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2016年1月 9日 (土)

3年前に自然養鶏を始めた・・・らの遺言 新書 – 2015129 倉本 聰 (著) 数多くの演劇やドラマ作品を通じて、自然環境の破壊や社会秩序の乱れについて警鐘を鳴らし続けている著者の最新エッセイ。貧しくはあったが光と幸せに満ちていた昭和の時代を、80歳になったのを機に自らの体験と独特の切り口でふりかえる。日本人は今後どのように生きていくべきかを考える上での指針となる一冊。全国自然養鶏会は中島正氏の著書「自然卵養鶏法」に共感し、循環農業の一環としての自然養鶏を確立すべく、情報交換や交流会を行っています。

引用


2016年4月16日 (土)ノーマライゼーションが生まれた国・デンマーク (MINERVA21世紀福祉ライブラリー) – 2004・2 野村 武夫 (著) 第12章・一人一人を大切にする教育・187頁・http://amamioosimasanrinha.synapse-blog.jp/takita/2016/04/minerva21-20042-d374.html

10:19 2016/04/16


http://shizenran.jp/

私の養鶏アイテム「山の畑」で使っている、自作したり作ってもらったり既製品などの、養鶏に関連した機械や道具を紹介します。

目次

多雪地域における鶏舎の構造

産卵箱について

電気牧柵

チョッパー

多雪地域における鶏舎の構造

ここ北海道虻田郡倶知安町は、日本海側の気候帯に属し、また西にニセコ連山、東に羊蹄山を抱えているため、雪が多く、いわゆる豪雪地帯です。年間の降雪量は13メートルに達し、積雪は2メートルから多い年では3メートルにもなります。近くには日本でも有数のスキー場が数多くスキーヤーには最高ですが、養鶏をするのには、雪の重みに耐えるよう鶏舎の構造に手間がかかるのと、氷点下20℃にもなる低温で卵が凍るのと、冬場のいやというほどの除雪作業のため、最低です。 


トラクターで除雪作業中:雪の無い季節は戸外で放し飼いをしているのですが・・・

積雪や吹雪き、また相反する夏の暑さ(夏場は30℃を超える)対策に、鶏舎の構造を以下のようにしています。

 木材は、新品ですが、隣町の森林組合から安い唐松の製材を買っています。壁の板は、小樽の製缶工場から出る産業廃棄物をただでもらっています。掘っ建て式で、2間×5間で一部屋100羽分です。雪が落ちやすいように片屋根で傾斜は30%弱ぐらい付けています。まず積雪対策ですが屋根に雪が1メートル積もっても耐えられるように、桁の上に45cm間隔に105ミリ×45ミリの垂木を縦に使っています。梁も入れ筋交いあるいは、製缶工場のパネルを筋交い代わりに使っています。風通しをよくするために金網は四方に張りますが、全面ではなく、壁の部分を多くとっています。  


掘っ建て式(ニセコアンヌプリ):垂木梁はしっかりと:壁の面積は多い(羊蹄山)雪が深いため、下まで金網にしてしまうと雪の重みで押されてしまうためです。また、冬場は金網の部分にビニールを張るので、金網の面積が多いと大変なためです。換気のために、上部3個所に開閉式の換気口を開けています。冬でも暖かい日はあるので、鶏舎の中が蒸れないように、換気口は活躍します。吹雪など天気が急変してもすぐに閉められます。

 上部に換気口

欠点としては、しっかり囲ってしまったので、鶏糞が出しづらい。夏場30℃を超える日が続くと、少々暑い。材料費がかかりすぎている。などです。

産卵箱について 


3年前に自然養鶏を始めたときより、「鶏声」に出ていた、名越式産卵箱を参考にしたものを作って使用しています。名越式は2階建てでしたが持ち運びが大変なので1階建てとし足を付けました。つつき防止のために入り口に厚く暖簾をかけています。床面は古いジュータンを敷いたりしていましたが、今はホームセンターでメートル売りしている合成ゴムの細かい穴の空いた凹凸のある物を裏返しに敷いています。

 転がり式の欠点として、卵がうまく転がり、かつ卵同士ぶつかって割れない勾配を決めるのが、なかなか難しいところでした。ちょうどいいと思っていても、いつのまにか鶏の足についたゴミで転がらなくなっていたり(こまめに掃除をすればいいことなのですが、これがなかなか大変)、調節しているうちに、また破損卵が出てしまったりで、うまく行きませんでした。

 

そこで、今は、貯卵部分に籾殻をしいて、転がり速度の緩和と衝突の衝撃の吸収材としています。60cmで10cm下がる勾配で結構急で、ゴムマットも凹凸面ではなく、平らな面(多少のデコボコはある)を上にしていますので、勢いよく転がるのですが、籾殻がうまく速度と 衝撃を吸収してくれて卵も割れず、なおかつ卵が産卵室に長く留まらないので、まずまずきれいです。マットに細かい穴があいているので、ほこりなどは下に落ちる。たまにマットの下の掃除と、籾殻を交換してやればいい。細かいところではまだまだ、改良の余地があると思います。また、鶏が古くなるとカラが薄いのが多く、割れた卵で他の卵が汚れてしまいます。これは、転がり式でも解決できないところだと思うのですが。いい方法があったらどなたか教えてほしいと思います。

ちなみに鶏種はゴトウモミジです。

電気牧柵

 

毎年キツネの被害に悩まされ、又ニワトリの本格的な放し飼いに向けて(放し飼いの鶏の卵はウマイ)、ニワトリ達が安心して生活してもらえる環境を整えるべく、昨年春にニュージーランド製(ガラガー社)の電気牧柵を導入しました。鶏舎と隣接した放牧地にナイロンの中にステンレス線を編み混んだワイヤーを張り巡らせ、アースを地中に埋め、そこに約1.5秒間隔で高電圧を流すユニットを接続するだけで、設置も撤去も簡単なシステムです。電圧は約7000ボルトですが、瞬時のため人体に危険はなく、常時低電圧を流すものより安全設計です。静電気の強いものといった感じでしょうか。これにより、キツネなどの外敵を敬遠させ、なおかつニワトリ達を放牧地以外に出さない、放牧養鶏管理システムが、出来上がるわけです。電気牧柵の有効性は、壮瞥町で放し飼い養鶏をしている「たつかーむ」で実証済みでしたので、金額の面で多少ちゅうちょしたものの、導入することに決めたしだいでした。

 設置してすぐは、ニワトリ達は電気牧柵から外へ出てしまったりしましたが、一旦痛みを覚えさせると、もう外には出なくなりました。キツネもまったく寄り付かなくなりました。今までは、ニワトリを放しているときは、万が一のことを考えひやひやものでした。電牧を設置してからは安心して配達にも行けるようになり、電牧の有効性を実感しました。

ただ、空からの外敵にはまったく無効でした。オオタカに数羽やられました。

ちなみに2反分セットで10万円くらいでした。高いのは電源のユニットなので(4万円くらい)、あとはわずかな金額で面積を増やすことができます。

チョッパー

 

毎年秋になると、夏場の緑餌のかわりに、カボチャとジャガイモを砕いて、ドラム缶に詰め冬用にサイレージを作ります。チョッパーを手に入れる前は、どうやって砕くかというと、大きな木の樽の中にカボチャを投げ込み、先を研いだモルタル用のスコップを、細かくなるまでひたすら振り降ろすというものです。ドラム缶一本詰めるころには、身体もへとへと。一日作業すると腰と肘が痛くて翌日は、仕事になりませんでした。

これを毎年やるのはシンドイなと思い、いい機械はないものかと聞いて回ったところ、チョッパーというものを留萌の高田農機が造っているということでした。実際、現物を見てから検討したかったのですが、丁度、収穫時期でなかなか倶知安から離れることが出来ず。かといって時期を逸してはしょうがないので、思いきって購入することに決めました。

 

らくらくサイレージ作り チョッパーは3馬力5馬力7馬力の3タイプあるそうで、3馬力でもカボチャは楽に潰せるということで、まあ、予算の関係もあり、3馬力タイプにしました。動力は三相200Vの2.2㌔Wのモータです。構造はいたって簡単、高速で回転する刃がついた筒の上に投入口があり、下方に砕かれた物が出る出口があるだけです。出口の大きさを調節できるレバーがついていて、砕きたい大きさを変えることが出来ます。細かくしたいときはレバーを絞ってやればトロトロになるまで細かくなります。サイレージの場合はそれほど細かくする必要はないので、全開で使っています。それでも大きくて2㎝四方ぐらいに砕かれます。人力と比べると格段に楽になりました。それどころか苦痛だったサイレージ作りが楽しくなりました。

使いにくいところ ・投入口の形状が悪い。逆流を防ぐために投入口がくの字型に曲がっているため、カボチャなど一個一個投入するものはいいが、ジャガイモのようにばらばらと入れるのには都合が悪い。

・詰まったとき等のメンテナンス性が悪い。高速で刃が回転している勢いで砕くようになっているため、物を入れ過ぎると、ガクンと止まってしまうことがある。慣れるまでちょっとコツのいるところ。その後、筒の中で詰まっているものを取り出す方法がない。筒の胴体部分に小さな開閉可能な窓でもあればいいが、それがないため、投入口から手を突っ込んでかきださなければならない。当然掃除もしにくい。

・出口が多々詰まる。細かくしようと少し絞って使うと、大きな破片がいつのまにか詰まっていて、出が悪くなる。この辺は設計上の問題だと思う。全開で使うと決して詰まらないのだが。

 以上のことをちょっと改良してくれれば、もっと使いやすくなるでしょう。

「高速チョッパーA3型(3馬力タイプ)」 高田農機鉄工 (現在は廃業してしまいました。)雑感へ・山の畑トップ

http://homepage3.nifty.com/yamanohatake/

「これが百姓の醍醐味」 倶知安町 井山浩一

はじめまして。倶知安町比羅夫で小規模な平飼い養鶏を主体とした農業をしております井山と申します。新規で始めて3年になりました。よろしくお願いします。

出身は埼玉県の大宮市で、大学卒業と同時に札幌に出まして、札幌には4年間居りました。

その間、札幌のある食料品店で働かさせてもらうことになり、そこで私はおもに、仕入れと移動販売の仕事をしました。野菜や果物など生鮮品は、直接仕入れていていたので、農家の方から、その頃いろいろな影響を受たのだと思います。

 新規就農の方もいましたし、自分で4代目という農家の方まで様々でした。

ただ、共通しているのは、自分の仕事にホコリを持って、生き生きと、そして明かるく振る舞われていたことです。

そんな中で、私も他人が生産したものを売り歩くより、いつかは、自分で生産したものを自らの手で売ってみたいものだなと思っていました。その後、縁あって仁木町の果樹園で3年間働かさせていただくことになりました。

実際に農業に携わってみて、自分で経営するなら、どんな作物でどんなやり方ができるのか、そんなことを考えながらの3年間でした。資金や農地の問題など課題はたくさんありますが、頭で考えているより、実際に動き出さないと、具体的に考えることはなかなかできないなという感じでした。

 

そんな時、今の妻と知り合いました。妻の実家は倶知安の農家で、もう、高齢で父親ひとりになって、農業自体は行なっておりませんでした。

 何回か、実家に通っているうちに、自分自身の倶知安での農業への考え方も具体的になってきまして、とりあえずというか、とにかくここでやってみようと決心しました。

やり始めてみると、いろいろなことが具体的になってきます。販売に関しては、札幌の食料品店や果樹園で働いていた経験から、地場のものは地場で、しかも直売で、という考えが強くありました。

都会の消費者が買う野菜の値段の半分は、流通コストです。作物は消費者に渡る前に何段階もの選別にかかりますので、それもコストにはねかえります。又、鮮度や味にも影響します。

物流によって私たち社会の経済が成り立っているのは事実です。でも、食べる側と作る側だけで考えると、なにか釈然としないものがありました。だから自分でやるときには、ぜひとも、地域で直売したいとおもいました。実際、直売するとなると、なにか目玉になるものが必要でした。そこで考えついたのが卵です。

仁木にいたときに、平飼い養鶏で自然卵をしている人と知り合いになり、自分でもいつかは鶏をやってみたいという思いもありました。

どのみち肥料や堆肥も必要だし、ニワトリなら、卵も鶏糞も取れて、一石二鳥だと、かなり甘い考えでしたが、先ずは、ひよこを100羽飼うことにしました。

平飼い養鶏に関するいろいろなことは、すでに始められている先輩の方々に、アドバイスを受けました。餌や環境にはこだわりました。餌は道産の小麦と米が主体です。それに糠や魚粉や貝殻・ノコクズの発酵飼料を配合して与えています。それに加え、夏場は緑餌として草を、冬場は畑で採れたデントコーンやカボチャやジャガイモのサイレージを与えています。餌もなるべく地元で採れるものをということがひとつ、もう一つの理由は、飼料用トウモロコシはほとんど輸入に頼っているので、ポストハーベスト農薬の心配があるためです。ノコクズ発酵飼料は裏山から採取した腐葉土で発酵させています。いろいろな発酵菌は市販されていますが、これもなるべく地元のものをというこだわりからです。卵の販売にあたっては、この自家配合飼料ががひとつのセールスポイントにもなっています。

