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2015年7月

2015年7月26日 (日)

大島地域共生・協働推進協議会(事務局・鹿児島県大島支庁総務企画課)の2015年度総会が23日、奄美市名瀬の鹿児島県大島支庁であった。奄美大島と沖永良部島の市町村担当者やNPO団体の代表など18人が出席。鹿児島県事業を活用して島唄の保存・伝承へのイベントを実施した奄美市名瀬のNPO法人「ディ!」(麓憲吾理事長)の事例発表などがあり、県と民間がそれぞれの立場で課題解決に向けた地域社会の在り方を確認した。2015,7,26、

2015年7月22日 (水)

鹿児島県が・市町村への権限移譲・市町村への権限移譲については,平成17年7月に策定した「権限移譲プログラム」に基づき,「住民に身近な事務は,可能な限り住民に身近な市町村において処理することが望ましい」との基本的な考え方のもと,市町村の移譲希望を募った上で,協議を行い,協議が調った市町村に権限移譲を行っています。

http://amamioosoma.synapse-blog.jp/yosiharu/2015/07/177-4e42.html


引用


文化伝承の行政と連携・7月24日・事例を交え地域の在り方確認・

大島地域共生・協同推進協・

大島地域共生・協働推進協議会(事務局・鹿児島県大島支庁総務企画課)の2015年度総会が23日、奄美市名瀬の鹿児島県大島支庁であった。奄美大島と沖永良部島の市町村担当者やNPO団体の代表など18人が出席。鹿児島県事業を活用して島唄の保存・伝承へのイベントを実施した奄美市名瀬のNPO法人「ディ!」(麓憲吾理事長)の事例発表などがあり、県と民間がそれぞれの立場で課題解決に向けた地域社会の在り方を確認した。

「事例発表も交え、共生・協働の地域社会づくりへの取り組みを確認した共生・協働推進協議会総会」

「共生・協働による温もりのある地域社会づくり」は、鹿児島県が地域の自治会やNPO法人、企業、ボランティアなどと協力して進める、地域へのサービス提供の新たな仕組み作り。「ディ!」は14年度、同施策の柱の一つ「NPO共生・協働・かごしま推進事業」に基づき、「奄美島唄の保存伝承及び島唄を活用した地域活性化事業を」実施した。

鹿児島県が奄美島唄の伝承を目的として10~12年度に行った島唄調査と資料(歌詞、音源)の作成・保存事業の流れを組む内容。「ディ!」はこれらの資料を広く一般に伝えるとともに、「林」の面から島唄へ親しんでもらおうと、今年2月に奄美市名瀬と宇検村で「お囃子ショー」と題したイベントを開いた。事例発表では、取り組みの意義やイベントに集まった地域住民の反応なども紹介。丸田泰史事務局長は「島唄は地域ごとに異なる文化であり、伝承には地域と行政の連携が必要。鹿児島県が作成した資料は各自治体の公民館などにも配られており、広く住民に知ってほしい」と述べ、八月踊りなど他の文化継承への応用も提案した。

鹿児島県共生・協働推進課の上村清志協働企画係長は「島唄を一基の財産として誇ることで、地域の結束強化も期待できる」と評価。多様化する地域課題への対応へ、あらゆる立場で結束した共生・協働の推進を求めた。

総会では瀬戸内町での共生・協働普及啓発セミナー開催(本年度11月)などを申し合わせた。

新聞記事・平成27年7月26日 日曜日 



大刀洗町は、福岡県の中南域を占める筑後平野の北東部, 筑後川の中流域北岸に位置します。 総面積は22.83平方キロメートルで、東は朝倉市、南は久留米市、西は小郡市、北は小郡市と筑前町にそれぞれ接しています。

町名の由来『菊池武光が小川を渉ったところを「菊池渡り」といい、大刀を洗った川を大刀洗川と称するようになった。本町山隈の菊池公園一帯がそれと推定されよう。本町名の大刀洗はかくしてうまれたのである』(大刀洗町史より)

  町章

大刀洗町 町章

大刀洗町のタを適格に呼ぶために、タをモチーフにしています。タの現字は多であり、三村合併により大きくなった意味もあります。その多を扇形にデザインしたもので、末広がりに発展する大刀洗町を象徴し、タの原点は空間に向かって無限に伸びる意味を表しています。

町の木、町の花及び町の鳥モチノキ町の木(モチノキ)

桜町の花(サクラ)ひばり町の鳥(ひばり).  町民憲章 

豊かで、明るい、活力あるまち大刀洗

心豊かな未来を拓く人のまちにしましょう

健康で安心して暮らせる明るいまちにしましょう

自然を愛しすみよい生活環境のまちにしましょう

農業と商工業が調和した活力あるまちにしましょう

個性とうるおいのある文化のまちにしましょう

町制施行50周年記念誌

 町勢要覧 表紙 (431キロバイト)

町長あいさつ(2頁) (211キロバイト)

目次(3頁) (202キロバイト)

位置(4~5頁) (295キロバイト)

風景(6~7頁) (370キロバイト)

農業(8~11頁) (609キロバイト)

工業・商業(12~13頁) (595キロバイト)

健康・社会福祉(14~15頁) (390キロバイト)

