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2013年8月 6日 (火)

山内章裕・・合併後もNPO法人がまちの個性を残す・・

引用

 

 

 

自治体あすへの胎動

 

13/8/4 84414秒、

 

合併後もNPO法人がまちの個性を残す・・・岐阜県山岡町長・・・山内章祐・・・・87ページ、

 

第一部・・胎動が始まった・・山内章裕・・合併後もNPO法人がまちの個性を残す・・

 

山内章裕プロフィール・・山岡町出身。岐阜県立岩村高校卒業後、山岡町役場に入り、産業、総務、企画開発課長を務めた1994年10月、山岡町長に就任。現在3期目。

 

国の施策を先取りして、次々に対応策を打ち出してきた。95年4月、女性を室長とする女性政策室を設置。96年8月には「新教育の町」を宣言。99年8月、介護保険制度に対応するため、医療の専門家にも福祉行政に関わってもらおうと保健福祉包括医療推進局を設置。さらに2002年4月の学校週5日制スタート合わせて、山岡親子学校を開校。自ら理事長、教授を務める。

 

http://www.city.ena.lg.jp/

 

 

 

200410月、恵那市など6市町村で合併する予定(合併協議会副会長)。合併を前提に、町の行政を住民自治政府にバトンタッチするため、03年9月にNPO法人「まちづくり山岡」を設置した。合併後の受け皿として、全国の注目を集めている。

 

89頁、13/8/4 15549秒、

 

山岡町は木曽山脈の南端の盆地にある、人口5,412人の町。明治時代に98村が集まって出来た町で、昭和30年に2つの村が合併した後も、8区のまとまりが強い中で、まちづくりを行ってきた。

 

NPO法人「まちづくりの山岡」がなぜ生まれ、これからどういう活動をしてゆくか。町長に就任してからほぼ10年間の取り組みと関係している。

 

自治体というと、住民と離れた組織に見える。自治体を、町を住民にもっともっと近い形にしたい、と全国の自治体は思っている。

 

NPO法人をつくったのは、合併がきっかけだが、ずっと突き詰めてゆくと、次のようなことになろう。どこの自治体の首長も、あなたが主役だとか、住民総参加とか、住民主権だとかいうのが、本当にその手法でやっているか。選挙などが終わったら、それまでになっている。どうしたら、あなたが主役になれるのか、どうしたら住民総参加ができるのか。それが出発点だ。

 

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女性の力

 

目標を実現させるために、女性の力を借りようと思った。住民の半分は女性だからだ。真っ先に取り組んだのが、女性政策室という女性ばかりの課の設置だった。足元からやらなければいけない。女性はパワーを持っている。そして実際に働いてくれる。そうした女性の意見、批判を、行政が聞かなければいけない。

 

そして次は女性の登用だ。うちの町は役場を始め町中が、女性の登用に取り組んでいる。公的役職など全役職の36%を女性が占める。例えば、選挙管理委員会は半分が女性、農業員会、民生委員にも女性がいる。

 

女性の力を借りてきた政策の延長戦にあるのが、地域の副区長ポスト。8つ集落があるが、副区長は、全員女性が務めている。

 

行政や関連する分野に女性が入ると、行政が大変だな、とか、こういうふうにしたらどうかとか、前向きの意見が出てくる。そういうところから、徐々に行政の女性応援団が出てきた。

 

今考えてみても、男社会の発想だけでは、全員参加のNPO法人設立という決論につながらなかった。

 

九一ページ、http://npo-ya.enat.jp/

 

 

 

万全の準備期間

 

どうしても「まちづくり山岡」を合併1年前に発足させたかった。準備期間がいるからだ。合併の枠組みなんかあまり考えなかった。

 

平成2584

 

まだどこの市町村とも枠組みが決まっていない段階で、集落ごとの座談会に出席して「合併は避けて通れない」と話した。その理由に町の行政問題を上げた。

 

例えば地方交付税が少なくなるからとか、補助金が減らされるとかの話から、町の借金増えている実情を説明した。これからどの市町と組むか話が進むが、これからも我々は、ここに住んでここに暮らしてゆく。

 

行政の枠組みがどうなるかということは、行財政の問題から出発している。しかし住民が日々、どこで誰と生活してゆくかということとは違う。その2つを切り離すよう強調したり、住民がだんだんと理解してくれるようになった。

 

92頁、13/8/5 183411秒、

 

合併は避けられない

 

なぜ合併が避けられないか。これは山岡町だけの現象ではない。財政力の弱い自治体には共通した問題だということを、指摘しておきたい。

 

毎年、予算編成するとき、だんだん編成が難しくなる。各部から予算要求が出てくる。財政課が算盤を入れてみる。町にいくら収入があるか、財政が掴んでいる。自分の町の町税収入など自主財源、それから国の地方交付税と補助金で賄う。

