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2015年8月 9日 (日)

家族という病・下重著・  ・ぼくらの民主主義なんだぜ (朝日新書) 新書 – 2015/5/13高橋源一郎

引用


家族という病 (幻冬舎新書) 新書  – 2015/3/25 下重 暁子   (著)

内容紹介

家族ほどしんどいものはない。これまで神聖化されてきた「家族」を斬る!日本人の多くが「一家団欒」という呪縛にとらわれているが、「家族」はそれほどすばらしいものなのか?

実際には、家族がらみの事件やトラブルは挙げればキリがない。それなのになぜ日本で「家族」は美化されるのか。一方でもっとも近い存在でありながら、じつは一番理解していなかったことを、家族が他界してから気づく人も多い——。家族の実態を克明にえぐりつつ、「家族とは何か」を提起する一冊。

 

日本人の多くが「一家団欒」という言葉にあこがれ、そうあらねばならないという呪縛にとらわれている。しかし、そもそも「家族」とは、それほどすばらしいものなのか。実際には、家族がらみの事件やトラブルを挙げればキリがない。それなのになぜ、日本で「家族」は美化されるのか。一方で、「家族」という幻想に取り憑かれ、口を開けば家族の話しかしない人もいる。そんな人達を著者は「家族のことしか話題がない人はつまらない」「家族写真入りの年賀状は幸せの押し売り」と一刀両断。家族の実態をえぐりつつ、「家族とは何か」を提起する一冊。

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新書: 177ページ出版社: 幻冬舎 (2015/3/25)発売日: 2015/3/25

 

目次

序章 ほんとうはみな家族のことを知らない(家族とは何なのかなぜ私は家族を避けてきたのか)

第1章 家族は、むずかしい(家族を盲信する日本人なぜ事件は家族の間で起きるのか ほか)

第2章 家族という病(家族のことしか話題がない人はつまらない家族の話はしょせん自慢か愚痴 ほか)

第3章 家族を知る(介護で親子は互いを理解する親は要介護になってはじめて弱い姿をわが子に見せられる ほか)

第4章 旅立った家族に手紙を書くということ(家族を知ることは自分を知ること父への手紙―冬の雷 ほか)

親にうんざりエッセイ、役にたちました

著者の体験談が中心で、客観的なデータはほぼありません。エッセイです。独白に近いです。タイトルと内容は合っています。ただし、社会に訴えかける、という本ではありません。親子関係に苦しむ人向けの本です。円満な家庭をもつ方には不要です。

それと、「しんどい家庭環境で育った著者の独白」ですから、学問的に「現代社会における家族の~~」というようなことを勉強したいと思って手に取った方には大不評まちがいなしでしょう。コミックの「母がしんどい」くらい、直球のタイトルであればよかったかもしれません。エッセイとはわかりにくい見ためで、ちょっと紛らわしいです。

内容について。

家族関係に悩んでいたので、私にはうってつけの本でした。私よりもずいぶん昔から悩んで苦しんで結論を出した方の文章の中に、私が言葉にしたかった文がいくつもあったのですっきりしました。人を傷つける本、というレビューがありましたが、それは正解です。

「お互いを理解し助け合って生きている。そんな家族がいたらいっそ気持ち悪い」著者の、家族に対する憎悪・嫌悪感がにじみ出ています。「お互いを理解し、助け合って生きている」家庭をもつ人が読んだら、大ショックです。たぶん。私は一部「わかる~」と思ってしまいますが……。著者は自分の家族への嫌悪で目がくらんでいます。

「そんな家族がいたら(うちがもしそんな家族だったら……無理、想像できない、ありえない)いっそ気持ち悪い」

ということなのかな、と勝手に解釈しました。家族に向き合うということは、著者からいまだ冷静さを奪うほどしんどいことのようです。価値が無い本ではありません。人を選ぶ本です。

「家族なんだから」「親なんだから」「育ててもらってるんだから」「親のことそんなに悪く言うもんじゃないよ」という無責任な言葉におしつぶされそうな人には、適した本ではないでしょうか。

