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2015年11月19日 (木)

第一次世界大戦と日本 井上 寿一 (著) 16件のカスタマーレビュー ぼくらの民主主義なんだぜ (朝日新書) 新書– 高橋源一郎 (著) 46件のカスタマーレビュー

 引用


第一次世界大戦と日本 井上 寿一   (著)          16件のカスタマーレビュー

内容紹介

現代日本の原点はここにあった!

 

2014年は第一次世界大戦の開戦100年目です。その影響は第二次世界大戦以上で日本にも深く及んでいました。大戦前後の日本社会を観察すると「複数政党制への過渡期」「好景気から長期停滞へ」「大衆社会のなかの格差拡大」という、まさに今日的な課題がみえてきます。この戦争が浮かびあがらせた課題は21世紀の現在も構造としては変わっていないのです。本書は、さまざまな側面から「現代日本」の始まりを考える一冊です。

 

内容(「BOOK」データベースより)

 

「世界の一等国」の仲間入り、大衆消費文化、バブル崩壊とその後の長期経済停滞、格差と貧困、女性の社会進出…「現代日本」はここから始まった。

新書: 276ページ出版社: 講談社 (2014/6/18)

言語: 日本語発売日: 2014/6/18

 目次

1章 外交(サラエボの銃声欧州大戦略史 ほか)

2章 軍事(日本海軍、地中海へ白色人種対有色人種 ほか)

3章 政治(憲政会政友会 ほか)

4章 経済(成金の登場株成金 ほか)

5章 社会(農村の貧困救済事業 ほか)

6章 文化(江戸っ子のフランス兵アルザスの重要性 ほか)

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ポピュリズムと他人への無関心が引き起こす恐ろしさ

 題名通りの本で満足しました。第一次世界大戦、日本は連合国側で最終的には参戦します。実利としてはドイツ軍が保有していた青島を奪うこと、名目としてはアメリカ合衆国が中心となって喧伝していた人道的側面から、ということで極東の島国もこれに関与する事になります。


本書では外交、軍事、経済、社会、文化、と重要テーマごとに第一次世界大戦が及ぼしたインパクトを当時の新聞記事などを織り交ぜながら生々しく紹介しています。章の間で重複する記述も多々ありますが、むしろ本書のような内容の場合は、同じイベントであっても頻繁に参照してもらう方が、記憶が確かになるのでありがたかったです。

個人的に、最も興味深く拝読したのは経済および社会面です。戦争景気により成金が登場する、しかし戦争終結に伴い多くの成金が無一文になるなど社会混乱も激しく起こる。そして社会に大きな格差が生じ、政治家の暗殺など社会不安が増大する。しかし本書の最後に記載されているように、日本が国際連盟から脱退し、軍部が影響を強め真珠湾攻撃の前年をむかえるというのに、大衆消費文化に一度浸ってしまった上流婦人は高級デパートで浪費活動にいそしむ、ということで、何とも薄気味悪い気分になりました。

民主主義は素晴らしいし私はそれ以外の政体の国で生活したいとは全く思いませんが、ポピュリズム、そして他人に対する無関心さが引き起こす恐ろしさについては本書を読んで強く実感しました。

実は 焦点や内容が分かりづらい 


今年が開戦100年目ということで、第一次世界大戦に関する著作が我が国でも複数発行されている。本書のタイトルもその通りなのだが、本書では大戦後の日本を描いている。大戦を経て政治、外交、経済、社会が大きく変容する中での、日本への影響といったあたりが本書の主題と言えよう。

そして、本書では繰り返し、大戦後の日本と現代日本が似ているという主張や描写がなされている。これは、本書のみならず、近年の著者の新書全てがそうなのである。別に全く似ていないとは言わない。しかし、例えばだ、地方経済の疲弊で地方の労働者が都市に流入し貧困層を形成するのは、現代とWWI大戦後の日本だけでなく、他国でもあるいは、江戸末期にも共通している。外形的に類似することと、その背景や本質まで共通することは実は似て非なることが著者の作品では往々にして捨象されている点には留意が必要だろう。

 

一方で、こうした部分を除くと本書は読み辛い。外交、内政、経済、社会などに章建てを分けているが、結果として、1917年あたりからの日本史を繰り返し読まされる。各章には相互関係があるのだから、素直に何年かを単位とした章建てにした方が格段に読みやすかったろう。また、章によっては、1930年代までが守備範囲となっていて、それがWWIの影響なのか不明な部分も多い。

また、登場人物の注釈もないので、「国際会議屋」などと適当な仇名をつけられた外交官たちの歴史上の役割に何ら言及がないのも、新書の読者層を考えれば不十分と言わざるを得ない。

