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2014年9月

2014年9月24日 (水)

永続敗戦論――戦後日本の核心 (atプラス叢書04) 単行本 – 2013/3/8


引用

永続敗戦論――戦後日本の核心 (atプラス叢書04) 単行本 – 2013/3/8

 

白井 聡   (著) 内容紹介朝日新聞書評(2013/6/16)で大絶賛された、必読の日本論。読んだあと、顔面に強烈なパンチを見舞われ、あっけなくマットに仰向けに倒れこむ心境になった。こんな読後感は初めてだ。――水野和夫

 

1945年以来、われわれはずっと「敗戦」状態にある。「侮辱のなかに生きる」ことを拒絶せよ。 「永続敗戦」それは戦後日本のレジームの核心的本質であり、「敗戦の否認」を意味する。国内およびアジアに対しては敗北を否認することによって「神州不滅」の神話を維持しながら、自らを容認し支えてくれる米国に対しては盲従を続ける。敗戦を否認するがゆえに敗北が際限なく続く――それが「永続敗戦」という概念の指し示す構造である。今日、この構造は明らかな破綻に瀕している。

「永続敗戦」それは戦後日本のレジームの核心的本質であり、「敗戦の否認」を意味する。国内およびアジアに対しては敗北を否認することによって「神州不滅」の神話を維持しながら、自らを容認し支えてくれる米国に対しては盲従を続ける。敗戦を否認するがゆえに敗北が際限なく続く―それが「永続敗戦」という概念の指し示す構造である。今日、この構造は明らかな破綻に瀕している。1945年以来、われわれはずっと「敗戦」状態にある。「侮辱のなかに生きる」ことを拒絶せよ。

単行本: 224ページ出版社: 太田出版 (2013/3/8)

言語: 日本語発売日: 2013/3/8

目次

第一章 「戦後」の終わり

第一節 「私らは侮辱のなかに生きている」――ポスト3・11の経験

 第二節 「戦後」の終わり

第三節 永続敗戦

第二章 「戦後の終わり」を告げるもの――対外関係の諸問題

 第一節 領土問題の本質

 第二節 北朝鮮問題に見る永続敗戦

第三章 戦後の「国体」としての永続敗戦

 第一節 アメリカの影

 第二節 何が勝利してきたのか?

エピローグ――三つの光景

 

著者の主張は明確であり、その言葉は快刀乱麻である

本書のテーマに関しては31頁で著者は以下の通り端的に断言している。「本書が取り組むのは『戦後』を認識の上で終わらせることである」「終わらせる」とは、少なくとも現段階では「終わっていない」ということを意味する。表題の「永続敗戦」という言葉はまさにその「終わっていない」状況を表している。

「もはや戦後ではない」という言葉は1956年の経済白書に記載された有名な言葉だ。そこで宣言された戦後終了とは要は経済力に非常に重きを置いた歴史観であったということであろう。事実日本は高度成長を経て、世界有数の経済大国となっていったことがその後の歴史だ。

  観念的過ぎる議論は危険である

戦後日本の風景をどのように知的に解釈するか様々な議論があっても良い。ただ現実の政治というものの正面には民衆が必ず存在し、実際に血が流れることもあれば傷つくこともあるのである。著者は観念的な側面からのみ政治を理解しようとしており、様々な利害の集合体としての国民には向き合っていない。驚いたのは日本は先の大戦で敗戦したことを受け入れていないという著者の主張である。

  著者の主張は明確であり、その言葉は快刀乱麻である, 2013/9/16

永続敗戦論――戦後日本の核心 (atプラス叢書04) (単行本)

本書のテーマに関しては31頁で著者は以下の通り端的に断言している。

「本書が取り組むのは『戦後』を認識の上で終わらせることである」「終わらせる」とは、少なくとも現段階では「終わっていない」ということを意味する。表題の「永続敗戦」という言葉はまさにその「終わっていない」状況を表している。

「もはや戦後ではない」という言葉は1956年の経済白書に記載された有名な言葉だ。そこで宣言された戦後終了とは要は経済力に非常に重きを置いた歴史観であったということであろう。事実日本は高度成長を経て、世界有数の経済大国となっていったことがその後の歴史だ。

「経済」だけが物事を切り取る切り口であって良いかどうか。これは僕のような歴史ないし経済の素人にとっても疑問である。但し、敗戦した日本が心の拠り所にしたものが経済であったということは事実ではないかと思う。実際敗戦当時の状況を考えると日本経済の回復は「奇跡的」に見えたとしてもおかしくない。但し、日本人はそれを自らの能力と勤勉に帰したかもしれない。一方、歴史家は朝鮮戦争等の特殊に有利な状況があったことに帰してもおかしくない。素人の僕としてはどちらも真実だろうと思う程度だ。

但し、その間にきちんと「敗戦したことを咀嚼し腹の底まで落とし込まなかった」のが日本であるということが著者のいう「永続敗戦」なのだと読んだ。「対米追従」と「アジア諸国(ロシアを含む)に対する排外的なナショナリズム」という二面性を著者は強く主張している。

著者の主張は明確であり、その言葉は快刀乱麻である。著者の断言調が本書の大きな特徴だ。明快な断言は時として耳に心地よい。内容が心地よくなくても口調によっては聞いていて納得させられてしまうということは良くあることだ。その意味で僕として著者の語っていることが本当に正しいのかどうかに関しては留保を付けたい。

しかしながら、「戦後は、若しくは敗戦は、まだ終わっていない」という主張に関しては皮膚感覚で同意出来るものがあった。取りあえず今回の読後感はそこまでなのだが、今後色々と考えるヒントになったと思う。

68年間の眠りから目覚めるために, 2014/1/18

レビュー対象商品: 永続敗戦論――戦後日本の核心 (atプラス叢書04) (単行昭和39年に日本政府は、東京大空襲及び広島、長崎への原爆投下の指令官であるカーチス・ルメイに勲一等旭日大褒章を授与した。そして現在の安倍政権は言うまでもなく当時の政府の嫡子であり、我々国民が紛れもなく民主的な手続きを経て選んだ政権である。また本書で著者は元外務事務次官谷内正太郎が米日の関係を「騎士と馬」に擬えたことをひいて次のように言う。「完全に家畜化され白人崇拝を植え付けられた日本人・・『家畜人ヤプー』・・は作中世界において生ける便器へと肉体改造され、白人の排泄物を嬉々として飲み込み、排泄器官を口で清める」「ここまで来ると彼らの姿はSF小説の『家畜人ヤプー』そのものである」と。

 

さて、ルメイへの叙勲は本書の読者及び当レビューの読者にとっては常識に属することであろう。しかし、多くの国民にとってもはたして同様であるのか。また、常識と喝破する当の者達は、この異常な事態を十全に説明する術を持っているのか。そして引用した上述のグロテスクな白人崇拝について、これを他人事と笑って済ませられる者がどれほどいるのか。

 

本書はこの倒錯した異常性について、我々の敗戦の否認が原因と断ずる。エリート層は、アメリカに対しては徹底的に媚びへつらう一方で中国、韓国、北朝鮮に対しては傲慢に振舞い続け、国民の快哉を得ることにより自らの正当性の確立を図る。右翼は現行憲法改正を叫ぶものの上述のアメリカに対する屈辱的事態には目をつぶり、逆に左翼は反米を叫ぶものの、自分達が当のアメリカの核の傘によって庇護されている現実には向き合おうとせず、しかしアメリカの都合により押し付けられた現行憲法だけは金科玉条のものとして奉る。つまり、何のことはない我々は皆、意識的、無意識的にダブルスタンダードを使い続け、60年間流され続けてきただけのことなのだ。

ただしこれが単なる主張でしかないのであれば、ネットのブログでさえも散見できる程度のものであろう。本書及び著者が類書に勝る点は、その徹底したリアリズムである。それは恐らく国家を相対化できる視点を持つマルクス主義、レーニン研究者という著者の専門によるところと、また著者自身が語るとおり、著者が時事評論家ではなく政治哲学、社会思想研究者であることによっていると思われる。そのため、主張には根拠又は資料が当然の如く伴われることとなり、それが主張の説得力を増すこととなる。したがって、本書第二章で著者は尖閣、竹島、北方四島の領土問題を論じるが、主張の根拠、引用及び出展が明示されていることから、左右どちらにとっても役立つ内容となっており、この部分を読むだけでも本書には価値があると思われる。