さて、6ヵ月後、いよいよ念願の卵を産み始めまして、販売先さがしに卵の見本とパンフレットを持って、先ずは、知り合いを片っ端から回りました。始めてのことなので、どんな反応があるかわかりません。

卵の値段は、餌のコストや手間がかかるためあまり多くの羽数を飼えないので、市販されている卵より割高になります。しかし、なせばなるもので、卵の評判は上々で、またいろいろ世話を焼いてくださる方もいて、少しずつお客さんも増えました。

私はどちらかというと口下手で、ただ卵を配達するだけでは、なかなか農園の様子も伝えられません。そこで、不定期で畑やニワトリの様子や自分の思いなどを「おたより」にして、卵といっしょに配っています。毎回楽しみに読んでくださる方も多く、好評です。

お客さんは、倶知安町内を中心として100件以上になりました。卵とその季節で採れた野菜などをもって、一軒一軒配達させていただいています。地元のものを地元でという思いは少しずつ形になりつつあります。

もしも、所得だけで職業を考えたなら、農業をけっして選ばなかったろうと思います。

ここのところ農業には明かるい話題はあまりありません。

そんな中、あえて、農業といいますか、この道を選んだのかといいますと、農の世界は所得面だけでは、計れない、魅力というか、楽しみや喜びがあると思ったからです。

今まで出会った多くの農家の方々からも教えられましたが、人間にとって何が一番必要なんだろうか、突き詰めて考えますと、やっぱり食べ物だと思うのです。単なる商品やモノではなく命を育む食べ物。

それを自らの手で作れることの喜びは、何物にもかえがたい、百姓の醍醐味だと思うのです。

それは社会経済の枠組みの中にある一つの職業としての狭い範囲での農業から、命を育む食べ物・それらが有機的につながった、生きていくための営みとなる、そんな農を中心としたライフスタイルへの転換によって、いきいきとした農業の明かるい未来が見えてくるのではないかと私は思うのです。

実は、そんな想いの仲間が集まりまして、一昨年、「しりべし百姓なんでもクラブ」という有機農業ネットワークを作りました。今、後志管内で十四軒の農家が参加しています。各種イベント・販売先の斡旋・新規就農者へのアドバイスなど、活動をしています。反響は大きく、各方面からの問い合わせもきています。また、就農を考えている方のより実践的なアドバイスもおこなっています。

最後は宣伝になってしまいましたが、もし、興味のあるかたがいたら、ご連絡ください。卵のほうもよろしくお願いします。

 以上です ご静聴ありがとうございました。山の畑とは

雑感へ

8:26 2016/01/27

 

平飼い卵とシフォンケーキの永光(ながみつ)農園   会社概要 サイトマップ お問い合わせ  平飼い卵 永光農園をご案内します

永光農園 代表 永光洋明永光(ながみつ)農園はどんなところか?

 創業以来、理想を農園を目指してコツコツと作り上げてきた農園の様子を、わたくし代表の永光がご案内いたします。(2015年10月現在)

【住所】北海道清田区有明216番地

 【電話/FAX】011-886-6595

農園へのアクセスはこちら>

永光農園の場所

 

永光農園 地図 永光農園は札幌とは思えないのどかな田園風景がひろがる有明地区の山あいにあります。 札幌で5代続く野菜農家である私の実家は西岡にありますが、都市化に伴い周囲の宅地化で畑が手狭になったため、今から40年ほど前にここ有明の地に農地を求めてやってきました。上の地図で赤く囲った部分がそれで、広さは約1.5ヘクタール、東京ドーム1.2個分です。 私の両親は実家のある西岡と、ここ有明の畑を行ったり来たりしながら、野菜作り、おもにホウレンソウを作っておりました。 大学卒業後、私が平飼い養鶏を始めることになったとき、ここ有明の地に鶏舎を建て、わたしひとりで移り住みました。

平飼い養鶏

鶏舎の位置

keisha-map矢印のところが最初に建てた鶏舎。 1,200羽収容できますが、最初の年は300羽から始めました。 問屋には卸さずお客様に直接売ると決めていたので、最初の頃売り先が見つけられず、作業部屋が卵で溢れかえったこともありました(笑) その後少しづつニワトリの数を増やしていって、10年後ぐらいに第2鶏舎を建てました。赤い屋根の第1鶏舎の隣の銀色の屋根です。 そして昨年(2014年)、最新式の第3鶏舎を建設して、今は約3,000羽を飼育しています。 これでも、養鶏ではうんと小さい規模なんですよ。

平飼い鶏舎の中平飼い鶏舎の内部

こちら平飼い鶏舎の中の様子です。自由に歩き回って健康に育ちます。 外に緑に見えるのはニワトリ用の牧草です。この牧草を食べることでニワトリはますます健康になり、卵も味が良くなります。牧草の肥料は100%鶏糞を与えており、循環農業になってます。平飼い有精卵についてもっと詳しく>

平飼いの動画

このように自由に動き回り、とても健康そうです。有精卵にするため、オスも一緒に同居しています。白くて体が大きいのがオスです。

ヒヨコの動画

こちらは産まれたばかりのヒヨコの動画です。永光農園ではヒヨコから平飼いで育てるので、とても丈夫な母鶏になります。

 新平飼い鶏舎新平飼い鶏舎新平飼い鶏舎

2014年の夏、最初に建てた鶏舎の後ろに新しい鶏舎を建てました。こちらはエサやりや集卵を機械化した最新式の平飼い鶏舎です。人が鶏舎内に入ることが少なくなったため、床が踏み固められずいい状態になりました。また、卵もきれいな状態で集卵できるようになり、いいことづくめです。

一面の牧草畑

牧草畑鶏舎のまわりは一面の牧草畑になっています。これはニワトリに短く刈って食べさせるためで、牧草を食べるとニワトリは健康になり、卵の質も非常に良くなります。

 牧草の種類はオーチャードグラスという名前で、これは牛に食べさせるのと同じ種類の牧草です。北海道で多く栽培されている牧草で、雪の下で冬を越し、丈夫で伸びるのが早いです。この牧草は鶏糞で育てるので、循環農法にもなっています。

芝刈り機こちら芝刈り機です。この芝刈り機で牧草を短く刈ってニワトリに与えます。雨降り以外は毎日やります。

 毎日芝を刈っていると、農場全体が緑の絨毯を敷き詰めたようになります。特に春先は緑が輝きとりわけ美しくなります。なので、この芝刈りの仕事はとても楽しい仕事です。冬の農園

冬の永光農園 冬はとても長いです。冬の間、ニワトリは若干産卵率は下がるものの、ちゃんと卵を産みます。この写真は11月の中旬のものですが、だいたいいつも12月のはじめころ根雪になり、翌年の3月いっぱいまで雪が積もっています。

コッコテラス

コッコテラス 建物

コッコテラスの位置コッコテラスは矢印の位置にあります。すぐ裏の鶏舎からとれたての平飼い有精卵を持ってきて販売しています。また、この卵を使ったスイーツも製造・販売。店内にはカフェも併設されていてパンケーキが人気です。

コッコテラスは2014年4月にオープンしました。この施設は農水省の6次産業化整備事業の認可を受けた施設です。

オープンした年は、地元北海道の情報テレビ番組など、各種メディアで取り上げられたこともあり、年間約6万人の来客がありました。

コッコテラスについてもっと詳しく>

平飼い有精卵の自販機

平飼い有精卵の自販機の場所

平飼い有精卵の自販機小屋 平飼い有精卵の自販機

コッコテラスの右隣にある赤い小さな建物はたまごの自販機の小屋。

 新鮮な平飼い有精卵を24時間購入可能です。

お金を入れたら赤いランプがつくのでボタンを押してください。扉が開くので中の卵を取り出してください。

1,000円札使えます。5千円札、1万円札は使えませんのでご了承ください。

自販機での卵の買い方についてもっと詳しく見る>

農園の四季

 

農園の四季の場所農園の四季は代表・永光洋明の両親が運営する農家のそば屋。金・土・日・祝日のみの営業です。蕎麦はこだわりの十割そば。永光農園の平飼い有精卵を使った厚焼き玉子も好評です。

この建物はもとをたどれば農業倉庫。トラクターや農業資材の置き場でした。

その後、わたくし、永光洋明の住居として住んでいたこともあります。

2度の改築を経て、現在のそば屋の店舗として使われているわけです。

農園の四季についてもっと詳しく見る>

ごあいさつ >農園紹介農園紹介トップごあいさつ│永光農園代表 永光洋明

沿革会社概要

アクセス

お問い合わせ

コープさっぽろ農業賞受賞

自販機で平飼い有精卵を買う方法

満点青空レストラン出演

© 永光農園. all rights reserved.

http://nagamitsufarm.com/about/

11:19 2016/01/09

 

 

滝田 好治様

 

全国自然養鶏会へのご入会申し込み、誠に有難うございます。下記の通りお申し込み受け付けしましたのでお知らせいたします。内容確認後、滝田 好治様へ確認のご連絡をさせて頂きます。

 

==============お申し込み内容===============

■お名前:滝田 好治■ふりがな:たきたよしはる

■メールアドレス:takita@po.synapse.ne.jp

■お電話番号:0997-69-3195

 

■所在地:鹿児島県大島郡龍郷町大勝3113-1戸建て

■ご要望:学びたいのでお願いします

全国自然養鶏会

10:10 2016/01/09



引用20161 4 ()ところが、そんな経営の一大転機を迎えている国内空港において、唯一の優等生と評価されている地方空港がある。石川県の能登空港だ。
http://amamioosimasanrinha.synapse-blog.jp/takita/2016/01/post-8c5f.html
16:45 2016/01/04


2016年1月 4日(月)血税空港 本日も遠く高く不便な空の便 (幻冬舎新書)新書–2009・5・27 森 功・第5章 赤字「空港」の支え「空整特会」・149・

http://amamioosimasanrinha.synapse-blog.jp/takita/2016/01/2009527-5-28f3.html

14:41 2016/01/04


 2016年1月 3日 (日)生まれ変わる首都圏の空港 単行本–2009・3 杉浦一機(著) 「飛行機を降りてから自宅まで30分、自宅から搭乗機のゲートまで30分が、この国の政府の政策目標だからね」

http://amamioosimasanrinha.synapse-blog.jp/takita/

15:07 2016/01/03


2016年1月 2日 (土)第4章 求められる空港会社の効率化・163頁・羽田空港の上物(ターミナルビルなど建物施設)と下物(滑走路など基本施設)はまったくの別個の組織で運営されている。下物は国が整備・運営しているが、上物は民間企業等が国からスペースを借りて整備・運営している。従って、上物は典型的な権益事業なのだが、権益はいくつにも分割されており、上物の利益は下物の整備に寄与しない構図になっている。

http://amamioosimasanrinha.synapse-blog.jp/takita/2016/01/4-f151.html

16:47 2016/01/02


2016年1月 2日 (土)杉浦/一機 航空アナリスト。首都大学東京客員教授。世界の空港、エアラインのサービスや経営について造詣が深く、利用者サイドに立った航空の評論がモットー。1947年生まれ・利益が利用者に還元されない羽田・164頁・隠れた優良企業・空港ビルにも多くの子会社・天下り先の空港環境整備協会・権益だけで生きる空港施設。

http://amamioosimasanrinha.synapse-blog.jp/takita/2016/01/1947-a188.html

15:42 2016/01/02


2016年1月 9日 (土)むろん、主に間接業務をやっている公務員も半減できる。今では役所の窓口業務の多くは喜界がやっているのに、カウンターの向こうでのんびりしている職員の人数が激減したという話は聞かない。マイナンバーも、本来なら公務員を大幅に削減するためのものだったはずだが、全くそうはなっていない。

引用「ビジネス新大陸の歩き方」第511回安倍流賃上げ・時給1000円は経理の「け」の字も知らない素人論議・

http://amamioosoma.synapse-blog.jp/yosiharu/2016/01/post-9a54.html

14:05 2016/01/09


全国自然養鶏会は中島正氏の著書「自然卵養鶏法」に共感し、循環農業の一環としての自然養鶏を確立すべく、情報交換や交流会を行っています。

全国自然養鶏会のログマーク

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中島正先生の想い  「協力を惜しまないので是非実現させてください」中島正