親の犠牲になるべきかどうか、選択を迫られている人にはおすすめです。

最低評価が多いワケ

この本を手にする多くの人は、家族と何らかの摩擦やら問題を抱えその解決法や手がかりを得たいと思ったのではないか。そうした人のほとんどは失望感と憤りしか味わえないだろう。

「本当はみな家族のことを知らない」という文言にドキリとし、序章で家族のことで苦労したような事も書かれていたので手にとったが、ぼったくりバーの客引き看板に引っかかったようなもので、時間と金を浪費させられた。両親とは確かに確執があったのだろうがそこからは単に逃避しただけ、さらには子を育て逆の立場での家族と向き合った経験もない中で、よくぞこれだけ大上段に構えられるものだ。

外野席からの評論でしかないし、加えて周囲の極端な人々の考えを鵜呑みにして論理が暴走している。

自分がどっぷりとそのしがらみの中で過ごし対処していないから、自立などと美辞麗句を並べたところで全く説得力がない。

人間関係では家族に限らず、いや家族だからこそ、逃げること、割り切って距離を置くことだけでは、何の解決にもならないだろう。

長く一緒に過ごしても家族は分からない、ならばそんなものだと放棄するのでなく、しがらみを持つのが家族と覚悟し、どう向き合うのか、正解がないにしても、真剣に思い悩む人が多いからこそ、これだけレビューでも最低評価が集まるのだろう。

あざとい見城さん、家族問題をテーマにする本が売れることはわかったんだから、もう少ししっかりしたエキスパートに書かせてください。

最低評価が多いワケ

この本を手にする多くの人は、家族と何らかの摩擦やら問題を抱えその解決法や手がかりを得たいと思ったのではないか。そうした人のほとんどは失望感と憤りしか味わえないだろう。

「本当はみな家族のことを知らない」という文言にドキリとし、序章で家族のことで苦労したような事も書かれていたので手にとったが、ぼったくりバーの客引き看板に引っかかったようなもので、時間と金を浪費させられた。

両親とは確かに確執があったのだろうがそこからは単に逃避しただけ、さらには子を育て逆の立場での家族と向き合った経験もない中で、よくぞこれだけ大上段に構えられるものだ。

外野席からの評論でしかないし、加えて周囲の極端な人々の考えを鵜呑みにして論理が暴走している。

自分がどっぷりとそのしがらみの中で過ごし対処していないから、自立などと美辞麗句を並べたところで全く説得力がない。

人間関係では家族に限らず、いや家族だからこそ、逃げること、割り切って距離を置くことだけでは、何の解決にもならないだろう。

長く一緒に過ごしても家族は分からない、ならばそんなものだと放棄するのでなく、しがらみを持つのが家族と覚悟し、どう向き合うのか、正解がないにしても、真剣に思い悩む人が多いからこそ、これだけレビューでも最低評価が集まるのだろう。

 

あざとい見城さん、家族問題をテーマにする本が売れることはわかったんだから、もう少ししっかりしたエキスパートに書かせてください。

 

 

浅いです

家族の話はするなとか、家族に振り回されるなとかいいながら、自分の家族の話を延々と書き連ねている。何がいいたいのかよくわからない。読後は、なんでこんな本買ってしまったんだろうという後悔しか残らなかった。

読後感がいまいち

新聞広告につられて購入しましたが、内容が薄くてがっかりです。

エッセイなのでしょうが、小言、愚痴が吐き出されているだけで、よくある個人のひとりごとブログみたいで、本にするほどの内容ではないと思いました。

図書館で無料で読めば充分

なーんだ、結局下重さんの家族に対する思いを聞かせたかったのか…って感じです。病んでるのはあなたでしょう。

著者は出産・育児・介護の未経験者で説得力が乏しいです

168p…私は産む自信がなく、つれあいの同意をえて、子供をつくりませんでした。

172p…死別した兄に生前、一度も手紙を書いたことが無い。闘病した兄に対し、一度も見舞いに行かなかった。

14p…仕事の忙しさを理由に入院中の父の見舞いにも行かなかった。

16p…結局わたしは、父・母・兄3人の家族と分かり合う前に死別した。

著者は“戦前うまれ”で、父親が公職追放とか話題が昭和初期ごろなので、現代の家族論とのタイムラグが大きすぎるので、今の読者からしたら時代が古すぎるのでは?話題が古すぎてあまり参考にならない。

