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2015年12月

2015年12月31日 (木)

航空2強対決11選・航空アナリスト・杉浦一機・、「搭乗率保障制度」で成功をおさめたのが石川県だ。「乱造地方空港の最終グループ」として03年7月に開校した能登空港は、下馬評を見事に跳ね返し、通年で国内最高の搭乗率(81,7%)の成績を上げて、就航初年度はエアラインから95,000,000円の還元を受けた。

引用


2016年1月 9日 (土)昭和からの遺言 新書 – 2015129 倉本 聰 (著) 数多くの演劇やドラマ作品を通じて、自然環境の破壊や社会秩序の乱れについて警鐘を鳴らし続けている著者の最新エッセイ。貧しくはあったが光と幸せに満ちていた昭和の時代を、80歳になったのを機に自らの体験と独特の切り口でふりかえる。日本人は今後どのように生きていくべきかを考える上での指針となる一冊。全国自然養鶏会は中島正氏の著書「自然卵養鶏法」に共感し、循環農業の一環としての自然養鶏を確立すべく、情報交換や交流会を行っています。引用・全国自然養鶏会は中島正氏の著書「自然卵養鶏法」に共感し、循環農業の一環としての自然養鶏を確立すべく、情報交換や交流会を行っています。

http://amamioosoma.synapse-blog.jp/yosiharu/2016/01/2015129-80-c9dc.html

9:14 2016/01/09


2016年1月 4日(月)血税空港 本日も遠く高く不便な空の便 (幻冬舎新書)新書–2009・5・27 森 功・第5章 赤字「空港」の支え「空整特会」・149・

http://amamioosimasanrinha.synapse-blog.jp/takita/2016/01/2009527-5-28f3.html

14:41 2016/01/04 


2016年1月 2日 (土)杉浦一機 航空アナリスト。首都大学東京客員教授。世界の空港、エアラインのサービスや経営について造詣が深く、利用者サイドに立った航空の評論がモットー。1947年生まれ・利益が利用者に還元されない羽田・164頁・隠れた優良企業・空港ビルにも多くの子会社・天下り先の空港環境整備協会・権益だけで生きる空港施設。

http://amamioosimasanrinha.synapse-blog.jp/takita/2016/01/1947-a188.html

15:42 2016/01/02


航空2強対決11選・航空アナリスト・杉浦一機・

平成27年12月30日

第6章・エアラインVS地方自治体・なぜか新規航空に乗りやすい自治体・・

114頁・

平成27年12月30日

132頁・15/12/31 16時51分5秒・


「補助金」の限界を露呈させた山形・

地方の不採算路線は、エアラインにとって昔から頭の痛い問題だった。しかし、規制時代には行政当局がドル箱路線と抱き合わせで割り当てていたため、エアラインもやむなく是認していた。

ところが、航空自由化時代による本格的な運賃競争が始まると、エアラインは採算を重視せざるを得なくなり、収益の上がらない路線から撤退を始めたが、存続のための判断基準として、目標搭乗率を設定した。数値で判定されることになったことを受けて、自治体の路線維持のために補助金で乗客をかき集める作戦に出た。

もっとも有名になったのは北海道の稚内市で、冬場の閑散期に観光客を誘致するのに、1人当たり5000円の補助金を捻出し、市内の飲食店でカニ料理を無料で味わえるクーポン券を発行した。旅行会社は「格安カニ料理ツアー」を企画し、新聞広告に積極的にPRしたことによって集客には成功したものの、市の財政を圧迫し3年間(合計2億1千万円の支出)で中止となった。

山形空港も補助金の力で路線を維持しよという安易な代表例だ。以前のANA東京~山形線はドル箱路線で、ピークには1日5便が飛んでいたが、92年の山形新幹線の開業で旅客はなだれを打って鉄道に移った。ANAは何とか減便して需要と供給のバランスを取ろうとしたのだが、「減便すれば利便性が損なわれてさらに客足は遠のく」という悪循環に陥った。採算の目途が立たないANAは全面撤退を決意するものの、地元自治体が承知せず、99年から義理で1日1便のフライトを続けていた。地元では利用拡大推進協議会なる組織も立ち上げて航空の利用促進を訴えたのだが、県民は実利を重視して利用は増えなかった。


127頁・ANAは02年の10月で撤退し、山形県はJALグループに就航を求めた。就航を要請するにあたって山形県が提示した条件は、県民への運賃補助に加え、エアラインに着陸料と空港ビルの使用料の減免と、赤字が発生した場合には補填する約束をした。

運賃の補助は、新幹線(通常期の往復割引利用)と同額になるよう利用拡大推進協議会から1人につき2千円を補助する(別途華北町は大人1人当たり5千円を補助)。着陸料の減額はそれまでの50%から90%に拡大し(年間の軽減額は約千五百万円)、年間3000万円に上る空港ビルの施設使用料も県と同ビルが負担した。極めつけは、乗客の搭乗率が採算分岐点の70%を下回った場合には、50~70%の範囲で生ずる赤字を山形県と空港周辺自治体が「運行欠損補助」の名目で年間最大2億円まで補填することだった。127頁・


128頁・

114頁・だが、県民の反応はクールだった。運賃は補助で同額になるとはいえ、新幹線は1日15往復運転されて1時間ごとに乗れるのに、飛行機は1日1便しかない。ましてや、新幹線ならば東京を被害利できるのに、飛行機を使うと宿泊が必要になるのである。

03年4月の就航当月は記念割引(通常期の往復割引運賃1万3650円を8000円前後に設定)が販売されたこともあって70・8%と辛うじて70%を上回ったものの、記念割引のなくなった5月には早くも63・0%に落ちた。結果として03年度の平均搭乗率は65・2%(6万262人)とどまり、山形県と地元30市町村の負担した運行欠損補助は41,760,000円に上った。また、東京便の運賃補助は20,600,000円(予算は70,000,000円)で、これに着陸料と施設使用料の負担を合わせると、地元自治体の年間は1億円を超す。

根本的な問題は、所有時間の長い路線ならばいざしらず、所要時間1時間の区間で1日1便では使い勝手が悪いことだ。ましてや、山形のケースでは新幹線が開通し、競争力で劣勢になってからも空港アクセスの改善などに取り組んでこなかった。しかも、高速道路を1時間も走れば全国への路線が張り巡らされている仙台空港まで行ける。

「地方空港冬の時代」言われる中で、改善する見通しのない路線維持のために住民の血税を補助金として使うのはあまりにも短絡的だ。128頁・ 


129頁・「搭乗率保障制度」で成功の能登・

一方、「搭乗率保障制度」で成功をおさめたのが石川県だ。「乱造地方空港の最終グループ」として03年7月に開校した能登空港は、下馬評を見事に跳ね返し、通年で国内最高の搭乗率(81,7%)の成績を上げて、就航初年度はエアラインから95,000,000円の還元を受けた。

東京から鉄道や自動車で半日以上を要する石川県の能登地方は、過疎化の進む地域として知られる。空港は能登半島の中央部に位置し、半島南部の圏域まで含めても利用人口は23万人に過ぎない。

同じ県内には東京便だけでも1日11便が就航している小松空港があり、隣県の富山にも空港がある。誰もが「集客は難しい」と見ていた。

だが、地元の熱意と行動が他県とは違ったのである。新空港の隣接地には学校法人の日本航空学校を誘致し、空港ターミナルビルには役所の出張所まで設けた。県と地元市町村は開港前から需要の掘り起こしに知恵を絞り、県出身の有名料理人の道場六三郎を起用した「食」のキャンペーン、地元の中高校の修学旅行には飛行機の利用を訴えるなど、活発に動いた。和倉温泉に旅館組合、観光業者、運送業者などが連携し、企画やスムーズな送客に取り組んだ。航空利用者へは観光施設での割引、空港発着の観光バスの値下げ、乗り合い性による割引運賃のタクシーも用意した。地元住民の利用を促すための補助が周辺19市町村で用意された。そして、開港前には全国の地方自治体に、PRを兼ねて、能登空港の利用をアピールする挨拶状を発送したのである。

しかし、能登空港の成功のポイントは「搭乗率保障制度」だった。就航を予定していたエアーニッポン(ANK)は東京便を1日1便に抑えるつもりだった。だが、石川県は1日2便にこだわった。


130頁・1日1便では効果が薄いうえ、ダイヤに制約されて利用しにくい。そこで、地元がANK提案したのが搭乗率保障を前提にした2便目の運航だった。

2便目の搭乗率が年間で70%を下回った場合には、石川県と空港周辺19の市町村が1席当たり16,200円で年間2億円を上限に補填するが、70%を上回った場合は地元に「販売促進協力金」として1%につき1千万円を還元する。これまで他県で実施されてきた赤字補てんと決定的に異なるのは、漫然と税金を投入するのではなく「対象を2便目に限っていること」「目標を超えた時には払い戻しがあること」だ。

谷本正憲石川県知事は「念願の空港が開港するのだから、航空会社と地元はお互いに運命共同体として搭乗者を開拓していかなければならない」と決意を語った。航空業界では、全国路線の搭乗率が平均でも655、近隣の空港の小松が65%、富山が67%(02年度)であることから類推しても、通年で70%を上回ることは絶望的で、地元の出費がどの程度で収まるのかに関心が集まった。

そして、開港を迎えたのだが驚くべき盛況となった。開校日には空港周辺3市町村の人口の4割に近い約18,000人が見学に訪れ、B737・500(126人乗り)の2便とも満席で出発しただけでなく、7~11月は搭乗率90%前後で推移した。さすがに冬場は12月68・1%、1月60・7%、2月70・1%、と下がったものの、3月には82・4%と回復した。懸念されていた冬場も見事に乗り切り、1年間平均81・7%の成績を上げて、初年度はANKから販売協力金9500万円が還元されたのである。130頁・


131頁・この間、ANKは需要は本物と判断し、就航機種を126席のB737・500から170席のB737/400に大型化(だだし、還元の基準ラインは78%に引き上げ)している。

2年目には見直しが行われ、機種の大型化に伴い最低保証ラインは63%に引き下げれたもの、還元単価も1席当たり1万800円に引き下げられたが、4月以降の3ヶ月も平均70・2%と目標値をクリアし、全国から「地方空港の成功例」として注目されている。

山形と能登、地元の用意した予算はほぼ同規模でありながら、結果は大きく分かれた。


・・めげずに知恵を絞る佐賀・・

「ダメだ、ダメだ」とたたかれながらも、頑張っているのが有明佐賀空港だ。航空立国の九州で唯一空港を持たなかった佐賀県に、空港が開港したのは98年7月だった。念願の空港の海区で興奮ムードに包まれるのとは対照的に、航空業界はクールな目で見つめていた。着工は93年だったが、空港の建設中に地方空港を取り巻く環境は一変してしまつていたのである。最大の要因は航空自由化だった。開港当時は規制時代の名残で、JASが佐賀~大阪線をANAとともに開設させられた。JASとしては要望もしていなかったのだが、他の儲かる路線と抱き合わせで押し付けられたのである。

開業月こそ、「ご祝儀需要」に夏休みが重なって、東京便の搭乗率が92%にも達したが、99年4月に国内航空運賃の自由化が始まり、福岡線の運賃競争が激しくなると搭乗率は採算ラインの60%を割り込み、6月には35%までに急降下した。131頁・


132頁・意気込んで空港に乗り入れていた4社の民間バス会社は1年で撤退した。東京線と大阪線に272席のB767を就航させていたANAは機種を166席のA320に切り替え、JASは「義理は絶たした」とばかり、3年で大阪~佐賀線から撤退した。

地元では「本来なくてもよい場所に空港を無理やり作った」「そのうち、福岡がいっぱいになれば需要が回ってくる』などのあきらめの声も聞かれるが、佐賀県は手をこまねいていたわけではない。むしろ積極的に様々な利用促進策を行ってきた。

まず、自治体の管理する空港の使用料を全国に先駆けて値下げし、コミューター航空には試験運行の赤字分補助、国際チャーター便の着陸料は全額補助、同便を利用する修学旅行生には1人当たり片道1,500円を助成するなどの方針を打ち出した(98年)。しかし、着陸料の値下げで当初計画の3路線11便、年間利用客73万人の実現を目指したのだが、全く効果はなかった。収支は着陸料など収入が98,000,000円でとどまる一方、維持管理費が4億4000万円の出費も伴った。しかし、佐賀県は「目先の収支はともかく、地域振興につながる」としてひるまない。

佐賀発の始発時刻を早めるために、2000年からナイトステイ(地方空港の停泊)に必要な乗務員の宿泊費を半額補助(年間8千万円)したり、県の負担で佐賀空港利用者のマイレージポイントにボーナスマイルが加算される販促策なども展開した(04年5月から7月までの「SAGAボーナスマイルキャンペーン」)。132頁・


133頁・さらに、航空券の半券を提示すれば、小型レンタカーを1日1,050円(通常は5,000~6,000円)で借りられる(差額は同空港活性化協議会負担)企画や、県外からの団体客には片道1人当たり2,000円、国際利用客には2,500円の助成を行っている。

明るい材料としては、04年7月から羽田との間を深夜に発着する貨物専用便が就航した。佐賀が高速道路の要衝にあることを活用して九州一円からの荷物を取り扱う。深夜便の運航に関しては、地元に反対意見もあったが、飛行ルートなど地元との調整に県が積極的に動き、短期間に実現させた。九州唯一の深夜の貨物便の運航によって、佐賀空港の独自色が生まれたのは喜ばしいことだ。ちなみに、同便(1日2便)の就航によって空港の売り上げは年間2千万円プラスになる。133頁・


134頁・そして、佐賀県は04年秋から新たな運賃政策をANAに要請した。現行の国内線の運賃は直行便を基本としているが、大阪便を乗り継いで佐賀~東京間を利用する旅客にも直行運賃を適用することにしたのである(ANAでは中標津線と石見線で実施)。これは、同線の収支を改善するために、大阪便の1便をコストの安い74席のプロペラ機に切り替えたいとANAが申し入れてきたことを逆手に取ったものだった。現行の東京便のスケジュールは朝夕の2便しかないが、大阪便の2便を経由すると、直行運賃で利用できるフライトは一挙に倍の4便となる。乗客の利便性は2倍に向上することから、効果が期待される。134頁・


・・エアラインと・対決・の長野県・平成27年12月31日・

原則論の応酬で協力姿勢が生まれないのが、信州マツモト(松本)空港での長野県と旧JAS(現JALジャパン)とのやり取りだ。今のところ、長野県が強い批判を繰り返していることもあって、エアラインの姿勢も頑なになっている。

信州松本空港は松本市に1965年に開港し、現在、札幌、大阪、福岡との間に定期路線が就航しているが、知名度は低い。標高が657・5㍍と日本一高いうえに、近くまで山が迫っているため運用条件は厳しい空港である。しかも長野県では唯一の空港であるが、地理的条件から長野市など県の北側(北信地域)に住む住民は新幹線を利用する傾向が強い。

94年に滑走路が2000㍍に延伸されてジェット機対応になったものの、山々に囲まれている地形から滑走路をフルに活用することができず、また地元との協定で「低騒音機」が条件になっているため、就航できるジェット機はMD・87(134席)に限られている。135頁・


MD・87はJALジャパンにも8機しかなく、機材のローテーション上の制約からJASは以前から採算性に悩まされていた。

それでもJAS時代に問題にならなかったのは、JASの属していた東急グループのオーナーである五島家の出身が長野だったからだ。いわゆる「地元への配慮」だった。しかし、JALとの統合によってJASを取り巻く環境は一変した。東急グループからの離脱によってお家の事情は通らなったばかりか、JAS自身のリストラを一層進めなければならなくなったのである。

JASは採算性を考慮し、03年4月から大阪、福岡線の運航機材の小型化(74席のボンバルディアDHC・8・400)と、同機種を運行する日本エアコミューター(子会社)への移管を予定し、1月24日の国交省への届け出を前に02年12月長野県に対して連絡を取った。

これに対して田中康夫知事が1月10日に記者会見をし、「一方的な通告で承服しかねる。開かれた話し合いがあってしかるべきだ。02年10月経営統合の際、両社のトップが「地方路線や公共的色彩の濃い事業を維持するために経営基盤の強化が役に立つ」と述べていたことと反する。利用率が他の路線と遜色ないにもかかわらず、最後通牒的に通告するのは看過しかねる」と猛然にかみついた。

さらに、1月17日に副知事がJAS本社を訪問し、田中知事名で船曳社長宛に以下のような解答要望書を副社長に手渡した。135頁・

平成27年12月31日

 



2015年12月30日 (水)

紛争輸出国アメリカの大罪 (祥伝社新書)– 2015・11・2 藤井 厳喜 (著) 5つ星のうち 4.7 7件のカスタマーレビュー搭乗率保障制度」

引用

2015年12月31日 (木)航空2強対決11選・航空アナリスト・杉浦一機・、「搭乗率保障制度」で成功をおさめたのが石川県だ。「乱造地方空港の最終グループ」として03年7月に開校した能登空港は、下馬評を見事に跳ね返し、通年で国内最高の搭乗率(81,7%)の成績を上げて、就航初年度はエアラインから95,000,000円の還元を受けた。

http://amamioosoma.synapse-blog.jp/yosiharu/2015/12/post-60c6.html

15:04 2015/12/31


引用


地上の戦争・紛争の原因は、みんなアメリカがつくった!・南沙諸島、ウクライナ、アラブの春、IS、アルカイダ、イラク戦争…太平洋戦争も、朝鮮戦争も、ベトナム戦争も。


 紛争輸出国アメリカの大罪 (祥伝社新書)– 2015・11・2 藤井 厳喜   (著) 5つ星のうち 4.7     7件のカスタマーレビュー

容(「BOOK」データベースより)

世間にはアメリカを陰謀国家呼ばわりする識者もいるが、私が見るところ、アメリカがそれほど思慮深く、手練手管に長けているわけではない。腕力だけはヤケに強いが、あまり賢くないために、自分で新たな脅威を次々に作り出していく「迷走する巨人」、それがアメリカなのだ。結果的にも自国の利益になってはおらず、愚かとしか言いようがない。本書は戦前・戦後を通じ、アメリカ自身が原因となって、起こらなくてもいい余計な戦争・紛争を、どれだけ世界に巻き起こしてきたかを説く、いわば「アメリカ外交の失敗史」である。

 著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

 藤井/厳喜・1952年、東京都生まれ。国際政治学者。1977年、早稲田大学政経学部政治学科卒。同年から85年までアメリカ留学。クレアモント大学院政治学部(修士)を経て、ハーバード大学政治学部大学院助手、同大学国際問題研究所研究員。82年から近未来予測の「ケンブリッジ・フォーキャスト・レポート」発行(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

新書: 237ページ出版社: 祥伝社 (2015/11/2)発売日: 2015/11/2

 目次

第1章 オバマの大失言が呼び込んだ南沙諸島紛争・13頁・

第2章 怪物アルカイーダと「IS」の正体・49頁・

第3章 「大きなお世話」が生んだ「アラブの『厳冬』」・63頁・

第4章 「ウクライナ」におけるアメリカの責任・83頁・

第5章 シリア攻撃をめぐるオバマ政権の弱腰・117頁・

第6章 「太平洋戦争」も、アメリカが仕掛けた罠だった・130頁・

132頁・ルーズベルトは、なぜ戦争をしたかったのか。

133・隠れ社会主義者であるルーズベルトはソ連のスターリンとも仲が良かった。

134・ヒットラーは当然ながらアメリカとの戦争を避けたいので、

135・宋美齢・ルーズベルトは日本を嫌いである一方、中国に巨大な利権を持っていた。

136頁・そうびれいの対米工作は、陸軍10個師団に相当する働き。

ルーズベルトを告発したアメリカの一流の知性たち「第二次大戦に勝者なし」本・アメリカの総力戦計画を、1940年末に命じている。

137・「ルーズベルトの開戦責任・日米戦争はなぜ始まったか」1948年日本に、

ルーズベルトの責任 〔日米戦争はなぜ始まったか〕 (上) 単行本  – 2011/12/21  

チャールズ・A・ビーアド  (著),  開米潤 (翻訳),  阿部直哉 (翻訳), 丸茂恭子 (翻訳) 5つ星のうち 4.4     5件のカスタマーレビュー

出版社からのコメント

1941年12月8日(現地時間7日)、日本海軍によるハワイ真珠湾での奇襲攻撃で火蓋が切られた日米戦争――このとき、アメリカ合衆国にとっての大惨事を冷徹な眼差しで見据えていた一人の学者がいた。チャールズ・A・ビーアド博士である。博士は戦争が偶発的に発生したのではなく、その勃発を100年以上にわたり米国が実践してきたアジア極東外交の結末と捉え、それが米国にとり新たな危険な時代の幕開けであると見做したのだった。

 第一次世界大戦以降、次々と開示された膨大な外交公文書を綿密に読み解く作業の中で、将来における米国のあるべき姿を建国以来の歴史の文脈と、その理念から明白にしようと試みてきた博士は、真珠湾攻撃を単に歴史の重大事件として記録するのではなく、フランクリン・ルーズベルト大統領が参戦を決定するまでの過程を新しい視点で炙り出した。大統領陰謀説の嚆矢ともなった本書は、ビーアド博士最晩年の力作であり、絶筆でもある。

 単行本: 432ページ

出版社: 藤原書店 (2011/12/21)言語: 日本語発売日: 2011/12/21

 目次

日本の読者へ(デートレフ・F・ヴァクツ)  巻頭言

<small>第I部</small> 外観<small>(アピアランス)</small>

<small>第1章</small> 1941年に外交を遂行する上での道義上の誓約

<small>第2章</small> 武器貸与法による連合国への支援がいかに説明されたか

<small>第3章</small> 外観<small>(アピアランス)</small>としてのパトロール

<small>第4章</small> 大西洋会談――その外観<small>(アピアランス)</small>

<small>第5章</small> 大西洋で「攻撃を受けた場合」

<small>第6章</small> 「いかなる宣戦布告」も要請せず

<small>第7章</small> 日本との関係の外観<small>(アピアランス)</small>

<small>第8章</small> 奇襲攻撃――公式の説明

<small>第II部</small> 実態<small>(リアリティ)</small>を明らかにする

<small>第9章</small> 事実発覚の始まり

<small>第10章</small> 連邦議会と報道に正当性を問われる公式の説

 原注

日米開戦の真実を見抜いた歴史家の慧眼


 1948年、第二次大戦が終わり、ヨーロッパ、太平洋戦線での勝利と世界第一の大国となった誇りの中で、英雄化された大統領を「戦争責任者」として告発した本書は驚きをもって迎えられた。アメリカ史の第一人者であった著者には、ただちに轟轟たる非難が浴びせられ、侮蔑と揶揄の中で碩学は死去した。当時、32万の若者の生命の犠牲のもとに、ナチスドイツと日本、イタリアを打ち破り、「民主主義の勝利」をもたらした功績は、「大統領F.ルーズベルトの卓越した指導力の賜物」と世間は考えていたからである。

歴史家C.A.ビーアドは、第一次大戦当時の公文書を分析し、政府が政策として語る公的な言葉と、実際に行う政策との間に大きな隔たりがあることを認識していた。ベルサイユ体制におけるW.ウィルソンの欺瞞とその後の国際政治への幻滅は、彼の同時代を見つめる眼差しを限りなく深く、鋭敏なものにしていたように思われる。原題にさりげなく付け加えられた“Appearances and Realities”という言葉は、実は、彼の同時代の政策を分析するキーワードだったのであろう。

「外観(アピアランス)」と題された「第一部」は、内容で言えば「参戦しないことを公約に掲げて三選されたルーズベルトのディレンマ」「『中立』を脱する(イギリス等への)武器貸与法という抜け穴」「ドイツを挑発する(アメリカ参戦の口実作りの)パトロール行動」「チャーチルとの大西洋会談の外観」「日本との外交関係の見せかけの姿」「真珠湾での敗北の責任を現地司令官に負わせる」といった大統領三期目の1941年に起きたことを、議会での議員との生々しいやりとりや新聞報道によって公的に説明された言葉と、その一方でルーズベルトの真意がどこにあったのかという疑問とともに紹介していく。

そして、「第二部」の「実態(リアリティ)を明らかにする」で、「第一部」で示していた疑問と真実をより明確にし、ルーズベルトの真意がアメリカを「連合国軍」に参戦させるために日本を巧みに日米戦争に誘導していくことにあったことを証明しようとする。

1941年に始まる「大東亜戦争(太平洋戦争)」は、日本の軍部が独走して起こした戦争ではない。日本の民主主義が成熟していなかったために起きたものでもない。(民主主義は、その本質がポピュリズムである以上、人間の知性がいつでも不十分であるように、いつでも未熟である)

