« 「シュタットベルケ」はドイツ語で「都市公社」を意味する言葉で、電気・ガス・水道・交通などを一括して提供する自治体出資型のサービス藤原 忠彦 長野県川上村長。1988年川上村長に就任。長野県町村会長,全国町村会理事・行政部会長を務める。 全村のCATV導入など農業情報ネットワークシステムの構築や村営バスの運営、24時間図書館、森林文化の発信など先進的な村づくりで注目されている。地域づくりは人づくり・176・ 「都会の女子学生が、夏休 三反園訓さんへ・鹿児島県知事選を一人で戦うな?すぐに鹿児島県民の対話を・ | メイン | 序章 浮上してきた「特別会計」問題―官僚の意のままに使われる国家予算・15頁・ブログ1に・番組・ »

2016年11月 7日 (月)

ザイム真理教・ぶつ壊します!2023年度・大勝・川内集落敬老会寄付者名簿、受付名簿順・原タカシ・龍郷町活性化には・行程表を・設計図が必要。川上村は貧しい寒村でした。 交通、高齢化、国際交流で「川上方式」・23・「農業の情報ネットワークシステム」を導入・27・– 2009/1/14 藤原 忠彦 (著)


令和5年度大勝種下ろし寄付者名簿・瀧田8万円・


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消費税を5%に引き上げるまで、日本の実質賃金は上昇していた・

図表6・実質賃金と消費税率との関係・99頁・

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ザイム真理教・国民負担率の推移・図表8・128頁・

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日本は重税国家・図表9・国民負担率の国際比較・

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日本が重税国家に変貌するまで・図表10・130頁・

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なぜ日本は30年間成長できなかったのか・図表11・消費税導入前(2021年度)の家計比較・

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2023年10月6日


2023年度・大勝・川内集落敬老会寄付者名簿、受付名簿順・原タカシ

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  鹿児島県・市町村への権限移譲


 市町村への権限移譲については,平成17年7月に策定した「権限移譲プログラム」に基づき,「住民に身近な事務は,可能な限り住民に身近な市町村において処理することが望ましい」との基本的な考え方のもと,市町村の移譲希望を募った上で,協議を行い,協議が調った市町村に権限移譲を行っています。

 平成29年4月からは,25市町村に対し,新たに22法令239事務が移譲されるところであり,これまで移譲したものを加えると,移譲対象事務の約6割となる51法令531事務が移譲されることとなります。

各種手続きの窓口がより身近に(平成29年4月から窓口が変更になります)

権限移譲プログラムに基づく権限移譲の概要

権限を受け入れた市町村の主な取組

 また,国では,住民に最も身近な行政主体である市町村が,地域における行政の自主的かつ総合的な実施の役割を担えるようにするため,都道府県の事務・権限の市町村への移譲等の取組を進めています。

法令による市町村への権限移譲の概要

 各種手続きの窓口がより身近に(平成29年4月から窓口が変更になります)

「権限移譲プログラム」に基づく権限移譲により,平成29年4月から一部手続きの窓口が県から市町村に変更されます。

 権限移譲プログラムに基づく権限移譲の概要  

基本的な考え方「住民に身近な事務は,可能な限り住民に身近な市町村において処理することが望ましい」との基本的な考え方のもと,

1.一律ではなく,意欲のある市町村に権限を移譲

2.10万都市(鹿屋市,薩摩川内市,霧島市)に対し,合併後の自立的なまちづくりを推進するための権限を移譲

移譲対象事務「まちづくり」・「生活環境」・「福祉」など『70法令86項目890事務』(平成29年4月改訂)

権限移譲プログラム(PDF:693KB)

 

8:16 2017/07/10


本茶眺めいい場所、ギンナムの根堀、黒土、2021/03/17 19:18


2016年2月 5日 (金)公共交通ネットワークの最適化 地域の観光産業への参画と貢献 環境適応型の新しい交通システムの確立 公共交通ネットワークの最適化
6:35 2018/10/04



アマシンは・弊害・・2014年8月 3日 (日)これ竹田氏に送る・日本列島創生論 地方は国家の希望なり石破 茂 (著) これで日本は甦る。第1章・サービス産業と自治体経営・「お役所」から「サービス創造企業」へ・引用 よい資料が・参考にして龍郷町の女性を味方にしましょう? 第1章・サービス産業と自治体経営・「お役所」から「サービス創造企業」へ・清水聖義・17/4/23 5時37分
7:21 2018/10/04


オーシャンハイウェイ・龍郷町・崎原境界・懇談会・大勝集落の中心に天理教教会をみなで活用できるように?総理大臣に捧ぐ。日本国憲法第21条・集会結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。2・検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。
4:19 2018/10/04


なんでも言ってきてください・私は・全ての皆さんの代表です。 


民主主義国家では・選挙で代表を選ぶ・嘘をつかない・言ったことはやる人物次第で良くも悪くもなる・やることをやらない町長では・龍郷町民は苦しみを味あう


町長と・議長が・外出をしてほとんど龍郷町に不在で・町民との対話が出来ません?これでいいのですか?!!平成29年8月2日


龍郷町活性化には・行程表を・龍郷町民の将来の不安をとり除く?

私どもの税金保険料の予算を・一銭の無駄のない?使われ方をします・議会議員も一人一人が龍郷の代表です、町民との間の困りごとをメールアドレスを持ってもらい、主権者との意見を受け入れてもらい・主権者に丁寧に回答しこれを龍郷町町民に公開します・?


第一は・行政改革・町長が陣頭指揮して・庁舎の入り口に町長が陣取って働く役場に?


第二は・職員の仕事の効率を図る国際基準のISO9001の取り入れる?


第三は・耕作放棄地をゼロに・・・・龍郷町長の責任で若者に放棄地を貸し出す事業を・全国の有能な若者を各集落に住宅を用意する・・これは投資と考えて・町民の投資資金で賄えます。


今までに龍郷町の作ってきた道路に面した土地の活用を民間企業・に活用させる・経済効果抜群・牧畜・林業・民宿・20の集落を小型バスで・

龍郷町には約100台の自動車が要らなくなり・

龍郷町の予算に余裕ができる・龍郷町民の移動の自由が保障される・若者の雇用が発生し・龍郷町町民の・連帯感を育成?


美しい大美川・半田川・両岸の土手の手入れ・土手は水害などを防止する大切な公共財産・人々の憩いの場です・

装置です・絶えず国民の目が届かし・痛んだら・手入れをして桜を植えれば観光資源・


龍郷町には龍郷町の山まであります・高いところでの農業はよい作物が作れるし?

農業の専門家を全国から公募し雇う?



龍郷町長の歳費は?

龍郷町の皆さま・町長は歳費に対する・仕事をしているとは思いません?

町長給与総・所得¥9、334.468円・

46万円引くと・龍郷町町長年俸¥8,874,468円

②取締役報酬について・

・奄美空港ターミナルビル(株)取締役・JAC:年間36万円

・中央青果:取締役・年間10万円よろしくお願い致します。

町長の退職金(1期)¥15,220,000円

龍郷町・ふるさと祭り協賛会補助金¥1,500,000円

平成29年7月26日


龍郷町には耕作放棄地をゼロに・龍郷町長の第一の仕事だ?

龍郷町主権者は、これを求めなくては、世の中は何も変わらない。

http://amamioosoma.synapse-blog.jp/yosiharu/2016/11/2500-2009114-8dfe.html


 忘れていた一番大事な広域組合の仕事です奄美市と龍郷町の仕事・田雲川に橋を架ける・田雲線を舗装して・奄美大島の物流を活性化?

行程表・計画している物事の日程や道のり、流れなどを表で示すもの。行程をまとめた表。


http://www5.synapse.ne.jp/takita/

2017/07/14(金) 05:00




  木佐茂男

http://jp.hao123.com/yahoo-search-demo-sample?query=%E6%9C%A8%E4%BD%90%E8%8C%82%E7%94%B7&pn=1

4/16/2017

 集草機(CG670アタッチメント) (HM1802C

「乗っているオペレータを中心に、草刈の全てを考える」をコンセプトに、その動作・作業性などをゼロから見直し、世界に類をみない画期的なデザイン・機能の雑草刈車が誕生! 男シリーズ

http://www.canycom.jp/products/series/kusakari.html

 20:34 2017/04/14

http://www.canycom.jp/products/category/naming/bushcutter-george/

 20:28 2017/04/14


2016年3月27日 (日)2016年までのブログページをいれて索引・

http://amamioosoma.synapse-blog.jp/yosiharu/2016/03/post-af38.html

16:50 2016/11/02


単行本: 164ページ出版社: ソリック; 初版 (2009/1/14)

言語: 日本語・発売日: 2009/1/14目次


はじめに・5頁・


単行本: 164ページ出版社: ソリック; 初版 (2009/1/14)

言語: 日本語・発売日: 2009/1/14目次


島崎藤村は、「千曲川のスケッチ」で川上村を「信州の中でも最も不便な、白米はただ病人に頂かせるほどの貧しい、荒れた山村の一つ」と記しています。このように、かつての川上村は貧しい寒村でした。

それが今や、日本一のレタス王国になりました。607軒の農家の高原野菜の販売額は約百五十五億円と、平均収入は二千五百万円(平成19年度実績)を超えています。その農業従事者は三十代が十四・一%(全国平均は三・三%)、四〇代が二二・六%(同六・一%)と、まさに働き盛りが農業に取り組んでいます。

日本では、高度経済成長期を境に急激に若者の農業離れが進み、今日では、多くの農山村が、過疎化、高齢化、後継者難などの問題を抱えています。農林水産省の2005年農林センサスによると、近年、農業従事者数の減少が鈍化し、新奇就農者も増えていることが分かりました。5・


