« デンマークの子育て・人育ち―「人が資源」の福祉社会 単行本– 2005・11 澤渡 夏代ブラント (著) ・1・自分で決める自分の生活・200頁・205頁・ | メイン | デンマークの子育て・人育ち―「人が資源」の福祉社会・澤渡 夏代ブラント(著)・・・ 主婦か主夫か・213頁・・220頁・ある日テレビで、国連の男女平等を担当するアメリカ人の学者のインタビューが放送されていました。番組の中で学者は、男性が子育てにかかわることは人間性を高めること。男性の育児参加は大事なことで、大いに認めなくてはならない」と発言していました。私は育児休暇中のパパたちを思い浮かべながら、「ごもっとも」と、テレビに向かって拍手をしたい気持ちでした。218・ »

2016年2月20日 (土)

デンマークの子育て・人育ち―「人が資源」の福祉社会・澤渡 夏代ブラント(著)家庭の民主主義のひとコマ・205・社会が求める人物像・207・・「あ・うんの呼吸」vs「言葉の社会」210頁・



引用


家庭の民主主義のひとコマ・205・


平成28年2月20日(土)


結婚直後、夫が日本の印象として「日本の子供は、小さいうちは何でも許されるが、おとなになると結婚することも自分で決められないようだ」と言ったことがあります。その頃の私は、夫の言葉を素直に理解することができませんでしたが、デンマーク社会で子育てをしてみて、彼が言わんとしたことが「自立している人間像」に関連していることだと納得できるようになりました。夫が当時目にした日本の子供が持つあどけなさ、愛らしさは、デンマークの子供と何の変りもありませんが、大人と子供の関係に大きな相違を感じたようです。205・


206頁・夫が見た光景は、ハイハイがやっとできるようになった幼児が食卓によじのぼろうとしていた際、食卓の上に置いてあるものを全部下におろして、眼を細くして喜んでいる家族の姿でした。「目の中に入れても痛くない」と思う気持ちは理解できますが、幼児だからこそ、食卓にのぼる場所ではないことを伝えなくてはなりません。


日本では、まだ、子供の進学する学校、大学、そして結婚に至るまで親が関与する、または、影響を及ぼす風潮が少なからず残っています。子供の自然な自立心が芽生える時期に、親と言うパワーで子供に立ち向かうと、子供との衝突が避けられない状態になるのは、当然のことでしょう。デンマークの多くの親は、親に決めつけた意見を子供に当てはめようとすることを好みません。人生の先輩としての意見を述べ、子供とよく話し合い、最終的には親の考えに収まるかもしれませんが、決定は「あなたが決めなさい」と子供に委ねます。時には、親の誘導能力を発揮する場合もありますが…。


このプロセスは、「物事を自分で考え結論を出す」スタートです。時には、何でも「自分でやる」とか「私が決める」ことを強調すしすぎる子供もいて、親が困っている姿も見かけます。しかし、自分で人生の進路を決定することは、決してたやすいことではなく、幼い頃からの育みが、大事や役目を担っています。ましてや自己責任が伴うとなれば、難題です。親は、子供が成人年齢18歳になるまで、最も信頼できるアドバイザーとして接します。


夫婦間においても、夫間は他は妻が一人で家庭内のことを独断で決める風潮はなく、何事も話し合い、納得した上で日常生活を送っています。206・


207頁・わが家でも日常的なことですが、友人からの食事の誘いなどでも、必ずお互いの意向を確認してから返事をする習慣になっています。何しろ、デンマーク人は他人に物事を決定されるのを好みませんから、小々面倒なことでもありますが、二人が納得することで物事がスムーズに運ぶと思えば、回り道も苦になりません。


社会が求める人物像・207・

16/2/20 10時57分15秒・ 

デンマーク社会は、自立した人間像を求めています。デンマーク国民がライフクオリティとして位置付けている「自分の人生を自分で決定できる」人生観につながる大きな要素です。自分の人生を自分で決めることは、周囲とのバランス、個人の適応能力、教育方針、そして社会の受け入れなどの関係上、決して簡単ではありません。ところが、この国ではかなりの高いレベルで可能なのです。また、デンマーク社会は、それが国民の幸福につながるというコンセンサスのもと、長い年月とかけて可能になるよう、人々の意見をもとに国家政策を改良してきました。

デンマーク人は、「自分の参加なくして自分の人生が決められていくこと」を善としません。自分の人生は自分で決定していくからこそ、人生の「終」を迎える時、「自分らしく生きた」と満足感を味わうことができるのではないでしょうか。

しかし、自分の人生を自分で決定していくプロセスは、個人、社会、政治など多様な環境が整って初めて可能になります。207・


208頁・二章の「子供時代は子供らしく」の項でもくわしく記述している通り、デンマーク人は幼い頃から「個」を尊重され、おとなと対等に話し合う習慣があります。その中で自主性が芽を吹き、保育園、学校、そして社会へと自分の置かれる環境が変化していく中で、自分の意見や意思を表現し、同時に相手も尊重する姿勢を育んでいきます。「対話」は、相互理解と納得を生み、親と子供の関係のみならず、子供たちが育っていくあらゆる社会の中の人間交流に必要とされています。

子どもたちは、幼い頃から「自分で考えてごらんなさい」と促され、家庭、保育そして教育現場においても、多様な選択肢の中から「自分で選ぶ」ことを支援されます。こうしたプロセスを経て、自分で物事が判断できる自立した人物像に成長するのではないでしょうか。

