« ぎん茶の原料 ぎん茶の原料、ギンネムは亜熱帯から熱帯にかけて分布。マメ科・なぜ、中高一貫校で子どもは伸びるのか(祥伝社新書) 新書 | メイン | ザイム真理教・ぶつ壊します!2023年度・大勝・川内集落敬老会寄付者名簿、受付名簿順・原タカシ・龍郷町活性化には・行程表を・設計図が必要。川上村は貧しい寒村でした。 交通、高齢化、国際交流で「川上方式」・23・「農業の情報ネットワークシステム」を導入・27・– 2009/1/14 藤原 忠彦 (著) »

2016年11月 2日 (水)

「シュタットベルケ」はドイツ語で「都市公社」を意味する言葉で、電気・ガス・水道・交通などを一括して提供する自治体出資型のサービス藤原 忠彦 長野県川上村長。1988年川上村長に就任。長野県町村会長,全国町村会理事・行政部会長を務める。 全村のCATV導入など農業情報ネットワークシステムの構築や村営バスの運営、24時間図書館、森林文化の発信など先進的な村づくりで注目されている。地域づくりは人づくり・176・ 「都会の女子学生が、夏休 三反園訓さんへ・鹿児島県知事選を一人で戦うな?すぐに鹿児島県民の対話を・


2018年8月 5日 (日)・再生エネルギー大国日本への挑戦・・・・自然エネルギーシンポジュウム(河合弁護士、儲かる、原油がいらない、スマートブリッド、輸出できる、脱原発は正義の戦い、ただ、初期投資はかかる?・人口減少・過疎化が急速に進行する中、日本各地では、公共交通機関(特に路線バス)の不採算路線からの撤退が相次いでいる。“生活の足”を奪われることで人口流出はさらに加再生可能エネルギーによるお金の地域内循環
8:46 2020/05/16


引用


再生エネルギー大国日本への挑戦・

2020/05/11 6:10


・230頁・提言2・日本版シュタットベルケが・日本を明るくする・ラウパッハ・スミヤヨーク教授(立命館大学)


「シュタットベルケ」はドイツ語で「都市公社」を意味する言葉で、電気・ガス・水道・交通などを一括して提供する自治体出資型のサービスです。ドイツにはシュタットベルケが1400以上もあり、電力販売量の6割を占めるなど大手電力会社をしのぐ存在にも精通し、日本にそのビジネスモデルを広めた立役者である、立命館大学教授、ラウパッハ・スミヤヨークさんにお話を伺いました。」


・「立命館大学経営学部国際経営学科教授。ドイツ出身。1990年に来日。外資系経営コンサルティング会社、外資系産業機械メイーカーの役員、2000年から滋賀県に本社を置くNECショット株式会社の代表取締役社長として企業人のキャリヤを経て、2013年4月から立命館大学経営学部教授に就任。国際経営、国際産業論を担当。世界のエネルギー業界、特に再生可能エネルギーと地域エネルギー事業の分野について研究。一般社団法人日本シュタットベルケネットワーク理事。

2020/05/13 4:41


・231頁・山口、今回、再生可能エネルギーを中心に経済を中心に経済をうまく循環させて頑張っている地域を取材して、そういう箇所が日本のあちこちに出てきていることを確認しました。まずこの動きについて、ラウパッハ・スミヤヨークさんの名にはどう映りますか。


・ラウパッハ・スミヤヨーク教授・私から見たらこの動きは、最近ではなく、ドイツと時期的にそんなに変わらない時から始まりました。


・しかし、大きく違ったところは、やはり日本は逆風の中で、ドイツは追い風でした。つまり、政策の面では、再生可能エネルギーを取り込んでいける環境は、日本とドイツでは違いました。


・ドイツは制度的なことは非常に良かった。やりやすかった。逆に日本で、こんな逆風の中でしたたかに頑張っているというのは常に感心しています。・後はもう一点。これは、地域の活性化につないでいく条件としては、やはりオーナーシップですね。誰がこの再エネの設備を所有するか。


・結局、一番の効果は利益なんですね。その利益は誰の物になるのかと言うことは、地域活性化につないでいけるかどうかにおいて、大きな意味があるんです。ですから、ドイツでは、エネルギー組合は大きな役割を占めた。または、地域の個人が会社を作って、市民会社を作って、積極的に再生可能エネルギーに取り組んだと言うのがドイツの特徴なんですね。


・やっぱり再生可能エネルギーは、地域の人で地域のカネで取り組んでいく。で、将来的にそれを地域の中で消費すれば、やっぱり地域の中で循環することになるんです。取り組みとしては基本的に正しい方向ですけれども、日本はスケールがまだ小さいというのは課題だと思うんです。232・2020/05/13 5:13・


シュタットベルケ”という手法ドイツ発祥の電力事業を軸とした地域ソーシャルビジネスです


ドイツのシュタットベルケは、エネルギービジネスにより一定の収益を確保し、同収益を活用して地域の抱える課題の解決に貢献する電力事業を軸とした地域ソーシャルビジネスです。


地域に根ざしたエネルギービジネスです

公共交通や公共の温水プールなど、社会的な意義は高くても単独では事業の採算がとりにくいサービスなどに投資をする手法です。・・
2020/05/13 4:09・・


・日本で再エネの始まり・山口・日本とドイツでは、行政とか政治の後押しが全然違ったと言うことですね。


・ラウパッハ・スミヤヨーク・違うと思いますね。やっぱり、ドイツで2000年に緑の党と社会党の連立政権があって、脱原発を決めて。これ、2000年に決めたんですね。それと固定価格買い取り法を導入しました。2000年からですね。日本は、2009年は太陽光の10キロワットアワー以下の余剰電力の買取制度だったんで。日本は本格的には2012年から(固定価格買取制度に移行)でして。10年以上の違いが、差があるんですね。


・やっぱりそう言うのは大きいと思いますね。安心して投資できる。


すると、金融機関も、政府系の銀行も、安い金利で貸したり。または、助成金も最初はあったと思うんですけれども。安い金利でやったりとか、地元の信用銀行や地方銀行も、積極的に出資したり。


・233頁・逆に日本では、人材もいない、事業体自体どうしたらいいのか、金融貸し出しなど、様々な制約の中で踏ん張ったていうのは、逆に感心しますよ。
・山口・私が取材したところでも、結構おっしゃるとおりで。皆さんものすごく苦労されて、銀行から融資を受けるのも大変で。お金を集めるのもそうですね。


・日本で成功している人たちは、地域が人口減少とか、過疎化とか、消滅の危機にさらされていて、その中で最後の最後、背水の陣みたいに踏ん張ってやる時に、地元に「あ、エネルギーがあったじゃないか」「じゃあ、これに懸けてみよう」というので、みんなで最後頑張ってやったって言う感じなんです。それは本当に、日本とドイツで全然違うんですね。


・ラウパッハ・スミヤヨーク・条件が違ったり、行政の目が覚めたのも、ドイツの方がもう少し早いかなと言う風には思っていますけれども。
・山口・ドイツが「行政の目が覚めた」「行政のバックアップが最初からしっかりしていた」と言うのは、なぜだったんですか。


・ラウパッハ・スミヤヨーク・これは住民からの押しでもあったと思う。例えば「学校の、公共施設の屋根を貸して下さい」と言うようなことを、市民たちは結構早い段階から要求していたんです。ドイツでは、それを可能にしたと。ところが日本で、公共施設の屋根貸しは、なかなか厳しい。小学校とか、自分でもやってみたんですけど、バツバツバツ。全然駄目でした。結局。

・233


・234頁・山口・日本でやってみたんですか?
・ラウパッハ・スミヤヨーク・日本で、やったんですよ。駄目でしたよ。
・山口・規制ですかね。


・ラウパッハ・スミヤヨーク・やる気だと思います。言い方は極端なんですけど、本質はやる気、だと思います。やっぱり縦割りの行政ですから。小学校とかは教育委員会ガヤって、「これは自分の事業目的じゃない」と。今までやらなかったことは、行政としてはなかなかやりたがらないんですよね。石橋叩いて、叩いて。


・山口・日本が後ろ向きなのは凄くよく理解できるんです。縦割りで。でも、ドイツが最初から「みんなで、じゃやろう!」となる背景は何ですか?


・ラウパッハ・スミヤヨーク・一つは、これ推定なんですけれども、市町村の自治と言うことはドイツで結構、まだ生きている。


・ドイツの市町村の数は1万7000ぐらいです。日本は1700くらいでドイツの10分の1.ドイツの人口は日本の3分の2です。ドイツの小さな村とかだったら、市長とか町長はボランティアでやっている。議員もお金をもらわないでやっている。田舎に行けば行くほど、そういう自治意識があって。だいたい田舎から始まったんですよ。・234・


・235頁・シュタトベルケは公営企業
・山口・私たちもいろんな日本の地域を取材していて、「ドイツの」シュタトベルケのようになれればいいね」って言う話が出てくるんです。日本の皆さんにとっては「シュタットベルケって一体何だろう?よくわからない」と言うのがあるので、まずそのシュタトベルケの基本から教えていただけますか。


・ラウパッハ・スミヤヨーク・日本ではシュタトベルケは、いわゆる自治体新電力、つまり電力を売る会社だと思われています。でもドイツのシュタトベルケは、電気を売るんですけれども、発電もするし、配電もやっている。それだけじゃなくて、あらゆる公共サービス、公益サービス・・ガスとか、下水とか、水道とか、熱、公共交通、路面バスとか、水泳プールまでを一つの事業として総合的に提供するというのが、ドイツのシュタットベルケのビジネスモデルなんです。


・その中で、ここ20年くらいは、電力関係が伸びたんですが、公益性・公共性の高い、いわゆる社会のベースとなる「社会資本」に関するサービスを提供することが目的なんですよね。


・まさにそういう経済とか社会のベースになる基盤、関連するサービスとインフラの資産をシュタトベルケが提供しています。


・それは自治体がだいたい100%出資している公営企業です。または、民間の出資も受けて、第三セクターの企業ですね。
・236頁・


・ただそれは、ただの電気の新電力を立ち上げるだけではないと言うことです。・元々の地域にある社会インフラ、公益サービスを総合的に提供すると言うことは、「生活権」とか「生存配慮の権利」を自治体が守るためです。日本の憲法でも謳われているように、国民の幸せと幸福を、安全を保障しなきゃいけない。そういう義務が自治体にはあるわけですので、シュタトベルケ経由でそれをやっていると。
・もう一つ、このビジネスモデルの特徴は、この事業の中で構造的な赤字を持っていること。


・例えば、公共交通、バス。田舎で誰も乗っていないバスは、採算が合わないんです。でも、やっぱり生活するには、欠かせない。水泳のプールとか、図書館とか、大体赤字なんですけど、その赤字の部門をエネルギー部門の利益で補填してやっている。これは財政的にも、税法上も許されているわけです。
・これはシュタトベルケのビジネスモデルの根底にあるわけですね。それを日本で、「電気を売る」と言うことで立ち上げるんですけれども。「他のものがあるんじゃない?」と気付く。下水道とかゴミもあるし、場合によって水道とか公園、バスとか、いろいろあるんですよね。
・そこをベースにして、そこからエネルギーに(事業を)転換したらどうかって言う形で、いつも言っているわけです。236・


236頁・・日本にもあったシュタットベルケ・・・ラウパッハ・ただ、もう一つは、日本にもあったんですね、シュタットベルケ。歴史的に、日本とドイツは、ほぼ同じ時期に出来たんです。「産業革命」です。
・19世紀の後半から産業革命で都市化が進んで、急に水道・下水を造ったり、ガスや電気、さらには路面電車を走らせたり。これは民間がやったところもあるんですけど、日本でも多くの自治体が造ったんですね。
・山口・あ、そうですか。19世紀後半から・・・。


・ラウパッハ・明治時代の後半から大正時代に懸けて、日本でも沢山のシュタットベルケがありました。ですから、歴史は一緒なんですよ。・山口・当時は、そういう風に日本にもシュタットベルケがあって、いろんな公営で電気とかガスや水道が・・・。・・ラウパッハ・ガスとか水道から始まったと思う。・例えば京都で有名な蹴上発電所。あれを京都市が造った。今、地域にあちこちあったから、「昔あったよ」って話をよく耳にします。・237・・238頁


・山口・日本にも昔は同じようにシュタットベルケがあったと言うことですが、どこでなくなったのですか。


・ラウパッハ・戦後です。戦後に、電力・ガスは地域独占、電力会社は10社、発電も送電も全て、そっちの方になったわけですね。
・今は電力自由化の中で、何もないところから、日本版シュタットベルケをやろうというところです。ドイツのシュタットベルケの置かれている環境と、正反対だと思います。
・ドイツのシュタットベルケは、戦後ずっと地域独占だった。住民たちと企業は、その地域でシュタットベルケからしか電気やガスを買えなかった。独占で、独禁止法から免除されたのです。欧州連合のエネルギー市場の自由化が1998年から始まって、誰でも電力を供給できる、誰でも電力を売れる時代になってもです。



・その時は、シュタットベルケは地域独占だったので、人材もあるし、技術もわかっている。
・顧客も持っているし、サービス体制も持っているし、経営能力もある。つまりその時に守りの経営をやらなければならなかった。100%のマーケットシェア地域にあったので、自由化することによって、よそから競合他社が入ってきた時、シェアを必死に守ったわけです。
・しかし、経営的に強い立場で出来たので、いろんな改革を実際にやったんですね。民間企業と同じような条件の中で競争しなきゃいけないので、ドイツのシュタットベルケも大きな経営改革を進めたわけです。238・


・239頁・例えば、第一に、法人化を進めた。つまり行政の特別予算とか、そういう地方公営企業という法律があるんですけど、それをやめて本当に会社法に乗っかって、株式会社をつくったり、有限会社がドイツは多いんですけど、法人化したわけです。
・当然、いわゆるプロの経営ができた。ガバナンスを徹底させて、市場競争の中で頑張らなきゃいけない。しかも公益性という使命をしよって、利益を出しながら、赤字部門も抱える。
・今の日本の新電力の立場と全然違います。何もない。
・山口・日本がね。・


・ラウパッハ・ええ。日本は何もない。ブランドもない。「行政から電気を買うなんて」ってみんなが思うでしょ。水道局とかそういう部隊があればいいですけど、あえてそこを離れてやるわけですから、ゼロからスタートなんですね。
・ですから、日本でシュタットベルケを始めるには、理想的には、特に少子高齢化、人口減少の時代、特に地方で未来の社会インフラを維持し、新たにつくるためには、やっぱり公益性という使命、政策的な使命を持っている部隊や主体がいるんですね。
・最近、世界の流れは民営化したものが戻ってきている。イギリスやアメリカでさえ、公営企業をやろうという世界の流れだと思う。239頁・2020/05/13 16:32・


・240頁・
・山口・ドイツにおけるシュタットベルケは数も多いし、全ての電力に占める比率も凄く高い。どのくらい高いですか。・
・ラウパッハ・6割くらい。ドイツ全体の電力販売量の6割以上、シェアを持っています。住民だけではなくて企業も含めての数字です。


・山口・数はいくつくらいですか。・・ラウパッハ・1400以上ある。ここ10年で、新しく設立されたシュタットベルケは150社くらいあるんですね。
・山口・凄いですね、大手の四大電力より、ドイツはシュタットベルケのシェアが多い。・
・ラウパッハ・多い。伸ばしてきました。電力が自由化した時に、「シュタットベルケは絶滅するよ。1400社が100社くらいしか残れないよ」と、ドイツ銀行の調査で発表されたわけです。でも、逆でしたね。大手電力会社は大変な目に遭って、逆にシェアを落とした。