6頁・ところが、新規就農者と言ってもそのほとんどは、定年退職を迎えた団塊の世代であり、農業就業人口に関しては六十五歳以上のいわゆる高齢者がむしろ増えています。


後継者のいない産業はやがて衰退します。安全でおいしい食料や、やはり国産が一番です。農山村が果たす役割には、「食料の供給」のほかに、「自然環境を守ること」と「現代生活に疲れた人々に癒しを与えること」があるのではないかと思います。そういう意味で、農山村は「屋根のない学校」であると同時に「屋根のない病院」でもあるのです。

人、物、金のすべてが東京に集まる一極集中により、農山村ばかりか地方都市も疲弊し、東京と地方との経済格差が大きな問題となっています。この問題を解決するには、地方は、ミニ東京をつくるのではなく、特色のある地域づくりや他の産地に負けない特産品で活性化することが大切です。6・


7頁・そのためにはどうすればいいのか。地方の自治体の行政に携わっている方々の多くが頭を悩ませているのではないでしょうか。村営バスの運営や農村の情報化、さらにはヘルシーパーク構想や24時間オープンの図書館など、私が行ってきた「村づくり」をご紹介することで、少しでもそうした方々の参考になれば幸いです。

1988年に川上村長に初当選し、ちょうど20年という節目を迎え、私が何を考え、どのように行政を行ってきたのか、いわば「村づくり」の軌跡を一冊の本にまとめました。先進的なことを行うには、誰がやったことをまねるのではなく、独自の方法を見つけることが大切です。

・地球温暖化をストップさせ、安全な食料を確保するためには、常々私は、農業や林業の復活がカギになると思っています。二酸化炭素の削減も大切でしょうが、最も大切なことは、農業や林業を現代に、いえ未来に渡って蘇らせること。7・


8頁・16/11/7 4時36分・

農業は私たちの命を守る「生命産業」であり、林業は自然環境や水を守る「生命維持産業」であるからです。

・いま、日本は大きな転換期を迎えています。本書を読まれることによって、みなさんが農山村の役割や農林業の産業として大切さを考えて頂けるきっかけになれば幸いです。

いままで私がやってこれたのは、周りに私を支えてくれる役場の職員を始め、信頼してくれる村民のみなさん、そして妻のおかげと感謝しています。

・私はこれまで、数え切れないほど多くの方々のお知恵などをお借りして働いて参りました。

・中でも、アサヒビール飲料元会長でアサヒビール名誉顧問の中条高徳さん、入運輸省事務次官で日本海事センター会長の松尾道彦さん、旧通産省事務次官で石油資源開発会長の棚橋裕治さん、旧大蔵省主計局司計課長・総括主計官で元東北銀行頭取・会長の加藤剛一さん、法政大学筆頭理事の河瑞照孝さん、旧建設省事務次官で(財)不動産適正取引推進機構理事長の。8・


9頁・挙げたらきりがありません。こうした多くの皆様の中には、いわゆる「川上サミット」のメンバーも少なくありません。大所高所から川上村や私を応援して下さる「在郷川上応援団」の役割を果たして頂いております。

・川上村が今日のように大変身を遂げることが出来ましたのも、皆様のおかげでした。この場を枯れて、改めて心から御礼申し上げます・

2009年1月

長野県川上村長・藤原忠彦・

平成28年11月7日 月曜日 


第1章 "強い農業"への大変身・17頁・

寒村が年収平均2500万円に・18・


交通、高齢化、国際交流で「川上方式」・23・

交通、高齢化、国際交流で「川上方式」・23・

私が「村づくり」を行う上で、基本理念として掲げたのが3つの「コウ」と「三風の原則」でした。3つの「コウ」とは、交通、高齢化対策、交流です。

・人口が多い都市部では、バスや電車、地下鉄と言った公共の交通網が発達しています。ところが、人口が少ない地域は、バスや電車などの公共路線は採算が取れず、廃止に追い込まれがちです。

公共の交通網が廃れると、地域の生活が不便になるだけではなく、過疎化に拍車をかけることになります。そこで、私は昭和57年当時赤字だった民間の路線バスを村で引き受け、村政バスとして走らせることにしました。

・村営バスならではと言うことで、保育園や小中学校のスクールバスも金、利用しやすいようにさまざまな工夫をすることで、黒字化に成功。そのやり方は「川上方式と呼ばれ、全国的に有名になりました。23・


24頁・2つめの高齢化対策。私は、七十五歳以上は後期高齢者というように年齢でひとくくりするのではなく、いかに健康で元気な高齢者が多いか、いわば、「健康老齢化率」を重視すべきだと思っています。

・そのためには、保険、福祉、医療の一本化を図り、老化を遅らせる対策を講じつつ、高齢化社会に対応する福祉活動や介護支援を推進する拠点が必要だと考えました。それに加え、子供や障害者を含めたすべての村民の心身の健康増進にも活用できる施設であることも。それを実現するための構想を「ヘルシーパーク構想」と名づけて策定し、その構想に基づいて造ったのが、「ヘルシーパークかわかみ」です。

そこには、診療所とデイサービスセンターの他に、大浴場やトレーニングルーム、村の保健福祉課や在宅介護支援センターなどがあり、医療と行政がタッグを組んで、村民の健康作りを目指しています。24・


25頁・3つめの「交流」ですが、経済活動のグローバル化は農業も例外ではありません。経済発展著しい中国やインドを中心にアジアでも富裕層が増え、安全で質の高い日本の農産物の人気が高まっています。価格が高くても安全性と品質の良さで海外でも勝負できる次代がやってきたのです。

・これから日本の農業は、国内という狭い視野だけに止まらず、世界を相手に勝負する、そんな気概を持つことが大事です。25・


26頁・つまり、村境、県境、国境を越えることで意識の転換を促すと言うことです。そのために、他の地域との交流はもちろん、国際交流を積極的に行ってきました。

・特に、アメリカの野菜産地、カリフォルニア州ワトソンビル市とは20年前から姉妹都市として連携し、海外研修やホームステイなどにより村民の多くが海外体験をしています。中国からは毎年600人以上もの研修生を受け入れています。

三風の原則とは、風土、風習、風味の3つ。どの地域にも風土に育まれ他風習や風味があります。川上村にも村独自の風土、風習、風味がある。それが村の個性であり、その個性を大切にし、次の世代に残していきたいのです。それが私の村づくりの根幹となっています。これらにつきましては、詳細は後述いたします。26・


「農業の情報ネットワークシステム」を導入・27・


平成28年11月7日・

川上村役場の標高は1,185㍍。これは市町村役場の所在地としては日本一の高さであり、村の平均標高も1,270㍍とまさに川上村は高原の村です。しかも、真夏でも平均気温は20度前後と涼しく、冬季は毎なく20度近くまで冷え込み、年間の平均気温は8・1度という寒冷な気候です。そのため稲作や過重の栽培などには適さず、昔は細々とカラマツなどの育苗や林業で暮らしていました。

・かつて小諸に滞在したことのある島崎藤村は、「千曲川のスケッチ」で川上村を「信州の中でも最も不便な、白米はただ病人にいただかせるほどの貧しい、荒れた山奥の一つ」と記しています。まったくその通りで、当時の川上村は貧しい村でした。27・


28頁・そんな厳しい気象条件の川上村に一大転機が訪れたのは、1,950年代に入ってからです。日本の隣国、朝鮮半島で動乱が起こり、それを鎮めるために国連軍が乗り出したのです。

国連軍の中心となったのがアメリカ軍で、日本は軍需物資を提供することになり、この特需が戦後の経済復興のきっかけとなりました。この時に川上村では、アメリカ軍の兵士に食糧を提供するためにレタスを栽培するようになりました。

このレタス栽培が村の農業を豊かにする原動力となったのです。朝鮮動乱を契機に日本は経済復興を遂げ、高度経済成長期へと突き進んでいきます。同時に、食の欧米化が進み、国内でのレタス需要も急増していきました。

・稲作にも適さないような高冷地という厳しい気象条件が、むしろレタス栽培に適していたことと、うまく時流に乗ったこともあり、川上村は日本一のレタス王国になりました。28・


30頁・・行政の長としての私の使命は、日本一のレタス王国を築き上げた村の農業をさらに発展させることでした。取れたての新鮮なレタスをいち早く市場に出荷するためには、生産や流通の現場における情報の活用が不可欠です。そういう意味で近代農業は情報産業とも言えます。

・そこで、私は企画課長の時から全村を挙げての情報化を進めてきました。全国に先駆けて村のすべての家にケーブルテレビを導入し、「川上村農業情報ネットワークシステム」を構築し、気象情報や市況情報などを流すことが出来るようにしました。天候に左右される農業では、いち早く気象情報を知ることが何よりも大切です。気象衛星により、計画的な出荷時期の調整が可能になるからです。現在では村内3ヶ所に農業気象ロボットを設置して、その観測データからより詳細できめ細やかな情報を提供しています。30・


平成28年11月7日・

ここまで

 

 

ここまで・

 

 

 


