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2015年9月16日 (水)

第2章 地方分権―国と地方の攻防 ・1・地域格差をどう見る・43頁・45頁・一般に経営とは「ある組織目的に対し、最小の費用で最大の効果をもたらす活動」のことを指す。それは限られた資源の下で最適な政策選択をいかになすかの戦略を意味する。平成27年9月16日 水曜日・・・地方分権の歩み・・戦後、日本の地方自治は、「執行あって経営なし」と言われてきた。自治体は中央集権の元で、事業官庁に徹してきた。55頁・まで


引用


第2章 地方分権―国と地方の攻防 ・1・地域格差をどう見る・43頁・平成27年9月16日 水曜日・・・地方分権の歩み・・戦後、日本の地方自治は、「執行あって経営なし」と言われてきた。自治体は中央集権の元で、事業官庁に徹してきた。しかし、地域が多様化し、住民意識も多元化している。統一性というモノサシより、多様性というモノサシでの地域づくりが求められている。そうした基底の変化に応じられるシステムの変更が必要となってきた。

その点、2,000年に始まる地方分権への歩みを止めてはならない。自治体は「政策官庁」に脱皮する。住民と協働し「自己決定・自己責任」のまちづくりに励むことが大切となった。21世紀は、自治体が本格的な「地域の政府」になる時代である。

44頁・これから日本が目指すべき姿は、中央に依存しない分権型国家の形成と、地域に活力のある分散型国家の形成である。それがこれから目指す新しい「国のかたち」である。


・44頁・パラダイム転換・・

しかし、現実とは大きなギャップがある。自治体にはまだ古い上着を付けたままのところが多い。これまで自治体は、財源の多くを国の補助金に頼り、たりない財源は交付税で国が穴埋めするのは当然だと考えてきた。民間では黒字もあれば赤字もあるのが常識だが、これまで自治体には「赤字」という概念はなかった。あるのは、赤子が生まれる「制度」が悪いという観念だけだった。


「執行あって経営なし」と言われてきた所以がここにある。

だが、もう変わらなければならない。国家全体の債務残高が800兆円を超え、急速な少子高齢化で社会保障費は増える、その一方、税収は頭打ちである。国家の経営も、地方の経営もやりくりをしないと立ち行かない時代となった。行政全体の三分の二を担う地方自治体が、自ら「経営体」として本格的に地域再生に取り組んでこそ、この国は変わる。

地方分権は、成功する自由と失敗する自由を併せ持つ。自治体には自己決定・自己責任・自己負担という地方自治の三大原則を正面から据えた経営が求められている。


45頁・一般に経営とは「ある組織目的に対し、最小の費用で最大の効果をもたらす活動」のことを指す。それは限られた資源の下で最適な政策選択をいかになすかの戦略を意味する。

今後、自治体向けに財政破綻再生法が制定されると、不良債権処理に苦しんだ銀行と同じ苦しみを味わう自治体が急増するかもしれない。これからは自治体も破綻する。それを避ける経営責任を負うのが、政治の役割、とりわけ議会と首長の役割である。

これからは「経営」と「執行」を分離する発想も必要だ。民間会社が破綻すると経営幹部が総入れ替えとなる。ある風景を対岸の出来事と見てきた時代も終わった。「自己責任」での経営は自治体の存立基盤まで問う。自治体に「行政あって政治なし」の時代も終わったのである。


45頁・・2争点化する「地方」のあり方・

・地方交付税を削れ・


「官から民へ」、「国から地方へ」を柱として進められてきた構造改革だが、経済は活性化した一方で、地方との格差が広がり、財政危機の深刻度を強めている自治体も多い。大都市を除く地方には喧伝されるほどの景況感はない。