・シュタットベルケを私は美化するつもりじゃないんですよ。苦しい経営をやっているところもありますし。やっぱり大変ですよ、電力事業は。
・これからも、このままで健全な経営をやっていけるかということは、シュタットベルケ自身も危機感を持って、今、新しい事業に取り組んでいるわけですね。しかし、電力自由化の中で、きちんと生き残れて、エネルギー部門はかなり高い収益を生み出したわけです。240・2020/05/13 16:46・


241頁・一つは配電網の、いわゆる託送料金で、安定的な収益を得ています。これは日本にないんですよね、まだ。

・山口・そこですよね。配電網を独自に持っているのですか。・



https://www.youtube.com/

https://youtu.be/KGxR6EjRZxU


ヤマハ発動機株式会社

http://www.yamaha-motor.co.jp/mc/scooter/tricity/feature.html

https://youtu.be/XUscyWLe1MI

4:38 2016/11/04


2016年11月 7日 (月)平均年収2500万円の農村―いかに寒村が豊かに生まれ変わったか―目次を・島崎藤村は、「千曲川のスケッチ」で川上村を「信州の中でも最も不便な、白米はただ病人に頂かせるほどの貧しい、荒れた山村の一つ」と記しています。このように、かつての川上村は貧しい寒村でした。 – 2009/1/14 藤原 忠彦 (著)

http://amamioosoma.synapse-blog.jp/yosiharu/2016/11/2500-2009114-8dfe.html

5:05 2016/11/07

平均年収2500万円の農村―いかに寒村が豊かに生まれ変わったか― (ソリックブックス) 単行本 – 2009/1/14


巻末特別収録・藤原忠彦・長野県川上村村長・対談・中村哲雄・葛巻長畜産開発公社顧問・岩手県葛巻町前町長・159頁・

対談・農山村はかくて変わった・

町や村というひとつの生命体に活力を与え、その未来を開いていくことは、人が人生を開いていく上での、工夫・努力にも通じている。長野県川上村と岩手県葛巻町・・。かつては貧しい寒村と言われた同町村を、様々な先進的な取り組みによって、全国の注目を集める地域に変換させた藤原村長と中村前町長に、互いの歩みを語り合っていただいた。158・16/11/2 15時26分


160頁・

全国の注目を集める町と村・

藤原・私は川上村長に着任してから現在六期目を迎えるのですが、中村さんが町長をされていた葛巻町のことは常に意識してきました。実は一度、中村さんをお訪ねしに行ったこともあるのですが、あいにくお留守でお会いできなかったんです。

中村・あらっ、そうでしたか!これは失礼しました。

私のほうは、現職を離れて一年半くらいになりますが、藤原村長の活躍はもちろん存じ上げておりました。今日はお目にかかれて光栄に思います。

藤原・中村さんは、もともと町役場にお勤めだったそうですね。

中村・はい。役場職員を五年やりましてね。そこから派遣されて、第三セクターの葛巻町畜産開発会社に23年間勤務したんです。町長時代を含めると、31年間、牧場経営に携わりましたから、私の場合は第三セクターでの経験がバックボーンになっているんです。赤字で閉鎖、倒産していく第三セクターが多い中、畜産振興という町おこしの一翼を担ったことが、町長時代も大変生かされました。

町村政は一期では何もできないと予期われますが、私は現職の町長を落として当選しましたから、一期目で結果を出さなければ、自分がなった意味がないと考え、とんでもない覚悟でやりましたよ。最初から百M走のつもりで全力疾走し、そのままの勢いで二期、八年間を走りぬきましたね。160・


161頁・藤原村長とは、お互いに寒村を興してきたという点で、いろいろと共通する部分がありそうです。

藤原・はい、川上村は長野県の一番東の端にありましてね。年間平均気温が8

・9度という寒冷な地で、島崎藤村も「信州の中で最も不便な、白米はただ病人にいただかせるほどの貧しい、荒れた山奥の一つ」と著書にキシテいます。ところが、戦後に朝鮮動乱が起こった際、日本から国連軍に軍需物資を提供することになり、川上村ではレタスを栽培することになったんです。

稲作には適さない高冷地という厳しい気候条件が、逆にレタス栽培には適していました。その後、日本人の食の欧米化の波に乗り、全村民が一つの目標に向かって走り続けてきた結果、全国一のレタス産地になったというわけです。ですから、平地のように色々な選択がなく、野菜一本に絞ってきたことが、今の産地を作り出す原動力になったのだと思っています。

中村・村長に就任されたのは、いつ頃でしたか。

藤原・昭和六十三年のことです現職の村長さんは六十台で相当手腕のある方でしたが、農家の若手後継者グループから「世代交代をすべきだ」トン機運が就任の前年から盛り上がり、現職が降りて、当時四十九歳だった私が無投票で当選したのです。そんな役場の企画課長として農業振興やバス村営化に携わり、多少の成果を出してきたことなどが評価をいただけたのかもしれません。

161・平成28年11月2日・ここまで


162頁・人も通わなかった町へ視察相次ぐ・

藤原・葛巻の現状はいかがですか。

中村・私の町は、県と盛岡まで車で約一時間半、北上山地の千M級の山々に囲まれた人口八千人、牛の数が一万三千五百頭という小さな寒村です。こうした地形のため、鉄道は通っておらず、高速道路に出るのにも一時間かかる。また、山はあるのに、ゴルフ場もスキー場も温泉もないという、まさにないない尽くしの町でした。

私が町長に就任したのは平静1(1999)年の八月ですから、時代がちょうど二十一世紀に変わろうとする境目のことですね。

着任から四か月ほどは何をすべきかと悶々としていましたが、様々な情報を得る中で見えて来たのが次代の地球規模での課題でした。その課題改善に向け、懸命に努力していけば町は必ず発展するはずだと考えました。そして「食料・環境・エネルギーへの貢献」を政策の基本方針に据え、町づくりを進めました。

その結果、現在の牛乳生産量は年間約百二十tで東北一。さらにクリーンエネルギーを懸命に導入し、高原に15基の風車、中学校に太陽光発電、牧場に畜産バイオマス発電所と木質バイオマス発電所を設置しましてね。世界で初めて家畜の排せつ物から燃料電池をつくることにも成功しました。162・

163頁・そうやって太陽光や牛の排せつ物など、地域に存在するエネルギーを可能な限り電機や熱源に変える努力をした結果、葛巻は日本一のクリーンエネルギーの町といわれるようになりました。また、厳しいといわれる林業情勢の中で、葛巻には林野庁長官からも表彰を受けた森林組合があります。

要するに、電車も高速道路もスキー場も何もない町が、今では日本一の公共牧場、森林組合、クリーンエネルギーを持つ町になりえた、ということですね。

藤原・しかしわずか八年間で、よくそれだけのことをされましたね。

中村・これは、将来の課題に早く気が付いて取り組んだということが一つ。もう一つは、歴代町長が作ってくださったバックグランドがあったということです。


例えば高原牧場に風車を運び込むためには、大型トレーラーの走れるよい道路がなければいけません。葛巻町では昭和五〇年代初頭、高橋町長が驚愕の投資をして標高千m級の山岳地帯に酪農団地を建設し、舗装道路が造られた。その道路が三十年の時を経て風力発電の有力な基地になったというわけです。そう言った取り組みのすべてが相乗効果となって今日の町を構築している。私が就任した頃は年間八万人程度だった町への訪問客が、現在では五十三万人を超えるまでになっています。163頁・16/11/3 5時4分


164頁・


藤原・それはすごいですね。先ほど中村さんが言われたように、山村振興の長というのは、たいていが燃え尽き症候群になるほど、情熱のすべてを出し切らなければできない仕事です。仕事をやる上では人に対する説得力が必要ですし、高度な政策になると、住民の声を聞いてというよりも、トップ自らがまず「やってみせる」ことが大事になってきます。そして、やって見せるからには、絶対に失敗は許されません。

私どもでは農業とともに、林業にも相当力を入れております。多くの農村が嫁不足に悩まされる中、川上村では稼ぎ手の約七割が都会からやってきているんです。


中村・地方には嫁の来手がないといわれる中で。

藤原・はい。そのためには、都会の文化というものも取り入れていかなければなりません。そこで13年前に文化活動の拠点となる「川上村文化センター」を建設し、その中に多目的ホールや24時間オープンの図書館をつくりました。

農村では活字離れが進んでいますが、農作業をしていれば、昼間に図書館に行くわけにもいきません。そこでICカードをつくり、夜間はコンピュータで処理で貸出するシステムを導入しました。

中村・随分と進んでいますね。


藤原・当初は図書館協会や村内からの反対意見も多くありましたが、「農業への投資は後回しにしても取り返せるが、今川上村の人材育成をためらっていては、将来に禍根を残す」と説得にと止めました。164・


165頁・結果的に村全体の読書熱が相当高まってきて、現在の利用率は県内でもトップクラスになっています。


盤石な農業生産体制をつくることも大事ですが、それは定住の絶対条件にはなりません。それ以前に、医療や福祉、文化といったものがしっかり機能していなければいけない。そのあたりの理論をきっちり抑えておかなければ、これからの農山村は自立していけないと思うんです。そうした意味で、為政者というのは非常に大きな責任を担っている。いずれにしても町村のリーダーは、その地域の哲学、という物をもって任に当たるべきだと思います。


その方針の一つとして私どもが掲げているのが、「衣食住情」と「三コウ」です。


中村・詳しくお聞かせください。

藤原・衣食住の問題は個人の努力によってなんとかなりますが、行政が参画しなくてはならないものが「情」、つまり情報関係です。

川上村では、昭和六十三年に全国に先駆け全村ケーブルテレビを導入し、農業情報のネットワークシステム構築を行いました。これによって、気象情報や市況状況などをいち早く地元の農家に流せ、計画生産、計画販売を行えるようになったんです。


この情報化構想の総事業費は数億円にまでなり、村の予算だけではまる見込みが立たない状況でした。そこで農水省などに補助金を出してもらえないかとお願いをしてみたところ、有線テレビは法律で禁じられている。とあっさり却下。165・166頁・それでもしぶとくケーブルテレビの用語集まで準備して夜討ち朝駆けを行ったところ、私たちの村のために法律が改正され、補助金が下りたんです。


中村・まさに執念ですね。

藤原・行政には確かに様々な規制がありますが、その枠に縛られていては何もできません。新たなことに挑戦していく情熱と諦めない気持ち、規制の概念を打ち破ろうとする知恵さえあれば、おのずと道が開けることをあの時に学びましたね。そしてこのシステムの導入によって、農業とはまさに情報産業であり、知的総合産業であると実感しました。


166・平成28年11月3日 木曜日・


赤字民営バスを村営化して黒字に・166・

藤原・もう一つの「三コウ」は、交通・交流・高齢化の頭文字を取ったものです。

「交通」については、村役場で企画課長をしていたころに路線バスの問題に取り組みました。一時期は利用客が少なく、民間会社は路線廃止の決断をしていたのですが、そうなれば過疎化に拍車がかかることになります。また集落懇談会を開いたところ「実際に走らなくてもバスには走ってもらいたい」という村民の声が多数を占めました。つまりバスは走っているだけ村民に安心感を与えるという目に見えない役目も果たしていたのです。これは何とかしなければならないという考えで皆と協議を重ね、村民の反対論も強くあった中、バスの村営化を決意しました。166・


事業をやめたりし縮小したりする時は、消極的な考えになりがちですが、私は逆に事業の拡大を図りました。ダイヤや路線、停留所の数を増やしてみたり、定期券をバスの中や農協でも買えるようにしてみたり。何より効果の大きかったのは、スクールバスを住民利用できるようにしたことです。


中村・それは合理的ですね。


藤原・ところが当時のスクールバスは、その監督官庁である文部省(現文部科学省)のガードが固く、住民利用は厳しく禁じられていました。文部省にも再三掛け合ったのですが、まるで取り合ってもらえない。それでもしぶとく日参し、ここでも夜討ち朝駆けの説得を試み続けて、絶対に許可はできないといわれていたスクールバスの併用許可を日本で初めて取ってしまったんです。


中村・規定が覆ったのですか?


藤原・分厚い「教育六法」の中にある、「女性で購入したスクールバス・スクールボートの住民利用は、大臣の許可があればこの限りではない」という一文を見つけ出し、文部大臣に掛け合って認可をもらったんです。そのために瀕死の状態にあったバス事業が一挙に黒字化し、このバスの併用法は後に「川上方式」と呼ばれるようになりました。


「交通」については、村の四方を山に囲まれているため、村民の気持ちまでが閉鎖的になっているんです。そこで農家の後継者たちを世界一のレタス産地であるアメリカのワトソンビル市に派遣し、それがきっかけで同市と姉妹関係を結ぶことができたんです。この交流は以来20年間続いています。167・


168頁・他には、東京の三鷹市、武蔵野市、町田市、埼玉県の蕨市などとの都市交流を行っています。農村と都市の文化交流を通じて、さらなる大きなエネルギーを生みだしています。

最後の「高齢化」の問題については、診療所やデイサービスセンター、介護支援センターなどを一か所に集中させた複合施設「ヘルシーパーク川上」を造りました。これも村民の間で定着し、全国で最も医療費が安いといわれる長野県の中でも、川上村が一番と結果が出ています。また、健康高齢化率が非常に高く、生涯現役で仕事をされている人が多いのも特徴です。

老化は免れないにせよ、高齢者にも意義のある仕事を与え、社会参加の機会をいろいろと作る工夫をすれば、老化を遅らせることはできるんです。168・


情報の量が仕事の質を決定する・169頁・

中村・私の場合は、地域を変える、と言うよりも、自分の思いや夢、こうしたいと心に描いたことを実現するため、まず住民や議会の信頼を得るべく努力をしました。クリーンエネルギーの分野については、総工費が57億五千五百万円にもなる公共事業でしたが、葛巻長の取り組みはすべてが先発だったため、国の補助金と企業の支援により、町の財源は四千五百九十三万円しか持ち出すことなく、次から次へと諸施設を導入することが出来ました。 


・ただ、牧場経営に携わっていた初期の頃は、事業がなかなか軌道に乗らず、苦労がありました。町内の略農家から生まれたばかりの子牛を預かり、よい乳牛に育つよう代理で飼育を行うという新ビジネスを始めたのですが、町民だけでなく、役場職員からも「うまく行きっこない」と言われました。

お金もなく、実績がないから信用がなく、牛が集まらない、と言う状況でした。それでも赤字にするわけにはいかないので、全国の略農協同組合などに初妊牛の販売リストを送りました。その結果、全国に牛が売れていきました。その牛が子牛を生んで餌をよく食べるし、丈夫で沢山の牛乳は出すし、次の妊娠もする。連続性に富む牛の生産が出来て、県外から子牛が預けられるようになったんです。現在、県外から預かっている牛は千五百九十頭にもなります。その売り上げは約三億円になり、この事業だけで雇用が二十人も生まれるんです。169・


170頁・16/11/3 16時34分・

その時に痛感したのは「情報」の大切さです。先ほども、農業は情報産業であるという村長の話がありましたが、私も自分の経験から「情報の量が仕事の質を決定する」と感じるのです。


藤原・なるほど、情報の量が仕事の質を決める。


中村・これほどの分野の仕事についてもそうですね。牛を集めようとした時に、どうやってその牛を集めてくるか、また牛がよく育った時に、どこに売れば一番よいか。そういったことを、その場面、場面において判断していかなければならないのですが、情報がなければ、戦略の立てようもありません。情報のあるなしは、人生を左右すると言っても過言ではありません。

もう一つは「当たり前のことを他人よりも一生懸命やる」と言うことです。そしてその当たり前のことをやって、その事業がある程度ある程度確立できた時に、今度は何をやればよいか?