実は、WWIからの10年は全て大正期である。つまり、ポストWWI=大正時代=立憲政治=資本主義全開=中産階級勃興=格差拡大=都市の平和と地方の貧困あたりは当たり前に重なっている。この点で、WWIに依拠せず、たとえば立憲主義や中産階級を視点として当時日本をと捉える方が分かりやすいし、そうした著者は著者の作品含め近年多くある。

実は 焦点や内容が分かりづらい

今年が開戦100年目ということで、第一次世界大戦に関する著作が我が国でも複数発行されている。本書のタイトルもその通りなのだが、本書では大戦後の日本を描いている。大戦を経て政治、外交、経済、社会が大きく変容する中での、日本への影響といったあたりが本書の主題と言えよう。

そして、本書では繰り返し、大戦後の日本と現代日本が似ているという主張や描写がなされている。これは、本書のみならず、近年の著者の新書全てがそうなのである。別に全く似ていないとは言わない。しかし、例えばだ、地方経済の疲弊で地方の労働者が都市に流入し貧困層を形成するのは、現代とWWI大戦後の日本だけでなく、他国でもあるいは、江戸末期にも共通している。外形的に類似することと、その背景や本質まで共通することは実は似て非なることが著者の作品では往々にして捨象されている点には留意が必要だろう。

 一方で、こうした部分を除くと本書は読み辛い。外交、内政、経済、社会などに章建てを分けているが、結果として、1917年あたりからの日本史を繰り返し読まされる。各章には相互関係があるのだから、素直に何年かを単位とした章建てにした方が格段に読みやすかったろう。また、章によっては、1930年代までが守備範囲となっていて、それがWWIの影響なのか不明な部分も多い。

また、登場人物の注釈もないので、「国際会議屋」などと適当な仇名をつけられた外交官たちの歴史上の役割に何ら言及がないのも、新書の読者層を考えれば不十分と言わざるを得ない。

 実は、WWIからの10年は全て大正期である。つまり、ポストWWI=大正時代=立憲政治=資本主義全開=中産階級勃興=格差拡大=都市の平和と地方の貧困あたりは当たり前に重なっている。この点で、WWIに依拠せず、たとえば立憲主義や中産階級を視点として当時日本をと捉える方が分かりやすいし、そうした著者は著者の作品含め近年多くある。

ポピュリズムと他人への無関心が引き起こす恐ろしさ

題名通りの本で満足しました。第一次世界大戦、日本は連合国側で最終的には参戦します。実利としてはドイツ軍が保有していた青島を奪うこと、名目としてはアメリカ合衆国が中心となって喧伝していた人道的側面から、ということで極東の島国もこれに関与する事になります。

本書では外交、軍事、経済、社会、文化、と重要テーマごとに第一次世界大戦が及ぼしたインパクトを当時の新聞記事などを織り交ぜながら生々しく紹介しています。章の間で重複する記述も多々ありますが、むしろ本書のような内容の場合は、同じイベントであっても頻繁に参照してもらう方が、記憶が確かになるのでありがたかったです。

個人的に、最も興味深く拝読したのは経済および社会面です。戦争景気により成金が登場する、しかし戦争終結に伴い多くの成金が無一文になるなど社会混乱も激しく起こる。そして社会に大きな格差が生じ、政治家の暗殺など社会不安が増大する。しかし本書の最後に記載されているように、日本が国際連盟から脱退し、軍部が影響を強め真珠湾攻撃の前年をむかえるというのに、大衆消費文化に一度浸ってしまった上流婦人は高級デパートで浪費活動にいそしむ、ということで、何とも薄気味悪い気分になりました。

民主主義は素晴らしいし私はそれ以外の政体の国で生活したいとは全く思いませんが、ポピュリズム、そして他人に対する無関心さが引き起こす恐ろしさについては本書を読んで強く実感しました。

第二次世界大戦前の日本も民主主義だった

1914年の第一次世界大戦には日本も関わっていた。外交、軍事、政治、経済、社会、文化の面から当時の日本の状況を著している。

江戸時代末期に締結した不平等条約を克服したのが1911年であり、その直後に第一次世界大戦が勃発した。日本から遠く離れたヨーロッパの戦争であり、戦争当事者であるアメリカ、イギリス、フランス、ドイツは明治期に日本が近代化のお手本とした国々であり、ドイツを敵として戦うことには躊躇もある。それでも日本は参戦し、結果として戦勝国に加わり、国際連盟では理事国にもなる。

 第一次大戦期の戦争特需やその後の不況、国内の政治混乱等、さまざまな要素はあるが、第一次世界大戦後の日本は第二次世界大戦と敗戦に向けて歩を進めているように読め、歴史のダイナミズムを感じた。

