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2015年11月15日 (日)

 中国はチベットからパンダを盗んだ (講談社+α新書) 新書  右傾化する日本政治 (岩波新書) 新書 – 2015/7/23 中野 晃一 (著)自民党の右旋回の背景とそれが止まらない理由・中野晃一氏

引用


中国はチベットからパンダを盗んだ (講談社+α新書) 新書  – 2008/9/19

有本 香   (著)   3件のカスタマーレビュー 

対岸の火事では済まない。次ぎの標的は我が国だ!世界を欺く4000年の幻想。日本こそが最後の砦!ユダヤ人大虐殺にも匹敵する非道と人権弾圧。現地取材と当事者たちの肉声による渾身ルポ。

著者について

有本 香(ありもと・かおり)静岡県出身。東京外国語大学卒業。旅行雑誌編集長等、上場企業の広報担当を経て独立。企画制作会社を経営する傍ら、世界各地を取材し執筆を行なう。とくにアジアでの取材経験が豊富で、中国の茶、食文化等に関する著書をもつ。近年は「国境」によらないアジア各地のユニークな民族の実情を取材している。

新書: 224ページ出版社: 講談社 (2008/9/19)

言語: 日本語・発売日: 2008/9/19

 

目次

第1章 すべての根源は四川にある(パンダ外交パンダの故郷

飢餓大国・中国タシデレ四川省)

第2章 ダラムサラへの道(ダラムサラレセプション・センター

アマ・アデチュシ・ガンドゥク

ダライ・ラマ法王)

第3章 中国の正体・日本の無情(チョモランマ東アジア共同体戦略的互恵関係客寄せパンダ)

第4章 フリージャパンへの道(ガンディーの国民主主義3度の大恩分裂大国フリーチベット)

「非は百パーセント中国共産党にある」

まえがきの最初の一行から、辛辣かつ攻撃的。しかし、「中国のいかなる言い訳もまともに取り合う必要がない」「非は百パーセント中国共産党にある」「チベットの問題について『中国にも三分の道理』という論調には、私は一切、与しない」全て正しく、百パーセント同意できるので、痛快さすら感じつつ引き込まれるようにして読み進んだ。言葉を選ばない辛辣な論調は同書の最後まで一貫しており、中国ばかりでなく、日本政府をも「腰抜け」と切り捨てている。

同書は、チベット問題を「中国のまやかし」という観点、特に日本人が中国にいかに欺かれているかという観点から検証したものであり、攻撃の矛先は、チベットからあらゆるものを略奪する中国のみならず日本にまで向いている。しかしそれは「騙す方は勿論悪いが、騙される側もよく考え、注意しなさい」という筆者からの警鐘なのである。

チベット問題をよく知っている気になっている方々には新しい観点と知識を示してくれ、中国を熱狂的・盲目的に信じている方々には啓蒙と覚醒の糸口を示してくれる一書である。後者の方々は読むなり投げ出しかねないほど辛辣な内容だが、ぜひとも最後まで一読していただきたい。

チベットの問題は単なる政治問題ではなく、心を試される問題

中国、インドなど世界各地で、亡命チベット人、本土に住むチベット人、中国人の多くの人の声を集めた力作で読み応えがある。とくに悲劇を直接体験したチベットの老人たちとの出会いのくだりは胸に迫るものがある。筆者はあえて、チベット側に同情的に感情移入して書くことで、チベット問題を私たちの「心」に届かせようとしているように感じられる。

日本人がどのようにして中国の心理作戦にからめ取られてきたのかという分析も興味深い。しかし、中国側の問題点を挙げ連ねるだけではなく、日本人は「悪いことは悪い」ともっと堂々と主張すべき、との筆者の主張は、日頃、日本の政治家達に失望させられる部分を代弁してもらったような感じを受ける。

さすがに今では、かつてのようにひたすら「日中友好」を望む暢気な人も少数派となっている。それは日本人が中国の真の姿を知りつつある証でもあるが、日本人自体にも余裕がなくなっているという証でもある。

中国のチベット弾圧から学ぶことは、人間は「慈悲」という心の余裕がなくなると、それこそ獣以下になりさがってしまう、情けない存在だということである。どうしたら、よい国、よい社会を築くことができるのか、もう一度、チベット人やダライ・ラマの言葉にじっくりと耳を傾けながら考えたい。

チベットを想い続けたい中国が好きで中国人の友人も多くいて、それでもチベットについて中国がしている事は全く受け入れられない。

まともな人間なら、いまのチベットの状況は、人ごととしても、受け入れ難いものだ。こんな状況を受け入れられる人間なんているものか。

中国の中の人たちが、現況の改善を真剣に考えられる状況になってくれたら。いつかきっとそうなると信じて、日本人としてチベットの現況を正しく理解し、その違和感を忘れないようにしていたい。