「農業の情報ネットワークシステム」を導入・27

村のカラマツで中学校を建設・31・

農業、林業学ぶ県立村営高校を構想・33頁・

図書館を24時間オープンに・35頁・

「川上村のレタスはおいしい」のための工夫・38頁・

台湾への輸出を足がかりに世界へ・41頁・

第2章 水田からレタスに転換・43頁・

レッドパージを受けた父親が急死・44頁・

戦後の農地改革で残った土地を守れ・47頁・

担任などの強い制止振り切り高校中退・51頁・

高校中退で自棄になった時期もあった・54頁・

水田から高原野菜への第一歩・56頁・

寒冷地対策で大型トラクターを導入・59頁・

村の臨時職員から正規職員へ・61頁・

第3章 川上村が中央官庁を動かした65頁・

寒冷地の悪条件を逆手にとった高原野菜・66頁・

赤字民営バスを村営で黒字化した・67頁・

村営バスは「川上方式」と呼ばれるまでに・70頁・

レタス王国の陰りで農業の情報化に取り組む・73頁・

小さな村パワーが中央官庁、国を動かした・76頁・

農家の視聴率100%の市況情報・78頁・

第4章 川上ブランドを世界へ81頁・

若手農業後継者グループから村長に推される・82頁・

風呂場で背中を流されながら受けた"出馬の決断"・84頁・

高齢化対策の施設に命を吹き込む86頁・

米カリフォルニア大学と新種を共同開発・89頁・

台湾輸出に続き、香港、シンガポールへ・91頁・

通称「川上サミット」が大きな支えに・94頁・

地域住民と密着した地方行政・96頁・

「一家総出で畑に立つ」家族・98頁・

第5章 農業と林業に特化・101頁・

農村自身の文化を発信する・102頁・

リゾート法の指定を敢えて返上・103頁・

ゴルフ場は農地への転用可能を条件に"貸し出し"・105頁・

1億円の「ふるさと創生」は村民主体の文化活動に・107頁・

24時間オープンの図書館用にIDカード・110頁・

林業は"生命維持産業"・113頁・

森林は屋根のない「教室」「病院」・113頁・

第6章 "川上犬"は村民の心の支え・121頁・

戌年の干支の顔として上野動物園に紹介された川上犬・122頁・

戦争中に出された「犬猫供出令」「撲滅令」・124頁・

学術的な価値に気づいた父親が保存会を結成・129頁・

父親の想いを継いだ奇跡・131頁・

保存運動の再結成に約30名が参加・134頁・

"不可能"を可能にした保存運動・137頁・

海部元総理の愛犬「ネネ」・140頁・

第7章 都市と農村の融合を目指して・147・

40%まで下がった食料自給率のままでよいのか・148・

自然への回帰へ、農山村の役割・153頁・

行政に哲学が求められる時代・156頁・

巻末特別収録・藤原忠彦・長野県川上村長・対談・中村哲雄(社)葛巻長畜産開発公社顧問岩手県葛巻町前町長・159頁・

「農山村はかくて変わった」月刊誌「致知」2009年7月号より転載・

付録・資料編・183頁・

平成28年11月7日 


町民憲章は、合併20周年を契機によりよい町づくりを目指す町民の合言葉として、昭和50年5月15日の第27回臨時町議会において決議されました。


○昭和50年(1975年)5月15日制定

葛巻町は、雄大な北上山系の山ふところにつつまれた、自然のきびしい町です。

わたくしたちは、先人のたくましい意志を受けつぎ、町民の限りない幸せを願い、住みよい町づくりをめざして、この憲章を定めます。


第1章

幸せな輝かしい未来のために、たくましい体力と気力、知性と創造性に満ちた人を育てる、教育の町づくりにつとめます。


第2章

明るく楽しい生活のために、きまりを守り、温かい心をもって、互いに助けあう、福祉の町づくりにつとめます。


第3章

豊かな美しい郷土のために、自然を愛し、資源の活用に力を合わせて、生き生きと働く、産業の町づくりに努めます。


 関連ワード全国の山村のモデルとなる

一歩先行くまちづくりを目指して


葛巻町長 鈴木 重男

・・北緯40度、岩手県の東北部にある葛巻町。町の面積の86%を緑豊かな森林が占め、標高1,000m級の山々に囲まれた高原風土が漂う酪農と林業の町で す。町の持つ多面的な資源と機能を最大限に活用し「ミルクとワインとクリーンエネルギーのまち」として、この山村でしかできないことに挑戦しています。

・・私たちは、先人から生きる知恵や豊かな自然を受け継いできました。先人は、その時々を懸命に生き、まちの歴史や文化、財産を築き上げ宝として残してくれました。今を生きる私たちには、先人が残してくれたこのかけがえのない宝を次の時代につなげる使命があります。全町民が幸せを実感できる確かな未来を築くため、今日という今を明日という未来に伝えていかなければなりません。

今、日本は人口減少の時代を迎え、本町にもその大きな波が押し寄せています。地方経済の活性化と人口減少問題を克服するために産業振興対策や定住対策のほか、葛巻高校山村留学制度の創設や新葛巻型酪農構想の推進など、葛巻だからこそできる、葛巻にしかできない「地方創生」に果敢に挑戦し、「全国の山村のモ デルとなるまちづくり」を目指してまいります。


 21世紀の地球規模での課題とされる「食糧・環境・エネルギー」のすべてに貢献できるのは私たちが住む山村です。山村が持つ機能と魅力を積極的に情報発信しながら、30年、50年先も町民の皆さんが、この町に誇りを持ち、この町に住んでいて良かったと思える葛巻であるために、町民と行政が一体となった「協創のまちづくり」により、葛巻らしい一歩先行くまちづくりを着実に前進させてまいります。


葛巻町のまちづくりをご理解いただくとともに、さらなる町勢発展にお力添えをいただければ幸いです。

http://www.town.kuzumaki.iwate.jp/docs/2015102100013/

 

http://www.town.kuzumaki.iwate.jp/

 

15:57 2016/11/02


巻末特別収録・藤原忠彦・長野県川上村村長・対談・中村哲雄・葛巻長畜産開発公社顧問・岩手県葛巻町前町長・159頁・


対談・農山村はかくて変わった・

町や村というひとつの生命体に活力を与え、その未来を開いていくことは、人が人生を開いていく上での、工夫・努力にも通じている。長野県川上村と岩手県葛巻町・・。かつては貧しい寒村と言われた同町村を、様々な先進的な取り組みによって、全国の注目を集める地域に変換させた藤原村長と中村前町長に、互いの歩みを語り合っていただいた。158・16/11/2 15時26分

160頁・

全国の注目を集める町と村・

藤原・私は川上村長に着任してから現在六期目を迎えるのですが、中村さんが町長をされていた葛巻町のことは常に意識してきました。実は一度、中村さんをお訪ねしに行ったこともあるのですが、あいにくお留守でお会いできなかったんです。

中村・あらっ、そうでしたか!これは失礼しました。

私のほうは、現職を離れて一年半くらいになりますが、藤原村長の活躍はもちろん存じ上げておりました。今日はお目にかかれて光栄に思います。

藤原・中村さんは、もともと町役場にお勤めだったそうですね。

中村・はい。役場職員を五年やりましてね。そこから派遣されて、第三セクターの葛巻町畜産開発会社に23年間勤務したんです。町長時代を含めると、31年間、牧場経営に携わりましたから、私の場合は第三セクターでの経験がバックボーンになっているんです。赤字で閉鎖、倒産していく第三セクターが多い中、畜産振興という町おこしの一翼を担ったことが、町長時代も大変生かされました。

町村政は一期では何もできないと予期われますが、私は現職の町長を落として当選しましたから、一期目で結果を出さなければ、自分がなった意味がないと考え、とんでもない覚悟でやりましたよ。最初から百M走のつもりで全力疾走し、そのままの勢いで二木、八年間を走りぬきましたね。160・

161頁・藤原村長とは、お互いに寒村を興してきたという点で、いろいろと共通する部分がありそうです。

藤原・はい、川上村は長野県の一番東の端にありましてね。年間平均気温が8

・9度という寒冷な地で、島崎藤村も「信州の中で最も不便な、白米はただ病人にいただかせるほどの貧しい、荒れた山奥の一つ」と著書にキシテいます。ところが、戦後に朝鮮動乱が起こった際、日本から国連軍に軍需物資を提供することになり、川上村ではレタスを栽培することになったんです。

稲作には適さない高冷地という厳しい気候条件が、逆にレタス栽培には適していました。その後、日本人の食の欧米化の波に乗り、全村民が一つの目標に向かって走り続けてきた結果、全国一のレタス産地になったというわけです。ですから、平地のように色々な選択がなく、野菜一本に絞ってきたことが、今の産地を作り出す原動力になったのだと思っています。

中村・村長に就任されたのは、いつ頃でしたか。

藤原・昭和六十三年のことです現職の村長さんは六十台で相当手腕のある方でしたが、農家の若手後継者グループから「世代交代をすべきだ」トン機運が就任の前年から盛り上がり、現職が降りて、当時四十九歳だった私が無投票で当選したのです。そんな役場の企画課長として農業振興やバス村営化に携わり、多少の成果を出してきたことなどが評価をいただけたのかもしれません。

161・平成28年11月2日・ここまで

 

162頁・人も通わなかった町へ視察相次ぐ・

藤原・葛巻の現状はいかがですか。

中村・私の町は、県と盛岡まで車で約一時間半、北上山地の千M級の山々に囲まれた人口八千人、牛の数が一万三千五百頭という小さな寒村です。こうした地形のため、鉄道は通っておらず、高速道路に出るのにも一時間かかる。また、山はあるのに、ゴルフ場もスキー場も温泉もないという、まさにないない尽くしの町でした。

私が町長に就任したのは平静1(1999)年の八月ですから、時代がちょうど二十一世紀に変わろうとする境目のことですね。

着任から四か月ほどは何をすべきかと悶々としていましたが、様々な情報を得る中で見えて来たのが

 

付録 資料編

 

 

アカマツの学校を見てみたい

投稿者aboynamedsanpei2009年1月26日

本書の発行人、荒井さん((株)ソリック)の友人のレビューです。

ソリックの記念すべき第1作、昨晩読破いたしました。

 

気持ちの良い読後感でした。

字が大きく文体が平明で読みやすい。164頁なので、読書が進みます。

 

一つ一つのエピソードは、語ろうと思えば長々と語ることもできるのでしょうが、

自慢話に堕さない淡々とした語り口に品格を感じます。

 