環境・下水(16~17頁) (390キロバイト)

交通・安全(18~19頁) (460キロバイト)

生涯学習・伝統文化(20~21頁) (533キロバイト)

学校教育(22~23頁) (409キロバイト)

校歌(24頁) (60キロバイト)

 行政・議会(25頁) (198キロバイト)

歴代町長・議長(26~27頁) (206キロバイト)

年中行事(28頁) (126キロバイト)

公共施設(29頁) (14キロバイト)

たちあらいマップ(30~31頁) (565キロバイト)

今昔(32~33頁) (295キロバイト)

50年史年表(34~49頁) (2,648キロバイト)

統計(50~53頁) (486キロバイト)

大刀洗町民憲章(54頁) (754キロバイト)

大刀洗小唄(55頁) (551キロバイト)

町のシンボル(56頁) (512キロバイト)

裏表紙 (1,779キロバイト)

大刀洗小唄

大刀洗音頭の歌詞画像

大堰御田植え唄の歌詞画像

地域振興課 企画係   

電話:(0942)77-0173 ファックス:(0942)77-3063 

http://www.town.tachiarai.fukuoka.jp/page/page_50007.html

8:09 2015/07/26

 

町長あいさつ

更新日:2015月1月6日

大刀洗町長 安丸国勝

自らが守り育てる豊かで活力あるたちあらい. 現在、地域の住民一人ひとりが自ら考え、主体的に行動し、その行動と選択に責任を負う「地域主権改革」が進められており、地方行政のあり方は大きく変わろうとしています。

少子高齢化の進展、国家財政の悪化、経済の不振など、自治体を取り巻く環境は、年を追うごとに厳しさを増しています。しかし、先人の叡智とたゆまぬ努力によって築き上げられたこの美しい郷土を守り抜き、発展させていかなければなりません。そのために、「豊かな自然が息づく環境づくり」、「自立に向けた行財政運営」を基本目標に掲げ、「自らが守り育てる 豊かで活力ある たちあらい」を実現するための施策に取り組んでまいります。

大刀洗町では、久留米市のライフサポートブック“もやい”を基本に「大刀洗町版もやい」として“れいんぼー”を作成しました。

この町のすべての子どもたちが、生まれ、育ち、就学して就労するまで一貫して活用できるよう、お子さんと保護者の方に向けて配布します。

このファイルは保護者や家族、さらにお子さんにかかわる関係機関が一人ひとりの成長や子育てを応援するものです。光輝く空にうつくしくかかる虹のように一人ひとりのいろんな色が輝いて大きな虹となり、そしてこのファイルが周りの人たちとの架け橋になってくれることを願って名づけました。

“世界に1つだけの『☆☆ちゃん』の子育てファイル”を、自由に、楽しんで書き込んでみてください。子育てのヒントや成長の記録として活用されることを願っています。

 ※Word形式ファイルは、力して使うことができます。

 添付資料  大刀洗町子育て支援ファイル「れいんぼー」(全体・PDF)  新しいウィンドウで表示(PDF:6901.8キロバイト)

添付資料  大刀洗町子育て支援ファイル「れいんぼー」(全体・Word)  新しいウィンドウで表示(ファイル:10992.1キロバイト)

 

添付資料  大刀洗町子育て支援ファイル「れいんぼー」(表紙~目次・Word)  新しいウィンドウで表示(ファイル:1437.0キロバイト)

 

添付資料  大刀洗町子育て支援ファイル「れいんぼー」(成長の記録・Word)  新しいウィンドウで表示(ファイル:724.2キロバイト)

 添付資料  大刀洗町子育て支援ファイル「れいんぼー」(医療情報の記録・Word)  新しいウィンドウで表示(ファイル:1148.5キロバイト)

 添付資料  大刀洗町子育て支援ファイル「れいんぼー」(0歳から6歳の記録・Word)  新しいウィンドウで表示(ファイル:1695.0キロバイト)

 添付資料  大刀洗町子育て支援ファイル「れいんぼー」(学校の記録・Word)  新しいウィンドウで表示(ファイル:2094.5キロバイト)

 

添付資料  大刀洗町子育て支援ファイル「れいんぼー」(オプションシート集・Word)  新しいウィンドウで表示(ファイル:3597.2キロバイト)

 

添付資料  大刀洗町子育て支援ファイル「れいんぼー」(裏表紙・Word)  新しいウィンドウで表示(ファイル:380.2キロバイト)


 子ども課 学校教育係

電話:(0942)77-6205 ファックス:(0942)77-2720 

http://www.town.tachiarai.fukuoka.jp/page/page_30477.html

8:19 2015/07/26

 

 

 

差出人: news@kosonippon.org

送信日時:       2015年7月24日金曜日 9:01

宛先:   takita@po.synapse.ne.jp

件名:   【構想日本】大刀洗町「住民協議会」 7/26(日)開催

15565名・

◇―――――――――――――――――――――――――――――――――

 住民自治の最先端モデル   大刀洗町「住民協議会」

「住民協議会」は、いわば住民が委員を務める審議会です。町の行政課題について、住民自身が解決策を考え、それに基づいて町が対応するという取り組みです。今回も無作為抽出で選ばれた住民が参加します。