ビーアドは、「過去アメリカの100年間の太平洋政策の帰結が、日米戦争だった」と述べるが、それも真実の一つであろう。

この書物は、過去の歴史を誠実に探究し学んでいくことが、現在の国際・国内政治の真実の姿を洞察する力を与えてくれることを教えてくれる。もちろん、熱狂の嵐の中で冷静な分析を示すことは世間の常識から離れることも覚悟しなければならない。しかし、ビーアドの廉直さと挑戦は、一読書人にも特別な勇気を与えてくれるのではないだろうか。

大西洋憲章

ルーズベルトとチャーチルは1941年8月14日8項目からなる大西洋憲章を発表している。 しかし民族の自決と独立を詠う第3項目は白人種のみに適用されアジア人やアフリカ人には枠外の限定的条約であるとのチャーチルの提案にルーズベルトも合意している。 この条約に感銘したビルマの首相ウ・ソーはルーズベルトに会いに行ったがビルマ人には適用外として面会謝絶を受けている。 アジアを侵略する日本を欧米の権益を侵す害虫としてその駆除を決意していた。 大西洋でドイツの潜水艦の先制攻撃と見せかけて対独戦線への参入を試みたがことごとく独の反論で失敗した。 選挙公約を守って戦争に参画するには相手側の先制攻撃が必要であった。 太平洋艦隊の本部をサンジエゴからホノルルに移管して船舶を真珠湾に集中させた。 ルーズベルトは1年以上も前から日本のスパイから日本の参戦は真珠湾か比のクラーク基地に成るとの情報を得ていた。 彼は自分はペテン師で目的のためなら手段を選ばないと宣言していた。 ピア-ドは彼を策謀にたけた詐欺師と攻撃する。 彼とその戦時内閣を秘密裏に運営されたステルス内閣と攻撃する。 国民の目を盗み恣意的に政策を立案し議会や、現場を欺き実行する。 その失敗の責任は現場の陸、海軍に取らせる。 自分たちはドアの後ろに隠れて無罪。 激烈な告発である。

真珠湾陰謀論否定論者への反論

私は、GDPが12倍もある国とどうして戦争することになったのか。日本人の意志により避けることができなかったのかという思いで読みました。昭和16年の段階では、ルーズベルト大統領は、平和を希求すると見せかけながら「日本から、それほどの損害がない程度にアメリカに開戦させる。」というものだったのです。しかも、何時、何所に日本が攻撃を仕掛けてくるかも、事前に日本外交暗号の解読、戦略的分析から真珠湾だと知っていたのです。このことは膨大な資料から明らかにされています。しかし、あれほどやられるとは予想していなかったのも確かです。しかし、真珠湾でFDRの持つ全ての問題が解決されてしまったのも事実です。バーバラタックマンの『愚考の葬列』の筆頭に書かれていることです。

 日本人の学者の多くは、真珠湾陰謀論なんてなかった。この問題は解決済みだとするのが主流です。日本海軍の暗号は解読されていない。艦隊の電波も発信していないという理由なんですが、そんな問題ではないことがよくわかります。ビアードのFDR陰謀論は、結局日本の右翼が利用されるという学者もいます。FDRの手のひらの上で戦争を始めたなんてのは、日本人として絶対に思いたくないという人もいます。しかし、冷静に考えてほしいのです。日高義樹(元NHKワシントン支局長、現在ハドソン研究所)では、アメリカ人の一般的理解は、ルーズベルトは真珠湾を知っていたとしています。かっては修正主義歴史観として、アメリカでも少数派の論だったのですが、アメリカ有数の保守的研究所でも、そう理解しているのです。FDRは偉大な大統領だったという思いには、そういう事実も含めて思いを新たにしなければなりません。検証・真珠湾の謎と真実 - ルーズベルトは知っていたか (中公文庫)

ビーアドなのかビアードなのか。それが問題だ(そうでもない)。

投稿者mr. dolittle2012年11月26日

主に翻訳について。別レビューにてヘルレイザーさんが

> 例えば339ページの「あるいは」がこれでもかと連発されるされているのはコメディーでもないのに吹いてしまったほどであるとご指摘の上巻該当ページは、確かに大変読みにくいのものですが、ビーアドの地の文ではなく、少々馬鹿げた書きっぷりの「法律文」を引用した箇所です。 

つまり原文そのものが評者の言われる「あるいは」/「ならびに」地獄なのであって、著者ビーアドはいわばその地獄っぷりを傍証しているに過ぎません。もし翻訳だけ「読みやすい」文章にすると、それはそれで全体的に誤った印象を与える「誤訳」になってしまいます。 

とはいえ、本訳書がそうした著者の意図やニュアンスを生き生きと伝えるような日本語になっていないことも確かで、厳しい評価の本意はむしろそのあたりでしょう。内容的誤解を招くようなものではありませんが、確かに訳文には少々ムラが多く、どう見ても不必要なルビの使用が散見されるなど、監訳者による検討が十分に為されたのか疑問に感じる箇所もあります。 

巻末には、とても見やすい年表がついています。それでも今の時代に本書の「日本語版」を出す以上、もう少し相応のコンテンツは必要だという気がしました。たとえば、1)人名索引を簡易な人名辞典を兼ねるようなものとする、2)最新の資料を含めた「書誌」を付す、程度はあって良かったのでは。この種のそれ自体歴史的と言って良い書物の翻訳は、その本を原文で読みこなせるような読者にとってこそ、新たな資料的意義を持つものとなるべき(あるいはそれを目指すべき)だと思います。

 またこれは些末なことですが、この歴史家に親しんでいる日本人読者の多くは「ビアード」と表記するのが常であったように思います。本書の「ビーアド」の表記に、ちょっぴり違和感。お髭と同じBeardなので、どちらも違うと言えば、違いますが。

 いろいろと難癖をつけましたが、それでも本書と本訳書が、大きな歴史的意義を持つものであることは間違いないでしょう。これまでアナール派などのユニークな歴史書を紹介してきた藤原書店が、本書をきっかけにアメリカの埋もれた歴史書をどんどん紹介してくれるのを期待したいところです。

歴史

本当は下巻だけ呼んでもよいような内容だけれど、まあ、一応前段、前座としては必要か? 高すぎるけど。あと誤植があった。

15:36 2015/12/30 

138・「ルーズベルトの開戦責任」本。 

ルーズベルトの開戦責任: 大統領が最も恐れた男の証言 単行本– 2014/9/11 ハミルトン フィッシュ (著),  Hamilton Fish (原著), 渡辺 惣樹 (翻訳)    5つ星のうち 4.4     16件のカスタマーレビュー 内容紹介 

元共和党有力議員が、米国民の8割が戦争に反対するなか、領土交渉でポーランドに強硬姿勢をとらせることで〝裏口〟から対独戦に参戦、さらに対日最後通牒(=ハル・ノート)を議会に隠し通して日米開戦に踏み切ったとしてルーズベルト大統領の責任を追及。ヤルタ会談ではスターリンに全面的に譲歩し、戦後の冷戦構造、共産主義独裁国家を出現させたと痛烈に批判する。第2次大戦史に修正を迫る注目すべき証言!

「大統領は何がなんでも戦争をしたかった」ポーランドに圧力をかけ、議会を欺いて世界を大戦に導いたルーズベルトの責任を厳しく追及。同時代の重要政治家による歴史的証言。 単行本: 357ページ出版社: 草思社 (2014/9/11)言語: 日本語発売日: 2014/9/11 

目次

大統領と個人崇拝

アメリカ参戦への画策

若者を外国の戦場に送ってはならない

容共派に囲い込まれたFDR

イギリスを戦争に駆り立てたFDR

イギリス第一主義者:ウィンストン・チャーチルルーズベルトの対仏軍事支援密約(一九三九年)

ルーズベルトのフランスへの裏切りジョセフ・ケネディ駐英大使リッベントロップ独外相との会談(一九三九年八月十四日)〔ほか〕

大東亜戦争の開戦の真実が分かる。

この本は、1939年9 月1 日の欧州での世界大戦と、1941年12月8 日の大東亜戦争の原因に深く係わった介入主義者のルーズベルトの失政を戦後明らかにした、非介入主義者で共和党議員であったハミルトン・フイッシュが米国の独立200 周年に当たる1976年に発行した書籍である。

1941年11月26日ルーズベルトは、日本に、日本軍及び警察のインドシナ、中国( 満洲を含む) からの即時全面撤退を要求した最後通牒( ハルノート) を突き付けた。ルーズベルトは、この文書が最後通牒の性格を有することを認識していた。日本がこの挑発に乗らなければ、さらなる第2の最後通牒を発することを検討していた。国務長官スチムソンは、日本が挑発に乗らなければ、米国から戦争を仕掛けるべきと大統領に進言していた。日本を挑発し、英国を支援し、欧州戦争に裏口から参戦するためであった。

米国からの最後通牒により、日本は、自殺するか、降伏するか、さもなくば戦うかの選択しか残されていなかった。この最後通牒は、米国議会、米国民には、全く、知らされていなかった。

日本は、この最後通牒を受ける前に、8 月には近衛首相が米国に出向いて首脳会談を行うことを提案したが、この会談は、対日戦、対独戦を既に決定しているとの理由で拒絶された。11月には、日本は、甲案による計画的撤兵を提案し、乙案による南仏印から撤兵する暫定案を提案していた。米国側の日本案に対する戦争を回避できる可能性のある暫定案は、事前に蒋介石とチャーチルに示され、彼らにより否定された。ルーズベルトは、コミンテルンの財務省のホワイトにより起案された宣戦布告ともいうべきこの最後通牒を承認し、これを日本に手渡した。この最後通牒は、日本がとうてい呑めないこと、手渡せば戦闘が開始されることをルーズベルトは十分に認識した上で、通達された。 

ルーズベルトは、1937年の日本は病原菌であるので隔離しなければならないとする「隔離演説」以来、日本の敵意を煽り、枢軸国に追いやるために、経済封鎖などあらゆる手段を駆使した。これは国務省の失敗であるという。駐日米国大使グルーは、日本国民は戦争を望んではいないことを本国に報告し、日本は、米国との開戦を避けるためには、ほとんど何でもする用意があったと述べている。

日本の真珠湾攻撃については、日本からの1941年12月7 日にハル国務長官に手渡された最後通牒は、電文の傍受解読により、ルーズベルト、ハル国務長官、スティムソン陸軍長官、ノックス海軍長官、マーシャル参謀総長、スターク軍令総長の6 名の戦争遂行内閣には、知られていた。また、ハワイに日本の連合艦隊が移動していることも把握していた。その上で、ルーズベルトは、米国民や議会に参戦を同意させる目的で、ハワイ基地のキンメル、ショート司令官には、開戦の切迫を通知させずに、日本の奇襲を意図的に成功させたとある。これにより、ルーズベルトは、日本を和平交渉継続中に米国を攻撃した戦争挑発者として非難した「恥辱の日演説」により、国民を騙して戦争に向かわせたとある。

また、ルーズベルトは、ハワイの奇襲攻撃を受けた責任の追求には、証人尋問、証拠調べなどの法的な裁判手続を踏む軍法会議にはかけず、過激な戦争賛成派のロバーツを委員長とする委員会で審議させて、ハワイの現場司令官に不名誉な責任を追わせているが、自ら発した恥ずべき最後通牒については審議させていない。 

ルーズベルトは、1940年10月( 開戦1 年2 ケ月前) の時点で、「遅かれ早かれ日本は間違いを犯し、米国は日本との戦争に入ることになるであろう」と述べ、1941年8 月の大西洋会議では、極東における英国の権益を擁護すると合意し、「米国は自国自身が攻撃を受けずとも、極東における戦争に参戦し、もって勝利を確実なものとする」と述べたであろうという。

著者は、戦後の日本の朝鮮併合の解体、日清日露戦争で得た領土の放棄を決定づけ、ソ連の世界共産化を強化した1943年11月22日のカイロ会談、1945年2 月4 日からのヤルタ会談の時には、ルーズベルトは健康を深刻に害しており、これがスターリンとの交渉で妥協した原因であったと言う。また、ヤルタ会談に同席したのは、容共主義者のハリー・ホプキンス、ソ連のスパイであり秘密文書をソ連に渡していたアルジャー・ヒスの2 人だけであった。

 これがヤルタ会談で、スターリンが一人勝ち、朝鮮戦争、ベトナム戦争の原因となり、中国、バルト3 国、ポーランド、バルカン諸国、ハンガリーなど東欧などが共産化した理由であった。米国は満洲、中国での権益を得ることはできず、英国、仏国、オランダは、植民地を失い、米国は何のために日本と戦ったのか。本書は、日本と米国が開戦に至る真実が、当時の米国下院議員により明らかにされている。

本書は、極めて貴重な書籍である。日本人は歴史の真実を知るべきである。

 戦後、日本は一方的に侵略戦争を仕掛けて、アジアに迷惑を掛けてきたと教育され、それを疑わないできた日本人、特に、政治家、役人、学者、マスコミ人が、是非とも読むべき本である。多くの人が、是非とも読まれることを薦める。

ルーズベルトを恨みます

政敵から見たルーズベルト。もともと1976年にアメリカで出版された。ルーズベルト外交を再検討しようという機運のある年だったそう。

ルーズベルトは、経済や歴史や国際情勢にうとかった。読書をせず不勉強だった。共産主義に対する危機感がなかった。

政権内部深くにスパイが入り込んでいたことにも気がつかず、スターリンに親近感を持っていた。だからしなくていい戦争をしたし、共産主義を広めてしまった。ニューディール政策も景気回復させなかった。しかしルーズベルトは政治屋としては長けていた。

ハンサムで演説がうまくて魅力的だった。権力志向が強く、目的のために姑息な手段を使った。罠を仕掛け人を騙した。

 日本との戦争はルーズベルトが仕掛けた。もともとアメリカ人も日本人も戦争したくなかった。ところがルーズベルトは戦争がしたかった。

そこで日本を挑発して最初の一撃を打たせる戦法にした。

両国民を戦争せざるを得ない状況に追い込むために、日本にハルノートを突き出した。

米国民にもハルノートの件は秘密にしていた。真珠湾攻撃の件も事前に知っていたが国民に知らせなかった。だから米国民には「いきなり日本が攻撃してきた」と勘違いし怒り狂った。はー。最悪。日本に、知識があって善良で政治力に長けている本当に強い政治家がいたらいいのに、と思いました。

 

大東亜戦争の開戦の真実が分かる。

この本は、1939年9 月1 日の欧州での世界大戦と、1941年12月8 日の大東亜戦争の原因に深く係わった介入主義者のルーズベルトの失政を戦後明らかにした、非介入主義者で共和党議員であったハミルトン・フイッシュが米国の独立200 周年に当たる1976年に発行した書籍である。

1941年11月26日ルーズベルトは、日本に、日本軍及び警察のインドシナ、中国( 満洲を含む) からの即時全面撤退を要求した最後通牒( ハルノート) を突き付けた。ルーズベルトは、この文書が最後通牒の性格を有することを認識していた。日本がこの挑発に乗らなければ、さらなる第2の最後通牒を発することを検討していた。国務長官スチムソンは、日本が挑発に乗らなければ、米国から戦争を仕掛けるべきと大統領に進言していた。日本を挑発し、英国を支援し、欧州戦争に裏口から参戦するためであった。

米国からの最後通牒により、日本は、自殺するか、降伏するか、さもなくば戦うかの選択しか残されていなかった。この最後通牒は、米国議会、米国民には、全く、知らされていなかった。

日本は、この最後通牒を受ける前に、8 月には近衛首相が米国に出向いて首脳会談を行うことを提案したが、この会談は、対日戦、対独戦を既に決定しているとの理由で拒絶された。11月には、日本は、甲案による計画的撤兵を提案し、乙案による南仏印から撤兵する暫定案を提案していた。米国側の日本案に対する戦争を回避できる可能性のある暫定案は、事前に蒋介石とチャーチルに示され、彼らにより否定された。ルーズベルトは、コミンテルンの財務省のホワイトにより起案された宣戦布告ともいうべきこの最後通牒を承認し、これを日本に手渡した。この最後通牒は、日本がとうてい呑めないこと、手渡せば戦闘が開始されることをルーズベルトは十分に認識した上で、通達された。

ルーズベルトは、1937年の日本は病原菌であるので隔離しなければならないとする「隔離演説」以来、日本の敵意を煽り、枢軸国に追いやるために、経済封鎖などあらゆる手段を駆使した。これは国務省の失敗であるという。駐日米国大使グルーは、日本国民は戦争を望んではいないことを本国に報告し、日本は、米国との開戦を避けるためには、ほとんど何でもする用意があったと述べている。

日本の真珠湾攻撃については、日本からの1941年12月7 日にハル国務長官に手渡された最後通牒は、電文の傍受解読により、ルーズベルト、ハル国務長官、スティムソン陸軍長官、ノックス海軍長官、マーシャル参謀総長、スターク軍令総長の6 名の戦争遂行内閣には、知られていた。また、ハワイに日本の連合艦隊が移動していることも把握していた。その上で、ルーズベルトは、米国民や議会に参戦を同意させる目的で、ハワイ基地のキンメル、ショート司令官には、開戦の切迫を通知させずに、日本の奇襲を意図的に成功させたとある。これにより、ルーズベルトは、日本を和平交渉継続中に米国を攻撃した戦争挑発者として非難した「恥辱の日演説」により、国民を騙して戦争に向かわせたとある。

また、ルーズベルトは、ハワイの奇襲攻撃を受けた責任の追求には、証人尋問、証拠調べなどの法的な裁判手続を踏む軍法会議にはかけず、過激な戦争賛成派のロバーツを委員長とする委員会で審議させて、ハワイの現場司令官に不名誉な責任を追わせているが、自ら発した恥ずべき最後通牒については審議させていない。 

ルーズベルトは、1940年10月( 開戦1 年2 ケ月前) の時点で、「遅かれ早かれ日本は間違いを犯し、米国は日本との戦争に入ることになるであろう」と述べ、1941年8 月の大西洋会議では、極東における英国の権益を擁護すると合意し、「米国は自国自身が攻撃を受けずとも、極東における戦争に参戦し、もって勝利を確実なものとする」と述べたであろうという。

著者は、戦後の日本の朝鮮併合の解体、日清日露戦争で得た領土の放棄を決定づけ、ソ連の世界共産化を強化した1943年11月22日のカイロ会談、1945年2 月4 日からのヤルタ会談の時には、ルーズベルトは健康を深刻に害しており、これがスターリンとの交渉で妥協した原因であったと言う。また、ヤルタ会談に同席したのは、容共主義者のハリー・ホプキンス、ソ連のスパイであり秘密文書をソ連に渡していたアルジャー・ヒスの2 人だけであった。

 

これがヤルタ会談で、スターリンが一人勝ち、朝鮮戦争、ベトナム戦争の原因となり、中国、バルト3 国、ポーランド、バルカン諸国、ハンガリーなど東欧などが共産化した理由であった。米国は満洲、中国での権益を得ることはできず、英国、仏国、オランダは、植民地を失い、米国は何のために日本と戦ったのか。

 本書は、日本と米国が開戦に至る真実が、当時の米国下院議員により明らかにされている。

本書は、極めて貴重な書籍である。日本人は歴史の真実を知るべきである。

 戦後、日本は一方的に侵略戦争を仕掛けて、アジアに迷惑を掛けてきたと教育され、それを疑わないできた日本人、特に、政治家、役人、学者、マスコミ人が、是非とも読むべき本である。

 多くの人が、是非とも読まれることを薦める。 

フランクリン・ルーズベルト(FDR)が招いた「二十世紀の悲劇」

ハミルトン・フィッシュは、フランクリン・ルーズベルト(FDR)と同じオランダ系のWASPであり、共和党の有力政治家としてFDRのライバルであった政治家である。欧州戦線への参戦に反対し続けた彼は、「日本の真珠湾攻撃」の報に接し、それまでの非介入主義を一転させ、ルーズベルトの「開戦演説」を強力に支持する議会スピーチを行った。

しかし、FDRの死と大戦終了後、彼は、FDRがいかに執拗にヨーロッパに参戦をもくろみ、日本には経済封鎖と最後通牒たる「ハルノート」を突きつけて真珠湾攻撃に至らしめたのかを知り、騙されたことに臍を噛んだ。

本書は、1976年、アメリカ建国200年の年に、そして「FDRのヤルタ」が招いたベトナム戦争の敗北の翌年に、書かれた。著者は、当時、既に87歳であり、自身が政治家として知り得た真実を書き残す義務を果たそうとしたものと思われる。

著者のTragic Deception (1983 ) は、「日米開戦の悲劇」(PHP)として我が国でも1990年代に岡崎久彦氏によって紹介されており、その論点の骨子そのものは知られている。しかし本書は、第二次大戦勃発直前のヨーロッパ情勢を自身の外交活動を含めて臨場感あふれる叙述で描くとともに、日米戦争、中国の共産化、ヤルタの真実を究明し、FDRの外交戦略が第二次大戦を招いたのではないかと、厳しく批判する。

1 「ダンチッヒ」の帰属問題が、なぜ、第二次大戦の引き金を引いたのか?

二次大戦の起源については、概ね、「ナチス政権の旧ドイツ領復権と生存圏拡大の野望が招いた」と理解されているのではないだろうか。「ナチスこそ、第二次大戦の原因であり、イタリアのファシズム、日本の軍国主義がそれを増長した」。そう考えている人は多いことだろう。だが、それは全体的真実なのか?