著者の藤原村長は相当に知的レベルの高い人ですね。

日本人の苦手な、過去の蓄積の継承が、しっかりなされている。

その上で最先端の技術や考え方をするっと採り入れています。

品質改良したアカマツ材で出来た学校は想像するだに素晴らしい。

優秀な人材の力を借りるネットワーク力、人間力も感じられます。

 

川上犬のエピソードだけでも映画になりそう。

絶滅した日本狼のDNAの話も初めて知りました。

狭い家では飼えない犬と言う点も成程。

一連の犬映画が一段落したら、チャンスかも知れません。

 

友人として2冊予約購入したので、1冊を長野出身の前上司に進呈、

読み終えた1冊は地域ブランディングの専門家にまわしました。

 

笑うマーケティング

村長さんの自伝だった。投稿者罵詈雑言アラメンド2010年4月11日

タイトルに興味をもち、中身を見ないでネットで買った。農業を法人化しビジネスとして農業をやって大成功、とかそういう話を期待していたけど、違った。まあ有り体に言えば、長野県川上村の村長さん(著者)の自伝である。それなりに参考になる部分はありますが。

 

年収2500万あったって、経費がいくらかかっているのかわからなければ、あまり意味がないように思うのですが。まさか村長自ら何でもかんでも経費にぶち込んでしまえ、なんて言うんじゃないだろね。

村長さんの自伝だった。

投稿者罵詈雑言アラメンドVINEメンバー2010年4月11日

形式: 単行本

タイトルに興味をもち、中身を見ないでネットで買った。農業を法人化しビジネスとして農業をやって大成功、とかそういう話を期待していたけど、違った。まあ有り体に言えば、長野県川上村の村長さん(著者)の自伝である。それなりに参考になる部分はありますが。

 

年収2500万あったって、経費がいくらかかっているのかわからなければ、あまり意味がないように思うのですが。まさか村長自ら何でもかんでも経費にぶち込んでしまえ、なんて言うんじゃないだろね。

著者は凄いが、編集が愚

題名からしてとっても期待して読みました。なんとなくこの村長さんは凄い人だと思いましたが、本を出すことは如何でしょうか。つまり編集者の目的がはっきりしていません。精神論か、苦労か、はたまた緻密などドキメントか。以前呼んだ「奇跡のりんご」のように、本人でなく、取材してかかれるともっと日本中に感動が広がり、日本の農業がよくなるのではないでしょうか。あくまでも村長さんの問題でなく、素人のような出版社と編集者に一言。

アカマツの学校を見てみたい

本書の発行人、荒井さん((株)ソリック)の友人のレビューです。ソリックの記念すべき第1作、昨晩読破いたしました。気持ちの良い読後感でした。字が大きく文体が平明で読みやすい。164頁なので、読書が進みます。一つ一つのエピソードは、語ろうと思えば長々と語ることもできるのでしょうが、自慢話に堕さない淡々とした語り口に品格を感じます。

 

著者の藤原村長は相当に知的レベルの高い人ですね。日本人の苦手な、過去の蓄積の継承が、しっかりなされている。その上で最先端の技術や考え方をするっと採り入れています。品質改良したアカマツ材で出来た学校は想像するだに素晴らしい。優秀な人材の力を借りるネットワーク力、人間力も感じられます。川上犬のエピソードだけでも映画になりそう。

絶滅した日本狼のDNAの話も初めて知りました。狭い家では飼えない犬と言う点も成程。一連の犬映画が一段落したら、チャンスかも知れません。友人として2冊予約購入したので、1冊を長野出身の前上司に進呈、読み終えた1冊は地域ブランディングの専門家にまわしました。

信州のチベットの出来事に驚嘆!

" 本のタイトルを見て興味は持ったものの半分は疑いながら読み始めました。と言うのも寒冷地の山奥でそんなことが可能とはすぐには信じ難いところがありましたし、よくある誇大強調型の読み物かも知れないと思ったからです。ただこんなことがこの時世にもし出来たのなら日本の農業にとって画期的な事例であり、また失業問題への一筋の光明になるかとも思ったりしながら読み進みました。ところが藤原村長の発想が素晴らしいことが徐々に伝わってきて、気がついたら一気に読み上げていました。

 成功した要因は村長の視点が農業のみならず、教育、高齢化対策、地域活性化、海外の大学との協調、輸出推進等、地方自治の範囲を最大限に広げた行政手腕にかかるところが大きいと思われます。 戦後の日本が大都会中心に発展してきた経緯の中で、地方都市や農村の疲弊は著しいものがあると云われていますが、「農山村はまさに屋根のない学校、屋根のない病院である」と云われる村長の言葉には長い間の努力と実績に基づく強い信念と自信を感じとることが出来ます。

 私は山登りが趣味で、文中に出てくる八ヶ岳、金峰山、朝日岳、国師岳等にも登った経験があります。金峰山は標高2595m、秩父第二の高峰ですがアルペン的雰囲気の漂う山頂からは富士山、八ヶ岳、南北中央アルプスそして秩父の山々が展望でき、特に好きな山でした。これら標高二千m級の山々に囲まれた陸の孤島のようなこの地域がまさに川上村であったとは本書を読んで初めて知りました。このような高冷地で村役場の標高も日本一の高さ(1185m)にある寒村が平均年収2,500万円の農村に生まれ変わった経緯そのものがまさに日本の農業の抱えている諸問題に対するアンチテーゼであるように思えます。これからの日本の農業の進むべき方向性、さらには地方自治のあり方を教示する貴重な一冊であると感じました。

寒村が暖村になった・・・・。

本を閉じても目をつぶれば鮮やかに浮かぶ・・・。生き生きとしたレタスが並ぶ緑色の桃源郷。カタマツが包み込む子供たちの笑顔。自信と誇りに満ちた村民の方々の姿。所狭しと駆け回る雄雄し川上犬。

 

新規就農を目指す私はこのようなことろで、藤原村長さんのような方に支えられえて農への第一歩を踏み出したいと思いました。

どのページを開いても興奮し、感動して川上村の奇跡たる軌跡に引き込まれます。今度はどのような取り組みでダイヤモンドの原石が輝きを増していくのかページをめくる手が止まりません。

 

藤原村長が立ち上げられた3つの『コウ』に『3風の原則』

『コウ』違いではありますが・・・。

その試みで計り知れない効果を生み出したのは著書を拝見すれば絶句、納得。

 

『3風の原則』は村民の方々にとりましては暖かい追い風となって、時には中央官庁を動かすまでの強風となって吹き荒れていました。

それがどのようなものなのかはぜひ本を手にとり実感していただきたいと思います。

 

分かりやすく簡潔にでもしっかり伝わる。これから地域おこしや再生を志す方にもご自分の故郷に思いを抱きながら都会にたたずむ方にも私の市もそうですが過疎化に苦しむ田舎に住む方々にも少しでも農に、環境に興味がある方は必読の一冊です。

 

まだまだお考えはあふれ出てとどまることを知らないことでしょうが

ほんの一部分、藤原村長の脳の中を拝見させていただいた気分になりました。

まだまだ眠っている私たちの底力、この本からその殻を破ってみませんか?

 

まだ、日本は、私たちの手で変えられる!!

長野県川上村長の藤原忠彦さんの自伝(筆者が自分で書いた伝記)

藤原忠彦さんのアイデアで、小さな村が豊かになっていく姿が描かれています。藤原忠彦さんは川上村に生まれ、高校中退→農家→川上村役場職員を経て、1988年に村長に就任して現在6期目。川上村の存在を知らなかった私にとって、一つ一つの話はとても興味深かったです。

 

一方で、それらの事実を「本にまとめる」ことで面白さを増幅させることができたかというと、イマイチです。この本を参考に、ドキュメンタリー番組など別の形で取り上げていただけることを望みます。ネタは星5つ級ですが、料理の仕方が物足りないので評価を下げました。素材の良さだけで十分楽しめるという見方もできます。

次期、総理大臣の誕生!

感動した!読んでいる間に、藤原さんの人柄、思いが伝わってきた。こういう人が公務員になるべきだと思いました。そして、今は総理大臣になって欲しいと強く思いました。公務員も会社員も変わらない!

やるか、やらないか、だ!

地域がグローバルになるということの実例。

レタス生産量日本一を誇る川上村。その村長が語る村の現在と未来。

自分たちの土地の強みをきちんと活かして、強い商品を作り上げ、若い人を育てる仕組みを整える。あたりまえのように見えることを着実に取り組んできた成果がいまの村の姿につながる。コンビニが多数ある大都市でも、24時間オープンしている図書館はそうそうない。でも、ここにはある。そしてそれは単なる住民サービスではない。

 

外国の都市と交流する。そこまではよくあるが、それを人材交流や具体的な新商品研究・開発につなげるところはどのくらいあるだろうか。

 

過疎化が進む地域がある一方で、出生率が高い川上村。カラマツをふんだんに使った学校など、土地の匂い・身近な誇りを感じさせるこの村の空気がそれを後押ししているのかもしれない。

 

このような取り組みには、ひとつの農村での話に決してとどまらないヒントがある。グローバルな存在になるというのはこういうことだとの実例にもなるだろう。読んでいて元気づけられる本。続編も期待したいところ。

計算すると

155億/607戸で計算すると大体2500万円超になる。

だからこれは2500万円の利益ではなく売り上げで、語弊もはなはだしい計算間違いだ。

10:53 2016/11/02

川上村の沿革

長野県の東南端に位置する川上村は、信濃川に至る千曲川源流の里。

四方を山々が連なり秩父多摩甲斐国立公園の一角を占める風光明媚な環境にあります。村の基幹産業は野菜産業であり、7月下旬から11月初旬にかけ、豊潤な大地と豊かな水に育まれ、美しいまでの高原野菜たちが、農家の皆さんのもとで生産されています。