これまで「ゴミ問題」、「地域包括ケア」、「地域自治団体と行政の役割」について話し合い、答申を提出しました(詳細は、構想日本ホームページをご覧ください)。今回は「子育て支援」がテーマです。

大刀洗町では、これまでの住民協議会(全9回開催)で、町民が地域の課題を「自分事」として考えるようになり、町民の意識、行政への関わり方が大きく変わりました。

住民による自治、民主主義の最先端がここにあります。ぜひ傍聴してください。そして注目してください。

        ― 開 催 概 要 ―

大刀洗町「住民協議会」 第4弾:子育て支援について

【日  時】  第1回:7月26日(日)13:00~15:30       (テーマについての事前勉強会)

第2回:8月29日(土)9:00 ~12:00    (2班に分かれて議論、全体での意見交換)

        第3回:11月1日(日)9:00~12:00

           (2班に分かれて議論、全体での意見交換)

        第4回:11月28日(土)9:00~12:00

           (報告書の叩き台をもとに議論、意見集約、答申作成)

【会   場】  大刀洗町役場 3階会議室(大刀洗町大字冨多819番地)    

            ※会場についてのお問い合わせは

              大刀洗町総務課総務係まで(0942-77-0171)

【主 催】  大刀洗町        【協 力】  構想日本

【参加者】   大刀洗町住民協議会委員(大刀洗町民 48名)        構想日本:コーディネーターおよび解説役     大刀洗町職員

※これまでの住民協議会(答申)はこちらからご覧いただけます。

  第1弾「ゴミ問題」(答申)http://www.kosonippon.org/project/detail.php?id=162

第2弾「地域包括ケア」(答申)http://www.kosonippon.org/project/detail.php?id=161

 

 第3弾「地域自治団体と行政の役割」(答申)

http://www.kosonippon.org/project/detail.php?id=672

 

※お問い合せ:構想日本 伊藤/田中 TEL:03-5275-5607、shiwake@kosonippon.org

 


2015年7月22日 (水)

鹿児島県が・市町村への権限移譲・市町村への権限移譲については,平成17年7月に策定した「権限移譲プログラム」に基づき,「住民に身近な事務は,可能な限り住民に身近な市町村において処理することが望ましい」との基本的な考え方のもと,市町村の移譲希望を募った上で,協議を行い,協議が調った市町村に権限移譲を行っています。


大島地域共生・協働推進協議会(事務局・鹿児島県大島支庁総務企画課)の2015年度総会が23日、奄美市名瀬の鹿児島県大島支庁であった。奄美大島と沖永良部島の市町村担当者やNPO団体の代表など18人が出席。鹿児島県事業を活用して島唄の保存・伝承へのイベントを実施した奄美市名瀬のNPO法人「ディ!」(麓憲吾理事長)の事例発表などがあり、県と民間がそれぞれの立場で課題解決に向けた地域社会の在り方を確認した。

http://amamioosoma.synapse-blog.jp/yosiharu/2015/07/post-4140.html


引用


更新日:2015年4月1日

 鹿児島県が・市町村への権限移譲・市町村への権限移譲については,平成17年7月に策定した「権限移譲プログラム」に基づき,「住民に身近な事務は,可能な限り住民に身近な市町村において処理することが望ましい」との基本的な考え方のもと,市町村の移譲希望を募った上で,協議を行い,協議が調った市町村に権限移譲を行っています。

 平成27年4月からは,32市町村に対し,新たに25法令261事務が移譲されるところであり,これまで移譲したものを加えると,移譲対象事務の5割を超える50法令521事務が移譲されることとなります。

##各種手続きの窓口がより身近に(平成27年4月から窓口が変更になります)

##権限移譲プログラムに基づく権限移譲の概要

##権限を受け入れた市町村の主な取組

 

また,国では,住民に最も身近な行政主体である市町村が,地域における行政の自主的かつ総合的な実施の役割を担えるようにするため,都道府県の事務・権限の市町村への移譲等の取組を進めています。

##法令による市町村への権限移譲の概要

 

各種手続きの窓口がより身近に(平成27年4月から窓口が変更になります)

##「権限移譲プログラム」に基づく権限移譲により,平成27年4月から一部手続きの窓口が県から市町村に変更されます。

##特に,いちき串木野市にお住まいの方は,平成27年4月からパスポートの発給の申請,交付につきましては,いちき串木野市役所が窓口となりますので,ご注意ください。(平成27年3月までに発給申請されたパスポートにつきましては,申請したかごしま県民交流センターや地域振興局等で交付されます。)

 

新たに申請や届出などの窓口が変更となる手続き

 

窓口変更一覧(PDF:50KB)

 

権限移譲プログラムに基づく権限移譲の概要

基本的な考え方##「住民に身近な事務は,可能な限り住民に身近な市町村において処理することが望ましい」との基本的な考え方のもと,

1.一律ではなく,意欲のある市町村に権限を移譲・

2.10万都市(鹿屋市,薩摩川内市,霧島市)に対し,合併後の自立的なまちづくりを推進するための権限を移譲

 

移譲対象事務

##「まちづくり」・「生活環境」・「福祉」など『70法令87項目901事務』(平成27年4月改訂)