 ベルサイユ条約は、ドイツに対する過酷な要求を突きつけたものだが、これが行きすぎたものだったという反省は、英仏にはあった。チェンバレンの「宥和政策」は、ミュンヘンの妥協として批判されるが、「民族自決」の原理に立てばドイツ系住民が90%を占めるズデーテンやダンチッヒが本来属すべきドイツに復帰することはある意味で現実的なことだった。 

(若い方々には、解説が必要なのだが、本来の「東ドイツ(東プロイセン)」がダンチッヒや哲学者カントの町ケーニヒスベルク《カリーニングラード》であり、かつて共産圏に属した「東ドイツ」は、本来「中央ドイツ」と呼ばれた地域である。ダンチッヒ(ポーランド名グダニスク)は中世ドイツの「東方植民で開かれた港」でありハンザ同盟の一員として栄えた。映画「ブリキの太鼓」はこの時期の雰囲気をよく表現している。) 

ブキャナンが指摘するように、第一次大戦後のポーランドやチェコスロバキアの独立と優遇は、ドイツの力を削ぎ、ソビエトの攻勢を防ぐ、英仏のための緩衝地帯を形成することに意味があった。そのためにチェコは、オーストリアの工業地帯の過半を手に入れ、47%のチェック人が、それを上回る53%のドイツ人やスロバキア人等東欧系外国人を抱え込んだのである。

ヒトラー・ドイツは、本来のドイツの領土の復活は目指したが、同じテュートン民族のイギリスと戦うことは望んでいなかった。それは、大戦初期、彼が二度に渡って本気で和平を模索したことからも明らかだ。チャーチルがはねつけなければ、ポーランドから始まった戦争は1年半程度で終わった「欧州の局地戦」だったのだ。

フィッシュは、「ドイツ領土復活を許し、ベルサイユ体制の不自然な国境確定を「民族自決」の理念に従って修正すれば、その後の「独ソ戦」はありえたとしても戦争は全く異なったものになっただろう」と言う。 

「ドイツの復活」を脅威と見なして「宥和政策」をチャーチルとともに執拗に批判し、ポーランドに「絶対、ドイツに妥協するな。英仏、アメリカがついている」と陰であおり立てたのがFDRである。ドイツとの交渉をサボタージュし続けるポーランドに、ドイツは我慢できず1939年8月23日「独ソ不可侵条約」を結び、9月1日、ポーランド侵攻作戦を開始する。9月3日、英仏はドイツに対して「宣戦布告」をするが、これは事前に、ポーランドとの間で約束していたからである。

駐仏アメリカ大使のブリットは、FDRの指示を受けて、無任所の外交官となり、ヨーロッパにおけるアメリカ外交の司令塔として活躍した。コーデル・ハルが回想録で不愉快そうに記述するように、FDRとブリットとの間には国務長官ですら意見を差し挟めない秘密の指示命令が存在した。

 彼は、英仏に対して対ドイツ戦の開戦判断をポーランドに白紙委任するように説得し、その一方でポーランドには「絶対、ドイツに妥協するな」と説得していた。宥和政策を掲げるチェンバレンは、ポーランドにドイツに対する妥協を強く勧めたが、ポーランド外務大臣ベックが選んだことは、ダンチッヒとポーランド回廊をめぐる対ドイツ交渉のサボタージュである。

フィッシュは、「ベックの不作為が大戦の引き金を引いたのだ」と書く。しかし、著者が一番言いたいことは、その背景にあるFDRの誤った外交戦略が第二次大戦の最大の原因になったということだろう。

なお、FDRとチャーチルの間には、大戦以前から親密な関係とチャーチル政権成立以後、頻繁な意見の交換があった。その夥しい分量の電文はまだ公開されていない。

仏は、ポーランド問題で死活的な利権があるわけではなかった。ドイツのポーランド侵攻で無条件に「宣戦布告」にまで踏み切る必然性がない。

こうしたFDRの外交戦略の非現実性と虚構を覆い隠すものが、後に大々的に宣伝された。

1941年8月の「大西洋憲章」という欺瞞に満ちたアリバイ工作を活用した、後付の「ファシズム対民主主義の戦い」というプロパガンダである。

 

補遺

ルーズベルトの特命を受けた外交官、W.C.Bulitt(1891‾1967)について、書いて置きたい。若き日のブリットは、W.ウィルソンを尊敬しウィルソンに命じられて革命後のロシアと外交交渉を行った。彼は、アメリカが革命ロシアを承認すべきと進言したが、ベルサイユ講和会議で四大国に拒否され、彼は講和会議終了後辞任した。

実業の道で生きていた彼を呼び返したのがルーズベルトで、1933年初代ソビエト大使になった。1936年、フランス大使となったが、1939年第二次大戦の勃発を受けて辞任し、その後はルーズベルト特命を受けた欧州外交の司令塔として活躍した。ルーズベルトのブリット重用は、周囲の不審と不安をもたらし、特に国務長官のハルは、回想録の中で怒りを隠さない。ブリットは、ルーズベルト外交に親ソビエト的要素と確固たるチャーチル支持を彩る上で、いくらか影響しただろうが、これらはもともとルーズベルトの基本的な考えである。

ところで、ブリットは、1930年にウィーンでフロイトに会ってから、「T.W.ウィルソン」の精神分析的研究に惹かれ、細かなウィルソンの言動はブリットが提供し、フロイトが心理学的分析を加えるという形で進めた。

ただ、当時、ウィルソンの二番目の妻が生存中のため公表は見送った。

有名な、ヴィルヘルム二世が自分が神であるかの如く見せたがったというエピソードや、ウィルソンが、自分は神だと信じていたエピソードが分析される。ウィルソンの場合は、典型的な「自己愛性人格障害」或いは「パラノイア」と現在なら診断される言動だったものと思われる。これらが公表されたのは、ブリットが自らの死期が近づいたと感じた1966年のことである。(岩波版「フロイト全集」第20巻、2011年には、フロイトの手になることが確実な「緒言」のみ訳出されている)

なお、フロイトは、ウィーンにナチスの手が迫ると、間一髪、ロンドンに脱出をしているが、この脱出を準備し、手助けしたのは、ブリットである。 

2 現在でもアメリカ人の99%は、アメリカが最後通牒「ハルノート」を日本に突きつけたことを知らない 

1976年の時点で、著者は、「アメリカ人の中で、FDRが『対日経済封鎖』で経済戦争に踏み切り、さらに『ハルノート』という最後通牒を突きつけ、日本を真珠湾攻撃に誘導したという事実を知る者は、100人中1人くらいしかいない」と書く。

多分、現在でも、議会を無視して行われた「ハルノート」の存在をアメリカ知識人の多くは知らないだろう。

「最後通牒を発する前日の十一月二十五日の閣議に参加していたのはハル、スチムソン、ノックス、マーシャル、スタークである。FDRが指名し登用した者ばかりだった。『どうやったら議会の承認無く、また国民に知られることなく戦争を始められるか』。彼等の頭の中にはそれだけしかなかった。私はFDRと同政権幹部の行った隠蔽工作を白日の下に晒さなければ気が済まない。アメリカ国民は真実を知らなければならない。」(206p)

フィッシュは、「日米開戦の責任は、一重にFDRにある」と断言して憚らない。

なぜ、そこまで、断言できるのか?

フィッシュは、事実とその経過を説得力ある言葉で語る。大げさと言われるかも知れないが、全ての日本人が、彼の言葉を聞くべきだ。

(「ウェストポイント」では、「あそこまでアメリカにやられれば、日本のとるべき最も合理的で最も正当なことは、戦うことしかなかった」と教えている。これは、国際政治学者、ミアシャイマーが自らの体験として語っていることだ。このような認識は知日派には、公言するかしないかは別として存在する。しかし、「二人のライス」のような国務省スタッフや「ニューヨークタイムズ」のリベラル記者にはこれからもあまり期待できないだろう) 

3 FDR:ルーズベルトとは、何者だったのか?

 アメリカを代表する歴史家の一人、A.シュレジンジャーは、アメリカの産んだ最も偉大な大統領の一人としてFDRの名前を挙げる。これは、アメリカ多数派の見解だろう。

「ニュー・ディール」でアメリカの不景気と失業を克服した大統領。史上初の四選大統領として第二次大戦をアメリカの勝利に導いた偉大な政治家。

しかし、フィッシュは、「FDRは読書をしない。することは政治屋としての裏の交渉である。その執拗さと権力欲は度外れなものだ」と指摘する。

「ニューディール」が失敗に終わり、一千万人の失業者を抱えたFDR政権はウォール街との新たな盟約を結びつつあった。彼等は不用意に口にしたり文書に残したりはしなかっただろうが、「ニュー・ディール」の破綻を粉塗するにはもはや「戦時経済」の公共支出しかないことは黙示的に了解されていたはずである。

後にアメリカが世界に武器を担保した「レンドリース法(武器貸与法)」は、まさしくその象徴である。

 

また、既に死期を迎えていたFDRが四選出馬し、当選後、「ヤルタ会談」でアメリカの戦利品の大半を、抑圧と粛清の権化スターリンに献上したことは、歴史上稀に見る愚行であった。

「ヤルタ」が無ければ、まだFDRに同情の余地はあったかも知れない。しかし、彼が登用した取り巻きは、「後継をほのめかされて身動きが取れないハル」「リアリズムを欠いた財務長官モーゲンソー」や「ソビエトのスパイ、ヒスとホワイト」「毛沢東に希望を見いだしたラティモア」「FDRの機嫌を伺うためには何でもするマーシャル」。それに社会主義に疑いを持たず、世界からドイツと日本さえ駆逐すれば平和になると単純に考えるような軽薄な人々だった。FDRと取り巻きは、ソビエトを脅威とは見なさなかった。つまりそういった工作に取り込まれていたのである。

 しかも、それは「30万人のアメリカの若者の死と70万人の負傷者の犠牲においてなされたのだ」とフィッシュは言う。

あえて言う。世界全体で見れば、一億の死傷者なのである。ルーズベルトの名誉などどこにあるのだろう?

 

第二次大戦の真の原因と日米開戦の責任を語る上で、本書を無視することは何人にも許されないことだろう。歴史の因果、「もしも」という考察に読者を導いてやまない書物である。

 補説

「なぜ、アメリカ人は、『FDRのウソ』に気づいても批判しないか?」

ミアシャイマーによれば、「FDRのウソは、アメリカ外交上最も成功したウソの一つ」なのだそうである。アメリカ国民と世界には「大西洋憲章」というウソをつき、国民に日本に対する最後通牒「ハルノート」を隠匿するウソをつき、「真珠湾攻撃」を知りながら、キンメル、ショートら現地司令官にはウソもつかぬ代わり教えなかった。被害の大きさに愕然とすると「恥辱の日」と名付けて戦争キャンペーンに活用して、二人の将軍を怠慢により馘首して自身の責任を逃れるウソをつき、アメリカを戦争のただ中に導いた。

戦争が終わった後、真相が見えてくるとともにビーアドを嚆矢として、一部の論者が公然と論争を挑んだ。しかし、国民の支持を受けることはなかった。

 

アメリカ人は、こういったことを厳密に考えることになれていない。結果、アメリカは、世界最大の覇権国になったのだから、全体としてFDRは成功した政治家と考える。

「日本を戦争にまで追い詰めたのは、失敗じゃないか?」

「勝ったんだから、いいんじゃないか。それに日本を挑発しなかったら、第二次大戦にはなりえなかったよ」「結果オーライなのか」「おいおい、結果オーライを求めるのが政治家の仕事だろう。」ウィルソンとルーズベルトは、東大の加藤陽子から見れば、理想主義的な素晴らしい政治家である。だが、その欺瞞を知る人間には、たまらなく愚かな、20世紀に災難をもたらした政治家たちである。

現在のアメリカを見ると、彼等に対する率直な批判は「タブー」である。その理由は、「真実は明瞭だが、それを言えば、今のアメリカの立場は甚だしく困難なものになる。アメリカはアメリカの主張の正当性を訴えることができなくなる」からである。このことは、日本人として知っておいていいことである。

「A級戦犯合祀問題」も吹っ飛ぶ!

今さら私が感想を書くまでもないほどの、素晴らしいレビューの数々のあとにスミマセンが・・。

 

この原書がアメリカで発売されたのが1976年ー。

その2年後の1978年に、靖国神社ではA級戦犯が合祀されています。この本を読むと、「A級戦犯」などと呼ぶこと自体、申し訳ないですっ!!歴史というのは「勝者によって書かれる」ということを、あらためて痛感しましたし、モヤモヤしてたものがスッキリしましたっ!!なにより、私のようなオバサンでも通読できるくらい、わかりやすい文章です☆

新しい?歴史認識 


この本を読もうとする人であれば、隔離演説やハル・ノートなんて日米開戦に関する話は既にご存知でしょう。

ルーズベルト政権が共産主義者のスパイだらけでソ連を援助し、スターリンの望むままに参戦までした。第二次大戦の真の勝者はアメリカではなくソ連であった。という歴史認識もそれなりに見聞きするようになりました。が、ヒトラーに対し融和的な政策をとることでその目を東に向け、ソビエトを戦わせるはずだったのが、ルーズベルトの横槍のせいでヒトラーの目は西へ向かってしまい第二次大戦が起こってしまった。という歴史認識はほとんど語られてこなかったのではないかと思います。どこぞの歴史研究者などではなく野党だったはいえ、共和党の重鎮だった「生き証人」によるですので、「これが真相だ」と言えるだけの説得力があります。

 

そうは思わない方であっても、この時代に興味があるなら一読の価値は十分にあると断言します。

ハミルトン、事実を伝えてくれてありがとう

なぜ、このような事実が周知されないのか、もどかしい。声が大きければ勝つという、低俗な慣わしは終わりにしなくてはいけない。

コインの裏側の歴史も知らなければならない。

先に読んだ『よし、戦争について話をしよう。戦争の本質について話をしようじゃないか!』の中でオリバー・ストーンが講演でヘンリー・ウォーレスは、フランクリン・ルーズベルト大統領の下で41年から45年1月まで副大統領を務めていた歴史に埋もれた稀有な政治家だったと語っていた。

 ルーズベルトの死後ハリー・トルーマンが大統領になり、ヘンリー・ウォーレスは内閣に留まったもののルーズベルトが思い描いていた世界をトルーマンが裏切っていくのをやるせない思いで見ていたそうである。

 もしヘンリー・ウォーレスが大統領になっていたら広島、長崎への原爆投下もなかったと、オリバー・ストーンは語っていた。

  本書『ルーズベルトの開戦責任』を読み終え、ルーズベルトが歴代アメリカ大統領でも五本の指に入る業績を残した大統領だというのが現在でもアメリカ国民のほとんどのコンセンサスとなっているようであるから、オリバー・ストーン氏もルーズベルト大統領の功績と罪過について深く考察することもなく罪過の方向には目を閉じているのだろう。

 本書を読み終え、オリバー・ストーンが語っていたように、ハリー・トルーマンではなくヘンリー・ウォーレスがアメリカ大統領になっていたら広島、長崎への原爆投下もなかっただろうなどと言い切るのに疑問が残ってしまったのである。

 特に本書の著者ハミルトン・フィッシュが問題にしたのは、ルーズベルトが「ハル・ノート」の存在を議会や国民に隠していたことである。

 ハル・ノートを最後通牒として日本を追い詰め日本が開戦するよう仕向けたのが事実であれば、まんまとその手に日本の指導者はのせられたのである。

 当時の日本の外交はナチスドイツ任せであり、独ソ不可侵条約や独ソ開戦は日本の立場を翻弄し、気が付けば大国アメリカまで敵に回すことになってしてしまっていたのである。

 日本は、ナチスドイツやヒトラーの危険性やソ連のスターリンの狡知さを知ることもなく、日本は同盟国を間違えてしまったのである。

 アメリカから石油を輸入する国がアメリカを敵にして近代戦を交えるなど「窮鼠猫を食む」といってもあまりにも稚拙な決断だったのではなかろうか。

 ヒトラーの快進撃に目がくらみ戦争に踏み切ったとしたら「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」という孫子の言葉をかみしめていなかったということに尽きると思えてならないのである。

 歴史に「もし」は禁句であるが、日本がハル・ノートに対してとことん交渉の場にアメリカを引き込み譲歩することができたら、泥沼の中国戦も避け得たし、真珠湾奇襲もなかったかもしれないと評者は夢想してしまうのである。

 本書のなかで著者は、日本が降伏するのは時間のもんだいであり、アメリカが原爆を使用したことにたいして、マッカーサー将軍、ニミッツ提督あるいは多くの科学者が、使う必要はなかったと述べている、と記述している。(P249〜250)本書を翻訳した渡辺惣樹氏が、あとがきで、・・・ルーズベルト外交は正しいとする史観(ルーズベルト神話)に疑義を呈する本書は、「正史」(コインの表側)に対する「外史」(コインの裏側)である。本書の原題が「FDR:The Other Side of Coin」とされているのはそうゆう意味である。「正史」を信じる歴史家に無視されてきた本書を、2014年という節目の年に翻訳上辞できたことは訳者として望外の喜びである。・・・(P340)

 と記していたが、本書を読み終え、第一次大戦後のベルサイユ条約の怨念がナチスドイツを台頭させ、大戦勃発のトリガーとなったことが理解できるし、ルーズベルトが多面的(ポーランド問題など)に画策していたことなどコインの裏側の歴史を知ることができるから、いまだコインの表側の歴史「ルーズベルト神話」を信じているアメリカ国民に、歴史の真実がいったいどこにあるのかを思考するためにも、本書でコインの裏側の歴史を読むよう勧めたい。

 もちろん多くの日本人にも・・・。

長年の疑問が解けた 

戦後生まれの我々は、太平洋(大東亜)戦争の原因は、軍部の暴走だけが原因だと教えられ、武力を放棄することが平和への近道だと教えられてきた。

しかし、小学生の頃から、何故日本がアメリカのような大国に戦争を仕掛けたのかとずっと疑問に思っていた。その疑問は本書を読むことによってきれいに解けた。カリフォルニア州の排日移民法などの人種差別も原因の一つではあるにせよ(「日米開戦の人種的側面 アメリカの反省1944 」参照)、フランクリン・ルーズベルトとその取り巻きの悪企みにまんまと引っかかって開戦せざるを得なくなった日本の外交力のなさも反省すべきだが、開戦の直接原因となった最後通牒、ハル・ノートの存在をアメリカ国民が長い間(今でも?)知らなかったというのにはあきれて開いた口が塞がらなかった。

また、ダンツィヒの領有権にのみこだわっていたヒトラーの目を西に向けさせたのもルーズベルトの責任であるとする理由も詳細に述べられていて、余命をかけて本書をしたためた著者の熱意が伝わってくる。

GHQに強制された歴史だけを学ぶのではなく、真実の歴史を学ぶには最適の一冊である。

日米開戦及びヨーロッパ大戦の真実に迫る 

戦後70年の節目を迎え、未だ戦後レジュームにとらわれたままの我国の現状を見ると、いったいあの戦争は何だったのであろうかと歴史の真実を調べたくなった。

古代より人間の歴史は戦争の歴史であり、悲惨で残虐な史実をみると、激しい怒りと復讐心に燃えてしまう。然し、歴史は過去の既成事実であり、もしこうであったらという仮定は許されない。

戦勝国史観のプロパガンダに騙されず、歴史の真実を見極め、教訓とするのが、今生きている我々の務めであると思う。 

開戦時の日本政府及び軍部は対米戦には絶対勝てないことを承知していた。

ならば何故、勝てない戦に打って出てしまったか。

開戦後どう収拾しようと考えたのか。大陸から兵を引いて対米戦に総力を結集すべきではなかったのか。

 格好の口実にされた真珠湾奇襲攻撃、如何なる理由で企画立案され採用されたか非常に興味ある問題であり、これはこれで調べてみたいと思う。 

著者ハミルトン・フィッシュは、フランクリン・ルーズベルト政権時の野党共和党を代表する下院議員で、日米開戦時真珠湾攻撃を見て開戦に同調する議会演説をしてしまったが、その後ルーズベルトに騙されたことを知って、その開戦責任を追及し、スターリンに宥和政策を取ったことを批判した。

フィッシュは第一次大戦では黒人部隊を指揮して戦った経歴を持つ。

第二次大戦では、ルーズベルトの意に反して、米国の議員代表としてナチスドイツの開戦を抑えるべく奔走した。 

本書の原書は建国200年目に当たる1976年にフィッシュ87歳にして上梓された。

ルーズベルト神話、戦勝国史観のプロパガンダの中、時も経て、世を去る前に本当のことを残しておきたいという強い想いで出版されたものである。

 「ヨーロッパ戦線でイギリスとしては米国の参戦がほしいが、ナチスドイツは米国との対戦を避けており挑発に乗ってこない、そこで三国軍事同盟を結んでいる日本を開戦させれば米国も参戦できるという企みでハルノートという最後通牒を突きつけた」というのが通説であった。

 フィッシュはルーズベルトの政敵でありその欺瞞を追及しているが、努めて当事者の言葉を引用して客観的な真実を伝えている。

第二次大戦の米国の立役者ルーズベルトの政敵で一時は協力もしたもののその欺瞞を見抜き、下院議員として最大限和平に働いた当事者としての歴史の証言は信憑性があると同時に大戦の経緯とからくり、戦後体制の生い立ちまで理解させてくれる。 

特に本書で新しく知った事、認識を新たにしたことを述べてみたい。

 まず一番驚いたのは、ハル国務長官のスタッフにソ連のスパイがいたことは知られていたが、ルーズベルトの周りも共産主義者が多かったこと。ルーズベルト自身は容共者であるとしているが、成る程共産主義でなくてもこれに宥和的な存在や社会主義的志向を持つ者などが容共者かと。我が日本の政界を見ると左派系は共産主義とその分派と考えるより、共産主義と容共者と考えればなんとなく納得がいく。戦前の近衛首相のスタッフにもソ連のスパイがいたことも考えれば、共産主義の拡散力、影響力には改めて驚く限りである。

 ルーズベルトがスターリンに譲歩してしまい、世界の版図に大きく食い込ませた。容共者、共産主義者が蔓延ったルーズベルト政権ではさもありなんと思うが、結局大戦の最大利得者はスターリンであり、東ヨーロッパをいわば植民地にし、中国を共産化してしまった。


 ヒトラーがワイマール体制で削られた失地回復さえできれば関心は東部方面であって必ずしも西部方面の対英仏は避けられた可能性があったということ。これはルーズベルトがスターリンの意をくんでいた(或は共産主義の取り巻きがそう仕組んだ)と考えれば、意図的に西部方面に仕向けた可能性もある。

ダンツィヒ帰属問題で英米がポーランドを唆して強気にさせてしまい、結果、独ソ不可侵条約を結んだヒトラーはポーランドに侵攻し大戦の火ぶたを切ってしまった。

 強者の驕りがヒトラーを台頭させ、弱者の驕りがポーランド一国を壊滅させ国民に塗炭の苦しみを与えた。これは偶然なのか、はたまた必然のなせる業か。大戦の結果、数千万の将兵が命を落とし、また無数の民衆も大過を被り、皮肉なことに連合国の大西洋憲章の精神とは真逆に、数億に及ぶ共産化された諸国の民衆は共産全体主義に抑圧されてしまった。余りにも重い歴史の教訓である。

ルーズベルト神話の崩壊

米国では神と崇められるフランクリン・ルーズベルト(F・A)を著者は悪魔の申し子と弾劾する。 ヤルタ会談でのスターリンとの密約を世界への裏切りと断罪する。 東欧、満州、南樺太、国後、択捉をソ連に売り渡した張本人と非難する。 蒋介石には事前の相談もなく満州と旅順、大連港の割譲を約束し、戦後日本の敗退後は共産党軍を支援して蒋介石軍を敗退させ、中国そのものをソ連の属国として差し出した。 蒋介石の国民党軍は日本軍と戦争するための米国の傀儡、傭兵軍にすぎなかった。 目的が達成されれば蒋介石に政権を与えず切り捨てる。 米国の2枚舌外交は自ら大西洋憲章を破り2度に渡って蒋介石を裏切ったのである。 他国の領土を勝手に白人国家で分断、支配する。 ソ連も大西洋憲章に署名したが、東欧の民族自立を認めなかった。 無論アジアやアフリカの国にも適用されない。 ソ連のスパイ、ホプキンスとヒスに操られたルーズベルトはスターリンにあらゆる譲歩をする。 国際連合設立の際には2人で世界支配をするためという。 F・Aは日本にもハルノートを突きつけて対米開戦に踏み切らせる。 著者はハルノートの内容に愕然とする。 受け入れれば日本国家の消滅と国民の餓死を招きかねないと憤慨する。 しかも合衆国憲法を踏みにじった事実上の宣戦布告だと指弾する。 米国民にも議会の承認も経ずに秘密裏に日本政府に手交されたことは米国がスターリンやヒットラーに劣らない独裁国家に成り下がったとF・Rを攻撃する。 本を読まないF・Rを裏で操っていたのは誰か。 戦争屋、国際金融資本家達か。 第1次も第2次世界大戦も賢明な処理をすれば局地戦で終わっていた。 なぜ世界大戦に拡大したのか。 戦争で儲ける利益集団がいたことは疑いようがない。    

大東亜戦争開戦の責任

大東亜戦争は日本の宣戦布告なき真珠湾攻撃で始まった、その責任は日本にあると言ふのが従来の一般的な考え方であった。が、そうではなかった事をこの本は、明確に証明している。著者ハミルトン・フィッシュは元共和党の重鎮で、民主党のルーズベルトとは仲が悪かった。が、政権の中枢の事情に詳しく、ルーズベルトの外交政策に常に懐疑的、批判的であり、ルーズベルトという政治家本人を人間的にも政治的にも信用していなかった。フィッシュ自身は第一次対戦では黒人部隊の指揮官として戦い、その後政治家となり下院議員に選出され、ヨーロッパに起った戰爭に米国が参戦することには真っ向から反対していた。当時、米国民の85%が同じ考えであった。が、ルーズベルトは孤立したイギリスを助けるべく参戦したくて仕方がなかった。現にアメリカ海軍は宣戦布告なしに大西洋ではドイツ海軍と敵對関係にあったのである。が、ドイツは一向にアメリカとの戦争に踏み切ろうとしない。そしてアメリカからの一方的な對独宣戦布告は国内與論からしても不可能である。

ルーズベルトは既に対日経済封鎖で日本を経済的に追い詰めていたが、ドイツの同盟国である日本をして対米戦に踏み切らせることが出来れば、国民に批判されることなく、この問題は一挙に解決できる。かくて、ルーズベルトの打った手がハル国務長官による対日最後通牒であった。それは、ヴェトナム、支那大陸、満州国から日本軍を全て無条件で撤退させよ、と云うもので、東京裁判で日本人被告全員を無罪としたインドのパル判事が言っているように、モナコの如き小国すら武器を取って立ち上がったであろうような屈辱的最後通牒であった。しかも、その最後通牒は議会に通告もせず、議会の賛同も得ることなく行はれた憲法違反の行為であった。また、米軍の諜報機関は既に日本政府の暗号解読に成功しており、宣戦布告も真珠湾攻撃もルーズベルトは事前に知っていたのである。が、彼は真珠湾攻撃をハワイのキンメル提督やショート将軍にわざと報せなかった。それは後に裁判沙汰となり、ルーズベルトの開戦責任が問はれることとなった。これはアメリカの一部の歴史家や知識人の間では(或は一般の人々の間でも)疾うに知られていた事實だが、日本では未だによく知られてはいない。フィッシュの著書は国際政治の舞台裏での、ルーズベルト政権の老獪にして悪辣な外交戦略を頗る明確に描いており、大東亜戦争に關する日本人の自虐的な歴史観を変えてくれるやうな画期的著書だと思ふ。