・46頁・霞が関、永田町で感ずる景況感と地方都市で感ずる景況感には大きなズレがある。

実はそうした認識のズレが国と地方の関係、とりわけ「地方」のあり方をめぐるホットな論争へと繋がっている。

例えば交付税問題だ。交付税制度は財政力格差の調整と財源の保障という二つの機能を持っている。しかし国は、地方交付税は「地方を甘やかす」制度だから大幅に削れとし、さらなる削減と配分方法の見直しを主張している。戦後、ナショナル・ミニマム(国の保障すべき最低基準)を保障し、地域の財政力格差を是正してきたこの交付税制度を、「地方を甘やかす制度」とまで言い切る発想が正しいかどうか。ともかく総務大臣の私的諮問機関「「地方分権21世紀ビジョン懇談会」は、交付税総額の縮減と、人口と面積を基準に配分する簡素な「新型交付税」制度への移行を提唱し、国は法改正を急いでいる。

これに危機感を持った地方六団体は「新地方分権構想検討委員会」を立ち上げ、国のサジ加減で恩恵的に配る現行制度をやめ、交付税法定率(国税の一定割合が交付税)を引き上げ、自治体の「共有財源」とする「地方共有税」への衣替えを提案している。

双方ともこれが「時代の交付税」の姿だとして譲る気配はない。もとより、この話はもう少し根が深い。


47頁・1,980年後半に起こったバブル経済とその崩壊後の対応、そして小泉政権の「官から民へ」の構造改革で生まれた「格差」の要因をどう見るかとつながる。地方のあり方をめぐる基本的問題として、少し論争してこれを掘り下げてみよう。


・47頁・「格差」はだれの責任か・

大都市と地方都市、あるいは地方の間で、地域の間で地域の間で格差が広がっているとされる。何を格差とするかの定義は様々だが、少なくとも経済的な面、雇用の面で言うと、不況から抜け出た地域と依然と不況下にある地域とで「格差」が広がっているのは事実だ。ただ、その捉え方、評価の仕方となる見方は一つではない(以下について、片山善博・本間正明「地方は生き残れるか」朝日新聞2006年5月5日参照)。

論点の一つは、この「格差」は政府の責任かどうかについてである。

第一の見方は、「政府の責任ではない」という見方だ。

1990年代初め、バブル経済の崩壊を受け、政府は公共事業などで積極的な景気対策を講じてきた。しかし、その効果は芳しくなく、残ったのは国の債務の累積であり地方財政の悪化である。公共事業の恩典をあまり受けなかった大都市の自治体は本格的な行革に取り組んだが、地方都市の自治体は従来のままだった。そこに公共事業を引き締めた結果、地方経済が縮小し格差が拡大した。


・48頁・

地方が行革に取り組まなかったのは政府の責任ではない。

平成27年9月16日 


・3・国土の均衡から個性化へ・56頁・


小泉政権での規制改革による経済の活性化は、都市部で効果が現れたが致富ではあまり現れなかった。それが結果として格差を広げた。だが、このいずれも政府の責任とは言えいず、この問題解消には「成長政策を続ける」ことしか道はない、というのである。

これに対し、第二の見方は、格差の拡大は「政府の責任だ」という見方だ。

有効求人倍率も企業収益も、都市部と地方では大きな差がある。地方経済に「官依存体質」が強いのも一因だが、それより国が公共事業を縮小した打撃は大きく、建設業を中心に大量の失業者が出たのは事実だ。優良企業は、これまで地方で生産してきた部品を中国など海外に移してコストダウンを図り、収益を上げている。これで地方経済はさらに空洞化した。地方はグローバル化の踏み台になったのである。


本来、国は格差を縮小する政策、痛みを和らげる政策をとるべきなのに、三位一体改革や税財政改革ではむしろ地域格差、貧富の差を拡大させる方向へ動いた。これでは地方にとってはダブルパンチの政策としか言いようがない。これが第二の見方である。

この第一と第二の対立論争をどう見たらよいか。

筆者は、小泉政権で格差が広がった点もあるが、それよりその政権以前からの「来年は景気が良くなる」と国債、地方債の大増発で景気浮揚を図ろうと続けてきた、与党の「政策の失敗」が大きな要因だとみている。