夏場は、冷涼な気候条件から生産される高原野菜畑が一面に広がり、秋にはカラマツ林が、真っ赤に彩り、冬には、広大な大地を真っ白な雪が覆い尽くします。

そして、春になると雪解けとともに、大地の息吹を感じさせるよう山菜が顔を見せ、やがて、新緑の景色が広がります。

川上村の位置

 

地目別面積

 

人口

世帯数1,699

人口4,425(男2,436/女1,989)

 

*平成28年4月30日現在

(住民基本台帳人口 外国人含む))

標高

1,185m(川上村役場)

最高地

2,595m(金峰山山頂)

最低地

約1,110m(千曲川村内最下流)

気温

年平均8.5℃ 最高30,1℃(8月)最低-18.9℃(1月)

http://www.vill.kawakami.nagano.jp/index.html

 

15:33 2016/11/02

 

 

 

 

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http://m-hikiage-museum.jp/

 

17:32 2015/11/30

 

 

 

僕たちの国の自衛隊に21の質問 単行本(ソフトカバー)  – 2014/10/31

半田 滋 (著)     3件のカスタマーレビュー

内容紹介

イスラム国による日本人の人質殺害事件が発生しました。それを受け、海外でテロなどの事件に巻き込まれた日本人を救出するために、自衛隊を派遣する議論が活発化しています。つまり、自衛隊を戦場に投入するという議論です。

 

尖閣諸島と竹島の問題に象徴されるように、日中、日韓関係が悪化しています。拉致問題をはじめ、北朝鮮との関係も光明が見えません。安倍晋三首相は、解釈改憲で集団的自衛権を認めました。日本と直接関係がなくても、自衛隊は仲の良い他の国のために、戦争に行かなくてはなりません。安倍首相の狙いは、あきらかに、「戦争のできる日本」へと国を変えることです。

 

アジアにおける日本、世界における日本のあり方が、どんどん変わってきているのは事実です。では、日本は「戦争のできる国」を選択するべきなのでしょうか。

 

そのことを知り、未来の日本で選び取るのは、戦場に行かされる可能性のある若い世代です。本書はQ&A形式で自衛隊と日本の国防、米軍との関係について基本的な知識を盛り込みました。中学生でも読めるような設計にしております。

 

東京新聞論説兼編集委員の半田滋氏は、防衛省・自衛隊の取材を四半世紀にわたって経験しているベテランで、国防関連の講演を相当数こなしています。その半田氏が、平易、かつ、新聞やテレビでは決して触れようとしない国防の本当を語ります。

 

「北朝鮮からミサイルが飛んできたとき、それを撃ち落とせるの?」「日本国憲法を変えたら、戦争になってしまうの?」「自衛隊に無理矢理入れられる時代は来るの?」といった、だれもが知りたくて、でも、だれも答えてくれなかった疑問に、明快な答えが出ます!

 

内容(「BOOK」データベースより)

 

将来、戦場に行かされる君たちへ―。これからを生きる若者たちが知っておくべき日本の国防の基礎知識。

単行本(ソフトカバー): 242ページ出版社: 講談社 (2014/10/31)

言語: 日本語・発売日: 2014/10/31

目次

第1部 自衛隊って、なにをしているの?

【Q1】 日本国憲法には戦争をしていはいけないと書かれているのに、なんで自衛隊があるの?

【Q2】自衛隊はどうやってできたの? どんな組織になっているの?

【Q3】 第二次世界大戦が終わった後、日本はどうやって国を守ることにしたの?

【Q4】自衛隊って、世界の軍隊の中でどれくらい強いの?

【Q5】国の予算のうち「防衛費」って、どのくらいの金額で、どうやって使われているの?

【Q6】 自衛隊の使っている武器の性能は? 武器は国産なの?

【Q7】自衛隊は地震などの災害のときに救助活動しているイメージだけど、年に何回ぐらい出動しているの?

【Q8】自衛隊が海外で行っている活動には、どんなものがあるの?

 

第2部 日本とアメリカ軍の関係について、教えてください

【Q9】アメリカ軍は、どうして日本に基地を置いているの?

【Q10】なぜアメリカ軍の基地は、沖縄にたくさん置かれているの?

【Q11】アメリカ軍が沖縄に持ってきたオスプレイという新しい航空機は墜落事故が多いって聞きました。自衛隊も買うそうだけど、本当に大丈夫なの?

【Q12】アメリカは、ほかの国から日本が攻撃されたとき本当に守ってくれるの?

【Q13】アメリカと韓国が、韓国の近くの海で合同で訓練しています。これから、日本―アメリカ―韓国の連携が必要になるの?

【Q14】防衛省や自衛隊は、アメリカ以外の国々とも交流しているの?

 

第3部 これから自衛隊は、戦争することになるの?

【Q15】中国が、「尖閣諸島は自分の国のものだ」と言って、船で近くまでやって来ているというニュースを見ました。将来、日本と戦争になったりしないの?

【Q16】北朝鮮から日本に飛んできたミサイルを防ぐことってできるの?

【Q17】すでに日本は外国に武器を輸出しているって、本当なの?

【Q18】安倍晋三首相はなぜ、そこまでして自衛隊を海外の戦争に参加させようとしているの?

【Q19】将来、私たちは、自衛隊に入らなくてはいけなくなるの?

【Q20】最近つくられた組織や法律によって、日本は戦争がしやすくなるの?

【Q21】日本国憲法が変わると、戦争が起きるの?

 

自衛隊はどうなるのか?

安倍政権による集団的自衛権拡大解釈。「武器輸出三原則」の廃止。「国防の基本方針」廃止と「国家安全保障戦略」の導入。守る国から戦える国へと変えられつつある現在、自衛隊はどうなるのか? をYAに向けて解説しています。

選挙戦に突入した今、有権者にとっても判断材料の一つになる本です。YA向けだから読みやすいし。

真面目な本です! 外見ではわからない、若い人はもちろん!大人の人もぜひ読んで!

カバーは劇画風、カバーを外すと真っ赤な表紙、一般読者は引くかもしれない。

でも、この本は、こういう外側を抵抗なく受け入れる、中高生にこそ読んでほしいと作られている。それに、中高生でなくとも、自衛隊について詳細に知っている大人も少ないのでこの、21の質問と答えは、とても親切な自衛隊ガイドになっていると言える。

左右どちら寄りという視点で読むのではなくて、実際、自衛隊ってどうしてあるのか?その経緯、成り立ちから現在までが詳しく分かる。

 

また、憲法改憲、集団自衛、法整備など、矢継ぎ早な変化がこの一・二年で起こりつつある時に、本当の主権者である国民が、きちんとした自衛隊と隊員の立場の理解がなくては、国会で論議されている、問題点と、改正される(通るとして)法律をどう受け止めていいのかも分からない。この本では、具体的な現状をQ&Aで述べているので、整理しやすく理解出来ると思う。

この本は、昨秋出ているのだが、今度の国会審議で、自衛隊員の海外派遣された中から

多数の自殺者が出ていることが明らかになっている。この点も重要だと言える。

今の自衛隊員は、「戦争をすることの出来ない」自衛隊に入隊したのであり、入ってから、「戦争」をしてもらいますと言われても、話が違う、となる人もいると思う。

湾岸やイラク派遣などはかなりのストレスッだったであろう。政府・防衛庁は海外派遣が自殺理由だと認めていないが、自衛隊員の自殺率が一般に比べ高いのは事実である。この本は、自衛隊員の現状も紹介しているから、国民全体で、今後を注視していかなければならない事だと思う。

どの様な考え方(法律と国民の合意)で自衛隊が存在していくのか、限りなく軍隊として「戦争」できる位置づけになるのか、災害や国土の専守防衛に徹するのか。それは、憲法や法律によって、明確にされなければならない。時の政権の解釈で自衛隊員の命のやり取りをさせてはならないはず。そういうことを考える上でも入門書になっている。

左寄りの入門書

自衛隊が戦争ができるようになると、自衛隊の志願者が減るために徴兵制が復活するかもしれないという前提のもと、徴兵されるかもしれない若い人向けに書かれた入門書自衛隊の成り立ちから沖縄基地問題、集団的自衛権等、広範囲に扱ったせいか、各々の項目で記述が不十分な気がする。

あえて書かないで印象操作を狙ったのではないと好意的に解釈して読んでみたが読んでいて突っ込みどころは多かった随所で安倍政権を批判するのはいいけど、日韓関係悪化の原因がすべて安倍政権にあるような言い方には首をかしげざるを得ない。

入門書として読む場合はうのみにせず、この本をきっかけに反対派の意見も調べる必要があると感じた。

17:21 2015/11/30

 

 

舞鶴市・凍土の記録141BS・午前11時・28分・引き上げ記念館・戦争の具を伝える・

NHKはなぜ、反知性主義に乗っ取られたのか・

自衛隊のあり方は、私たちが決めている、僕たちの国の自衛隊に21の質問・

 

差出人: 和田 昭穂

 

<furasikian-

akiho@blue.ocn.ne.jp>

送信日時:      2015年11月30日月曜日 9:28

宛先:   takitayosiharu

件名:   貴重な提言をありがとうございました

添付ファイル: 署名2000万依頼.doc

 

滝田 好治様

 おはようございます。昨日は名瀬から大高の同窓生3名が来て、来年2月の全国同窓会(干支申85歳男)の打ち合わせで、夜になってメールを拝見させてもらいました。植草氏の提言大要が同感です。小生は共産党が提起をしている一点共闘「『平和安全関連法』を破棄する国民連合政府樹立」を目指す「戦争させない・9条壊すな!総掛かり行動実行委員会」呼びかけの「2000万人署名」集めに奔走しています。その署名に添付しています小生名を署名した「おねがい」を添付して各戸に 依頼して回っています。植草氏の提言通り今、国民ひとりひとりが行動に移してその実をあげていくときであると自覚しています。お互いに頑張りましょう!若さを取り戻すにも役立つものと思って頑張っています。