15:45 2015/12/30 

139・フィシュ日本は最も信頼できる友好国、

142・フィツシュは愛国者であるがゆえに、大統領が社会主義に、

143・フィツシュはのちのハルノーとのことを知り、日本の開戦に賛成演説をしたことを大変後悔した。「アメリカはいかにして日本を追い詰めたか」本・

 

アメリカはいかにして日本を追い詰めたか: 「米国陸軍戦略研究所レポート」から読み解く日米開戦 単行本  – 2013/11/21 ジェフリー レコード (著),    Jeffrey Record (原著),    渡辺 惣樹 (翻訳)5つ星のうち 4.5

     23件のカスタマーレビュー 内容(「BOOK」データベースより)

ルーズベルト外交の失敗が、日本に戦争を決断させた。2009年に発表された米陸軍のオフィシャル・レポートに詳細な解説を付し、真珠湾攻撃に帰着した日米外交の真実に迫る。新視点による瞠目の「太平洋戦争開戦史」。


 著者について・国防政策専門家。外交政策研究所、ハドソン研究所のシニア研究員。現空軍大学教官。

日米近現代史研究家。著書に『日米衝突の根源 1858―1908』『日本開国』、訳書に『日米開戦の人種的側面 アメリカの反省1944』ほか。『日米衝突の萌芽 1898―1918』で本年度山本七平賞奨励賞受賞。

単行本: 222ページ出版社: 草思社 (2013/11/21)言語: 日本語

発売日: 2013/11/21

目次

序章 日米開戦のプロセスを検証する

1章 真珠湾攻撃とは何だったのか

2章 日本の侵略とアメリカの反応―一九三七‐一九四一年

3章 日本の判断の基礎となった仮定

4章 日本の決断

5章 失敗したルーズベルトの日本牽制

6章 経済的な締めつけの代償

終章 汲みとるべき七つの教訓

 

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太平洋戦争をアメリカ外交の成功と見なすか

太平洋戦争は、アメリカにとっても膨大な国力を費やし多大な犠牲で成り立った戦争でした。この戦争を引き起こす原因に、よく言われるのが対独戦争への参入のためですがそれだけでは理解できずアメリカが欲しがったのは、中国市場であり。

当時、中国との貿易が可能であったのは、イギリスと日本だけだった同盟国のイギリスとは戦争は出来ず。結局、アメリカは日本から中国市場を奪うために開戦を望んでいた日本に対して繰り返し挑発を行い。

実際、ベトナム戦争で自作自演のトンキン湾事件で開戦に追い込んだように、日本に対しても自作自演に近い方法で開戦に追い込もうとした計画があった事が判明しています。真珠湾攻撃で不発に終わった計画でしたが、この事実を考えれば、遅かれ早かれ戦争は起こったでしょう。

そうして太平洋戦争で勝利を収めたが中国の内戦では当初の予想を覆し、共産党が勝利を収め。結局、中国市場は得られずさらに深刻な問題として、日本が辛うじて防いでいた。ソ連の南下を、日本の弱体化で招くことになり。

その結果、朝鮮半島の北半分までソ連の影響下に入ったことで、アメリカは戦後も長期化する冷戦の中で国力を費やすことになりました。

この結果を考えると、対日戦争は必ずしもアメリカの外交的な勝利とは言いがたく。それどころか、当初の戦略目的はまったく得られなかったのだから、むしろ失敗であったと判断するしかありません。

こうした問題で深刻なことは、日米開戦の前からアメリカのアジア政策の専門家たちは、これを予知していた事実です。日本はすでに中国との戦争で、国力を衰退している何れどうにでもなる。それより今、日本を潰せば、ソ連の南下を招くことになりより深刻な事態に陥ると、アジア政策の専門家たちは、ホワイトハウスに提言していました。

それでも戦争に踏み切ったのは、イラク戦争がそうであったように、アメリカの強硬姿勢は理性的ではなく、感情的な側面が非常に強いからだと考えるしかない。

もちろんアメリカはいまでは日本のもっとも重要な同盟国であり今後も在り続けるべきだと思いますがこのような国であることを理解した上で付き合わなければならないと、私は思います歴史を直視するのなら、自国の失敗や残虐行為を取り上げるだけではなく、隣国や友好国の問題や失敗もちゃんと議論して考える必要があるでしょう。

アメリカは感情的で暴力癖のある厄介な国であり、外交は決して上手い国ではないそのことは知っておいてくださいアメリカのとあるえらい人の個人的な意見という感じがした

著者は「日本は侵略戦争をした。謝罪と反省が足りない」というスタンスだが、同時にアメリカに対しても「戦争を避けようとしたが日本が攻撃したので仕方なく応戦した」などと自己弁護に陥ったりしない。

「日本が一方的に戦争を仕掛けたのではない。」「互いに相手や状況を誤解していた。歴史から学ぼう。」と現実的。

この本の解説が気に入った↓自虐史観の根本は「日本が身を正せば世界は平和になる」という思想である。それがいかに空虚な主張であるかは言を埃たない。

太平洋戦争をアメリカ外交の成功と見なすか 

太平洋戦争は、アメリカにとっても膨大な国力を費やし多大な犠牲で成り立った戦争でした。この戦争を引き起こす原因に、よく言われるのが対独戦争への参入のためですがそれだけでは理解できずアメリカが欲しがったのは、中国市場であり。

当時、中国との貿易が可能であったのは、イギリスと日本だけだった同盟国のイギリスとは戦争は出来ず。結局、アメリカは日本から中国市場を奪うために開戦を望んでいた日本に対して繰り返し挑発を行い。

実際、ベトナム戦争で自作自演のトンキン湾事件で開戦に追い込んだように、日本に対しても自作自演に近い方法で開戦に追い込もうとした計画があった事が判明しています。真珠湾攻撃で不発に終わった計画でしたが、この事実を考えれば、遅かれ早かれ戦争は起こったでしょう。

そうして太平洋戦争で勝利を収めたが中国の内戦では当初の予想を覆し、共産党が勝利を収め。結局、中国市場は得られずさらに深刻な問題として、日本が辛うじて防いでいた。

ソ連の南下を、日本の弱体化で招くことになり。その結果、朝鮮半島の北半分までソ連の影響下に入ったことで、アメリカは戦後も長期化する冷戦の中で国力を費やすことになりました。この結果を考えると、対日戦争は必ずしもアメリカの外交的な勝利とは言いがたく。

それどころか、当初の戦略目的はまったく得られなかったのだから、むしろ失敗であったと判断するしかありません。

こうした問題で深刻なことは、日米開戦の前からアメリカのアジア政策の専門家たちは、これを予知していた事実です。日本はすでに中国との戦争で、国力を衰退している何れどうにでもなる。それより今、日本を潰せば、ソ連の南下を招くことになりより深刻な事態に陥ると、アジア政策の専門家たちは、ホワイトハウスに提言していました。

それでも戦争に踏み切ったのは、イラク戦争がそうであったように、アメリカの強硬姿勢は理性的ではなく、感情的な側面が非常に強いからだと考えるしかない。もちろんアメリカはいまでは日本のもっとも重要な同盟国であり今後も在り続けるべきだと思いますがこのような国であることを理解した上で付き合わなければならないと、私は思います歴史を直視するのなら、自国の失敗や残虐行為を取り上げるだけではなく、隣国や友好国の問題や失敗もちゃんと議論して考える必要があるでしょう。

アメリカは感情的で暴力癖のある厄介な国であり、外交は決して上手い国ではないそのことは知っておいてください日本を開戦に追い込んだ米国外交の米国による批判が分かる投稿者真実真理

この本は、米国の国防政策専門家のジェフリー・レコードが開戦に至る原因を分析してまとめ上げた米国陸軍政略研究所レポートの訳本である。この本は、決して、日本の行動を擁護してはいないし、満州、中国における事情や日本の真意を理解していないし、日本や日本人に対する多大な誤解や蔑視があるが、日本が勝ち目のない戦争を米国に挑まざるを得なかった原因と理由を、米国の観点から分析している。

結論は、「1941年に日本がアメリカとの戦いを決意した動機は、一つには日本の誇りの問題であり、もう一つは、アメリカによってもたらされた日本経済の破綻であった」としている。米国は日本経済に強い圧力をかけることで日本の東南アジアへの進出を牽制し、インドシナ及び中国からの撤退を要求した。つまり日本という国家の権利の放棄と、米国との交易再開を天秤にかけさせることになった。これは、日本が、国際関係において、唯々諾々と米国の主張を受け入れる国になることを宣言することを意味する。どのような国であれ、このような屈辱的な条件を呑み、国家としての面子をつぶされる事態を甘んじて受けることはない。日本という国家なら、なおさらである、とある。

事実、日本は、領土の支配欲はなく、蒋介石との間で和平を結び治安を維持し平和で安定した中国の建設を望んでいたのであるが、英米が中立法に違反して軍事物資、資金、人材(兵)の提供をしていたために、講和が図られず、治安が維持されないため中国から撤兵ができないでいた。この事情を無視して、米国は自らが蒋介石を支援して和平を妨害しておきながら、即時撤兵を要求した。米国は、1939年7月に日本に対して一方的に通商条約破棄を申し渡し、1940年1月から1941年7月に掛けて、航空燃料、鉄鋼製品、潤滑油、屑鉄、工作機械、銅、真鍮などの日本の工業に必要不可欠な資材の輸出制限及び全面禁止に至り、遂に、1941年7月26日に日本の在米資産を凍結し(すなわち、日本の米国から輸入を不可能にした)、8月1日全面的に石油の輸出を禁止し、日本の生殺与奪権を握ったのである。また、英米は、ゴム、錫などの天然資源のマレーシア、インドネシアから買い占めを行い日本に資源を回さないようにしている。米国が日本の南部仏印進駐を排斥する目的は、アジアを植民地化していた英国の弱体化を防止するためであった。

1941年8月末には、米国の対日経済戦争は最高潮に達し、日本は、東南アジア地域を占領するか、米国の要求に屈伏して経済的に窮乏し無力化に向かうかの二者択一を迫られた。米国の要求に屈伏することは、満州、朝鮮、台湾からの撤退を意味し、これまでの日本の大国としてのステータスを失い、国家目標を喪失することを意味した。日本は、国家の生存を米国の寛容さに依存しなければならず、米国の要求は、日本としては到底、容認できるものではなかった。

日本は、米国との戦いを決意しようが、米国の要求に屈しようが、どちらの選択をしても国家的破滅となることは避けようがなかった。日本は戦うしか道がなかったのである。戦わずして降伏することは、日本が物理的に破滅するだけでなく精神的にも崩壊することを意味したとある。

米国が中国からの無条件即時撤兵を要求したことが、日本に交渉の継続を断念させたとある。逆に言えば、米国は東アジアをめぐって日本と戦ったのではなく、中国をめぐって日本と戦ったのである。日本が米国領のハワイではなく、英国、オランダの植民地だけを攻撃していたならば、ルーズベルトは米国議会での宣戦布告の承認と国民の賛成を得られなかったであろうという。

苛酷な経済制裁(パリ不戦条約によると、経済制裁は戦争の先制攻撃とされている)による恫喝により、ルーズベルトらの米国政府は、要求通り、日本が中国から即時撤兵をすると考えていたのであろうか。米国は、外交の稚拙さにより、しなくとも良い日本との戦争を起こし、戦争責任の半分は、フランクリンルーズベルト政権にあったとしている。

最後に、1941年11月26日に野村駐米大使に手渡された、米国の宣戦布告とも言うべき、いわゆるハルノートについて、本書訳者の渡辺惣樹氏が解説している。このハルノートは米国議会はもとより国民にも知らされていなかった。下院議員ハミルトン・フィッシュは、ハルノートを知らずして、参戦賛成演説をしたことを、後日、恥ている。フィッシュは、ハルノートは、戦争になることが分かりきった明らかな最後通牒であるとしている。ルーズベルトが対日宣戦布告の同意を求めるために議会でなした「恥辱の日」演説には、開戦僅か16時間前に天皇へメッセージを送達したことに触れて交渉継続中であったと偽装しているが、最後通牒(ハルノート)の言及は一切なく、その後もこれを隠し続けて、ルーズベルトは民主党議員も共和党議員も国民も欺いたと、フィッシュは述べている。

本書のレコードレポートは、決して、日本の真意を理解している訳ではないが、ルーズベルトの経済制裁を主とする外交の拙劣さを厳しく批判している。その意味で、極めて良書である。戦後、日本は一方的に侵略戦争を仕掛けて、アジアに迷惑を掛けてきたと教育され、それを疑わないできた日本人、特に、政治家、役人、学者、マスコミ人が、是非とも読むべき本である。多くの人が、是非とも読まれることを薦める。

外交とは、戦略とは、何か


この本が、米国陸軍戦略研究所(U.S.Army War Collage, Strategic Studies Insutitute)内のレポート訳文であることにまず驚きました。しかも2009年発表。webにアクセスすると確かにあって、pdfファイルをダウンロードできます。米国の懐の深さを思い知ります。

いまだに第二次大戦開戦の経緯を研究し、ベトナム、イラク、アフガンでの失敗の教訓とし、そして・・・

 

しかし、この本は翻訳がメインではありません。ページの後半半分は渡辺惣樹氏の解説となっており、むしろこちらが主です(と解釈しました)。SSIレポートを題材に歴史を学ぶ、というか歴史に学ぶ。

軍事は手段ではありますが、外交・政治・経済と一体のものということがよくわかります。日本の政治家、官僚、軍人(防衛関係者)に是非読んでいただきたいと思います。

日米開戦の責任の半分は、ルーズベルトにある 

日米戦争のことを考えるとき、多くの日本人は「ルーズベルトの悪意」に不可解な気持ちを抱くだろう。「日本をフィリピン以下の小国にし、中国の大国化を図り、アメリカの独占的市場にする」。なぜそんなことをルーズベルトは夢想できたのか?

しかし、日本では、現在でも日米戦争の原因を「海軍艦隊派と陸軍統制派の対立、国民のナショナリズムの暴発」に求める自国内だけを見た歴史解釈が主流である。アメリカの圧力に対するリアクションであるものが、原因と結果を取り違えた形で、中高生のための公的な教科書記述になっている。これは「自虐史観」と評されるが、なかなか改められないものの一つである。

 

本書は、アメリカ陸軍大学の付属機関である「米国陸軍戦略研究所」が出したレポートであり、著者、ジェフリー・レコード博士は米国空軍大学教官でもある。また、このレポートは、アメリカの軍事エリートの教科書として採用されているものである。

本書に於いて、著者は、「太平洋戦争のルーツは、日本の東アジアにおける軍事的侵攻だと考えるが、1941年の日米開戦の原因を作ったのはアメリカであり、同時に日本がアメリカの意志を正確に把握できなかったことが開戦の原因である。日本は、アメリカによって引き起こされた経済戦争の結果、国家としての誇りのために戦ったのである」と結論づける。

著者によれば、日米双方に、政策的な読み違いが存在した。ルーズベルト、ハルらは、経済制裁を強めれば、日本は無謀な戦争などしないだろうと考えた。しかし、日本は、日にちが経つほどに戦況は不利になると考え、「国家としての誇り」のために勝ち目のない戦いに突入した。また、背景には、人種偏見が双方に存在した、という。 

巻末には、訳者である渡辺惣樹氏による詳細な解説がついている。

渡辺氏によれば、「日米開戦」の真実については、アメリカの「正統派」歴史叙述は、「開戦を避けようとするアメリカ政府の和平努力にもかかわらず」、相互不信と誤解の積み重ねから、勝ち目のない戦いに日本が挑戦したというものである。

これに対して少数派である「修正派(レビジョ二スト)」の見解が、「ルーズベルトの悪意と共産主義への無警戒が日米開戦とヤルタの悪夢を招いた」とするものである。

この修正派の見解は、あくまで少数派に過ぎず、また将来のアメリカ軍の幹部養成学校の教科書として採用することはできない。そこで、レコード博士はあくまでルーズベルト政権の政策を誠実な試みとした上で、アメリカが実施したような厳しい「経済制裁」は実質的に「戦争」を意味するものであり、アメリカの政策選択には大きな問題があったというような書き方をしていく。渡辺氏によれば、「正統派」の叙述方法で、「修正派」と同じ結論に導いていくところに面白さがあるという。

 本書は、沢山の読みどころに溢れた魅力的な書物である。

「アメリカが、もし日本と同じようなことをやられたら、同じように開戦しただろう」「戦後、フランスがベトナムやアルジェリアで植民地戦争に拘ったのは、誇りのためであり、植民地がなければ大国とは認められないことを恐れたからである」。そういった分析や、近年の「イラク戦争」の評価など、示唆に富んだ指摘に満ちている。これはリアリスティックな捉え方ができなければ、国際関係を正常に保つことも軍幹部として適切な判断もできないと考えているからだろう。

また、田母神空幕僚長の例をあげて「日本は今でも本当には反省してない」と書いているが、これは日本を非難しているというより、「日本側にも正当な言い分があり、反省ばかりしていたらそもそもおかしいだろう」という認識が底にあるものと見なすこともできるのである。

米国を破綻させたルーズベルトの犯罪

本書は3部構成からなる。

日米開戦の責任のみならず、今日の世界の混迷と米国の破綻もルーズベルトに端を発するものである。第1部は米国の陸軍が出したレポートである。残念ながら著したレコード氏にも事実の誤認があることと、すでに日露戦争直後から米国の反日策動があったことには触れられていないことが残念なことであるが、ルーズベルト外交の帰結が日米開戦であることをずばり明らかにしている。この失敗から学ぶべき教訓として「「恐怖心」と「威信」」、「潜在敵国との歴史。文化への造詞」、「けん制される側の心理」等のつを案出している。異国への無理解がイラクやアフガンの失敗の原因であることをはっきりと指摘しているのは注目に値する。結局米国陸軍の将兵がルーズベルトの悪行の付けを戦場で血であがなっているのだ。兵士たちの苦衷を察するに余りある。そして過度の中国依存が結局日本というマーケットの喪失に繋がり、ソ連への無警戒が凶悪な共産主義思想のの伝染と世界の半分がスターリンに支配される結果となり、米国のみならず世界にとっても有害な結果となったことが明らかにされている。米国でも知性ある人々はルーズベルトの政策を賞賛しない。

第2部はルーズベルトの日本に対しての悪意の有無に焦点が当てられている。

ここではルーズベルト外交を正として賞賛する御用学者(第2次世界大戦は悪の日独ファシズムと自由と民主主義の米英ソ連との戦いという単純な見方)とルーズベルトの悪意を見る修正主義者の戦いとの主張と対立がわかりやすく記載されている。

民法では有罪、で刑事裁判ではまだ無罪というところが現在の状況である。さしずめ結論は米国がいまだ公表しない諸資料の開示をまたなければならない状況であるが、限りなく黒に近い灰色という印象を受ける。

第3部はハミルトン・フィッシュ議員のルーズベルトに対する戦いが描かれている。

非常に頼もしい議員である。彼のような議員こそ米国の正義というにふさわしい。日本の友人ともいうべき人物である。WW1では黒人部隊に所属して戦い、「米国は世界での民主主義の前に、国内の黒人問題をただすべきである」と堂々と主張する人物である。ルーズベルトの諸政策の欺瞞を見抜き共産主義の脅威に油断をしなかった闘士である。真に日本が友人とすべき人物である。オバマヤルーズベルトのような戦場に立ったこともない人物とは大違いである。

 

米国を世界大国にするとともに、ニューディールの失敗を世界戦争に求めたルーズベルト。中国や共産主義者と手をつなぎのさばらせたルーズベルトの犯罪は多くの犠牲者と悲劇を生んだ。また米軍兵士の断末魔の悲鳴が聞こえてくるような感がしてならない。本書ではまたルーズベルトがダンツィヒ問題でポーランドを無用に挑発しドイツとの戦争を勃発させたことにも触れられている。30年代中国の反日運動を激化させたのと同じことをヨーロッパで策謀(WW2を引き起こすため)したのだ。多くの人に触れてほしい良書である。

日米両方の視点で論説する良書

今年(2015年)は、第二次世界大戦終結から70年。

これほどの年月を経てなお、太平洋戦争勃発の契機となった「真珠湾攻撃」(1941年12月8日)は、日本人にとって、どこかすっきりとしない印象の事件ではないでしょうか。

どうみても勝ち目のない大国、アメリカに、日本は、なぜ戦争を仕掛けたのか?

大日本帝国軍部の暴走なのか、ルーズベルト大統領の陰謀か、近代史における大きな謎と私は感じてきました。

本書は、そんな私にひとつの解釈を提示してくれた作品で、同じような疑問を持たれている方にオススメできます。

本書は、大きく分けて、ふたつの論説で構成されています。ひとつ目は、米国陸軍戦略研究所という公的機関が公表している、ジェフリー・レコード氏の論文(レコード論文)で、アメリカ人の目で見た、日米開戦の分析です。

そしてふたつ目は、このレポートの解読のヒントで、レコード論文を訳した渡辺惣樹氏が、論説しています。いわば、日本人の目で見た、日米開戦の分析となっています。

 この本書の2部構成は、斬新です。

通常であれば、レコード論文は、渡辺惣樹氏が、自己の論説の中で、必要な部分を引用すれば済んでしまうところ、本書では、全文を翻訳し、掲載しています。これにより、自説に都合の良い部分だけを参照するという弊害が避けられ、良心的と感じられます。また、レコード論文自体が、公的機関の論文ということで、偏りのない論説になっていると、推測されます。

レコード論文では、1章で早々に、結論を要約しています。「1941年に日本がアメリカとの戦いを決意した動機は、一つには日本の誇りの問題であり、もう一つは、アメリカによってもたらされた経済の破綻であった」と。

この結論に、どのような説得力があるのか、それは、本書を実際に紐解いて、感じ取ってみて下さい。今後、我が国がアメリカとどの様に、関わっていくかを探る重要な資料

このところ人気の、元英国のジャーナリスト、ストークス氏や、カナダ在住のジャーナリスト、「日米の衝突の萌芽」の渡辺氏の、ながれで、読むと、F・ルーズベルトはけしからん男だという発想にはならない。むろん、オリバーストーンのように、彼を尊敬したり、賛美したりすることは日本人としてはできない。

そうした流れの中で、この本はかかれた。封印されたあまたの情報をもとに、日本をいかに、あるいけすの中に、政治的に、軍事的に追い込んでったかを、米国の主として、F・ルーズベルトが冷徹に、作戦指導し、陸軍が戦略実行していった過程が、記録され、それを開示したものである。

後半の渡辺氏の解説も、もともと、彼が開示されたレポートを読んでいるので違和感がなかったのだう。

当然、このレポートにはうまくいった自慢というニアンスが、また誇張、考えすぎなど散見されるも、特に驚くに値しないないようである。しかし結局のところ、先の大戦でルーズベルトの思惑と大きくはずれ、唯一、得られたものは、

基軸通貨国という地位と日本の属州化である。

失ったものは、得られたものより、大きい。例えば、基軸通貨国を守るために、世界の銀行、世界の警察という、国民の大多数が望んでいなかった結末である。

中国、ロシア、その他、イスラム諸国でさえ最早、仮想敵国として、常に怯えていなくてはならない。9・11のような、大規模なテロに、怯える様子は米国の「24シリーズ」を見たら、滑稽な茶番劇とは思わないだろう。

結局、F・ルーズベルトは、戦略で勝ち、大局で負けている。しかし、だからと言って、日本の戦前・戦後の指導者たちを、擁護することにはならない。この本で、我々が、学ぶべきは、歴史とは、忘れ去られるものではなく。

克明に、細部にわたり、記録し、何故そのとき、われわれの指導者は、誤ったのか、それは何故か、日本人特有の欠陥なのか?