その時に必要なのが「危機感と問題意識」を持つことと「気づき」、それと「実践」ですね。

私が町長に就任した平成11年には、全国に三千二百名の市町村長がいましたが、私は他の方よりも多くの情報を得ていたおかげで、早めに地球規模の課題に気づくことが出来た。そしてクリーンエネルギーの導入に向け、実践をしていったからこそ、今日の町の姿があるわけです。


ですから、「危機感と問題意識、気づき、実践」

この三つが地域を活性化させる植えでは大切なことだと思います。

トップが気づいたことは自分自身で実行して、職員にも何かに気がついたらまず声を出す。トップはその声を同吸い上げ、処理をしていくかと言うことが大切です。170・


171頁・16/11/3 17時5分・

先ほども皆で協議を重ねたという村長のお話がありましたが、その通りでしてね。皆といかに情報を共有しながら戦略を立て、実践に持って行くか。そうした場面において現場力や組織力が醸成され、人が育っていくんですよ。その繰り返しのおかげで、私が町長を退いた後も次の人間が後を次いで堂々と仕事をしているわけです。


藤原・次代の担い手を育てることも、大切な仕事の一つですね。

中村・はい。それから物事はやはり円滑に、スピード感を持って進めなければいけません。ですから、議会との連携をいかに構築し、保持するか。また住民の信頼感をいかに取り付け、醸成していくかといったことが大切になってきます。

町村長の仕事は、一日に何回もスピーチをする日がありますよね。夜七時頃に、きょう七回目のスピーチをしている日なんていうのも珍しくない。そしてこれはトップにとって、最大のチャンスなんです。ここで常に自分の思いや夢、そして皆が希望を持てるような話をしてみる。


例えば諸会合で、葛巻の子供たちは前回の学力テストで県下一番だったという話をするけれども税金の滞納も多くてね、と言えば嫌みがない。

そして今度はこんな施設を造るんです、と自分自身の夢も話す。そうやってあらゆる機会を捉えて住民や議会との信頼関係の構築、醸成に心血を注いできました。

藤原・町はどんな風に変わっていきましたか?171・


172頁・16/11/3 18時7分・

中村・私が町長になって、県都盛岡でワインパーティーをやった時、30年くらい前に盛岡に移住したもと町民がそばに来て、こんなことを言われたことがありました。

「昔は葛巻出身だとは言いたくなかったし、言えなかった。それが今ではよい情報がたくさん発信されているので、胸を張って葛巻出身だと言いたくなるような町になってくれた」と。そうやって、町民が自信と誇りを持てる町になり得たと言うことですね。

172・


172頁・16/11/4 5時24分・

行政はアートである・

藤原・改革をされてきた中で、大きな困難はありませんでしたか?

中村・最初に役場職員の意識改革を行ったことでしょうか。私は選挙戦で掲げた「企業的感覚を持って経営を行います」と移行や国基づいて、役場職員の仕事もサービス業だと訴えました。

役場に来られる住民の方々は皆、私たちのお客様であり、顧客だと。


藤原・私も経験がありますが、職員の意識改革は難しいでしょう。

中村・結構、時間がかかりましたね。けれども、私が町長を辞めることになって、新町長の当選祝いの海上で町民の一人がぽろっと言ってくれたことがすごく嬉しかったんです。「あなたが町長になってくれた中で一番嬉しかったことは、役場職員の意識を変えて、俺たち住民の目線と同じにしてくれたことだ」と。私が就任して一番心血を注いだのもそこだったんですよ。172・


173頁・16/11/5 4時48分・

前はでんわをとってでんわを取って、一体何様だ?と言うような応対の仕方をしていた職員に、それは違うでしょう。と。「はい、○○課の中村でございます。何のご用でしょうか?」「今日はどんなご用でおいでになりました?○○課はこちらでございます」。そういう風にやろうよ、と一番始めに提唱したんです。

その次には、行政改革と財政改革ですね。職員の数を八年間でトータルで五十人減らし、組織も課を六つ減らして縮小を図り、その結果、財政改革が行われました。

でも今考えると逆に、お金がなかったが為に皆で知恵を絞り、結果としていい仕事が出来たかな、とも感じています。

藤原・私の村もほとんど共通していますね。結局仕事をし続けていると財政力もよくなっていくんです。地方自治体というのは止むことを知らない団体ですから、止まればもうダメなんですよね。住民のためにいつも何かを仕掛けてやっていくことが大切だと思います。


中村・仕事を創り出していく、と。


藤原・そうです、行政は常に動態的であらねばなりません。今年川上村では村立の中学校をつくったんですよ。地場産のカラ松材でつくった県下最大の木造建築です。

中村・村でも中学校がつくれるのですか?


藤原・私も知らなかったんですがね。方々にいろいろな補助金があることが分かって約二十億円の費用のうち、三億円の一般財源を出しただけで出来ちゃったんです。この時も文部省からは、生徒数が少ないのにこんな大きなものをつくるのは問題だとか、体育館も音楽室も社会開放して村民にも使えるようにしろだとか、いろいろ言われました。173・


174頁・相当苦労しました、そんな条件にも全部適うように工夫を重ねていきましてね。結果的に長野県下で最も安い値段で、最も高級な中学校が出来てしまったわけです。

いまあちこちで規制緩和と言われていますが、私何でもかんでも、それで片付けてしまうのは問題だと思うんです。逆に職員のやる気をなくしてしまうことがある。

規制があるからこそ、それを乗り越えるようとするパワーが生まれ、それがよい仕事に結びついていくんです。全村へのケーブルテレビ導入やスクールバスの併用など、川上村一村のために法律を変えて貰ったこともありますし、そういった障害を乗り越える時の感動は非常に大きなものがあります。


中村・地域づくりは、官公庁や企業とも、うまくタイアップしていかなければ出来ないことですね。

藤原・そうですね、相当柔軟な発想がなければいけません。だから私はいつも「行政はアートだ」思っているんです。これは一つの芸術のようなものだ、と。アート感覚がなければ、村づくりも面白くありません。

中村さんも同じだと思うのですが、本当にロマンですよ、これは、自分と村民のロマンを共有しながら仕事が出来る。もちろん、その基盤には経営的なセンスも欠かすことができませんが。174・


175頁・16/11/5 5時33分・


中村・町村長の仕事はすべてが経営ですよね。どうやってお金を持ってきて、どうやれば安い値段で挙げられるか。町の一般財源を持ち出さずに自分の夢を実現するかと言うことです。

・それとまちづくりも会社と同じで、人づくりをしなければやっていけません。


藤原・そのとおりです。私も常に「行政は臨床学だ」と言っています。新しく来た人たちに「皆さんは大学を出ているが、それは理論的なものだけを学んできただけだって、これからが本番だから毎日学習をして下さい」と。第一線の行政は臨床学の最大の教材ですよ。

中村・そのとおりですね。行政は、住民の思いと夢をいかに掌握し、さらに一歩進んだ状況をいかに構築して行くかという試行錯誤の連続です。ですから、トップと住民、議会、そして職員。ソノ一体感さえ醸成されれば、もう無敵ですよ。怖いものなしです。問題は夢を実現するために必要な資金やツールがどこにあるかを知ることです。175・


176頁・16/11/5 5時48分・そうすると、やはり肝心なのは「情報の量」なんです。どこに何があるかと言うことを知らない限り動けませんから。

藤原・よい情報とは、どうしたら得られるとお考えですか。


中村・情報は、一番思いの強い人の所に、一番熱くなっている人の所に集まってくるものなんです。これはもうハッキリしています。


例えば釣りの好きな人は、どこの川に何の魚がいて、今日の天気はどうなるかと言うことを掌握しているでしょう。それと同じなんです。「情報の量が仕事の質を決定する」とは、そういう理論です、だから先ほどの村長の話のように、こういう学校を建てたいと思って熱くなっていると、人に喋るし目一杯行動するから、その分多くの情報が入ってくるんです。

藤原・情熱のあるところに情報が集まって、情報の集まるところから多くの情報が発信される。これは世の循環の法則ですよ。

中村・どの業界でも同じ事です。何もかも、情報であり、思いの強さなんです。176頁・


 地域づくりは人づくり・176・


藤原・私は地域づくりとは、基本的に人づくりだと思っています。ですから教育を「郷育」という字を使って表しています。教育とは郷土を育てることだと、学校の先生にも盛んに言っているんです。176・


177頁・国が提唱する人づくりとは、知識を詰め込んだエリートを育てる事かもしれませんが、地域には別の人づくりの定義があるんです。つまりその地域の歴史や文化、人材、そういったものを使いこなせる人材をつくることではないかと。

中村・地域には歴史がありますからね。

藤原・そうです。私はこれを「三風の原則」と呼んでいます。風土・風味・風習・。これを無視して、人づくりや地域づくりは出来ないと。でなければ「ミニ東京になってしまうだけです。地域の特性を生かし、その中から人をつくっていかなければなりません。

今年、私たちの川上村から、初めて宇宙飛行士候補が誕生したんです。由井亀美也さんという三十九歳の男性ですが、これは私が常に訴えてきた事が実った結果だと思っています。

中村・川上村のご出身でしたか。

藤原・はい。あんな小さな村から世界の宇宙飛行士が出るんですよ。それはやはり、地域や風土がつくり出したものだと思っています。由井さんも「子供の頃、夜空を見上げたら星が美しかった。その時に、宇宙へいきたいと思った」と言っているんです。

地域を無視して人づくりは出来ません。人をつくって、産業をつくる、そして故郷をつくる。

これがうまく循環していくことが、本当の地域づくりだと思っています。ですから、まずスタートは人づくりですね。177・


178頁・

中村・おっしゃる通りです、私も三代前の町長が掲げた畜産の牧場を成功させたいという夢を実現するために、上司から牧場経営について指導を受けたのですが、いつから町全体の活性化までを考えられるようになっていました。

今の鈴木重男町長は、私の前の町長が掲げた「葛巻ワイン」と言う夢を実現させるために、ワインづくりに修行に出した人間なんです。これもやはり人づくりの成果ですね。

けれどもただ人をつくると言っても、目的がなければ仕方ありません。葛巻の場合、あくまで産業振興です。そして産業振興は、地域が抱える諸問題の大半を解決してくれると言える。参観地帯の場合は特にそうです。その中で育てられた人間が、やがて町を支えていける人材になるんです。

しかし一般的な地域づくりの場合は、方程式はありません。ですから先ほど申し上げたように、「危機感と問題意識、気づき、実践」、そして「情報の量」なんです。

・トップの仕事は、誰かが何かをやろうとしたり、気づいたりしたことを側面的に支援する、と言うことでしょうね。気がついた人が、まず声を出した何かをやってみるということ。やれる土壌をつくると言うこと。そうすれば結果は出ます。

すると褒められたり批判されたりすることで反省をし、その上でまた何かをやろうとする。そうやって人間の資質は高まっていくわけです。夢や目標にも、この繰り返しによって近づいていけるものではないかと思います。

いずれのことも、昨日や今日で簡単に実現できるものではありませんから、淡々と黙々とこつこつとやっていくしかないのです。178・


179頁・16/11/5 8時9分・

もう一つ感じるのは、「夢しか実現しない」と言うことです。「夢の実現」に向けて、黙々と、淡々と、こつこつと、努力すべしと。そういう思いを持って私自らが実践してきました。それについてきてくれた人たちが今の葛巻を支えてきてくれているという状況ですね。

藤原・私は一つの産業が一世紀の間、安定的に保たれることは、ほとんどないように思うんです。私の村の野菜産業だって、決して永続的なものだとは思っていません。いずれどこかで何かがあって、すごい苦境の時がくるかもしれません。しかしその時に「人」がいれば、必ず新しい産業を起こしてくれる。ですから最大の資本であり、地域資源は、人だと思っています。179・


志を持って万事の源とする・179・


中村・村づくりをする上で信条とされて事がありますか。

藤原・私は村長に就任してから一度、体を壊して入院したことがあるんですが、その時に同郷の中条高徳先生に進められて読んだのが、安岡正篤先生の「偉大なる対話」という本でした。

その中にこういう事が書いてあったんです。

まず一つ目は「感謝」と言うこと。ありがとう、と言う言葉は最も美しい言葉であると。

次に「感動」と「感激」。人は感動の度合いが大きいほど人間的な厚みが増し、その感動の量や感激の量が最終的な人格をつくる。179・16/11/5 8時38分・

180頁・それから「寛容」。この世に完璧な人間などいないから、許してやるという気持ちも大事だ、と。

そして「恩」。先生や親、友達や先輩、そういった人々に対する恩を大切にしなければ政治は出来ないと、書かれてあったんです。

これが村づくりのみならず、人生を開いていく上で大事な心得だと思います。中村さんは?

中村・私はこれまだ様々なことを見たり聞いたり経験したりしてきた中から「謙虚に、堂々と」という生き方をしたいと思っています。


藤原・謙虚に、堂々と。


中村・はい。人間、謙虚さを失ってはおしまいだと。

一時期はもてはやされることがあっても、どこかで躓いてしまう人いうのは、俺こそ絶対だ、俺のやり方が間違っているはずはない、と言う驕りが生じたところに、落とし穴があったんじゃないかと思うんです。

その反対は「謙虚」です。常に謙虚であれ、と。しかし一方で、トップは言うべき時や、やらなければならない時には「堂々と」やらないと、覇気もなければ、人の心にも通じません。

だから「謙虚に、堂々と」という生き方がいいなと私は思っています。これは様々な人が人生をひらいていくための心得にも通じるかもしれません。180・


181頁・平成28年11月5日・

藤原・若い頃の私はエンジニアになって都会暮らしをすることにあこがれもありましたが、今では農村に生まれたことをよかったと感じています。農業は私たちの命を守る「生命産業」であり、林業は自然環境や水を守る「生命維持産業」であると考えるからです。

世の中には循環の法則があって、これまでは農村から人材や資源を送り込み、都市社会をつくるため、懸命になってきましたが、文明が成熟し切って目指すべきものがなくなった時に、すべてのものが再び農村へ帰ってくると思うのです。ですから、これからは本当に地方の時代、農山村の次代がやってくると考えています。


・そのためには、山村としての新しい道を開いていかなければなりません。都市と農村とが融合された地域社会をつくり、この国のために農村がその使命を果たせるような地域づくりをしていきたいと考えています。

中村・私は一昨年に町長を退き、現在はフリーな立場で様々なことを唱えることが出来る立場にありますので、農山村が持つ良さを全国の方々に声を大にして訴えていきたいと考えていきます。


特に申し上げたいのは、やっぱり中央の方々に対してです。

食料自給率が四十%、持った、などと悲観しているだけでなく、都市と農村が連携を図り、自給率を高めていく努力をすべきではないかと。

また、食糧・環境・エネルギーのうち、特に環境・エネルギーへの貢献という点で、国民的合意を図っていかなければなりません。181・


182頁・問題解決のために、先進国として高い目標を掲げ、地球環境改善に貢献できるような日本になってほしい。そういったことに、自分のこれまでの経験を生かすことが出来ればいいなと思っています。


藤原・現在、日本には約千八百人の市町村長がいますが、中村さんの言われたように、やっぱり肝心なのは中央の方々ですよ。

・政界、財界、官庁にいる方々に日本の国家というものをしっかりと考えて頂いて、右往左往しないような国づくりを目指して頂きたいと思うんです。

私はこれまで吉田松陰の残した「志をもって万事の源とする」という言葉を座右の銘として来ました。やっぱりね、人間、燃えなくちゃダメですよ。一所懸命、命がけでやった仕事は失敗しても許されますが、そうでは梨に犯した過ちは許されない。それは逆に、致命傷になることがあるんです。

