永続敗戦論・なぜ日本人は敗戦を認めないのか・・「敗戦の否認」本格化するのはいわゆる「逆コース政策」からです。それまで占領軍は民主化と脱軍国主義を徹底し、日本を戦前と断絶した国にしようとしていました。しかし、冷戦構造の中で、アメリカは日本を自由主義陣営に留めておくために、あの戦争を指導していた保守勢力に日本を統治させることにしました。これにより、あの戦争ついて明らかに多くの責任を負っていた人たちが次々と復権していきました。岸信介はその典型です・・14頁・平成27年9月25日 金曜日・。
引用
永続敗戦論・なぜ日本人は敗戦を認めないのか・白井聡「永続敗戦」とは何か・
・白井さんはベストセラーとった「永続敗戦論」戦後日本の体制「永続敗戦と呼んでいます「永続敗戦」どのような状況をしようか。・
白井・「永続敗戦」とはごく簡単に言えばあの戦争負けたという事実をちゃんと認めていないが故に、ずるずると対米従属が続いている状況のことですその中核には「敗戦の否認があります。つまり、知識としては敗戦したことを知っているが、現実としてはそれを認めていないということです。
その一番象徴的な現象は8月15日「終戦記念日と呼ばれていることでしょう。日本人の歴史認識の中では、あの戦争は日本の敗北によって終わったのではなく、あたかも自然に終わったかのように考えられているのです。
「敗戦の否認」本格化するのはいわゆる「逆コース政策」からです。それまで占領軍は民主化と脱軍国主義を徹底し、日本を戦前と断絶した国にしようとしていました。しかし、冷戦構造の中で、アメリカは日本を自由主義陣営に留めておくために、あの戦争を指導していた保守勢力に日本を統治させることにしました。これにより、あの戦争ついて明らかに多くの責任を負っていた人たちが次々と復権していきました。岸信介はその典型です。
これは本来許されざることです。敗戦によって国を破滅させた人たちが再び支配者の座に就くなど、決してあってはならなかった。そのあってはならないことを合理化するためには、敗戦の責任ひいては敗戦という事実そのものが曖昧化される必要がありました。
11頁・つまり、日本はあの戦争に負けていないので、あの戦争を指導していた人たちが引き続き権力の座にとどまったとしても何の問題もないということにされたのです。
「敗戦の否認」は、戦後の経済的よって実体を得ることになりました。経済的に豊かになることで、敗北の痛みをリカバリーすることができたからです。さらに、自由主義陣営が冷戦に勝利し、勝者の立場に立つことができたことで「敗戦の否認」は完成を遂げたと言えるでしょう。
しかし、冷戦構造の終焉は、日本にとっては新たな敗北の始まりでもありました。日本は冷戦下で発展・復興を遂げてきましたが、それはアメリカの庇護によって可能になったことです。冷戦時代には、アメリカは本音では日本にいろいろと文句をあったとしても、日本を重要なパートナーとして遇してきました。
平成27年9月24日 木曜日
平成27年9月25日ここから・
しかし冷戦構造が崩壊してしまえば、もはや日本を擁護する必要はありません。アメリカにとっては日本は庇護の対象から収奪の対象へと転換しました。それは年次改革要望書やTPP、集団的自衛権などを見れば明らかです。
本来であれば日本はこれに抵抗しなければなりません。しかし、日本の権力の中枢を占めているは、アメリカに免責されることによって地位を守った勢力の後継者たちです。彼らがアメリカに頭が上がるがあがるはずがありません。
日本はこのようにして支配層が敗戦を否認することによって権力を維持してきたが故に際限のない対米従属を続けなければならないという「永続敗戦」に陥ってしまったのです。
・・・対米従属そのものを批判しても仕方がない・・・
・日本がこれまでアメリカに従属してきたのには、やむを得ないところもあったのではないでしょうか。
白井・私は対米従属そのものを批判しているのではありません。冷戦構造下では対米従属にはある程度の合理性がありました。第二次大戦後、ほとんど全ての国がアメリカとソ連のどちらかに従属することを迫られました。
どちらかに従属するのがマシであったかと言えば、それはアメリカでしょう。もちろんどちらにも従属せず自主独立でやるのが一番立派な考え方だったことは間違いありませんが、その道を選択した場合は多くの血が流れたはずです。
また、現代においても、「対米従属」を「対米依存」と言い換えれば、いかなる意味でもアメリカに依存していない国は存在しません。北朝鮮でさえ、アメリカに対して何十年にもわたって「体制の存続を認めてくれと求めていることを踏まえれば、あれほどアメリカに依存している国はないという見方もできるわけです。それ故、無暗矢鱈に「アメリカに従属しているのはけしからん」と力んでみても仕方がありません。