 特に著者が強調しているのは、大正デモクラシーを契機に日本には未熟ながらも民主主義が根付き始めていたことである。政治は民意を汲まずに運営することはできない状況になっていた。つまり、第二次世界大戦を起こしたのは日本軍部の独走であり、日本国民は被害者だったということはなく、軍事政権を選び、戦争を支持したのは日本国民であるということだ。現在でも、我々国民の意思によって戦争が始まるかもしれないのだ、と改めて意識させられた。

大正期の日本像を多面的に活写

 第一次世界大戦を扱った本は、2014年が開戦100周年と云うことも有って色々出ている様だが、本書は日本との関わりに焦点を絞り、尚且つ「外交/軍事/政治/経済/社会/文化」と云う多面的な切り口からその全体像を探ると云う点で、今の日本の読者にとって読み易いものとなっている。時期的には第一次世界大戦(欧州大戦)そのものよりも、戦後処理期を扱った部分が大きいのだが、日清・日露の戦いと第二次世界大戦に挟まれた、日本史の中でも割とパッとしない、「戦争のファシズムの時代」の前史としての大正と云う時代の特徴を良く描き出している。視点が幅広い分些か総花的になっている点は認めざるを得ないのだが、パワー・ポリティクスと理想主義、繁栄と虚栄、平和と偽善が奇妙に混淆した雰囲気が孕む数々の矛盾点を、少ない紙面で良く纏めている。「あの時代は何だったのか」と云う時代的意義を考えてみたい読者向き。

但し無論手放しで賞賛出来る訳でもない。例えば経済に関しては高橋是清の施策が何度も国を救った、と高橋を絶賛しているが、彼の評価については最近の経済学者の間でも議論が分かれると聞く。軍事に関しては「精神力の強調は合理的な判断の結果だった」と云う一文が有るが、これは端的に説明不足で意味が分からない。後年日本全土を反知性主義の狂乱に巻き込む精神主義の前哨戦をこんなあっさりと片付けられてしまっては、折角当時と現代との類似点を指摘して、歴史を振り返ることの意義を強調している様な本なのに、消化不良も甚だしい。外交に関しても、やがて30年代に何故あれだけ拙劣な孤立状態に陥ってしまったのか、それを準備した要素は何なのか、と云う考察が見えないし、文化に関しても、たったあれだけでは大正期に花開いた様々の浮世文化の多様性が捉え切れない………等々、まぁ細かい不満点を挙げればキリが無い。巻末には参考文献も用意されていることだし、個々の疑問点については本書を踏み台にして読者がそれぞれ他の本に当たれば良い、と云うことなのかも知れない。

もう一歩踏み込んでほしかった... 立場の違い? 筆者が冒頭部分で指摘しているように、第1次世界大戦は欧米と我が国とでその認識度が天地ほど違う戦争です。実際ヨーロッパにおける戦死者は第一次世界大戦の方が第二次世界大戦を大幅に上回っており、しかもその戦況は凄惨酸鼻を極めました。これは一部で「第一次世界大戦に懲りたヨーロッパの民衆は第二次世界大戦を実は少し手抜きして戦ったのだ」などというブラックな冗談が通用してしまう程なのです。

我が国にとって第二次世界大戦(我が国にとっては“大東亜戦争”)はどのような意味を持っていたのか。それは現在でも総括することの難し意問題ですが、300万人が亡くなり、国中の人が飢えに苦しみ、現在敗戦後70年経っても外国の軍隊がなお国内に駐留し続けるという異常事態を招来した国始まって以来の大事件でした。一方第一次世界大戦は我が国にとって、所詮「欧州大戦」だったのです。本当はそれではいけなかったのですが・・・

最近になって静かにではありますが、「なぜあの戦争は起こったのか」、「なぜ日本は勝てない戦争をしたのか」という問題を問う声が上がっています。我が国の国民にとってあの戦争は何だったのかを直視するのに70年の歳月が必要だったということなのでしょう。しかも歴史は待ってくれません。気がつけば、隣国との問題が再び重要政治課題として浮上してきています。

こういう立場で歴史を読み解こうとする人々たちにとって「あの戦争はなんだったのか?を理解しようとするならば、単純に軍部が暴走したとか、我が国の政党政治がだらしがなかったなどといっても何も分からない。遡って、日露戦争の戦後処理問題、第一次世界大戦とその戦後に我が国がどう向き合い、どう対処したか?を考察しなければならない」という考え方が次第に共通認識になりつつあるように思えます。実際、我が国の国民にとっては「総力戦」ということの本当の悲惨さは大東亜戦争によって初めて理解されたといっても過言ではないのです。