15:54 2015/11/15


 自民党の右旋回の背景とそれが止まらない理由・中野晃一氏(上智大学国際教養学部教授).インタビューズ (2015年6月18日).安倍政権が進める安全保障政策の転換は、自民党の政治路線の右傾化を象徴するようなものだが、それ以外にも近年自民党は過去の政権が容易に手を出せなかったタカ派色の強い政策を矢継ぎ早に打ち出し、実際に実行している。それはほんの一例をあげるだけても、武器輸出三原則の撤廃、NSCの設置、特定秘密保護法の制定と、枚挙に暇がないほどだ。

これは安倍政権がかつての自民党政権と比べて強い実行力を持った政権であるとの評価を下せる一方で、かなり自民党がタカ派色の強い方向に偏ってきているいることの反映と見ることができる。しかも、こうした急激な右旋回に対して、党内の穏健派やリベラル派と呼ばれる議員からは、まったくといっていいほど声があがってきていない。これもまた、派閥が鎬を削っていた時代のかつての自民党では、到底考えられないことだった。

60年前に旧民主党と自由党の合併によって結成され、タカ派とハト派、リベラル派と保守派の間の絶妙のバランスの下で長年政権を担ってきた自民党が、その安定の源泉でもあったバランスを失ってしまっているかに見える。

自民党はどうしてしまったのか。なぜ自民党は変質してしまったのか。それは今後の日本の政治と針路にどのような影響を与えることになるのか。

比較政治学や政治思想が専門でアメリカやイギリスの政党事情にも詳しい上智大学の中野晃一教授に、ジャーナリストの神保哲生が聞いた。盗聴権限の大幅拡大で盗聴捜査が日常化する・盗聴法改正案の問題点を山下幸夫弁護士に聞く

「ウイルス感染しても重要情報が流出しない仕組みが必要」

http://www.videonews.com/interviews/20150618_nakano/

15:55 2015/11/15



右傾化する日本政治 (岩波新書) 新書  – 2015/7/23  中野 晃一 (著)  

        9件のカスタマーレビュー

 日本は右傾化しているのか、それとも「普通の国」になろうとしているだけなのか。いったい、どちらなのか?――政治主導のもと、寄せては返す波のように時間をかけて、日本社会の座標軸は右へ右へと推し進められていった。そのプロセスを丹念にたどりつつ、新しい右派連合とその「勝利」に直面した私たちの現在を描き出す。

 内容(「BOOK」データベースより)

 日本は右傾化しているのか、それとも「普通の国」になろうとしているだけなのか。いったい、どちらなのか?―政治主導のもと、寄せては返す波のように時間をかけて、日本社会の座標軸は右へ右へと推し進められていった。そのプロセスを丹念にたどりつつ、新しい右派連合とその「勝利」に直面した私たちの現在を描き出す。

 新書: 240ページ出版社: 岩波書店 (2015/7/23)言語: 日本語発売日: 2015/7/23

目次

自由化の果てに(現在を生んだ新右派転換なぜ「反自由の政治」へ向かったのか)

第1章 五五年体制とは何だったのか―旧右派連合の政治(二つの歯車―開発主義と恩顧主義革新勢力―「三分の一」の役割と限界なぜ旧右派連合は破綻したのか)

第2章 冷戦の終わり―新右派転換へ(新自由主義の時代へ自由化・多様化する日本政治国家主義―新右派連合を支えるもう一つの柱)

第3章 「自由」と「民主」の危機―新右派連合の勝利(小泉政権―「政治の新自由主義化」の時代安倍政権―そして「反自由の政治」が現出した寡頭支配時代へ―立憲主義破壊の企て日本政治は右傾化したのか)

オルタナティブは可能か(民主党の成功と挫折「リベラル左派連合」再生の条件)

 

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日本政治の見取り図。序章だけでも読む価値あり。

最近読んだ新書の中では一番面白かった。本書全体の内容は序章にコンパクトにまとめられているので、序章だけでも読むといい。「右傾化する」といっても、ずっと常に「右」へとシフトしていったわけではないとする。「右」に揺れれば「左」への揺り戻しが起こる。その後再び「右」へと転じる。近年の日本政治はまるで振り子のようだと筆者は例える。

しかし同時に、振り子自体が徐々に「右」へとシフトしているという。したがって、「左」への振り戻しの後の「右傾化」は、以前よりさらに「右」へと移動する。これは言い得て妙だと思った(4ページの図1および6ページの表1は実に分かりやすい)。

近年、ネット上のみならず言論界においても、論敵・政敵に「左翼」だとか「ネトウヨ」だとかいったレッテルを貼ることが多く、政治概念での「右」「左」の概念が相当に曖昧になっている。大抵の場合、こうした表現はあてにならないどころか、ただの悪口にすらなってしまうこともある。なので、『右傾化する日本政治』という題を見たとき、これもまた同様のレッテルの類なのではないかと思った。