全国自然養鶏会の設立のきっかけは、1982年夏、雑誌「現代農業」への一通の投稿でした。投稿者は浜松の吉田行由さん(1984.4月没)。

当時吉田さんは「自然卵養鶏法」を教科書にして養鶏に取り組んでいましたが、失敗も多く、おそらく全国で同じように孤軍奮闘しているであろう同志達との交流、勉強の場が出来ないだろうか、賛同する方の連絡を求めます、と言うのが投稿の内容でした。

すると、直ぐさま中島正先生より「協力を惜しまないので是非実現させてください」との便りが届き、また「現代農業」編集部の萩原明さんからも賛同の便りが届き、第一歩を踏み出しました。

 会の設立は1983年1月10日。岐阜の中島正先生宅に、先生、吉田さん、萩原さん、私の4名が集まり、事務局を吉田さん宅に置き、中島正先生には顧問というかたちで参加していただき、「現代農業」に会の発足と会員募集を掲載することが決定されました。(当時、中島正先生は「現代農業」に後の著書「みの虫革命」「都市を滅ぼせ」へとつながる連載記事を掲載中でしたが、あまりにも過激すぎると編集部では批判的だったそうですが、個人的にも中島正先生を応援していた萩原さんの存在は大きかったと思います。)

 

掲載後の反響は大きく、1ヶ月余の間に100名に迫る入会申し込みがあり、いかに自然養鶏を志す人たちが情報や技術を欲し、何よりも仲間に飢えていたかということが実感させられました。

 

1983年4月、先生の「全国自然養鶏会発会に寄せて」を巻頭に「鶏声」第一号が発行され、会員紹介を通じて交流が一気に広がりました。

 

会員の要望に応えるかたちで第一回交流会を開催したのは1984年2月、参加者は60名。中島正先生の「自然養鶏のこれからのとりくみ」の講演と意見交換で熱気あふれるすばらしい交流会となりました。

ちなみに「全国自然養鶏会」は吉田さんが付けられました。当初は単に「自然養鶏会」とする予定が、反響の大きさに“各地で同じような会が発足し、中島先生の争奪戦になっても困る”と考え、中島養鶏直系の会は当会であるとの意味を込めて「全国自然養鶏会」とされました。

静岡県浜北市   千葉正則

 

中島正先生の人柄「自然卵養鶏法」を読んで、すっかり心酔していた私は、あの思想、文章からして何か近寄りがたい、するどい雰囲気の方かと想像していましたが、実際は実におだやかな表情と言葉づかい、そしてこちらの拙い質問にもていねいに答えて下さる誠実さ、等々、人間としての深さ、大きさが感じられ先生と出会えたことの幸せに浸る事が出来ました。

 

発足当時は「鶏声」の記事を頻繁にお願いしていましたが、農作業、地元の養鶏組合長としての仕事、執筆、見学者の対応、講演等々と多忙の中、お願いした期日通りに送って下さいました。

 

ところがこちらの怠慢で発行が大幅に遅れたりしても、かえってねぎらいの便りを頂いたりして、実に恐縮したものでした。

 

その原稿や便りのほとんどは新聞チラシの裏側に記されていたのも中島正先生の生きる姿勢が垣間見られる気がします。

 

「自然卵養鶏法」と出会って25年。当初と全く変わらない形で養鶏を軸に百姓生活を送っています。中島正という百姓の凄さ、正しさをあらためて痛感するとともに、心より感謝申し上げます。

 

千葉正則

http://shizenran.jp/nakajima

 

8:53 2016/01/09

中島正先生の想い 「協力を惜しまないので是非実現させてください」中島正

全国自然養鶏会の設立のきっかけは、1982年夏、雑誌「現代農業」への一通の投稿でした。投稿者は浜松の吉田行由さん(1984.4月没)。

当時吉田さんは「自然卵養鶏法」を教科書にして養鶏に取り組んでいましたが、失敗も多く、おそらく全国で同じように孤軍奮闘しているであろう同志達との交流、勉強の場が出来ないだろうか、賛同する方の連絡を求めます、と言うのが投稿の内容でした。

 

すると、直ぐさま中島正先生より「協力を惜しまないので是非実現させてください」との便りが届き、また「現代農業」編集部の萩原明さんからも賛同の便りが届き、第一歩を踏み出しました。

 

会の設立は1983年1月10日。岐阜の中島正先生宅に、先生、吉田さん、萩原さん、私の4名が集まり、事務局を吉田さん宅に置き、中島正先生には顧問というかたちで参加していただき、「現代農業」に会の発足と会員募集を掲載することが決定されました。(当時、中島正先生は「現代農業」に後の著書「みの虫革命」「都市を滅ぼせ」へとつながる連載記事を掲載中でしたが、あまりにも過激すぎると編集部では批判的だったそうですが、個人的にも中島正先生を応援していた萩原さんの存在は大きかったと思います。)

 

掲載後の反響は大きく、1ヶ月余の間に100名に迫る入会申し込みがあり、いかに自然養鶏を志す人たちが情報や技術を欲し、何よりも仲間に飢えていたかということが実感させられました。 

1983年4月、先生の「全国自然養鶏会発会に寄せて」を巻頭に「鶏声」第一号が発行され、会員紹介を通じて交流が一気に広がりました。 

会員の要望に応えるかたちで第一回交流会を開催したのは1984年2月、参加者は60名。中島正先生の「自然養鶏のこれからのとりくみ」の講演と意見交換で熱気あふれるすばらしい交流会となりました。

ちなみに「全国自然養鶏会」は吉田さんが付けられました。当初は単に「自然養鶏会」とする予定が、反響の大きさに“各地で同じような会が発足し、中島先生の争奪戦になっても困る”と考え、中島養鶏直系の会は当会であるとの意味を込めて「全国自然養鶏会」とされました。

静岡県浜北市   千葉正則 


中島正先生の人柄「自然卵養鶏法」を読んで、すっかり心酔していた私は、あの思想、文章からして何か近寄りがたい、するどい雰囲気の方かと想像していましたが、実際は実におだやかな表情と言葉づかい、そしてこちらの拙い質問にもていねいに答えて下さる誠実さ、等々、人間としての深さ、大きさが感じられ先生と出会えたことの幸せに浸る事が出来ました。

 

発足当時は「鶏声」の記事を頻繁にお願いしていましたが、農作業、地元の養鶏組合長としての仕事、執筆、見学者の対応、講演等々と多忙の中、お願いした期日通りに送って下さいました。

ところがこちらの怠慢で発行が大幅に遅れたりしても、かえってねぎらいの便りを頂いたりして、実に恐縮したものでした。

その原稿や便りのほとんどは新聞チラシの裏側に記されていたのも中島正先生の生きる姿勢が垣間見られる気がします。

「自然卵養鶏法」と出会って25年。当初と全く変わらない形で養鶏を軸に百姓生活を送っています。中島正という百姓の凄さ、正しさをあらためて痛感するとともに、心より感謝申し上げます。 

千葉正則 

8:54 2016/01/09

自然卵養鶏法


都市を滅ぼせ 単行本(ソフトカバー)– 2014/6/21中島 正 (著)

独自の無農薬農法で自給自足生活を約70年間続けてきた大正9年生まれ93歳の著者が、行き過ぎた近代化、工業化によって失われていく自然環境、そして多くの生命が脅かされている今の日本に対して、論理的かつ明快に警鐘を鳴らした書。内容(「BOOK」データベースより)

繁栄や利潤にこだわり、恐竜と同じ道を辿るのか?愉楽や便利さと決別し、土と共に生きるのか? 商品の説明をすべて表示する登録情報

単行本(ソフトカバー): 256ページ出版社: 双葉社 (2014/6/21)

言語: 日本語発売日: 2014/6/21

目次

第1章 都市の悪

第2章 都市と田舎

第3章 都市の起源

第4章 都市を滅ぼせ

第5章 都市からの離脱

第6章 都市の自滅

第7章 民族皆農

第8章 独立農業

第9章 都市と食糧

 素晴らしい本

倉本聰さんの「ヒトに問う」を読んでこの本の存在を知った。タイトルはギョッとするが、読み進めていくと、現代の病とも言う拝金主義、資本主義経済の悪い部分が良く理解できる。著者は江戸時代の医学者、農学者でもある安藤昌益の研究者としても有名だが、安藤昌益の唱えた「不耕貪食」を打倒する、つまり自分で食も賄うことなく他人に依存し、遊んでいる商業者、武士、また殿様までそうして糾弾した精神を、自身の暮らしで実践してきた方でもある。

今後、都市は農村をないがしろにしていても食料を全面的に依存しているため、都市人口が増えるにつれて、自然破壊、食糧不足の問題などで消滅していくと主張している。

ただし、そのタイミングこそが重要であり、自然が取り返しのつかないことになる前に都市を滅ぼすことが大切だとも述べており、それには都市で生活する1人1人が都市を脱出し、小農(自給自足をし、つつましく生きる)生活を実践していくことこそ最短であり最善の道と説いている。目から鱗の一冊である。

8:47 2016/01/09

 

自然塾

富良野自然塾   富良野自然塾とは

 富良野自然塾とは 作家・倉本聰が主宰する富良野自然塾は、ゴルフ場跡地を元の森に還す「自然返還事業」と、そのフィールドを使った「環境教育事業」を行っています。

緑の教室 北海道富良野の大自然を五感で感じながら体験するプログラムは、演劇的手法を用いたドラマチックな表現や仕掛けによって展開し、地球環境を楽しく学ぶことができます。

植樹 2006年のオープン以来、修学旅行の団体から個人のお客様、外国のお客様まで、約40,000名の方にご参加いただき、植樹本数は60,000本を超えました。

»» 富良野自然塾 森の成長記録

自然返還ゴルフ場跡地が着実に森に還っています。フィールド各地点における月毎の記録写真 倉本聰メッセージ

倉本聰  僕達人間の存在にとっての必需品とは何なのでしょうか。  食もそうですし、衣も住もそうでしょう。しかしそれ以前にもっと最重要なもの。それは、空気と水、です。しかしこの二つの重要性を、それがあまりにも身近で当り前すぎる為、僕らは普段忘れてしまっています。

ではその空気と水を供給してくれているものは何か。森です。それも森の葉っぱです。しかし人類は古今東西、森を見るとき、木材になる幹ばかり見て葉を見ることを忘れていました。

平成17年、富良野プリンスホテルゴルフコースが閉鎖されると聞き、そこを昔の森に還してはどうかと提案し快諾を得ることが出来ました。今僕達は、この土地をお借りしてそこを元の森に還す事業、同時にそのフィールドを利用しての環境教育事業に取り組み始めました。

森に還すとは、単に植樹をすることではありません。近隣の森から、種や実生や若苗を採取し、移植可能な時期まで育てて初めて地面に植えつけるという忍耐と歳月の遠大な作業です。多分このコースが森に還った姿を、僕らは生きて見ることが出来ないでしょう。だからこそこの事業を未来につなげていかなければなりません。

  これは、利を得る為の事業ではありません。僕らは木材の為に森をつくるのではなく、これまで不当に無視されて来た葉っぱをつくる為に森をつくろうとしています。何故なら葉っぱこそ空気の清浄と水の貯蔵を司る最も重要な機関だからです。三井住友銀行(SMBC)のご協力によって、僕らはこのプロジェクトを進行させています。

どうかまず、興味を持って、このフィールドにいらしてみて下さい。

プログラム紹介

環境教育プログラム

環境教育プログラム ゴルフ場跡地に設置した「石の地球」「地球の道」などの施設で、植樹を含めた様々なプログラムを体験できます。

»» 体験時間・予約方法など、詳細はこちら

 

闇の教室 全く光のない空間で様々な「闇」の体験ができます。視覚以外の感覚が蘇る不思議な感動的な時間です。»» 体験時間・予約方法など、詳細はこちら 朝の地球散歩 夏季限定プログラム。清々しい朝の空気に触れ、自然と地球を感じてください。AM6:30~/AM7:00~。所要1時間。

»» 体験時間・予約方法など、詳細はこちら  

生活体験プログラム

富良野塾跡地を拠点にし、電気やガスのない中で「水汲み」「まき割り」「農作業」などの原始的生活を体験できます。

ビジットプログラム(出前授業)ビジットプログラム

 学校・公園・体育館・野球場・会議室・河川敷・山頂と、どこにでも出向き、楽しくそして分かりやすくメッセージを伝えます。

富良野自然塾流・森の散策 

富良野・環境トレッキング

 富良野自然塾スタッフと一緒に富良野の森を歩きませんか。

 森・水・土・虫・鳥といった、自然の見方が少し変わるかもしれません。ヒグマの爪痕が見つかることも!?