私たち国民の一人ひとりが、自分の住む町や村を心から愛し、よりよいものに変えていくことが出来れば、この国の未来も必ずひらかれていく。そう信じて、これからも持てる力のすべてを注いでいきたいと考えています。182頁・


平成28年11月5日 土曜日

 

16/11/5 8時15分・

志を持って万事の源とする・地域づくりは人づくり・

 

赤字民営バスを村営化して黒字に・

ここまで

 

164頁・

2016年までのブログページをいれて索引・

http://amamioosoma.synapse-blog.jp/yosiharu/2016/03/post-af38.html

16:50 2016/11/02


藤原 忠彦 (著) 著者について

藤原 忠彦(ふじわら ただひこ) 長野県川上村長。1938年長野県南佐久郡川上村生まれ。長野県立臼田高等学校中退。農業に従事した後、川上村役場職員に。企画課長を経て、1988年川上村長に就任。現在6期。21年目。長野県町村会長,全国町村会理事・行政部会長を務める。 全村のCATV導入など農業情報ネットワークシステムの構築や村営バスの運営、24時間図書館、森林文化の発信など先進的な村づくりで注目されている。 「都会の女子学生が、夏休みにアルバイトで川上村を訪れたのをきっかけに、川上村に嫁ぐことが多くなった」と目を細める。


単行本: 164ページ出版社: ソリック; 初版 (2009/1/14)

言語: 日本語・発売日: 2009/1/14目次

まえがき

はじめに・5ぺーじ 


第1章 "強い農業"への大変身・17頁・

    寒村が年収平均2500万円に・18・

    交通、高齢化、国際交流で「川上方式」・23・

    「農業の情報ネットワークシステム」を導入・27

    村のカラマツで中学校を建設・31・

    農業、林業学ぶ県立村営高校を構想

    図書館を24時間オープンに

    「川上村のレタスはおいしい」のための工夫

    台湾への輸出を足がかりに世界へ

第2章 水田からレタスに転換

    レッドパージを受けた父親が急死

    戦後の農地改革で残った土地を守れ

    担任などの強い制止振り切り高校中退

    高校中退で自棄になった時期もあった

    水田から高原野菜への第一歩

    寒冷地対策で大型トラクターを導入

    村の臨時職員から正規職員へ

第3章 川上村が中央官庁を動かした

    寒冷地の悪条件を逆手にとった高原野菜

    赤字民営バスを村営で黒字化した

    村営バスは「川上方式」と呼ばれるまでに

    レタス王国の陰りで農業の情報化に取り組む

    小さな村パワーが中央官庁、国を動かした

    農家の視聴率100%の市況情報

第4章 川上ブランドを世界へ

    若手農業後継者グループから村長に推される

    風呂場で背中を流されながら受けた"出馬の決断"

    高齢化対策の施設に命を吹き込む

    米カリフォルニア大学と新種を共同開発

    台湾輸出に続き、香港、シンガポールへ

    通称「川上サミット」が大きな支えに

    地域住民と密着した地方行政

    「一家総出で畑に立つ」家族

第5章 農業と林業に特化

    農村自身の文化を発信する

    リゾート法の指定を敢えて返上

    ゴルフ場は農地への転用可能を条件に"貸し出し"

    1億円の「ふるさと創生」は村民主体の文化活動に

    24時間オープンの図書館用にIDカード

    林業は"生命維持産業"

    森林は屋根のない「教室」「病院」

第6章 "川上犬"は村民の心の支え

    戌年の干支の顔として上野動物園に紹介された川上犬

    戦争中に出された「犬猫供出令」「撲滅令」

    学術的な価値に気づいた父親が保存会を結成

    父親の想いを継いだ奇跡

    保存運動の再結成に約30名が参加

    "不可能"を可能にした保存運動

海部元総理の愛犬「ネネ」

第7章 都市と農村の融合を目指して・147・

40%まで下がった食料自給率のままでよいのか・148・

自然への回帰へ、農山村の役割・153頁・

行政に哲学が求められる時代・156頁・

町民憲章は、合併20周年を契機によりよい町づくりを目指す町民の合言葉として、昭和50年5月15日の第27回臨時町議会において決議されました。

○昭和50年(1975年)5月15日制定

葛巻町は、雄大な北上山系の山ふところにつつまれた、自然のきびしい町です。

わたくしたちは、先人のたくましい意志を受けつぎ、町民の限りない幸せを願い、住みよい町づくりをめざして、この憲章を定めます。

第1章

幸せな輝かしい未来のために、たくましい体力と気力、知性と創造性に満ちた人を育てる、教育の町づくりにつとめます。

第2章

明るく楽しい生活のために、きまりを守り、温かい心をもって、互いに助けあう、福祉の町づくりにつとめます。

第3章

豊かな美しい郷土のために、自然を愛し、資源の活用に力を合わせて、生き生きと働く、産業の町づくりに努めます。

 

関連ワード全国の山村のモデルとなる

一歩先行くまちづくりを目指して

 

葛巻町長 鈴木 重男

 北緯40度、岩手県の東北部にある葛巻町。町の面積の86%を緑豊かな森林が占め、標高1,000m級の山々に囲まれた高原風土が漂う酪農と林業の町で す。町の持つ多面的な資源と機能を最大限に活用し「ミルクとワインとクリーンエネルギーのまち」として、この山村でしかできないことに挑戦しています。

  私たちは、先人から生きる知恵や豊かな自然を受け継いできました。先人は、その時々を懸命に生き、まちの歴史や文化、財産を築き上げ宝として残してくれま した。今を生きる私たちには、先人が残してくれたこのかけがえのない宝を次の時代につなげる使命があります。全町民が幸せを実感できる確かな未来を築くた め、今日という今を明日という未来に伝えていかなければなりません。

  今、日本は人口減少の時代を迎え、本町にもその大きな波が押し寄せています。地方経済の活性化と人口減少問題を克服するために産業振興対策や定住対策のほ か、葛巻高校山村留学制度の創設や新葛巻型酪農構想の推進など、葛巻だからこそできる、葛巻にしかできない「地方創生」に果敢に挑戦し、「全国の山村のモ デルとなるまちづくり」を目指してまいります。

 

 

21世紀の地球規模での課題とされる「食糧・環境・エネルギー」のすべてに貢献できるのは私たちが住む山村です。山村が持つ機能と魅力を積極的に情報発信しながら、30年、50年先も町民の皆さんが、この町に誇りを持ち、この町に住んでいて良かったと思える葛巻であるために、町民と行政が一体となった「協創のまちづくり」により、葛巻らしい一歩先行くまちづくりを着実に前進させてまいります。

  葛巻町のまちづくりをご理解いただくとともに、さらなる町勢発展にお力添えをいただければ幸いです。

http://www.town.kuzumaki.iwate.jp/docs/2015102100013/

 

http://www.town.kuzumaki.iwate.jp/

 

15:57 2016/11/02

 

巻末特別収録・藤原忠彦・長野県川上村村長・対談・中村哲雄・葛巻長畜産開発公社顧問・岩手県葛巻町前町長・159頁・

対談・農山村はかくて変わった・

町や村というひとつの生命体に活力を与え、その未来を開いていくことは、人が人生を開いていく上での、工夫・努力にも通じている。長野県川上村と岩手県葛巻町・・。かつては貧しい寒村と言われた同町村を、様々な先進的な取り組みによって、全国の注目を集める地域に変換させた藤原村長と中村前町長に、互いの歩みを語り合っていただいた。158・16/11/2 15時26分

160頁・

全国の注目を集める町と村・

藤原・私は川上村長に着任してから現在六期目を迎えるのですが、中村さんが町長をされていた葛巻町のことは常に意識してきました。実は一度、中村さんをお訪ねしに行ったこともあるのですが、あいにくお留守でお会いできなかったんです。

中村・あらっ、そうでしたか!これは失礼しました。

私のほうは、現職を離れて一年半くらいになりますが、藤原村長の活躍はもちろん存じ上げておりました。今日はお目にかかれて光栄に思います。

藤原・中村さんは、もともと町役場にお勤めだったそうですね。

中村・はい。役場職員を五年やりましてね。そこから派遣されて、第三セクターの葛巻町畜産開発会社に23年間勤務したんです。町長時代を含めると、31年間、牧場経営に携わりましたから、私の場合は第三セクターでの経験がバックボーンになっているんです。赤字で閉鎖、倒産していく第三セクターが多い中、畜産振興という町おこしの一翼を担ったことが、町長時代も大変生かされました。

町村政は一期では何もできないと予期われますが、私は現職の町長を落として当選しましたから、一期目で結果を出さなければ、自分がなった意味がないと考え、とんでもない覚悟でやりましたよ。最初から百M走のつもりで全力疾走し、そのままの勢いで二木、八年間を走りぬきましたね。160・

161頁・藤原村長とは、お互いに寒村を興してきたという点で、いろいろと共通する部分がありそうです。

藤原・はい、川上村は長野県の一番東の端にありましてね。年間平均気温が8

・9度という寒冷な地で、島崎藤村も「信州の中で最も不便な、白米はただ病人にいただかせるほどの貧しい、荒れた山奥の一つ」と著書にキシテいます。ところが、戦後に朝鮮動乱が起こった際、日本から国連軍に軍需物資を提供することになり、川上村ではレタスを栽培することになったんです。

稲作には適さない高冷地という厳しい気候条件が、逆にレタス栽培には適していました。その後、日本人の食の欧米化の波に乗り、全村民が一つの目標に向かって走り続けてきた結果、全国一のレタス産地になったというわけです。ですから、平地のように色々な選択がなく、野菜一本に絞ってきたことが、今の産地を作り出す原動力になったのだと思っています。

中村・村長に就任されたのは、いつ頃でしたか。

藤原・昭和六十三年のことです現職の村長さんは六十台で相当手腕のある方でしたが、農家の若手後継者グループから「世代交代をすべきだ」トン機運が就任の前年から盛り上がり、現職が降りて、当時四十九歳だった私が無投票で当選したのです。そん役場の企画課長として農業振興やバス村営化に携わり、多少の成果を出してきたことなどが評価をいただけたのかもしれません。161・平成28年11月2日・ここまで

 

 

 

付録 資料編

 

 

アカマツの学校を見てみたい

投稿者aboynamedsanpei2009年1月26日

本書の発行人、荒井さん((株)ソリック)の友人のレビューです。

ソリックの記念すべき第1作、昨晩読破いたしました。

 

気持ちの良い読後感でした。

字が大きく文体が平明で読みやすい。164頁なので、読書が進みます。

 

一つ一つのエピソードは、語ろうと思えば長々と語ることもできるのでしょうが、

自慢話に堕さない淡々とした語り口に品格を感じます。

 

著者の藤原村長は相当に知的レベルの高い人ですね。

日本人の苦手な、過去の蓄積の継承が、しっかりなされている。

その上で最先端の技術や考え方をするっと採り入れています。

品質改良したアカマツ材で出来た学校は想像するだに素晴らしい。

優秀な人材の力を借りるネットワーク力、人間力も感じられます。

 

川上犬のエピソードだけでも映画になりそう。

絶滅した日本狼のDNAの話も初めて知りました。

狭い家では飼えない犬と言う点も成程。

一連の犬映画が一段落したら、チャンスかも知れません。

 

友人として2冊予約購入したので、1冊を長野出身の前上司に進呈、

読み終えた1冊は地域ブランディングの専門家にまわしました。

 

笑うマーケティング

村長さんの自伝だった。投稿者罵詈雑言アラメンド2010年4月11日

タイトルに興味をもち、中身を見ないでネットで買った。農業を法人化しビジネスとして農業をやって大成功、とかそういう話を期待していたけど、違った。まあ有り体に言えば、長野県川上村の村長さん(著者)の自伝である。それなりに参考になる部分はありますが。

 

年収2500万あったって、経費がいくらかかっているのかわからなければ、あまり意味がないように思うのですが。まさか村長自ら何でもかんでも経費にぶち込んでしまえ、なんて言うんじゃないだろね。

村長さんの自伝だった。

投稿者罵詈雑言アラメンドVINEメンバー2010年4月11日

形式: 単行本

タイトルに興味をもち、中身を見ないでネットで買った。農業を法人化しビジネスとして農業をやって大成功、とかそういう話を期待していたけど、違った。まあ有り体に言えば、長野県川上村の村長さん(著者)の自伝である。それなりに参考になる部分はありますが。

 

年収2500万あったって、経費がいくらかかっているのかわからなければ、あまり意味がないように思うのですが。まさか村長自ら何でもかんでも経費にぶち込んでしまえ、なんて言うんじゃないだろね。

著者は凄いが、編集が愚

題名からしてとっても期待して読みました。なんとなくこの村長さんは凄い人だと思いましたが、本を出すことは如何でしょうか。つまり編集者の目的がはっきりしていません。精神論か、苦労か、はたまた緻密などドキメントか。以前呼んだ「奇跡のりんご」のように、本人でなく、取材してかかれるともっと日本中に感動が広がり、日本の農業がよくなるのではないでしょうか。あくまでも村長さんの問題でなく、素人のような出版社と編集者に一言。

アカマツの学校を見てみたい

本書の発行人、荒井さん((株)ソリック)の友人のレビューです。ソリックの記念すべき第1作、昨晩読破いたしました。気持ちの良い読後感でした。字が大きく文体が平明で読みやすい。164頁なので、読書が進みます。一つ一つのエピソードは、語ろうと思えば長々と語ることもできるのでしょうが、自慢話に堕さない淡々とした語り口に品格を感じます。

 

著者の藤原村長は相当に知的レベルの高い人ですね。日本人の苦手な、過去の蓄積の継承が、しっかりなされている。その上で最先端の技術や考え方をするっと採り入れています。品質改良したアカマツ材で出来た学校は想像するだに素晴らしい。優秀な人材の力を借りるネットワーク力、人間力も感じられます。川上犬のエピソードだけでも映画になりそう。

絶滅した日本狼のDNAの話も初めて知りました。狭い家では飼えない犬と言う点も成程。一連の犬映画が一段落したら、チャンスかも知れません。友人として2冊予約購入したので、1冊を長野出身の前上司に進呈、読み終えた1冊は地域ブランディングの専門家にまわしました。

信州のチベットの出来事に驚嘆!