しかし、本書の冒頭で何をもって「右」とするかを定義し、この定義に従い「右傾化」が生じていると論じており、理解しやすかった。さらに「右」にも様々な立場があるとして「旧右派連合」「新右派連合」という概念を用いているのは、本書ならではと言えるだろう。

これらの概念を旧来の「保守本流」「保守傍流」と重ねつつ、中曽根政権から第二次安倍政権に至るまで徐々に「新右派連合」が勢力を伸ばしている様子を図式的にまとめているのは、非常に分かりやすかった。

また、現在の日本政治を主導している「新右派連合」の政治家らが何を目指そうとしているのかもよく分かった。

 

また、本書では「リベラリズム」「自由主義」「新自由主義」を明確に区分し、概念の混同を回避しようとしている。

これも「右」「左」同様、明確に図式化して描かれている。そして、民主党内にも様々な立場があり、自民党の現在の主流と同じく「新右派連合」を形成している集団があることを指摘しているのは面白い。民主党の各グループがどのような系譜を辿って民主党に至ったのかを見るのは、日本政治全体を理解する上でも重要と感じた。

さらに自民党と読売新聞などのメディアが裏でどのようにつながっているか、自民党がNHKや朝日新聞に対してどのような攻撃を仕掛け、朝日新聞の購読者数減少に成功したのか、などにも触れられている。

 

昭和から平成にかけての日本政治の見取り図を端的に描いた作品と言える。

あまりにも明確に描かれているため、議論がやや単純化されすぎていたり反証になりうる事例が出されていない、などの欠点があるのも確かだが、新書という形態をとる本書は日本政治の概説書としては分かりやすく、内容も十分であると思う。

同時に「リベラル左派」の敗北も考慮に入れる必要がある

日本政治が右傾化しているか否かという点でも、反論したがる輩はいそうなので、「新右派連合」という切り口で右傾化の現状を説明しきった本書は、労作というほかありません。

特に序章に書かれた「新右派連合」の分析チャートは見事です。新自由主義と国家主義を二本の柱として、それがどのように結びついているのかわかりやすく示しています。

中曽根康弘から安倍晋三に至る右傾化の流れについても、多くの研究を踏まえた研究者らしい手続きで解説されていて、引用文のチョイスのうまさには感心しました。中野の研究者としての能力の高さを感じます。

中野が一番力を入れているのは安倍政権への批判です。「新右派連合」の集大成が安倍政権だということなのでしょう。しかし、その結論への強い確信からなのか、全体が結論から逆算して書かれた印象だったのが惜しまれます。そのため、細川政権の誕生については軽く触れる程度で、右傾化への道が一本道に見えすぎているように感じました。安倍政権が「権力の暴走」状態を生み出しているのは事実ですし、その政権運営は強く批判されるべきだと僕も思いますが、「新右派連合」の寡頭支配を国民が黙認していることは、認めざるをえない事実なのではないでしょうか。

中野は自民党の得票率は伸びていない、とか、右寄りの新政党ばかりが誕生し、政治システム自体が右傾化していたとか、右傾化は国民の選択ではないと言いたげですが、やはり右傾化の現状は国民の選択と認めるべきだと思います。「リベラル左派」は「新右派」より国民にとって魅力がなかったのです。その認識から逃げているようでは、中野の言う「リベラル左派連合」の再生は難しいと思います。

ちなみに本書が提案する「リベラル左派」再生の条件は、

1 小選挙区制の廃止

2 リベラル勢力の新自由主義との訣別

3 同一性にもとづく団結ではなく他者性を前提とした連帯となっています。1はともかく、2と3は左派得意の「リアリティに欠ける正論」に思えます。僕は過去レビューで、ポストモダンの価値観が昨今のナショナリズムの源泉だと書いています。ポストモダンは一元的な価値に対して差異や多様性を称揚しますが、その多くは消費資本主義的な市場の上での差異に吸収されるものでしかなく、市場への信仰という点で新自由主義と親しい関係にあります。バブル以後、リベラル陣営の人たちは消費資本主義を批判するどころか、やれポストモダンだといって耽溺していましたし、今もしています。

その反省もされていないのに、市場主義と訣別などできるのでしょうか。「他者性」というのもポストモダン的な価値観で、アントニオ・ネグリなどのアイデンティティ政治批判の焼き直しに見えます。現在の保守主義はポストモダンを通過した結果なので、いまさらポストモダンの価値観を振り回しても効果は期待できません。

LGBTなどのマイノリティの支持で選挙に勝てるとも思えません。このように、「リベラル左派」は自分たちがなぜ敗北したのかわかっていないのです。僕は「リベラル左派」には再生してもらいたいと思っていますが、このようなやり方ではジリ貧です。