 

敗戦、というアメリカに対する服従を受け入れる代わりに、支配層は国体という名の、天皇をはじめとする支配層の延命を手に入れた。では国民は何を手に入れ、そして本当に失ったものは何だったのか。手に入れたものはやはりアメリカという(かつての)超大国による庇護、そしてそれを元にした経済的繁栄だっただろう。そして著者によれば代わりに我々が失ったものは、なんと革命の機会だという。

 

恐らくこの主張が突拍子もないものに聞こえるのは、無論共産主義のプロジェクトがほぼ惨憺たる有様で終焉し、現在の世界には共産主義国家等存在しないに等しい状況となっているからであろう。しかしもしかすると、60年の長きにわたり、あまりにも惰眠をむさぼっていたが故に我々が現実を正しく見ることができなくなっている、それが革命という言葉にリアリティを感じない理由かもしれない。なお本書で著者はこの革命を共産主義革命ではなく、本来の民主主義を確立するという意味で使用しているように思われる。

 

本書を読むことにより、所謂戦後というものが事実空虚であるという認識、したがって敗戦後まもなくの状況と現在との、時空を超えた直接的な接合とそれによる革命の可能性というものが、少なくともそれまでの夢想というレベルから、現実的可能性の一端ではあるというレベルに自らの認識が変化した。60年間の眠りを覚ますための一手段としてまずは本書を一読されることを勧めたい、

敗戦を終戦と言い変えてきた日本の欺瞞, 2014/8/20

永続敗戦論――戦後日本の核心 (atプラス叢書04) (単行本)

戦後の日本社会の歩みを総括する上で非常に重要な点を指摘しています。

敗戦を終戦と言い変えることによって日本人は、神州不滅とだ言って傲慢に振舞ってきた日本が、戦争に負けたのだという現実と正面から向き合ってこなかった。本書を読むと、そこに戦後日本の最大の欺瞞があることが良く分かります。そのため戦後日本は、戦勝国である米国には今日に至るまで敗戦国として従属しながらも、敗戦を終戦と言い変えることによって、アジア近隣諸国に対しては、戦争責任を十分認めず、尊大に振舞ってきた。著者は、こうした米国とアジアに対する日本人、特に保守派の人々のダブルスタンダードにこそ、最大の欺瞞があると指摘する。敗戦と真摯に向き合わないが故に、今だ日本は敗戦の問題を引きずっているのです。そこに著者が言う「永続敗戦論」があります。

 

著者が指摘しているように、様々な経済的、政治的要因から今まではそうしたダブルスタンダードが許されてきたが、これからはそうは行きません。護憲派であれ、改憲派であれ、敗戦の現実に真摯に向き合うことが今こそ求められていると強く感じました。

対米従属と敗戦の否認, 2014/6/17

レビュー対象商品: 永続敗戦論――戦後日本の核心 (atプラス叢書04) (単行本著は「永続敗戦」という概念で戦後処理の失敗に起因する今日的な問題を日本の現在として俯瞰的にとらえかえすもので、第一章「戦後」の終わり、第二章「戦後の終わり」を告げるもの、第三章戦後の「国体」としての永続敗戦、そして最後のエピローグで構成する戦後レジームの核心とその本質を明解な理路であざやかに描きだす「敗戦後」論である。

冒頭、「私らは侮辱の中に生きている」として読み手の関心をひきつける。とりわけ、福一原発事故によって次々と明るみにされてきた事実をふまえ、これを「侮辱」と呼ぶほかないとしている。けだし、原子力の安全神話を含めSPEEDIの公開や不都合な被爆の実態はすべて隠蔽され、何一つとして責任の所在が明かされることもない。

根拠なき楽観、批判的合理精神の欠如、権威と「空気」への盲従、その一つ一つが東京裁判での「・・・何となく戦争に入っていかざるを得なくなったのだ」という戦争指導者たちの言動とやりきれない気持ちで重なってくる。

著者はいまあらためて歴史に向き合わなければならないとして、「戦後」=「平和と繁栄」という物語を批判的に再検証しなければならないという。

 

「永続敗戦」とは何か。それは敗戦の帰結としての政治・経済・軍事的な意味での直接的な対米従属構造が永続化される一方で、国内およびアジアに対しては敗戦そのものを認識において巧みに隠蔽し否認するという日本人の大部分の歴史認識・歴史的意識の二重化された構造にあるという。つまり、敗戦を否認するがゆえに、際限のない対米従属を続ける。すなわち、深い対米従属を続けている限り、敗戦を否認し続けることができる。著者はこの状況を「永続敗戦」と名付け、「戦後」の根本レジームになったとしている。

まことに明解で見事なまでにこの国の戦後の欺瞞と事実を隠蔽し歴史修正へと向かう体質を明るみにする。その一々が腑に落ちてくるから痛快でもあり説得力もある。

 

だが、永続敗戦がもつ構造的問題はかつて国家を戦争と破滅へと追いやった勢力の後継者たち、戦前的価値への共感を隠さない政治勢力が、面々と権力を独占し「戦後を終わらせる」ことを実行しないという事実であり、対内的にも対外的にも敗戦の責任をほとんど取れないという無能で「恥ずかしい」政府しか持てなかったということにある。そのことがわれわれの物質的な日常生活をも直接的に破壊するに至ったという現実(福島原発事故)でもあった。しかしながら、今日その構造は限界に来ているとして、世界的経済危機は日米間の従属の構造を再編し、互恵的なものから収奪の構造へと改変されつつあるという。

 

日本が直面する今日的諸問題(グローバル化、TPP、靖国参拝、領土領有、拉致、国防軍事、歴史認識など)に向き合う前提となるヒントがこの一冊から滲み出ているように思えてならない。「敗戦後」を考える渾身の一冊、さすがに読み応えがあります。

敗戦の意味, 2014/9/1

後日本の核心 (atプラス叢書04) (単行本)

敗戦を終戦と言い換えているところに全てが表れているようだ・・1945年以降の日本の歩んできた道をもう一度考えるヒントを与える「貴重な本」だと思う。昭和天皇個人のお考えか、側近を中心とした周りの考えかは定かではないがあの戦争の責任の取り方に 大きな問題があったのだろうか???

共産革命と軍のク-デタ-を恐れた「天皇陛下」が 米軍の駐留を望み不平等安保条約に繋がっているという記述は、驚きであった・・・

一読の価値ありと思う。

  戦後を思想的に克服しようとの試み, 2013/8/12

レビュー対象商品: 永続敗戦論――戦後日本の核心 (atプラス叢書04) (単行永続的敗戦とは、第二次世界大戦に敗北したことを日本人が認識において否認することと、日米安全保障体制をはじめとする戦後の政治、経済、軍事体制の下で日本が対米従属を続けてきた(今も続けている)ことが、相互に補完し合うという状況を指し示す概念である。自民党の政治家が歴史発言や靖国神社への参拝によって中国や韓国との外交関係を損なう例を我々はこれまでしばしば目にしてきたが、これは、日米安保条約がある限り、東アジアの中で孤立しても、アメリカとの関係は維持される(アメリカは日本を見捨てない)という安心感によるものである。この安心感には、冷戦体制下の東アジアで日本が唯一の民主主義国であり、経済大国である限り、ある程度現実的な根拠があった(アメリカにとって日本は東アジアで最も重要な同盟国であった)。だから、アメリカも、日本の政治家が極東裁判を否定したり、戦後民主主義を乗り越えようとしても、それが言説のレベルに止まり現実に乗り越えようとしない限り、不問に付してきた。ところが、冷戦が終了し、韓国や台湾が民主化され、中国が経済大国化すると、東アジアの地政学が大きく変化し、日本はアメリカにとって東アジアで最も重要なパートナーという構図が崩れる。日本の政治家の発言や行動によって中国や韓国との外交関係が毀損されると、アメリカとしてもこれを放置しておくことができなくなり、堪忍袋の緒が切れる状況も出てくる(「傀儡の分際でツケ上がるな」)。こうして、日本が対米従属を続けることによって敗戦を否認するという永続的敗戦の構造が成立し難くなる。このような状況の中で、戦後という時代概念を吟味し、これを認識の上で終わらせることで、永続的敗戦を思想的に克服しようと試みたのが本書である。