体験プランのご提案

修学旅行

修学旅行 エネルギー問題や食糧問題などに直面している昨今、体験を伴う環境教育のニーズが高まってきています。

 富良野周辺で体験可能な「ラフティング」や「ソーセージ作り」、富良野在住の役者による「表現コミュニケーションプログラム」などと組み合わせることにより、学び多き修学旅行を実現できます。

また、宿泊先の宴会場や、スキー場ロープウェイ山頂など広い場所での「環境や富良野の自然」講話も承っています。

高校生修学旅行での行程事例»» 札幌市内の小学校導入事例(環境情報誌エコチル)

企業研修

企業研修 環境に対する企業の社会的責任は、これまでに比べ一層求められている背景もあり、新入社員研修やCSR活動として、多くの企業や団体様にご利用いただいています。札幌や旭川の工場視察などと組み合わせて富良野を訪れるケースも増えてきています。富良野在住の役者による「表現コミュニケーションプログラム」との組み合わせもお勧めです。

»» ご提案書 (利用空港:新千歳空港 or 旭川空港)

»» 株式会社 こども環境保育研究所 様(導入事例)

»» 株式会社 鈴木ハーブ研究所 様(導入事例)

»» 株式会社 山田養蜂場 様(導入事例)

個人旅行

個人旅行 大自然で地球を感じ、家族や仲間と一緒に行う植樹は一生の思い出になります。「旭山動物園」「美瑛ドライブ」「ドラマのロケ地巡り」など、夏の北海道を満喫してください。旅程のアレンジや、富良野市内ガイドも承っておりますので、ご相談ください。

人気観光スポットも漏れなく巡るオススメ行程案

»» 富良野~美瑛~旭川を巡る親睦旅行(5泊6日)行程例

 宿泊研修・課外授業

宿泊研修 修学旅行だけでなく、「宿泊研修」「課外授業」「新入生研修」など、学校カリキュラムにおける様々なシーンにてご活用いただいております。

»» 宿泊研修・課外授業・新入生研修などに

季刊誌カムイミンタラ

季刊誌カムイミンタラ 「カムイミンタラ」とは、自然を畏怖しそこに満ち溢れる生命に神々を感じていたアイヌ民族の言葉で“神々の遊ぶ庭”という意味です。倉本聰の書下ろしエッセイのほか、各分野の専門家に突拍子もない質問をして答えていただく「愚者の質問」など、毎号盛りだくさんの内容になっています。

なお、賛助会員の皆様には「カムイミンタラ」を無料でお届けいたします。

»» バックナンバーを見る

各地の自然塾

富良野自然塾の活動が全国各地に広がっています。

森のようちえん

森のようちえん グリーン、芝生、バンカー、森林といった元ゴルフ場であるフィールドを利用し、0歳から6歳までの未就学乳幼児を対象とした「森のようちえん」を開催しています。»» 活動詳細/「森のようちえん」とは

森づくりの集い

森づくりの集い 近隣市民の皆様をお招きして毎月開催している「植樹会」です。

 運動不足解消にもなります。家族やお仲間で、ピクニック感覚で気軽にご参加ください。»» 開催スケジュールなど

お知らせ

新着情報 【2016年春スタッフ&学生インターンシップ募集】野自然塾では2016年春から一緒に働けるスタッフを募集しています。

»» 募集要項など、詳細はこちら

新着情報 【会費のクレジット決算を導入いたしました】富良野自然塾の活動は、ご賛同いただける皆様(個人会員、法人会員)からのご支援によって支えられています。

富良野自然塾の日々関連書籍 『愚者が訊く』

倉本聰が、自然のあり方、ヒトの行く末、日本の未来について、一流の専門家たちに恥も外聞も捨て、愚者として初歩的な質問をどんどん問いかける対談集。「誇りを捨てなかったら得られなかった」 珠玉の知識に溢れた一冊。

 (発売日:2014/5)   

『ヒトに問う』3.11により壊滅した福島を歩き、聞き、感じながら、日本の今後のあるべき姿について2年半にわたり書き続けた、日本で生きるすべての「ヒト」にあてた渾身のメッセージ。 (発売日:2013/11)

  『倉本聰の姿勢』脚本家、演劇人、自然人、教育人…倉本聰のすべてがわかる珠玉の一冊。◆演劇人対談 仲代達矢 無名塾×富良野塾 ◆富良野自然塾スタッフによるインタビュー 他 (発売日:2012/07) 

 アクセスお問い合わせ

NPO法人 C・C・C富良野自然塾

076-0017 北海道富良野市下御料

MAIL : shizenjuku@furano.ne.jp

 TEL : 0167-22-4019

 FAX : 0167-22-5385

特別協賛 本事業は三井住友銀行の特別協賛を得て行っています。

賛助会員募集

富良野自然塾はご賛同いただける皆様からの会費、寄付、ご支援によって支えられています。この事業を未来へ繋げていくためにも、ぜひ、この機会にご入会ください。

年会費 : 【個人】 1口 3,000円   【法人】 1口 30,000円

 会員特典 : 季刊誌「カムイミンタラ」をお届けいたします(年4回発行予定)»» 入会方法はこちら プログラムを体験された方々

これまで体験された多くの著名人からも、高い評価を頂いています。(敬称略・五十音順)

安藤忠雄 USA(EXILE) 枝廣淳子 岡田武史 川端達夫 久米宏 栗山英樹 玄葉光一郎 国分太一 ゴスペラーズ 小林武史 さくらももこ 竹下景子 立川志の輔 中島美嘉 中嶋常幸 原口一博 平井理央 MISIA 三浦雄一郎 三倉茉奈 三倉佳奈 八千草薫  他、多数

http://furano-shizenjuku.com/

 8:29 2016/01/09


 塾長メッセージ2008年 春 塾長 倉本 聰  僕達人間の存在にとっての必需品とは何なのでしょうか。

 食もそうですし、衣も住もそうでしょう。しかしそれ以前にもっと最重要なもの。それは、空気と水、です。しかしこの二つの重要性を、それがあまりにも身近で当り前すぎる為、僕らは普段忘れてしまっています。  ではその空気と水を供給してくれているものは何か。森です。それも森の葉っぱです。しかし人類は古今東西、森を見るとき、木材になる幹ばかり見て葉を見ることを忘れていました。

平成17年、富良野プリンスホテルゴルフコースが閉鎖されると聞き、そこを昔の森に還してはどうかと提案し快諾を得ることが出来ました。今僕達は、この土地をお借りしてそこを元の森に還す事業、同時にそのフィールドを利用しての環境教育事業に取り組み始めました。

森に還すとは、単に植樹をすることではありません。近隣の森から、種や実生や若苗を採取し、移植可能な時期まで育てて初めて地面に植えつけるという忍耐と歳月の遠大な作業です。多分このコースが森に還った姿を、僕らは生きて見ることが出来ないでしょう。だからこそこの事業を未来につなげていかなければなりません。

これは、利を得る為の事業ではありません。僕らは木材の為に森をつくるのではなく、これまで不当に無視されて来た葉っぱをつくる為に森をつくろうとしています。何故なら葉っぱこそ空気の清浄と水の貯蔵を司る最も重要な機関だからです。

三井住友銀行(SMBC)のご協力によって、僕らはこのプロジェクトを進行させています。

どうかまず、興味を持って、このフィールドにいらしてみて下さい。

 三井住友銀行 ※SMBC環境プログラム

 この事業は三井住友銀行(SMBC)の特別協賛を得て行っています。

8:33 2016/01/09

 

 

富良野風話 日本人として 単行本  – 2015/6/20倉本 聰 (著)総合ビジネス誌『財界』に好評連載中の「富良野風話」2011年4月19日号~2015年2月24日号より、一部加筆。東日本大震災後の日本に焦点を当て、北の国から、暖かいまなざしで日本人を見つめ続ける。鋭い社会風刺と批判精神に溢れた読後感さわやかなエッセイ集。

 

日本人は一体どうなってしまったのだろう。絆という言葉はどこへ行ったのだろう。  商品の説明をすべて表示する 

単行本: 258ページ出版社: 財界研究所 (2015/6/20)言語: 日本語

発売日: 2015/6/20

目次

覚悟 馴(な)れる ゴミに非ず 一億総懺悔 70センチ四方 断(だん)捨(しや)離(り) 夜鳴きゼミ マグロ 卑怯の原点 不都合な真実 活動時間 手紙 そもそも 無関心 日本人として 無主物 パブリック・アイ・アワード 正月の憂鬱 復興庁 ひどすぎる 偉い人 甘えるな! 見えない 理屈と行動 いつしか 需要仕分け 不利益の分配 水クラゲ 近いうちに 因果関係 愛国無罪 島 復興予算 監視 万歳 御(ご)神(しん)木(ぼく) 100円ショップ 記憶 一億総認知症 スピード 教師 砂の山 1票の格差 修理人 待機児童 憲法第9条・考 殺人ロボット兵器 左翼のクソ 抗日ドラマ 8月の憂鬱 職人消滅 オリンピック雑感 ささやかな抵抗 スピード狂時代 聞く耳 神の目、法の目 足元 特定秘密保護法 性善の誓い 小野田寛郎氏 信なくば 作品 死について ヘイト菌 赤電話 風化 シルバーエイジ ノーベル平和賞 カネコ君 憲法第9条 恥 第四の矢 69年目の夏 気象 テレビの品格 日和見菌 悲劇の風化 片仮名 馬の話 灰色コマーシャル 空しさの春 重量 まどろむ

   商品の概要に戻る

7:38 2016/01/09   


昭和からの遺言 新書  – 2015129 倉本 聰 (著) 数多くの演劇やドラマ作品を通じて、自然環境の破壊や社会秩序の乱れについて警鐘を鳴らし続けている著者の最新エッセイ。貧しくはあったが光と幸せに満ちていた昭和の時代を、80歳になったのを機に自らの体験と独特の切り口でふりかえる。日本人は今後どのように生きていくべきかを考える上での指針となる一冊。 著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

倉本/聰

1935年、東京都出身。作家・脚本家・劇作家・演出家。東京大学文学部美学科卒業後、1959年ニッポン放送入社。1963年に退社後、脚本家として独立。1977年、富良野に移住。1984年から2010年まで、役者やシナリオライターを養成する私塾「富良野塾」を主宰。この26年間に育てた「富良野塾」の卒業生とともに創作集団「富良野GROUP」を立ち上げ、現在は主に舞台公演を中心に活動している。2006年より「NPO法人富良野自然塾」を主宰し、閉鎖されたゴルフ場に植樹をし、元の森に返す自然返還事業と、そのフィールドを使った環境教育プログラム活動を積極的に行なっている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

登録情報 新書: 200ページ出版社: 双葉社 (2015/12/9)

言語: 日本語発売日: 2015/12/9

目次

欲しがりません

闇の情景

戦いのルール

卑怯について

雷おやじの哀歌

一片の瓦礫

子供の世界

屋根は見ていた

あとがきに代えて―深さの記憶

7:40 2016/01/09  


カネの量と幸福度は比例しない・北の国からの五郎さんが本当に伝えたかったこと・日本人の幸福度・世界中で最も幸福度が高い国はスイス・以下、アイスランド、デンマークと続き・日本は国内情勢が安定捨て要るとはいいがたいベネズエラやウズベスキタンより低い46位に位置しています。日本は戦争も内覧もなく、世界的に見て先進国と呼ばれるのに、不思議なものです。

その理由の一つは、多くの日本人が、経済的に豊かになりさえすれば、幸福も得られると誤解してきたからではないでしょうか。

倉本聡・

北の国から

麓郷の森 黒板五郎の丸太小屋 Akiyoshi's RoomP6220389.jpg

五郎3番目の家 麓郷の森IMG 0111Akiyoshi's Room.jpg

ロケーション撮影に使用された五郎の家。 初代丸太小屋(上)。

3番目に建てられた家(下)。いずれも麓郷の森に移築。日本の旗 日本 『北の国から』(きたのくにから)は、フジテレビ系で放送された日本のテレビドラマ。主演は田中邦衛。

1981年10月9日から1982年3月26日まで毎週金曜日22:00 - 22:54に、「金曜劇場」枠で連続ドラマが、1983年から2002年までドラマスペシャルが放送された。北海道富良野市(主に麓郷地区)が舞台。

東京から故郷の北海道に帰郷して、大自然の中で暮らす一家の姿を描く。脚本は倉本聰で、北海道の雄大な自然の中で繰り広げられる。連続ドラマ放送後、8編に及ぶドラマスペシャルが放映された。主題歌の作曲・スキャットは、さだまさし。

映画『キタキツネ物語』と『アドベンチャーファミリー』の大ヒットにより、似たようなものができないかとフジテレビから倉本に話が持ち込まれた事から企画が始まる[1]。コンセプトは、アメリカ合衆国のテレビドラマシリーズ『大草原の小さな家』をヒントにしたものと言われる。最初の放送からドラマスペシャルが21年間に渡って放送されたが、制作スタッフの高齢化による定年退職や、長期ロケによる高額な制作費により、続編の制作が困難になった事から、『2002遺言』をもってシリーズの歴史に幕を下ろした。 