左派の再生には、まず自らの失敗を認めることが必要です。政治とは「正論」を言っていれば支持されるというものではありません。「我一人潔し」という態度が、大衆から嫌われる原因であることをいいかげん自覚してください。それから、残念な点をもうひとつ。

個別的な事例について中野の分析は鮮やかなのですが、右傾化が世界的な傾向だと述べるのであれば、冷戦終結による国際情勢の変化をベースに、日本政治の右傾化を考えてもよかったのではないかと思います。冷戦終結までは、日本は「世界で最も成功した社会主義国」と言われることもありました。社会主義的な「計画経済」ともいえる国家主導の横並びの非競争経済でうまくいっていたのです。(だからこそ終身雇用が制度化できたのではないでしょうか)

しかし、冷戦終結で市場競争主義が進むと、これまでのように横並びの経済成長は不可能です。中曽根や小泉による国鉄や郵政の民営化はそのような社会主義的なものへの決別の代表です。つまり、新自由主義は冷戦後のグローバルな潮流ということになるわけですが、それまで国家主導の横並び経済だった日本に、急に市場競争原理など根付くわけがないのです。

こで今度は国家主導の市場競争経済へと転換する結果になったのです。

これまでと全く違うことを無理矢理やらせるわけですから、政権に権力を集中する国家主義が強まるのは必然です。

見方によっては、国家という権威に依存しないとやっていけない、という戦前戦後の日本人のあり方が、今にまで影響しているとも考えられます。

これは僕個人の考えですが、右派だろうが左派だろうが、権威に判断を任せて自分の頭で考えない人が少なくない気がします。国際的な調査でも、日本人のマスコミ報道への信頼は先進国にしては高すぎる結果が出ています。権威主義が薄まらない限り、この国には何度でも国家主義が隆盛することになるでしょう。

「リベラル」を自認する人々も、多くは西洋を権威と疑わない権威主義者でしかなく、実態は「リベラル」陣営に属している非リベラリストだったりします。

右左で争うのではなく、権威主義という問題の根幹を批判する方が有意義なのではないでしょうか。

同時に「リベラル左派」の敗北も考慮に入れる必要がある

日本政治が右傾化しているか否かという点でも、反論したがる輩はいそうなので、「新右派連合」という切り口で右傾化の現状を説明しきった本書は、労作というほかありません。特に序章に書かれた「新右派連合」の分析チャートは見事です。新自由主義と国家主義を二本の柱として、それがどのように結びついているのかわかりやすく示しています。

中曽根康弘から安倍晋三に至る右傾化の流れについても、多くの研究を踏まえた研究者らしい手続きで解説されていて、引用文のチョイスのうまさには感心しました。中野の研究者としての能力の高さを感じます。

中野が一番力を入れているのは安倍政権への批判です。「新右派連合」の集大成が安倍政権だということなのでしょう。しかし、その結論への強い確信からなのか、全体が結論から逆算して書かれた印象だったのが惜しまれます。そのため、細川政権の誕生については軽く触れる程度で、右傾化への道が一本道に見えすぎているように感じました。

安倍政権が「権力の暴走」状態を生み出しているのは事実ですし、その政権運営は強く批判されるべきだと僕も思いますが、「新右派連合」の寡頭支配を国民が黙認していることは、認めざるをえない事実なのではないでしょうか。

中野は自民党の得票率は伸びていない、とか、右寄りの新政党ばかりが誕生し、政治システム自体が右傾化していたとか、右傾化は国民の選択ではないと言いたげですが、やはり右傾化の現状は国民の選択と認めるべきだと思います。「リベラル左派」は「新右派」より国民にとって魅力がなかったのです。その認識から逃げているようでは、中野の言う「リベラル左派連合」の再生は難しいと思います。ちなみに本書が提案する「リベラル左派」再生の条件は、

1 小選挙区制の廃止

2 リベラル勢力の新自由主義との訣別

3 同一性にもとづく団結ではなく他者性を前提とした連帯

となっています。1はともかく、2と3は左派得意の「リアリティに欠ける正論」に思えます。

 

僕は過去レビューで、ポストモダンの価値観が昨今のナショナリズムの源泉だと書いています。

ポストモダンは一元的な価値に対して差異や多様性を称揚しますが、その多くは消費資本主義的な市場の上での差異に吸収されるものでしかなく、場への信仰という点で新自由主義と親しい関係にあります。

バブル以後、リベラル陣営の人たちは消費資本主義を批判するどころか、やれポストモダンだといって耽溺していましたし、今もしています。その反省もされていないのに、市場主義と訣別などできるのでしょうか。「他者性」というのもポストモダン的な価値観で、アントニオ・ネグリなどのアイデンティティ政治批判の焼き直しに見えます。