戦後の終わりを告げるものとして領土問題と北朝鮮問題が取り上げられる(第2章)。領土問題については、現在日本が抱えている三つの領土問題(北方領土、尖閣諸島、竹島)はどれも第二次世界大戦の戦後処理に関わっているため、ポツダム宣言とサンフランシスコ講和条約の内容に正面から向きあうことが求められるが、敗戦を否認し「日本固有の領土」という論理で領土問題に取り組もうとしている日本政府にそれを期待することはできず、したがって領土問題の解決に向けて前進することはできないと論じられる。北朝鮮問題については、日本と同様に北朝鮮による拉致の被害を受けている韓国や中国が、対北朝鮮においては拉致問題よりも核兵器とミサイル問題を優先しているにもかかわらず、日本だけが拉致問題を優先していることを取り上げ、これも敗戦を否認しているためであると論じられる。

そして永続敗戦を概念的に吟味し、その克服に向けた指針を提示しているのが本書の白眉とも言える第3章「戦後の「国体」としての永続敗戦」である。米国の核の傘に下にあり、核密約を米国と取り交わしながら、他方で非核三原則を国是とし、平和主義を戦後日本の中核的価値観に据えるというシニシズムの放置に対しては、主流派政治勢力もこれを批判する左派リベラル勢力も共犯関係にあること、戦前の国体は第二次世界大戦における敗戦を永続敗戦という代償を払って乗り越えた、つまり永続敗戦が戦後の国体であること、戦争末期の日本の指導部に戦争終結の決断をさせたのは、戦争継続が国体を危険に晒す恐れだったこと(「革命よりは敗戦がまし」)、戦争終結による惨禍拡大を回避できた代償として日本人は自主的に決めること、自分の命を賭けても護るべきものを見出すことを体験し損ねたこと、逆に今、日本人が命を賭けても護るべきものを見出し、それを合理的思考によって裏付けられた確信へ高めることができれば、永続敗戦を克服できる、と論じられる。

永続敗戦という概念によって戦後日本のある本質を抉りだすことに著者は成功している。また、東アジアの地政学の変化や日本の経済力の相対的低下により戦後の永続敗戦というレジームが耐用年数を終えたという認識もおそらく正しいだろう。しかし、永続敗戦を克服するために著者が提示している「各人が自らの命をかけても護るべきものを真に見出しこれを合理的思考によって裏付けられた確信へと高める」という思想的処方箋は、あまりにも主知的に思われ、腑に落ちなかった。それでも、敗戦を思想の問題として提起し、その克服を試みたことは、それ自体で高く評価できよう。また、中国や韓国との外交関係を悪化させ、東アジアの中での日本の孤立を齎しつつある一方で、日米関係を最優先させようとする現自民党政権の外交政策が破綻を運命づけられていることを戦後史の文脈の中で深く理解するために、本書は格好のテキストである。なお、東アジアにおける地政学的変化を外的要因として領土、外交を主題に戦後の思想的克服を試みた本書では経済問題が主題的には論じられていない。これについては、本書を朝日新聞で高く評価した水野和夫氏の一連の著作が本書を補完する。

観念的過ぎる議論は危険である, 2014/9/12

レビュー対象商品: 永続敗戦論――戦後日本の核心 (atプラス叢書04) (単行本)

戦後日本の風景をどのように知的に解釈するか様々な議論があっても良い。

ただ現実の政治というものの正面には民衆が必ず存在し、実際に血が流れることもあれば傷つくこともあるのである。

著者は観念的な側面からのみ政治を理解しようとしており、様々な利害の集合体としての国民には向き合っていない。

驚いたのは日本は先の大戦で敗戦したことを受け入れていないという著者の主張である。

昭和40年前後に生まれた私と幼少の頃に戦争を経験した親の世代しか知らないが、少なくとも我々の世代までは日本は戦争で米軍の物量と技術力に徹底的にやられて終戦と呼ぼうと何と呼ぼうと戦争に負けた事は厳然たる事実として存在し、それに対して意義を申し立てるような言論はなかったと思う。もしいたとしてもちょっと変わった人物として世間から孤立し受け入れられることはなかったであろう。

石原某とか田母神某とかかなり右よりと思われる人士からも先の戦争で日本は負けていないなという極論は出てきていないし、著者はいったい何を見てそんなことを思っているのか理解に苦しむし、精神状態はまともなのかとも心配するのである。

次に違和感を感じるのは対米従属が悪いという認識であるが、確かに安全保障の根っこの部分をアメリカに押さえられているので最終的にNoをいえない立場であることは事実である。しかし、衰えたりとは言えども世界は今でもアメリカ幕府が牛耳っているのであり、日本に限らずアメリカの考えをまったく無視して我を通すことができる国は存在しない。あえて言えば中国とロシアはアメリカに正面から逆らってものを言うし本当の意味で独立しているのだろうが、それらの国の言行が立派かといえばそれはまた別問題だ。日本は経済的利益と政治的利益が得られる限りにおいてはアメリカについて行くだろうが、日本の近海で地政学的な変化が生じれば、それも近い将来どうなるか分からないであろう。

 

侮辱の中で生きる事を拒絶せよという著者の主張は危険だ。戦後の民衆は地べたの上を這いずり回って侮辱の中を生き抜いて今日の日本があるのであり、著者は本当の意味での人生を経験していないのではないか。革命を夢想しているようだが、リセットしてゼロからやり直せば何かいろいろなことがうまくいくというような幻想を持っている人間がいまだに居るということ自体も驚きだった。世界の言論の主流にそのような議論は存在しないだろう。

歴史を美化してはならない。受け入れることから前進が始まる。, 2014/8/11

レビュー対象商品: 永続敗戦論――戦後日本の核心 (atプラス叢書04) (単行本)

3.11の震災、福島の原発事故、自民党政権の復活…ここ数年ずっと抱き続けてきた怒り、苛立ちを、理路整然と説明してくれた本だった。「同感」の一言に尽きる。やはり歴史を清算し、過去の受け入れ難い敗北を認めない限り、前には進めない。それが現実だと思う。 だが、だからといってここまで事なかれ主義が染み付いた日本という土壌で、国体を覆すほどの市民運動が起るとはとても思えないのが歯がゆくもあり、それこそが日本の恥だと思う。

そんなに共感できる論ではない, 2014/7/18

永続敗戦論――戦後日本の核心 (atプラス叢書04) (単行本)

 

筆者は、日本という国が戦後アメリカべったりで、それが原因で様々な欺瞞を引き起こしてきたと言って日本のあり方を非難している。

だが、筆者も127pで「国家の政策は、ましてや外国に対する占領政策は、道徳とは根本的に無縁である。」と言っている。日本はカッコ悪いのだろう。しかし当時の世界主要各国を敵に回して負けた中規模な日本に似合った境遇だと私は思う。この論は大きな世界を見ず小さな世界の中で騒いでるようにしか見えない。

将来的にアメリカが頼れないとしても、にっちもさっちも行かなくなったら直すしかなくなるだけの話だ。無理に変えて自滅することだってある。最近はいろいろナショナリスティックなのでちょっと冷水を浴びせるのがいいかもしれないが、なにもこれに同調して興奮しなくてもよかろう。

  私たち日本人は「人間あつかい」されていない。 2014/7/9

レビュー対象商品: 永続敗戦論――戦後日本の核心 (atプラス叢書04) (単行本)