司馬遼太郎の「日本人とは何か」などを参考にしながら、十分に検証していく態度が必要であるということである。真実は、プリズムやホノグラフのように、見方によってさまざまであるからである。

例えば、日本の旧軍部中枢は、ほぼ正確に、広島に特殊な兵器が何日に使用されるかという情報をつかんでいた。(この本には記述されてはいないが)

したがって、その情報を知っていた軍関係者は、分厚いコンクリートの塹壕の中で、事態を観察してた。

この様な事実が、キチット残されていないことが問題なのである。

幸いこの事実は、NHKのスペシャル番組「活かされなかった情報」として、見た人は知っている。

例えばそんなことが、記録として残されているのか、好事家的な小説家の手で集められたものでなく、組織的に集大成され、真実かどうかも含めて分析され、公開されていくことが重要なのである。

この本を読んで、つくづく、「経験に学ぶものは愚者であり、歴史に学ぶ者は賢者である」ということを感じる。戦後の愚民政策のおかげだというなかれ、一人一人の日本人の人間力の問題である。アメリカのとあるえらい人の個人的な意見という感じがした

著者は「日本は侵略戦争をした。謝罪と反省が足りない」というスタンスだが、同時にアメリカに対しても「戦争を避けようとしたが日本が攻撃したので仕方なく応戦した」などと自己弁護に陥ったりしない。

「日本が一方的に戦争を仕掛けたのではない。」「互いに相手や状況を誤解していた。歴史から学ぼう。」と現実的。

この本の解説が気に入った↓

自虐史観の根本は「日本が身を正せば世界は平和になる」という思想である。それがいかに空虚な主張であるかは言を埃たない。

不可解なレビューが見受けられる

ジェフリー・レコードの原文を読みました。最初の方でレコード氏は、「日本人はドイツ人とは異なり、過去の征服戦争ならびに占領地の人々に対する残虐極まりない仕打ちと、向き合う事を拒否してきた。そして広島と長崎に対する米国の原爆投下は、東アジアにおける日本自身の逸脱行為に対する日本の道徳的責任を帳消しにする、という議論は実に馬鹿げている」と書いています。これが氏の基本的な立場のようです。その上で、当時の日本という合理的には動かない国に対する、ルーズベルトの政策が犯した誤算を指摘し、現在の米国の対イラン政策が、こうした誤算に基づいたものにならないよう戒めて、文章を締めくくっています。この原文は、過去の教訓を米国の政策に生かすべきだと言う、至って普通の内容です。それ以上でもそれ以下でもない。日本に関する分析も、過去の他人の著作の寄せ集めをまとめたものにすぎない。どうしてこのような不思議な解釈やコメントが書かれているのだろう、と、幾つかのレビューを不思議な気持ちで読ませていただきました。

アメリカは日米開戦を意図していたのか否か、両論併記な点が気に入った。

アメリカによる経済制裁は日米開戦を意図してなされたものであったのか、それとも日本の南進を阻止する為のものであったのか。

著者はルーズベルトは「欧州参戦の口実を得る為に日本を経済制裁によって追い詰めた」とする陰謀論者ながら、自論に対する決定的な反論を二点あえて紹介している。

 

一つ目は「日本を自国との戦争に仕向けたところでアメリカは欧州参戦の口実を得られなかった」という点。

日独伊三国同盟では日本が勝手に始めた日米戦に対し、ドイツに参戦の義務は生じない。

国民の80%以上が欧州参戦に反対している以上、アメリカにとって「真珠湾攻撃」だけでは欧州参戦は不可能だった。

アメリカは「真珠湾攻撃」によってではなく、その4日後の「ヒトラーのアメリカに対する宣戦布告」を受けて初めて、欧州参戦が可能となったのだ。

日米開戦を受けたヒトラーが側近の反対を押し切り対米宣戦に踏み切ることを、ルーズベルトが事前に確信できたわけがない。

 二つ目は「アメリカによる経済制裁を受けたところで、日本がアメリカに戦争を仕掛ける必要は無かった」という点。

アメリカによる経済制裁は南方資源獲得によって無効化でき、それはアメリカとの戦争無しでも十分可能だった。

すなわち日本は米領フィリピンには手を出さず、対英蘭に限定して宣戦布告しその植民地である南方資源を占領すればよかったのだ。

もしこの作戦が実行されていたなら、アメリカ参戦はなくイギリスは窮地に陥っていたに違いない。

陸軍が支持したこの作戦に反対し、根拠のない「米英不可分」を理由に「日米開戦」を強硬に主張したのは帝国海軍に他ならない。陰謀論者の多くがこの二点を無視する中、本書の主張はは非常に公平で好感が持てた。

15:27 2015/12/30 

第7章 対日戦の終戦処理を誤った米英の大罪・116頁・

第8章 しなくても済んだ、朝鮮戦争とベトナム戦争・185頁・

第9章 ニクソンが作った中国というフランケンシュタイン・199頁・

終章 「迷走する巨人」アメリカと日本・221頁・


平成27年12月30日・

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アメリカ現代史(外交史)の実証的検証に依る歴史的意義と評価.

本書のタイトルからはやや趣旨が掴みにくいが、端的には現在のオバマ政権に観る東アジア戦略(殊に「東・南 シ ナ 海」の海洋覇権を巡る対中国外交など)、シリア問題及びウクライナ政策の失敗を含め、F・ルーズベルト及びトルーマンのWW2(「太平洋戦争」)の戦略・戦後外交の失敗、ニ ク ソ ン政権の失敗(ベトナム戦争終結と中国国交)、ブッシュ政権の中東戦略の失敗(イラクの混乱と「IS」勃興の遠因)など、アメリカの現代史における戦略・外交の「失敗」を、当時の資料などを基に実証的に考察・解説するものである。このページの「商品の説明」には、本書のテーマであるアメリカについて「腕力だけはヤケに強いが、あまり賢くないために、自分で新たな脅威を次々に作り出していく……結果的にも自国の利益になってはおらず、愚かとしか言いようがない……アメリカ自身が原因となって……余計な戦争・紛争を……巻き起こしてきた……『アメリカ外交の失敗史』である」とあるが、本書のコンセプトを非常に良く表している。先日に本書と類似の趣旨でアメリカを歴史的に「実験国家」と捉える書籍を読んだが、本書の方が構成・内容・実証性・客観性の上で遥かにレベルが高いと思う。トピック構成は、前述のように時系列的ではなくて、オバマの「失敗」(第1~5章:東アジアでの対中国戦略、「IS」問題、アラブの混沌、ウクライナ問題、シリア問題など)を手始めにかつ中心トピックとして展開した後に、戦中・戦後の「失敗」としてF・ルーズベルト、トルーマン政策、朝鮮動乱・ベトナム戦争、「中国」を作り出した“ニ ク ソ ン外交”の失敗など、時系列順に追っていく。具体的構成・内容は前記「商品の説明」及び「目次を見る」に譲り、以下では個人的に興味を惹いたトピックを紹介したい。

 オバマ外交・政策の“弱腰”ないし「失敗」については、本書でも前半の大部を使って詳細な検証があり、改めて論を俟つまでもないが、中国の「南沙諸島」における覇権確立の主目的が、「核第2撃能力」を保持するための戦略原潜の「聖 域」としたいことが非常に判りやすく客観的に解説されているのは興味深い(25~32頁)。中国の「東・南 シ ナ 海」における独善(“傍若無人”と呼ぶべきか)は周知のとおりだが、かかる「中国」を作り出した端緒が、「ニ ク ソ ン・キッシンジャー外交」(1971年の米中対話及び国交正常化)にあり、“ニ ク ソ ン大統領”(当時)はベトナム戦争を体よく終結したいがために中国に接近し、北ベトナムへの圧力(終結への働きかけ)を狙ったもの(結局は南ベトナムへの侵攻を許し失敗)という経緯を観ている(208~220頁)。論理的整合性もあり説得力のある考察だが、蛇足ながら「中国」を巨大化させた一因には、6・4天安門事件で経済制裁を受けていた「中国」にいち早く右制裁解除をした日本にもあると私は考える。著者は更に、「中国」の右ベトナムへの働きかけの期待は「幻想」であり、かかる見せ掛けの力の「詐 術」は今も続いており、「北朝鮮をコントロールできないにもかかわらず、できるかのように振る舞い」続けている(216頁)と言うが、けだし慧眼と言うべきだろう。このほかウクライナ問題に関するEU(ドイツ)及びアメリカのご都合主義とロシアの思惑など(84~115頁)、中立的・客観的な考察が注目である。全体的にアメリカ現代史(外交史)の実証的・客観的な筆致と読み応えのあるトピック内容が特徴で、お薦めの1冊と思う。

前半は○

 オバマ大統領の不用意な発言が、南シナ海の混乱を招いた。また、ブッシュ大統領(子)は、大量破壊兵器の保有を口実にイラクに侵攻し、IS(イスラミック・ステイト)の台頭を招く要因を作った。

このあたりの事情を、「アメリカの大罪」と呼ぶのは、一理あると思います。

 後半では、一転、太平洋戦争の開戦・終戦について、著者の見解が披露されていますが、他の専門書と比べると、やや議論の粗さが見られます。

著者は、「ルーズベルトは、第二次世界大戦に参戦したかった」ことを、盛んに強調されていますが、英国や他の連合国からの働きかけがあったことも、記しておくべきでしょう。

また、1945年5月の時点で日本との和平が可能だった、とも述べられていますが、沖縄戦がまだ行われている中で、日本軍がすんなり応じたかなど、詳しい論証がほしいところです。

アメリカ現代史(外交史)の実証的検証に依る歴史的意義と評価.


 本書のタイトルからはやや趣旨が掴みにくいが、端的には現在のオバマ政権に観る東アジア戦略(殊に「東・南 シ ナ 海」の海洋覇権を巡る対中国外交など)、シリア問題及びウクライナ政策の失敗を含め、F・ルーズベルト及びトルーマンのWW2(「太平洋戦争」)の戦略・戦後外交の失敗、ニ ク ソ ン政権の失敗(ベトナム戦争終結と中国国交)、ブッシュ政権の中東戦略の失敗(イラクの混乱と「IS」勃興の遠因)など、アメリカの現代史における戦略・外交の「失敗」を、当時の資料などを基に実証的に考察・解説するものである。このページの「商品の説明」には、本書のテーマであるアメリカについて「腕力だけはヤケに強いが、あまり賢くないために、自分で新たな脅威を次々に作り出していく……結果的にも自国の利益になってはおらず、愚かとしか言いようがない……アメリカ自身が原因となって……余計な戦争・紛争を……巻き起こしてきた……『アメリカ外交の失敗史』である」とあるが、本書のコンセプトを非常に良く表している。先日に本書と類似の趣旨でアメリカを歴史的に「実験国家」と捉える書籍を読んだが、本書の方が構成・内容・実証性・客観性の上で遥かにレベルが高いと思う。トピック構成は、前述のように時系列的ではなくて、オバマの「失敗」(第1~5章:東アジアでの対中国戦略、「IS」問題、アラブの混沌、ウクライナ問題、シリア問題など)を手始めにかつ中心トピックとして展開した後に、戦中・戦後の「失敗」としてF・ルーズベルト、トルーマン政策、朝鮮動乱・ベトナム戦争、「中国」を作り出した“ニ ク ソ ン外交”の失敗など、時系列順に追っていく。具体的構成・内容は前記「商品の説明」及び「目次を見る」に譲り、以下では個人的に興味を惹いたトピックを紹介したい。


 オバマ外交・政策の“弱腰”ないし「失敗」については、本書でも前半の大部を使って詳細な検証があり、改めて論を俟つまでもないが、中国の「南沙諸島」における覇権確立の主目的が、「核第2撃能力」を保持するための戦略原潜の「聖 域」としたいことが非常に判りやすく客観的に解説されているのは興味深い(25~32頁)。中国の「東・南 シ ナ 海」における独善(“傍若無人”と呼ぶべきか)は周知のとおりだが、かかる「中国」を作り出した端緒が、「ニ ク ソ ン・キッシンジャー外交」(1971年の米中対話及び国交正常化)にあり、“ニ ク ソ ン大統領”(当時)はベトナム戦争を体よく終結したいがために中国に接近し、北ベトナムへの圧力(終結への働きかけ)を狙ったもの(結局は南ベトナムへの侵攻を許し失敗)という経緯を観ている(208~220頁)。論理的整合性もあり説得力のある考察だが、蛇足ながら「中国」を巨大化させた一因には、6・4天安門事件で経済制裁を受けていた「中国」にいち早く右制裁解除をした日本にもあると私は考える。著者は更に、「中国」の右ベトナムへの働きかけの期待は「幻想」であり、かかる見せ掛けの力の「詐 術」は今も続いており、「北朝鮮をコントロールできないにもかかわらず、できるかのように振る舞い」続けている(216頁)と言うが、けだし慧眼と言うべきだろう。このほかウクライナ問題に関するEU(ドイツ)及びアメリカのご都合主義とロシアの思惑など(84~115頁)、中立的・客観的な考察が注目である。全体的にアメリカ現代史(外交史)の実証的・客観的な筆致と読み応えのあるトピック内容が特徴で、お薦めの1冊と思う。

真の賢者は、真の歴史から学ぶ。

右も左も上も下も関係無く、ダイエットの為にも昼食を一度抜いた金額で購入出来る価格ですので、是非購入して読んでみてください。特に団塊の世代に読んでもらいたい本です。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」とビスマルクは言ったそうだが、これに「真の賢者は、真の歴史に学ぶ」と付け加えたい。近現代史の歴史家がこの本を読んで学んでいただければ、「WGIP」から日本人が解放され、真の反日集団が誰か容易に想像できるようになると思います。


失敗続きの米国を糾すのは日本の役割 

かつては死力を尽くして戦った敵国であり、現在は価値観を共有する同盟国であり日本のすべてを握る宗主国でもある米国。このマッチョなカウボーイ国家が日米開戦に勝利し世界の覇権を握ってから現在に至るまで様々な混乱を世界に撒き散らしてきた現実を、その外交史、政治史から紐解く名著です。民主主義や自由を錦の御旗にして仕掛けてきた数々の戦争・紛争は起こるべくして起こったというよりも、米国外交の失敗の産物であり、それには共通のパターンがあるということを気がつかせてくれます。

①真の敵を味方と見誤る。

②自らの誤った判断で、自らの強敵を作り上げてしまう。

しかし最近の世界の動きからは、このカウボーイ国家を裏から操る金融グローバリスト勢力の暗躍も明らかになりつつあり注意が必要です。中東を混乱の坩堝に陥らせた一連のアラブの春で一番得をしたのはゴールドマン・サックスであった点にも言及しています。 

建国後2百数十年しか経っていない若い国家である米国は『試行錯誤の国家』であり、敗戦ですっかりジャイアン・のび太の関係になってしまってはいても、日本は建国以来今年で2675年にもなる世界最長の国家であり、その長い歴史から得られる多くの知識や経験を活かして価値観を共有する同盟国である『迷走する巨人』米国を糾していけば、より強固な日米同盟を築けると思いますし、その先には日本の真の自主独立も得られると思います。

そのためにも刷り込まれた誤った歴史認識から脱却する必要があると思いますが、この著書は米国の失敗続きの外交史を通じて近現代史を俯瞰することで、敗戦後の日本がいかに捻じ曲がっていたかを振り返る事ができる良書であると思います。

値段も安くオススメです。

前半は○

 オバマ大統領の不用意な発言が、南シナ海の混乱を招いた。また、ブッシュ大統領(子)は、大量破壊兵器の保有を口実にイラクに侵攻し、IS(イスラミック・ステイト)の台頭を招く要因を作った。

このあたりの事情を、「アメリカの大罪」と呼ぶのは、一理あると思います。

 後半では、一転、太平洋戦争の開戦・終戦について、著者の見解が披露されていますが、他の専門書と比べると、やや議論の粗さが見られます。

著者は、「ルーズベルトは、第二次世界大戦に参戦したかった」ことを、盛んに強調されていますが、英国や他の連合国からの働きかけがあったことも、記しておくべきでしょう。

また、1945年5月の時点で日本との和平が可能だった、とも述べられていますが、沖縄戦がまだ行われている中で、日本軍がすんなり応じたかなど、詳しい論証がほしいところです。

アメリカの外交政策の首尾一貫性のなさを暴く。

戦前の日米開戦から、直近の中国による南シナ海での暴挙に至るまで、アメリカの外交政策の迷走が如何に戦争・紛争を引き起こして来たかを説き明かした本。一般の日本人にとっては馴染みが薄いと思われる中東情勢やウクライナ情勢にも多くのページが割かれているが、アメリカは、ビン・ラディンを含むアフガンのゲリラに武器を供与していたとか、アメリカ大使がイラクに対し、「第三国の国境紛争には介入しない。」と明言した直後にブッシュ(父)がこの地への空爆を開始したとか、「アラブの春」では親米派が政権を維持している国に民主化運動を輸出したなど、首尾一貫性を欠いた政策が幾つも指摘されている。ただ、著者は、馬渕睦夫氏の著書で白日の下に晒された、アメリカ政府内に巣食うグローバリストの存在に気付いていないために、アメリカのちぐはぐな外交政策の原因を全てあの国の思慮不足に帰しており、あの国の実力をかなり過小に評価する結果に陥っている。したがって、この点は、本書の大きな限界ということになるものの、馬渕氏の著書で取り上げられていたのは、朝鮮戦争・ヴェトナム戦争までであり、今に至るまで彼らがアメリカ政府内で隠然たる力を維持している様が本書を通じて初めて理解でき、興味深く読むことが出来た。第3章の末尾に、「アラブの春」で最も儲けたのはゴールドマン・サックスだったと言われている、とあることや、第5章に、シリア攻撃を煽動したのはリベラル・メディアだった、とあることからも、一連の動きの蔭にグローバリストがいたことは容易に裏付けられる。

 ニクソンとキッシンジャーによる中国への急接近も、中国を大国化させ、米中冷戦時代を演出しようと企む闇の勢力の画策によるものと解される。オバマの「世界の警察抛棄宣言」と南シナ海での中国の横暴もその一環であることは、これが歴史になった時点で明らかになるであろう。

 今日、国会前で、「憲法九条を守れ!」「戦争法案反対!」と叫んでいる人々の多くは、単に思考停止状態に陥っているだけだと言っていいが、本書によると、デモ隊の中には、55年前の安保反対デモに参加した70代の老人も多いと言う。これらの人たちは、日米を離間することでひと儲けしようと目論むグローバリストの犠牲者とも言えるし、グローバリストのやることが如何にアメリカの国益とは無関係であるかという事実がこんなところにも顔を覗かせているとも言える。

予言のごとく今年起きた世界の事件を米国軸で解説してくれていました!

2015年の今、まさに読むべき「解説書」となっています。

習(中共)-馬(国民党)のおかしな対談、フランスで同時テロを起こしたIS、今年のこのビッグニュースも、既に事件前にわかりやすく原因の一端が書かれていて驚きです。

そしてアラブの春は本当にあれでよかったのか---それがわかると今のミャンマーで起きている事も非常に心配になってきます。

さらに本後半では大東亜戦争を仕掛けたのは誰だったのかも詳しく解説してくれています。

なかなかない、「米国」軸の本著は、偶然か必然か、実にタイムリーに今の世界情勢を映し出してくれています。

「試行錯誤」で原爆を投下した国アメリカ

「アメリカは。もはや世界の警察官ではない」アメリカ大統領のバラク・オバマが2013年9月、シリア問題に関するテレビ演説で述べた言葉である。

これは、私が「オバマ・ドクトリン」と呼んでいるものだが、国際問題において新たな軍事的介入を行なわないという外交の方針であり、「世界の警察」放棄宣言と言ってもよい。

この不用意な発言が実は、世界に不要な紛争を引き起こしている。とくに中国が南シナ海での人工島建設に乗り出したのは、このオバマ・ドクトリンの意味するところを正確に捉(とら)えたからにほかならない。近隣諸国からの強い抗議をよそに、南シナ海で七つの岩礁(がんしょう)を埋め立て、3000メートル級の滑走路をいくつか建設してしまった。(中略)

中国は「アメリカは口では非難しても武力で干渉してくることは絶対にない」と解釈し、人工島建設に踏み切ったわけだ。(本書14~15ページ)藤井厳喜氏は、1952年に東京に生まれ、東京学芸大学付属高校を経て早稲田大学に入学、その後、アメリカに留学し、ハーヴァード大学などで研究を重ねた国際問題の専門家である。私は、1984年に、藤井氏が発表した『世界経済大予言』(カッパブックス・1984年)を読んで以来、氏の著作を読み続けて来た。藤井氏は、言葉の優れた意味においてグローバリストであり、そして、熱烈な愛国者である。

 日本の愛国者の多くは、自らを「保守」と名乗る事が多い。藤井氏も自身を「保守」と名乗って来られたが、藤井氏は、中東問題をはじめとして非常に広い視野を持ち、原発については脱原発派であるなど、日本の言論界に在って、非常にユニークな立場を取って来られた。私は、その藤井氏の見識の深さ、愛国者としての情熱に尊敬を抱いて居るが、しばしば、感じた事は、藤井氏が、アメリカの保守層に対して良くも悪くも非常に好意的な事であった。その中には、もちろん、正しい部分も多々有ったと思ふが、時に、藤井氏は、共和党を中心とするアメリカの保守層を好意的にとらえ過ぎて居た面も、今思へば有ったのではないかと思って居る。

その藤井氏が「変はった」と私が思ひ始めたのは、2000年代後半、ブッシュ政権が、「従軍慰安婦問題」や北朝鮮問題で日本を裏切った頃からである。

本書は、そうした藤井氏の変化が非常にはっきりと感じられる本である。内容については、流石は藤井氏と感嘆する部分も有れば、若干疑問を持たせられる部分も有るが、細かい論点には入らないでおく。戦後70年が過ぎた今、全ての日本人が読むべき良書である。特に印象に残った一文を挙げておく。

アメリカはよくも悪(あ)しくも試行錯誤の国である。そして大国であるだけにその錯誤が生みだす悲劇が大きすぎるのである。(本書232ページ)

(西岡昌紀・内科医・パリの同時多発テロの行方を案じながら)

9:07 2015/12/30


航空2強対決11選・航空アナリスト・杉浦一機・

平成27年12月30日

第6章・エアラインVS地方自治体・なぜか新規航空に乗りやすい自治体・・

114頁・

129頁・「搭乗率保障制度」で成功の能登・

一方、「搭乗率保障制度」で成功をおさめたのが石川県だ。「乱造地方空港の最終グループ」として03年7月に開校した能登空港は、下馬評を見事に跳ね返し、通年で国内最高の搭乗率(81,7%)の成績を上げて、就航初年度はエアラインから95,000,000円の還元を受けた。

東京から鉄道や自動車で半日以上を要する石川県の能登地方は、過疎化の進む地域として知られる。空港は能登半島の中央部に位置し、半島南部の圏域まで含めても利用人口は23万人に過ぎない。

同じ県内には東京便だけでも1日11便が就航している小松空港があり、隣県の富山にも空港がある。誰もが「集客は難しい」と見ていた。

だが、地元の熱意と行動が他県とは違ったのである。新空港の隣接地には学校法人の日本航空学校を誘致し、空港ターミナルビルには役所の出張所まで設けた。県と地元市町村は開港前から需要の掘り起こしに知恵を絞り、県出身の有名料理人の道場六三郎を起用した「食」のキャンペーン、地元の中高校の修学旅行には飛行機の利用を訴えるなど、活発に動いた。和倉温泉に旅館組合、観光業者、運送業者などが連携し、企画やスムーズな送客に取り組んだ。航空利用者へは観光施設での割引、空港発着の観光バスの値下げ、乗り合い性による割引運賃のタクシーも用意した。地元住民の利用を促すための補助が周辺19市町村で用意された。そして、開港前には全国の地方自治体に、PRを兼ねて、能登空港の利用をアピールする挨拶状を発送したのである。

しかし、能登空港の成功のポイントは「搭乗率保障制度」だった。就航を予定していたエアーニッポン(ANK)は東京便を1日1便に抑えるつもりだった。だが、石川県は1日2便にこだわった。

130頁・1日1便では効果が薄いうえ、ダイヤに制約されて利用しにくい。そこで、地元がANK提案したのが搭乗率保障を前提にした2便目の運航だった。

2便目の搭乗率が年間で70%を下回った場合には、石川県と空港周辺19の市町村が1席当たり16,200円で年間2億円を上限に補填するが、70%を上回った場合は地元に「販売促進協力金」として1%につき1千万円を還元する。これまで他県で実施されてきた赤字補てんと決定的に異なるのは、漫然と税金を投入するのではなく「対象を2便目に限っていること」「目標を超えた時には払い戻しがあること」だ。

谷本正憲石川県知事は「念願の空港が開港するのだから、航空会社と地元はお互いに運命共同体として搭乗者を開拓していかなければならない」と決意を語った。航空業界では、全国路線の搭乗率が平均でも655、近隣の空港の小松が65%、富山が67%(02年度)であることから類推しても、通年で70%を上回ることは絶望的で、地元の出費がどの程度で収まるのかに関心が集まった。

そして、開港を迎えたのだが驚くべき盛況となった。開校日には空港周辺3市町村の人口の4割に近い約18,000人が見学に訪れ、B737・500(126人乗り)の2便とも満席で出発しただけでなく、7~11月は搭乗率90%前後で推移した。さすがに冬場は12月68・1%、1月60・7%、2月70・1%、と下がったものの、3月には82・4%と回復した。懸念されていた冬場も見事に乗り切り、1年間平均81・7%の成績を上げて、初年度はANKから販売協力金9500万円が還元されたのである。130頁・