現在の保守主義はポストモダンを通過した結果なので、いまさらポストモダンの価値観を振り回しても効果は期待できません。LGBTなどのマイノリティの支持で選挙に勝てるとも思えません。このように、「リベラル左派」は自分たちがなぜ敗北したのかわかっていないのです。

僕は「リベラル左派」には再生してもらいたいと思っていますが、このようなやり方ではジリ貧です。左派の再生には、まず自らの失敗を認めることが必要です。政治とは「正論」を言っていれば支持されるというものではありません。「我一人潔し」という態度が、大衆から嫌われる原因であることをいいかげん自覚してください。

それから、残念な点をもうひとつ。

個別的な事例について中野の分析は鮮やかなのですが、右傾化が世界的な傾向だと述べるのであれば、冷戦終結による国際情勢の変化をベースに、日本政治の右傾化を考えてもよかったのではないかと思います。

冷戦終結までは、日本は「世界で最も成功した社会主義国」と言われることもありました。

社会主義的な「計画経済」ともいえる国家主導の横並びの非競争経済でうまくいっていたのです。(だからこそ終身雇用が制度化できたのではないでしょうか)

しかし、冷戦終結で市場競争主義が進むと、これまでのように横並びの経済成長は不可能です。中曽根や小泉による国鉄や郵政の民営化はそのような社会主義的なものへの決別の代表です。

つまり、新自由主義は冷戦後のグローバルな潮流ということになるわけですが、

それまで国家主導の横並び経済だった日本に、急に市場競争原理など根付くわけがないのです。

そこで今度は国家主導の市場競争経済へと転換する結果になったのです。これまでと全く違うことを無理矢理やらせるわけですから、政権に権力を集中する国家主義が強まるのは必然です。見方によっては、国家という権威に依存しないとやっていけない、という戦前戦後の日本人のあり方が、今にまで影響しているとも考えられます。

これは僕個人の考えですが、右派だろうが左派だろうが、権威に判断を任せて自分の頭で考えない人が少なくない気がします。

国際的な調査でも、日本人のマスコミ報道への信頼は先進国にしては高すぎる結果が出ています。権威主義が薄まらない限り、この国には何度でも国家主義が隆盛することになるでしょう。「リベラル」を自認する人々も、多くは西洋を権威と疑わない権威主義者でしかなく、実態は「リベラル」陣営に属している非リベラリストだったりします。

右左で争うのではなく、権威主義という問題の根幹を批判する方が有意義なのではないでしょうか。

日本政治の見取り図。序章だけでも読む価値あり。

最近読んだ新書の中では一番面白かった。本書全体の内容は序章にコンパクトにまとめられているので、序章だけでも読むといい。

「右傾化する」といっても、ずっと常に「右」へとシフトしていったわけではないとする。「右」に揺れれば「左」への揺り戻しが起こる。その後再び「右」へと転じる。近年の日本政治はまるで振り子のようだと筆者は例える。しかし同時に、振り子自体が徐々に「右」へとシフトしているという。

したがって、「左」への振り戻しの後の「右傾化」は、以前よりさらに「右」へと移動する。これは言い得て妙だと思った(4ページの図1および6ページの表1は実に分かりやすい)。

近年、ネット上のみならず言論界においても、論敵・政敵に「左翼」だとか「ネトウヨ」だとかいったレッテルを貼ることが多く、政治概念での「右」「左」の概念が相当に曖昧になっている。大抵の場合、こうした表現はあてにならないどころか、ただの悪口にすらなってしまうこともある。なので、『右傾化する日本政治』という題を見たとき、これもまた同様のレッテルの類なのではないかと思った。しかし、本書の冒頭で何をもって「右」とするかを定義し、この定義に従い「右傾化」が生じていると論じており、理解しやすかった。

さらに「右」にも様々な立場があるとして「旧右派連合」「新右派連合」という概念を用いているのは、本書ならではと言えるだろう。

これらの概念を旧来の「保守本流」「保守傍流」と重ねつつ、中曽根政権から第二次安倍政権に至るまで徐々に「新右派連合」が勢力を伸ばしている様子を図式的にまとめているのは、非常に分かりやすかった。

また、現在の日本政治を主導している「新右派連合」の政治家らが何を目指そうとしているのかもよく分かった。

 

また、本書では「リベラリズム」「自由主義」「新自由主義」を明確に区分し、概念の混同を回避しようとしている。

これも「右」「左」同様、明確に図式化して描かれている。

そして、民主党内にも様々な立場があり、自民党の現在の主流と同じく「新右派連合」を形成している集団があることを指摘しているのは面白い。

民主党の各グループがどのような系譜を辿って民主党に至ったのかを見るのは、日本政治全体を理解する上でも重要と感じた。

さらに自民党と読売新聞などのメディアが裏でどのようにつながっているか、自民党がNHKや朝日新聞に対してどのような攻撃を仕掛け、朝日新聞の購読者数減少に成功したのか、などにも触れられている。