著者自身が、家族と向き合ってこなかったので、“家族を理解することはむずかしい”のは当たり前でしょう。だからといって、“ほんとうはみな家族を知らない”とか、個人の主観を一般論化したり、ちょっと論理飛躍かなと。また“家族という病”というタイトルも、自分が理解できないものに対して“病やまい”というレッテルを安易に貼るのは、ちょっと理解に苦しむ。世の中の常識を否定したいなら、もっと実体験と試行錯誤をへてから、丹念に論理展開しないと暴論としか思えないです。

悪書です。

家族という悩みを抱えている人には何のヒントも解決策も見出さない、悪書です。読んでいてこんなに不快な気持ちになったのは初めてです。ひとりでも同じような思いをさせてくないので、レビユー書きました。悪書です。買って後悔しています。

つまらない

著者の固定観念の中にある「家族観」をいかに打ち破ってきたかという事を縷々述べられているという印象です。

同種の固定観念を持たない読者に得るものはない。そこここに見え隠れする家族自慢も、なんだか大人気ない。

まさに著者こそがその「病人」

某ワイドショーでお話をされていて、あまりにも腑に落ちないことが多すぎたので逆に興味が湧いて手にとってみました。既にレビューにも散々書かれていますが、要するに下重さんのご自分の家族への愚痴、一般の家族へのコンプレックスとも言えるものをただ感情のままに丸めてぶつけてくるだけのヒステリックな自分語り本です。

テレビでもとにかく「私の家は」「私の家族は」と何を語るにも自分・自分で唖然としましたが、本書もそのまんまですね。理論でもなんでもない、ただ「私が気に入らない家族」に文句を言っているだけでした。もちろん家族や幸せの形は人それぞれではあります。それでも多くの人々は歳を重ねるにつれ、親から離れ、自分の家庭を持ち、子どもを設けたりもして、一人暮らしって・妻って・親ってこんなに大変だったのか…とその苦労や喜びを学ぶものだと思うのですけど、この方は一切それをすることなく、まるで呪いにでもかかっているかのようにあれもこれも家族や環境のせいにして、「こんな家族はダメ!こんな家族だから私はこうなった!こんなことしてやった!でも私悪くない!私すごい!」と叫び続ける。正直この歳になってまだこんなにしつこく、しかももう亡くなられたご両親の愚痴を言っているなんて考えられないです。自立の意味、間違えてませんか?この方の半分以下しか生きていない私でさえ笑ってしまいます。

 

よその家族叩きが、著者が今の自分を維持する方法なのでしょう。乗り越えることも忘れることもできず、それより幸せな家庭を築くこともできず、でも自分は間違ってないのよ幸せなのよ、と自己の正当性を主張するために他者を叩いて言い訳をする。そうやっていつまでも仮想敵を作って戦い続けるような人間に、そりゃあ安心できる・満足できる家庭や家族が持てるわけがありません。

はっきり言います。家族について真面目に考えたい人、ご家族やお子さんを愛している人に、この本は何の役にも立ちません。何の解決にも参考にもならないし、むしろひたすらに不愉快で、哀れで、残念な気持ちになるだけです。

ただし、孤独で傲慢で私こそが正義な自己中心ぶりを徹底的にこじらせたお年寄りの超攻撃的愚痴自慢大会に挑んでみたい!という強メンタルを持ったファイターさんは、もののためしに手にとってみてもいいと思います。

 