本書は俗な言い方になりますが「ありそうでなかった歴史書」で、第一次世界大戦とその後数年に関心を絞って、多方面から繰り返し歴史を検証しなおしている本です。しかし、先ほどの疑問をもって本書を手に取ったひとは、物足りないものを感じたのではないでしょうか。現代を考えるためには「あの戦争」を深く考えてみる必要があり、「あの戦争」を考えるためには大正〜昭和初期の歴史を考えてみる必要があるのです。決して中間部が省かれてよい問題ではないと思います。その意味で本書は大変に詳細に書かれている割には、もう一歩踏み込みが足りないという印象をどうしても受けてしまいます。そういう目的で書かれたものではない、といわれればそれまでですが・・・

わたしの評は多くの方々とは違った立場からの評になっているかも知れませんが、現代史に興味を持つ方々のなかにはわたしの立場に賛成して下さる方も多いのではないかと思い、書かせていただきました。

三冊の分厚いハードカバーの本をギュッと一冊の新書にした濃厚でしかも解り易い名著 今年は第一次世界大戦後、100年目にあたるということで、同様なタイトルの本が出版されている。しかし、この本は一味違う、日本の当時の可憐なまでの世界外交。とりわけ、地中海へ駆逐艦などをくり出したり、初めて世界の中でどのように自分たちをアピールしようかと、卓越した石井菊次郎などらの外交など、おおむね解り易く先人の努力を描き出している。

一方、国内経済は欧州の大戦によるバブルとその崩壊の時代がやってきていた。今ちょうど、T・ピケティの二十一世紀の資本論を読んでいるが、まさに格差が急拡大していく時代なのである。奮闘する高橋是清は、財政の立て直しと、ケインズが後にモデル化した、積極的な財政投融資まで動員して、膨らんだ供給に需要を創造せんと三度その国難に立ち向かう、一方それにこたえて、軍縮に努力する政治家達。しかし、こんなとき、大震災など次から次へと襲ってくる。平坦な文章でありながら井上氏は時々エピソードをいれながら、読むものを引き付けていく。地方の疲弊は次第に極限までに達していく、5・15事件に当時の世評が好意的であったのも、農村での悲惨な身売りのような現実があったからである。にもかかわらず、井上氏は同じ頃、江の島での酔客の大騒ぎの様子や、デパートで贅沢な買い物をする人々とその時代のエピソードをうまくとりいれている。

エッフェル塔での親王の買い物に、お金がなくあわてる随行員たちの話も大笑いである。そののち、山中温泉で淫蕩な遊び(子供にはそう見えたのだろう。芸者遊びのことだ。)に強く反発した悪魔のような・辻政信らが、また自分の妹が女郎に売られていく農村出身の兵士たちが底辺でうごめきはじめていた。その部分はその後ことなので、井上氏はふれていないが、邪悪なものが出現するその前のまさに嵐の前の花見のような時代であったことを、その後のことを知っているわれわれは、手に汗をにぎりながらこの本を読んでいく。

歴史はもしかしたら避けられたかもしれないものの集大成である。これは、もとドイツの首相であったアデナウァーの言葉である。

ケルンの市長時代をとうし、ナチスに何回も投獄された彼ならではの言葉であろう。

しかし、井上氏の筆力により、「がんばれとダルマ宰相」と叫びたくなる、そんな一冊である。

太平洋戦争の前に、外交、政治、軍部、経済で何が起きたかを概観する

 戦勝国として先進国の仲間入りを果たそうとする日本の国際連合との関係、外交の文化化と軍部とのせめぎあい、政党政治の始まり、その頃の庶民の生活文化を概観したい人にはおすすめ。大正時代の頃の写真も少ないが挿入され、イデオロギー色もないため、ひっかかりがなく一日ぐらいで読める。

なんか消化不良 サラエヴォ事件から100周年の今年、第一次世界大戦についての本がいくつか刊行されている。第一次世界大戦で現代の仕組みがほとんど作られているという人が多い。しかし私はあまりこの時期周辺の歴史は詳しくない。オーストリア=ハンガリー帝国の歴史などは何度読んでも全体像が把握できない。こういう基礎的知識不足もあると思うのだが、この本を読んでも第一次世界大戦と日本のその後についての結びつきの明確な像や納得が得られなかった。読み終わって著者が何をいいたかったのか今一つ消化不良。

第一次世界大戦後の協調外交の世界的流れ。大衆消費社会の出現。戦争が軍隊だけのものではなく、生産力を含む総力戦へと変質。デモクラシーへの流れ。戦争景気による成り金の出現。都市部への人口の大量流入開始。第一次世界大戦をターニングポイントに起こったと言われるものがそれなりに記述されているが、その因果関係とその後の日本にどういう意味をもったかなどが記述されないためなんとなく消化不足。読んで「そうかわかった」という感じにならない。