      笠利・打田原、和田拝、

 11/30/2015

 

しばらくご無沙汰しました。頑張っておられるようですね。お元気で何よりです。

小生、特定健診の精密検査で、検査入院二泊、今日午後に帰宅しました。今夜は集落の常会を企画しています。19時からです。その後、明朝までに私見を述べさせてもらいます。ごめんなさい。

  笠利:和田拝、

From: takitayosiharu

Sent: Thursday, September 10, 2015 7:43 AM

To: '和田 昭穂'

Subject: RE奄美の行政の現実を

 おはようございます・いま龍郷町の予算を検討しながら・大変な問題を発見しました・よろしかったら一読をお願いします。

 ・龍郷町は人件費¥1億8000万円を龍郷町人口約6千人で計算すると約一年間赤ちゃんから高齢者まで一人一人¥3万円負担こんな金が払えますか?こんな予算を組んでいる龍郷町町長・議員の皆さんです?!

http://amamioosoma.synapse-blog.jp/yosiharu/2015/09/111544-0342.html

6:09 2015/09/10

滝田 好治 

11貧乏大名やりくり物語

 

巻末特別収録・藤原忠彦・長野県川上村村長・対談・中村哲雄・葛巻長畜産開発公社顧問・岩手県葛巻町前町長・159頁・

対談・農山村はかくて変わった・

町や村というひとつの生命体に活力を与え、その未来を開いていくことは、人が人生を開いていく上での、工夫・努力にも通じている。長野県川上村と岩手県葛巻町・・。かつては貧しい寒村と言われた同町村を、様々な先進的な取り組みによって、全国の注目を集める地域に変換させた藤原村長と中村前町長に、互いの歩みを語り合っていただいた。158・16/11/2 15時26分

160頁・

全国の注目を集める町と村・

藤原・私は川上村長に着任してから現在六期目を迎えるのですが、中村さんが町長をされていた葛巻町のことは常に意識してきました。実は一度、中村さんをお訪ねしに行ったこともあるのですが、あいにくお留守でお会いできなかったんです。

中村・あらっ、そうでしたか!これは失礼しました。

私のほうは、現職を離れて一年半くらいになりますが、藤原村長の活躍はもちろん存じ上げておりました。今日はお目にかかれて光栄に思います。

藤原・中村さんは、もともと町役場にお勤めだったそうですね。

中村・はい。役場職員を五年やりましてね。そこから派遣されて、第三セクターの葛巻町畜産開発会社に23年間勤務したんです。町長時代を含めると、31年間、牧場経営に携わりましたから、私の場合は第三セクターでの経験がバックボーンになっているんです。赤字で閉鎖、倒産していく第三セクターが多い中、畜産振興という町おこしの一翼を担ったことが、町長時代も大変生かされました。

町村政は一期では何もできないと予期われますが、私は現職の町長を落として当選しましたから、一期目で結果を出さなければ、自分がなった意味がないと考え、とんでもない覚悟でやりましたよ。最初から百M走のつもりで全力疾走し、そのままの勢いで二木、八年間を走りぬきましたね。160・

161頁・藤原村長とは、お互いに寒村を興してきたという点で、いろいろと共通する部分がありそうです。

藤原・はい、川上村は長野県の一番東の端にありましてね。年間平均気温が8

・9度という寒冷な地で、島崎藤村も「信州の中で最も不便な、白米はただ病人にいただかせるほどの貧しい、荒れた山奥の一つ」と著書にキシテいます。ところが、戦後に朝鮮動乱が起こった際、日本から国連軍に軍需物資を提供することになり、川上村ではレタスを栽培することになったんです。

稲作には適さない高冷地という厳しい気候条件が、逆にレタス栽培には適していました。その後、日本人の食の欧米化の波に乗り、全村民が一つの目標に向かって走り続けてきた結果、全国一のレタス産地になったというわけです。ですから、平地のように色々な選択がなく、野菜一本に絞ってきたことが、今の産地を作り出す原動力になったのだと思っています。

中村・村長に就任されたのは、いつ頃でしたか。

藤原・昭和六十三年のことです現職の村長さんは六十台で相当手腕のある方でしたが、農家の若手後継者グループから「世代交代をすべきだ」トン機運が就任の前年から盛り上がり、現職が降りて、当時四十九歳だった私が無投票で当選したのです。そん役場の企画課長として農業振興やバス村営化に携わり、多少の成果を出してきたことなどが評価をいただけたのかもしれません。

161・平成28年11月2日・ここまで

 

162頁・人も通わなかった町へ視察相次ぐ・

藤原・葛巻の現状はいかがですか。

中村・私の町は、県と盛岡まで車で約一時間半、北上山地の千M級の山々に囲まれた人口八千人、牛の数が一万三千五百頭という小さな寒村です。こうした地形のため、鉄道は通っておらず、高速道路に出るのにも一時間かかる。また、山はあるのに、ゴルフ場もスキー場も温泉もないという、まさにないない尽くしの町でした。

私が町長に就任したのは平静1(1999)年の八月ですから、時代がちょうど二十一世紀に変わろうとする境目のことですね。

着任から四か月ほどは何をすべきかと悶々としていましたが、様々な情報を得る中で見えて来たのが次代の地球規模での課題でした。その課題改善に向け、懸命に努力していけば町は必ず発展するはずだと考えました。そして「食料・環境・エネルギーへの貢献」を政策の基本方針に据え、町づくりを進めました。

その結果、現在の牛乳生産量は年間約百二十tで東北一。さらにクリーンエネルギーを懸命に導入し、高原に15基の風車、中学校に太陽光発電、牧場に畜産バイオマス発電所と木質バイオマス発電所を設置しましてね。世界で初めて家畜の排せつ物から燃料電池をつくることにも成功しました。162・

163頁・そうやって太陽光や牛の排せつ物など、地域に存在するエネルギーを可能な限り電機や熱源に変える努力をした結果、葛巻は日本一のクリーンエネルギーの町といわれるようになりました。また、厳しいといわれる林業情勢の中で、葛巻には林野庁長官からも表彰を受けた森林組合があります。

要するに、電車も高速道路もスキー場も何もない町が、今では日本一の公共牧場、森林組合、クリーンエネルギーを持つ町になりえた、ということですね。

藤原・しかしわずか八年間で、よくそれだけのことをされましたね。

中村・これは、将来の課題に早く気が付いて取り組んだということが一つ。もう一つは、歴代町長が作ってくださったバックグランドがあったということです。

例えば高原牧場に風車を運び込むためには、大型トレーラーの走れるよい道路がなければいけません。葛巻町では昭和五〇年代初頭、高橋町長が驚愕の投資をして標高千m級の山岳地帯に酪農団地を建設し、舗装道路が造られた。その道路が三十年の時を経て風力発電の有力な基地になったというわけです。そう言った取り組みのすべてが相乗効果となって今日の町を構築している。私が就任した頃は年間八万人程度だった町への訪問客が、現在では五十三万人を超えるまでになっています。163頁・16/11/3 5時4分

ここまで

 

164頁・

藤原・それはすごいですね。先ほど中村さんが言われたように、山村振興の長というのは、たいていが燃え尽き症候群になるほど、情熱のすべてを出し切らなければできない仕事です。仕事をやる上では人に対する説得力が必要ですし、高度な政策になると、住民の声を聞いてというよりも、トップ自らがまず「やってみせる」ことが大事になってきます。そして、やって見せるからには、絶対に失敗は許されません。

私どもでは農業とともに、林業にも相当力を入れております。多くの農村が嫁不足に悩まされる中、川上村では稼ぎ手の約七割が都会からやってきているんです。

中村・地方には嫁の来手がないといわれる中で。

藤原・はい。そのためには、都会の文化というものも取り入れていかなければなりません。そこで13年前に文化活動の拠点となる「川上村文化センター」を建設し、その中に多目的ホールや24時間オープンの図書館をつくりました。

農村では活字離れが進んでいますが、農作業をしていれば、昼間に図書館に行くわけにもいきません。そこでICカードをつくり、夜間はコンピュータで処理で貸出するシステムを導入しました。

中村・随分と進んでいますね。

藤原・当初は図書館協会や村内からの反対意見も多くありましたが、「農業への投資は後回しにしても取り返せるが、今川上村の人材育成をためらっていては、将来に禍根を残す」と説得にと止めました。164・

165頁・結果的に村全体の読書熱が相当高まってきて、現在の利用率は県内でもトップクラスになっています。

盤石な農業生産体制をつくることも大事ですが、それは定住の絶対条件にはなりません。それ以前に、医療や福祉、文化といったものがしっかり機能していなければいけない。そのあたりの理論をきっちり抑えておかなければ、これからの農山村は自立していけないと思うんです。そうした意味で、為政者というのは非常に大きな責任を担っている。いずれにしても町村のリーダーは、その地域の哲学、という物をもって任に当たるべきだと思います。

その方針の一つとして私どもが掲げているのが、「衣食住情」と「三コウ」です。

中村・詳しくお聞かせください。

藤原・衣食住の問題は個人の努力によってなんとかなりますが、行政が参画しなくてはならないものが「情」、つまり情報関係です。

川上村では、昭和六十三年に全国に先駆け全村ケーブルテレビを導入し、農業情報のネットワークシステム構築を行いました。これによって、気象情報や市況状況などをいち早く地元の農家に流せ、計画生産、計画販売を行えるようになったんです。

この情報化構想の総事業費は数億円にまでなり、村の予算だけではまる見込みが立たない状況でした。そこで農水省などに補助金を出してもらえないかとお願いをしてみたところ、有線テレビは法律で禁じられている。とあっさり却下。165・166頁・それでもしぶとくケーブルテレビの用語集まで準備して夜討ち朝駆けを行ったところ、私たちの村のために法律が改正され、補助金が下りたんです。