買う価値のある本。定価以上の値打ちはあると思います。2011福島第一原発事故で露呈したのは、まさに書かれているとおり。この国を実行支配し、権力をほしいままにし、しかも責任を取ることのない社会階層の存在『政治家、パワーエリート(高級官僚)の存在』を明らかにした。その存在は一朝一夕でうまれたわけではなく、明治以降生まれ、太平洋戦争を引き起こして、滅びたようで、戦後、アメリカの下で権力を掴み、自分隊の支配力を高めてきた存在だ。

間違いを犯さない存在だから、「敗戦」と言わず、「終戦」となる。全滅が玉砕に、撤退が転進になる。絶対安全が、想定外、になる。

本書は、本来彼らが引き受けるべき責任を国民に押し付けて無謬(間違いを犯さない)の存在として生き続ける妖怪のような存在=その生態について書かれていると思う。この連中は日本という国に巣食って抜き差しならないほどにはびこり、我々の心を踏みにじり続けることをやめない。

それは、小学校の運営から、政府にまで日本のありとあらゆる場所におよんでいる。

 

そのことを意識するためには好都合な1冊。

 

この連中が、この連中の萌芽が明治維新、太政官政治時代であったこと。明治の元勲が死にたえて以降。昭和に軍部と。戦後はアメリカと。つながることによって今日まで権力を強めて来たこと。その辺のことまで書いてほしかった。

私たちは、昔から、そして今も、「侮辱」され、人間あつかいされていない。そのことを思い知る必要がある。

10:28 2014/09/24

2014年9月19日 (金)

戦争ってどんなことするの? 日本が戦争できる国になったら? 軍隊があるほうが危ない?……ラミスさんが今こそ徹底的に答えます

引用


戦争するってどんなこと? (中学生の質問箱) 単行本(ソフトカバー) – 2014/7/9 C.ダグラス ラミス (著) 内容紹介

戦争ってどんなことするの? 日本が戦争できる国になったら? 軍隊があるほうが危ない?……ラミスさんが今こそ徹底的に答えます

内容(「BOOK」データベースより)


軍隊は国や人々を守れるの?それともかえって危険な存在なの?沖縄戦を生き延びた元県知事大田昌秀さんのインタビューも収録。シリーズ第四弾! 単行本(ソフトカバー): 223ページ出版社: 平凡社; 四六版 (2014/7/9)

言語: 日本語発売日: 2014/7/9

目次

第1章 日本は戦争できないの?

第2章 戦争ってどんなことするの?

第3章 どうして戦争はなくならないの?

第4章 日本が戦争できる国になったらどうなるの?(なにがどう変わるの?

どんな戦争をすることになるの?)

第5章 沖縄から考えるってどういうこと?

第6章 軍事力で国は守れないの?(軍隊があるほうが危ないの?

非暴力抵抗で国が守れるの?)

 

我が国の現状を認識するのに必読の本, 2014/8/31

レビュー対象商品: 戦争するってどんなこと? (中学生の質問箱) (単行本(ソフトカバー))

 

この本は、アメリカ人の C. ダグラス ラミスさんが、きっと中学生を対象として書かれた本です。ラミスさんは、もとは海兵隊に入ってたそうですが、いろんな経緯を経て、この本を書くような平和主義者になられたそうです。本の「おわりに」にその経緯が書かれています。特定秘密保護法、武器移転3原則、集団的自衛権などと、戦後70年の我が国の平和憲法の精神を踏みにじるような事柄が、いとも簡単に推し進められている我が国の現状は、まさに憂うべきことですが、どうしてそのことが憂うべきことなのかという根本的なことは、これまでの世界における戦争と平和の歴史、また我が国のそうした歴史と現状を把握しないと理解できないのです。この本は、こうした根本的で重要な問題を、易しく、具体的に説明しています。中学生や高校生の若い人たちには是非とも読んで欲しいし、年齢に関係なく日本人全部に呼んで欲しい本です。

教科書にしたい, 2014/8/14

レビュー対象商品: 戦争するってどんなこと? (中学生の質問箱) (単行本(ソフトカバー))

何故戦争がおきるか、起きたらどうなるかが今と地続きが書かれています。

こうした根本に疑問を持っている人は多いと思います。

戦争について気になった人はぜひ!

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8:33 2014/09/19

中学生の質問箱・戦争するてどんなこと・・

 

週刊金曜日・

ダグラス・スミスさんに聞く・「戦争できる国」のリアル・・集団的自衛権の行使容認、で、日本にとって「戦争」がリアルなものになろうとしています。

とは言っても、戦争体験のない世代がほとんどになった今、「戦争」と言われてもピンと来ないのも事実。海兵た経験のあるダグラス・スミスさんに、「戦争」の本質を聞きました。

7月1日の集団的自衛権行使を容認する閣議決定の前後から「集団的自衛権」という言葉を頻繁に耳にするようになりましたが、政府とほとんどの新聞・テレビが使わない言葉がひつとあります。それは「交戦権」です。

交戦権は兵士が戦場で人を殺しても殺人罪にならない権利です。

・・・集団的自衛権行使が意味すること・・・日本の憲法9条には「国の交戦権は、これを認めない」と書いてあります。つまり、国民は戦場で人を殺す権利を政府に与えない、という意味です。これはいくら「解釈」しようとしても、別な意味は出てきません。ですから政府はなるべく使わないようにしていて、ほとんどの新聞やテレビもそれに倣っています。

交戦権がなくては、軍事行動はできません。一人ひとりの自衛官は自分やすぐ隣の人の命が危ない場合に限って、正当防衛として武器を使えるだけです。ですから、これまで自衛隊は軍事行動をしてきませんでしたし、交戦権のもとで人を殺していません。けれども、集団的自衛権行使を容認するなら、それは変わるでしょう。

アメリカと一緒に集団的自衛権を行使することになれば、日本は日本から遠く離れたところでアメリカが起こした戦争に加わって軍事行動をすることになります。軍事行動に参加すれば、自衛官も人を殺すことになるでしょう。その時、戦場で人を殺した自衛官たちが日本の警察や検察に逮捕されたり起訴されたりしないなら、それは事実上の交戦権の復活です。

自衛官が海外の戦争で人を殺したら、日本の平和運動家が誰かが、「その自衛官を起訴すべき」というかも知らません。するとその人は、「売国奴」とか、「国のために戦ったヒーローを起訴するのか」とか、大変なバッシングに会うことが想像できます。

このようにして、集団的自衛権を行使して自衛隊が軍事行動をしてしまえば、憲法を変えなくても実質的には交戦権があることになってしまいます。もちろん、「交戦権を認めない」と憲法に書いてあるのに、軍事行動をするのは憲法違反ですが、政府はこれを狙っていると思います。

・・・戦争できる国」アメリカの社会・・・

私は高校生の頃、「軍隊がないと国は安全ではない」と、今の自民党と似たような考え方を持っていたので、志願して海兵隊に入りました。海兵隊の基礎訓練では、住の取り扱いなど基本的な技術の他、命令に疑問を持たないで絶対に従うことを教えます。自分の良心に従うなどは一切考えさせず、どんな馬鹿げた命令でも従うよう訓練します。そして、人を殺せるよう訓練します。

たとえば、現在の戦争では実際にはほとんど役に立ちませんが、十件を使って相手を殺す訓練をします。ワラでできた人形を「殺す」と言って突き刺すのです。これは人を殺せるようになる心理的な訓練と言えるでしょう。

私は戦争に行ったことはありませんが、実際の戦争に行くと、いくら訓練を受けていても多くの人にはまだまだ抵抗があって、なかなか人を殺せないといます。上空から爆弾を落とすのなら、相手の姿が見えないのであまいり抵抗はありませんが、陸上戦で人の姿、顔を見て撃つことは、できない人が多いのです。自分が撃った弾が人の体に入って、その人が倒れて、叫んで、泣いて死ぬということを初めて経験したとき、多くの兵士が泣き出したり、吐いたり、足から力が抜けて倒れたり、銃を投げて「ごめんなさい」「ごめんなさい」と言ったりするそうです。