" 本のタイトルを見て興味は持ったものの半分は疑いながら読み始めました。と言うのも寒冷地の山奥でそんなことが可能とはすぐには信じ難いところがありましたし、よくある誇大強調型の読み物かも知れないと思ったからです。ただこんなことがこの時世にもし出来たのなら日本の農業にとって画期的な事例であり、また失業問題への一筋の光明になるかとも思ったりしながら読み進みました。ところが藤原村長の発想が素晴らしいことが徐々に伝わってきて、気がついたら一気に読み上げていました。

 成功した要因は村長の視点が農業のみならず、教育、高齢化対策、地域活性化、海外の大学との協調、輸出推進等、地方自治の範囲を最大限に広げた行政手腕にかかるところが大きいと思われます。 戦後の日本が大都会中心に発展してきた経緯の中で、地方都市や農村の疲弊は著しいものがあると云われていますが、「農山村はまさに屋根のない学校、屋根のない病院である」と云われる村長の言葉には長い間の努力と実績に基づく強い信念と自信を感じとることが出来ます。

 私は山登りが趣味で、文中に出てくる八ヶ岳、金峰山、朝日岳、国師岳等にも登った経験があります。金峰山は標高2595m、秩父第二の高峰ですがアルペン的雰囲気の漂う山頂からは富士山、八ヶ岳、南北中央アルプスそして秩父の山々が展望でき、特に好きな山でした。これら標高二千m級の山々に囲まれた陸の孤島のようなこの地域がまさに川上村であったとは本書を読んで初めて知りました。このような高冷地で村役場の標高も日本一の高さ(1185m)にある寒村が平均年収2,500万円の農村に生まれ変わった経緯そのものがまさに日本の農業の抱えている諸問題に対するアンチテーゼであるように思えます。これからの日本の農業の進むべき方向性、さらには地方自治のあり方を教示する貴重な一冊であると感じました。

寒村が暖村になった・・・・。

本を閉じても目をつぶれば鮮やかに浮かぶ・・・。生き生きとしたレタスが並ぶ緑色の桃源郷。カタマツが包み込む子供たちの笑顔。自信と誇りに満ちた村民の方々の姿。所狭しと駆け回る雄雄し川上犬。

 

新規就農を目指す私はこのようなことろで、藤原村長さんのような方に支えられえて農への第一歩を踏み出したいと思いました。

どのページを開いても興奮し、感動して川上村の奇跡たる軌跡に引き込まれます。今度はどのような取り組みでダイヤモンドの原石が輝きを増していくのかページをめくる手が止まりません。

 

藤原村長が立ち上げられた3つの『コウ』に『3風の原則』

『コウ』違いではありますが・・・。

その試みで計り知れない効果を生み出したのは著書を拝見すれば絶句、納得。

 

『3風の原則』は村民の方々にとりましては暖かい追い風となって、時には中央官庁を動かすまでの強風となって吹き荒れていました。

それがどのようなものなのかはぜひ本を手にとり実感していただきたいと思います。

 

分かりやすく簡潔にでもしっかり伝わる。これから地域おこしや再生を志す方にもご自分の故郷に思いを抱きながら都会にたたずむ方にも私の市もそうですが過疎化に苦しむ田舎に住む方々にも少しでも農に、環境に興味がある方は必読の一冊です。

 

まだまだお考えはあふれ出てとどまることを知らないことでしょうが

ほんの一部分、藤原村長の脳の中を拝見させていただいた気分になりました。

まだまだ眠っている私たちの底力、この本からその殻を破ってみませんか?

 

まだ、日本は、私たちの手で変えられる!!

長野県川上村長の藤原忠彦さんの自伝(筆者が自分で書いた伝記)

藤原忠彦さんのアイデアで、小さな村が豊かになっていく姿が描かれています。藤原忠彦さんは川上村に生まれ、高校中退→農家→川上村役場職員を経て、1988年に村長に就任して現在6期目。川上村の存在を知らなかった私にとって、一つ一つの話はとても興味深かったです。

 

一方で、それらの事実を「本にまとめる」ことで面白さを増幅させることができたかというと、イマイチです。この本を参考に、ドキュメンタリー番組など別の形で取り上げていただけることを望みます。ネタは星5つ級ですが、料理の仕方が物足りないので評価を下げました。素材の良さだけで十分楽しめるという見方もできます。

次期、総理大臣の誕生!

感動した!読んでいる間に、藤原さんの人柄、思いが伝わってきた。こういう人が公務員になるべきだと思いました。そして、今は総理大臣になって欲しいと強く思いました。公務員も会社員も変わらない!

やるか、やらないか、だ!

地域がグローバルになるということの実例。

レタス生産量日本一を誇る川上村。その村長が語る村の現在と未来。

自分たちの土地の強みをきちんと活かして、強い商品を作り上げ、若い人を育てる仕組みを整える。あたりまえのように見えることを着実に取り組んできた成果がいまの村の姿につながる。コンビニが多数ある大都市でも、24時間オープンしている図書館はそうそうない。でも、ここにはある。そしてそれは単なる住民サービスではない。

 

外国の都市と交流する。そこまではよくあるが、それを人材交流や具体的な新商品研究・開発につなげるところはどのくらいあるだろうか。

 

過疎化が進む地域がある一方で、出生率が高い川上村。カラマツをふんだんに使った学校など、土地の匂い・身近な誇りを感じさせるこの村の空気がそれを後押ししているのかもしれない。

 

このような取り組みには、ひとつの農村での話に決してとどまらないヒントがある。グローバルな存在になるというのはこういうことだとの実例にもなるだろう。読んでいて元気づけられる本。続編も期待したいところ。

計算すると

155億/607戸で計算すると大体2500万円超になる。

だからこれは2500万円の利益ではなく売り上げで、語弊もはなはだしい計算間違いだ。

10:53 2016/11/02

川上村の沿革

長野県の東南端に位置する川上村は、信濃川に至る千曲川源流の里。

四方を山々が連なり秩父多摩甲斐国立公園の一角を占める風光明媚な環境にあります。村の基幹産業は野菜産業であり、7月下旬から11月初旬にかけ、豊潤な大地と豊かな水に育まれ、美しいまでの高原野菜たちが、農家の皆さんのもとで生産されています。

夏場は、冷涼な気候条件から生産される高原野菜畑が一面に広がり、秋にはカラマツ林が、真っ赤に彩り、冬には、広大な大地を真っ白な雪が覆い尽くします。

そして、春になると雪解けとともに、大地の息吹を感じさせるよう山菜が顔を見せ、やがて、新緑の景色が広がります。

川上村の位置

 

地目別面積

 

人口

世帯数1,699

人口4,425(男2,436/女1,989)

 

*平成28年4月30日現在

(住民基本台帳人口 外国人含む))

標高

1,185m(川上村役場)

最高地

2,595m(金峰山山頂)

最低地

約1,110m(千曲川村内最下流)

気温

年平均8.5℃ 最高30,1℃(8月)最低-18.9℃(1月)

http://www.vill.kawakami.nagano.jp/index.html

 

15:33 2016/11/02

 

 

 

 

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http://m-hikiage-museum.jp/

 

17:32 2015/11/30

 

 

 

僕たちの国の自衛隊に21の質問 単行本(ソフトカバー)  – 2014/10/31

半田 滋 (著)     3件のカスタマーレビュー

内容紹介

イスラム国による日本人の人質殺害事件が発生しました。それを受け、海外でテロなどの事件に巻き込まれた日本人を救出するために、自衛隊を派遣する議論が活発化しています。つまり、自衛隊を戦場に投入するという議論です。

 

尖閣諸島と竹島の問題に象徴されるように、日中、日韓関係が悪化しています。拉致問題をはじめ、北朝鮮との関係も光明が見えません。安倍晋三首相は、解釈改憲で集団的自衛権を認めました。日本と直接関係がなくても、自衛隊は仲の良い他の国のために、戦争に行かなくてはなりません。安倍首相の狙いは、あきらかに、「戦争のできる日本」へと国を変えることです。

 

アジアにおける日本、世界における日本のあり方が、どんどん変わってきているのは事実です。では、日本は「戦争のできる国」を選択するべきなのでしょうか。

 

そのことを知り、未来の日本で選び取るのは、戦場に行かされる可能性のある若い世代です。本書はQ&A形式で自衛隊と日本の国防、米軍との関係について基本的な知識を盛り込みました。中学生でも読めるような設計にしております。

 

東京新聞論説兼編集委員の半田滋氏は、防衛省・自衛隊の取材を四半世紀にわたって経験しているベテランで、国防関連の講演を相当数こなしています。その半田氏が、平易、かつ、新聞やテレビでは決して触れようとしない国防の本当を語ります。

 

「北朝鮮からミサイルが飛んできたとき、それを撃ち落とせるの?」「日本国憲法を変えたら、戦争になってしまうの?」「自衛隊に無理矢理入れられる時代は来るの?」といった、だれもが知りたくて、でも、だれも答えてくれなかった疑問に、明快な答えが出ます!

 

内容(「BOOK」データベースより)

 

将来、戦場に行かされる君たちへ―。これからを生きる若者たちが知っておくべき日本の国防の基礎知識。

単行本(ソフトカバー): 242ページ出版社: 講談社 (2014/10/31)

言語: 日本語・発売日: 2014/10/31

目次

第1部 自衛隊って、なにをしているの?

【Q1】 日本国憲法には戦争をしていはいけないと書かれているのに、なんで自衛隊があるの?

【Q2】自衛隊はどうやってできたの? どんな組織になっているの?

【Q3】 第二次世界大戦が終わった後、日本はどうやって国を守ることにしたの?

【Q4】自衛隊って、世界の軍隊の中でどれくらい強いの?

【Q5】国の予算のうち「防衛費」って、どのくらいの金額で、どうやって使われているの?

【Q6】 自衛隊の使っている武器の性能は? 武器は国産なの?

【Q7】自衛隊は地震などの災害のときに救助活動しているイメージだけど、年に何回ぐらい出動しているの?

【Q8】自衛隊が海外で行っている活動には、どんなものがあるの?

 

第2部 日本とアメリカ軍の関係について、教えてください

【Q9】アメリカ軍は、どうして日本に基地を置いているの?

【Q10】なぜアメリカ軍の基地は、沖縄にたくさん置かれているの?

【Q11】アメリカ軍が沖縄に持ってきたオスプレイという新しい航空機は墜落事故が多いって聞きました。自衛隊も買うそうだけど、本当に大丈夫なの?

【Q12】アメリカは、ほかの国から日本が攻撃されたとき本当に守ってくれるの?

【Q13】アメリカと韓国が、韓国の近くの海で合同で訓練しています。これから、日本―アメリカ―韓国の連携が必要になるの?

【Q14】防衛省や自衛隊は、アメリカ以外の国々とも交流しているの?

 

第3部 これから自衛隊は、戦争することになるの?

【Q15】中国が、「尖閣諸島は自分の国のものだ」と言って、船で近くまでやって来ているというニュースを見ました。将来、日本と戦争になったりしないの?

【Q16】北朝鮮から日本に飛んできたミサイルを防ぐことってできるの?

【Q17】すでに日本は外国に武器を輸出しているって、本当なの?

【Q18】安倍晋三首相はなぜ、そこまでして自衛隊を海外の戦争に参加させようとしているの?

【Q19】将来、私たちは、自衛隊に入らなくてはいけなくなるの?

【Q20】最近つくられた組織や法律によって、日本は戦争がしやすくなるの?

【Q21】日本国憲法が変わると、戦争が起きるの?

 

自衛隊はどうなるのか?

安倍政権による集団的自衛権拡大解釈。「武器輸出三原則」の廃止。「国防の基本方針」廃止と「国家安全保障戦略」の導入。守る国から戦える国へと変えられつつある現在、自衛隊はどうなるのか? をYAに向けて解説しています。

選挙戦に突入した今、有権者にとっても判断材料の一つになる本です。YA向けだから読みやすいし。

真面目な本です! 外見ではわからない、若い人はもちろん!大人の人もぜひ読んで!

カバーは劇画風、カバーを外すと真っ赤な表紙、一般読者は引くかもしれない。

でも、この本は、こういう外側を抵抗なく受け入れる、中高生にこそ読んでほしいと作られている。それに、中高生でなくとも、自衛隊について詳細に知っている大人も少ないのでこの、21の質問と答えは、とても親切な自衛隊ガイドになっていると言える。

左右どちら寄りという視点で読むのではなくて、実際、自衛隊ってどうしてあるのか?その経緯、成り立ちから現在までが詳しく分かる。

 

また、憲法改憲、集団自衛、法整備など、矢継ぎ早な変化がこの一・二年で起こりつつある時に、本当の主権者である国民が、きちんとした自衛隊と隊員の立場の理解がなくては、国会で論議されている、問題点と、改正される(通るとして)法律をどう受け止めていいのかも分からない。この本では、具体的な現状をQ&Aで述べているので、整理しやすく理解出来ると思う。

この本は、昨秋出ているのだが、今度の国会審議で、自衛隊員の海外派遣された中から

多数の自殺者が出ていることが明らかになっている。この点も重要だと言える。

今の自衛隊員は、「戦争をすることの出来ない」自衛隊に入隊したのであり、入ってから、「戦争」をしてもらいますと言われても、話が違う、となる人もいると思う。

湾岸やイラク派遣などはかなりのストレスッだったであろう。政府・防衛庁は海外派遣が自殺理由だと認めていないが、自衛隊員の自殺率が一般に比べ高いのは事実である。この本は、自衛隊員の現状も紹介しているから、国民全体で、今後を注視していかなければならない事だと思う。

どの様な考え方(法律と国民の合意)で自衛隊が存在していくのか、限りなく軍隊として「戦争」できる位置づけになるのか、災害や国土の専守防衛に徹するのか。それは、憲法や法律によって、明確にされなければならない。時の政権の解釈で自衛隊員の命のやり取りをさせてはならないはず。そういうことを考える上でも入門書になっている。

左寄りの入門書

自衛隊が戦争ができるようになると、自衛隊の志願者が減るために徴兵制が復活するかもしれないという前提のもと、徴兵されるかもしれない若い人向けに書かれた入門書自衛隊の成り立ちから沖縄基地問題、集団的自衛権等、広範囲に扱ったせいか、各々の項目で記述が不十分な気がする。

あえて書かないで印象操作を狙ったのではないと好意的に解釈して読んでみたが読んでいて突っ込みどころは多かった随所で安倍政権を批判するのはいいけど、日韓関係悪化の原因がすべて安倍政権にあるような言い方には首をかしげざるを得ない。

入門書として読む場合はうのみにせず、この本をきっかけに反対派の意見も調べる必要があると感じた。

17:21 2015/11/30

 

 

舞鶴市・凍土の記録141BS・午前11時・28分・引き上げ記念館・戦争の具を伝える・

NHKはなぜ、反知性主義に乗っ取られたのか・ 

Subject: RE奄美の行政の現実を

 おはようございます・いま龍郷町の予算を検討しながら・大変な問題を発見しました・よろしかったら一読をお願いします。

 ・龍郷町は人件費¥1億8000万円を龍郷町人口約6千人で計算すると約一年間赤ちゃんから高齢者まで一人一人¥3万円負担こんな金が払えますか?こんな予算を組んでいる龍郷町町長・議員の皆さんです?!

http://amamioosoma.synapse-blog.jp/yosiharu/2015/09/111544-0342.html

6:09 2015/09/10

滝田 好治 

11/30/2015


ぎん茶の原料 ぎん茶の原料、ギンネムは亜熱帯から熱帯にかけて分布。マメ科

植物の多年生小高木で沖縄地方に多く自生する植物で、きわめて生命力が強く、成育が早いのが特徴。このため、天然の無農薬の茶葉が工場周辺に群生しており、収穫がとても安易です。他の植物に見られない驚異的なカルシウムを始め、カリウム等のミネラル蛋白質を含有します。ぎん茶は、ギンネムを12年の長い歳月をかけて研究を重ねて開発された製法特許の醗酵ギンネム茶です。

ギンネムとは

ぎん茶の原料となるギンネムという植物は、日本では「ギンネム」または「ギンゴウカン」

 英名を「ルシーナ」または「ルキーナ」、学名は「Leucaena leucoecephala de Wit」となり世界中の熱帯、亜熱帯のアルカリ土壌地帯に繁茂しているマメ科の植物です。本種は帰化植物の一種で原産はメキシコまたは南アフリカともいわれており、沖縄県には1910年(明治43年)にセイロン(現在のスリランカ)より畑の緑肥料として導入されたものです。1945年(昭和20年)以前は緑肥、たきぎなどに利用され県内で広く繁茂することはなかったといわれています。太平洋戦争により、沖縄本島は焼土と化しました。

 土壌流出防止と緑の回復手段として、戦後ハワイ系統のギンネムが導入され、今日まで沖縄本島の中部、南部、本部半島、宮古島、多良間島、石垣島、竹富島などでよく生育しております。本種には約600種が含まれ、樹高1~2m の低木のタイプから15m~20mに達する高木のタイプまでありますが、諸外国ではこのうち24種が有望種として栽培されております。本県のギンネムの大多数はハワイ在来種タイプで、樹高3~5m幹の直径3~5cm程度のものが大部分をしめます。本種はフィリピンでは「イピルピル」タイでは「カチン」、そしてハワイ諸島では「コア」とよばれています。