中村・まさに執念ですね。

藤原・行政には確かに様々な規制がありますが、その枠に縛られていては何もできません。新たなことに挑戦していく情熱と諦めない気持ち、規制の概念を打ち破ろうとする知恵さえあれば、おのずと道が開けることをあの時に学びましたね。そしてこのシステムの導入によって、農業とはまさに情報産業であり、知的総合産業であると実感しました。166・平成28年11月3日 木曜日・

ここまで

 

赤字民営バスを村営化して黒字に・166・

藤原・もう一つの「三コウ」は、交通・交流・高齢化の頭文字を取ったものです。

「交通」については、村役場で企画課長をしていたころに路線バスの問題に取り組みました。一時期は利用客が少なく、民間会社は路線廃止の決断をしていたのですが、そうなれば過疎化に拍車がかかることになります。また集落懇談会を開いたところ「実際に走らなくてもバスには走ってもらいたい」という村民の声が多数を占めました。つまりバスは走っているだけ村民に安心感を与えるという目に見えない役目も果たしていたのです。これは何とかしなければならないという考えで皆と協議を重ね、村民の反対論も強くあった中、バスの村営化を決意しました。166・

事業をやめたりし縮小したりする時は、消極的な考えになりがちですが、私は逆に事業の拡大を図りました。ダイヤや路線、停留所の数を増やしてみたり、定期券をバスの中や農協でも買えるようにしてみたり。何より効果の大きかったのは、スクールバスを住民利用できるようにしたことです。

中村・それは合理的ですね。

藤原・ところが当時のスクールバスは、その監督官庁である文部省(現文部科学省)のガードが固く、住民利用は厳しく禁じられていました。文部省にも再三掛け合ったのですが、まるで取り合ってもらえない。それでもしぶとく日参し、ここでも夜討ち朝駆けの説得を試み続けて、絶対に許可はできないといわれていたスクールバスの併用許可を日本で初めて取ってしまったんです。

中村・規定が覆ったのですか?

藤原・分厚い「教育六法」の中にある、「女性で購入したスクールバス・スクールボートの住民利用は、大臣の許可があればこの限りではない」という一文を見つけ出し、文部大臣に掛け合って認可をもらったんです。そのために瀕死の状態にあったバス事業が一挙に黒字化し、このバスの併用法は後に「川上方式」と呼ばれるようになりました。

「交通」については、村の四方を山に囲まれているため、村民の気持ちまでが閉鎖的になっているんです。そこで農家の後継者たちを世界一のレタス産地であるアメリカのワトソンビル市に派遣し、それがきっかけで同市と姉妹関係を結ぶことができたんです。この交流は以来20年間続いています。167・

168頁・他には、東京の三鷹市、武蔵野市、町田市、埼玉県の蕨市などとの都市交流を行っています。農村と都市の文化交流を通じて、さらなる大きなエネルギーを生みだしています。

最後の「高齢化」の問題については、診療所やデイサービスセンター、介護支援センターなどを一か所に集中させた複合施設「ヘルシーパーク川上」を造りました。これも村民の間で定着し、全国で最も医療費が安いといわれる長野県の中でも、川上村が一番と結果が出ています。また、健康高齢化率が非常に高く、生涯現役で仕事をされている人が多いのも特徴です。

老化は免れないにせよ、高齢者にも意義のある仕事を与え、社会参加の機会をいろいろと作る工夫をすれば、老化を遅らせることはできるんです。168・

16/11/3 9時32分・ここまで

 

情報の量が仕事の質を決定する・169頁・

中村・私の場合は、地域を変える、と言うよりも、自分の思いや夢、こうしたいと心に描いたことを実現するため、まず住民や議会の信頼を得るべく努力をしました。クリーンエネルギーの分野については、総工費が57億五千五百万円にもなる公共事業でしたが、葛巻長の取り組みはすべてが先発だったため、国の補助金と企業の支援により、町の財源は四千五百九十三万円しか持ち出すことなく、次から次へと諸施設を導入することが出来ました。

 

・ただ、牧場経営に携わっていた初期の頃は、事業がなかなか軌道に乗らず、苦労がありました。町内の略農家から生まれたばかりの子牛を預かり、よい乳牛に育つよう代理で飼育を行うという新ビジネスを始めたのですが、町民だけでなく、役場職員からも「うまく行きっこない」と言われました。

お金もなく、実績がないから信用がなく、牛が集まらない、と言う状況でした。それでも赤字にするわけにはいかないので、全国の略農協同組合などに初妊牛の販売リストを送りました。その結果、全国に牛が売れていきました。その牛が子牛を生んで餌をよく食べるし、丈夫で沢山の牛乳は出すし、次の妊娠もする。連続性に富む牛の生産が出来て、県外から子牛が預けられるようになったんです。現在、県外から預かっている牛は千五百九十頭にもなります。その売り上げは約三億円になり、この事業だけで雇用が二十人も生まれるんです。169・

170頁・16/11/3 16時34分・

その時に痛感したのは「情報」の大切さです。先ほども、農業は情報産業であるという村長の話がありましたが、私も自分の経験から「情報の量が仕事の質を決定する」と感じるのです。

藤原・なるほど、情報の量が仕事の質を決める。

中村・これほどの分野の仕事についてもそうですね。牛を集めようとした時に、どうやってその牛を集めてくるか、また牛がよく育った時に、どこに売れば一番よいか。そういったことを、その場面、場面において判断していかなければならないのですが、情報がなければ、戦略の立てようもありません。情報のあるなしは、人生を左右すると言っても過言ではありません。

もう一つは「当たり前のことを他人よりも一生懸命やる」と言うことです。そしてその当たり前のことをやって、その事業がある程度ある程度確立できた時に、今度は何をやればよいか?

その時に必要なのが「危機感と問題意識」を持つことと「気づき」、それと「実践」ですね。

私が町長に就任した平成11年には、全国に三千二百名の市町村長がいましたが、私は他の方よりも多くの情報を得ていたおかげで、早めに地球規模の課題に気づくことが出来た。そしてクリーンエネルギーの導入に向け、実践をしていったからこそ、今日の町の姿があるわけです。

ですから、「危機感と問題意識、気づき、実践」

この三つが地域を活性化させる植えでは大切なことだと思います。

トップが気づいたことは自分自身で実行して、職員にも何かに気がついたらまず声を出す。トップはその声を同吸い上げ、処理をしていくかと言うことが大切です。170・

171頁・16/11/3 17時5分・

先ほども皆で協議を重ねたという村長のお話がありましたが、その通りでしてね。皆といかに情報を共有しながら戦略を立て、実践に持って行くか。そうした場面において現場力や組織力が醸成され、人が育っていくんですよ。その繰り返しのおかげで、私が町長を退いた後も次の人間が後を次いで堂々と仕事をしているわけです。

藤原・次代の担い手を育てることも、大切な仕事の一つですね。

中村・はい。それから物事はやはり円滑に、スピード感を持って進めなければいけません。ですから、議会との連携をいかに構築し、保持するか。また住民の信頼感をいかに取り付け、醸成していくかといったことが大切になってきます。

町村長の仕事は、一日に何回もスピーチをする日がありますよね。夜七時頃に、きょう七回目のスピーチをしている日なんていうのも珍しくない。そしてこれはトップにとって、最大のチャンスなんです。ここで常に自分の思いや夢、そして皆が希望を持てるような話をしてみる。

例えば諸会合で、葛巻の子供たちは前回の学力テストで県下一番だったという話をするけれども税金の滞納も多くてね、と言えば嫌みがない。

そして今度はこんな施設を造るんです、と自分自身の夢も話す。そうやってあらゆる機会を捉えて住民や議会との信頼関係の構築、醸成に心血を注いできました。

藤原・町はどんな風に変わっていきましたか?171・

172頁・16/11/3 18時7分・

中村・私が町長になって、県都盛岡でワインパーティーをやった時、30年くらい前に盛岡に移住したもと町民がそばに来て、こんなことを言われたことがありました。

「昔は葛巻出身だとは言いたくなかったし、言えなかった。それが今ではよい情報がたくさん発信されているので、胸を張って葛巻出身だと言いたくなるような町になってくれた」と。そうやって、町民が自信と誇りを持てる町になり得たと言うことですね。

172・

ここまで

 

172頁・16/11/4 5時24分・

行政はアートである・

藤原・改革をされてきた中で、大きな困難はありませんでしたか?

中村・最初に役場職員の意識改革を行ったことでしょうか。私は選挙戦で掲げた「企業的感覚を持って経営を行います」と移行や国基づいて、役場職員の仕事もサービス業だと訴えました。

役場に来られる住民の方々は皆、私たちのお客様であり、顧客だと。

藤原・私も経験がありますが、職員の意識改革は難しいでしょう。

中村・結構、時間がかかりましたね。けれども、私が町長を辞めることになって、新町長の当選祝いの海上で町民の一人がぽろっと言ってくれたことがすごく嬉しかったんです。「あなたが町長になってくれた中で一番嬉しかったことは、役場職員の意識を変えて、俺たち住民の目線と同じにしてくれたことだ」と。私が就任して一番心血を注いだのもそこだったんですよ。172・

173頁・16/11/5 4時48分・

前はでんわをとってでんわを取って、一体何様だ?と言うような応対の仕方をしていた職員に、それは違うでしょう。と。「はい、○○課の中村でございます。何のご用でしょうか?」「今日はどんなご用でおいでになりました?○○課はこちらでございます」。そういう風にやろうよ、と一番始めに提唱したんです。

その次には、行政改革と財政改革ですね。職員の数を八年間でトータルで五十人減らし、組織も課を六つ減らして縮小を図り、その結果、財政改革が行われました。

でも今考えると逆に、お金がなかったが為に皆で知恵を絞り、結果としていい仕事が出来たかな、とも感じています。

藤原・私の村もほとんど共通していますね。結局仕事をし続けていると財政力もよくなっていくんです。地方自治体というのは止むことを知らない団体ですから、止まればもうダメなんですよね。住民のためにいつも何かを仕掛けてやっていくことが大切だと思います。

中村・仕事を創り出していく、と。

藤原・そうです、行政は常に動態的であらねばなりません。今年川上村では村立の中学校をつくったんですよ。地場産のカラ松材でつくった県下最大の木造建築です。

中村・村でも中学校がつくれるのですか?