27頁・

そんなとき軍曹は兵士を怒るのでなくて慰めます。「大丈夫。みんなそうだから。なれるから。僕も最初はそうだった」と。

兵士の仕事は国を守ることだという言い方をする人もいますが、実際には人を殺すことです。ですから、「戦争をできる国」というのは、はっきり言えば「(戦場で)人を殺させる国」です。

その影響軍隊だけには限りません。日本での「戦後」と言えば1945年以降のことですが、アメリカで「戦後」といっても、いつのことなのかわかりません。朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争・・・アメリカはしょっちゅうどこかで戦争をしている社会です。そういう社会で育てられると、お父さんや親戚のおじさんや近所のおじさんが戦争に行ったとか、勲章をもらったとか怪我や戦死した人もいるかもしれません。そして、戦争から帰ってきた人達はおおむね「よくやった」と好意的に評価されています。

今のところ戦争をやっているのは多くが男性ですから、とくに男のこは小さい頃から、大人の男になるということは人を殺せる人間になることだ。と考えます。そして、人殺しできる男になるように無意識で準備するのです。もちろん、そうでないアメリカ人もいますが、そういう社会的な雰囲気があります。

・・・・戦争が目的か、戦争状態が目的か・・・

日本は3世代くらい戦争を体験していませんから、ほとんどの人は自分が人を殺すなんて問題外のことでしょう。ですから、今の若者が戦場に送られて人を殺すことになれば、若者たちの心の中に大きな抵抗が生まれると思います。これでは戦争になりません。実際に戦争をするためには、「改憲」や「解釈改憲」だけではなく、それ以上に日本社会を作り直す必要があります。

自民党の憲法改正草案には、それが見事に描写されています。国民は政府の言うことを聞いて、国のために尽くす臣民に戻るのです。人権には条件がつけられ、愛国心は義務であり、国に対する責任として国民が何をしなければならないかという命令ばかり書いてあります。

そうなると、「政府や国のやることと私は関係ない」とは言えなくなります。「関係ある」と政府が言うわけです。「戦争できる国」に戦争とは無縁の人はいません。特に若い人たちは、自分の身に迫ることだと分かって欲しいのです。

政府がやろうとしているのは、社会を作り直して戦争をすることでしょうか、それとも戦争や戦争状態の恐怖を手段として、国民が政府の言うことを聞く社会を作るのが目的なのでしょうか。後者のほうが自民党の意識の中で強いのではないかと思います。

今、沖縄の辺野古の海では、地元の反対にもかかわらず米軍普天間飛行場の移設に向けた海底ボーリング調査が行われていますが、8月7日の「琉球新報」は、政府が調査支援のために海上自衛隊の掃海母艦「ぶんご」を派遣する可能性を検討している、と報じました。国の政策に反対する国民に対して、軍事力で対決することを政府が検討しているということです。実はすでに一度「豊後」は、2007年5月にも辺野古沖での事前調査支援の名目で派遣されています。

 

これまで自衛隊は国民に対して暴力を使ったことは一度もありませんが、軍艦を派遣することの威嚇の意味は大きいと思います。自衛隊の相手は必ずしも海外ではなくて国民ということもあるのです。

ところで、東京~沖縄便の飛行機に置いてある観光パンフレットには、もちろん米軍基地は載っていませんが、今回、もうひとつないものを見つけました。ヤンバルの珍しい植物や動物が紹介されているのに、その中に辺野古周辺の海に生息しているジュゴンが入っていないのです。国策と矛盾すると思われている自然や動物の存在も、検閲の対象になり始めたのでしょうか。

聞き手・まとめ・市川はるみ・Cダグラス・ラミス・1936年生まれ。60年に海兵隊員として沖縄に駐留、61年に除隊。80年より津田塾大学教授。2000年により沖縄を拠点にして活動。最近作「中学生の質問箱・戦争するってどんなこと?」平凡社・では日本が戦争できる国になった場合の「リアル」を語っている。

平成26年9月19日


2014年9月 6日 (土)

注目企業トップインタビュー・建設業界のリーディングカンパニートップが語る「栄えある会社・消える会社」の違いとは・樋口武夫・大和ハウス工業会長・

引用

注目企業トップインタビュー・建設業界のリーディングカンパニートップが語る「栄えある会社・消える会社」の違いとは・樋口武夫・大和ハウス工業会長・

「ビジネスマンは語学力よりまず日本の歴史を学べ」

大和ハウスの事業は幅広い(物流施設)「DPL相模原」と脚力「きゃくりょく【脚力】脚力が衰えた」が弱くなった高齢者などの歩行をサポートするロボット「HAL福祉用」)

スーパーゼネコンを上回る売上高と利益規模で建設業界をリードする大和ハウス工業。カナダの出版社による「世界で最も持続可能な100社」に4年連続して選ばれている。同社の急成長を牽引した樋口武夫・会長は、「ビジネスマンは、日本の歴史と会社の歴史を学ぶべき」と語る。

キーワードは「アスフカケツノ」

・・・大和ハウス工業の今期の連結売上高見通しは2兆8000億円、営業利益1700億円と昨年策定したばかりの2015年度までの中期計画を1年前倒しで達成する見込みですね。消費税増税の逆風にもかかわらず堅調です。・・・

樋口・まだこれからです。弊社には、創業100周年に当たる2055年に「売上高10兆円」とする目標があります。

私は創業者の石橋信夫(故人)から直接、「100周年で10兆円にして欲しい。俺の夢なんや」と言われました。

壮大な目標ですが、決して不可能ではない。会社も人でも大きな目標がなければ成長できないと思います。経営陣だけでなく部長も課長も若手社員も、志を持って目標にチャレンジしていく。目標がないと目先の利害や小事にとらわれてしまい、能力がある人も伸びなくなってしまう。

・・・「選択と集中」を目指す企業が多い中、大和ハウスは住宅だけではなくホテルやロボット、農業など多角化を進めている。一見、バラバラに見えますが。・・・聞き手・永井隆(ジャーリスト)

樋口・弊社は組み立て方の仮設建物「パイプハウス」とプレハブ住宅の原点である「ミゼットハウス」からのスタートしました。祖業ですから、あくまで住宅が柱の1つです。現在は戸建て住宅、マンション、商業施設、物流倉庫などの事業施設がコア事業です。

さらに高齢の方々の脚力・歩行機能をサポートする福祉向けの自立動作支援ロボット、高齢者向けの施設や在宅介護サービス、リチウムイオン電池やメガソーラーなど、幅広く事業を展開しています。

とはいえ決してバラバラではありません。私は「明日不可欠の(アスフカケツノ)」というキーワードを掲げています。

まず「福祉」「環境」「健康」「通信」の頭文字の「フカケツ」から始まり、当社の基本的な考え方である「安全・安全」と「スピード」の「アス」を加えました。さらに今世紀に入ってから「農業」の「ノ」をつけました。弊社は1990年代から「21世紀には風と太陽と水が鍵になる」と考えていました。今でこそ環境は広くビジネスチャンスと捉えられていますが、弊社は以前から重視していたわけです。

・・・共通点は?・・・

樋口・創業者は、パイプハウスを世に出した時から一貫して「に何をすれば儲かるか」ではなく、未来を読んで「何が世の中の人の役に立つか」「何が必要とされているか」を考えて商品を作るべきだと語っていました。「アスフカケツノ」はまさに、これからの日本と世界に不可欠とされるものばかりです。

・・・スーパーゼネコンの鹿島を1兆円以上も上回る業界ナンバー1の売上規模ですが、例えばマンション事業は野村不動産が首位であるように、部門別ではトップがない。いわば「金メタル無き総合優勝」です。・・・

樋口・いずれは部門別でもトップをとっていきます。ただし安易に値下げしてではなく、ボリュームを追うのではなく、まずは顧客満足度で1位になることが重要。その先の売り上げがついてくると考えています。

かつては各分野で「3+1」、つまり3位か4位までにいれば生き残ることができましたが、今後は「2+1」、つまり2以下、最低でも3位以内でなければ淘汰されることになるでしょう。どんな分野でもリーディングカンパニーでいることが必須になります。