むしろ批判すべきは、日本の対米従属の特殊性、その異様な在り方です。本来、国と国との関係は人間の関係と違い、ビジネスライクなものです。国家というは互いにとって都合が良いから従属や支配の関係を取り結ぶのであり、状況が変わればその関係は変化して然るべきです。
ところが、冷戦が終わり共通の敵が消滅したにも拘わらず、日本の対米従属はむしろ深まっていきました。ということは、日本にとって対米関係はビジネスライクなものではなかったということです。これは非常にウェットで、情緒的で、温情主義的な関係だというところにその特徴があります。
実際、日米関係を言い表す際に用いられる言葉は、「思いやり予算」や「トモダチ作戦」と言ったように、異様に情緒的なものばかりです。安倍総理がワシントンで行った演説も、極めてウェットな印象を与えるものでした。
・かつての指導者たちのアメリカに対する態度の中には、抵抗精神も感じられたと思います。例えば、岸信介は自衛のための核武装は合憲と述べるなど、アメリカへの牽制も行っていました。
白井・吉田茂や岸信介、正力松太郎など、アメリカに免責されることで復権した当時の支配層たち、いわば「永続敗戦レジーム」の第一世代の人たちは、対米関係についてジレンマを感じていたと思います。
彼らは国の復興や自立を成し遂げるためにはアメリカに従属するしかないとういうことで自覚した上で、苦悩しながら対米従属を続けていたはずです。
それに対して、安倍総理を始めとする「永続敗戦レジーム」の第三世代の人たちは、対米従属が自己目的化してしまっています。彼らは何かを達成するために対米従属を深めているわけではありません。
安倍総理は保守であることを強調しますが、対米従属を深めてまで何を保守したいのかが全く見えてきません。結局のところ、彼は世襲によって受け継いだ権力を保守したいだけなのです。
・・天皇よりも上位に位置するワシントン・・
・白井さんは「永続敗戦論」の中で、「永続敗戦」は戦後の国体であると指摘しています。「永続敗戦」が国体になったのはどういう意味でしょうか。
13頁・15/9/25 7時57分・
白井・国体が国の根本的な在り方を意味するならば、天皇を頂点に戴くところの日本の国体は、あの戦争によって一旦破壊されました。吉田茂は「国体は不変なり」と言いましたが、それはあり得ないことです。
例えば、西ドイツあれ東ドイツであれ、もしドイツが国際社会に復帰するにあたって「自分たちはあの当時のドイツと基本的に何も変わってはいない」と言ったとすれば、復帰を許されることはなかったでしょう。彼らはナチスドイツとは根本的に異なる国になったと約束したからこそ、国際社会に復帰できたのです。
これは日本にも言えることです。日本がサンフランシスコ講和会議を結び、国際社会に復帰できたのは、大日本帝国とは根本的に異なる国家だという了解を得ることができたからです。それ故、吉田が国内に対して「国体は不変なり」と言ったのは大いなる二枚舌なのです。
吉田の発言は、これまで見てきたように、敗戦の責任や敗戦という事実そのものを誤魔化すためのものです。
もっとも、日本の国体は破壊されたとはいえ、構造そのものは生き残りました。これは、自動車のフルモデルチェンジと比べればわかりやすいと思います。一つ前のモデルのカローラは別物だけども連続性があるように、日本の国体も形を変えて存続しました。
どのような形で存続したかと言えば、天皇を頂点とする日本国家の上にワシントンが位置づけられるという形によってです。これが戦後の国体の最も重要な特徴です。
実際、今の権力者たちが日米同盟について語る言葉は、戦前に天皇について語られた言葉と非常に似ています。ここ20年ほどの間に政府が出した日米関係に関するレポートなどを読むと、常に日米同盟は絶対の前提であると同時に不断に強化されなければならないと繰り返し書かれています。
これは「天壌無窮の国体」という言葉を彷彿とさせます。かつて「天皇陛下の統治は永遠である」と言われたことが、今日では「日米同盟は永遠である」にすり替わったのです。これこそまさに日米安保体制が国体化していることの証拠です。
その意味で、安倍総理たちにとっては、皇居にいる天皇よりもワシントンの方が大事なのだと思います。彼らが今の天皇陛下の憲法擁護発言や「戦争の歴史を十分に学ぶことが大切だ」といった発言などに対して内心腹を立てていたとしても、決して不自然ではありません。彼らは日本にいる天皇に対して不敬の限りを尽くしたことしても、何も感じないはずです。
14頁・平成27年9月25日 金曜日・
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