あ、ひとつだけ、「家族のことしか話題がない人はつまらない」というのは少しだけ当たってますね。だって本人が好きと思ってもいない家族の話を延々聞かされて、楽しい・おもしろいわけないじゃないですか。この本みたいに。

偏りすぎ

本のタイトルと中身がかけ離れていて、見事にレビューに反映されている本だと思いました。他のレビューにもありましたが、著者は子育てや介護を経験されていないんですね。見方や論理に偏見があると言われても仕方がないと思います。

泣けてくるあまりにも視野が狭く、このような方がNHKのトップアナウンサーだったのですね。「三種の神器」のくだりで破ってやろうかと思いましたが、使用された紙が不憫だったので止めました。駄本です。

8:41 2015/08/09


 


ぼくらの民主主義なんだぜ (朝日新書) 新書  – 2015/5/13高橋源一郎   (著)

日本人に民主主義はムリなのか? 絶望しないための48か条。「論壇時評」はくしくも3月11日の東日本大震災直後からはじまり、震災と原発はこの国の民主主義に潜んでいる重大な欠陥を炙り出した。若者の就活、ヘイトスピーチ、特定秘密保護法、従軍慰安婦、表現の自由……さまざまな問題を取り上げながら、課題の解決に必要な柔らかい思考の根がとらえる、みんなで作る「ぼくらの民主主義」のためのエッセイ48。

 大きな声より小さな声に耳をすませた、著者の前人未到の傑作。2011年4月から2015年3月まで、朝日新聞に大好評連載された「論壇時評」に加筆して新書化。

 

 目次から ことばもまた「復興」されなければならない/スローな民主主義にしてくれ/民主主義は単なるシステムじゃない/〈東北〉がはじまりの場所になればいい/国も憲法も自分で作っちゃおうぜ/自民党改憲案は最高の「アート」だった/ぼくらはみんな「泡沫」だ/戦争を知らない世代こそが希望なのか/DV国家に生まれて/ぼくたちはみんな忘れてしまうね/わたしたちは自ら望んで「駒」になろうとしているのかもしれない/「アナ雪」と天皇制/クソ民主主義にバカの一票/「怪物」は日常の中にいる

内容(「BOOK」データベースより) 

大きい声より小さな声に耳をすませる。震災と原発、特定秘密保護法、若者の就活、ヘイトスピーチ、従軍慰安婦、表現の自由などを取りあげながら、壊れた日本を作り直す、絶望しないための48か条。著者の前人未到の傑作。

 新書: 256ページ出版社: 朝日新聞出版 (2015/5/13)発売日: 2015/5/13

 目次

ことばもまた「復興」されなければならない

非正規の思考みんなで上を向こうスローな民主主義にしてくれ柔らかくっても大丈夫「そのままでいいと思ってんの?」

一つの場所に根を張ること「憤れ!!」「憐れみの海」を目指して民主主義は単なるシステムじゃない〔ほか〕

買いです。

タイトルが、あとがきで著者も触れているようにナット・ヘントフの「ぼくらの国なんだぜ」を連想させ、同時にその晶文社版の表紙に写った少年たちの笑顔が反射的に思い出されました。その本を手にしたのがまだ十代の頃だったので、その少年たちとさほど変わらず、そういった意味でも思い出深い一冊です。

本書を手にする人のどれくらいが、自分と同じような連想をするのか、あるいはそういったことを著者がどれほど意図しているのかわかりませんが、様々な時事問題を扱う本書がこれから選挙権を得る、あるいは得て間もない人たちに向けて書かれているような気がしきりにしました。

知らないことを論じる時にはどこまでも謙虚であり、自分のなかにあらゆることに関する歴史的なインデックスを有していなければならないと考えさせられました。ハンナ・アーレントやスーザン・ソンタグの本を久し振りに読みたくなりました。

声を拾った(2011~14)