 

権限移譲プログラム(PDF:689KB)

 

平成27年4月からの権限移譲(移譲事務及び移譲市町村)の状況

 

##32市町村に25法令26項目261事務が新たに移譲されます。

##住民サービスの向上につながる「パスポートの発給の申請の受理及び交付」の事務が,新たにいちき串木野市へ移譲されます。

##住民と行政との共生・協働につながる「NPO法人の設立認証等」の事務が,新たに4市(西之表市,垂水市,南九州市,伊佐市)へ移譲されます。

 

平成27年4月からの権限移譲状況(PDF:62KB)

 

平成27年4月時点での権限移譲(移譲事務及び移譲市町村)の状況

##43市町村(全市町村)に対して50法令57項目521事務を移譲(移譲対象事務の56.8%を移譲)

 

市町村別移譲状況(PDF:41KB)

 

移譲対象事務別移譲状況(PDF:121KB)

 

権限を受け入れた市町村の主な取組

 

##各市町村では,権限移譲された事務について,住民サービスの充実や利便性の向上,事務処理の効率化などが図られるよう,様々な工夫や独自の取組が行われています。各市町村の取組の主なものについては,こちらをご覧ください。

##NPO法人の設立認証,届出の処理等(鹿屋市の事例)(PDF:319KB)

##農地転用の許可等(指宿市の事例)(PDF:443KB)

##浄化槽設置等の届出受理,維持管理指導等(阿久根市の事例)(PDF:655KB)

##路外駐車場等の設置届出等の処理等(出水市の事例)(PDF:439KB)

##国有財産である準用河川の境界の決定等(霧島市の事例)(PDF:350KB)

##福祉事務所の設置に関する事務(長島町の事例)(PDF:403KB)

##特定工場に関する届出処理等(大崎町の事例)(PDF:339KB)

##土地改良区の設立・合併・解散に関する事務等(伊佐市の事例)(PDF:322KB)

##パスポートの発給の申請の受理及び交付事務等(南九州市,霧島市の事例)(PDF:397KB)

 

法令による市町村への権限移譲の概要・

平成24年4月以降,法律の改正等により市町村へ権限移譲された事務の内容

##第2次一括法等により権限移譲された事務(PDF:174KB)

##第3次一括法により権限移譲された事務(PDF:50KB)

##第4次一括法等により権限移譲された事務(PDF:24KB)

関連リンク.

基礎自治体への権限移譲も含めた地方分権改革の動向については,県ホームページ又は内閣府地方分権改革推進室のホームページ等でご覧いただけます。

##地方分権改革について(サイト内ページへリンク)

http://www.pref.kagoshima.jp/ab02/kensei/gyokaku/bunken/bnkenkaikaku.html

##内閣府ホームページ(外部サイトへリンク)

http://www.cao.go.jp/bunken-suishin/index.html

##内閣府地方分権改革推進室Facebook(外部サイトへリンク)

https://www.facebook.com/cao.bunken

##内閣府地方分権改革推進室Twitter(外部サイトへリンク)


 

よくあるご質問

総務部市町村課

http://www.pref.kagoshima.jp/ab08/kensei/shityoson/gyosei/bunken.html

http://www.cao.go.jp/bunken-suishin/archive/archive-index.html

 

10:59 2015/07/22

 


2015年7月14日 (火)

日本でここだけ!能登の旅 vol1塩と生きるvol2キリコの灯vol3能登にある宇宙

引用


日本でここだけ!能登の旅 vol1塩と生きるvol2キリコの灯vol3能登にある宇宙

能登は素晴らしい

vol4渚をドライブ!vol5白米千枚田

塩と生きる江戸時代から続く“揚げ浜式製塩”で職人が手ずから生み出す伝統の塩 道の駅すず塩田村で塩の歴史を体感する

能登には江戸時代から現代まで、唯一途絶えることなく作り続けられている製塩の伝統があります。海水を砂の塩田に撒き、塩分を濃縮させ、漉し、大釜でじっくり煮詰める…職人の手作業で作りだされる塩は、他にないまろやかな味。能登の塩、要チェックです!

 日本で唯一現存! 江戸時代から続く“揚げ浜式製塩”

1.海水を砂浜に揚げ、塩田に運びます。2.塩田に海水を撒き、天日の力で塩分濃度を高めます。 3.塩分を凝縮した砂を集め、海水で漉し「かん水」を作ります。4「かん水」を大釜で6時間ほど荒焚きし、その後胴桶へ貯め、さらに本焚きで18時間ほど煮詰めると完成です。

海水を浜の塩田に揚げて製塩する“揚げ浜式製塩”は、数種類ある海水を利用した製塩方法の中でもかなり古く、近世における製塩方法の元祖ともいえる方法です。砂浜にある塩田に海水を撒き、塩分を濃縮させた砂を海水でさらに漉し、塩分の高い「かん水」を作り、それを大釜で煮るというシンプルな作り方です。

かつては日本各地に多くの塩田がありましたが、明治以降の塩の専売制や昭和の塩事業整備によりほとんどが姿を消しました。その際、能登の塩づくりは特別伝統技術の保存と観光のために存続を許され、伝統的な能登の塩を作り続けました。