131頁・この間、ANKは需要は本物と判断し、就航機種を126席のB737・500から170席のB737/400に大型化(だだし、還元の基準ラインは78%に引き上げ)している。

 2年目には見直しが行われ、機種の大型化に伴い最低保証ラインは63%に引き下げれたもの、還元単価も1席当たり1万800円に引き下げられたが、4月以降の3ヶ月も平均70・2%と目標値をクリアし、全国から「地方空港の成功例」として注目されている。

山形と能登、地元の用意した予算はほぼ同規模でありながら、結果は大きく分かれた。

・・めげずに知恵を絞る佐賀・・

「ダメだ、ダメだ」とたたかれながらも、頑張っているのが有明佐賀空港だ。航空立国の九州で唯一空港を持たなかった佐賀県に、空港が開港したのは98年7月だった。念願の空港の海区で興奮ムードに包まれるのとは対照的に、航空業界はクールな目で見つめていた。着工は93年だったが、空港の建設中に地方空港を取り巻く環境は一変してしまつていたのである。最大の要因は航空自由化だった。開港当時は規制時代の名残で、JASが佐賀~大阪線をANAとともに開設させられた。JASとしては要望もしていなかったのだが、他の儲かる路線と抱き合わせで押し付けられたのである。

開業月こそ、「ご祝儀需要」に夏休みが重なって、東京便の搭乗率が92%にも達したが、99年4月に国内航空運賃の自由化が始まり、福岡線の運賃競争が激しくなると搭乗率は採算ラインの60%を割り込み、6月には35%までに急降下した。131頁・

132頁・意気込んで空港に乗り入れていた4社の民間バス会社は1年で撤退した。東京線と大阪線に272席のB767を就航させていたANAは機種を166席のA320に切り替え、JASは「義理は絶たした」とばかり、3年で大阪~佐賀線から撤退した。

地元では「本来なくてもよい場所に空港を無理やり作った」「そのうち、福岡がいっぱいになれば需要が回ってくる』などのあきらめの声も聞かれるが、佐賀県は手をこまねいていたわけではない。むしろ積極的に様々な利用促進策を行ってきた。

まず、自治体の管理する空港の使用料を全国に先駆けて値下げし、コミューター航空には試験運行の赤字分補助、国際チャーター便の着陸料は全額補助、同便を利用する修学旅行生には1人当たり片道1,500円を助成するなどの方針を打ち出した(98年)。しかし、着陸料の値下げで当初計画の3路線11便、年間利用客73万人の実現を目指したのだが、全く効果はなかった。収支は着陸料など収入が98,000,000円でとどまる一方、維持管理費が4億4000万円の出費も伴った。しかし、佐賀県は「目先の収支はともかく、地域振興につながる」としてひるまない。

佐賀発の始発時刻を早めるために、2000年からナイトステイ(地方空港の停泊)に必要な乗務員の宿泊費を半額補助(年間8千万円)したり、県の負担で佐賀空港利用者のマイレージポイントにボーナスマイルが加算される販促策なども展開した(04年5月から7月までの「SAGAボーナスマイルキャンペーン」)。132頁・

133頁・さらに、航空券の半券を提示すれば、小型レンタカーを1日1,050円(通常は5,000~6,000円)で借りられる(差額は同空港活性化協議会負担)企画や、県外からの団体客には片道1人当たり2,000円、国際利用客には2,500円の助成を行っている。

明るい材料としては、04年7月から羽田との間を深夜に発着する貨物専用便が就航した。佐賀が高速道路の要衝にあることを活用して九州一円からの荷物を取り扱う。深夜便の運航に関しては、地元に反対意見もあったが、飛行ルートなど地元との調整に県が積極的に動き、短期間に実現させた。九州唯一の深夜の貨物便の運航によって、佐賀空港の独自色が生まれたのは喜ばしいことだ。ちなみに、同便(1日2便)の就航によって空港の売り上げは年間2千万円プラスになる。133頁・

134頁・そして、佐賀県は04年秋から新たな運賃政策をANAに要請した。現行の国内線の運賃は直行便を基本としているが、大阪便を乗り継いで佐賀~東京間を利用する旅客にも直行運賃を適用することにしたのである(ANAでは中標津線と石見線で実施)。これは、同線の収支を改善するために、大阪便の1便をコストの安い74席のプロペラ機に切り替えたいとANAが申し入れてきたことを逆手に取ったものだった。現行の東京便のスケジュールは朝夕の2便しかないが、大阪便の2便を経由すると、直行運賃で利用できるフライトは一挙に倍の4便となる。乗客の利便性は2倍に向上することから、効果が期待される。134頁・

・・エアラインと・対決・の長野県・平成27年12月31日・ 

 

2015年12月29日 (火)

日本の社長・・すごい社長・カルビー株式会社 代表取締役会長兼CEO。京都大学 農学部 修士課程 卒業後伊藤忠商事株式会社に入社。センチュリーメディカル株式会社 取締役営業本部長(100% 伊藤忠商事(株)出資会社)、ジョンソン・エンド・ジョンソン メディカル(株) エチコン エンドサージェリー事業本部 代表取締役事業本部長、ジョンソン・エンド・ジョンソン メディカル(


引用


 私たちが伝えたいこと 松本 晃 プロフィール 私たちが伝えたいこと

ごあいさつ松本晃プロフィール北島政樹プロフィールプロフィール

:松本晃松本 晃 Akira Matsumoto1947(昭和22)年 7月 20日 生 


千歳工場(北海道)、清原工場(栃木県)、広島工場(広島県)で、工場見学を実施しています。見学担当係が商品の製造工程をわかりやすく説明いたします。 工場見学は無料です。事前にご予約をお願いいたします

http://www.calbee.co.jp/index.php

http://www.calbee.co.jp/factory/

15:57 2015/12/29 

カルビー株式会社 代表取締役会長兼CEO。京都大学 農学部 修士課程 卒業後伊藤忠商事株式会社に入社。センチュリーメディカル株式会社 取締役営業本部長(100% 伊藤忠商事(株)出資会社)、ジョンソン・エンド・ジョンソン メディカル(株) エチコン エンドサージェリー事業本部 代表取締役事業本部長、ジョンソン・エンド・ジョンソン メディカル(株) 代表取締役社長、ジョンソン・エンド・ジョンソン(株)代表取締役社長、ジョンソン・エンド・ジョンソン(株)最高顧問などを経て現在に至る。 


国立大学法人東北大学 未来工学治療開発センター客員教授、米国医療機器・IVD工業会(AMDD)顧問、京都府東京経済人会 会長、地方独立行政法人長崎市立病院機構 副理事

15:31 2015/12/29

志、未来へ繋ぎたい 皆様と共に行動を起こし、この危機を解決し日本の健康に貢献したいと願っています。

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ごあいさつ松本晃プロフィール北島政樹プロフィール 特定非営利活動法人

日本から外科医がいなくなることを憂い行動する会

設立趣旨書

医学が進歩し治療の選択肢が多様化する中でもなお、救急時において、また治療の根治性において外科治療の果たす役割は大きく、手術によってのみ救える命が数多く存在します。

 

その外科治療を担う外科医は医学知識に加え臨床経験の積み重ねによる技術の習得が必要であり、外科治療の質を担保するためには若手の外科医志望者を安定的に確保していくことが不可欠です。

 

しかしながら厚生労働省の調査によると、平成8年12月末から同18年12月末までの10年間で、医師数は全体で230千人から263千人へ調査時点毎に増え、14.4%増になったのに対し、整形外科医等も含めた外科医数は51千人から53千人へ3.3%増とわずかな伸び率に留まっただけでなく、平成16年12月末の54千人をピークに減少に転じています。また、同期間に医師全体の平均年齢は47.0歳から48.1歳へ1.1歳上昇していますが、外科医だけを見ると44.3歳から47.5歳へ3.2歳と3倍のペースで高年齢化しています。

 

これらの直接的な要因として、外科医を志望する者が絶対的に不足しているわが国の深刻な状況が指摘されて久しいですが、その抜本的な解決を図るためには、今現在医療現場に従事している関係者だけでなく、社会全体でこの問題を正面から受け止め、これまで以上に外科医の仕事の重要性を広く一般市民に普及啓発することによって、外科医を志望する者が外科医療の需要の増加に応じて適正な水準で確保される社会的な土壌を育んでいくことが必要であると考えられます。このような考え方から、これまで私たちは機会あるごとに地域の中核病院や外科医学会などの協力を得ながら、一般市民やその子供たちを対象としたセミナーや講演会を開催し、それなりの手ごたえを感じとってきました。しかし、このような活動を個々に行うことには限界があり、必ずしも効率的でないばかりか、継続性や一貫性のある活動と呼ぶにはふさわしいものではありません。

 

そこで私たちは、広く一般市民を対象とし、ホームページやパンフレットなどによる情報発信事業や、地域の医療関係機関・外科医学会などと緊密に連携したセミナーや講演会事業などを積極的、継続的かつ組織的に推進し、わが国の外科医数の減少傾向に歯止めを掛け、反転増加に向かうよう務めることによって、高齢化に伴い必要性がますます増大している外科医療の安定的提供体制の構築と外科治療技術の発展に貢献し、人々が安心して暮らせる社会の実現に寄与することを目的として活動することとします。

 

このような公益に資する活動を責任と継続性を持って展開し、社会に還元してゆくためには、これまでのような一個人あるいは任意団体ではなく、情報公開や会計処理などの点でも透明度の高い特定非営利活動法人こそ相応しい形態を考え、特定非営利活動法人日本から外科医がいなくなることを憂い行動する会を設立することとします。

 

平成20年12月22日

 

代表理事 松本 晃 . 「設立趣旨書」ページトップへ

 15:32 2015/12/29

http://www.npo-cens.org/about/message.html

 

ごあいさつ

近年、医師の偏在が社会的問題として取り上げられ、日本学術会議や日本医師会からも声明や要望が出されています。医師・診療科の偏在に対して厚労省は医学部定員の増加などの対応をしていますが、現状を改善する為には十分とは言えません。

 

特に医学生は3K(きつい、汚い、厳しい)の科には進まず、現在では3無(当直がない、救急がない、癌がない)の科に進路を求めています。その結果、小児科、産科のみならず外科医の希望者も減少し、同時に政府の医療費抑制等は外科医の労働環境を悪化させて、リスクの高い外科を選択しない事に拍車をかけているのです。この状況では何十年先に本邦に於いて、がん、心臓および移植手術が受けられなくなる日が来るかもしれません。

 

我々は日本から外科医がいなくなることを憂い、我々の考えに賛同してくださった多くの方の支援を得て、このNPO法人を設立することにしました。そして皆様と共に行動を起こし、この危機を解決し国民の健康に貢献していきたいと願っています。

15:33 2015/12/29

あなたは次のうちどちらになることを選びますか?

① 社員に尊敬され人気もあるけど、儲からない会社の社長

② 社員には恐れられ嫌われているけど、儲かっている会社の社長

少しの間、考えてみてください。

・ それでは、時間になりました。

もしあなたが①を選ぶ人なら、今日あなたに紹介する本はあなたには向いていないので、このページを離れて、他の本を探すことをお薦めします。しかし、もしあなたが②を選んだなら、このまま読み進めてください。きっとあなたのお役に立てるでしょう。

成功した経営者が決して口にしない不都合な真実

あなたは不思議に思ったことがありませんか?

なぜ、成功した経営者の書いた本はあふれているのに、成功する経営者は少ないのか?なぜ、成功した経営者の方法を真似ても、思うように結果が出ないのか?

 

実は、経営者が、本やインタビュー、講演などであまり口にしたがらない真実があります。その真実を知らずに会社を経営することはできないのですが、彼らはそれを表立って話すことはありません。なぜか?彼らにとって都合が悪いのです。

これを口にしてしまうと、従業員や世間に非難されるからです。嫌われるからです。経営できなくなってしまうからです。そう、それは彼らにとって不都合な真実なのです。なので、彼らの話のほとんどは、オブラートでくるんだような口当たりの良い常識的な言葉と、耳障りの良いエピソードで埋め尽くされてしまうのです。

例えば、「社員がいたからここまでこれた」、「最も大事な経営資源は人である」、「できるだけ多くの社員を雇うことが社会貢献だ」、「従業員を育てるのが経営者の仕事だ」等々。それらが間違っているというわけではありません。すでに成長した大企業であればそれなりに当てはまることも多いでしょう。

 

しかし、あなたが経営するベンチャー企業や中小企業が真っ先に考えなければならないのは「従業員」ではなく「利益」です。社員を雇うのは「利益」を上げるためだけです。それ以外の目的はありません。ですから、あなたがまずしなければならないことは、あなたの知らないところで彼らが会社のもの(時間を含む)を盗むのを防ぎ、あなたのプランに沿って彼らに仕事をさせ、そういう仕事をしている従業員に報い、そうでない従業員をカットすることです。そう、あなたが必要としているのは、この目を伏せたくなるような、耳を塞ぎたくなるような真実の部分なのです。そして、そのような誰もが口にしようとしない真実にメスを入れた男がいます。それがダン・ケネディです。

ダン・ケネディが明かす9つの不都合な真実

ダン・ケネディは、アメリカで「厳しい現実を教える先生」として知られています。彼は超一流のコピーライターであると同時に、マーケティングアドバイザー、コンサルタントとして何百という大小さまざまな規模のクライアント企業を大成功に導いてきた実績を持っています。つまり、自らの会社だけでなく、あらゆる企業の経営を間近で見て、成功する企業とそうでない企業の違い、現実をその目で見てきているのです。

 

本書の中で、ダン・ケネディは、成功した経営者が決して口にしない9つの不都合な真実を公開。そして、これらの真実を元に、利益を出すことだけを目的にした、それ以外のものは情け容赦なくバッサリと切り捨てた経営戦略を公開しています。

情け容赦のない、屁理屈もない ただ利益を出すためだけの戦略

この本でダン・ケネディが紹介するのは、温情もないかわりにブレもない。ついでに学問的な理屈もない。あるのは、現場の最前線からの筋金入りの戦略だけです。ですから、本書の内容に同意できない人もいるでしょう。しかし、この本を読んで混乱することだけはないはずです。曖昧な物言いは一切していないからです。そして、もしあなたのビジネスの目的が利益を上げることだとすれば、本書を最後まで読み、そして、これらの戦略を実行することをお薦めします。

 

それでは、その情け容赦のない、屁理屈もない戦略の内容の一部を見てみると・・・

目次

00 はじめに ほかとはちょっと違う、歯に衣着せぬ話 ... 1

なぜ満足できるほど優秀な従業員が少ないのか? ... 1

あなたの会社には従業員は必要ない! ... 2

Part01 従業員を働かせる情け無用のマネジメント

01 大げさでまわりくどい言葉「トイザらス・ベビーザらス」 ...18

意味の分からない文言を平気で使う大学教員たち ...18

「マネジメント」とは利益を上げること ...20

現場で働く人間を見下す大学教授たち ...21

大学教授の講演につきあっている暇などない ...22

返金保証しないセミナーは主催者の自信のなさの表れ ...24

02 雇い主と従業員の本質的な関係 ...27

経営者の頭の中と従業員の心の中は異なる ...27

オーナーシップ・メンタリティとは何なのか ...29

従業員は早く帰ることしか考えていない ...30

従業員を家族扱いするのは愚の骨頂 ...32

どんなに飼育しても熊は人間にはなれない ...33

03 シェルビーの弁解リスト ...35

あなたは茹でガエルになっていないか? ...35

04 ウィリー・ローマン症候群 ...37

なぜ経営者は従業員に好意を持ってもらいたいのか ...37

部下に好かれる上司は「無能」の代名詞 ...39

 

05 プログラム ...41

プログラムなき経営は従業員の運任せ ...41

06 経営面で何より重要な2つの判断 ...43

経営者が必ず求める理想の人材の条件 ...43

従業員を「雇わない」もう一つの理由 ...45

ワーキングプア問題の「不都合な」真実 ...47

従業員を雇うべき唯一の正しい理由 ...49

人件費は資産?数字で雇用を考える ...50

雇用で発生する「本当の」コスト ...52

従業員一人当たりに払う本当のコストはいくらか ...54

07 誰もが役に立たなくなる ...57

偉大なアスリートに引退勧告するには ...57

業績が傾いた途端石もて追われた名経営者 ...59

なぜ、そしてどのようにして私は私自身を解雇したか ...61

CEOに求められるのは辞める「決断」 ...62

08 ビジネスにおける最悪の数字とは ...64

一人で会社を切り盛りする「落とし穴」 ...64

最少人員で会社を回すとっておきの方法 ...66

悪いことは自分ではなく他人に起きる幸せな錯覚 ...67

小企業が大企業に苦汁をなめさせられる手口 ...68

09 雇用はゆっくり、解雇は素早く ...71

国民の過半数は常に間違っている! ...71

解雇を先延ばししてもお互いにいいことはない ...73

思いつきで補充人員を採用してはいけない ...75

10 重大なファクターの4 1 2 番目:役に立つ従業員と取引先を見つける方法 ...76 (執筆:スコット・タッカー)

一人で始めて金持ちになるビジネスなんてない ...76

親類兄弟を従業員に採用するのはやめなさい ...77

マーケティングで質の高い従業員を見つける ...80

これが誰もやらない、非常識な採用戦略 ...81

商売人の家に生まれた人物は採用してみる価値はアリ ...83

試用期間中は「ココ」だけを見ろ! ...84

11 リーダーシップは過大評価され過ぎている ...87

リーダーシップに関するさまざまな誤解 ...87

逸材がいなくても稼ぎ続けるシステム ...90

リーダーシップがなくても選手は勝手に育つ ...91

12 主人はマーケティング、ほかはみな「下僕」 ...94

従業員は「できない」ことを恥ずかしいと思っていない ...94

問題の解決法はマーケティングの中にある ...96

抵抗勢力に牛耳られる会社の末路 ...98

13 遊ぶネズミたち ...100

時間泥棒の社員は給料泥棒と同じ ...100

上司が留守の間は部下は遊び放題 ...102

働く場所が「職場」と呼ばれる理由 ...103

監視を強めれば、従業員は働き出す? ...106

内部告発を従業員に奨励せよ! ...109

経営者は現場の仕事から足を洗いなさい ...111

14 店を離れて煙草を吸う ...114

従業員のサボリ・盗みは日常茶飯事 ...114

職場に監視装置をつける5つの理由 ...116

経営者が文句を言ったら、従業員はサッサとよそに移る ...119

15 「ホリデイイン」の電話── 警告システム ...123

経営者は従業員のサロンには入れない ...123

16 「私たちと同じような」コソ泥 ...125

店からモノを盗む1 5 2 通りの方法 ...125

道徳的であるとき、ないとき その差はどこにある? ...127

世の中に善良な人はわずか5%しかいない ...128

綻びを塞ぐ方法はたった一つだけ ...131

従業員は盗みを自己正当化する! ...133

盗みをする従業員をなぜ経営者は怒らないのか ...135

売り上げを減らす事態を放置するアホ経営者 ...137

クッキーの数はすべて数えたほうがいい ...139

17 壊れ窓理論、綻びのあるビジネス...141

ニューヨーク再生の魔法をかける ...141

毎日ペンキを塗るために雇われ続けた男性 ...143

人間の行動を縛る最大級の強迫観念 ...144

壊れ窓を放置する会社はダメになる ...146

18 一方で、それでよければ、それでいい ...148

行きすぎた完璧主義は思考停止を招く ...148

あなたのビジネスの最良の「基準」を定める ...150

顧客サービスの分岐点 魔法のGEスポットを見つける ...152

ディズニー、サウスウエストの共通点は何か ...154

経営者の任務は従業員を監視すること ...156

19 「しかし、うちの会社は特別なんです」 ...160

あなたの会社が利益を出せない理由 ...160

20 今のペースで経営するか、もっと効率的に経営するか ...163(執筆:ドクター・チャールズ・W・マーチン)

成功するリーダーシップ、失敗するリーダーシップ ...163

考えを明確に伝えるコミュニケーション術 ...165

実行可能な戦術プランを策定する ...167

存続するためにはとにかく利益が欲しい! ...169

Part02 従業員に稼がせる情け無用のマネジメント

21 全従業員の仕事を「利益センター」にするには ...172

従業員にはボーナスよりチャンスを与えなさい! ...172

22 よい仕事をさせなさい。そうすれば、より多くを要求できる(しかも、素早く解雇できる)...174

稼ぐ社員を育てるシンプルな方法 ...174

23 ルールに当てはまらない事例 ...176

会社を辞める人間が多くなっても気にしない ...176

問題がある人物を雇ったときの対処法 ...178

24 公平性などくそくらえ ...180

従業員を平等に扱う必要などない ...180

25 勝者にはご褒美 ...181

従業員にオープンカーを貸し出したら...... ...181

パフォーマンスの悪い人間はどこの会社にもいる ...183

26 特別賞与が義務になる瞬間 ...185

特別賞与を出すことは経営者の義務ではない ...185

業績連動型特別賞与のメリット、デメリット ...187

特別賞与プランの組み立て方 ...188

27 数値化がモチベーションを上げる(執筆:ビル・グレイザー) ...190

95 %の働き手がいなければ経済は回っていかない ...190

モチベーションを数値化する2つの方法 ...192

成績表を壁に貼るだけでやる気が上がる! ...193

がんばっている従業員を見つけて励まそう! ...195

28 楽しい仕事場は生産的な仕事場か? ...198

動物小屋で働く人たちは本当に楽しでいるのか ...198

仕事が楽しいなんて嘘に決まっている! ...199

楽しそうな企業の規則は実はがんじがらめ ...201

29 鈍感な人を採用する ...204

成功する起業家はみなケンカっ早い? ...204

起業家とは操作が難しいレーシングカー ...206

30 セールスプロセスを管理する ...208

売り上げをアップさせる究極のセールスシステム ...208

見込み客に購入してもらう筋書きをつくっておく ...209

セールスピープルが優良顧客に出会うには? ...211

マネジャーとしてお粗末な結果を認めない ...212

システムに人材がマッチすれば成果は自ずと表れる ...216

31 セールス部門とマーケティング部門の価値を最大限に生かす ...218 (執筆:クレート・マスク)

見込み客がドンドン増える秘密のソフト ...218

顧客のフォローアップ法をマスターするには ...220

専門家に学ぶ絶対確実なフォローアップ5つの秘密 ...221

5つの秘密には隠された5 0 0 倍のパワーがある ...227

32 セールスのプロを管理する── 精神的なハードルを越える(執筆:マイケル・ミゲット)...230

セールスピープルを悩ます見えないハードル ...230

ニンジンをぶら下げればやる気を出すという誤解 ...231

精神的ハードルが売り上げを犠牲にする ...233

33 ミッションはトップシークレット!? ...236

経営者は従業員の習慣を変えなさい ...236

34 口コミを徹底的に管理する ...239

ディズニーランドではゴミ一つで1 0 0 万ドルの損失 ...239

あなたの会社の経営もクチコミに左右される ...242

35 それは「達成」ではなく、「活動」にすぎない ...244

いくら活動しても達成しなければ無意味 ...244

やり遂げることを割り当てた時間内にやる ...246

一日4 0 分しか仕事を達成していない ...247

産みの苦しみより結果を見せろ! ...250

36 スピードが命 ...253

どんなアイデアにも賞味期限がある ...253

スピードアップとはものごとの同時進行 ...256

周到な準備と素早い撤退を矛盾なく両立させる ...258

37 急成長するビジネスを情け容赦なくマネージする方法 ...260(執筆:クリス・ハーン)

会社の利益は平和や人間に勝る ...260

あなたの大義のために会社をつくり運営する ...262

問題を共有する読書ミーティング ...266

採用するのなら、異業種で成功体験のある人 ...268

甘やかされて育った社員が会社を破滅させる ...270

38 こちらにどう連絡を取らせるべきか ...272

コミュニケーションの3つの効果的な方法 ...272

問題を正しく伝える原理原則がある ...275

39 会議の開き方 ...277

会議を時間のムダにする極悪6人衆 ...277

40 食べさせていれば愛想がいい ...281

リスクを取るのはあなた、ほかに決断する人はいない ...281

責任者100%負うのに、得る利益はわずか20% ...283

41 私がそれをできない理由 ...286

儲からない経営者の8つの言い訳 ...288

42 そもそも「利益」とは何か? ...289

会社が稼いだ金は誰のものなのか ...289

会計士の言うことを鵜呑みにしてはいけない ...291

顧客との信頼関係が本当の経営資産 ...293

現在の銀行よりも将来の銀行を大事にする ...294

43 数字によるマネジメント(適切な数字?) ...296

経営者が理解すべき「お金の数学」 ...296

顧客動向を知る3つの数字 ...298

マーケティングに役立つ3つの数字 ...300

経営者に警告を鳴らす3つの数字 ...303

厳重に管理すべき4つの数字 ...305

44 集団的無能と大不況の時代から利益を得る方法 ...308

大不況というピンチをチャンスにする方法 ...308

2種類ある危機におけるチャンス ...309

中間層の崩壊に伴う顧客の二層化 ...312

高級志向に徹するか薄利多売に甘んじるか ...313

これからは週休三日が当たり前の時代になる ...315

45 次の1 2 カ月で ...318

経営者の仕事は行動と決断すること ...318

46 ビジネスを最も効果的に終える9つのステップ ...321(執筆:ハーヴェイ・ゼメル)

9ステップで出口戦略を成功させる ...321

47 サポートサークル ...328

経営者をサポートする6つの存在 ...328

成功者には必ずマスターマインドがいる ...332

著者について ...336

ダン・S・ケネディのそのほかの著書 ...339

いかがでしょう?もしあなたが、自分にとって最良の師は誰だったかと問われたら、「一番厳しかった人」の名を挙げるのではないでしょうか?一番きつい要求をし、絶えず向上していくことを求めた人 、怠けさせてくれなかった人の名を挙げるのではないでしょうか?「情け容赦ない」とは、残酷だったり意地悪だったりすることとは違います。自分の下にいる人間とビジネスをどこへ連れて行くのか、 利益を最大化することがいかに大切かを、しっかり分かっているということなのです。

この本の使用上の注意

これは危険な書籍です。この本は読んでてムカついたり、気分が悪くなる可能性があります。特に、従業員に見えないところに保管してください。大学のサークルのような仲良しグループを会社に作りたいのなら、 この本はお薦めできません。しかし、利益を上げることに集中したいなら、、、儲かっている会社の経営者が絶対に口にしないような真実を聞きたいのなら、、、この本ほど、その不都合な真実を教えてくれるものは ないでしょう。

そしてこの書籍は、あなたのビジネスを大きく変える内容であるにもかかわらず、値段はたったの3,700円(税別)です。友人とディナーを1回楽しむ程度の値段です。しかも...このページから申し込むと720円OFF!