・・・「売上高10兆円」実現のためには何が必要でしょうか。・・・

樋口・日本は少子高齢化と人口減少が進みますから国内事業だけで10兆円は不可能です。グローバル展開を加速していくことがポイントになります。

・・・2012年に海外に強いフジタを買収して世界への橋頭堡を築きましたが、まだグローバル化は緒についたばかりです。・・・

樋口・10兆円のうち、6兆円が海外、4兆円が国内と考えています。国内は大きく伸びません。

グローバル化のためには、莫大な人的資源が必要になる。今のままでは人が足りないのです。次世代のリーダーをはじめ、人を育てていくことが重要な課題だと考えています。

・・・樋口武夫・1938年兵庫県生まれ。61年関西学院だいが法学部卒業、63年大和ハウス工業入社。84年取締役、93年に夫妻に苦しむグループ会社の大和団地社長となり、立て直しに成功。2001年大和ハウス工業社長。04年より会長兼CEO。著書に「熱い心が人間力を生む」「凡時を極める」など。

・・・世界を見据えていた信長・龍馬・・・

・・・人材が成長の要であることはどの企業でも共通しています。特にリーダーとなるビジネスマンの存在が求められています。・・・

樋口・私は人を見るときに「公平」「公正」「無私」「ロマン」という観点を重視しています。

さらに、リーダーには4つに力が必要だと思っています。それは「先見力」「統率力」「判断力」そして、「人間力。

154頁・すべてを兼ねる人はなかなかいませんが、特に最後の人間力は大切だと考えています。私は弁護士でさわやか福祉財団会長でもある堀田力さんに共感する部分が多いのですが、堀田さんの著書「人間力」の育て方」には要約すると次のようなことが書かれています。

人間力とは「生き方を自分で決めて、その通りに生きていこうと取り組んでいく自身を持つ」ことであり、それは知性・理性・感性で構成され、人それぞれに中身は違う・・・。

志を持ち、部下を引っ張っていける力と言えるでしょう。それには夢を語ることです。志があれば、自分も部下も辛い場面を乗り越えることができるし、成長もできる。

・・・シンプルですが、なかなか難しい・・・

樋口・最近は「ブラック企業」という言葉が話題になっていますが、そうした企業には夢や志がないのでしょう。残業代も払わないような違法な長時間労働はろんがいですが、たくさん働いても志があって成長したいと思えば辛くとも乗り越えることができるのです。

私はビジネスマンは「歴史」を学ぶべきだと思います。先人たちの志を知り、それをどう成し遂げたかを知ることです。

特にグローバルに活躍する人や企業ほど、日本の歴史を知り、家族や故郷に誇りを持つべきです。英語は確かに大事ですが、語学力以上に「自分が何者であるか」が問われます。国際社会では故郷に誇りを持たない人は信用されません。そのためにも日本を知り、歴史学び、先人たちがどんな志を持っていたかを知るべきだと思います。

・・・我が国の歴史上、特に注目している人物は?・・・

樋口・戦国武将、維新の志士、明治期の若者たち、敗戦後を支えた人たちなど色々といますが、大志を持つ人物という点では、やはり織田信長と坂本龍馬が挙げられます。2人が成し遂げたことについては改めて語るまでもありませんが、注目していただきたいのは両者とも「世界」を見据えていたことです。

信長は本能寺の変にたおれたことで本格的な世界戦略にはいたりませんでしたが、宣教師と密接に交流するなど海洋国家としての日本を思い描いていました。龍馬がやはり当時としてはいちはやく海外へと視野を広げていたこともご存知の通りです。単なる改革者というだけでなく、大いなるビジョン、志があったわけです。「こころ‐ざし【志】 1 ㋐ある方向を目ざす気持ち。心に思い決めた目的や目標。「―を遂げる」「事、―と異なる」「―を同じくする」「青雲の―を抱く」 ㋑心の持ち方。信念。志操。「―を高く保つ」 2 相手のためを思う気持」

・・・・ヒラメ社員ばかりでは左前に・・・・

・・・2人のようにビジョンと強いリーダーシップを持つ人材が会社の中にいればいいが、なかなかそうもいきません。・・・

樋口・トップはもちろん大切ですが、ナンバー2の存在や「組み合わせ」も需要です。現代の企業で言えば、どんな部長の下にどんな課長がいるか、課長の下にどんな現場社員がいるかということです。その意味でも私も人事を重視しています。

ビジョンを持ったカリスマである信長に対し、ナンバー2となった豊臣秀吉はいわば「上司の志を実行する人」でした。そして秀吉には黒田官兵衛という参謀もいた。その組み合わせはうまくいったわけです。官兵衛や同じく参謀の竹中はんべいがいなければ、秀吉はあれほど出世できなかったでしょう。

歴史を知ると面白いのは、「リーダーがふんぞり返るようになると組織を滅ぼす」という心理が繰り返されていることです。

私は30年間、多くの会社の栄枯盛衰「えいこ‐せいすい【栄枯盛衰】 栄えたり衰えたりすること。「―は世の習い」

目の当たりにしてきました。だいたい、トップがふんぞり返ると、その会社は傾いていくものです。歴史にしてもそう。

秀吉は現在に置き換えればサラリーマン社長だったように思います。足軽のことして生まれ、学歴がなく一般職採用で名門の織田家に仕え、成果を上げて副社長まで大出世を遂げます。

ところが社長になった途端、部下だった官兵衛と長政の親子は武功を上げても社長の秀吉から評価されなくなってしまう。それが豊臣家が長く続かなかった理由ではないでしょうか。

・・・本能寺から明治までの約300年間、黒田家や毛利家は存在し、小竹屋豊臣家などは一世を風靡したのに絶えてしまった。変化が激しい現代、企業が生き残るのはさらに難しい。・・・

155頁・

大和ハウスでは毎年「歴史」をテーマとしたフォーラムを開催している・・・・・

 

樋口・100年存続する会社は数千者に1社と言われています。持続的に成長できる会社と、消滅する会社はどこが違うのか。

私なりの考えですが、企業はある程度成長してしまうと創業者の存在感が薄くなります。その教えや哲学を社員が忘れていく。「会社の歴史」というべきものが消えてしまうのです。

そうなると会社は変化よりも安定が好まれ、お客の幸せの最大化より社内の秩序が優先され、志や実行力のある人よりも管理能力のあるだけの人が幅を利かせていきます。

・・・会社組織は成長に伴い、どうしても官僚化し大企業病に陥ります。・・・

樋口・自社の話で恐縮ですが、創業者の石橋信夫はとても人間力のある人でした。会社を公器と考え、自分の財産には頓着せずに、何より清廉潔白でした。

来年は創業60周年であり、創業者の13回忌。その志を忘れないため、創業者の胸像「きょう‐ぞう【胸像】 人物の頭から胸のあたりまでの彫像や塑像。」を13体作り、グループ会社を含め各拠点に設置しました。

外部からは「何でいくつも胸像なんて置くのか」と見られるかもしれませんが、井戸を掘ったひとを大切にしなければならない。

現在の社員たちが会社の歴史や「世の中の役に立つものを作れ」といった創業者の志を学ぶことは、大企業病に陥らないための大切な取り組みです。それがないと、上の顔色ばかりを伺うような「ヒラメ社員」が増えてしまう。そうなれば会社はすぐ左前です。

・・・樋口さんがリーダーとして心がけてきたことは?・・・

樋口・志やビジョンを語り、あるいは部下に語らせることは重要ですが、それとともに「率先垂範」を旨としてきました。

「そっせん‐すいはん【率先垂範】 先頭に立って模範を示すこと。」

私は1974年、36歳の時に採算が悪化していた山口支店の支店長になりました。その時から実践しているのは、とにかく購入する物件は自分が直接足を運んで見に行くということです。すると、当然ながら失敗したら自分の責任になる。

覚悟が必要なことですが、そうすれば部下はどんな基準で物件を選んでいるかを背中から学ぶことができます。

93年には、債務超過寸前だったグループ会社の大和団地(当時)の社長になれと言われました。その時も北海道から九州まで、全部物件を見に行き、不採算の物件を売却して採算性の高いものに絞り、会社を立て直しました。

そうした「現場主義」は今、弊社の強みになっています。全国各地に戸建住宅の注文などを受けるための拠点が有り、そこから物流倉庫向けなど大きな土地の情報が入るようになったわけです。

リーダーがふんぞり返っていたら、組織は烏合の衆になってしまう。それはいつも肝に銘じています。

・・・現在76歳。会長職はいつまで続けるつもりですか。・・・・

樋口・まだやるべきことはあります。健康である限りは続けたいと思っています。後継については考えています。やはり創業者の意志をついで、会社の歴史をつなぎ、成長させてくれる人を思い描いています。

平成26年9月6日

週刊ポスト・9.5.