 平成になり製塩が自由化されるとともに珠洲の塩田を復活させようという気運が高まり、地元民間業者が立ち上がり、能登の塩田が復活・増加することとなりました。細々と続けられていた伝統的な製塩が、 地元の人たちの力によって、再び大きく息を吹き返したのです。

道の駅すず塩田村で塩を作り続ける職人・登谷良一さんに塩づくりについて話を伺います。

塩職人・登谷良一さん

なにより塩味がまろやかなこと。変な話だけど、先代には「しょっぱい塩は失敗作だ」とよく叱られた。もちろん塩だからしょっぱいんだけど、能登の塩は塩味の前にまろ味、やさしい塩味じゃないといけない。それは能登の塩がただの「塩分」じゃなくて、海水の持つ自然なミネラル分がきちんと残っているから。昔と違って最近は自然塩も多く売ってるけど、中でもここの塩は砂に撒いて作るから、砂のミネラル分も足されてより深い味わいになっているような気がするね。

塩づくりで難しいことはなんですか?

最後の大釜で「かん水(塩田で濃縮させた濃い塩水)」を煮込む時だね。ここが一番難しい。ここで火加減や煮詰める時間を間違えると、角の立った塩味のきつい塩になってしまう。最初に沸騰させるまでは強火で一気に沸かして、雑味になるアクを出し切る。だけどきちんと風味とミネラルも残さないといけない。雑味を捨てて風味を残す。このコツを会得するまで時間がかかったね。長年の経験と勘が物を言う、職人技の世界です。

 

能登の塩をどのように使ってほしいですか?

能登の塩は舌触りがなめらかでまろやかな味が特徴だから、おにぎりを作るのには最適だよ!あとご飯を炊くときにひとつまみこの塩を入れて炊くと、ご飯がツヤツヤに炊けるんだよね。もし塩田村に足を運んでもらえるなら、ぜひ塩づくり体験をしてもらいたいね。塩田に海水を撒く工程があって、これが上手にできると、「ファサー」って軽快な音がして気持ちいいんだよね(笑)。

 塩づくりを体験してみよう!

道の駅すず塩田村では、予約すると誰でも塩づくりの体験ができます。90分でできる手ごろなAコースから、真剣に自分だけの塩を手作りできるCコースまで、お好みのコースを選んでみて! 

一番人気のお手頃コース! Aコース(所要時間約90分/料金500円) 1 海水が乾いた後の砂(かん砂)を集める。

2 集めたかん砂を、箱状の「たれ舟」に入れる。

3 たれ舟の上から海水を流し込み、塩分の濃い海水「かん水」を作り、塩分濃度を測る。

4 桶で海水を汲み、塩田まで運ぶ。

5 「打桶(おちょけ)」で塩田に海水を撒く。きれいな扇状に撒けるようチャレンジ!

6 電気コンロを使い、事前につくられたかん水を煮詰める。

7 塩の完成!

 より深く体験できるこだわりコース! Bコース(所要時間約3時間/料金2,000円) (Aコースの内容に加え)

1 かん水を取り出した後の砂を、スコップのような「刎(はね)」を使って再び塩田へ戻す。

2 戻した砂を、トンボかけのような「駒渫(こまざらい)」で均等にならす。

 

徹底的に塩作りを体験したい本気のコース! Cコース(所要時間約20時間/料金3,500円) (Aコース、Bコースの内容に加え)

1 かん水を取り出した後の砂を、スコップのような「刎(はね)」を使って再び塩田へ戻す。

2 体験釜を使い、薪を入れながらかん水を煮詰める。

3 塩の完成! 

すべてのコースで自分の作った塩を持ち帰ることができます。

 

※5/19/30のみ体験できます。

※別途、資料館入館料(大人100円、小人50円)が必要となります。

※要予約です。全コース13:30開始になります。

※A・Bコースの作業時間は、参加人数で多少増減します。

※Cコースは開始した次の日の昼ごろまでかかります

(1922時間程度。この場合の宿泊施設手配、費用はご利用者様負担となります)代表的なキリコ祭りスケジュール(2012年)

道の駅すず塩田村住所 珠洲市清水町1-58-1

 TEL  0768-87-2040営業時間 8:30~17:30

資料館入館料 大人100円 小人50 円 能登で買える人気の塩アイテム

のと 「のと珠洲塩 一番釜」(100g 420円)

釜で煮詰め工程で、最初に浮いてくる塩をすくい上げる「一番釜」。上品な味わいのこだわり塩は、お土産や贈答品としてもぴったりです。

◆買えるところ新海塩産業 珠洲市長橋町15-18-11 0768-87-8140 など   のと

「しおサイダー」(340ml 200円)

 

1本に1グラムの海水塩が入ったサイダー。能登塩独特のまろ

 やかさが、爽やかなサイダーに意外なほどマッチ。より深い甘さが感じられるのは「スイカに塩」理論!?