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著者紹介 ダン・S・ケネディ (Dan S. Kennedy)

米国在住のセールス&マーケティングの専門家

ダイレクトレスポンスマーケティングの世界的第一人者であり、超一流のコピーライ ター。マーケティングアドバイザー、コンサルタントとして何百という大小さまざまな規模のクライアント企業を大成功に導いた実績を持つ。

セールス、マーケティング、自己啓発分野に数多くの著書を持ち、本人とそのコンサルタント・ネットワークが100万人以上のビジ ネスオーナーの成功を支援していることから、「ミリオネア・メー カー」と呼ばれている。

 講演家としても、数万人規模の講演会を数多くこなし、歴代米国大統領、ドナルド・トランプ、ジグ・ジグラー、ブライアン・トレーシー、ジム・ローン、トム・ホプキンス、アンソニー・ロビンスなどの著名人との共演も数多く経験し、大成功を収めている。

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他のレビューを見ても決定できず、「返品保証」で決断した。

 最初のうちは「大した事ない。役に立たない」と思いながらも、最後まで読んでしまった。なぜこの本が返品保証しているのか?それは、読み進むうちに分かる。知ってしまった私はもちろん、ここで、明かす事はしません。ぜひ、読んでみてください。

このレビューはブラインドマーケティングでも何でもありません。そんな事すら不要ダからです。

  うなずきとぶっ飛び, 2012/2/7

私自身共感できる部分が多かった事と、まさに当社で起きていいる事、いや起こさなければいけない事が明確に書かれていた事にぶっ飛び!

 自分自身甘すぎるという反省とそこまでしていいんだと言う確信が得られた事に感謝!

 題名のごとく養成されました。

 今の自分に迷いのある社長、いまいち事業がしっくりいっていない社長に最適な書です。一読を!

  従業員の雇い方が参考になりました。, 2012/2/4

従業員の資質や性格は教育で何とかなるものではないので、採用の際に振り分けなければならない。私も最近そう感じていたところ、その振り分け方の具体例が書いてあり、とても参考になりました。次回採用するときは試してみるつもりです。

  経営者としての、原点として, 2013/9/3

会社を経営者すると、どれだけ管理出来ているかも、一つの能力だと思います。

しかし現実には、感情もあり、毎日厳しいことばかり、、 少しくらい甘やかしても、、、なんて思ってると、社内が崩れてきます、そんな時にこの本を読み返し、経営者、管理職としての本分を思い出せるように、手元に一冊は置いておきたい。また、自分の直属の部下に読んで欲しい一冊になりました。

  独立する方、社員にも読んでもらいたい本, 2013/8/20

毎朝社長が朝礼で理想論を語る事とは真逆の真理が遠慮なく書いてあります。

会社を運営するには利益が最優先事項です。そのためにどうしたらいいか、どれを優先し、どれを患部としてバッサリ切り離すかの答えがはっきりこの本に書いてあります。リストラが多い中、会社員勤めの人にも社内で生き残るためのヒントになるのではないでしょうか。上述のように遠慮ない表現で書いてあるので不愉快に感じる方も居るかもしれません。ゆえに★4つとしました。

ただ、事業所運営などを通して将来の目的を持ってる人には、是非お勧めしたい本です。

  納得のいく内容でした, 2013/8/8

以前よりビジネス書を色々と読み、仕事に関してのモティベーション、成功者の様々な苦労話、などあれこれと手を出しましたが、今思うと自分の知りたい事とは少しずれていた様に感じます。この『世界一シビアな社長力講座』は過去に読んだ書籍で自己消化しきれなかった部分や疑問に感じる部分に納得のいく答えをくれました。経営という事について今一度、熟考する時間が得られ、まだまだこれからという自分にとっては非常にシンプルで解りやすいアドバイスとなりました。この内容なら価格的にも損をしたとは全く思いませんね。

 

 久しぶりの良本です。

タイトルからして目からウロコ!ひとことで言うと、救われた一冊です。とかく「ジクをぶらさず、貫き通す」と摩擦がおき、人にいい顔をすると現場は穏やかだけど、甘くなる。よく「楽しい現場♪」というフレーズを目にしますが、いつも違和感がありました。もちろん地獄にしてはいけませんが、やる気のある現場にしようと思うと、切磋琢磨、衝突も当然のこと。

わかってはいるけれど・・・自分の未熟さは素直に反省しつつ、自分は性格が悪く、人間失格じゃないかと悩むことも。ですがこの本を読むと、そんなことを気にするヤワな心根では、事業は継続してゆけないという道理が書かれてあって、勇気が出ました。

給料を払う側、受け取る側では意識が違うことは理解していましたし、体験していますが、それに対してどう処するかまではなかなか踏ん切りがつかない。人に厳しくするということは、自分にも厳しくできるようになるということで、逆に自分に厳しくすることが苦にならないようになれば、良い人材にめぐり合い、育ててゆくこともできるのではないでしょうか。

国が変われども、大差ないなぁと思う半面、日本の事例もいろいろと紹介されていればなお、興味深かったように思います。

  世間体を気にする経営者には向かない本, 2012/2/20

今現在、経営者ではない私ですが、 経営者になったつもりで読みました。

今の日本では、簡単に解雇することができないのは現実ですが、採用する際には時間をかけて慎重になることはできます。部下を指導する立場にいる私にとって、どんなに教育してもまったく成長しない部下もいれば、何もしなくても勝手に成長する部下もいます。

ハッキリ言うと人事部が勝手に採用して、教育だけを現場に任せている現状にかなり腹が立っています。

 是非とも我が社の経営者や人事部に読ませたい本です。

 【世界一シビアな社長力養成講座】の感想, 2012/2/17

この本は社長業の実際を書いています。経営者と従業員の絶対に埋まらない溝とでも言えばいいのでしょうか。その存在に気付きながらもスタッフに笑顔で接しようとする自分にとって、深く教え諭される内容でした。

ビジネスは甘くない! 当たり前といえばそれまでですが、そこは人間

・・・なんてことを言っているからダメ!と言われているようです。

これからの人を使うマインドをゼロから叩き込んでくれる本であり、起業家かとしての心の整理をしてくれる本でもあります。

事業で金持ちになりたい人は、絶対に読むべき本の一冊です。

経営者と従業員の考え方はそもそも違い、過度の期待をしてはいけない、ということを改めて思い知らされました。

経営者がやるべきことは、どんな従業員でもできる再現性の高い仕組みづくりであり、リーダーシップという心地よい言葉に踊らされてはならない、という話で目を覚ましました。また、従業員の採用に「テイクアウェイセリング」の考え方で行うなど大変参考になりました。

 経営者だけでなくマネージャーにも参考になる内容ですね。

  私は社長ではありませんが、

お勧めしたい人

・常識がキライな人

・周りと違う行動を良くする人

・革命を起こしたい人

・社長になっても自分の時間を確保したい人

・自己犠牲な自分を変えたい人

お勧めできない人

・割り切れない生活を送りたい人

・苦労したい人

・従業員のために時間を費やし、本来の目的を失いたい人他とは違う点

・圧倒的な論理で納得できる

 ・きれいごとではない

 ・万人受けしない

 どんな用途に使えるか

社長にしか使えない本かと思いきや、そうではありませんでした。自分の時間マネージメントを今以上にいいものにするために使えると思います。

 

従業員こそ読むべきですね。

 

自分自身が雇い主にどう思われるか、どう評価されるか、そういった視点で自分の評価を相手ではなく自分の思うようにさせるにはもってこいの一冊。経営者の目線だと、結局具体的な事は全て自分で考える結果になるので、知識のない方はまた別の書籍ねを買う事になるの為、この一冊では完結できない点が星1つマイナス。

 自らのケツを叩く意味では最良の一冊。  後押しとなった一冊,

現在会社に中企業に勤めており、日頃から自分の会社やビジネスに対する考えについて矛盾を抱きながらもやもやした日々を送っていました。

この本を読んでそのもやもやは一気に吹っ飛びました。内容に関しては自分が望んでいた答えではなく、真っ向から否定し現実を教えてくれる本だと感じました。日本との文化のギャップはあるとはおもいますが、この本に記載してある内容が全てマッチしないとは思いません。経営者ではないため雇用者の立場で言わせていただきますが、今の会社やビジネスに対しフラストレーションをもっている方は一度読むことをお勧めします。

また独立を視野入れて働いておりましたが、独立を決意しました。

屁理屈が好きな方、自分の考えを肯定して欲しい方にはお勧めいたしません、特に後者の方は読んでて苦痛しかないと思います。

  管理職の人にオススメ!, 2015/11/12

自分自身、部下とうまくいっておらず、その時にこの本の広告が目に入りました。本は苦手な僕でしたが、読んでいるうちに引き込まれて、いつの間にか読み終わってしまいました。

 部下の考えている事と自分の考えている事のギャップ、いい人材の見極め方、ほんとに勉強になりました。

  早くやったモン勝ちという事でした, 2015/10/29

とにかく面白い本でした。著者の極端な表現はまさにアメリカンジョーク(もちろん本気で言ってる事がほとんどなんでしょうが・・・)として笑えます。読んでいて眠くなったり、なかなか読み進めるのが難しい、あるいは理解はできてもなかなか内容が頭に入ってこないビジネス本が氾濫しているなか、本書はとにかく面白く一気に読み切りました。内容もとても充実していて目から鱗の連発です。当社は創業60年の中小企業ですが、近年の時代変化についていくのがやっとで(実際はかなり遅れているという事が分かりました)先行きが見えない状況の中これからどう大きく舵を切っていくかとても参考になりましたダン・ケネディ著残り9冊も全部読んでみたいです。

  途中ですが, 2015/10/28

まだ、途中までしか読んでいませんが共感できる内容があり、勉強になっています。

  勉強になりました!, 2015/10/27

まずは考え方が勉強になりました。従業員とは考え方が違うというのは目から鱗でした。

 従業員が行動出来る仕組みを作ることが大切と感じました。ありがとうございます!  行動の基準が明確になります。物事の優先順位がはっきりしました。

言われてみたら当たり前のことに普段は気付かないふりをしている自分に、目をそらしたら遅かれ早かれ破滅するよ。

と言われているような気がして、手をつけないといけない案件をほっぽりだして、一気に読んでしまいました。

 

しかし、これを読んで行動するほうが効率は間違いなく上がります。

 

 個人事業主の私にも、とっても役に立つ内容でしたので、従業員を雇っている方にはもっと役に立つ本です。

 

 私の必読書リストに入りました。

  実際の仕事に役立ちます, 2015/10/12

実際に仕事をしていて判断に迷うことが多々あります。そのような時、経営学の理論が参考になることもありますが、この書籍は、実際の経営やマネジメントの実態や成功事例を基にしていますので、実際の仕事に役立ちます。

  仕事とは、こういう考えを基にするものと、考えさせられました。

  社長だけじゃなく従業員にもおすすめの一冊, 2015/10/3

中身は主に従業員と社長の関係性について書かれており、社長が目をつむってしまいたくなるような真実となっています。飲食店など小さな会社や工場を経営もしくは店長、所長として任せられている人にも役立つと思います。ただ、この一冊だけ読み実践したとしてもそれだけでは会社を経営していくことは難しいと思います。そのため、他のビジネス書と合わせてよみたいですねまた、従業員の場合は他のビジネス書より断然この一冊をおすすめします。自分がどうすれば評価されるのか?会社がどういう人材を求めているのか?というところがわかると思います

会社が存続するに至って具体的に社長はどうあるべきかを述べた内容であるので、今後の指標のみならず、将来に向けての不可解な精神不安を解消してくれます。*オススメできない点(弱い点)

ボリュームが少ない感じがしました。その分すぐに読み切ることができます。

*他とは違う点 社長の視点に立って、会社の成長存続を阻む要因を容赦なく切り捨てています。

 *どんな人に役立つか

 ・零細企業のオーナー社長

・派遣社員(これ意外!しかしたいてい派遣社員は自分という定規が古臭いため、派遣先の社長に対しては憤怒の情に満ち溢れている場合が多いです。結果自分の体を壊してしまいがちですが、この本を読むことで社長の真実を知り、「ここがいやなら自分で会社起こして稼いでみろ!」という叱咤激励が自分の心の中に湧き立ち、態度が大人になってきます。)

・受験生

 特に国公立を受験する際、不要な勉強は極力省かなければならない。各科目を社員に見立て、自分自身を社長に見立て、どのようにセンター試験を突破するか!

そして二次試験に臨むか!を効率よく組み立てることができると感じています。

 以上、社長以外の人にも非常に役立つ本と感じます。

  面白い‼, 2015/9/23

読んでる最中ですが、今までの人生でアルバイトから今の職までの管理職の人や経営者の方達を思い出しながら拝読していました。管理職や、経営者を目指す人は読んで損はないと思います!ただ、外国思考が強いのでドライになれるかな?と思うこともあります・・・笑

  感想, 2015/9/18

拝読させて頂きました。小さな会社を経営しております。内容が全て私が社員に対して言いたい事と同じでびっくりしました。お金を稼げる人が作り出したシステムとそれにぶらさがって仕事をする人は雲泥の差ですね。

  まさにそのとおりです。, 2015/9/17

私は、年商の3倍~10倍以上の負債を抱えた企業から懇請されて、代表を引き受け再建業務を行っていますが、こういう企業の経営はまったなしです。

 日本の企業は労働基準法という法律で保護されすぎているので、これを遵守して従ったり、社員に愛されようとすればたちまち倒産です。もっと厳しいことを言ってもいいぐらいだと思います。

  常識といえば常識, 2015/9/16

わかっている人にとっては常識でしょう。利益が全てです。利益を第一として、何を客観的なデータとして競争させるかといことは非常に面白かったです。従業員は逃げられますが、経営者は逃げられません。まだ経営者ではないですが、参考にしながら働いていきます。

世界一シビアな

15:37 2015/12/29

http://systemincome.com/tag/%E6%9D%BE%E6%9C%AC%E6%99%83

15:39 2015/12/29

http://systemincome.com/tag/%E6%9D%BE%E6%9C%AC%E6%99%83/page/2

15:40 2015/12/29

http://systemincome.com/tag/%E6%9D%BE%E6%9C%AC%E6%99%83/page/3#

15:41 2015/12/29

 

牧場のこと

体験する

牧場概要 2014年9月1日現在

牧場概要

牧場名くろべ牧場まきばの風設 立1969年7月代表者黒部市長 堀内 康男所在地富山県黒部市宇奈月町栃屋字広谷4番地事業内容家畜育成事業 ふれあい事業従業員数26名

 

沿  革

1969年 7月新川育成牧場組合設立(黒部市、宇奈月町、魚津市、滑川市で構成)草地造成、施設整備1971年 4月放牧開始1976年 4月新川畜産公社設立(黒部市、宇奈月町、魚津市、滑川市、黒部農協、魚津市農協、新川育成牧場組合で構成)

牧場の管理、運営2013年 9月新川育成牧場組合、新川畜産公社解散2013年10月黒部市が引き継ぎ直営「黒部市新川育成牧場」に名称変更2014年 4月「くろべ牧場まきばの風」に名称変更

 

 

ご来場の皆さまへ ご利用に関しての注意事項

くろべ牧場 まきばの風

 

TEL(0765)52-2604 FAX(0765)52-3925

営業時間 10:00〜17:00(季節により変動あり)※年末年始休

 〒938-0864 富山県黒部市宇奈月町栃屋字広谷4番地

くろべ牧場まきばの風. All rights Reserved.

http://www.kurobe-bokujyo.jp/company/

16:19 2015/12/26

牛が喜ぶ牧草作りから、新鮮でおいしい乳製品づくりにつとめています

 

日頃から、くろべ牧場まきばの風をご利用いただきありがとうございます。

私たちは、健康で丈夫に牛が育つよう健康管理・衛生管理に日々こころがけ、皆さまにおいしいといっていただける乳製品をお届けできるよう努めています。

また、当牧場は標高約240m~425mの高台に位置し、MOOガーデンからは富山湾や能登半島が一望でき、なんとも言えない絶景がご覧いただけます。富山湾を眺めながら牧場スイーツを味わい、ひとときの心の癒しの場としてご利用ください。皆さまのご来場、心よりお待ち申し上げます。くろべ牧場 まきばの風

「くろぼく」富山 黒部 くろべ牧場 まきばの風くろべ牧場facebook

 

くろべ牧場で体験する

「くろべ牧場まきばの風」で体験できることはたくさん!さあ、どれからはじめる?

 

乳搾り体験

 

大きなお母さん牛のお乳を搾ってみよう。子牛が産まれていると子牛さんにも会えるよ!

 

乳搾り体験を見る

 

 

手作り体験

 

「こうやってできてるんだ!」の発見がいっぱい!子どもから大人まで楽しめます。

 

手作り体験を見る

 

 

ふれあい体験

 

牛さんの他にもヤギやミニブタ、ウサギ、ポニーなどかわいい動物たちが待ってるよ!

 

ふれあい体験を見る

 

大きなお母さん牛のお乳を搾ってみよう。飼育スタッフが楽しい牛や牛乳の話もしてくれますよ。

場所搾乳牛舎人数30名時間毎週日曜日 14:30〜体験開始(1日1回)対象者3歳以上料金300円(税抜)お申込み当日14:15〜14:30の間、乳搾り体験コーナー(搾乳牛舎)で受付

※事前予約はお受けしておりません。

※体験開始後の受付はしておりませんので、受付時間と開始時間に注意してください。

 

 

 

手作り体験

 

児童の体験学習や、ご家族、グループで気軽にチャレンジしてみましょ!体験実施希望日の一週間前までに予約して下さい。

 

※当日キャンセルは100%、前日キャンセルは60%ご負担いただきます。ご了承下さい。(前々日までは、キャンセル料は発生しません。)ご予約・お問合せはお電話にて 0765-52-2604

 

 

ソーセージ手作り体験

地元の黒部名水ポークを使ってソーセージをつくろう。粘りが出るまでこねて、ぷりぷりのソーセージに仕上げよう。

場所うしのいえMOOガーデン人数2~40名時間10:00~17:00

(受付10:00~15:00、所要時間:約1時間30分)対象者小学生以上 ※未就学児の方は見学のみとなります。料金1,500円(税抜)お申込み一週間前までに、お電話にて要予約

 

 

アイスクリームづくり(卵入り)

 

アイスクリームづくり(卵入り

 

 

子供から大人まで大人気のバニラアイスです。卵を使いこってり濃厚なアイスクリームをつくろう。

場所うしのいえMOOガーデン人数2~40名時間10:00~17:00

(受付10:00~15:00、所要時間:約40分間)対象者小学生以上。未就学児の場合は、大人の方の付き添いがあれば可能です。料金800円(税抜)お申込み一週間前までに、お電話にて要予約

 

 

バターづくり

 

バターづくり

 

 

新鮮な牛乳を使ってバターをつくります。できたてのバターはクラッカーと一緒にいただきます。

場所うしのいえMOOガーデン人数2~50名時間10:00~17:00

(受付10:00~15:00、所要時間:約30分間)対象者小学生以上。未就学児の場合は、大人の方の付き添いがあれば可能です。料金600円(税抜)お申込み一週間前までに、お電話にて要予約

モッツアレラチーズづくり

 

 

モッツァレラチーズになる前の白い塊(カード)を熱湯の中で伸ばし丸めてチーズをつくろう。できたてのチーズが食べられます。

場所うしのいえMOOガーデン人数2~20名時間10:00~17:00

(受付10:00~15:00、所要時間:約40分間)対象者小学生以上。未就学児の場合は、大人の方の付き添いがあれば可能です。料金1,350円(税抜)お申込み一週間前までに、お電話にて要予約

 

 

ピザづくり

 

ピザづくり

 

 

牛乳入りの生地にチーズやハムをトッピング。牧場のおいしい牛乳とプリンも付きます。

※お持ち帰りの際は容器持参でお願いいたします。

場所うしのいえMOOガーデン人数2~24名時間10:00~17:00

(受付10:00~15:00、所要時間:約1時間30分)対象者小学生以上。未就学児の場合は、大人の方の付き添いがあれば可能です。料金1,500円(税抜)お申込み一週間前までに、お電話にて要予約

 

ご予約・お問合せはお電話にて 0765-52-2604

 

 

動物とのふれあい体験

 

「くろべ牧場まきばの風」では、牛、ヤギ、ポニー、ミニブタ、ウサギなどかわいい動物達とのふれあいが楽しめます。

 

 

乳搾り体験

 

乳搾り体験

 

 

ヒツジさんヤギさんポニーさんミニブタさんウサギさんに触ったり、エサやり体験もできますよ。小さい赤ちゃん牛にミルクをあげる哺乳体験のイベントもあるので、お見逃しの無いように!