 

例えば10億円の収入しかないのに、13億円の要望が出てくれば、3億円を切らなければならない。ところが、それが3億円だったのが、4億円になり、5億円になりだんだん差額が増えてきた。収入も少なくなったが、要望も経費も増えてくる。仕方がないので、補助金の裏の起債で仕事をする。ところが職員の給与支払いだけで、もう自主財源を越えている。

 

色々な施設、いわゆる箱物の電気代、水道代など経常経費は交付税で払わないといけなくなり、交付税で払うと、もう事業は何もできない。

 

しかし、そこの首長は選挙で公約しているから何かをやらないといけない。なにをやるか。補助金を貰ってきても、補助金の裏負担でさえ払えないから、起債を借りて、むりやりそれを引っ付けてやるだけ。

 

93、

 

一方、補助金を取れない首長は仕事をやらない。補助金を取れても、記載の比率がいっぱいのパンパンになっている。返せなくなると、再建団体になるしかない。

 

財政課に削れといっても、削れないという。ここ3年くらいは事業費を切ってしのいでいる。継続事業も半分に削らないといけない。

 

かつては役場職員が国の事業や補助金要項などをいろいろ調べて、補助金を取ってくると、町長は「腕がいい」と喜んでくれた。議会にもいい顔ができる。その頃はまだ補助金の自己負担分ぐらいはあった。

 

 

 

今は補助金をとっても喜べない時代になった。自己負担が3割負担でなく、2割で済んだと喜べる時代までは良かった。今は手を上げられない。100%補助の金なら褒めてもらえるが、厳しくなった。

 

そうすると何の仕事をしたらいいのか。単純に職員の首を切るわけにも行かない。静かに机に座って、終業の5時15分を待っているようでは、職員も意欲を失う。仕事もなくなる。そういうことに早く気がつかないといけない。

 

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8人の区長が全町民を掌握

 

 

 

山岡町は、明治の時の村が8つあった。それが合併して8つの集落になった。1区平均200戸単位の区を8人の区長がいる。

 

各区ごとに区議会があり、地区行政を進めている。これを。これを「ムラ行政」といっている。

 

 

 

例えば非農家であっても、農業構造事業の推進委員長を区長が務めたり、国・県・町道整備事業の計画立案、用地交渉を区長が取りまとめている。

 

1つ区に組みが6~7つある。組みは各30戸くらい。この口調制度が充実している。「まちづくり山岡」に全戸が加入し、全員参加が実現したのは、この区長制度の存在が大きい

 

町政は執行部と、議会で成り立っているが、執行部は幅広く、住民の中まで入っている。8人の区長は執行部と同列に位置づけている。毎月区長会を開き、自分の集落に戻り区議会を開く。22日が区長会、24~25日が区議会、28日に組合議で全員集会が開かれる。

 

区長会には町役場の全課長が出席する。そして町行政全般を話す。区長には、その区出身の役場職員を交代で、秘書として付けている。区議会で区長が説明できないときは、代役を務める。役場職員も現場を知り、住民も行政に詳しくなる。町政の方針が末端まで徹底して、伝わる。そこまでやってきているので、8人の区長は全町民を掌握している。この区長の力があったからこそ、それがなければ、全員参加のNPOはできなかった。

 

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仲良しこよしではできない

 

 

 

なぜ全世帯か、よく全員が参加したものだ、とよく質問される。

 

我々は仲良しクラブでやっているわけではない。行政の代わりを務めるNPOを作るときには全世帯、町民全員が入らないとダメだ。そしてそれには、あらかじめ、区長会のような組織を作るのが重要だ。

 

まずは区長会や区議会の参加率を上げるためには、役場の情報を全部話す必要がある。建前の議論も本音の議論も一緒に話す。裏も表も話していると、出席率がよくなる。山岡町には情報公開条例はないが、全部話しているので、必要がないとも言える。

 

例えば、区長会議で示されたレジメは、区長がメモを書き込み、そのメモごと今度は組長が全戸にそれを配る。町民全員が、区長会議で何が話し合われ、どうなったかを知ることができる。このシステムを作っておかないと、全員参加は実現しない。

 

 

 

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派閥を作らず、集落単位で

 

 

 

例えばNPOをなかよしこよしのグループで作ると、中心になる人たちへの反発や、派閥ができる。町長室に陳情が来たら、「区長と相談して欲しい」と帰す。そのうち区長が町議、場合によっては住民を伴ってまた来る。一緒に陳情してもらったら、公平な判断ができる。

 

「選挙でお世話になったから」と町長などトップが、内緒で個別に住民の陳情を受け、それが実現すれば、今度はそれを聞いた別の住民が反発する。全体がおかしくなる。トップが強い意志を持って3ヶ月も区長、町議中心を続ければ、間違いなく要望ルートが定着してくる。ガラス張りとは、そういうことだ。