 ◆買えるところ

道の駅すず塩田村

 珠洲市仁江町1-12-1 0768-87-2040 など

のと 「四角い塩あんぱん」(2個入り 350円 )

塩とあんこが絶妙なコラボレートを見せる塩の入ったあんぱん。四角い塩の結晶をイメージしてこの形になりました。中身はこしあんとつぶあんの2種類がセットになっています。

◆買えるところ塩の駅 輪島塩

 輪島市町野町大川ハ17-2 0768-32-1177 など   のと 「塩アイス」(250円、300円)

アイスミルクにお塩少々つけくわえました。微かな塩味が甘さを引き締めサッパリした味わいに仕上がっています。

◆買えるところ珠洲製塩 珠洲市長橋町13字17-2 0768-87-8080

 リンク 奥能登塩田村

http://www.okunoto-endenmura.jp/

http://www.notohantou.net/noto_only/kiriko.html

http://www.notohantou.net/noto_only/cosmo.html

http://www.notohantou.net/noto_only/chirihama.html

http://www.notohantou.net/noto_only/senmaida.html

11:02 2015/03/29

https://notokara.jp/

 

http://www.notohantou.net/noto_only/salt.html?PHPSESSID=eqh58

s5e3dt3981s2th2tqokc7

10:56 2015/03/29     のと里山空港


WWW を検索 のと里山空港 を検索  .フライト情報 交通アクセス お知らせ 施設案内 観光情報 よくある質問

現在位置:ホーム > 交通アクセス交通アクセス・・のと里山空港から各地へ

故郷タクシー

http://www.notohantou.net/access/hurutaku_yoyaku.html

午前便 ANANH747便(羽田空港08:50発~のと里山空港09:50着)をご利用のお客様・※特急バス、路線バスの時刻表は平成27年3月14日より新ダイヤに変更となりました。

ふるさとタクシー

特急バス

定期観光バス

路線バス

貸切観光タクシー

のと鉄道

レンタカー.

▼ 移動したい方面を選択してください。交通手段をご案内いたします。

アクセスマップ画像

のと里山空港バス時刻表はこちら

【珠洲・能登町方面へ】

のと里山空港発

交通手段

備考

終点到着時間

運賃

12:15 特急バス:珠洲特急線

路線マップ 珠洲鉢ヶ崎行き のと里山空港→珠洲鉢ヶ崎 13:14 1,410円

到着便に接続 【予約制】 ふるさとタクシー(空港連絡バス) のと里山空港発着便に合わせて運行!安くて安心な乗り合いタクシー - 能登町:900円

能登町(旧内浦町)・珠洲市:1,300円

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備考

 

終点到着時間

 

運賃

 10:36 路線バス:穴水輪島線

路線マップ 輪島駅前行き 11:08 590円

到着便に接続 【予約制】 ふるさとタクシー(空港連絡バス) のと里山空港発着便に合わせて運行!安くて安心な乗り合いタクシー - 輪島市:900円

輪島市(旧門前町):1,300円

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のと里山空港発交通手段備考終点到着時間

運賃 

11:34 路線バス:穴水輪島線

路線マップ 穴水総合病院行き のと里山空港→穴水総合病院 11:58 340円

到着便に接続 【予約制】 ふるさとタクシー(空港連絡バス) のと里山空港発着便に合わせて運行!安くて安心な乗り合いタクシー - 900円

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・notoいろタクシー・貸し切りタクシー 時間制運賃で運行! - -

地図へ戻る【羽咋・志賀・宝達志水方面へ】

のと里山空港発交通手段備考終点到着時間

運賃

11:34 路線バス:穴水輪島線路線マップ+のと鉄道+JR バス: のと里山空港(11:34)→穴水駅前(11:53)

のと鉄道:

穴水駅(12:02)→七尾駅(12:42)

JR

七尾駅(13:11)→羽咋駅(13:40) 13:43 のと里山空港連絡切符

(のと里山空港→穴水駅→七尾駅):800円

七尾駅-羽咋駅:500円

到着便に接続 【予約制】 ふるさとタクシー(空港連絡バス) のと里山空港発着便に合わせて運行!安くて安心な乗り合いタクシー - 羽咋市・宝達志水町: 2,100円

志賀町:1,800円

到着便に接続 【予約制】 レンタカー:

・トヨタレンタリース石川

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・ニッポンレンタカー

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到着便に接続 【予約制】 貸切観光タクシー:

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交通手段備考終点到着時間11:34 路線バス:穴水輪島線路線マップ+のと鉄道 バス:のと里山空港(11:34)→穴水駅前(11:53)

のと鉄道:

穴水駅(12:02)→和倉温泉駅(12:37)→七尾駅(12:44)  12:44 のと里山空港連絡切符

(のと里山空港→穴水駅→能登鹿島駅、西岸駅、能登中島駅、笠師保駅、田鶴浜駅、和倉温泉駅、七尾駅):800円 

到着便に接続 【予約制】 ふるさとタクシー(空港連絡バス) のと里山空港発着便に合わせて運行!安くて安心な乗り合いタクシー - 七尾市・中能登町:1,600円

到着便に接続 【予約制】 レンタカー:

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・ニッポンレンタカー

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到着便に接続 【予約制】 貸切観光タクシー:

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【金沢方面へ】のと里山空港発交通手段備考終点到着時間

運賃

 12:04 特急バス:輪島特急線

路線マップ 兼六園下行き のと里山空港→金沢駅西口→兼六園下 14:15 2,160円

11:34 路線バス:穴水輪島線

路線マップ

+のと鉄道+JR バス:のと里山空港(11:34)→穴水駅前(11:53)