現代に違和を唱える人、自分の信念に沿って行動している人の声を集めている。

基本的に伝聞である。はっきり言って、論理的でも説得的でもない。考察は少ない。ひたすらに喚起的、感傷的である。彼は小説家なのだろう。批評家でも実践者でもない。そして若くもない。

心を入れて読むと、絞めつけられるような部分は多い。心の動きだけで終わるのか、瞬間的にリアクトするのか、日々考え続け行動し続けるのか。問題はそこだろう。

タイトルが、あとがきで著者も触れているようにナット・ヘントフの「ぼくらの国なんだぜ」を連想させ、同時にその晶文社版の表紙に写った少年たちの笑顔が反射的に思い出されました。その本を手にしたのがまだ十代の頃だったので、その少年たちとさほど変わらず、そういった意味でも思い出深い一冊です。

本書を手にする人のどれくらいが、自分と同じような連想をするのか、あるいはそういったことを著者がどれほど意図しているのかわかりませんが、様々な時事問題を扱う本書がこれから選挙権を得る、あるいは得て間もない人たちに向けて書かれているような気がしきりにしました。

知らないことを論じる時にはどこまでも謙虚であり、自分のなかにあらゆることに関する歴史的なインデックスを有していなければならないと考えさせられました。ハンナ・アーレントやスーザン・ソンタグの本を久し振りに読みたくなりました。懐の深い柔らかい言葉で、現実問題を見つめる好著

投稿者ロビンベスト1000レビュアーVINEメンバー2015年5月23日

高橋源一郎さんのご著作はこれまで読んだことがないのですが、タイトルと推薦人の方々のお名前に惹かれて購入しました。朝日新聞で連載されていた「論壇時評」を纏めたものということです。

従軍慰安婦問題や原発、イスラム国、ブラックバイトなど多様で複雑な時事問題をハーバーマスやジャック・アタリ、古典ではジャン・ジャック・ルソーやヴォルテールなどの言葉を結びつけながらご自身の経験をもまじえて非常に柔らかい言葉、やさしい文章で語ってくださっています。難しい問題を扱い、高い文章レベルを維持しながらとにかく読みやすい、親しみやすいというのが本書の特徴ではないかと思います。引用される思想家や社会学者も多くは現代のそれなので、知の世界の最先端の学説をある程度頭に入れることができ勉強になります。本書に推薦文を寄せておられる佐藤優さんの読書履歴と重なる部分が多いように感じました。

本書の魅力、あるいはわたしが勝手にメッセージとして受け取ったものは、<知性>とは<柔らかい言葉>であり、<鵜呑みにせず、決めつけないこと>であり<世の中も善悪も単純ではない、ということを深く理解すること>であるということです。これは、最近読んでいる19世紀イギリスの思想家・批評家・教育者であったマシュー・アーノルドのいう<教養>という概念と少し近いものであるという風に感じます-アーノルドの思想の根底には彼の信仰がありますので、簡単に近いなどと言ってはいけないのかもしれませんけれども-。彼の言う「ギリシャ的態度」-積み重ねられた読書が培うもの、<あるものやことを絶対視せずに、行動の前に、一度様々な方向からそのもの・ことをよく考えることのできる知的な態度>です。ちなみにアーノルドの<教養>の定義は、ある程度表現に違いはあるのですが、そのうちの一つを引用すると「知られえる最善のものを知ろうと努力し、読書と反省と観察を私心なく積極的に使用すること」というものです。

戒むべきは、硬直した視野、思考の停止-知的怠惰-、<標的>に対し暴力的に一方的に感情をぶつけること-内心の獣性に従うこと-、おのれの無力感に膝を折ること。これらを防ぐのが真の<知性><教養>であり、民主主義を民主化するものなのだと思います。

私自身無力感-「それが何になる?」という声との闘いであり、理想に対してあまりに非力な己に忸怩たる思いでありますが、民主主義はいわゆる<アマチュア>の力を前提とした政治形態であると思いますし、原発問題をはじめ専門的なことで分からないことはたくさんありますが、分からないからといって発言を躊躇ったり自分なりに考えることを放棄する必要はないので、そこは自信をもって「アマチュアですがなにか?」くらいの気持ちで関心を持ち続けていこうと思います。この本の優しさは、読む者にそう思わせてくれます。「世の中はグレーなことばかりだしぼくにも判断付きかねる事は沢山あるけれども、一緒に考えていこう」と語りかけてくれます。