 

世界中の学者がサジを投げていた。

ギンネムは、他の植物には見られない驚異的なカルシウムを始め、カリウム等のミネラルを含み、高い蛋白質含有率で世界各国で注目されていましたが、ミモシンというアミノ酸の毒性のある点が大きな障害となって、世界各国で有効に利用されていませんでした世界中でギンネムは研究されましたが、ミモシンの分解、減少する方法までの段階にとどまったまま、世界中の学者がサジを投げていた状態でした。

 ぎん茶の誕生ギンネムは、いろいろなミネラルが実に豊富に含まれていて、世界の学者によって60数年以前から研究が重ねられてきましたが、アミノ酸系の毒性のあるミモシンという少量の物質を除去ができず今日まで至ってきました。それが、国立琉球大学農学部、本郷富士彌教授6人のスタッフが12年の長い歳月をかけて、数億の菌の中から数種の有用微生物を組み合わせ、醗酵作用させることでミモシンを完全に除去することができました。醗酵技術により、さらにそのミネラル分を高め、おいしい香ばしく健康醗酵茶として製品化しました。製法特許のお茶ですので、ギンネムから毒性のあるミモシンを完全に除去したお茶は、世界では「ぎん茶」ただひとつだけです。しかも、ぎん茶は天然で無農薬、合成添加物無添加、カフェインも含んでいません。食物繊維、カルシウム等のミネラルも豊富で、話題の物質セレニウムを始め、身体に必要な酵素を多く含んだ醗酵茶で身体にやさしい水溶性カルシウムだから、赤ちゃんからお年よりの方まで、ご家族皆様におすすめ出来る「ぎん茶」が誕生しました。

 ぎん茶は現在、全国の皆様にご愛飲頂くようになりました。

ぎん茶ご注文はこちら

トップに戻る ぎん茶ドットコム商品一覧 ぎん茶の説明。次を見る http://www.gincha.com/gin/gin4.html

4:10 2016/09/27 


飲み方で変わるぎん茶は、飲み方でだいぶ変わります。ぎん茶を飲む時に、一番大切な事。ぎん茶のティーバッグ3袋を5分間煮だした場合、カルシウムは30~60mgになりますが、10分以上沸騰させて煮出すと、それ以上のカルシウムを摂取する事が出来ます。ミネラルは長時間加熱しても、ビタミンのように壊れません。

 カルシウムやミネラルの補給は毎日欠かさず飲む事が大切です。ぎん茶は、お茶にした場合、成分が湯呑みの底に沈殿します。湯呑みの底に黒い粉が少々でますが、それは、お湯に溶けきれなかった身体に必要な大切な成分のかたまりですので、絶対に残さないように、全部お飲み下さい。

添加物や防腐剤等は一切使用していませんので、朝沸かしたぎん茶は、その日のうちでお飲み下さい。防腐剤を使っていませんので、冷蔵庫に保管した場合でも2日ぐらいが限度です。

 使用済みのティーバッグは、捨てずに浴槽に入れたり古いストッキングに入れて直接、肌をこすりますと、肌がスベスベになります。赤ちゃんの入浴にもおすすめします。

ぎん茶は、飲み過ぎて胃をこわしたり貧血になる心配もありません。また、水がわりとして、いろいろな飲料、食品と併用されてもかまいません。ミネラルは食前のほうが多く吸収できるそうです。

コップ1杯を数回にわけて飲んだほうが、無駄なくミネラルを吸収できます。 30分おきぐらいに飲むのが良いようです。

カルシウム不足、ミネラル不足の現代毎日ぎん茶を飲み続けることは、健康の貯金になります。5年先、10年先の健康のために、小さなお子様から、お年寄りの方までご家族皆様でご愛飲下さい。

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4:13 2016/09/27  


(独) 国立環境研究所 侵入生物データベース Japanese | English

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 ギンネム・基本・侵入情報 参考資料リスト

 基本情報

和名 ギンネム, ギンゴウカン

ギンネム  分類群 維管束植物 双子葉・離弁花類 マメ科

(Fabaceae, Fabales, Magnoliopsida, Magnoliophyta)

学名 Leucaena leucocephala

英名等 White Popinac, Wild Tamarind

自然分布 南アメリカ

形態 1~10m,常緑高木.染色体数2n=52,56,104.普通型(common type)と巨大型(giant type)があり.育種により生長の早い品種などが育成されている.

生息環境 原野,林縁

温度選好性:亜熱帯~熱帯

繁殖生態 両性花,虫媒花.豆果は重力散布

繁殖期:通年 生態的特性 日当たりの良い,中質~やや乾燥したところを好む. 急斜面における土壌流亡を防止.  

侵入情報

国内移入分布 小笠原,八重山諸島 国内分布図

※必ずしも色が塗られた地域全体に分布するわけではありません 

移入元 不明

侵入経路 緑化,緑肥,飼料,砂防用,薪炭材,パルプ用材のための植林用として導入

侵入年代 小笠原では1862年から(本格的な造林は1879年から).先島諸島には1910年以降.

影響 在来種との競合やアレロパシー作用,土壌窒素の蓄積

 影響を受ける生物:在来植物

法的扱い 

防除方法 伐採,ギンネムジラミの増加で枯死

問題点等 

海外移入分布 東南アジアなど世界の熱帯~亜熱帯地方に分布

世界の侵略的外来種ワースト100.外来生物法で要注意外来生物に指定された.

 基本・侵入情報 参考資料リスト https://www.nies.go.jp/biodiversity/invasive/DB/detail/80130.html

3:55 2016/09/27

                        ギンネム

Leucaena leucocephala.jpg

分類(APG III)

界 : 植物界 Plantae

階級なし : 被子植物 angiosperms

階級なし : 真正双子葉類 eudicots

階級なし : コア真正双子葉類 core eudicots

階級なし : バラ類 rosids

階級なし : マメ類 fabids

目 : マメ目 Fabales

科 : マメ科 Fabaceae

亜科 : ネムノキ亜科 Mimosoideae

属 : ギンゴウカン属 Leucaena

種 : ギンネム L. leucocephala

学名

Leucaena leucocephala (Lam.) de Wit

英名Lead tree

Leucaena leucocephala

 ウィキメディア・コモンズには、ギンネムに関連するカテゴリがあります。

ウィキスピーシーズにギンネムに関する情報があります。

ギンネムまたはギンゴウカン(銀合歓、はマメ科ネムノキ亜科[1]の落葉低木。和名はネムノキに似て、白い花を咲かす様子を雅語的に表現したところから。

 

目次  [非表示] 1 分布2 生態3 外来種問題 3.1 導入

3.2 影響4 人間との関係

5 参考文献分布[編集]

中南米が原産地だが、世界中に移植され現在世界のあらゆる熱帯、亜熱帯のアルカリ土壌地帯に繁茂している[2]。

日本国内には小笠原諸島と沖縄県に人為移入され、その後野外に逸出して帰化した[2]。近年は南九州まで分布を拡大しているようである。

生態[編集]

オジギソウやネムノキも属するネムノキ亜科に分類され、両種の特徴である鳥の羽のような葉(羽状複葉)を持つ。樹高は日本に定着した種は1-5mと低めに留まるが、品種によっては10m程度まで高くなる[3]。花はほぼ通年開花し、両種のそれ(頭状花序)に似るが若干小さく色が白い。大きさといい色といい、耳掻きに付いている梵天に酷似する。果実は細長く扁平な豆果で、風などに吹かれて落下し散布される。

 日当たりの良いやや乾燥したところを好み、かなり深くに根を下ろす。その根から水を吸い上げるため旱魃に強く、また痩せた土地も厭わない生命力の強い木である。

 若葉や芽にミモシン (mimosine) という有毒アミノ酸を含有しているので、家畜がこれらを摂取し過ぎると脱毛、繁殖障害、成長阻害といった弊害が出る。人に対しても同様で、小笠原諸島に取り残された兵隊が本種の種子を食べ、全員残らず丸ハゲになったという逸話がある。ミモシンはアレロパシー物質として、さらには本種を食害する昆虫に対する忌避成分としても作用するが、ギンネムキジラミ (Heteropsylla cubana) というヨコバイ亜目キジラミ科の昆虫はミモシンを分解する酵素を有しているので、積極的に本種を食害する強力な天敵となっている。ギンネムキジラミの食害により、群生する本種が一斉枯死することも珍しくない。

外来種問題[編集]導入[編集]

痩せた土地でもすぐに繁茂する本種は、当初畑の緑肥、薪炭、家畜の飼料、荒地の緑化、土壌流出防止、など多目的に有用な植物として1862年に小笠原諸島、1910年以降に沖縄県へ人為的に移入された[2]。

 当初沖縄県では、スリランカ産種を導入し人手で管理していたが、太平洋戦争後の混乱期に放置され、さらにその後農業形態の変革等により上記の用途で用いられることはなくなり野外に逸出した。また沖縄戦で焦土と化した島の土壌流出防止用として、米軍がハワイ産種の種子を空中散布した事実もある。小笠原諸島でも、太平洋戦争中の全島民離島を機に島中にはびこった。1985年以降両地域にギンネムキジラミが侵入したことで勢いを弱めつつあるが、いまだ在来の固有植物に対して優勢にあることは変わっていない[3]。 

野生化したもの以外に、園芸樹木として観賞用に栽培されているものもある。園芸品種は野生化している品種に比較して花がずっと大きい。野生化した本種を指す場合ギンネムの名で呼ばれ、園芸樹木としての本種はギンゴウカンの名で呼ばれるようである。 

影響[編集]

マメ科に近い本種は根に空中窒素固定作用を有する根粒菌を共生させているため、貧栄養の状態であっても極端に成長が早い。さらにアレロパシー物質のミモシンを分泌するため、すぐさま本種のみで林を形成して他種を駆逐し、本来こういった場所において優占種となるべき当該地域の固有植物群への遷移を疎外している。沖縄県や小笠原諸島では、本種の好む日当たりの良い空き地や、耕作放棄された田畑は大抵本種に占拠されており、在来固有種の生育を阻害している[4]。

 世界の侵略的外来種ワースト100リストの1種に数えられているほか、外来生物法によって要注意外来生物に指定されている[4]。

 人間との関係[編集]

かつては多目的に有用、と、期待され世界の熱帯、亜熱帯地域において積極的に導入されてきた本種であるが、日本においては生活様式や農業形態の変革によって畑の緑肥や薪炭といった用途は無くなり、ミモシンの問題があるため家畜の飼料にも使えず、現在役立っているのは土壌流出防止と荒地の緑化用ぐらいである。

しかし短期間で成長しとめどなく増殖する性質があることから、そういった用途に用いられることもなくなってきている。それに輪をかけ同じく外来種である本種の天敵、ギンネムキジラミが本種の有用性をさらに毀損している。緑化や土壌流出防止用として意図的に植栽された本種が、キジラミの食害により一斉枯死して、一面が枯れ木で埋め尽くされたり、傾斜地が崩壊する危険性が出てきたからである。

 だが近年になってミモシンを醗酵過程で除去する技術が開発され、それと同時に本種に含まれるカルシウム、カリウムといったミネラルやタンパク質、食物繊維などが注目されるようになった。現在沖縄県では本種を原料に用いた茶などの健康食品が商品化され、みやげ物屋などで販売されている。

 なお本種が単年度あたりに生産するバイオマス量は、他の植物に比較してケタ違いであり、同様に過去に本種が移入された東南アジアの開発途上国などでは、本種の生産したバイオマスを積極的に利用している例もある。

 参考文献[編集]

1.^ クロンキスト体系ではネムノキ科とする。

2.^ a b c ギンネム 国立環境研究所 侵入生物DB

3.^ a b 村上興正・鷲谷いづみ(監修) 日本生態学会(編著) 『外来種ハンドブック』 地人書館、2002年9月30日。ISBN 4-8052-0706-X。 p.206

4.^ a b 多紀保彦(監修) 財団法人自然環境研究センター(編著) 『決定版 日本の外来生物』 平凡社、2008年4月21日。ISBN 978-4-582-54241-7。 pp.276-277

3:56 2016/09/27 


なぜ、中高一貫校で子どもは伸びるのか(祥伝社新書) 新書  – 2015/9/2

柳沢 幸雄 (著) 5つ星のうち 3.0

内容紹介 

優れているのには理由がある

日本の教育制度は今、大きく変わろうとしている。小中一貫、中高一貫、高大連携など、制度上の切れ目を解消する試みが進められているのだ。

しかし、海外も含め、長い伝統と実績を誇る中高一貫校こそ、子どもを伸ばす最良の環境である。自らも中高一貫校に学び、母校・開成学園の校長に就任した著者は、そう断言する。

では、なぜ伸びるのか――。本書では開成学園の実践例も織り交ぜながら、勉強法、課外活動、進路選択から親の役割にまで言及。

その具体的な記述は、中高生の子を持つ親の指針となるだろう。受験教育より、生徒の自主性を育む開成学園が成果を上げ続ける理由も、まさにそこにあるのだ。

内容(「BOOK」データベースより) 

日本の教育制度は今、大きく変わろうとしている。小中一貫、中高一貫、高大連携など、制度上の切れ目を解消する試みが進められているのだ。しかし、海外も含め、長い伝統と実績を誇る中高一貫校こそ、子どもを伸ばす最良の環境である。自らも中高一貫校に学び、母校・開成学園の校長に就任した著者は、そう断言する。では、なぜ伸びるのか―。本書では開成学園の実践例も織り交ぜながら、勉強法、課外活動、進路選択から親の役割にまで言及。その具体的な記述は、中高生の子を持つ親の指針となるだろう。受験教育より、生徒の自主性を育む開成学園が成果を上げ続ける理由も、まさにそこにあるのだ。  

新書: 192ページ出版社: 祥伝社 (2015/9/2)言語: 日本語発売日: 2015/9/2

目次

序 章 中学生から、教育は変わる

第1章 なぜ、中高一貫校で伸びるのか?

第2章 勉強法

 第3章 課外活動

 第4章 親の役割

 第5章 大学受験と進路選択

タイトルを「なぜ開成中高で子どもは伸びるのか」に変えていただきたく。

 

著者曰く「特別な受験指導はしていません。それでも伸びる理由があります」ということです。・・・・著者って、天下の名門中高一貫校である開成中高の校長先生(開成は東大合格者ランキング1位常連。毎年100人以上東大合格してる)。

ちょっと苦笑。開成中高に入学できる子たちって、親の所得・知的水準が日本平均よりかなり高く、小学校4年くらいからの塾での勉強で鍛えられ、それに勝ち抜けた層ってことですよね。そういう子たちに限定したら、中高一貫は優れているという結論はもちろん導きだせると思うのですが、一般論としてそこまで言えるかと言うと・・・・?? 