・49頁・「失われた10年」の見方だ。


その「政策の失敗」を糊塗するための構造改革が、小泉政権下で小泉政権下で不良債権処理に膨大な税金を投入するといった形でなりふり構わず進められた。その結果、都市部の「企業経済は蘇った」が、地方の「地域経済は疲弊した」のである。

それに追い打ちをかけるのが交付税、補助金の削減政策である。国家財政が破たん状況だから、国の歳出の四割を占める地方への交付税。補助金を削減することはやむを得まい。しかし、財政再建ありきになると、最低限の公共サービスや生活水準を保障する交付税や補助金の役割を見失ってしまう。財政再建だけが目的化すると、格差はますます広がろう。よって格差が生まれたのは政府の責任である。


ひとくちに「地方」と言っても、地域としての「地方」は一様ではない。2000近い自治体のそれぞれは台所事情が違う。人口、産業の集中する大都市と、高齢化、過疎化の著しい地方都市では事情は全く違う。地方財政を削減する際、富裕団体と非富裕団体を一定基準で分け、良くなる自治体と悪くなる自治体の調整をしっかりやる必要がある。


・50頁・・交付税の行方・

論点の二つ目は、「地方交付税」制度をどうしたらよいかである。


第一の見方は、政府の「財政再建は待ったなし」なので、聖域なき財政削減を求め交付税は削減すべきだという見方である。財務省や経済財政諮問会議の考え方はこれに近い。

これに対し、第二の見方は、交付税はもともと地方の財源であり、国のサジ加減で差配すべきではないという見方である。減らすべきかどうかは仕事との兼ね合いで住民が決めるべきで、交付税は「地方共有税」としたらどうか。全国知事会など地方六団体の考え方がこれに近い。


もっとも、現実の交付税制度の運用を見落とすわけにはいかない。自治体は国の景気対策に付き合い、交付税を当て込んで借金をしてきた。「公共事業をどんどんやりなさい」「借金の返済分は後で交付税に上乗せしますから」と国に言われ、地方は競うように公共事業をやり、景気対策に貢献した。その結果、借金まみれになってしまった。

その運用の仕方に反省がないまま、合併特例債を使っての合併推進策が行われている。合併したら関連事業は借金で行い、後でその七割は国が交付税で面倒を見るからというのである。人口15万人の市が合併して20万人になったら、500億円も借金ができ、その七割(350億円)は国が返すという話だ。


51頁・平成27年9月17日 木曜日・

カネに困っている多くの自治体はこれに乗った。それが平成の大合併が進んだ一つの側面である。

本来、市町村合併は国に言われるとか、国の推進策があるから合併するといった理由で行う性格のものではない。しかし、推進策があると乗りやすいのは事実だ。ともかく、国は大盤振る舞いができないのに大判振る舞いの約束をする。地方は返せないのに国が返すからと許可額の目一杯の借金をし、それが得だという感覚になる。これで国も地方もモラルハザード(財政規律の喪失)に陥ったのである。

出来もしない約束をした国が悪いが、それに乗った自治体が愚かなのか。言い分はそれぞれにあろうが、ただ自主財源の乏しい地方に「ノー」という自由がない点も見落とせない。

もとより自治体が反省すべき点はある。市場のカネではなく、国の金をどう取るかに腐心し国の施策に飛びつく、これまでの受け身の地域振興策のあり方に問題はないかどうかだ。

もし今後、交付税を削るというなら、自治体に「仕事を減らせる自由」を与えなければならない。機関委任事務の多くが自治事務化したが、現実にこの自治事務の廃止を決める自由を各自治体は持たない。個別法で自治体に執行義務が課せられているからだ。これらの事業の財源を保障してきた交付税を切るなら、自治体は財源のやりくりができず、サービスを低下させざるを得ない。