格差の拡大は社会を分断する 現代に直接繋がる歴史は、第一次大戦にはじまる。大戦の嵐の外にいた我が国も例外ではない。のちの「戦争とファシズムの時代」は、第一次大戦とその後の時期に種子がまかれたと著者はいう。

 本書では、大戦を期に大きく変貌した日本社会を、外交、軍事、政治、経済、社会、文化のそれぞれの観点から多角的にとらえようとする。

 著者は、過去の著作 において明治を「開発独裁」の時代とした。しかし、大戦後に大正時代の日本は大衆化の時代を迎える。

 秘密外交から公開外交へ。政党による議会政治も発展した。自由主義経済により経済活動が活発になって消費文化が根付く一方、格差が社会的な問題となる。そして、大衆消費文化への反動から国家主義が伸張した。ファシズムの淵源は単純ではない。

この薄気味悪さに・・・

外交・軍事・経済・文化等のさまざまな切り口から100年前をのぞむ。各章が合わせ絵具のようになって、往時の空気をよみがえらせる。第一次世界大戦は、いわば欧州大戦。だから日本人には縁遠い。しかしその「実感」とは裏腹に、この国に及ぼした影響は甚大。しかも当時の「薄気味悪さ」がこの現代に通じていれば、読むしかない。日本はその頃、大戦バブルに酔い、その崩壊で行方を見失った。妙な明るさが巷にただよい、他方ひろがる格差に手をこまねいた。その後しばらくして軍靴の音が聞こえ出したことは、言うまでもない。そんな「時代の空気」は理屈だけでは学べない。だから感覚も添えて読む必要がある。文章がいい。一気に読める。駿馬のごときその筆致に身をゆだねれば、知らずしらず体の中に「時代の空気」はしみこんでいる。

8:06 2015/11/19  


ぼくらの民主主義なんだぜ (朝日新書) 新書– 高橋源一郎 (著) 46件のカスタマーレビュー内容紹介

日本人に民主主義はムリなのか? 絶望しないための48か条。「論壇時評」はくしくも3月11日の東日本大震災直後からはじまり、震災と原発はこの国の民主主義に潜んでいる重大な欠陥を炙り出した。若者の就活、ヘイトスピーチ、特定秘密保護法、従軍慰安婦、表現の自由……さまざまな問題を取り上げながら、課題の解決に必要な柔らかい思考の根がとらえる、みんなで作る「ぼくらの民主主義」のためのエッセイ48。

大きな声より小さな声に耳をすませた、著者の前人未到の傑作。2011年4月から2015年3月まで、朝日新聞に大好評連載された「論壇時評」に加筆して新書化。

  目次から 


ことばもまた「復興」されなければならない/スローな民主主義にしてくれ/民主主義は単なるシステムじゃない/〈東北〉がはじまりの場所になればいい/国も憲法も自分で作っちゃおうぜ/自民党改憲案は最高の「アート」だった/ぼくらはみんな「泡沫」だ/戦争を知らない世代こそが希望なのか/DV国家に生まれて/ぼくたちはみんな忘れてしまうね/わたしたちは自ら望んで「駒」になろうとしているのかもしれない/「アナ雪」と天皇制/クソ民主主義にバカの一票/「怪物」は日常の中にいる

 

 

内容(「BOOK」データベースより)

 

大きい声より小さな声に耳をすませる。震災と原発、特定秘密保護法、若者の就活、ヘイトスピーチ、従軍慰安婦、表現の自由などを取りあげながら、壊れた日本を作り直す、絶望しないための48か条。著者の前人未到の傑作。

 

新書: 256ページ出版社: 朝日新聞出版 (2015/5/13)

言語: 日本語

発売日: 2015/5/13

 目次

ことばもまた「復興」されなければならない非正規の思考みんなで上を向こうスローな民主主義にしてくれ柔らかくっても大丈夫「そのままでいいと思ってんの?」

一つの場所に根を張ること「憤れ!!」「憐れみの海」を目指して民主主義は単なるシステムじゃない〔ほか〕

 

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懐の深い柔らかい言葉で、現実問題を見つめる好著 高橋源一郎さんのご著作はこれまで読んだことがないのですが、タイトルと推薦人の方々のお名前に惹かれて購入しました。朝日新聞で連載されていた「論壇時評」を纏めたものということです。