少なくとも、この本を読んだだけでは、答えは出ません。タイトルを「なぜ開成中高で子どもは伸びるのか」に変えていただきたく。 

いや、教育者の立場から、一般化出来るような大事なアドバイスもいっぱい書いてくれてるんだけど、著者が開成中高の校長で、このタイトルはいただけない。なので、☆3つくらい。

9:12 2016/09/21 


伝統を基礎とし 革新と創造の 魅力・活力・実力ある 京都大学を目指して

 京都大学は創立以来、自由の学風のもと闊達な対話を重視し、京都の地において自主自律の精神を涵養し、高等教育と先端的学術研究を推進してまいりました。

以来111年が経過し、京都大学は平成16年から国立大学法人京都大学となり、 法人化後中期目標設定および評価基準の導入など、国立大学時代とは異なる新たな制度・環境変化への対応に迫られています。

激動の変革期といえる今、自由の学風を継承発展させつつ、多元的な課題の解決に果敢に挑戦し、地球社会の調和ある共存に京都大学らしく貢献することに以前にも増して大きな期待が寄せられていることを強く自覚しております。

教育基本法第七条に「大学は、学術の中心として、高い教養と専門知識を培うとともに、深く真理を探究して新たな知見を創造し、その成果を広く社会に提供することによって、社会の発展に寄与するものとする」と明記されています。この基本法の精神において、第一の使命の教育は「知の伝承」を通して広く人材を育成すること、第二の使命の研究は、最先端の研究活動を行い「知の創造」、「知的体系の構築」のため深く真理を探究するということです。また、大学における創造的な研究活動は、その過程に学生たちを参加させ、人材を育成することが含まれます。このように、大学における教育と研究は車の両輪をなすものであり、不即不離でなければなりません。第三の使命の社会貢献にはいろいろな形態があり、知の社会発信、産官学連携、政策提言、附属病院の高度医療など多様な展開が可能です。

このように多様性を特徴とする大学の使命を果たすべく、時流に流されることなく、「凛」とした気概を持ち、学術の府として、その存在を国内外に示し、同時に京都という誇りと文化に満ちた環境下で、教養人、国際人、世界的研究者を輩出し続けることができるよう、京都大学を確固たる戦略のもとで運営していくことがいま求められています。

我が国および人類の将来にとって大学こそ知の源泉であり、衍沃な大地のごとく、人材と研究成果を生み出すための、もっとも必要とされる存在でもあります。

言うまでもなく、大学の根本は教育と研究です。それらが充実したものであるためには、教員、職員が誇りを持って仕事に取り組め、その中で優れた学生が育成され、そしてそのシステム自身が持続可能であることが必要です。人材こそが大学の最も大きな資産であり、現在のみならず将来の京都大学を担う優秀な教員、職員を確保、育成すること、ならびにこれら教職員を今以上に大切にする雰囲気を醸成することが最も重要な戦略的課題となります。すなわち、教員には教育や研究に専念できる抜本的な体制作りが喫緊の課題であると考えています。また、併せて、教育・研究・医療を支えるために職員が誇りと向上心を持てる体制を確立することに力を尽くす必要があるとも考えています。

そのため、大学として、教育支援、学生支援に加えて、確固とした財務基盤、研究支援、国際交流支援、環境施設整備を強化する戦略がなければなりません。

総長として私は、10年後の理想的な京都大学をイメージし、その理想の実現のために着実なアクションプランを立て、対話を重視しながら、全学の協力のもと、魅力・活力・実力ある京都大学を実現してゆく所存です。全学の皆様のご協力を切にお願いする次第です。

2008年10月

京都大学総長

松本 紘 京都大学についてのご提言、ご質問をお寄せください。一つひとつに返事することはできない場合もありますが、大学の運営のための参考にさせていただきます。ご提言、ご質問はこちらまでお寄せください。

socho*hq.kyoto-u.ac.jp (*を@に変えてください)

※必ずお名前と所属をお書きください。

9:01 2016/09/21

 

引用・

松本紘理事長記者会見・懇談会

松本紘 理化学研究所理事長の記者会見です。

https://youtu.be/5RxFljtsGKA

8:31 2016/09/21

 

寄附金~未来を、希望を、いっしょにつくる~理研では、法人や個人の皆様から、研究の充実・発展を目的とする寄附金をお願いしています。募集特定寄附金「視覚機能再生研究支援寄附金(通称:eye-pサポート)」の募集を開始しました。

 

高橋政代プロジェクトリーダー プロジェクトリーダー高橋 政代 (M.D., Ph.D.)概要

多細胞システム形成研究センター(CDB)では、『網膜再生医療研究開発プロジェクト(プロジェクトリーダー 高橋政代)』として、網膜自身の再生力やiPS細胞を用いた「疾患で失われた網膜機能を再生させる研究」を行っているほか、「あらゆる網膜疾患を対象とした治療法や早期発見のための検査法」、「視覚障害の方のための生活支援技術の開発に向けた研究」に取り組むこととしております。更なる研究の発展のため、皆様からのご支援をお願いいたします。

期間

平成25年11月15日から平成30年3月31日

網膜再生医療研究開発プロジェクトのサイトお申込みはこちら

募集特定寄附金 視覚機能再生研究支援(通称:eye-pサポート)

「臨床応用を目指した、こころの病(統合失調症、自閉症、気分障害)の原因解明と治療法開発」支援

理研創立百周年記念事業募集寄附金

使途特定寄附金 寄附者の方が応援したい研究テーマ等を特定する寄附金のお申し込み

一般寄附金 理研の研究活動全般を支援いただける寄附金のお申し込み

実績・使途(2015年度) 寄附の収支と御芳名のご紹介

寄附者特典 寄附者の会「理研を育む会」や税法上の優遇措置をご紹介

よくあるご質問 寄附金に関するよくあるご質問

お問い合わせ先外部資金室(寄附金担当)

Tel: 048-462-4955 Fax: 048-462-4950

 kifu-info [at] riken.jp

 [at]は@に置き換えてください。

http://www.riken.jp/about/support/

9:06 2016/09/21

 

http://www.riken.jp/pr/topics/2015/20150522_1/

 

松本紘(7)京大電子工学科 工学に「できない」は禁句 卒研 ...

www.nikkei.com/article/DGKKZO87781510W5A600C1BC8000

2015/06/06 · 高校3年になり、受験校を決めるとき気になったのは経済的な負担と卒業後の就職だった。「奈良県の自宅から通う」で東京大、「お金がかかりそう」で医学部、「就職が不安」で理学部や文系学部がそれぞれ選択肢から

http://www.riken.jp/pr/videos/president/

8:25 2016/09/21

 

2015.3.19 19:39更新

 

 

2015年5月22日

 

理化学研究所

 

松本紘理事長が「理研 科学力展開プラン」を発表・本日、松本紘理事長が記者会見を行い「理研 科学力展開プラン」を発表しました。

 

理研 科学力展開プラン

 

~ 世界最高水準の成果を生み出すための経営方針 ~

 

我が国がイノベーションにより、地球と共生し、人類の進歩に貢献し、世界トップクラスの経済力と存在感を維持するため、理研は、総合研究所として研究開発のポテンシャルを高め、至高の科学力を以って国の科学技術戦略の担い手となる。

 

そのため、大学と一体となって我が国の科学力の充実を図り、研究機関や産業界との科学技術ハブ機能の形成を通してこれを展開することにより、世界最高水準の成果を生み出すべく、次の五つの柱に沿って、高い倫理観を持って研究活動を推進する。

 

1. 研究開発成果を最大化する研究運営システムを開拓・モデル化する

 

理研全体の最適化に向けて本部機能を強化。また、定年制と任期制の研究人事制度を一本化し、新たなテニュア制度を構築する等、研究開発成果最大化のための研究運営システムを開拓し、国立研究開発法人のモデルに。

 

2. 至高の科学力で世界に先んじて新たな研究開発成果を創出する

 

社会ニーズに対応し、社会を牽引する研究開発を実施。そのため、基礎研究を深化させ、分野を越えた取組みを強力に推進。最先端で魅力ある研究グループ、大型研究基盤施設等を核として世界の優秀な研究者を糾合。これらによる至高の科学力で研究成果を創出。

 

3. イノベーションを生み出す「科学技術ハブ」機能を形成する

 

全国の大学と一体となって科学力の充実を図り、これを、国内外の研究機関や大学・産業界と形成する「科学技術ハブ」機能を通して展開し、イノベーションを生み出す。

 

4. 国際頭脳循環の一極を担う

 

グローバル化された国際標準の研究環境を構築し、優秀な外国人研究者にとって魅力ある研究所とし、我が国を世界的な頭脳循環の一極にしていく。

 

5. 世界的研究リーダーを育成する

 

短期的成果主義から脱却を目指し、優秀な若手研究者を長期的・安定的に雇用するシステム、キャリアパスを構築。国際的人事交流により、世界的研究リーダーを育成。

http://www.riken.jp/pr/topics/2015/20150522_1/

 

8:43 2016/09/21

 

理研の新理事長、前京大総長の松本氏起用へ

2014年9月30日、京都大総長の退任会見をする松本紘氏=京都市左京区

 

今月末で辞任する野依良治・理化学研究所理事長(76)の後任に、前京都大総長の松本紘(ひろし)氏(72)を起用する方向で政府が検討していることが19日、分かった。近く閣議で了解される見込み。

 

松本氏は京大工学部卒で専門は宇宙プラズマ物理学。京大超高層電波研究センター長、副学長などを経て平成20年に総長に就任。iPS細胞研究所の設立に尽力し、昨年9月に退任した。野依氏は15年に理研理事長に就任。在任期間が長く高齢であることを理由に辞任する。

8:25 2016/09/21

松木紘

 

伝統を基礎とし 革新と創造の 魅力・活力・実力ある 京都大学を目指して

                       

京都大学は創立以来、自由の学風のもと闊達な対話を重視し、京都の地において自主自律の精神を涵養し、高等教育と先端的学術研究を推進してまいりました。

 以来111年が経過し、京都大学は平成16年から国立大学法人京都大学となり、 法人化後中期目標設定および評価基準の導入など、国立大学時代とは異なる新たな制度・環境変化への対応に迫られています。

 激動の変革期といえる今、自由の学風を継承発展させつつ、多元的な課題の解決に果敢に挑戦し、地球社会の調和ある共存に京都大学らしく貢献することに以前にも増して大きな期待が寄せられていることを強く自覚しております。

 教育基本法第七条に「大学は、学術の中心として、高い教養と専門知識を培うとともに、深く真理を探究して新たな知見を創造し、その成果を広く社会に提供することによって、社会の発展に寄与するものとする」と明記されています。この基本法の精神において、第一の使命の教育は「知の伝承」を通して広く人材を育成すること、第二の使命の研究は、最先端の研究活動を行い「知の創造」、「知的体系の構築」のため深く真理を探究するということです。また、大学における創造的な研究活動は、その過程に学生たちを参加させ、人材を育成することが含まれます。このように、大学における教育と研究は車の両輪をなすものであり、不即不離でなければなりません。第三の使命の社会貢献にはいろいろな形態があり、知の社会発信、産官学連携、政策提言、附属病院の高度医療など多様な展開が可能です。

 このように多様性を特徴とする大学の使命を果たすべく、時流に流されることなく、「凛」とした気概を持ち、学術の府として、その存在を国内外に示し、同時に京都という誇りと文化に満ちた環境下で、教養人、国際人、世界的研究者を輩出し続けることができるよう、京都大学を確固たる戦略のもとで運営していくことがいま求められています。

 我が国および人類の将来にとって大学こそ知の源泉であり、衍沃な大地のごとく、人材と研究成果を生み出すための、もっとも必要とされる存在でもあります。

 言うまでもなく、大学の根本は教育と研究です。それらが充実したものであるためには、教員、職員が誇りを持って仕事に取り組め、その中で優れた学生が育成され、そしてそのシステム自身が持続可能であることが必要です。人材こそが大学の最も大きな資産であり、現在のみならず将来の京都大学を担う優秀な教員、職員を確保、育成すること、ならびにこれら教職員を今以上に大切にする雰囲気を醸成することが最も重要な戦略的課題となります。すなわち、教員には教育や研究に専念できる抜本的な体制作りが喫緊の課題であると考えています。また、併せて、教育・研究・医療を支えるために職員が誇りと向上心を持てる体制を確立することに力を尽くす必要があるとも考えています。

 そのため、大学として、教育支援、学生支援に加えて、確固とした財務基盤、研究支援、国際交流支援、環境施設整備を強化する戦略がなければなりません。

 総長として私は、10年後の理想的な京都大学をイメージし、その理想の実現のために着実なアクションプランを立て、対話を重視しながら、全学の協力のもと、魅力・活力・実力ある京都大学を実現してゆく所存です。全学の皆様のご協力を切にお願いする次第です。

2008年10月

京都大学総長 松本 紘

 

 京都大学についてのご提言、ご質問をお寄せください。一つひとつに返事することはできない場合もありますが、大学の運営のための参考にさせていただきます。

 ご提言、ご質問はこちらまでお寄せください。

socho*hq.kyoto-u.ac.jp (*を@に変えてください) ※必ずお名前と所属をお書きください。

http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/about/president/successive/president25/message.html

9/21/2016

 

運動プロデース業・

http://www.top-runner.co.jp/p02_walking.html

9/4/2016

長野県伊那小学校

 

入れ歯洗浄剤・キラリ

2・4鳩山元総理講演 「辺野古新基地の真相」(ノーカット版)視聴回数 4,417 回・・2016/02/06 に公開・主催 日本ジャーナリスト会議・マスコミ九条の会「最低でも県外」に固執した鳩山元総理が語る「辺野古新基地」の真相、ノーカット版。https://youtu.be/P83q7Ddyu-0

9:47 2016/08/19

 

マスダU.S.リサーチジャパン株式会社 http://chokugen.com

「時事直言」平成28年度一覧 1097号終戦記念日に思う・1945年8月15日、日本はポツダム宣言を受諾連合軍に無条件降伏した。

ユダヤ資本(イルミナティ主体)に洗脳されていた吉田茂は子飼いの部下の奥村勝三一等書記官(ワシントンDC在日本大使館)に宣戦布告書の米国務省送達を故意に遅らせたため真珠湾攻撃は「奇襲」となり米国民の対日憎悪を煽り、日本は敗戦し侵略国の汚名を規せられた。米政府の事実上お抱えの戦略立案機関であるCFR(外交問題評議会・ユダヤ資本主体)は憲法と日米安保によるアメリカの対日恒久支配体制を確立することを進言決め、GHQ(戦後日本の主権者)のマッカーサーに実行させた。吉田茂はマッカ―サー憲法を修正することなく受け入れ国会決議を経て1947年4月28日発布した。専守防衛の第九条と事実上対日占領条約の日米安保を恒久条約化する最高法規(憲法第九十七条)第二項(国際条約順守)で日本は完全にアメリカの属国になるよう仕組まれている。

 日本の政治は明治以来官僚主導であり、戦後日本の官僚は対米隷属を旨として、これに反する勢力や人物を排除して来た。(中川昭一の例を挙げるまでもない)

 日本の基幹産業の集合体である経団連を見ても徹頭徹尾対米隷属。

マスコミは言うまでもなくアメリカの対日プロパガンダの伝達役でしかない。

 日本国憲法自体がアメリカの対日占領政策の一環だから政・官・民・マスコミのすべてが対米隷属なのは当然である。がんじがらめの対米隷属体制が定着している日本に主権回復と独立の可能性はあるのだろうか。対米隷属憲法を一言一句改正もせず後生大事に守り続けている日本にアメリカから独立は不可能。

 憲法も、官僚機構も、民間機構も、マスコミ機構も、すべてアメリカが作った対日支配体制である。

 湯飲み茶わんを叩き壊すことが出来、又壊すことが許されるのは湯飲み茶わんを作った者だけである。日本の憲法も、官僚機構も、民間機構も、マスコミ機構も自ら変えることは出来ない。日本の独立はアメリカ次第、アメリカの国益次第である。アメリカは最近急に日本の再軍備を望み始めた。日本の再軍備とは自らの安全を自らの力で守ることだから自主独立である。アメリカの対日支配戦略の一環として日本に与えた憲法第九条の改正を望んでいる!