フジテレビ系列局である北海道文化放送が連続ドラマ版を開局10周年記念番組として位置付けて番組制作に協力し、その後のドラマスペシャル版でも制作協力をしており、毎回長期に渡る北海道ロケによって制作された。美しい自然や祭りなど、富良野市は日本中に知られるようになり、過疎の村だった麓郷地区には第1作放送直後から、休日になると数百人の観光客が見物に訪れることとなった。最終作が放送された2002年度には249万人が訪れている[2]。富良野は北海道の観光名所となり、ドラマに使われた丸太小屋が再現された他、富良野市農業協同組合駅前4号倉庫を改造した「北の国から資料館」が設けられた。連続ドラマ第1話、黒板親子が降り立った布部駅の入口脇には、倉本の筆による「北の国 此処に始る」と書かれた碑が建てられるなどした。

 

新富良野プリンスホテルの敷地内には『北の国から』をはじめとする富良野を舞台にしたドラマグッズを販売する『富良野・ドラマ館』があり、ここでは黒板五郎のニット帽子やジャンバー等のオリジナルグッズが購入できる。なお、この建物は倉本の意向により昭和17年当時の富良野駅をモデルに建てられており、店内にはだるまストーブなどがあり、冬季は今でも使われている。

 

協力者[編集]

 

舞台を麓郷とする着想は、富良野に移住した倉本が麓郷で林業を営んでいた人物と出会ったことがその始まりであった。ドラマに登場する中畑和夫はこの人物をモチーフとしたキャラクターである。この人物は妻とともにロケ地の提供や撮影への協力を献身的におこないドラマを支えた。倉本は彼を「『北の国から』の全作品を通しての最大の功労者」「彼がいなかったら出来ていない」と記している[3]。また、彼をはじめとする富良野で出会った人々についてはエッセイ『北の人名録』(新潮文庫)に詳しく記されている。

 

全24話。テレビ大賞受賞作品。異例の1年2か月間に及ぶ長期ロケを敢行。スタート当初は視聴率も一時は1桁台に落ちた[4]ものの尻上がりに上昇し最終回には20%を突破、平均視聴率は14.8%を記録した。また最終回放送日には各新聞朝刊にお礼広告を出稿。視聴者から寄せられた投書も1万通を超えた。

 

主役の黒板五郎役は大御所俳優からは高倉健・田中邦衛・仲代達矢・菅原文太・北島三郎。演技派のベテラン俳優からは緒形拳。二枚目の銀幕スターからは藤竜也などの候補者がいたが、最終的には情けなさそうな人物の父親像ということで田中邦衛を抜擢した[5]。なお、菅原文太は『北の国から'92巣立ち』に特別出演している。

 

純による東京のガールフレンドに語りかけるナレーションが、物語の語り手となっている。「今日僕は…なわけで」「…しており」「…と思われ」などの特徴的な口調は、同じ倉本脚本のドラマ『前略おふくろ様』で主役を演じる萩原健一によるナレーション手法を転用したものである[6]。倉本は『前略おふくろ様』で初めてこの手法を使用した際に口調は山下清から流用したが、本作でもそのまま使われる形になった[6]。後のスペシャル化後はガールフレンドに語りかける設定はなくなったが、このスタイルは踏襲された。

 

制作費予算は総額約6億円で1話あたり約2,500万円[7]。ただし、倉本によると実際には1話あたり5,000万円近くかかり、放送前の時点で赤字が積み上がったため中村敏夫プロデューサーが心痛から急病[8]で入院することになったという[9][10]。連続ドラマでは東京の場面が多いが、これは東京と地方の対比を描きたかったことと前述の番組予算問題のためである[5]。


 ドラマスペシャル[編集] 連続ドラマの好評を受け、10年単位で子役の成長を追う大河ドラマというコンセプトで、当初から長期シリーズとする予定で開始。ドラマスペシャルでは常時視聴率20%超えを記録した。全ての作品がビデオ化されている。

 番外編[編集]

ゆく年くる年(1982年 - 1983年)フジテレビ制作回。田中邦衛・吉岡秀隆・中嶋朋子の3人が出演。北の国から 記憶2002年8月23日・30日放送。最終章「2002 遺言」の放送前に制作された総集編。2週にわたって「金曜エンタテイメント」枠にて放送。前編の「1980 - 1987」は、連続ドラマから「'87 初恋」まで、後編の「1989 - 1998」は、「'89 帰郷」から「'98 時代」までとなっている。この作品で大凡のストーリーが理解できるものの、前後編4時間弱という時間の関係上、細かなストーリーは省略されている。ドキュメンタリー“北の国から”2002年9月9日放送。「2002遺言」の舞台裏を中心としたドキュメンタリー番組。語りは中嶋朋子。

本作終了後[編集]

5夜連続!アンコールドラマスペシャル「北の国から」2003年12月16日 - 20日放送。ハイビジョン撮影がされていた「'95秘密」、「'98時代」、「2002遺言」を地上デジタル放送開始を記念して、初のハイビジョン版での放送。なお編成上の都合で時間枠が足りなかった「2002遺言・前編」については、冒頭で22年間を振り返る回想シーンが追加されている。北の国から2005 純と結の家2004年、富良野市麓郷『拾って来た家』の一角に新たに「純と結の家」が作られた事を記念した倉本の書き下ろし短編。純の語りだけで構成されており、完成式で倉本自身によって朗読された。純と結の新婚生活と2人の拾って来た家が作られるまでの物語。「季刊 富良野塾」に掲載された他、麓郷の拾って来た家では直筆原稿を読むことができる。カルトQ2005〜誇り〜(北の国から)編2005年10月17日(月)深夜1:19 - 2:14の登龍門ニューカマーズ枠で放送。 司会:伊藤利尋(フジテレビアナウンサー)・有村実樹出演者:勝俣州和・増田英彦(ますだおかだ)・ビビる大木

登場人物[編集] 


黒板家と関係者[編集]

黒板 五郎(くろいた ごろう)演 - 田中邦衛本作の主人公。東京のガソリンスタンドで働きながら一家4人で暮らしていたが、妻・令子の不倫をきっかけに純と蛍を連れて郷里の富良野へ帰ってくる。その後、令子とは正式に離婚したが、それから2ヶ月あまり後に死別する。富良野では、中畑木材の仕事を手伝ったり、小規模の農業や炭焼きなどで生計を立てる。かなりの行動力があり、沢から水道を引いたり風力発電を作ったり、果ては井戸まで独力で掘ったりした。性格は基本的に温厚だが、頑固なところもあり一度ヘソを曲げると手が付けられなくなることもある。また、初期には内弁慶なところもあり、外で面白くないことがあると家に帰ってから子供たちに当たることもあった。「'83冬」では内地(本州)へ出稼ぎへ行く様子も伺える。みどりの借金を被せられ土地を追われる危機に瀕するも、村の仲間たちの助けもあり危機を逃れる。「'84夏」では出稼ぎから帰った当日に丸太小屋が焼失する事件が起き、心身が疲弊する様子が描かれた。「'89」で再び丸太小屋の制作に着工するが、「'92」で純の起こしたトラブルから断念し、かわりに石の家を建設する。「'92」以降、「アキナ」という柴犬を飼っている。倉本の設定では学生時代は女好きであり、付き合った女性はすぐ妊娠することから「一発屋の五郎」というあだ名がつけられていたという[11]。

なお、「黒板」という姓は倉本が若い頃に片思いした女性に由来するという[12]。黒板 令子(くろいた れいこ)演 - いしだあゆみ五郎の妻で、純と蛍の母。美容院「ローズ」(第7話より「ビューティーサロンRei」)を経営している。学生時代の友人だった吉野信次と不倫したため、夫婦は離婚。その後、かねてから患う胆石らしき病で他界。発病時には吉野の紹介による入院先で正しく診察されず、雪子をはじめ周囲から大病院に替わるよう忠告されるが吉野への気兼ねから転院できなかった。最期にも適切な治療を施されず、雪子からの解剖の申し出も遺族たちに拒まれたため、死因はわからずじまいだった。『'92』では、新撮による「幻想」の形で五郎の脳裏に現れた。黒板 純(くろいた じゅん)演 - 吉岡秀隆五郎の長男。第一話の時点では小学4年生。典型的な都会っ子で、母親っ子だった。当初は東京に帰りたがっていたが、徐々に富良野の生活に馴染むようになる。性格は気弱で傷付きやすく、おしゃべり。言わなくてもいいことを言ったり、自らの責任を回避しようとして嘘をついて事態を悪化させることもしばしばある。「'87」では機械を見るとすぐに分解する趣味を持ったため、周囲からはペンチという愛称で呼ばれる。れいと出会い初恋をし、彼女に東京の定時制へ行くのはどうかと吹き込まれる。一緒に行くはずだったが、彼女は父親に連れられ夜逃げしてしまい、結局純一人で行くことになる。中学卒業後は上京し、井関と雪子のところへ身を寄せて働きながら定時制高校へ通う。「'89」では髪を染めたりバイクに乗ったりと東京を楽しもうとするが、盗品のバイクを買わされ、さらに泥の付いたピン札をめぐり警察沙汰を起こしてしまう。すっかり疲れ果て、富良野に戻りたいと考えるが、五郎にそれを諭される。「'92」ではガソリンスタンドに勤めるが、タマコの妊娠、五郎の事故などを通し富良野へ戻ることを決め、「'95」からは市の臨時職員としてごみ収集の仕事に従事する。「'98」では草太の牧場を引き継ぐが、経営に失敗。正吉と半分ずつ借金を受け持ち、返済のために富良野を出て羅臼で廃棄物処理の仕事に就く事になる。スペシャル以降はあだ名[13]で呼ばれることが多い。語尾に「〜な訳で」で話すことがあり、「トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜」の「トリビアの種」で実際に計測したところ、52回言った。黒板(笠松) 蛍(くろいた(かさまつ) ほたる)演 - 中嶋朋子五郎の長女で、純の妹。第一話の時点では小学2年生。父親っ子でもあり、令子の不倫現場を目撃してしまったこともあり、当初から五郎を気遣っていた。幼い頃は五郎に対し従順だったが、その反動か、成長するにつれて五郎の意思と異なった自分の道を歩み始める。中学卒業後に看護学校へ通い、「'89」では看護学校へ通う電車の中で出会った和久井勇次と恋に落ちる。しかし彼も受験勉強のため東京へと去ってしまう。「'92」では札幌の病院へ通うため、父親を一人残すことにためらいつつも富良野を離れる。その後、「'95」では勤務していた札幌の医師・黒木光彦と不倫し、根室市落石に駆け落ちする。「'98」では別れるが、黒木の子を身ごもっていた。彼には知らせず一人で産むつもりで札幌に引っ越すが、草太の計らいで笠松正吉と結婚。正吉が借金返済のために離道した後は富良野市内の病院に看護師として勤務する。宮前(井関) 雪子演 - 竹下景子純と蛍の母方の叔母で、令子とは腹違いの妹。五郎らが富良野へ去った際に、彼女が姉の有責を責めるところから物語は始まった。純と蛍には「雪子おばさん」と呼ばれている。不倫相手の井関利彦との交際に悩み、富良野で純たちと同居するようになった。令子の死で東京に戻った後、丸太小屋の火事があった日に出稼ぎ帰りの五郎とともに再訪するまでは、離道して距離を置いた。草太に好かれいったんは草太との結婚を決意するが、同時期に井関から離婚成立の知らせを受けたことで気持ちが揺らぎ、「'84夏」にて結局は井関と結婚して東京に帰る。井関との間に長男・大介をもうけるが、井関が再び不倫したことで離婚し、また富良野へやってきた。富良野へ来てからは、ニングルテラスにある「森のろうそく屋」で働いている。

北村家[編集]

北村 草太演 - 岩城滉一北村清吉の四男で共同牧場で働いており、純や蛍には「草太兄ちゃん」と呼ばれている。3人の兄は全員富良野を離れ、東京・札幌・仙台でそれぞれ暮らしている。趣味はボクシングとバイク。女グセが悪く、吉本つららと交際していたのにもかかわらず雪子に横恋慕してしまうものの、結局雪子との恋が実ることはなく、後に飯田アイコと結婚する。清吉の死後は牧場の規模拡大に勤しむが、半ば強引なやり方は純たちの反感を買うようになった。蛍の結婚を自分の事のように大喜びするが、その直後、作業中の事故(1人でトラクターをトラックの荷台に乗せようとした所、トラクターが転倒してその下敷きになる)で死亡。「2002」では純の夢の中に現れるようになる。北村 清吉演 - 大滝秀治五郎の父方の伯母の子で、五郎とは従兄に当たる。草太の父。八幡丘で共同牧場を経営している。5人の男子をもうけるが、草太と末っ子を除いてみんな出て行ってしまった。普段は寡黙であまり喋らないが、時折みんなを黙らせてしまうほど説得力のあることを言う。1997年に他界した。北村 正子演 - 今井和子清吉の妻で、草太の母。経営していた牧場を倒産させた後、アイコとともに富良野を去る。