 

だから山岡には派閥がない。口調は1年交代で、その集落の人たちが選考会を開き、就任をお願いしにゆく。お願いしているから、任期中、口調の足を引っ張る人はいない。区長は任意制度で、ほとんどバランティア状態。しかし区長任期中、ちゃんと仕事をしないと町会議員に推薦してもらえない。区長の推薦を貰わないと出馬できない場合もある。

 

町会議員の任期は4年。区長は1年交代だから4人いる。その中から、町議が選ばれることが多い。

 

 

 

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まちづくり山岡の理事会は、区長会役員会と同じ。理事長は区長会長がなる。8人の区長が理事だから、それにつながる全世帯が加入することになる。町長は顧問。町議は12人は参与だ。

 

理事会の下に総務企画委員会、財務委員会、産業経済委員会、保健福祉委員会、まちづくり委員会、防災・交通委員会、文化芸術委員会など16委員会がある。旧役場の組織図と重なる。

 

2003年9月12日に設立総会をした。まちづくり山岡の初仕事は秋の3大祭りの実施だった。体育祭、文化祭、産業祭を街から、NPO法人の主催に切り替えて、初めて開いた。町長は顧問なので、主催者側の高い席ではなく、来賓席に座り、来賓挨拶をした。その時町民もNPO法人になるということが、どういうことかを本当に分かってくれたのではないか。

 

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NPO法人がそれまでの町行政を受託

 

 

 

来年4月から社会福祉施設などの運営も、NPO法人が8つの地区から業務を受託する。介護保険のディサービス、ショートスティにも事業者として参入する。そのほか公園管理、体育館、公民館、文化センター運営も行う。

 

 

 

例えば現在、5人の町職員が仕事をしているとする。

 

1人は責任者。残りの4人がボーナスをもらい、1ヶ月30日間フルに働いている。それをNPO法人の「まちづくり山岡」が職員の3倍の12人の町民で受託する。ボランティアではないが、1人の町民は最低賃金で一ヶ月に10日間働く。そのローテーションで回せば、1人あたりの人件費が抑えられ、しかも町民がワークシェアリングもできる。

 

経費面だけではない。効率化も図れる。

 

役場職員が直接仕事をすると、勤務時間中、利用者がなくても働き、時間外は帰宅する。利用者が自ら管理運営すれば、祝祭日、朝や夜の時間帯も含めて効率的に利用できるようになる。スポーツクラブが運営し、自分たちが使う場合、大会が迫ると練習のために利用時間を延ばすこともできる。

 

99頁、13/8/6 62141秒、

 

 

 

合併後の職員はスリム化

 

合併すると、役場職員はスリムにせざるを得ない。

 

新しい合併市(恵那市と周辺5町村)は2004年10月に発足する。だからNPO法人を1年前に作り、準備をしてきた。

 

新市になる自治体の職員が全体で779人(03年12月現在)いる。新市ではそれを545人にする計画だ。

 

例えば毎年退職すると、3分の1ずつ新規採用する。10年後には目標を達成できることになっている。計画は立てても、それまでの仕事の中身を変えないとうまく移行できない。

 

「うちの町は住民政府を作り、住民が仕事をする。新市の職員に指導してもらってもいいが、管理的なことは自分たちで一切をやる」と言っている。

 

山岡町が新市の運営を、助けてやらないといけない。

 

合併後の仕事を受託するNPO法人の会員と、役場の職員の能力に差がないかとよく聞かれる。答えは言いにくいが、「ない」。

 

現在の職場の職員もNPO法人の会員になる。町長も顧問だ。行政のノウハウは持ち込める。いずれ町役場を退職すると、出身の地域に戻り、NPO法人を助ける。

 

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町の個性を守る

 

山岡町の施策で、合併すると他の自治体がやっていない独自事業が45ある。広域的課題を解決する21世紀委員会、親子学園、ふれあいサロンなどだ。

 

町の個性は大きな橋や道路を作りたいということじゃない。一つひとつの取り組みを住民とともに行っていることが個性になる。合併後もこの個性を引きつくために、住民に問いかけなければならなかった。

 

素晴いい事業をやっていたので、合併後も、新しい市で続けなければならない。しかし合併後に廃止になる恐れもある。その個性を守っていくためには、組織を作って、続けていかなければならない。いろいろな組織を考えた。その時たまたまNPO法人に行き当たった。NPOは住民が行政をやる組織だなと思った。それが「まちづくり山岡」の結成につながる。

 

 

 