 日本を独立させることが何故アメリカの国益なのか。

アメリカにとって最大の相手は、対立するしないに関わらず中国である。

 中国のGDPも軍事費もアメリカを抜くのは時間の問題。

アジア・太平洋における中国の軍事覇権拡大は止まることを知らない。

 膨張する人民解放軍のガス抜きをアメリカではなく日本に向けるのが米中共通の国益なのである。だからアメリカは日中対立を煽り、中国に米軍の沖縄撤退の意志を伝える等まるでアメリカが中国の尖閣諸島占領を煽っているようだ。

アメリカから許された独立を梃に日本が真の独立を勝ち取るには人民解放軍の挑戦をはねのけて勝たねばならない。日中戦争が遅れれば遅れるほど日本の勝率は下がり、明日にでも中国の全軍事基地に奇襲をかけ壊滅すれば勝率は100%になる。対中戦争は、それが局地戦であろうと総力戦であろうと勝たねばならない。勝たねばアメリカから許されたつかの間の独立を真の独立に変えることは出来ない。負ければアメリカの属国から中国の属国に代わるだけである。

 終戦71年を迎え、日本が置かれている現実を知り、日本独立の為の決断をしなくてはならない。

19:26 2016/08/17

 

あなたと共に私龍郷町を元気で明るい社会にしませんか。協議「1.協議[名](スル)集まって相談すること。「対策を協議する」デジタル大辞泉

黙って寝てはいられない

平成28年8月13日

すごい力持ちの、地方議会議員の権限は、提案権、条例権、二つの代表機関の一つを、議決権が持ち、真面目な女性皆さんと国民との間で365日話し合いで真剣に考え、良い案件を作り、実行していくのです、話し合いで決めて、議員としての私が責任を持って、行政に執行をさせます。

 

下に・ハガキは後ほどの政策の結果が分かります保存をしておいて下さい。

8/12/2016

 

 

税金の使い方に不満はありませんか?龍郷町職員の大幅な削減で少数精鋭で、政策を決定し、町長が国民のためになる政策をとり行う。

 

 

余りにも税金を使う立場の職員が政策を決めて、説明もしないで、行政にも経営を取り入れないと、いけないと考えます。

政治はあなたが主役・地方議員は国民の声を、議員は国民の代表に過ぎないのですから、絶えず国民の納得のいく説明、をしなければならないのです。

国民とはゼロ歳から100ゆう歳全ての人を言います。

問題の多い現在は通年議会も、議員同士の議論を白熱する必要があります。

 

平成28年8月12日

追加・龍郷町の徹底的な合理化を行い、余裕のでた人員を龍郷町の20の集落に副町長待遇で、全ての案件を任して、地域住民とリーダーとして無駄はないか、稼げる案件はないか検討して経営活動にあたらせる。

広い龍郷町にはネットワークの循環バスを走らせる、これは大切なことがらです、秋名とか遠い人たちは、遠い距離をマイカーで移動する方法しかないので、公共のバスが必要です。これも雇用増につながります。

 

龍郷町議員は任期中は何事も、任期中はいつでも、国民とはゼロ歳から18歳までを指します、主権者に対し何事も話し合い、説明をして、国民に上下はないのですから、何事も相談して決定する民主主義の、行うことを・瀧田好治はお誓いいたします。

またこれまで龍郷町は龍郷町道を沢山作ってきましたが、これを利用していません、主なワークセンターからの農道・龍郷過疎基幹農道浦線、長さ1,550㍍幅は約8、㍍、大美赤尾木線これは太平洋岸海が綺麗な海岸線の6,946㍍これも人が一人住まない地帯に、何のために税金を使ったか分かりません、これを私は利用し活用すれば、大幅に働く場が発生します。

 

引用します・自治体をどう変えるか佐々木 信夫 (著)自治体においては議会は「脇役」の存在に過ぎなかった。だが、分権改革でこの制度は全廃された。議会は自治体の全ての業務に審議権も条例制定権も持ち、全てが予算審議の対象になった。不必要な仕事はなくすることもできるようし、予算を修正することも可能だ。まさに議会が地方政治の「主役」に躍りだしたのである。

・議会とは何か」・地方自治の政治機関は首長と地方議会である。議会には地域住民の意思と利益を代表し、条例、予算、主要な契約などを決定する役割と、それを執行する執行機関を監視する役割がある。さらに地域内の利害を調整し、地域社会をまとめ上げ安定させる役割もある。議会は討論に始まり討論に終わる。議会は「万機公論」に決するところに存在の意義がある。引用終わり

瀧田 好治ブログです

http://amamioosoma.synapse-blog.jp/yosiharu/2015/09/post-fe81.html

 

全国的にも評判のいい奄美大島・龍郷町を女性の皆様と協同して、お客様を楽しんで貰いませんか?LCCには家族連れが満席なるのに安価で泊まる、受け皿は、少ないので、龍郷町で、空き家を利用して、安価で楽しんでいただける、民泊を経営いたしましょう。私と協同で全国民を龍郷町に全国から奄美の豊かな海と山と川からの景観を、見ていただきリピーター客を増やします?

龍郷町の町づくりをやりませんか・瀧田 好治の性格は嘘をつけない、実行のみ、家計を守っている女性の皆様と、協同して働く場もうけて、例題として・・集落の水路で小型発電集落の安定した財源になります、空き家を利用して民泊を、川の土手を管理して水害のない、美しい桜並木を育てて、人々の癒しの場を設けて観光客と共々楽しみませんか?

龍郷町を雑草の耕作放棄地の無い集落美を作ろうではありませんか・大美川の土手を草木を取り除き、龍郷町ゴミの完全分別化を行い龍郷町のゴミ処理費をゼロにした上に・中間処理場で多くの人を雇用し、分別した品物は販売できます、生ゴミは堆肥化して、畑に取り入れ、お年寄りの生きがい対策に、野菜作りの人に安く提供し、海岸の清掃で浜遊びを、山林は昔の人はたきぎなどを拾い山が手入れされていました、昔の人が歩いた道を復活し、地元の人がガイド役として、トレッキングで健康で楽しく、人々の心を癒し?この仕事はほとんどが、女性向きの仕事です、集落の人々の生活が安定します、子育てのために手厚い資金を応援全国から若者が移住して来れる龍郷町にしましょう。

私は龍郷町議員候補者として、任期中は国民主権者との対話を欠かしません、お約束します。

 

鹿児島県大島郡龍郷町大勝3113-1

℡0997-69-3195

瀧田 好治のホームページです。

http://www5.synapse.ne.jp/takita/

メールアドレスです連絡をお待ちします。

takityosiharu@po.synapse.ne.jp

瀧田 好治

平成28年8月9日 火曜日

平成28年8月12日 金曜日

 

選挙ポスターと選挙はガキに入れられませんか?

amami@shinsei-p.co.jp

http://www.shinsei-p.co.jp/2015年10月18日 (日)

自治体をどう変えるか (ちくま新書) 佐々木 信夫 (著) 第1章 変化する行政環境・地方自治は、住民の幸せと魅力ある地域をつくることが狙いだ。これからは国の指導で地方自治を営むのではなく、自前の政策をつくり、地域をつくっていく時代である。18頁・

地方自治は、住民の幸せと魅力ある地域をつくることが狙いだ。これからは国の指導で地方自治を営むのではなく、自前の政策をつくり、地域をつくっていく時代である。18頁・

・「人口減」前提・

これからは「自己決定・自己責任・自己負担」を原則とする地方「自治」の論理が作動する。「執行あって経営なし」、「行政あって政治なし」問われた戦後地方自治の大きな転換期である。

http://amamioosimasanrinha.synapse-blog.jp/takita/2015/10/1-18-833c.html

7:53 2016/08/12

 

16/8/10 2時30分

引用


スピード感もち取り組む・三反園訓氏インタビュー・

28日に知事に就任する三反園訓氏(58)が24日、読売新聞のインタビューに応じた。県民の声を聞きながらスピード感を持って県政の課題取り組むとし、「即戦力」の女性を副知事として起用したい意向も明らかにした。一問一答は次の通り。

指宿市出身。早大教育学部を卒業し、テレビ朝日に入社。政治部記者として国会取材などを手がけ、ニュース番組にコメンテーターとしても出演した。今年2月に退社し、今月10日に投開票が行われた知事選に立候補。42万6,471票を獲得し、4選を目指した現職を8万4,000票差で破った。

座右の銘は「敬天愛人」

 ・・選挙戦で40項目の公約を掲げた。何から取り組むか。

・三反園・「子育て支援や医療貧困対策、若者の雇用など、当事者にとっては、どれも待ったなしの状況だ。市町村と連携し生活困窮者世帯の学校教育無料化や新たな大学奨学金制度の創設など、全てにおいて、できるだけ早くやらないといけない。

県庁にはいろんな部署があるので、同時並行的に取り組む。農畜産物や観光もPRし、県民の所得向上を図りたい」

・・県民の声に耳を傾ける姿勢を強調している。具体的な方法は。

・知事・「県民の声を聞く「車座知事」を目指している。選挙中「知事を見たことがない」との声を聞いた。そこで、各地で地域を代表する区長さんら20~30人に集まっていただき、畳に座ってあぐらをかきながら、なんでもいって貰えるようにしたい」

・鹿児島県議会の最大会派である自民党議員団は、選挙戦で一騎打ちの相手である現職を推薦した。

・知事・「戦いが終わればノーサイド。対立からは何も生まれない。鹿児島県議会も県民の代表であり、県民のための政治をやるのは鹿児島県知事と同じだ。鹿児島県議会と意思疎通や意見交換を積極的に図りたい」

・・現在は鹿児島県庁の生え抜きと総務省出身の計2人の男性副知事がいる。

・鹿児島県知事・「女性の視点に立った施策を作るべきだ。副知事に女性を今日することを検討したい。重要なポストなので、即戦力でないといけない」

・・九州電力に対し、8月中にも川内原子力発電所の停止を要請する方針を示している。

・鹿児島県知事・「熊本地震を受け、川内原発の運転に不安を抱く鹿児島県民の声を聞いた。その不安に応えるのが、トップの役割だ」

・・改めて鹿児島県知事就任への思いを。

・鹿児島県知事・「鹿児島県民は「鹿児島を元気にしてほしい」との思いが強い。その思いに応えないといけない。民間では「どうやったらできるか」を考え、答えと結果を出して次のステップに進む。それを鹿児島県庁でもやりたい。前例主義ばかりでは続かない。農畜産物も水産物も、鹿児島にはよいものがいっぱいある。自ら情報発信をしていきたい。

県民の生活が少しでも良くなる湯全力で頑張る」

三反園訓さんへ・鹿児島県知事選を一人で戦うな?すぐに鹿児島県民の対話を・

http://amaminagata.blog.fc2.com/blog-entry-946.html

 8:16 2016/07/27

平成28年7月27日


 平成28年3月27日 日曜日

奄美大島総合戦略を策定・

5市町村・連携を確認・

奄美大島五市町村議員

が広域的に連携して地方創生に取り組む「奄美大島総合戦略推進本部」の2015年度最終回が25日、奄美市名瀬のAIAI広場であった5市町村の将来目標人口を


オ-イ・鹿児島県知事候補の三反園さん・一日も早く・鹿児島県人との対話をして頂きたい・ウエブ上でいいのです・

民主主義のわかる鹿児島県知事を出したい・鹿児島はアジアの中心で発展するのを指導者がいないのです?

 

鹿児島県大島郡龍郷町大勝3113-1

滝田 好治0997-69-3195

takita@po.synapse.ne.jp

3/7/2016 5:32:57 AM

 

三反園氏が立候補表明 鹿児島知事選・2016年1月1日05時00分  

 今年7月に任期満了を迎える鹿児島県知事選に、テレビ朝日コメンテーターの三反園訓(みたぞの・さとし)氏(57)が無所属で立候補すると31日、表明した。同知事選での立候補表明は、4選をめざす現職の伊藤祐一郎氏(68)に続き2人目。

三反園氏が立候補表明 鹿児島知事選

http://www.tv-asahi.co.jp/

 

 

呼びかけます・

三反園訓さんへ・鹿児島県知事選を一人で戦うな?すぐに鹿児島県民の対話を・

鹿児島県の将来を担う大統領的な県知事・

 

鹿児島国民の・個人から・少額な政治献金を・クレジット決済で・

鹿児島全部の市町村を回って・訴えてください・相手は自公・鹿児島の利権でつながって・全市町村長が推薦している・

 

政策・鹿児島県庁の役人は・市町村に回して・鹿児島県職員は・市町村のやる仕事とダブり大いなる無駄だ・

・教員と・警察官は・市町村職員に・

・鹿児島県は・余りにも能力もないのに、鹿児島空港を管理天下りの巣に・奄美空港・徳之島空港も鹿児島県知事が取締役を務めている・宮城空港並みに完全な民間空港化・大幅に経済効果大。

・鹿児島県民は・分かっている・三反園訓さんが・呼びかければ・共に戦ってくれる。

・前の選挙では・三反園訓さんは無名なのですから・新聞広告ですべてをさらし出してください・北は長島・南は与論までの国民が見守っているのです。

鹿児島県大島郡龍郷町大勝3113-1

滝田 好治

0997-69-3195

takita@po.synapse.ne.jp

 

平成28年2月27日

 

 

差出人: 神野藤 浩和

<kannoto-hirokatsu@vill.otama.fukushima

.jp>

送信日時:      2016年2月25日木曜日 11:13

宛先:   takitayosiharu

件名:   Re: 大玉村応援団

添付ファイル: SKMBT_C36016022510470.pdf

 

滝田 様

 

お問合せ頂きまして有難うございます。また、ふるさと納税において大玉村をご支援いただき重ねて感謝申し上げます。さて、「おったまげた肥料」は国分農場で作っております。下記を参照していただければ、必要な情報が掲載されていると思われますのでお問合せください。

http://www.kokubunnojyo.com/

今後とも、大玉村の応援団としてご支援宜しくお願い致します。

otama otama otama otama otama otama

 

大玉村役場総務部政策推進課広報係

係長 神野藤 浩和

Tel0243-24-8098 Fax0243-48-3137

〒969-1302 

福島県安達郡大玉村玉井字星内70

★世界初!H27.10.26にマチュピチュ村と友好都市を締結しました。

★大玉村は「日本で最も美しい村」連合に加盟しております。

★「がんばろう大玉」ふるさと納税応援寄附をお待ちしております。


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2016年3月11日 (金)・・田雲川・古代より橋はかからない・奄美市名瀬崎原田雲・奄美振興事業・鹿児島県離島振興課が戦後橋と道路のネットーワークを怠ってきた、日本国税を2兆円以上無駄に使われてきた、この地点は奄美大島の真ん中これが切れているために・奄美群島の経済効果は、計り知れない・民主主義国家では・国民主権者に決定権があります。奄美振興の悲劇・地元民の思考は入れられない・官僚の考えが決定?!

http://amamioosoma.synapse-blog.jp/yosiharu/2016/03/post-9f8f.html

8:52 2016/06/18


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鹿児島県大島郡龍郷町戸口川・橋のバブル・鹿児島県の作業で・

奄美群島広域組合は機能していない・機能させれば・鹿児島県の職員の手当で完全雇用が実現する・戸口川の三連の橋をご覧下さい。

クリックすると大きな写真が・左端は人が通る橋¥1億2千万円龍郷町で!?

真新しい橋・と古い橋は鹿児島県土木で・一本1億2,500万円なり・これでは国民生活が豊かにならない!!

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奄美群島広域組合は機能していない・機能させれば・鹿児島県の職員の手当で完全雇用が実現する・戸口川の三連の橋をご覧下さい。

クリックすると大きな写真が・左端の黒い橋が人が通る橋¥1億2千万円龍郷町で!?

真新しい橋・と古い橋は鹿児島県土木で・一本1億2,500万円なり・これでは国民生活が豊かにならない!!平成28年6月24日 金曜日 

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田雲線・田雲川・  

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