官僚なのです。
諸問題の本当の元凶は官僚であることが多いのですが、その解決策を官僚が書いたのでは笑い話にもなりません。ドロボーにドロボーを捕まえて来いというようなものです。
本当の「政策」とは、紙に書いたり口で言ったりすることではないのです。間違ったことをやめさせたり、不正を正すことなのです。そのことにより、困った国民が助かるなら、それは立派な政策です。
177頁・15/9/30 9時22分・
そのようなこともできない官僚や政治家が、こうすれば世の中はよくなると、いくら紙に書いてみたり、テレビでしゃべったりしても、何も事態は変わらないのです。
もし、本気で自分の考えていることが正しいと思うなら、その一つでもいいから体を張っても現実に実行することが、本当の「政策力」なのです。
「政策新人類」などと呼ばれる自民党の若手政治家が、「日本の明日を創る会」などをつくっています。しかし、彼らの加藤騒動の時の行動や、2,001年3月5日の森内閣不信任案が提出された時の行動などは、どう考えても分かりやすくありません。分かりやすい政治と言うのが、かられが常日ごろ言っていることですが、わかりやすい政治行動ができない政治家が、わかりやすい政策など実行できるはずがありません。
177頁・こお
・戦いの中で本質が見えてくる・
2015年9月27日 (日)
自民党を倒せば日本は良くなる・ 2001・4 白川 勝彦 ・・わが国には、国家公務員が110万人、地方公務員が320万人もいます。この人達にとって、自分たちが諸悪の元凶だと言われると面食らう人が多いでしょう。162頁 最初 http://amamioosoma.synapse-blog.jp/yosiharu/2015/09/20014-6dba.html 6:32 2015/10/01