昭和から平成にかけての日本政治の見取り図を端的に描いた作品と言える。あまりにも明確に描かれているため、議論がやや単純化されすぎていたり反証になりうる事例が出されていない、などの欠点があるのも確かだが、新書という形態をとる本書は日本政治の概説書としては分かりやすく、内容も十分であると思う。

おかしな時代を読み解く五十五年体制から現安倍政権まで、右傾化に向かった日本政治の流れをとらえた良書です。

右傾化に大きな役目を果たした政治家として、中曽根康弘、小沢一郎、橋本龍太郎、小泉純一郎、安倍晋三を挙げていますが、例えば安全保障についても国際協調派から対米従属派まで幅があり、さらにその時の政権基盤の強さなどの条件によって、これらの政治家のカラーも異なると解説しています。民主党政権は民衆的基盤(民衆的熱狂といってもいいか)を欠き、さらに改革に抵抗する官僚・マスコミ(記者クラブ)に拒絶され倒れましたが、民主党の失政に対するショックと、財界やマスコミを巻き込んだ諸々の好条件下でスタートした安倍政権は、ものの見事に暴走しました。

現在は新安保法制についての議論で国民の支持を失いつつある安倍政権ですが、もし政権が倒れたとして、自民党の右傾化の流れは止まるのか?無理ではないでしょうか。2012年に、国民の主権や自由を制限する自民党改憲草案が発表された時の自民党総裁は、党内で比較的穏健派とされる谷垣さんです。右から左へ多少のリバウンドは起こりえますが一時的でしょうし、自民党の新右派転換の流れは続くでしょう。

本書の最後では「リベラル左派連合」という言葉が出てきて、その再生に必要な条件として、(1)小選挙区制の廃止、(2)新自由主義との決別、(3)(同一性に基づく団結から)他者性を前提とした連帯、の3つを挙げています。

今後日本政治がどっちの方向に振れるかという意味でも、興味深い本です。

新右派転換の終着点が阿倍政権だが、その退場で終わるものでもないとしたうえで、安倍政権を総括し、阿倍後を展望している

就任以来、何かと物議を醸している阿倍首相について論じた本が、続々と発売されている。本書もそうした類いの阿倍本の一つには違いないが、私があらかじめ予想していたのとは、かなり趣が異なっていた。 

筆者は序章において、日本政治の右傾化が小泉や阿倍の登場で突然に始まったものではなく、中曽根康弘→小沢一郎→橋本龍太郎→小泉純一郎→阿倍晋三という長いタイムスパンで展開してきたものだとし、「新右派転換」をキーワードにして、55年体制から新右派転換の終着点としての第二次阿倍政権誕生までの戦後日本の政治史を振り返ることに本書の大半を充てているのだ。

 したがって、第二次阿倍政権の振り返りとその評価については、第三章の最後40ページが充てられているに過ぎないが、筆者は、今国会で審議中の安保法案を、「集団的自衛権の行使容認に向けた解釈改憲」と断じ、「違憲の戦争法案」で、「小さく産んで大きく育てるというようにいくらでも拡大解釈が可能な曖昧な要件認定」だとし、安倍政権を「歴史修正主義」、「寡頭支配の実現による復古的国家主義の暴走」と総括している。また、一時期、阿倍首相や自民党の報道内容に対するクレームが報道機関を委縮させる言論統制だと批判されたことがあったが、筆者自身が名指しされる形で経験した外務省国際報道官らのある介入事件も紹介している。 

 

筆者は終章において、崩壊した対抗勢力を欠いたままでは、安倍政権の後も小休止をはさんで、さらにとめどなく右傾化が進んでいくことになるが、対抗勢力が表れる保証などどこにもないという悲観論を展開しつつも、対抗勢力のあるべき唯一の形を提示し、そのための基礎条件を三つ挙げて本書を締めくくっている。 

 

最後に蛇足を一言。本書を読み始めれば、おそらく多くの方が感じられるのではないかと思うが、筆者の論調は、いかにもバリバリの政治学者のそれであり、非常に理屈っぽく、率直に言って、政治学を勉強する学生向けのテキストを読まされているような取っ付き難さを感じてしまった。筆者が言わんとしていることが理解できなかったというわけではないが、これが新書であることに配慮した、もっと平易な解説に努めてほしかったとは思ってしまう。