従軍慰安婦問題や原発、イスラム国、ブラックバイトなど多様で複雑な時事問題をハーバーマスやジャック・アタリ、古典ではジャン・ジャック・ルソーやヴォルテールなどの言葉を結びつけながらご自身の経験をもまじえて非常に柔らかい言葉、やさしい文章で語ってくださっています。難しい問題を扱い、高い文章レベルを維持しながらとにかく読みやすい、親しみやすいというのが本書の特徴ではないかと思います。引用される思想家や社会学者も多くは現代のそれなので、知の世界の最先端の学説をある程度頭に入れることができ勉強になります。本書に推薦文を寄せておられる佐藤優さんの読書履歴と重なる部分が多いように感じました。

本書の魅力、あるいはわたしが勝手にメッセージとして受け取ったものは、<知性>とは<柔らかい言葉>であり、<鵜呑みにせず、決めつけないこと>であり<世の中も善悪も単純ではない、ということを深く理解すること>であるということです。これは、最近読んでいる19世紀イギリスの思想家・批評家・教育者であったマシュー・アーノルドのいう<教養>という概念と少し近いものであるという風に感じます-アーノルドの思想の根底には彼の信仰がありますので、簡単に近いなどと言ってはいけないのかもしれませんけれども-。彼の言う「ギリシャ的態度」-積み重ねられた読書が培うもの、<あるものやことを絶対視せずに、行動の前に、一度様々な方向からそのもの・ことをよく考えることのできる知的な態度>です。ちなみにアーノルドの<教養>の定義は、ある程度表現に違いはあるのですが、そのうちの一つを引用すると「知られえる最善のものを知ろうと努力し、読書と反省と観察を私心なく積極的に使用すること」というものです。

戒むべきは、硬直した視野、思考の停止-知的怠惰-、<標的>に対し暴力的に一方的に感情をぶつけること-内心の獣性に従うこと-、おのれの無力感に膝を折ること。これらを防ぐのが真の<知性><教養>であり、民主主義を民主化するものなのだと思います。

私自身無力感-「それが何になる?」という声との闘いであり、理想に対してあまりに非力な己に忸怩たる思いでありますが、民主主義はいわゆる<アマチュア>の力を前提とした政治形態であると思いますし、原発問題をはじめ専門的なことで分からないことはたくさんありますが、分からないからといって発言を躊躇ったり自分なりに考えることを放棄する必要はないので、そこは自信をもって「アマチュアですがなにか?」くらいの気持ちで関心を持ち続けていこうと思います。この本の優しさは、読む者にそう思わせてくれます。「世の中はグレーなことばかりだしぼくにも判断付きかねる事は沢山あるけれども、一緒に考えていこう」と語りかけてくれます。

ものごとをありのままに見つめる勇気、自分の意見が他人と違っても考え続ける勇気、笑われることを覚悟して行動する勇気、自分と異なる意見を持つ者を受け止める勇気-<勇気を失ってしまうなら、産まれて来なかったほうがいい>-これは知性にも言えることです-を持ち続けなくてはいけませんね。

この本は、極端な左翼思想にそまり、日本を取り巻く国際関係(中国や北朝鮮に侵略される可能性がある)が見えていない筆者が書いた本です!

 

この本は、極端な左翼思想にそまり、日本を取り巻く国際関係(中国や北朝鮮に侵略される可能性がある)が見えていない筆者が書いた本です!

筆者の結論は、安保法制を認めない極端な左翼思想にあり、軍事独裁国家の中国や北朝鮮が日本を領海を侵略し、国民を拉致している現実に目を向けていません!

ぼくらの民主主義とは、自分の極端な左翼思想を指すものであり、軍事独裁国家の中国・北朝鮮をけん制する為の安保法制に反対しているので、話になりません!

 

南シナ海や東シナ海での中国の埋め立て基地を作る行動に、何も異論を唱えず、憲法9条さえ守れば、それで良いという筆者の結論には、共感できません。

 

筆者の極端な左翼思想が弟子のシールズに影響を与え、日本をミスリードしていることに、気が付くべきです!

 

今こそ、極端な左翼思想が日本の国益にかなっていないことを自覚してほしいですね!

懐の深い柔らかい言葉で、現実問題を見つめる好著 高橋源一郎さんのご著作はこれまで読んだことがないのですが、タイトルと推薦人の方々のお名前に惹かれて購入しました。朝日新聞で連載されていた「論壇時評」を纏めたものということです。

従軍慰安婦問題や原発、イスラム国、ブラックバイトなど多様で複雑な時事問題をハーバーマスやジャック・アタリ、古典ではジャン・ジャック・ルソーやヴォルテールなどの言葉を結びつけながらご自身の経験をもまじえて非常に柔らかい言葉、やさしい文章で語ってくださっています。難しい問題を扱い、高い文章レベルを維持しながらとにかく読みやすい、親しみやすいというのが本書の特徴ではないかと思います。引用される思想家や社会学者も多くは現代のそれなので、知の世界の最先端の学説をある程度頭に入れることができ勉強になります。本書に推薦文を寄せておられる佐藤優さんの読書履歴と重なる部分が多いように感じました。