軍事力が中国経済を殺す


2014年9月 3日 (水)

与論島出身が開拓したことで知られる錦江町田代・龍郷町組織図・・町議名簿・薗博明の自衛隊基地誘致について?!

引用


 nagatanouhou

http://www.geocities.jp/skyfarm_3192/nagata10.html


南海天地・与論島出身が開拓したことで知られる錦江町田代(旧田代町)の磐山集落で、68回目の入植記念日祝賀会があると聞いて先週末、取材に出かけた・盤山集落は、大隅半島南部の稲尾岳中腹の標高500メートルの地にある。

太平洋戦争末期に第13次与論開拓団として中国の旧満州へ渡った与論島出身者が戦後、日本に引き揚げ、再入植したのが集落の始まりだった。

中国の入植地の旧満州綿州省盤山県では、敗戦の混乱の中で集団自決や栄養失調により開拓団の婦女子に多くの犠牲者が出て、地獄絵図を見るようだった。

「多くの同胞犠牲となった盤山を忘れることはできない」と集落名にした」

田代に入植後も深山の開墾は困難を極めた。サツマイモや野菜を植えても成長が悪く食糧難にあえいだ。

「第2に与論を築くため、骨も命もこの土地に埋める覚悟で働けば、いつか花咲く明日が来る」と耐えた。

先遣隊員だった故・有馬功さんがお茶の栽培に活路を見出し、与論島出身者が中心となって田代地区を高級茶の一大産地に成長させた。だが、その盤山集落でも高齢化が進み、入植初期の労苦を知る一世、歴史の語り部も数少ない。

再来年は入植70周年の節目を迎える。

荒茶価格の低迷で経営環境が厳しい今だから、産地再活性化のためにも「拓魂」の歴史を風化させてはならない。

平成26年12月1日



オキモチモズく生息の川・チスジノリ科・淡水産・体はひも状で・太さは0・5~08ミリ・長さ30センチ、体色紅褐色・オキモズクは、清水の緩く流れる浅い川原の瓦礫上に着生し、かっては食用にしていた。

オキチモモスクは、環境省が絶滅危惧種に指定した貴重な藻類です。種の保存のため「金川」環境保護に努めましょう。平成20年10月・

龍郷町・鹿児島県・環境庁・

平成26年11月13日

http://amamioosoma.synapse-blog.jp/yosiharu/2014/11/post-741b.html


平成25年11月定例駐在員会

・プレミアム商品券について(町商工会)

・公売会のお知らせ(町民税務課)

 平成25年12月定例駐在員会

・エフエムたつごうへの番組製作協力について(奄美通信)

・町民フェアにおける各部門表彰者の推薦について(産業振興課、教育委員会)

・防災行政無線の戸別受信機について(総務企画課)

・奄美群島日本復帰60周年特別番組について(総務企画課)

・県民手帳の案内(総務企画課)

・男女共同参画社会アンケートについて(総務企画課)

 平成26年1月定例駐在員会

・巡回申告について(町民税務課)

・AEDの設置個所について(総務企画課)

 平成26年2月定例駐在員会

・土砂災害警戒区域等の指定に関する説明会について(地域整備課)

・津波の被害予測調査について(総務企画課)

・公民館等のパソコンについて(総務企画課)

・交通災害共済申し込みについて(総務企画課)

・原子力発電所の安全対策等について(九州電力)

 

 

平成26年3月定例駐在員会

・請求もれ年金説明会の開催について(町老人クラブ連合会)

・衆院鹿児島2区補欠選挙について(選挙管理委員会)

・駐在員会視察研究ついて(総務企画課)

 

 

平成26年4月定例駐在員会

・「赤十字社員増強運動」の協力について(町社会福祉協議会)

・「シマ(集落)遺産調査」について(町教育委員会)

・集落の空き家実態調査について(総務企画課)

・明るい選挙推進協議会委員の推薦について(総務企画課)

・蚊殺虫剤申し込みについて(生活環境課)

 平成26年5月定例駐在員会

・「西郷南洲・菊次郎顕彰会」の紹介、会員募集案内について(教育委員会)

・ぴあリンク奄美について(奄美地区障がい者等基幹相談支援センター)

・巡回狂犬病予防注射などについて(生活環境課)

 

 

平成26年6月定例駐在員会

・次期駐在員の推薦について(総務企画課)

・臨時給付金について(町民税務課)

・巡回狂犬病予防注射の結果報告について(生活環境課)

・龍郷ふるさと祭について(実行委員会事務局:産業振興課)

・多面的機能支払交付金の概要について(地域整備課)

・エフエムたつごうの防災情報について(総務企画課)

 

平成26年7月定例駐在員会

・狂犬病予防接種の啓発活動及び畜犬頭数調査について(生活環境課)

・龍郷町戦争犠牲者追悼式を開催について(町民税務課)

 平成26年8月定例駐在員会

・敬老祝金支給について(保健福祉課)

・高齢者元気度アップ地域包括ケア推進事業について(保健福祉課)

・龍郷町社会福祉協議会会員会費募集の協力について(社協)

・防災行政無線について(総務企画課)

・西郷南洲・菊次郎顕彰会の会員募集について(教育委員会)

・海区漁業調整委員会委員の選挙人名簿調整について(選挙管理委員会)

 

平成26年9月定例駐在員会

・消火栓ボックスの撤去について(消防分署)

・畜犬頭数調査実施について(生活環境課)

・行政相談所開設の案内(総務企画課)

 



龍郷町組織図

議会・・事務局2名・議事・総務係

町長部局・・・(14名)職員11名・・総務行政係・・5名・

・企画調整係・1名・人事給与係・・1名・防災係1名・財政係2名・広報係・1名・臨時職員(電話交換等)1名・委託職員・・役場庁舎警備2名・

町民税務課(47名)職員28名・町税係・・6名・・臨時職員(税徴収係)1名・・国保係・・1名・・介護・後期高齢・・1名・戸籍係2名・臨時職員(戸籍窓口)1名・児童福祉係1名・年金掛かり1名・保育所・・16名・・(臨時職員(保育士及び調理員)17名・・・

・・・生活環境課(12名)水道係・3名・職員6名・・

・臨時職員(作業員・事務)3名・委託職員水道検診・3名・・生活排水係・・2名・環境衛生係・1名・

保健福祉課(22名)職員11名・保健福祉係・4名・母子保健・検診等係(保健婦)2名・臨時職員(保健婦)1名・介護保険係・1名・臨時職員(認定調査)1名・地域包括センター・2名・臨時職員(支援関係)5名・国保係(給付関係)2名・臨時職員(国保事務)1名・臨時職員(レセプト審査)1名・臨時職員(看護師)2名・

土地対策課(7名)職員4名・・財産管理係・2名・地籍調査係・・2名・臨時職員(事務補助員)3名・

産業振興課(17名)職員9名・農政掛り・5名・商工観光水産係・2名・林務係・2名・特別職・自然観察の森指導員・1名・臨時職員(自然観察の森作業員・1名・臨時職員(作業員)3名・臨時職員(島育ち館)3名・

地域整備課(14名)職員7名・土木全般係・5名・臨時職員(事務補助員)2名・臨時職員(作業及び補助員)5名・農地整備係・1名・港湾・漁港係(則岡兼務)住宅係・1名・