 戦後の日本政治を、開発主義と恩顧主義を結合した旧右派連合から新自由主義と国家主義が奇妙に並存する新右派連合への移行と捉え、その複雑な過程を丁寧かつ簡潔に記述した好著である。右派が日本政治を掌握してきたことは変わらないが、その中身が変わっていることがよく了解できる。昭和一桁生まれの私の父がある時期から国民の休日に国旗を揚げなくなったことももしかするとこのような転換の一環なのかもしれないなどと気がついた。日本政治の過去・現在・未来を考えるために是非とも読まれるべき必読書である。ただし、下記のような不満もある。しかし、それはとりもなおさず思考を刺激する本だということでもある。購入時の参考にされたい。

 

著者は、左右に揺れる振り子の軸が右に移動したという比喩で右傾化を説明するが、この比喩を上記のような質的な転換の説明と整合的に理解することが私には難しい。むしろ、私には、右傾化を考える際に、旧右派連合の時期に曲がりなりにも存在しえた中道左派、ヨーロッパ的社会民主主義の可能性が消失したという点が注目に値するように思える。

 著者は右傾化を憂いてこの本を書いている。しかし、見方を変えると、この本は、日本の右派が如何に大きく変動する現代世界に「創造」的に柔軟機敏に対応してきたか、という右派の「成功」物語と読むこともできる。その背後に、それと表裏する左派の「失敗」物語も垣間見えはする。しかし、今語られるべきは、後者、左派が激動する世界に対応できずに来たことのほうではないのか。それを正面から取り上げることを避けていては、左派の復権はありえないうに思える。

 この本も冷戦の終焉をひとつの画期とする。しかし、そこでロシア革命が失敗したこと、20世紀の共産主義の実験が失敗したことは全く語られない。スターリニズムの失敗だからとくに語るに価しないということはおそらくあるまい。また、社会党の無様な衰退への言及はあるが、日本共産党には言及が無い。この本の枠組みで語るべきことがなかったということかもしれないが、一瞬姿を見せる日本共産党は孤高であり、あるいは無垢であったかのような勘違いも引き起こしかねない。よくは知らないが、日本共産党の歴史も惨めな悲喜劇でなかったとは思えない。もし仮に現在野党連合の中心となろうとしている日本共産党への気遣いであるとしたら、それは欺瞞的というべきであろう。

 

著者は、オルタナティブとして新自由主義との訣別を強調する。国際共産主義への対抗から自由主義世界でも福祉国家が発展した(経済成長を前提として)が、国際共産主義の衰退ともに対抗の必要は無くなり新自由主義の無制約な拡張が始まったという大雑把な把握が、まったく間違いでもないとしたら、新自由主義を制約するための国際共産主義以外の強力な代案が提示されねばなるまい。代案を出せというと馬鹿の一つ覚えと言われるのかも知れないが。グローバルなマルティチュード(群集)の同時的蜂起に期待が寄せられたこともあった。この間の日本におけるデモのアイディアの源泉もそこにあるのだろう。21世紀のデモが腐敗した独裁者の長期支配に最後の一撃を加えることができること(それはもちろん偉大なことだ)を我々は知っているが、それ以上のものでないこともいまや明らかであろう。ウォール街のデモも失業率が改善すると終了した。デモに期待をかけすぎるわけにはいくまい。

 

著者は、慰安婦問題をめぐる朝日新聞バッシングを新自由主義のメディア統制の事例として挙げる。それはそうなのかもしれないが、ここにもっと考えるべき大事なことはないか。嘘に基づいて上から目線のお説教を垂れてきたとのウヨクの批判は言いがかりにすぎないだろうか。共産主義運動に由来するであろう「前衛」による宣教というモデルが情報化以降通用しなくなったことを考察すべきではないか。あるいは、新自由主義(欲望の全肯定)が、国民の福利をないがしろにして企業に従属しているという。私も社会契約的な国家観(自由で平等な〈しかし欲望の奴隷ではない〉個人間の約束事としての国家)を支持したいとは思うが、それは如何にして可能なのか。村上ファンドの人が言うような株主中心主義の金融資本主義の現段階への批判が欠けている様に経済に全く疎い私でも思う。まさか著者がレーニンの帝国主義論の段階に止まっているわけでもなかろうが、とてもアクチュアルなこの本の議論が実は現在と切り結んでいないと感じてしまう。

 

著者は、リベラル左派連合の再興を目指すことを宣言してこの本を終えている。来るべき左派連合を我々は信頼できるだろうか。この本を読む限りでは、いささか悲観的にならざるをえない。我田引水な他人批判は上手だが、現実的な建設は苦手という日本の左派の伝統を継いでしまうような気がしてならない。破らざれば立たず、などいう答えが返って来ないことを祈るや切。経済成長が困難で高齢化が進む中で実現可能な新たなヴィジョンが出てくるとよいのだ(容易なことではないが)が、安倍政権批判に議論が矮小化されていては期待が持てない。

 

いろいろ「難癖」をつけたが、読む価値のある本であることは間違いない。

 