のと鉄道:穴水駅(12:02)→和倉温泉駅(12:37)→七尾駅(12:44)

JR:七尾駅(13:11)→金沢駅(14:35) 15:02 バス:340円

穴水駅-金沢駅:2,000円 到着便に接続 【予約制】 レンタカー:

・トヨタレンタリース石川

・日産レンタカー

・ニッポンレンタカー

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到着便に接続 【予約制】 貸切観光タクシー:・notoいろタクシー

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3/28/2015


2015年7月 2日 (木)

日米地位協定って何ですか?・16・ひとことでいえば、「戦後日本」のパンドラの箱」です。「はじめに」にも書いたとおり、現在日本で起きている様々な出来事、・原発事故と再稼働問題・不況下での大増税問題・・オスプレイ配備問題・・TPP参加問題・・検察の調書ねつ造問題・などの多くが、この日米地位協定を源流としているからです。ただし、パンドラの箱と同じく、わずかですが私たちには「希望」も残されています。これからこの本の中で、そのことを説明していきたいと思います。

引用


PART1 日米地位協定Q&A(17問)


1: 日米地位協定って何ですか?・16・ひとことでいえば、「戦後日本」のパンドラの箱」です。「はじめに」にも書いたとおり、現在日本で起きている様々な出来事、・原発事故と再稼働問題・不況下での大増税問題・・オスプレイ配備問題・・TPP参加問題・・検察の調書ねつ造問題・などの多くが、この日米地位協定を源流としているからです。ただし、パンドラの箱と同じく、わずかですが私たちには「希望」も残されています。これからこの本の中で、そのことを説明していきたいと思います。


17頁・でも、「パンドラの箱」と聞いて、「そんな抽象的な言い方弱、もっと具体的に説明してくれ』と思われる方もいらっしゃるかもしれません。

わかりました。それでは抽象的じゃない、もっとはっきりした言い方で日米地位協定を定義すると、こうなります。

「アメリカが占領期と同じように日本に軍隊を配備し続けるための取り決め」

皆さんもよくご存じのとおり、1945年の敗戦から約六年半、日本は占領されており、占領軍(その実態は米軍)は日本国内で好きなように行動することができました。1952年4月に講和条約が発効し、日本は独立を果たしましたが、占領軍は新たに結ばれた日米安保条約の下、在日米軍と名前を変え、日本に駐留し続けることになりました。

その在日米軍が独立から60年たった今でもなお、占領期とまったく変わらず行動するための取り決め、それが「日米地位協定」なのです(「地位というのは「在日米軍の法的地位」ということですので、本当は「米軍地位協定」と呼ぶべきでしょう。

18頁・


18頁・正式名称は14頁・参照・

もちろんそれはアメリカ側が一方的に押し付けたものではありません。いくらアメリカでも、そんなことはできません。このあと本書をお読みになればわかるとおり、それはさまざまな歴史的経緯の結果、日米の合意のもとに取り決められたものなのです。

もっと露骨に言うと、こう言えるのかもしれません。

「日本における、米軍の偉大な権益についての取り決め」


ここで「米軍の強大な権益」などという、少し大げさな、耳慣れない言葉を使ったのには理由があります。一般に日米地位協定は、1960年に日本とアメリカという主権国家同士が結んだ安全保障条約(日米安保条約)の細則(=細かな規則)だと考えられています。


しかしこれから本書を読んでいただければわかるとおり、そうではないのです。日米地位協定の本質は、そうした主権国家同士が結んだ対等な条約の細則という側面にはなく、1945年、太平洋戦争の勝利によって米軍が日本国内に獲得した強大な権益が、戦後70年たった今でも維持されているという点にあるのです。

019頁・こういうと、「また何を大げさなことを言っているんだ」と思われるかもしれません。しかし、よく聞いてください。


日米地位協定は、1952年に旧安保条約と同時に発効した「日米行政協定」を前身としています。その日米行政協定を結ぶにあたってアメリカ側が最も重視した目的が、


1・日本全土基地化・

2・在日米軍基地の自由使用・


だったことが、豊下楢彦・関西大学院大学教授や、三浦陽一・中部大学教授の精緻な研究によって明らかになっています。

日本全土基地化とは、日本国内のどの場所でも米軍基地にできるということ。言いかえれば、日本全土を米軍にとっての「潜在的基地」にするということです。

一方、在日米軍基地の自由使用とは、占領期と同じように、日本の法律に拘束されず自由に日本国内の基地を使用できることを意味します。


020頁・日米安保条約におけるアメリカ側の交渉担当者だったジョン・フォスター・ダレス(当時、国務省顧問)の有名なセリフを借りれば、日本の独立(占領終結)に際してアメリカ側が最大の目的としたのは、「我々が望む兵力を(日本国内の)望む場所に、望む期間だけ駐留させる権利を確保すること」48頁・だったのです。