中畑家[編集]

中畑 和夫演 - 地井武男五郎の同級生で、「中畑木材」や「中畑畜産」を経営している。さまざまなことにつけ五郎たちの世話をしており、家族ぐるみの付き合いである。スナックでは、自分を悲劇の主人公にして架空の話をするという一面も。そのせいで、こごみには「悲劇サン」と呼ばれていた。「2002」で妻を癌で亡くす[14]。中畑 みずえ演 - 清水まゆみ中畑の妻。料理がうまいが、しつけには厳しい。「2002」で癌が再発し他界する。中畑(清水) すみえ演 - 塩月徳子(第2話 - 第8話、第10話 - 第12話、第15話 - 第18話、第20話、第22話)、中島ひろ子(2002 遺言)中畑家の一人娘で、純たちとは同級生。分校時代の生徒では最年長だった。札幌で保育士をやっていたが、結婚を機に富良野へ帰ってくる。

吉本家[編集]

吉本 つらら演 - 熊谷美由紀(現・松田美由紀)草太の恋人だったが、草太が雪子に出会ってからはないがしろにされる。それが元で家出し、札幌で風俗嬢になってしまった。アイコによると、「'87」では結婚して子供も産むなど幸せに暮らしているようである。アイコによると旦那さんは神のように良い人らしい。吉本 辰巳演 - 塔崎健二(第2話、第3話、第5話、第7話、第8話、第10話、第11話、第15話 - 第18話)つららの兄。五郎に出稼ぎで麓郷を離れる際に留守中の事を頼まれるなど、五郎の信頼できる友人。北村家とは共同牧場を共に営む間柄。妹の家出に際しては、草太を殴りつけた。吉本 友子演 - 今野照子(第2話、第5話、第7話、第10話 - 第18話、第20話)辰巳の妻。

純と蛍の関係者[編集]

木谷(水谷) 凉子演 - 原田美枝子(第2話 - 第8話、第12話、第14話 - 第18話、第20話)純と蛍が通う、中の沢分校の教師。通称凉子先生。草太が初めて見た時には少女漫画を読んでいた。以前は東京で教師をしていたが、児童にある問題を起こされたことで東京にはいられなくなり、富良野へやってきた。しかし富良野でもその事件が取沙汰されてしまう。教育に対してはしっかりした考えを持っている。UFOとの通信ができるらしく、蛍を連れて山へUFO見物に出かけるが、帰りが遅くなり警察沙汰になる。五郎らは凉子の身を案じて皆に黙っているよう頼むが、純が雑誌記者にそのことを話したことから、テレビにも取り上げられる問題にまで発展してしまい、そのことが元で再び転勤を余儀なくされてしまう。富良野を離れる際、純とUFOを観に行く約束をするが、純は熱を出してしまい約束を果たせず、そのままいなくなってしまった。スペシャルでは、「'83冬」で赴任した女満別から年賀状が届く他、「2002 遺言」では、羅臼で鮭の遡上を見に来た純と再会し、純と結が付き合うきっかけを作る。山本 恵子演 - 永浜三千子純の東京時代の同級生。純のナレーションで「拝啓、恵子ちゃん」という語り出しからも分かるように彼女へ向けて話されている。連続シリーズの終盤で家族揃って渡米してしまい、その後は純と会うことはなかった。

笠松家[編集]

笠松 正吉演 - 中澤佳仁(第2話 - 第12話、第14話 - 第16話)純の同級生で、無二の親友。何度か確執はあったが、かけがえのない存在である。母・みどりが旭川で水商売をしていて普段は不在のため、祖父・杵次と一緒に暮らしていた。杵次の死後はみどりと一緒に富良野を離れるが、「'83冬」で家出。みどりが借金から逃れるために奔走している間、黒板家に居候するようになる。純と共に五郎を迎えに行ったときに火の不始末が原因で丸太小屋を全焼させてしまい、事情聴取の際純は何も話さなかったため一人罪を被ることとなってしまう。「'84夏」で黒板家を去ったあとはしばらく登場しなかったが、「'92」で自衛官となって再登場。純や蛍と会えていない五郎を訪ね、「自分も息子だと思ってますから」と伝えた。自衛隊退官後は富良野の土木業者に勤め、純と共同でアパートを借りて暮らす。「'98」で不倫相手の子を身ごもったことを承知の上で蛍にプロポーズし、結婚する。「2002」では借金返済のため出稼ぎに出ており、声のみの出演となった[15]。笠松 杵次演 - 大友柳太朗(第5話、第8話、第10話 - 第12話、第15話、第16話)正吉の祖父。かつては「仏の杵次」と呼ばれるほど温厚な人柄だったが、妻の死後は偏屈になっていた。よく嘘を吐いていることから「へなまずるい」と後ろ指を指されており、五郎にも「五郎の父親に金を貸し、そのカタに今五郎達が住んでいるあたりの土地を譲り受けた」などと言っていた。古い考えの持ち主で周囲からの評判は悪く、そのことで気まずくなる正吉の姿もよく描かれた。麓郷でも少なくなった馬を飼っていることも「お金の無駄」などと悪口を言われていたが、純と雪子が吹雪で遭難しかけたときには救出に一役買うことになる。経済的に苦しくなってその馬を手放すが、その夜に酔ったまま自転車を運転して橋から転落し、死亡。通夜でも悪口を言われていたが、清吉だけは彼のかつての苦労を知っており、彼の悪口を言う者や彼が開墾に使った馬を売ったことを非難した。笠松 みどり演 - 林美智子(第8話 - 第10話、第16話)五郎の幼馴染みで正吉の母。水商売をしている。金にだらしなく、「'83冬」ではギャンブルで作った借金を保証人の五郎にかぶせて逃亡。五郎はそのせいで家を失いかけるハメになるが、一貫してみどりのことはかばい続けた。「'98」では札幌に自分の店を持っていた。

その他[編集]

松下 豪介演 - 南雲佑介中畑木材で働いている若い衆。五郎の作業もよく手伝っている。もじゃで、まるで熊のような外見をしているため、あだ名は「クマさん」。宮沢賢治が好き。中川演 - 尾上和中畑木材で働いている若い衆。本田 好子演 - 宮本信子(第4話、第17話)令子の友人で、弁護士。五郎と令子の離婚調停のため、富良野を訪れる。井関 利彦演 - 村井国夫(第6話、第8話)雪子のかつての不倫相手。一度は雪子と別れるも、結局妻と離婚し雪子と結婚する。しかし数年後には再び不倫に走り、雪子とも離婚。川島 竹次演 - 小松政夫(第6話、第11話)草太の友人。つららの件で草太に忠告をする。刑事演 - 蟹江敬三(第11話)人を殴った草太を取り調べた刑事。草太とは高校時代から喧嘩していた間柄だった。この取調べの最中、つららが家出したとの一報が入る。吉野 信次演 - 伊丹十三(第13話、第14話、第23話)令子の学生時代の友人で、不倫相手。令子の発病時には、純に東京への帰居を勧めていた。令子が五郎と離婚した後は、本気で令子との再婚を考えていた。前妻とは死別していて、子供が2人いる。こごみ演 - 児島美ゆき(第18話 - 第22話)富良野市街にあるスナック「駒草」のホステス。いかだ下り大会で五郎と出会い、懇意になる。過去には中畑とも関係があった。連続シリーズ終了後は、「'84」、「'92」にのみ登場。成田 新吉演 - ガッツ石松(第19話、第21話)草太が通っているボクシングジムの会長。「2002」で五郎に遺言を書くことを勧める。前田演 - 梅野泰靖(第23話)令子と雪子の伯父。令子の葬式にあまり滞在しなかった五郎に文句をつける。小山演 - 小野武彦(第23話)吉野の友人。お葬式のエキスパート。警察官演 - 平田満(第23話)純と蛍が捨てられた靴を靴屋の店頭で探している時に声を掛け、一緒に探す。

'83冬〜[編集]

沢田 松吉演 - 笠智衆かつて、豆の栽培で大成功し「豆大尽」と呼ばれたほどの名士。上京して事業をやっていたが、ふらりと富良野へ帰ってくる。五郎の借金の返済に自分の山を売ってお金にしようなどと気前のいいことを言うが、実はボケており、都合のいいことだけを覚えていただけだった。上京時には家族皆を放り投げ苦労をかけるなど、ひどいことをしていたらしい。沢田 妙子演 - 風吹ジュン沢田松吉の孫娘、ラーメン屋で働いている。一時は草太が懇意にしていた。時夫演 - 笹野高史草太の友人で、青年団の「農村花嫁対策委員」。「2002」では草太の意思を継ぎ、蛍たちの結婚式を盛大に行おうとした。水沼 什介演 - 木田三千雄「豆大尽」時代の松吉を知る幼馴染で、帰郷時には世話役をした。歓迎会ではバイオリンを弾いてもてなす。和泉会長演 - 奥村公延麓郷振興会会長。五郎が背負った借金の解決策を決めて報告に訪れる。

'84夏〜[編集]

中畑 努演 - 六浦誠中畑の甥っ子。夏休みに、母と一緒に富良野へ遊びにやってくる。持ってきたパソコンの自慢をしたり、五郎の悪口を言ったりと、嫌味ったらしい性格をしている。純と正吉とともに、空知川で草太のいかだを勝手に動かして遊んでいるうちに、転落して溺れてしまう。助けられるが、濡れた服を乾かしている際に、正吉がパソコンの本を盗んだことを指摘したため、逆上した純と正吉に全裸にされ、河原に放置される。その際に雨に打たれ、軽い肺炎に罹った。正吉は彼のことを「富良野に来た頃の純に似ていた」と表現した。中畑 ゆり子演 - 立石凉子中畑の妹で、努の母。夫とは死別している。兄に五郎との再婚を持ちかけられて富良野に来たが、その話はうやむやになったようである。ラーメン屋の店員演 - 伊佐山ひろ子駅で正吉を見送った後、五郎たちが閉店間際に入ったラーメン屋の店員。店を早く閉めたくてイライラしており、五郎が代金を払うなり食べかけのラーメンを下げようとする。五郎の名台詞「子供がまだ食ってる途中でしょうが!!」は、彼女に対して向けられた言葉。

'87初恋〜[編集]

大里 れい演 - 横山めぐみ純の初恋の相手。純たちとは違う富良野市内中心部の中学校に越境通学している。純と同じく尾崎豊のファン。学校の帰り道に自転車のチェーンが外れたことがきっかけで、直してくれた純とその時から親密になり、一緒に東京の高校に進学することを約束するが、父親が農業に失敗したため夜逃げしてしまう。純とは「'89」で再会し遠距離恋愛を続けるが、次第にすれ違っていき、「'95」で別の男性と結婚した。飯田(北村) アイコ演 - 美保純広介の姉で、つららの友人。全国を転々とした後に富良野へ戻り、農協の作業場で働いていた。後に草太の妻となる。飯田 広介演 - 古本新之輔純の同級生。おちゃらけた性格。「'95」以降は実家で農業をして働いているが、アイコが結婚してからは北村牧場へも手伝いに行っていた。中津 チンタ演 - 永堀剛敏純の同級生。れいはチンタの片思いの相手だったが、沢で純とれいが会っている所に偶然出くわしてしまう。略奪愛されてしまった。あまりにショックなため、翌日学校を休む。「'95」では農業を継がず、警察官になる。中津演 - レオナルド熊チンタと完次の父。農業を営んでいたが、農薬と化学肥料の使い過ぎで土地を痩せさせ、荒天による豪雨で作物もろとも畑を流失し、多大な損害を出してしまう。宮田 寛次(シンジュク)演 - 布施博富良野で電気工事会社に勤める。かつて、東京の新宿で悪名を馳せたことがあるため、「シンジュク」というあだ名で呼ばれている。機械を見ると何でも分解してしまう純には辟易している。大里 政吉演 - 坂本長利れいの父親。純が風力発電を造る手助けをする。手広く農業を営むが、偏屈な変わり者として知られており、近所の農家仲間からは距離を置かれている。日頃から農薬と化学肥料ばかりに頼る中津に対してそれを諌めており、雨で畑が流され大きな損害を出してしまった中津のために連帯保証人になる事を拒否してしまう。小豆を冷害から守るために燃やす古タイヤを運搬する際に、後方確認が不十分なままトラックをバックさせ、誤って妻を死なせてしまう悲劇に見舞われた。結局、冷害によって栽培していた小豆が全滅。誰にも頼ることなく夜逃げをした。先生演 - 鶴田忍トラック運転手演 - 古尾谷雅人純が上京する際、便乗させてもらった長距離トラックの運転手。五郎が謝礼として支払った「泥のついた壱万円札」2枚を「記念にとっとけ」と純に返す。