52頁・平成27年9月17日・・

国が反省すべきは、各省庁がやりたい政策を交付税を使い地方にやらせる「交付税の補助金化」である。「第二補助金」的な仕事のやらせ方は少なく見ても補助事業の七割近くに及ぶ。これでは自治体は金縛りにあるだけである。

今後、交付税は国の関与を排除し、算定や配分をルール化し、透明化することで本当の意味で地方の自主財源にすべきだ。その点、筆者は地方六団体の提案する「地方共有税」の考え方に賛成だ。ただその際、利害の対立する地方同士で争わないよう、配分の自主調整ルールを構築することが先決である。


・・ナショナル・ミニマムの見直し・・

第三の論点は、ナショナル・ミニマムのあり方についてだ。第一の見方は、もうナショナル・ミニマムは十分な水準にあるので、むしろ今後は引き下げるべきだという考え方だ。それに対し、第二はまだ不十分な水準の領域もあり、今後とも地方財政計画によってナショナル・ミニマムを決め、その水準は下げるべきではないという見方である。

これまでわが国は、国で政策を立案し、地方が実施するという集権融合型の集権体制にあった。この狙いは、国のリーダーシップにより国全体に統一的で公平なサービスを隅々まで行き渡らせるナショナル・ミニマムの保障にあったといっても過言ではない。


53頁・平成27年9月18日

しかし、ここにきて地方財政計画自体を大幅に見直し、国が財源保障すべきナショナル・ミニマムについて、保障すべき範囲と水準を見直すべきだという意見が出ている。このことと交付税の削減論争とは、ある意味で表裏一体の関係にある。

確かに、これまでの「公共事業を借金でやりなさい」「返済の面倒は見ますよ」といったものまで保障するのはおかしい。整備新幹線の地元負担の償還費用まで交付金で補填するといったやり方は、行き過ぎかもしれない。

しかし、生徒数の少ない農村地域でも、ナショナル・ミニマムとしての義務教育が受けられるよう、国が一般財源でこれを保障するというやり方は意味がある。その保障機能が交付税にあることは事実だ。もっとも何が最低限保障すべきものかは、時代によって違う。

しかし、これまでそれをしっかり見直した歴史がない。むしろ予算編成がそうであるように、漸増主義と言われるようにレベルアップと保障範囲を広げてきたことが、交付税総額を膨らませる要因だ。

筆者は、ナショナル・ミニマムは見直すべきだと思う。その際、今後保障対象とすべきサービス(真の公共サービス)と、それ以外のこれは保障すべきでない。自己責任でやるべきだといったサービスに仕分けるべきだと考える。


54頁・平成27年9月19日・

現在、医療、福祉、高齢者介護など社会保障費がうなぎのぼりだが、これとて「聖域」ではない。

例えば真の福祉(サービス)、選択的な福祉(サービス)といった三つの輪を描き、最低限保障すべきは「真の福祉」というコア部分のみに限り、財政上少し余裕があったら「周辺福祉」までは保障すべきだ。

それ以上の「選択すべき福祉は、地域の住民自身の負担で各自治体が保障するという考え方に立ったらどうか。福祉の有料化も一律ではなく、選択的に決めるべきだというのが筆者の意見だ。


54頁・「財政格差」をどうする・

第四の論点は、交付税の持つ財政格差の調整機能をどう見るかについてである。地方交付税は現在、約15兆円規模で毎年国から地方に配分されている。これにはナショナル・ミニマムを保障するための財源保障機能と、地域間の財政力格差を是正する財源調整機能の二つが含まれている。今後、後者の点をどう見るかがここでの焦点となる。

確かに、現在のようにすべての都道府県と市町村の90%以上が交付税を受ける状態は、財源保障の点では理解できるが、格差是正という調整機能の点では理解しにくい。九割以上に格差是氏が必要だというのでは、交付税機能が破綻し「制度疲労」にあると言われても仕方があるまい。


55頁・平成二十七年九月十九日・ここまで?



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