本書の魅力、あるいはわたしが勝手にメッセージとして受け取ったものは、<知性>とは<柔らかい言葉>であり、<鵜呑みにせず、決めつけないこと>であり<世の中も善悪も単純ではない、ということを深く理解すること>であるということです。これは、最近読んでいる19世紀イギリスの思想家・批評家・教育者であったマシュー・アーノルドのいう<教養>という概念と少し近いものであるという風に感じます-アーノルドの思想の根底には彼の信仰がありますので、簡単に近いなどと言ってはいけないのかもしれませんけれども-。彼の言う「ギリシャ的態度」-積み重ねられた読書が培うもの、<あるものやことを絶対視せずに、行動の前に、一度様々な方向からそのもの・ことをよく考えることのできる知的な態度>です。ちなみにアーノルドの<教養>の定義は、ある程度表現に違いはあるのですが、そのうちの一つを引用すると「知られえる最善のものを知ろうと努力し、読書と反省と観察を私心なく積極的に使用すること」というものです。

戒むべきは、硬直した視野、思考の停止-知的怠惰-、<標的>に対し暴力的に一方的に感情をぶつけること-内心の獣性に従うこと-、おのれの無力感に膝を折ること。これらを防ぐのが真の<知性><教養>であり、民主主義を民主化するものなのだと思います。

私自身無力感-「それが何になる?」という声との闘いであり、理想に対してあまりに非力な己に忸怩たる思いでありますが、民主主義はいわゆる<アマチュア>の力を前提とした政治形態であると思いますし、原発問題をはじめ専門的なことで分からないことはたくさんありますが、分からないからといって発言を躊躇ったり自分なりに考えることを放棄する必要はないので、そこは自信をもって「アマチュアですがなにか?」くらいの気持ちで関心を持ち続けていこうと思います。この本の優しさは、読む者にそう思わせてくれます。「世の中はグレーなことばかりだしぼくにも判断付きかねる事は沢山あるけれども、一緒に考えていこう」と語りかけてくれます。

ものごとをありのままに見つめる勇気、自分の意見が他人と違っても考え続ける勇気、笑われることを覚悟して行動する勇気、自分と異なる意見を持つ者を受け止める勇気-<勇気を失ってしまうなら、産まれて来なかったほうがいい>-これは知性にも言えることです-を持ち続けなくてはいけませんね。

この本は、極端な左翼思想にそまり、日本を取り巻く国際関係(中国や北朝鮮に侵略される可能性がある)が見えていない筆者が書いた本です!

 

この本は、極端な左翼思想にそまり、日本を取り巻く国際関係(中国や北朝鮮に侵略される可能性がある)が見えていない筆者が書いた本です!

筆者の結論は、安保法制を認めない極端な左翼思想にあり、軍事独裁国家の中国や北朝鮮が日本を領海を侵略し、国民を拉致している現実に目を向けていません!

ぼくらの民主主義とは、自分の極端な左翼思想を指すものであり、軍事独裁国家の中国・北朝鮮をけん制する為の安保法制に反対しているので、話になりません!

 

南シナ海や東シナ海での中国の埋め立て基地を作る行動に、何も異論を唱えず、憲法9条さえ守れば、それで良いという筆者の結論には、共感できません。

筆者の極端な左翼思想が弟子のシールズに影響を与え、日本をミスリードしていることに、気が付くべきです!

今こそ、極端な左翼思想が日本の国益にかなっていないことを自覚してほしいですね!

オススメします

朝日新聞の「論壇時評」の4年分=48本を集めたもの。

 

1本1本は、柔軟で、軽やかで、人に優しい。ネットを含めて、著者を捉えた小さな声が、硬直化した朝日新聞の「論壇時評」というもののイメージを乗り越えていく。そして、それらが4年分も集まると、見えて来るものがある。一つは、この国は健全である、ということ。

それは多くの問題があっても、これだけ様々な人達が思考し、活動し、大事な意見を表明し、それを受けたそれぞれの読者がまた思考して行くからである。もう一つは、上記を感じさせてくれたこの本の著者のような、大きな声も小さな声も、大事なものを吸い上げられる感受性の重要性についてである。一人一人が、そういった感受性を持つことが出来れば、「民主主義」はまだまだイケる、と確信することが出来た。