'89帰郷〜[編集]

和久井 勇次演 - 緒形直人蛍の初恋の相手。蛍と同じ通学列車に乗っていてお互い気になっていたが、勇次が痔を患って蛍が働く肛門科を訪れたことをきっかけに交際することになる。初登場時は浪人生だったが、その後帯広の大学に合格する。蛍に准看ではなく正看になることを勧める。エリ演 - 洞口依子純に盗難バイクを売りつけたヤンキーを紹介した少女。不良っぽい外見をし世間や仲間からも少し外れた子として見られているが、純が宝物にしていた「泥のついた壱万円札」を紛失した際には一緒になって探すなど、とても優しい一面を持つ。兄は暴走族の幹部で、ヤクザともつながりのある模様。勇次の伯母演 - 正司照枝列車の中で偶然勇次と会い、「早く東京へ行かなきゃダメよ」とお節介を焼く。赤塚 満治演 - 矢野泰二純の定時制高校の同級生で、同じ自動車整備工場で働いている。通称「アカマン」。水谷に借金したせいで、辛い目に合わされている。借金の穴埋めをするために、純が大切にしていた「泥のついた壱万円札」を盗んでしまう。竹内先生演 - 井川比佐志蛍が働いていた肛門科の医師。水谷演 - 水上功治自動車整備工場で働く純の先輩。後輩社員に対して高利貸しのような真似をし、アカマンを追い詰めていた。紛失した「泥のついた壱万円札」を探すために勝手に彼のロッカーを開けた純に対し制裁を加えるが、逆に純にバールで殴られ、大怪我を負う。純はその事によって工場をクビになる。

'92巣立ち〜[編集]

松田 タマコ演 - 裕木奈江通称トロ子。ピザ屋で配達のアルバイトをしていた際、駐禁を取られそうになったところを純の機転で助けてもらい、純と親密になる。純は彼女のことが特に好きなわけではなかったが、軽い気持ちで付き合い、果ては妊娠させてしまう。タマコの叔父演 - 菅原文太豆腐屋を営みながら、鹿児島から上京してきたタマコを預かっている。道路開通のための区画整理を拒むなど頑固者。タマコを妊娠させたことで謝りに来た純を殴る。謝りにきた五郎に「誠意って、何かね?」と問いかける場面は名シーン。財津医師演 - 北村和夫富良野市街にある「財津医院」の医師。五郎は蛍をここで働かせたく承諾も得るが、蛍は札幌の病院で働くために断る。加納 金治演 - 大地康雄五郎が弟子入りする大工の棟梁。五郎が屋根から転落して死にかけた際、パニックに陥る蛍を「お前看護婦の卵だろ! こういう時はどうすればいいんだ?!」と、叱責した。井関 大介演 - いしいすぐる、沢木哲(2002 遺言)雪子の一人息子。雪子に連れられて五郎の元へ遊びにやってくる。雪子の離婚後は夫側に引き取られた。幼い頃は明るい性格だったが、「2002」で久しぶり富良野を訪れたときは、ほとんど口をきかず出会い系で知り合った顔も知らない彼女とメールばかりしていた。高木演 - 渡部篤郎純の東京時代の同級生。ビデオ屋の男演 - 石丸謙二郎純がタマコに勧められた映画のビデオを借りに行ったビデオ屋の店員。その後、純の悪夢に登場する。

'95秘密〜[編集]

小沼 シュウ演 - 宮沢りえ間違って捨ててしまった柱時計を純が返しに行ったのをきっかけで知り合い、その後純と交際するようになる。かつてアダルトビデオに出演したことがあり、そのことで一時は純と確執もあった。「'98」では純を父親らに紹介するが、その直後に上砂川の実家に帰ることになったため疎遠になり、「2002」では神戸在住の男性と結婚を五郎に報告。五郎は彼女のことをいたく気に入っていて、純に内緒で一緒に露天風呂に入ってしまったこともある。黒木夫人演 - 大竹しのぶ蛍の不倫相手、黒木光彦の妻。蛍が働いていた病院の看護婦長。夫と蛍の所在を聞くため、五郎の元を訪れる。黒木 久演 - 長谷川幹樹黒木光彦の息子。父親を探しに、友人を連れて純が住むアパートを訪ねる。久の友人演 - 野村祐人小心者の久とは正反対で血の気が多く、純たちに食って掛かる。靴を履き忘れて帰っていった。

'98時代〜[編集]

シュウの次兄演 - 上杉祥三中津 完次演 - 小野田良チンタの兄。五郎の影響で有機農業を始める。努力の甲斐あり畑にミミズが戻ってきたと喜ぶが、後に畑に疫病を発生させてしまい草太に農薬を撒かれてしまう。草太の勧めで農地を拡張する一方で、金のかかる有機農業に没頭した結果借金が膨らんでしまい、日頃から有機農業に反対していた草太に責められ、農事組合からも見放されて離農を余儀なくされ、自殺未遂を起こす。その後富良野から姿を消した。中津 ツヤ子演 - 小池美枝完次の妻。元々はチン太と付き合っていた。完次と共に富良野を去った。小沼 周吉演 - 室田日出男シュウの父親。上砂川在住の元炭鉱夫。口下手だが、カラオケが好き。スナックの男性演 - 平泉成完次の件で、草太に絡んできた男性。

2002遺言[編集]

高村 結演 - 内田有紀羅臼で働く女で、戸籍上は弘の妻。吾平の工場で働く一方、町内のコンビニでも勤務している。涼子先生を通して純と知り合い、シリーズ上では純の最後の彼女。高村 吾平演 - 唐十郎結の義父で、弘の父。通称トド。弘と事実上離婚状態になった後も、結を我が子のように可愛がっている。冬の海で遭難しても、流氷の上を歩いて帰ってきてしまうほど生命力の強い男性。高村 弘演 - 岸谷五朗結の夫。女を作り、結を残して勝手に家を出ていたが、ある日フラリと戻ってくる。凶暴な性格で、自分の留守中に結と交際していた純を襲撃する。笠松 快演 - 西村成忠(中嶋朋子の実の息子)蛍の長男。父親は正吉ではなく、黒木光彦である。清水 正彦演 - 柳葉敏郎すみえの夫で、中畑木材の跡継ぎになる予定の人物。北海道大学出のインテリで、口癖は「いい質問です!」。捨ててあるもので家を作った五郎を尊敬している。佐久間 拓郎演 - 平賀雅臣熊倉 寅次演 - 春海四方木本医師演 - 佐戸井けん太みずえの主治医。三沢老人演 - 高橋昌也純と正吉が継いだ牧場の借金を肩代わりしてくれた恩人。寝たきりの状態になっている。通称三沢のじいさん。三沢老人の家族の女性演 - 根岸季衣純からの借金返済が滞っていることで、蛍を責める。山下先生演 - 杉浦直樹五郎や成田が書く遺言の添削をしてくれる先生である一方、家造りでは五郎に弟子入りする。元・布礼別中学校校長。

スタッフ[編集]

原作・脚本 - 倉本聰

音楽 - さだまさし

演出 - 富永卓ニ、杉田成道、山田良明(連続ドラマ)、杉田成道(SPドラマ)

演出補 - 阿部久(連続ドラマ)、笹本泉(連続ドラマ - 『'87初恋』)、花田深(『'84夏』)、小椋久雄(『'87 帰郷』)、本間欧彦(『'87 帰郷』)、石田周(『'87 帰郷』『'92巣立ち』)、田島大輔(『'92巣立ち』)、臼井裕詞(『'92巣立ち』)、佐々部清(『'95秘密』 - 『'98時代』)、武内英樹(『'95秘密』)、梅原紀且(『'98時代』)、小林和宏(『'95秘密』 - 『2002遺言』)、平井秀樹(『2002遺言』)

記録 - 石塚多恵子(連続ドラマ)、赤星元子(『'92巣立ち』 - 『2002遺言』)

技術 - 佐藤実、堀田満之、杉野有充

撮影 - 竹越由幸(「2002遺言」では慢性腎不全で入院し森田が代わった)、森田修、白戸義之、河野敬麿、下門照幸、小野亮

映像 - 五十嵐万治、橋本和司、小沢健二、皆川慶助、金森健彦

VTR - 森田繁夫、中田安優、小幡成樹

照明 - 本間利明、河島美晃、高橋次男、菅原昇

編集 - 小泉義明(連続ドラマ - 『2002遺言』)、小池克己(『記憶』)、奥村克利(『2002遺言』)

MA - 高橋誠一郎(『記憶』 - 『2002遺言』)

音声 - 西田貞夫

音響効果 - 篠沢紀雄、辻田昇司

視覚効果 - 中山信夫、伊藤勝雄

スチール - 島田和之

ハイビジョンアドバイザー - 皆川慶助、森武司(『'95秘密』)

美術 - 藤森信之、根本研ニ、梅田正則

美術制作 - 的場忠

美術進行 - 一色隆弘、内村和裕

タイトル - 川崎利治、山形憲一

大道具 - 山県昭三、小林正

装飾 - 相馬徹、田原真二

持道具 - 大里誠一、梅沢博

衣裳 - 萱田典弘、本間邦仁

メイク - 大田修、佐藤宏恵

車輌 - 佐藤忠幸

広報 - 石田卓子(『'87初恋』 - 『2002遺言』)

プロデューサー - 中村敏夫、富永卓二(連続ドラマ)、中村敏夫(『'83冬』 - 『'84夏』・『2002遺言』)[16]、山田良明(『'87初恋』 - 『'98時代』)[17]、清野豊(『'92巣立ち』 - 『'95秘密』)、笹本泉(『'95秘密』 - 『'98時代』)、杉田成道(『2002遺言』)

アソシエイトプロデューサー - 横山隆晴(『2002遺言』)

アシスタントプロデューサー - 笹本泉(『'92巣立ち』)、塚田洋子(『'95秘密』 - 『2002遺言』)、玉田祐美子(『記憶』) 

制作協力[編集]

北海道富良野市

北海道文化放送

国鉄北海道総局→北海道旅客鉄道株式会社

麓郷木材工業(仲世古善雄)

東亜国内航空→日本エアシステム(現・日本航空)

富良野プリンスホテル(連続ドラマ - 『'87初恋』)

新富良野プリンスホテル(『'89帰郷』 - 『2002遺言』)

北海道目梨郡羅臼町(『2002遺言』)フジクリエイティブコーポレーション(『2002遺言』) 音楽[編集] 

主題歌[編集]

作曲:さだまさし『北の国から〜遥かなる大地より〜』

この主題歌や劇中BGM『純のテーマ』等のサウンドトラックは、バラエティ番組等で北海道でのシーンのBGMや北海道日本ハムファイターズの応援団に使用されるなど、北海道を象徴する楽曲となっている。 当初さだまさしはこの曲に歌詞をつけようとしたが、倉本聰からこの曲には言葉はいらないですと言われたことをうけて、スキャットに変更してほぼ即興で完成に至った。

その他楽曲[編集] メインテーマ以外にもドラマで使用されたギターサウンドは、当時さだまさしツアーのメンバーだったギタリストの坂元昭二が手掛けている[18]。 

さだ担当のサウンドトラックとは別に多数の楽曲が使用された。ジャンルは、クラシック音楽やフュージョン、J-POP、演歌と幅広い。

純が雪子とともに東京に帰る際、見送りに来た清吉と話をしているバックには中島みゆきの「ホームにて」が流れている。

杵次が死んだ後、五郎宅で食事を終えたみどりが五郎に「中島みゆきの『異国』っていう歌知ってる?」と語り掛け、歌詞の一部を言う場面がある。

つららが失踪し、富良野駅前の喫茶店で雪子と草太が話している場面で中島みゆきの「エレーン」が流れている。 

上記のように連続ドラマ時代には比較的多く中島みゆきの楽曲が使用されていた。

『'87初恋』では、尾崎豊の楽曲が多用されている。倉本が吉岡秀隆に「最近の若者に人気のある歌手を教えろ」とリサーチしたところ、吉岡から強く勧められたのが尾崎であった。倉本は尾崎の存在を知らなかったが、吉岡に贈られた尾崎のカセットテープを聞いて楽曲を気に入り、本作での採用が決まった[19]。特に、「I LOVE YOU」はその後何度も使われ、純の恋愛を描く上で象徴的な挿入歌として、『北の国から』と切り離せない存在である。

『'89帰郷』で、勇次(緒形直人)と螢(中嶋朋子)が富良野駅で別れるシーンにおいて、長渕剛[20]の「乾杯」(1980年レコーディングのオリジナルバージョン)が使用されている。さらに『'92巣立ち』で、五郎(田中邦衛)が「やるなら今しかねえ」と歌った歌は、長渕のアルバム『JEEP』に収録されている『西新宿の親父の歌』である。

 

放送日程[編集]