藤原・私も知らなかったんですがね。方々にいろいろな補助金があることが分かって約二十億円の費用のうち、三億円の一般財源を出しただけで出来ちゃったんです。この時も文部省からは、生徒数が少ないのにこんな大きなものをつくるのは問題だとか、体育館も音楽室も社会開放して村民にも使えるようにしろだとか、いろいろ言われました。173・

174頁・相当苦労しました、そんな条件にも全部適うように工夫を重ねていきましてね。結果的に長野県下で最も安い値段で、最も高級な中学校が出来てしまったわけです。

いまあちこちで規制緩和と言われていますが、私何でもかんでも、それで片付けてしまうのは問題だと思うんです。逆に職員のやる気をなくしてしまうことがある。

規制があるからこそ、それを乗り越えるようとするパワーが生まれ、それがよい仕事に結びついていくんです。全村へのケーブルテレビ導入やスクールバスの併用など、川上村一村のために法律を変えて貰ったこともありますし、そういった障害を乗り越える時の感動は非常に大きなものがあります。

中村・地域づくりは、官公庁や企業とも、うまくタイアップしていかなければ出来ないことですね。

藤原・そうですね、相当柔軟な発想がなければいけません。だから私はいつも「行政はアートだ」思っているんです。これは一つの芸術のようなものだ、と。アート感覚がなければ、村づくりも面白くありません。

中村さんも同じだと思うのですが、本当にロマンですよ、これは、自分と村民のロマンを共有しながら仕事が出来る。もちろん、その基盤には経営的なセンスも欠かすことができませんが。174・

175頁・16/11/5 5時33分・

中村・町村長の仕事はすべてが経営ですよね。どうやってお金を持ってきて、どうやれば安い値段で挙げられるか。町の一般財源を持ち出さずに自分の夢を実現するかと言うことです。

・それとまちづくりも会社と同じで、人づくりをしなければやっていけません。

藤原・そのとおりです。私も常に「行政は臨床学だ」と言っています。新しく来た人たちに「皆さんは大学を出ているが、それは理論的なものだけを学んできただけだって、これからが本番だから毎日学習をして下さい」と。第一線の行政は臨床学の最大の教材ですよ。

中村・そのとおりですね。行政は、住民の思いと夢をいかに掌握し、さらに一歩進んだ状況をいかに構築して行くかという試行錯誤の連続です。ですから、トップと住民、議会、そして職員。ソノ一体感さえ醸成されれば、もう無敵ですよ。怖いものなしです。問題は夢を実現するために必要な資金やツールがどこにあるかを知ることです。175・

176頁・16/11/5 5時48分・そうすると、やはり肝心なのは「情報の量」なんです。どこに何があるかと言うことを知らない限り動けませんから。

藤原・よい情報とは、どうしたら得られるとお考えですか。

中村・情報は、一番思いの強い人の所に、一番熱くなっている人の所に集まってくるものなんです。これはもうハッキリしています。

例えば釣りの好きな人は、どこの川に何の魚がいて、今日の天気はどうなるかと言うことを掌握しているでしょう。それと同じなんです。「情報の量が仕事の質を決定する」とは、そういう理論です、だから先ほどの村長の話のように、こういう学校を建てたいと思って熱くなっていると、人に喋るし目一杯行動するから、その分多くの情報が入ってくるんです。

藤原・情熱のあるところに情報が集まって、情報の集まるところから多くの情報が発信される。これは世の循環の法則ですよ。

中村・どの業界でも同じ事です。何もかも、情報であり、思いの強さなんです。176頁・ここまで

 

地域づくりは人づくり・176・16/11/5 7時34分・

藤原・私は地域づくりとは、基本的に人づくりだと思っています。ですから教育を「郷育」という字を使って表しています。教育とは郷土を育てることだと、学校の先生にも盛んに言っているんです。176・

177頁・国が提唱する人づくりとは、知識を詰め込んだエリートを育てる事かもしれませんが、地域には別の人づくりの定義があるんです。つまりその地域の歴史や文化、人材、そういったものを使いこなせる人材をつくることではないかと。

中村・地域には歴史がありますからね。

藤原・そうです。私はこれを「三風の原則」と呼んでいます。風土・風味・風習・。これを無視して、人づくりや地域づくりは出来ないと。でなければ「ミニ東京になってしまうだけです。地域の特性を生かし、その中から人をつくっていかなければなりません。

今年、私たちの川上村から、初めて宇宙飛行士候補が誕生したんです。由井亀美也さんという三十九歳の男性ですが、これは私が常に訴えてきた事が実った結果だと思っています。

中村・川上村のご出身でしたか。

藤原・はい。あんな小さな村から世界の宇宙飛行士が出るんですよ。それはやはり、地域や風土がつくり出したものだと思っています。由井さんも「子供の頃、夜空を見上げたら星が美しかった。その時に、宇宙へいきたいと思った」と言っているんです。

地域を無視して人づくりは出来ません。人をつくって、産業をつくる、そして故郷をつくる。

これがうまく循環していくことが、本当の地域づくりだと思っています。ですから、まずスタートは人づくりですね。177・

178頁・

中村・おっしゃる通りです、私も三代前の町長が掲げた畜産の牧場を成功させたいという夢を実現するために、上司から牧場経営について指導を受けたのですが、いつから町全体の活性化までを考えられるようになっていました。

今の鈴木重男町長は、私の前の町長が掲げた「葛巻ワイン」と言う夢を実現させるために、ワインづくりに修行に出した人間なんです。これもやはり人づくりの成果ですね。

けれどもただ人をつくると言っても、目的がなければ仕方ありません。葛巻の場合、あくまで産業振興です。そして産業振興は、地域が抱える諸問題の大半を解決してくれると言える。参観地帯の場合は特にそうです。その中で育てられた人間が、やがて町を支えていける人材になるんです。

しかし一般的な地域づくりの場合は、方程式はありません。ですから先ほど申し上げたように、「危機感と問題意識、気づき、実践」、そして「情報の量」なんです。

・トップの仕事は、誰かが何かをやろうとしたり、気づいたりしたことを側面的に支援する、と言うことでしょうね。気がついた人が、まず声を出した何かをやってみるということ。やれる土壌をつくると言うこと。そうすれば結果は出ます。

すると褒められたり批判されたりすることで反省をし、その上でまた何かをやろうとする。そうやって人間の資質は高まっていくわけです。夢や目標にも、この繰り返しによって近づいていけるものではないかと思います。

いずれのことも、昨日や今日で簡単に実現できるものではありませんから、淡々と黙々とこつこつとやっていくしかないのです。178・

179頁・16/11/5 8時9分・

もう一つ感じるのは、「夢しか実現しない」と言うことです。「夢の実現」に向けて、黙々と、淡々と、こつこつと、努力すべしと。そういう思いを持って私自らが実践してきました。それについてきてくれた人たちが今の葛巻を支えてきてくれているという状況ですね。

藤原・私は一つの産業が一世紀の間、安定的に保たれることは、ほとんどないように思うんです。私の村の野菜産業だって、決して永続的なものだとは思っていません。いずれどこかで何かがあって、すごい苦境の時がくるかもしれません。しかしその時に「人」がいれば、必ず新しい産業を起こしてくれる。ですから最大の資本であり、地域資源は、人だと思っています。

179・16/11/5 8時15分・

ここまで

 

志を持って万事の源とする・

 

 

 

 

 

 

 

2016年3月27日 (日)

2016年までのブログページをいれて索引・

http://amamioosoma.synapse-blog.jp/yosiharu/2016/03/post-af38.html

16:50 2016/11/02

 

2016年11月 2日 (水)藤原 忠彦(ふじわら ただひこ) 長野県川上村長。1938年長野県南佐久郡川上村生まれ。長野県立臼田高等学校中退。農業に従事した後、川上村役場職員に。企画課長を経て、1988年川上村長に就任。現在6期。21年目。長野県町村会長,全国町村会理事・行政部会長を務める。 全村のCATV導入など農業情報ネットワークシステムの構築や村営バスの運営、24時間図書館、森林文化の発信など先進的な村づくりで注目されている。 「都会の女子学生が、夏休 三反園訓さんへ・鹿児島県知事選を一人で戦うな?すぐに鹿児島県民の対話を・

http://amamioosoma.synapse-blog.jp/yosiharu/2016/11/19381988621-cat-e961.html

16:47 2016/11/02

 

平均年収2500万円の農村―いかに寒村が豊かに生まれ変わったか― (ソリックブックス) 単行本 – 2009/1/14

藤原 忠彦 (著) 著者について

藤原 忠彦(ふじわら ただひこ) 長野県川上村長。1938年長野県南佐久郡川上村生まれ。長野県立臼田高等学校中退。農業に従事した後、川上村役場職員に。企画課長を経て、1988年川上村長に就任。現在6期。21年目。長野県町村会長,全国町村会理事・行政部会長を務める。 全村のCATV導入など農業情報ネットワークシステムの構築や村営バスの運営、24時間図書館、森林文化の発信など先進的な村づくりで注目されている。 「都会の女子学生が、夏休みにアルバイトで川上村を訪れたのをきっかけに、川上村に嫁ぐことが多くなった」と目を細める。

 

登録情報

/30/2015

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第一章 ヒトを人間にかえたもの

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