会計係(3名)職員2名・会計係・2名・臨時職員(事務補助員)1名・

教育委員会・・事務局(9名)職員6名・教育一般・5名・社会教育係・1名・特別職・社会教育指導員・1名・臨時職員(事務補助員)2名・

中央公民館(7名)職員2名・総務係・2名・臨時職員(作業員及び補助員)2名・委託職員・施設開放員・3名・

りゅうゆう公民館(2名)総務係・臨時職員(事務補助員)2名・

給食センター(14名)職員5名・給食センター・5名・臨時職員(調理員等)9めい・

各小中学校(15名)用務員・臨時職員9名・特別支援員臨時職員・6名・

農業委員会・事務局(2名)職員1名・農地係局長は産業振興課長が兼務1名・臨時職員(事務補助員)1名・

平成26年9月3日

全体で170人体制・94人が職員・76人が臨時職員である。


龍郷町町議・

碩龍弘・〒894-0106・龍郷町中勝1330-2・4回

前田豊成・〒894-0104・龍郷町浦124・3回・

伊勢勝義・〒894-0323・龍郷町安木屋場2360-4・2回・

碇山幾郎・894-0411・龍郷町赤尾木182・1回・

窪田圭喜・〒894-0105・龍郷町幾里7-3・1回・

徳永義朗・〒894-0107・龍郷町戸口3232・1回・

岩崎晴海・〒894-0322・龍郷町久場886・3回・

中原正栄・〒894-0412・龍郷町芦徳398・3回・

平岡馨・〒894-0107・龍郷町戸口639-11・1回

田畑浩・〒894-0411・龍郷町赤尾木1-1・1回

平成26年9月3日


平成26年9月18日・・自衛隊誘致の動きを質す・・薗博明・・奄美市が自衛隊誘致に動き、議員の多くまでがそれに輪をかけたように走り出している様子に、ケンムンにでも惑わされたのではないかと唖然となった。

かねて話題にもなっていないのに、かくも安易に進めていいのだろうか、しかも、新しく軍事基地をつくるということは、奄美の将来に極めて深刻な影響を及ぼす案件なのに、一体全体何を血迷っているのだろうかとさえ思った。

ときあたかも国内では「集団的自衛権」で揺れ、海外では安倍政権の右傾化を懸念する声が上がっている最中での動きである。

個人であれ団体であれ物事を進めるには順序がある。自治体にあっては手順を踏むこことはなおさら重要である。防衛庁から打診を受けた後、奄美にどんな影響があるかを検討した上で、住民の意見を聞く段取りをするのが常道ではないのか。

それから間もなくして、市当局が各種団体に陳情書を出すように働きかけているとの情報が入った。こんな大問題をやすやすと応じることはないだろうとタカをくくっていたが、さにあらず、12団体が陳情書を出したとの報道に驚き、陳情書の内容に呆れてしまった。

「活性化」、「災害派遣」、「過疎化の歯止め」、「人口増」、「観光浮揚」等々、防衛省は何のためにあるのか、そっちのけではないか。こんなおねだり根性丸出しの陳情書を自主的・主体的に作成したのだろうか。防衛省は歓迎しながらも内心苦笑しているのではないかと思った。いや、その前に陳情書の大里思考停止したような筋違いの要望に驚いたに違いない。

愚痴っぽい話になったが、「島」と「シマ」の将来に悔いを残すことが確実な大問題。これで終わりにしてはならない。まずは自治体や議員の皆さんに真摯な討論を求めていきたい。陳情した団体と膝を突き合わせた話し合いをしたい。かねて戦争と平和について考える機会のない方々とざっくばらんに考え合ってみたい。こんなことを考えながら私なりの課題を提示します。

1、     多大な犠牲を生み出し、甚大な被害をもたらした先の大戦(太平洋戦争だけではない)を反省し、憲法9条の下に平和理に歩んだ戦後69年をどう受け止めているか。どう受け止めるべきか。

2、     戦争に明け暮れた20世紀によく使われた言葉が「わが国体」「お国のため」「国防」「抑止力」。「侵略する」と叫んで戦争した国はない。「抑止力」なる名の下に果てしなく繰り広げられる軍拡競争の行き着いたところが広島・長崎の原発ではなかったのか。「抑止力」で平和は守れないことは歴史が証明している。戦争を体験した先達が思想信条を超えて「戦争だけは二度とするんじゃないよ」と語る思いを今一度かみしめようではないか。永続的な平和は、普段のたゆみない相互理解への努力、より適切なコミュニケーションの積み重ねの中でしか築かれないことを確かめ合おうではないか。

3、     戦争とは、人間と人間が集団で殺し合いをすること。否応なしに民衆も巻き込まれる。隣の沖縄戦で日本軍は住民を虐殺し、敗色の濃くなると自決を迫った。戦場にならなかった奄美でも一般民の犠牲があった(徳之島から疎開自動を乗せて出港した武州丸の悲劇、アカキナでの防空壕爆破の惨状)。これらを承知の上で陳情したのだろうか。

4、     近代戦は、かつての竹槍や鉄砲を使う戦争とは違う。あまりにも破壊的なものになってしまい、勝ち負けに関係なく双方に甚大な被害をもたらす。新しい基地をつくるとなるとミサイル配備が当然に考えられる、まっさきに攻撃の対象になる。限られた面積の島礁にあっては壊滅的な打撃を受けるだろう。陳情の時、こんなことを考えただろうか。

5、     奄美諸島が日本復帰後十数年経った頃から奄振事業のあり方をめぐって「自立自興」という言葉がよく使われた。国の金に頼るあまり自ら興す気概をなくしたのではという議論である。同じ感覚で、自衛隊の本務を知るや知らずや次元の違うことを並べて戦争の危機に真っ先にさらされる道を選ぼうとしている。おねだり根性もここまで来ると、まさに命がけの観点を呈している。

6、     環境破壊の最たるものは戦争です。今、世界自然遺産登録を目指してヤマ場にさしかかっている時です。「棲み分けができる」と言っている人がいる。本気で言っているのだろうか。それとも環境へのダメージなど「どうでもいい」と思っているのだろうか。江仁屋離島で自衛隊の大演習があったとき、憂慮する声があったことを承知だろうか。

「シマ」には代々受け継がれてきた個性あ触れる文化がいっぱいある。その中に一つ、「島唄」の文言を今一度なぞってみませんか。自然への畏敬の念と人の生き方を歌っていますね。

環境問題が国際政治の重要な課題となっている今日、国と内外に向かって先人の自然感を、誇り得る営みとして紹介しても良いのでは、と思っている矢先に、何もかも「チングァラ」(めちゃくちゃ)にする最新鋭のミサイルが「高い防衛力」と銘打って備え付けられようとしている。軽率だとは思いませんか。

ともあれ、私たちは、具体的な政策が自分の境遇に跳ね返る感覚が薄くなり、お上任せの体質になっていないだろうか。社会、政治問題について一人ひとりが自分の意見を持ち、発信することが今ほど必要な時はないように思えてならない。私たちの「ホンマ」(女性の先達)や「ブッシュ」(男性の先達)は過酷な黒糖収奪に苦しむ中にあっても自給体制を工夫し、地縁・血縁共同体の絆に支えられ自らの力で生き抜いてきた。

極貧の中にあっても人間の温もりを失うことはなかった。小学生の頃、「アンマ」(祖母)が口癖のように言っていた言葉を思い出している。

「むんぐとぅや さきざきぬくとぅ かんげてぃ しゅんどや」(物事は先々のことを考えてするんだよ)

東京の知人から電話がかかってきた。「奄美市は自衛隊誘致を進めているんですか」、「そうです」、「議員は反対しないんですか」、「逆です。多くの議員が誘致に走っています」、知人は驚いた声で「本当ですか」。しばしの沈黙。思わず出た私の言葉は「恥ずかしい限りです」。いやはや。

奄美市名瀬。薗博明さん・

平成26年9月18日

空き家急増の事実


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