 連続ドラマ[編集]平均視聴率は14.8%(関東地区・ビデオリサーチ社調べ)話数

放送日あくまでもドラマが続いた場合の倉本聰の構想であり、映像化並びに活字出版化されている訳ではないので注意が必要。

純と結は結婚し、富良野市内に居住。麓郷で一緒に暮らして欲しいという五郎と、町で暮らしたいという純は意見が対立しているが、結と五郎は懇意であるという[28]。

その後、正吉と蛍、純と結は離婚[29]。純は同じく離婚している初恋の相手れいと再婚。快を主人公にして、ドラマを展開する構想[30]がある。

倉本は2011年に刊行した『獨白 2011年3月』において、新作を最近書かないかと言われたが、諸般の事情で流れたと述べている[31]。倉本がそのとき考えかけたプランでは、純は東京で仕事をしながら五郎のことは思っているが、仕送りなどはしていない(離婚はしているが、再婚しているかどうかは言及されていない)。蛍は正吉と関東におり、五郎にも仕送りはするが滅多に富良野に顔は出さない。五郎はほぼ「無縁社会の独居老人」となり、税金をずっと払っていないため年金も受け取っておらず、「国の世話にならず、自然の世話になっている」毅然とした独居老人の姿を書いてみようとちょっと思ってやめたと倉本は述べている。 

2011年5月の富良野での「北の国から」広場オープンの倉本のスピーチによると、

五郎は、麓郷の石の家に住んでいる。純は妻に逃げられ、羅臼でトドの手伝いをしたり、埼玉でゴミ処理の仕事をやっていた。そこに2011年3月東日本大震災が起きる。福島県のいわき市に住んでいた正吉一家は災害に巻き込まれ、子供を助けようとした正吉が津波にのまれて死亡。蛍は生き残った快を麓郷の五郎のもとに預け、福島で看護師としてボランティア活動を行っている。純も蛍と共に福島で災害復興の仕事に従事している[32][33]。

 

2012年2月に発売された雑誌『文藝春秋』2012年3月号に、倉本は「頭の中の『北の国から』」と題した現時点での登場人物の「その後」について触れた文章を寄稿した。この中では以下のような内容が記されている。

正吉・蛍一家は2004年から浪江町に移住し、正吉は地元の消防士、蛍は南相馬市の病院で看護師として働いていたが、東北地方太平洋沖地震に伴う津波で正吉は行方不明となる。蛍は福島第一原子力発電所事故に伴う放射能汚染を懸念して富良野に息子の快とともに避難するが、正吉が行方不明と知り、快を残して福島県に戻る。

純は結と離婚したあと、ごみ収集職員として働きながら借金を返済していたが、相手が2007年に死去し、返済から解放される。ごみ収集職員としての日常をブログに綴っていたところ、読者の一人がれいだと判明。東京で暮らすれい(すでに離婚)と再会する。そこで東北太平洋沖地震に遭遇。福島県に赴き、正吉の消息を求めているところで蛍と再会する

 

倉本は2015年のインタビューで『北の国から』の続編を、福島を舞台に描く構想があると答えた[34]。

 

参考資料[編集]

シナリオ本

全作品のシナリオが理論社から刊行されている。倉本聰が執筆したベースのものであるため、実際の放送内容と異なる点もある。倉本は、連続ドラマの小説化を理論社から依頼されるが、これを断り、当時としては異例のシナリオ本として上下巻2巻で全話シナリオを収録、路傍の石文学賞、小学館児童出版文化賞を受賞。発行部数40万部と成功し、本作のシナリオ本が契機となり、山田太一や向田邦子ら脚本家のシナリオが書籍化される様になった。 


以後、本作のシナリオ本の刊行は慣例となり、小説誌『小説新潮』に『'83冬』のシナリオが掲載された事もある。1994年現在、SPドラマのシナリオ本と合計し90万部を記録している。

 1993年、中学2年生の国語教科書(光村図書)にシナリオが掲載された。

その他読売新聞社芸能部編集『テレビ番組の40年』日本放送出版協会、1994年

倉本聰『愚者の旅 わがドラマ放浪』理論社、2002年

倉本聰『獨白 2011年3月』フラノ・クリエイティブ・シンジケート、2011年

志賀信夫『映像の先駆者125人の肖像』日本放送出版協会、2003年

引田惣弥『全記録テレビ視聴率50年戦争』講談社、2004年

倉本聰『私の履歴書』日本経済新聞 2015年8月連載 

脚注[編集] 

1.^ 倉本聰『獨白 2011年3月』フラノ・クリエイティブ・シンジケート、2011年、p20

2.^ (2006年9月19日付朝日新聞 webページ版)

3.^ 『獨白 2011年3月』p230

4.^ TBSの裏番組「思いでづくり」(山田太一脚本)が強かった。「私の履歴書 倉本聰(25)『リアル追求 演出に注文 視聴率、イマイチでも大反響』」日本経済新聞2015年8月26日

5.^ a b TBSラジオ ニュース探究ラジオ Dig 倉本さんに聴く 2012年1月6日放送より

6.^ a b 『獨白 2011年3月』p51 - 53。倉本は日活で契約ライター時代に「ナレーションと回想は卑怯な手法」という考えを叩き込まれ長くそれを守っていたが、1973年に制作された山田太一脚本のドラマ『それぞれの秋』で普通にナレーションを使用しているのを見て「こういう手もありだな」と考え『前略おふくろ様』で使用に踏み切ったという。

7.^ オフィス・マツナガ『なぜフジテレビだけが伸びたのか』こう書房 1990年 p129

8.^ 心因性膵臓炎

9.^ 結局1シーズン24話で当初予算の2倍以上の15億円かかった。

10.^ 『獨白 2011年3月』p184 - 185

11.^ 「サワコの朝」2015年1月17日放送分より

12.^ 『獨白 2011年3月』p24

13.^ 「'87」ではいつもペンチを持ち歩いて機械と見るや何でも分解してしまうから「ペンチ」。「'92」ではいつもダルそうにしているから「ダル」。「'95」ではアイルトン・セナが死んだときに泣いてしまったためにセナで泣いている唐獅子牡丹から「唐獅子」と呼ばれていた。

14.^ 演じた地井も「2002」の撮影に先立つ2001年6月、自身の妻を癌で失っている。

15.^ 中澤は芸能界を退き、一般企業に勤める会社員となっていたが本シリーズだけは特別に出演を続けていた。しかし「2002」では仕事との両立が困難となったことでこのような扱いとなった。

16.^ 『2002遺言』では、フジクリエイティブコーポレーションのプロデューサーとして参加

17.^ 『2002遺言』では、アドバイザリースタッフとして参加

18.^ 『さだまさし ギター・ソロ・インストゥルメンツ』(ドレミ楽譜出版社、2007年)ISBN 978-4-285-11135-4

19.^ 倉本聰『冬眠の森 北の人名録PART2』新潮社より

20.^ 長渕と倉本聰には交友関係がある。詳細なエピソードはこちらを参照のこと。

21.^ シリーズ完結前の「シリーズにおける最高の名場面は?」というアンケートにおいて、「純が汚れたお札を見ながら富良野を旅立っていく」というラストシーンが1位に選ばれている。

22.^ 『'87初恋』、『'92巣立ち』が、文化庁芸術祭作品賞受賞。

23.^ 『'95秘密』以降、ハイビジョンで撮影。

24.^ 「フジテレビ開局40周年記念番組」として制作された。

25.^ 「UHB(北海道文化放送)開局30周年記念番組」として放送。

26.^ 前編は、『2002FIFAワールドカップ』、『第53回NHK紅白歌合戦』を除き2002年の最高視聴率番組。

27.^ 中嶋朋子の実子が息子役で出演。倉本は、この脚本で第21回向田邦子賞受賞。吉岡と恋人役の内田有紀は共演をきっかけに2002年12月に結婚したが2005年に離婚している。NARINARI.COM 吉岡秀隆と内田有紀夫妻、3年の結婚生活にピリオド。

28.^ 2003年「倉本聰・富良野からの風を」での倉本聡と竹下景子の対談より。

29.^ 2007年1月の朝日新聞日曜版、倉本インタビューより。

30.^ [1]ASAHI.com、倉本インタビューより。

31.^ 『獨白 2011年3月』p97 - 98

32.^ [2]倉本聰界隈

33.^ [3]富良野からの便り

34.^ [4]河北新報「<神話の果てに>大量消費が招いた悲劇/第16部・私の視座(1)倉本聰氏」より。2015年02月19日

 

関連項目[編集]

北の国から資料館

優しい時間 倉本聰脚本で富良野を舞台にした連続テレビドラマ。

風のガーデン 同じく倉本聰脚本で富良野を舞台にした連続テレビドラマ。

とんねるずのみなさんのおかげです

とんねるずのみなさんのおかげでした 北の国からが放送される度にパロディコントが放送されるのが恒例となっており、地井武男やガッツ石松らも出演。 

外部リンク[編集]北の国から資料館 - ふらの観光協会BSフジ 連続ドラマドラマスペシャル 北の国から'83冬北の国から'84夏北の国から'87初恋北の国から'89帰郷北の国から'92巣立ち 前編北の国から'92巣立ち 後編

北の国から'95秘密

北の国から'98時代 前編

北の国から'98時代 後編

北の国から 2002遺言

最終更新 2015年12月13日 (日) 11:32 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。テキストはクリエイティブ・コモンズ 表示-継承ライセンスの下で利用可能です。追加の条件が適用される場合があります。詳細は利用規約を参照してください。

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石川県/北陸エアターミナルビル(株)の概要

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取締役会長 谷本 正憲 代表取締役社長 岡田 靖弘 取締役副社長 1名 代表取締役常務 2名 常務取締役 1名 ... 所属課:企画振興部空港企画課 石川県金沢市鞍月1丁目1番地 電話番号:076-225-1337 ファクス番号:076-225-1339 Email:

http://www.pref.ishikawa.lg.jp/kuukou-k/eater.html

北陸エアターミナルビル(株)の概要

名称北陸エアターミナルビル株式会社2  所管する部局

企画振興部空港企画課3  所在地石川県小松市浮柳町ヨ50番地先

TEL  0761-23-6111

設立年月日昭和35年10月1日5  役員

取締役会長  谷本  正憲 代表取締役社長  岡田   靖弘

 取締役副社長  1名   代表取締役常務  2名   常務取締役  1名

取締役  14名  監査役  5名

主な事業(1)貸室業 (2)物品販売業並びに石油製品の販売業

 (3)飲食物・加工食料品・獣乳製品及び薬品の販売業

 (4)食堂並びに喫茶店の経営

 (5)煙草・酒類・郵便切手及び収入印紙の販売業

 (6)航空事業者・航空旅客及び貨物に対する役務の提供

 (7)航空利用の促進並びに観光に関する業務

 (8)損害保険代理業

 (9)生命保険代理業

(10)旅行斡旋業

(11)広告宣伝業

(12)保税蔵置場の管理業務

(13)上屋内での貨物の取扱い、荷役、保管及び運搬

(14)航空機からの貨物の取り下し、搭載及び運搬

(15)検疫動物の飼育及び管理

(16)通関に係る代行業務

(17)航空会社の代理店業務

(18)貨物自動車運送事業及び貨物運送取次事業

(19)貨物関連機材及び機器の整備、保管並びに賃貸

(20)前各号に附帯する一切の事業

その他の情報     北陸エアターミナルビル株式会社経営情報(外部リンク)

よくあるご質問

現在よくある質問は作成されていません。お問い合わせ

所属課:企画振興部空港企画課 

石川県金沢市鞍月1丁目1番地

電話番号:076-225-1337

ファクス番号:076-225-1339

Emaile120800@pref.ishikawa.lg.jp

http://komatsu-airport.jp/hatb_corp/business/

9:52 2016/01/08・資本金は県が・株式はどうなっていますか?取締役は・知事以外の人事は・北陸エアターミナルビル株式会社

 

設立

昭和35年10月1日

 

所在地

石川県小松市浮柳町ヨ50番地先 TEL0761-23-6111

 

資本金

700百万円

 

株主

地方公共団体、航空会社、一般経済界 14団体(社)

 

主な事業

1. 貸室業

2. 物品販売並びに石油製品の販売業

3. 飲食物・加工食料品・獣乳製品及び薬品の販売業

4. 食堂並びに喫茶店の経営

5. 煙草・酒類・郵便切手及び収入印紙の販売業

6. 航空事業者・航空旅客及び貨物に対する役務の提供

7. 航空思想の普及及び観光に関する業務

8. 損害保険代理業

9. 生命保険代理業

10. 旅行斡旋業

11. 広告宣伝業

12. 前各号に付随する一切の事業

 

役員

取締役会長 谷本 正憲(石川県知事)

代表取締役社長 岡田 靖弘

http://komatsu-airport.jp/hatb_corp/

 

17:37 2016/01/08

 


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