家族でできるものは地域にまかせない。地域でできることは市町村にまかせない。市町村でできることは都道府県にまかせない。どうしてもできないものを都道府県とか、国にやってもらう。自分たちでできるものは、自分たちでやるんだよ、と言い続けている。

 

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商売ではないから、民間政府というのもおかしい。本当は山岡町自治政府と言いたいが、合併するほかの自治体に悪いので、隣近所の近隣を使い、近隣自治体政府だと言っている。

 

外国の制度とか、全国市長会の研究会が近隣政府という考え方を打ち出していることなど何も知らない。自分でそう思っただけだ。

 

 

 

教育、福祉の全員参加ボランティア

 

独自施策を紹介したい。

 

21世紀委員会は住民がまちづくりを検討する唯一の組織。町が検討テーマを設定し、住民が集まって自由に意見交換する。結果を取りまとめ、町執行部、議会に提言する。

 

 

 

山岡親子学園は19968月の「新教育の町」宣言により、99年8月に開講した2002年4月から学校週5日制が完全実施。公立の小中学校はゆとり教育で毎週土日が休みになった。

 

山岡町は土曜日も日曜日も、春、夏、冬休みも親子学園を開いている。子供たちの出席は自由。教団の先生が違うだけ201人の地域のボランティア先生がいる。キノコの先生は食べられるものと、食べられないキノコを教える。

 

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町長が小学校4年生と、中学の2年生を教えている。この町の文化、産業を教えている。合併のこともみんなよく知っている。英語の勉強もグレードによって選べる。

 

ふれあいサロンは介護保険拠点整備関連事業として行っている。

 

2000年4月以降、8つの全集落に11のふれあいサロン(宅老所)があり、「痴呆や寝たきりにならない」「要介護者を作らない」ために、介護予防策を展開している。送り迎えからケアまで全員ボランティア。

 

バリアフリーにした公民館を利用している。行政は直接タッチしていないが、地域の住民が全員参加で企画段階から運営している。有志が参加するだけでは、なかなかうまくいかない。これも自治区住民の全員参加に意義がある。

 

 

 

町役場職員の時代から組織つくり

 

 

 

町役場の職員の時代から、組織づくりを心がけてきた。改めて強調したいのは、仲良しこよしのグループ作りはダメ。後から入ってくる人が続かない。何かやろうと発想したら、その地区でやってくれないかと、あるいは小さな班でやってほしい。それを外したら、続かない。グループで旅行に行くとか、楽しむことは仲良しこよしでいい。嫌いな人と言って、同じ部屋で寝るより仲のいい人のほうがそれはいい。しかし、行政として考えるときはそれではうまくいかない。

 

103頁、

 

都市部でももちろん全員参加は実現できる。視察に来られて、とてもできないという頭からできません、というのはおかしい。

 

それでは1つの町内会から始めてみなさいと言っている。そこが始めると、隣の集落がいいことしているなとな、と私のところもやろうと広がる。はじめから全体でやろうとしてもできない小さいところからはじめる。都会でも、田舎でもできる。

 

例えば山岡町のふれあいサロンの場合も、ある集落が始めて、と何の集落が続いた。2年間で全集落に広がっていった。55歳から65歳くらいの人たちが中心のこの人たちに第2の働き場所を作る。行政が少しサポートすると、どんどん広がってゆく。

 

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2004年4月から婦人会も全世帯加入の婦人会に切り替える。入らない人はいない。小さな地域で、空き缶を山ほどふてられていたらどうするか。これまでは役場に電話して、片づけに来い、と言っていた。

 

役場にはお金がない。人を雇うと、その税金は跳ね返ってくる。地域でみんなで集まって、片づける。それがこれからの原則になる。

 

近所の人が、自分の家の前の空き缶を片づけてくれているのに、黙って家の中に引っ込んでいるわけにはいかない。婦人会に入る入らないとか以前に、そういう行動を引き出すことが重要だ。

 

 

 

寒天と陶土の町

 

 

 

山岡町は農業と寒天、陶土の町、

 

ここは山間部にあるが、寒天は寒暖の差があるところで、テングサを干して乾燥させる。天草を煮て、布で絞る。その液を一昼夜おいて、ところてんのように突き出す。これを田に並べると、夜は凍り、昼間溶けて水分が落ちる。自然を使った凍結乾燥をしている。

 

主に和菓子のようかん原料に使われた。夜は気温がマイナスで、昼間は温かい。しかし雪は降らない。雪が少ないから、真冬でも作業ができる。3つの条件がそろい、さらに田んぼや畑があり、農家が農繁期に出稼ぎに行くより、副業で作業をでき、収益が安定している。大正末期の不作の時期に、国が奨励してくれた。

 

105頁、13/8/6 84652秒、

 

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町長時代の話を聞くと、たかりの役人 山内元町長!
話に乗るのは同じ穴の狢?

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