場所ふれあい広場ゾーン人数1名〜時間10:00~17:00料金無料(一部有料です)

エサのニンジンをMOOガーデン内にて販売しています。1カップ:100円(税込)お申込み不要くろべ牧場 まきばの風

 

TEL(0765)52-2604 FAX(0765)52-3925

営業時間 10:00〜17:00(季節により変動あり)※年末年始休

 〒938-0864 富山県黒部市宇奈月町栃屋字広谷4番地

http://www.kurobe-bokujyo.jp/taiken/

16:21 2015/12/26


 

カルビーはどうやって儲かる会社に変わったか・カルビー松本晃会長兼CEOインタビュー(前編)2014年05月21日  上阪 徹  ブックライター

千歳工場(北海道)、清原工場(栃木県)、広島工場(広島県)で、工場見学を実施しています。

 見学担当係が商品の製造工程をわかりやすく説明いたします。

 工場見学は無料です。事前にご予約をお願いいたします

http://www.calbee.co.jp/index.php

http://www.calbee.co.jp/factory/

15:57 2015/12/29

 

カルビーはどうやって儲かる会社に変わったか

ジョンソン・エンド・ジョンソン日本法人の社長を務めていた松本晃氏が、カルビーの会長兼CEOに就任したのは、2009年のこと。当時、カルビーは国内需要の頭打ちとも重なり、成長の踊り場ともいえる状況にあった。ところが以後、カルビーは大きく業績を伸ばす。とりわけ注目すべきは、1%台だった営業利益率が今や10%に迫っていることだ。カルビーに何が起きたのか。「儲かる会社」へと変貌を遂げた、松本氏の改革に迫る(全2回)。

難しいことはやっていない。儲けるための仕組みをつくっただけ

――カルビーの営業利益率はかつて1%台でした。今や10%に迫る勢いですが、なぜカルビーは儲かっていなかったのでしょうか。また、どう変えていかれたのでしょうか。

単に儲け方が下手だっただけです。会社が儲かるには、基本的には3つの要素があります。「商品の品質」「コストの安さ」「供給体制」です。カルビーは1番目と3番目はよくできていた。ところが、2番目のコスト意識がまったくなかった。儲ける気がないんじゃないか、と思えたぐらいです。

松本 晃 (まつもと・あきら)カルビー株式会社 代表取締役会長兼CEO。1947年生まれ。京都大学農学部修士課程卒業後、伊藤忠商事株式会社に入社。ジョンソン・エンド・ジョンソン メディカル株式会社代表取締役社長、ジョンソン・エンド・ジョンソン株式会社代表取締役社長、最高顧問などを経て、2009年より現職。

でも、日本の会社って、そういう会社だらけじゃないですか。儲ける気がある会社は本当に少ない。儲けても儲けなくても、経営者の給料が大きく上がるわけでもないし、株主が辞めろと言うわけでもない。これは日本の風土でしょうね。

実際、カルビーでも難しいことはやっていないんです。一言でいえば、仕組みを変えた。儲かっていなかったから、儲けるための仕組みをつくった。当時の最大の弱みは、製造原価が高すぎたことでした。競合が57%なのに65%もあった。競合より3倍もつくっていたのに、です。量は3倍なのにコストが高いなんて、どう考えてもおかしいと思いませんか。

しかも工場が多すぎたんですね。だから稼働率が低く、週3日しか動いていない工場もあった。これでは、工場で働いている人も困るでしょう。働きたくても働けませんから。生活がかかっているのに。

そこで何をしたのかというと、まず変動費を下げました。余計なモノを買うな、と。いいものを安く買うのはいいことですが、本当に必要がないなら、買わないほうがずっといい。会社というのは、不要なモノをついつい買ってしまうんです。なぜかって、人間は売るのが嫌いで買うのが好きだから。家の中を見ても、要りもしないものがいっぱいありませんか。会社も同じです。ましてや、自分の財布でなくて会社の財布。つまらないものを、たくさん買ってしまう。だから、これをやめた。設備投資も、好きなようにやっていたのでコントロールしました。

こうして製造原価は下がったのですが、その分は取り込まずにお客様に還元しました。価格を下げたんです。すると、競争力が高まった。シェアが上がると、工場の稼働率が上がります。稼働率が上がると、固定費が下がる。さらにコストが改善されるわけです。

こうしたことは、現場に行かないと見えてきません。経営者がずっとオフィスに籠もっていると、稼働率と製造原価の関係がわからなかったりするんです。

 

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ニッポンの社長とは

特集ニッポンの社長 ニッポンの社長 > カルビー株式会社 代表取締役会長兼CEO 松本 晃・カルビー株式会社 代表取締役会長兼CEO 松本 晃

 

経営を単純化して着実に戦略を実行せよ

国内最大のスナック菓子メーカー、カルビー。1949年の設立以来、「かっぱえびせん」「ポテトチップス」「じゃがりこ」をはじめ、数々のヒット商品を生み出し続けている。しかし、近年は少子化による市場縮小や競合企業の台頭により、業績が伸び悩んでいた。そこで創業家より招聘されたのが、ジョンソン・エンド・ジョンソンの経営トップを15年間務めた松本晃氏である。2009年にカルビーの代表取締役会長兼CEOに就任後、現在まで5期連続の増収増益を達成。老舗企業を再び成長軌道に乗せている。その秘密はどこにあるのか。グローバル化のポイント、経営者の条件などもまじえて話を聞いた。

 

― 経営トップに就任以来、なぜ増収増益を続けることができたのですか。

カルビーという会社にポテンシャルがあったからです。私はそれをちょっと引き出しただけ。だから、5期連続の増収増益はなんでもないこと。少なくとも、あと30年は続けないといけません。

― 国内市場は縮小傾向にあり、競合企業もひしめきあっています。どのようなアプローチで打ち手を考えたのでしょう。

まず業績が低迷している原因を人に求めず、仕組みに着目しました。前任者を否定して人事を刷新する経営者もいますが、なんの意味もありません。最近は仕組みをくわしく説明するのが面倒になって「集中購買でコストを下げました」なんて言っていますが、はじめから理屈を組み立てていました。それにそって、当たり前のことを粛々と実行しているだけですよ。

みんな頭が良すぎるから、経営を複雑にしてしまう。すると、理屈を従業員が理解できず、戦略を実行できません。だから、私みたいに“中の上”くらいの頭が経営者に向いているんです。理屈をシンプルにすると、従業員が納得してついてきてくれます。

 

― 増収増益を実現させた仕組みについて、具体的に教えてください。

まず集中購買によって、単価を下げたり、ムダな購入を減らします。購買コストが下がれば利益が出ますが、すぐにとりこんではいけません。コストを下げたら、商品価格を下げてお客さんに還元するんです。

すると市場シェアが上がり、工場の稼働率が上がる。稼働率が上がると、固定費が下がる。その利益は自社にとりこむ。簡単な理屈ですよ。

― 工場の稼働率を上げれば、利益率も上がるわけですね。

稼働率と固定費の相関関係をみなさん意外とわかっていないようです。たいてい変動費をいじりたがります。

もともとカルビーは営業利益率が1.4%~2%と低い体質でした。目標は食品企業の世界標準15%ですが、いっぺんに上げるのはムリ。まずは10%を目標にして、それを達成する方法を考えたのです。

もし目標まで30%離れていたら、すべての工場をフル稼働しても足りません。目標が10%だからこそ、この手法を実行しました。じつに帰納的でシンプルな思考法です。

 

― 目標をひとつにしぼったこともポイントですね。

ええ。アレもコレもと指示したら、従業員が混乱します。だから、いちばん大事な利益にしぼる。なかでも営業利益率がわかりやすいでしょう。

カルビーも一時期は「コックピット経営」なるものをやっていました。事業ユニットごとの膨大な数値データをグラフ化して毎週更新。全従業員に共有して、さまざまな判断に活かす手法です。理論的には間違っていませんが、複雑すぎます。ジェット機内のようなたくさんの計器は読めません。

いまは指標を減らした「ダッシュボード」に変えました。車のダッシュボードは計器が少ないですよね。ドライバーが確認しているのは、スピードメーターとガソリンの量くらいです。

 松本さんがとくに注意深くチェックしている項目はなんですか。

各指標の成長をみています。利益の成長、売上の成長、EPS(1株あたり純利益)の成長。あとは工場稼働率、製造原価率、マーケットシェア。それくらいですよ。指標が多すぎると知恵が出てきません。

数字は正直です。急に増えたり減ったりする現象には、必ず理由がある。それはなんなのか。自分で仮説を立てて、現場に行って検証する。仮説が正しければ、それにそってアクションを起こす。これも単純なことです。

― 数字を分析して、どのようなことがわかりましたか。

たとえば、地域別・商品別の売上を分析するなかで“売れる理由”がわかってきました。まず当社の商品でいちばん大事なのは「おいしさ」。しかし、これは必要条件にすぎません。十分条件は「価格」です。くわえて、店舗に商品を置いてもらう「営業力」がないと、なかなか売れません。

以前は「モノがよければ、黙っていても売れる」という考えが社内にありました。しかし、これはおごりでしょう。いい商品をつくる、買いやすい値段にする、それをしっかり売る。当たり前のことですが、この基本を徹底することが重要です。

― 御社は2011年3月に株式を上場しましたが、グループビジョンにはステークホルダーの最後に株主が記されています。なぜ株主第一主義ではないのですか。

上場企業として、最終的には株主への利益還元をめざしています。でも、そのためには最初から株主利益を追い求めたらうまくいかないんですよ。

その理由は、短期的視点におちいって中長期の戦略を実行しづらくなるから。もうひとつは、不祥事を起こす可能性が高まるからです。株主のために今期の利益向上だけをめざしていると、いつか不祥事を隠したり、粉飾決算をしかねません。

あとは結果ですよ。「従業員が大事、コミュニティが大事」なんて理想を語っても、結果が出なかったら経営者はクビ。それは株主が決めることです。

― カルビーグループはアジア地域を中心に、積極的な海外展開を進めています。経営資源の乏しい中小・ベンチャー企業は、どのようにグローバル化に対応すればいいのでしょう。

国内の成功体験を海外に持ち出しても、うまくいきません。成功するために欠かせない要素が3つあります。

1つめは、コスト。「おいしいから売れる」という理屈は通りません。その国でお客さんが払ってくれる値段を見つけて、コストを適正化してください。

 2つめは、スピード。たとえば、もともと中国には「スナックを食べる」という習慣がありませんでした。ところが、ここ数年ものすごい勢いで市場が成長している。海外メーカーの対応も速く、こういったスピードについていかなければ成功は難しいでしょう。

3つめは、現地化。仕入れや商品開発はもちろん、経営者や従業員も現地の人材がいい。本社はサポートに徹します。

― なぜ日本人よりも現地の人材がいいのですか。

どの国の人材も、本来もっている能力は同じだと思いますよ。ただ2014年の時点では、少し日本人が劣勢です。あまり勉強しない、一所懸命に働かない、人件費が高い。すると、現地の人材を使うほうがうまくいく可能性が高いわけです。

マネジメント側を日本人で固めるやり方は、とっくの昔に終わりました。中小・ベンチャー企業でも、現地人材をトップにすべきです。

― 松本さんが考える、経営者に必要な条件を教えてください。

すべての基盤になるのは倫理観です。わかりやすく表現するなら、「おてんとさまが見ている」と考えることですね。たとえば、制限速度が時速50㎞の道路を51㎞で運転してもいいでしょうか?たとえ人が見ていなくても、おてんとさまが見ているのでルール違反はいけません。法律は国によってバラバラですが、基本的な倫理観は世界共通です。

 

― ほかの条件はありますか。

2つめは、地頭。学力や学歴とは関係ありません。3つめは、コミュニケーション力。話の上手下手ではなく、人から好かれることです。4つめは、トラックレコード。過去に圧倒的実績があると、成功する確率が高い。5つめは、論理的思考力。相手を納得させる力です。これは地頭が悪くても、身につけられます。

そして最後は“徳”。「あの人のためなら」と周囲に思わせるような高い人間性です。

― 業績低迷に悩む中小・ベンチャー企業の経営者に対して、アドバイスをお願いします。

経営者の仕事は夢づくりです。ぜひ従業員がワクワクするようなホラを吹いてください。たとえば、柳井さん、孫さん、三木谷さんは“大ボラ吹きの大夢語り”でしょう?企業規模に関係なく、「みんなでこの夢をかなえよう」という壮大なビジョンがあると、それに向かって強力なベクトルがはたらきます。

私たちも「2020年に1兆円企業」「業界で圧倒的No.1」といった目標を掲げています。実際にそうなるかどうかはわかりませんよ。魅力的な夢をえがいて、従業員を感化することが大切なんです。

■ 松本 晃(まつもと あきら)

1947年、京都府生まれ。1972年に京都大学農学部修士課程を修了後、伊藤忠商事株式会社に入社。同社の子会社であるセンチュリーメディカル株式会社の取締役営業本部長を経て、1993年にジョンソン・エンド・ジョンソンメディカル株式会社(現:ジョンソン・エンド・ジョンソン株式会社)に入社。代表取締役社長、最高顧問を歴任後、2009年6月にカルビー株式会社の代表取締役会長兼CEOに就任。以来、同社を5期連続の増収増益に導いている。現在は国立大学法人東北大学未来医工学治療開発センター客員教授、米国医療機器・IVD工業会(AMDD)顧問、京都府東京経済人会会長、地方独立行政法人長崎市立病院機構副理事長なども務める

http://www.nippon-shacho.com/

15:19 2015/12/29

http://www.nippon-shacho.com/interview/interview01/

 

 

ニッポンの社長とは特集ニッポンの社長

ニッポンの社長 > 澤田ホールディングス株式会社 代表取締役社長 澤田 秀雄. 

澤田ホールディングス株式会社 代表取締役社長 澤田 秀雄

継続は力なり

海外旅行会社で最大手のエイチ・アイ・エスの創業者でありながら、現在は澤田ホールディングスの代表として、果敢に新規事業にチャレンジしている澤田秀雄。澤田は間違いなく日本を代表する起業家の一人である。今回は澤田に“成功する起業家の条件”などを聞いてみた。

※下記はベンチャー通信30号(2008年1月号)から抜粋し、記事は取材時のものです。

【インタビュー前編】成長著しいモンゴルに投資

― 最近、澤田さんはモンゴルと縁が深いようですね。

そうですね。前々からモンゴルは天然資源が豊富な国で、将来的に大きな経済成長が期待できると思っていました。そして、ちょうど5年ほど前に日本からの直行便がモンゴルに飛ぶことになったんです。この話を聞いてチャンスだと思ったんです。

2003年にモンゴルの国立銀行(現:ハーン銀行)が民間に払い下げられることになり、モンゴルの大臣から「ぜひ友好国である日本にも投資して欲しい」という依頼がありました。こうして私はハーン銀行の経営に参画することになりました。おかげさまでハーン銀行の経営はとても順調です。すでにモンゴルのほとんどの国民が知っているナンバーワン※リテールバンクとしての地位を確立しました。モンゴル国内で支店も440店舗を数えています。企業価値も今では当初より50倍から100倍くらいになっていますね。

またモンゴルはカシミヤが有名で、全世界生産量の約8%を生産しています。そこで最近モンゴルで一番大きなカシミヤ工場にも経営参画しました。このカシミヤ工場はモンゴル国内市場の40%のシェアを持っています。

現在、モンゴルは急激な経済成長を遂げています。ちょうど日本で言う明治維新以後のような勢いがあります。今後もさらに経済が発展していくと私は予想しています。

 

※リテールバンク:個人や中小企業顧客に対して小口の決済、融資、預金サービスなどを提供する金融機関のこと。

 

― 澤田さんはたくさんの国を旅してきたので、成長する国を見極める眼力は凄いですね。また澤田さんはベンチャー企業の成長支援もしているそうですが、澤田さんがベンチャー企業に投資する基準を教えてください。

 

 3つありますね。1つ目が、そのベンチャー企業が社会的意義のある企業かどうかということ。私は単なる※キャピタルゲインだけを目的とした投資はしません。そのベンチャー企業に投資することで、社会貢献できるかどうかを判断します。

 

  2つ目が、そのベンチャー企業がプレーしているマーケットに成長性があるかどうか。成長性の欠くマーケットでプレーしているベンチャー企業に投資はしません。そして最後の3つ目が経営陣の経営センスです。経営者が経営哲学をしっかり持っているかどうか。この3つを基準にして投資するかどうか決めます。

 

※キャピタルゲイン:債券や株式などの価格の上昇による儲けのこと。

― 経営者についてはどうですか?経営者のどういう部分を見るのでしょうか?

その経営者の運の良さを見ます。運の悪い経営者は、いつか経営がおかしくなる。経営センスも大事ですが、その人の持っている運はもっと大事です。会社経営は不確実性が大きいですからね。会社経営において、経営者の運は重要な要素です。

 

― 運というのは見極められるものなんですか?

 

 70%くらいは分かりますね。その人がどういう人生を歩んできたか。その人の人間性はどうか。プラス志向な人はたいてい運がいいですね。マイナス志向な人からは運も離れていきますから。あと、その人が付き合っている人や会社も大事なポイントです。運のいい人は、運のいい人や運のいい会社と付き合っています。まさに“類は友を呼ぶ”です。

また運にはバイオリズムがあります。運がいい時もあれば、悪い時もある。ちなみに運の悪い時の対処法としては、無理して動かないことです。運の悪い時に無理に動いたら、事態をより悪化させるだけです。嵐が吹いている時は、外に出ないに限ります。ジッとしていれば、しばらくしたら運も良くなります。また、運の悪い時は運のいい人と積極的に会うことです。運のいい人が、自分自身の運の悪さをカバーしてくれますから。

― 運がいい時に積極的に動き、運が悪い時はジッとしていろということですね。

世の中は陰陽で回っています。光があれば陰もある。晴れの日があれば、雨の日もある。昼があれば、夜もある。つまり、人生いい時もあれば悪い時もあるんです。この陰陽のバランスをとることが重要です。

このバランスは国家や企業、そして人にも当てはまります。国家がバランスを崩すと革命や暴動が起こる。企業がバランスを崩せば倒産する。人の体もバランスを崩すと、健康を害します。

国家も企業も人も陰陽のバランスをとりながら進化発展していくんです。このバランスを知るということは非常に大事です。平成バブルが崩壊したのも、このバランスを崩したのが原因です。世の中全体が陽に傾きすぎたので、その反動として、その後の長い不況、つまり陰が訪れたわけです。どちらか一方に傾くと、その反動が必ず来ます。

― 会社経営も陰陽のバランスが大事ということですか。

そうです。しかもバランスというのは低いところに偏っていく性質があります。営業力が弱い会社は、営業の低いレベルに合わせてバランスが合う。つまり悪いところに合って、バランスがとられるんです。経理が弱ければ、その経理の低いレベルに会社全体が偏っていく。

だからこそ会社経営では自社の弱い部分を常に補強することが大事になります。そうやって会社全体のバランスをとりながら成長していくのが理想です。ちなみに成長はいいことですが、急成長するのは危険です。急成長というのは、会社全体のバランスを崩すリスクを孕んでいるからです。

【インタビュー中編】旅行好きだった少年時代

― 話は変わりますが、小さい頃の澤田さんはどのような少年でしたか。

普通の少年でしたよ(笑)。でも好奇心は人一倍旺盛でしたね。小さい頃から旅行が好きでした。好奇心が強いので、新しいものを見たくてしょうがなかった。紀伊半島を自転車で一周したり、全国を旅行したりしていました。

― 両親はどんな職業をしていたのですか。

うちの両親は商売をやっていました。お菓子の製造卸しを営んでいました。

― やはり商売をしていた両親からの影響はありましたか。

影響はあまりないと思います。もちろん子供ですので、影響を受けてないと思っても、多少の影響があったとは思います。しかし、どちらかと言うと小さい頃は、私は商売が嫌いでしたね。両親は遅くまで仕事をしていますし、もちろん商売なのでいい時ばかりでなく悪い時もある。そういうのを傍で見ていたので、将来は商売人なんてなりたくないと思っていました。

 

― では小さい頃は何になりたかったのですか。

冒険家になりたかった。あと宇宙飛行士にも憧れていました。何しろ好奇心が強かったから、色々な未知のものに触れたかったんです。商売をやれば忙しいし、お金を稼ぐために必死に働かなくてはいけない。それよりも冒険していた方が楽しいじゃないですか(笑)。でも商売人の家に生まれたので、これも血なのでしょうね。ドイツに留学した頃から、将来は商売をしたいと思うようになりました。

― 留学時代について教えてください。

当時、日本の大学は大学紛争がすごかった時期で、まともに大学生活を送れる状況ではありませんでした。とても混乱していて、初めて東大の入試が行われなかった年でもありました。だから海外に留学しようと決意しました。留学もアメリカやイギリスなどの人気な国ではなく、あえてドイツを選んだ。私はみんなが左に行けば、右に行きたくなる性分なんですよ。生来のあまのじゃくです(笑)。

留学してからは旅行する範囲も広がって、全世界を旅しました。休みを利用して、アフリカやアジア、アメリカなどの世界50カ国以上を旅しました。でも、そのうち旅行費用を何とか工面しないと旅行を続けられなくなった。そこでお金を稼ぐために、ビジネスをやろうと思い立ったんです。

― 具体的には何のビジネスをしたんですか。

まずドイツに来る日本人向けに通訳やガイドをしました。その当時、ドイツ語を話せる日本人は少なかったので、ドイツ語を話せる私は需要が高かった。そのうち個人相手ではなく、団体で行う方式に変更して、「日本語ガイドのナイトツアー」を企画するようになりました。顔見知りのホテルのスタッフに頼んで、私の作ったパンフレットを日本人に配ってもらった。そしてビアガーデンやレストランに行って、音楽やショーの交渉をしました。もちろん関わってくれた人には、成功報酬でお金を渡しました。これは儲かりましたね(笑)。月に100万円以上になりました。それを1ヶ月か2ヶ月間続けた後、旅に出るということを繰り返しました。短期間の学生ベンチャーみたいなものですね。

 

― その頃の経験がもとで、本格的に起業家を志したんですか。

そうです。その間に日本人のビジネスマンに多く接したり、自分でもそういう学生ベンチャーみたいなことをして、ビジネスって意外と面白いなと思いました。大変だけど、面白かったですから。

【インタビュー後編】成功する起業家の条件

― 大学時代に貯めたお金は旅行以外に何か使ったんですか。

株に投資しました。ちょうどその頃は石油ショックが原因で世界の株が暴落していた頃でした。もちろん日本の株も暴落していました。そこで株を買おうと思い、図書館で株の流れなどを勉強したんです。色々と検討した結果、買ったのがフォルクスワーゲンの株と日立の株。その株が半年か一年くらいして倍になりました。そして株に投資したお金が何千万円か貯まったので、日本に帰ってビジネスをしようと思いました。

 

― 日本に帰って、初めは毛皮の貿易をやろうとしたんですよね。なぜ貿易だったんですか。

貿易だと海外に行けるじゃないですか(笑)。仕事のついでに旅行ができますし、広く世界を見れますしね。だから当初は商社のような事業を手がけようと思っていたんです。しかし、ちょうどその時にワシントン条約が採択されて、毛皮の輸入が厳しくなったので、事業は途中で断念しました。

そこで今度は旅行業をすることにしました。私は旅行が大好きなので、本当は旅行をビジネスにしたくなかった。でも当時日本からヨーロッパへ行くのに往復70万円くらいしたんです。私がドイツにいた時はそんな高額な値段は考えられなかった。日本の場合は規制によってノーマル料金というのが設定され、お客様は非常に高い料金を払わされていました。

私はこの状況にとても腹が立っていたんです。どう考えてもおかしいと。同時にそこにビジネスチャンスも感じました。これから日本人の海外旅行は飛躍的に伸びるとも予測していました。そうして今のエイチ・アイ・エスを立ち上げたわけです。

― なるほど。それでは澤田さんが考える“成功する起業家の条件”を教えてもらえますか?

起業家の気持ちの強さだと思います。どれだけ強い気持ちで会社を経営しているか。もちろん人間性や経営センスも大事ですが、それ以上に気持ちの強さだと思いますね。

私は事業を成功させる唯一の秘訣は、あきらめずに継続することだと思っています。いったん事業を始めると様々な壁が立ちはだかります。その度に挫けそうになる。でも途中で投げ出してしまえば、それで終わりです。

私もスカイマークを立ち上げた時は、本当に苦労しました。設立1年目に集まったスタッフは、たったの30名。しかし飛行機を飛ばすには250名ほど必要でした。一瞬、もうやめようかと思いました。しかし、やめなかった。そして、その1年後、無事に初就航した時は本当に感動しましたね。

新規事業というのは、最初は常に難しいんです。だからこそ継続する力が求められる。継続すれば、当初は解決できないと思っていた難問も解決できるようになる。必死に知恵をしぼって動き回って活路を見出すんです。9回失敗しても、10回目で成功すればいい。

起業家には、それくらいの気構えが必要なんです。絶対に途中で投げ出してはいけません。今までの苦労がすべて水泡に帰します。石の上にも3年と言います。継続は力なりです。

 

― 最後にメッセージをください。

いまベンチャー企業に対する世間の目は非常に厳しい。でも、明けない夜はありません。2、3年もしたら、景色も変わって状況も良くなると思います。だから挫けずに、ぜひベンチャー企業には頑張ってもらいたいですね。

.■ 澤田 秀雄(さわだ ひでお)

1951年、大阪府生まれ。73年に旧西ドイツ・マインツ大学経済学部に留学。在学中、世界50カ国以上を旅行する。76年に帰国し、貿易事業の準備をするが、断念。その後、旅行会社インターナショナルツアーズを新宿で開業。90年に社名をエイチ・アイ・エス(H.I.S.)に変更し、事業を成長させる。95年3月に店頭公開。96年、オーストラリアのゴールドコーストにホテルをオープン。98年には航空会社スカイマークエアラインズ(現:スカイマーク)を就航させる。99年、協立証券の株式を取得し、エイチ・アイ・エス協立証券(現:エイチ・エス証券)の代表取締役社長に就任。2003年にはモンゴルAG銀行(現:ハーン銀行)の取締役会長に就任。2004年に、エイチ・エス証券を大証ヘラクレスに上場させる。現在は、澤田ホールディングス株式会社の代表の他、経団連理事、経済同友会幹事も務める。

15:22 2015/12/29

 

 

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 〒938-0864 富山県黒部市宇奈月町栃屋字広谷4番地

http://www.kurobe-bokujyo.jp/taiken/

16:21 2015/12/26

12/29/2015

 


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