ものごとをありのままに見つめる勇気、自分の意見が他人と違っても考え続ける勇気、笑われることを覚悟して行動する勇気、自分と異なる意見を持つ者を受け止める勇気-<勇気を失ってしまうなら、産まれて来なかったほうがいい>-これは知性にも言えることです-を持ち続けなくてはいけませんね。

ホッとする

こういう当たり前のことを当たり前に話す大人が減ったのか根気強く話を聞ける子供が減ったのかは知らないけれども戦後の民主主義というものを空気の様に思い込んでいたらここ数年、冗談みたいな政権が誕生し、やたらヒステリックな支持者が「愛国」「近隣諸国の脅威」という言葉を盾にして物凄い頭の悪い事を言い出した。

困った事に所謂、中流主義は世の出来事を右に左に聞き流し適当に過ごして来たら、割と絶望的な世の中になっていた。誰かを叩く言葉より、今一度、自らの持つ権利と希望を照らすそんな言葉が聞きたい時に本書を見かけた。その言葉は筆者本人のみならず、遍く諦めていない人々のキラリと光る言葉を拾い集めてくれている。

ヘイト本ばかりが居並ぶ本屋で、ホッとする一冊である。

ファンになりました

著者が朝日新聞に連載していたというエッセイを集めた本です。文筆家とはこんなにも文章を読むのかと、まずは引用文献の多さに驚きました。

論壇時評ですから、扱うテーマは教育、歴史認識問題、ブラック企業、東日本大震災、原発、憲法・・・と多岐にわたります。

鋭く、ときには激しく厳しく問題に切り込んでいきます。著者自らの一人称も変わるほどに熱を帯びた回もあります。

国民を横暴な政治手法で支配し、国民の経済的自立を邪魔し、それにもかかわらず国を愛するように求める現日本を「DV国家」としているのは秀逸です。しかし、その視点自体は限りなく優しい。若者や弱者の側に立った視点です。すっかり高橋さんのファンになりました。

オススメします

朝日新聞の「論壇時評」の4年分=48本を集めたもの。1本1本は、柔軟で、軽やかで、人に優しい。ネットを含めて、著者を捉えた小さな声が、硬直化した朝日新聞の「論壇時評」というもののイメージを乗り越えていく。そして、それらが4年分も集まると、見えて来るものがある。

一つは、この国は健全である、ということ。それは多くの問題があっても、これだけ様々な人達が思考し、活動し、大事な意見を表明し、それを受けたそれぞれの読者がまた思考して行くからである。もう一つは、上記を感じさせてくれたこの本の著者のような、大きな声も小さな声も、大事なものを吸い上げられる感受性の重要性についてである。

一人一人が、そういった感受性を持つことが出来れば、「民主主義」はまだまだイケる、と確信することが出来た。

いまの時代、政治状況だからこそ 題名通りの本である。「民主主義」の価値、意義を基本に戻って考えさせてくれる。声高ではなく、大声でもなく、優しい眼差しと低い目線で民主主義を再確認させてくれる。

一読して感じたのは著者の主張や個別に書かれているテーマではなく、なぜ我々の社会はこんなにも不寛容になり、独善的主張が横行し、見て見ぬふりをしている間に民主主義の「幅が狭く」なってしまったか、ということである。

我々はもう一度、居住まいを正して、社会を広く、謙虚に、冷静に見つめ直す必要がある。そう自分自身を問い質さざるを得ない論考の数々である。

個人が参加して、作るあげる民主主義。難しいが、出来ない事では無い。方法は無数にあるように感じる。それを読やすい文体で教えてくれる。高橋源一郎という人の印象が、この本で良い意味で変わった。