そしてアメリカの政治学者マイケル・シャラーの研究によって、1951年1月末に始まった占領終結に向けての交渉の中で、アメリカ側代表は2月中旬までにこの条件を日本側に認めさせたことがわかっています。このとき、日本国民には絶対知られたくない基地や米軍についての具体的な取り決めは、「秘密の了解として合意することも決められました(60頁・)。それこそが「日米地位協定」の前身である「日米行政協定」だったのです。

その「日米行政協定」と現在の「日米地位協定」は、本質的には何も変わっていないのです。一見、条文上は改定時に米国側が譲歩したように見えますが、重要な権利については付属文書や非公開の密約という形できちんと担保されているからです。(166頁)


021頁・平成27年7月3日 金曜日・

・ウラとオモテのストーリー・

物事には何でも、ウラとオモテがあります。とくに外交や国際政治の世界はそうでしょう。しかしこの日米安保条約と日米地位協定をめぐる物語ほど、オモテ側(建前)のストーリーとウラ側(真実)のストーリーが乖離した問題はありません。しかもそれが旧安保条約から数えてもう60年も続いているのですから、まさにギネス級の粉飾だといってよいでしょう。

オモテ側(建前)のストーリーでは、こうなっています。

・第二次大戦で無残に敗北した日本は、その深刻な反省から、新しく平和憲法を作って戦争を放棄することにした。そのため自分たちでは国を守れなくなったので、1952年に国際社会に復帰するにあたり、アメリカと安全保障条約(旧安保条約)を結んで米軍に守ってもらうことにした。具体的には、旧安保条約によって米軍の日本への駐留を認め、その駐留の形については日米行政協定で定めることにした。

ところが1952年に発行した旧安保条約に日本に不利な面があったので、1960年に新たに新安保条約を結びなおした。条約の細則である日米行政協定も、より平等な形での日米地位協定として新たに合意した。

022頁・この1960年に結ばれた新安保条約の第6条(383頁)にもとづき、現在、日本に駐留する在日米軍は、日本国内の基地や海域、空域を使用する権利を認められています。また米兵や米軍関係者、その家族にも、日本の国内法を逸脱した大きな特権が認められていることになっているのです。

しかしその実態を分かりやすく言えば、日本における米軍と米兵は、かつての占領期と同じく、日本の法律に拘束されず自由に行動することができるということなのです。

・なぜ戦後70年たっても、米軍はまだ日本にいるのか・

先にも話したとおり、日本は1945年、第二次世界大戦で敗北し、アメリカ軍によって占領されました。8月30日にコーンパイプをくわえて厚木基地に降り立ったマッカーサーの写真は、若い読者の方でも一度は目にしたことがあるはずです。彼の正式な肩書は連合国最高司令官となっていましたが、実態はほとんどアメリカ軍による単独占領でした。

首都圏をはじめとする各地に、強大な米軍基地がつくられ、数十万人の米兵が常駐し、GHQ(連合国総司令部)によって戦前の政治・経済体制が大幅な変更を強いられました。

023頁・

日本の軍隊は解体され、武力・軍事力の保持は禁止され、交戦権も剥奪されました。財閥の解体、農地の開放、戦犯政治家の断罪など、占領軍による国家改造の嵐が吹き荒れたのです。

その後、敗戦から6年8ヵ月たった1952年4月、前年九月に調印したサンフランシスコ講和条約が発効し、日本は独立を回復します。しかしこの時国民の目から見えないところで、とんでもないトリックが仕掛けられていたのです。

占領が終わり、講和条約が結ばれると、通常、占領軍は撤退していきます。講和条約(=平和条約)とは戦争を正式に終了し、平和が回復されたことを宣言するための条約だからです。もちろんサンフランシスコ講和条約にも、第二次大戦の末期(1945年7月)に日本に降伏を求めたポツダム宣言にも、そのことは明記されていました(以下、条文について太字部分だけを読んでも意味が分かるようにしてあります)。

「サンフランシスコ講和条約 第6条(A)前半・

連合国のすべての占領軍は、この条約の効力発生後、なるべく速やかに、かつ、いかなる場合にもその後90日以内に、日本国から撤退をしなければならない

(後略)」

024頁・平成27年7月3日 金曜日

「ポッダム宣言第12項・以上に列挙した占領の目的が達成され、さらに日本国国民の自由に表明された意思に従って、平和的な傾向を持つ責任ある政府が樹立された時は、連合国の占領軍は直ちに日本国より撤退する」

・このように、占領が終われば占領軍が撤退するのは常識中の常識です。もし占領終了後に条約や協定を結んで外国軍が駐留するにしても、一度完全に撤退してから、新たに条約や協定を結ぶのが当然です。

ところが日本の場合、占領終結時に占領軍(=米軍)の基地だったところは、すべてそのまま基地として残されることになりました。GHQは解散しましたが、26万人(1952年4月)の米兵もそのまま駐留をつづけました。ただ名前だけが、占領軍は「在日米軍」に、占領軍の基地は「在日米軍基地」と変わっただけ。基地の使い方も、米軍兵士や基地で働く人たちの権利もそのままでした。

いったいなぜ、そんなことが起こったのでしょうか。

それは先程紹介した「すべての占領軍は、講和条約発効後はいかなる場合も90日以内に日本から撤退しなければならない」とした「サンフランシスコ講和条約第六条(A)」の後半に、こう書かれていたのです。


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