ホッとする

こういう当たり前のことを当たり前に話す大人が減ったのか根気強く話を聞ける子供が減ったのかは知らないけれども戦後の民主主義というものを空気の様に思い込んでいたらここ数年、冗談みたいな政権が誕生し、やたらヒステリックな支持者が「愛国」「近隣諸国の脅威」という言葉を盾にして物凄い頭の悪い事を言い出した。

困った事に所謂、中流主義は世の出来事を右に左に聞き流し適当に過ごして来たら、割と絶望的な世の中になっていた。誰かを叩く言葉より、今一度、自らの持つ権利と希望を照らすそんな言葉が聞きたい時に本書を見かけた。

その言葉は筆者本人のみならず、遍く諦めていない人々のキラリと光る言葉を拾い集めてくれている。ヘイト本ばかりが居並ぶ本屋で、ホッとする一冊である。

朝日新聞と民主主義

朝日新聞系列が民主主義を語る。ああ、納得の一冊。一体どこの国のための民主主義なのか。

ファンになりました

著者が朝日新聞に連載していたというエッセイを集めた本です。

文筆家とはこんなにも文章を読むのかと、まずは引用文献の多さに驚きました。

論壇時評ですから、扱うテーマは教育、歴史認識問題、ブラック企業、東日本大震災、原発、憲法・・・と多岐にわたります。

鋭く、ときには激しく厳しく問題に切り込んでいきます。著者自らの一人称も変わるほどに熱を帯びた回もあります。国民を横暴な政治手法で支配し、国民の経済的自立を邪魔し、それにもかかわらず国を愛するように求める現日本を「DV国家」としているのは秀逸です。

 

しかし、その視点自体は限りなく優しい。若者や弱者の側に立った視点です。

すっかり高橋さんのファンになりました。

「水と空気と民主主義。いつまでもあると思うな」と自覚したい。

知り合いが逮捕された。

職場ぐるみの不正会計に連座したとの疑いで一年以上拘留された。妻も子供もいた。その間ずっと無罪を主張した。弁護士の頑張りもあり、一審は無罪。検察は控訴を断念した。

逮捕されてから、子供は転校した。結局、彼も元の職場には戻らなかった。無罪にはなった。でも順調だった生活は滅茶苦茶になった。彼に不利な発言をした元上司や、検察官は罪に問われることはなかった。

たった一人の弱い個人は、強い者たちの思い違いに人生を翻弄されてしまう。そんな時、朝日の論壇時評に書いてあった一文が目に入った。~目の前の「壁」は高く厚い。でもそれを壊すにはまず一人が大切なんだ。~2013年2月から僕は毎月最終木曜日の朝日新聞を心待ちにしている。

9.11、3.11。

あれから物を自由に言えない雰囲気が世界を覆っている。個人よりも公を優先する空気。20年前から発行部数を半減した週刊誌はナショナリズムという劇薬に手を染めた。

嫌韓・反中・反知性主義。…食えない出版社は読むに堪えない下品な本を垂れ流しにする。そんな現代においてこの本を出版した意義は大きい。

「ぼくら」という集合に含まれるのは誰?

ありもしないことを「捏造」して国家を貶めることを何十年とやり続けてきた朝日新聞に掲載されたもの。彼らは反論されるとすぐに「ネトウヨ」とレッテルをはり、論点をずらす。日本人に民主主義は可能で、現在進行形で行われていますが、一部頭の悪い野党と、頭の悪いマスメディア、そして日本人のふりをした日本人もどき等が邪魔をしています。そういったことを念頭において本書を読むのが正しい使い方でしょう。

劇薬も使い方次第で特効薬になる。読み手の知性が試される一冊です。

買いです。 タイトルが、あとがきで著者も触れているようにナット・ヘントフの「ぼくらの国なんだぜ」を連想させ、同時にその晶文社版の表紙に写った少年たちの笑顔が反射的に思い出されました。その本を手にしたのがまだ十代の頃だったので、自分自身がその少年たちとさほど変わらず、そういった意味でも思い出深い一冊です。

 本書を手にする人のどれくらいが、自分と同じような連想をするのか、あるいはそういったことを著者がどれほど意図しているのかわかりませんが、様々な時事問題を扱う本書が、これから選挙権を得る、あるいは得て間もない人たちに向けて書かれているような気がしきりにしました。

 知らないことを論じる時にはどこまでも謙虚であり、自分のなかにあらゆることに関する歴史的なインデックスを有していなければならないと考えさせられました。ハンナ・アーレントやスーザン・ソンタグの本を久し振りに読みたくなりました。

内容に偏り有り

そして特に目新しい事も書いてないです。理想はわかる、でもそうならないのは何故か?という視点での深い考察が無いので、他の書籍を既に読んでいる方には不要かと。新品で買う必要ないです。

6:39 2015/11/19

 

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