「水と空気と民主主義。いつまでもあると思うな」と自覚したい。

知り合いが逮捕された。職場ぐるみの不正会計に連座したとの疑いで一年以上拘留された。妻も子供もいた。その間ずっと無罪を主張した。弁護士の頑張りもあり、一審は無罪。検察は控訴を断念した。

 

逮捕されてから、子供は転校した。結局、彼も元の職場には戻らなかった。無罪にはなった。でも順調だった生活は滅茶苦茶になった。彼に不利な発言をした元上司や、検察官は罪に問われることはなかった。たった一人の弱い個人は、強い者たちの思い違いに人生を翻弄されてしまう。

そんな時、朝日の論壇時評に書いてあった一文が目に入った。~目の前の「壁」は高く厚い。でもそれを壊すにはまず一人が大切なんだ。~2013年2月から僕は毎月最終木曜日の朝日新聞を心待ちにしている。9.11、3.11。あれから物を自由に言えない雰囲気が世界を覆っている。個人よりも公を優先する空気。

20年前から発行部数を半減した週刊誌はナショナリズムという劇薬に手を染めた。嫌韓・反中・反知性主義。…食えない出版社は読むに堪えない下品な本を垂れ流しにする。そんな現代においてこの本を出版した意義は大きい。

 

「水と空気と民主主義。いつまでもあると思うな」と自覚したい。

 

 

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高橋氏の視線

朝日新聞連載時から注目していました。その時々の時評でありながら、常に底流に感じる変わらぬ高橋氏の視線。それは、知らない事は知らないと率直に述べ、自分の頭と心で納得いくまで考える事。決して声だかに主張するのではなく、多くの意見、主張を紹介しそれを重ねていく。その嵩こそが民主主義なのだと。深くうなずいてしまいます。

これでも諦めてはいけない、という応援歌

「全てのルールは権力者によって最大限に悪用される」。誰が言ったか知らないが、これは鉄則である。例えば、現憲法でも徴兵制が可能だという憲法学者が(少数でも)居る以上、徴兵制はいずれ「実現」するだろう。マイナンバー制度の最終目標は個人資産への課税だろう。そうした目で日々のニュースに接していると、絶望するなと言う方が無理だ。

オビに「絶望しないための48か条」と書いてある。本書は読書案内の体裁をとりつつ、劣化を続ける世界に抗う人々の営みが多数紹介されている。それでも私の絶望は慰謝されない。それは著者が自分なりの結論を出さず、読者に曖昧な問題提起を行うだけで文章を閉じるせいではない。

所詮はインテリの、机上の戯言に思えてしまうからだ。そもそも民主主義は「もうライバルが残っていない」ほど優れた制度(p.111)だろうか。著者が刮目する活動や言論も、社会全体から見ればさざ波に過ぎない。右派言論人から「意識高い系」と揶揄される朝日の読者にも、真に共感する層は限られているはずだ。選挙の大票田たる庶民は「永遠に成熟しない」。だから「一見好青年風」の政治家が、確信的憲法違反の内閣が、言葉に無神経な元小説家(最初売文芸人と書いたが芸人に失礼)が、いつまでも支持を受け続けるのだ。著者は朴裕河の言葉を引き、攻撃の応酬を終わらせる鍵を握っているのは「被害者側」だと書いて攻撃的言辞を窘める(p.107)。しかし「右側」に居て権力の先棒を担ぐ連中は概ね粗雑で暴力的、お行儀よく譲歩すれば猶一歩土足で踏み込む連中である。反対者の言論を統制する言論の自由を主張して矛盾に気付かぬ連中である。著者はこいつらを過小評価し、一方で「民」を信じ過ぎてはいないか。

 

しかし、著者は膨大な情報の海から採るに値する情報を掬い、読者に開示する。「ニセモノを見分ける力」を持っている人だ。これさえ国民にあれば、社会はどれほど変われるだろう。

8:45 2015/08/09


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