追記

著者は、歴史修正主義の台頭を右傾化の重要な指標と見ている。戦前の日本の全肯定のような議論は確かに右翼的だが、この問題はここ四半世紀の微妙で複雑な日本の知的状況のなかで捉える必要があるように思える。私が学生であった1980年代には「愛国心」という言葉はほぼタブーであった。国家への盲目的隷従を肯定する気はないが、今なら、国家の公共性に対応する国民のコミットメントの責務というくらいの意味で「愛国心」を語ることに抵抗は少なくなっている。第二次大戦後に神国日本への滅私奉公といった戦前の馬鹿げたイデオロギー(現人神、神風が吹く、など)を否定する意味は大きかったが、それが左派的な思考の束縛になった面も否めない。一方、このような束縛の緩和の傾向は、自明視されている解釈図式(とくに近代になって構築された定式、例えばナショナル・ヒストリー)を解体しようとするおそらく左派的と言ってよい動きと並行している(なお、こちらは定式批判がパターン化・自己目的化して硬直してしまった感も強い)。ナチスを肯定するための歴史修正主義の如きには到底賛成できないが、第二次世界大戦後の国際関係の力学のなかで生み出された歴史認識を「見直す」こと自体が否定されるべきではあるまい。

日本の政治状況を鋭く、明晰に読み解く本!

なぜ安保法制の成立に反対するため、あれだけ多くの人が国会に足を運んだのか?なぜ安倍政権は圧倒的多数の沖縄県民の反対にもかかわらず辺野古の基地建設を強行しようとするのか。

 

ますます混迷を深めているように見える日本社会。日本はいまどういう状況にあり、どこに向かおうとしているのか。本書は55年体制からの日本政治のプロセスを丹念にたどり、現在にいたる政治状況を鋭く明晰に描いています。日本の政治状況を読み解くうえで非常に参考になる一冊と思います。

日本政治の右傾化の現状を解明  保守合同以降のいわゆる55体制下の自民党と異なり、安倍政権に代表される自民党には戦前回帰の右翼的傾向が大きい。 本書は、1955年の保守合同以降の日本政治史を解明することにより、現在の日本政治が右傾化している現状を説明するもの。現在の日本政治が、戦後日本の中で、非常に右傾化している事実と、そのようにいたった経緯が明らかにされている。

 本書は序章・終章を含めて5つの章からなる。序章はイントロ。第一章では五五年体制の日本政治史の簡単な説明が為された後、この体制は経済成長によって得られた金によって保守支配を継続するものだったため、経済成長の鈍化と共に破綻したことを説明する。第二章は東西冷戦が終結したころからの日本政治の変節の歴史を説明する。日本の右傾化はこの時代に起こっているが、単調に起こったのではなく、何度かの揺り戻しを経つつ、保守本流(旧吉田・池田系)の退潮や革新勢力の退潮を伴いつつ進行した。第三章では小泉改革以降、本格的な右傾化の時代を説明する。終章では現在の政治状況の説明と共に、対抗する方法が示されるが、内容・分量共に少ない。

  本書は一般人向け解説書だが、著者は学者なので、解決の処方箋ではなくて歴史と現状を正確に認識することに主眼が置かれている。

日本政治を右傾化という視点で書かれた良書。

戦後の政治を右傾化という視点で書かれた良書だと思います。

 日本の政治は右傾化しているということを言っている本です。

その説明によると、日本政治の右傾化というものは、これまでの右派勢力が大きな勢力となり、その影響力が大きくなったものではないというらしいのです。これまでの右派勢力ではなく、新たな考え方をする新右派勢力が生まれ、政治を動かすようになってきたと著者は言っています。

世界史的にみると、サッチャー、レーガンにみられる新自由主義的な世界の動きがそれにあたります。日本では、中曽根がうまれ、国鉄、電電公社、専売公社の国有企業改革につながっていきます。そして、小泉改革になって、これまえ穏健保守で国民すべて護送船団方式によって束ねてきた自民党が、自己責任型の新自由主義の政党にとって代わることになります。そして、ついには国家主義の芽生えも始まってきているとこの本では指摘しているのです。


 では、それに対抗するリベラル勢力はどのようにすればいいのでしょうか。著者はリベラル勢力の再生のための条件についても述べています。しかし、それはその通りと納得するものではあるのですが、やるのはかなり難しい、ハードルがあるように思います。しかし、政治というものはそのようなハードルを越えさせる力というものが必要だということだと思います。

国家主義や歴史修正主義が現実になろうとしているこの現在では、そのリベラル勢力を再生させるためにも国民自身もしっかりと考え、風前の灯になってしまった、リベラル勢力にも力を与えるような支持の拡大が必要とされているのではないだろうか。と考えさせられました。

右傾化する日本政治

商品は、完璧でした。本の内容は期待したほどではなし。 しかし、所々で納得感はあり。

16:08 2015/11/15 


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