デンマークは、この社会的合意を達成するために、また、それぞれが「自分らしい生活」を築くことができるように、自分の考えを人に伝え、自己の生活にも責任を持ち、自己管理することが可能な人材を求めています。208・


・「あ・うんの呼吸」vs「言葉の社会」・208頁・平成28年2月20日

日本には、黙っていてもちゃんと相手の気持ちを理解できる「あ・うんの呼吸」と言うのがあります。「言葉に出して説明しなくても、相手はきちんと私の思っていることを理解してくれている」とは、何と楽な心地よいことでしょうか。208・


209頁・しかし、これはかなりあいまいで、解釈は人によって相違があります。また、「多くのしゃべらない」ことを美徳とする文化も残っています。言いたいことを心に秘め、「何でもない」の一言でその場をしのぐケースも、まだ多くあります。しかし、「あ・うんの呼吸」も「心に秘める」美徳も、デンマーク社会では通用しないのです。ここでは、きちんと言葉で説明することで初めて相手が納得してくれます。少し面倒なところもありますが、それは誤解を避ける手段として求められています。

まだデンマーク社会に慣れていない時期の私は、「黙っていても夫が私の心の内を理解してくれるはずだ」と思っていました。子供が幼かった頃、外出先で私が子供を抱いて歩いていても、いっこうに夫から「変わって抱こうか」と言う提案がありません。私は私で「そろそろ疲れたことを察して代ってくれないかしら」と思っていましたが、自分から言い出すことにためらいがあり、夫からの言葉を待っていました。

それでも彼は、知らん顔。そうのち、私が痺れをきらせて「そろそろ代ってくれてもいいのじゃないかしら」と抗議っぽく伝えると、彼は不意を突かれたように「エッ。抱きたいから抱いているのだと思った」との返事です。私たちの個人的な性質によるのかもしれませんが、私は、「こんなことでも言葉で表現しないと理解してもらえないのだ」と、つくづく感じたのです。でも、その時、私が自分の気持ちを正直に、「私は疲れました。代ってください」と言ったなら、夫は当然、快く代ってくれたことでしょう。

また、デンマークでは、楽しみの一つとして、自宅に友人や家族を食事やお茶に招待する、されるという習慣があります。209・


210頁・男性も女性もよく話し、よく飲み、よく食べ、ひと時を一緒に楽しみます。このような日は、得意料理で招待することに加えて、いろいろな話題を提供し合います。話題はもちろんさまざまですが、ある時は世界情勢であったり、選挙が近くなれば政策について談論風発する場面も多くあります。ところが当初、私は、会話を楽しむようなホームパーティを苦痛とさえ感じていました。言葉の問題もさることながら、会話に「女性が口を挟む」こと自体に躊躇していたのです。しかし、ここでは逆です。意見のない人は、魅力に欠けてしまいます。集まっている人たちは、競争するかのように自分の言い分、経験を語り、大声で笑い、女性たちもソファに足を組んで深々と座り、それだけでも自信たっぷりと言う感じです。こんな状況に不慣れだった私が、どうやって会話に入っていくことが出来たでしょうか。


そんな私を推察して夫はよく、「夏代がこう言いう経験をした」とか、「日本から帰ってきたばかりだ」とか、話のきっかけを作り、助け舟を出してくれました。しかし、「まあ、よく話をする人泰だな」と思うのと同時に、一言投げ掛けると「ああでもない、こうでもない」と意見を言い合い、議論する人たちに圧倒され、「なんて理屈っぽいのだろう」と驚異さえ感じていました。「どうして、彼らはこんなに話が上手なのか」「どうしたら自分の意見を持つことができるのか」と、その源を考えると不思議でなりませんでした。一人の人の意見に真っ向から反論するケースがあっても県下にもならず、人の意見も聞く力があって、夜がふけるのも忘れておしゃべいすぉしています。

自分の意見と違う意見と出会った時、とことんまで自分の正当性を主張しているようでも、結局は、反対意見が正当だと悟った時点で、素直に認める行動もあっぱれです。210・

このような状況にいつまでも驚き、苦痛に思っていては、私に将来がありません。私は、「郷に入れば郷に従え」と、気持ちを切り替え、「発言する」ことを念頭に心構えを新たにしたのを覚えています。これが結構、もと「大和なでしこ」には、大変のことでしたが・・・。211・


2・男女参画型社会・212頁・

16/2/20 15時20分16秒・


・男女平等とは・

デンマークを含む北欧諸国の男女平等の権利は世界のトップクラスにあり、今日では男女の違いは「出産」できるかできないかの違いだけだ、と言われるほど男女平等が進んでいます。また、男女平等とは、男女同権が確立されていて、講師において男性と女性が同じレベルで人生を送ることが可能な社会を意味しています。デンマークは世界水準から見ると女性の就労率も高く、あらゆる分野で男性と同等の権利を有しています。

しかし、これをデンマーク人に言わせれば、男女が同一の仕事をしても、賃金的には民間企業で16%、公共分野で9%の差があります。また、2005年の国政選挙においても179議席のうち、女性議員は36%に当たるわずか65名で、女性大臣は35%と、まだ元手を上げて喜んではいられない分野があるようです。

男女平等をデンマークで語る時、それは女性だけが求めるものではなく、「すべてにおいて男性も女性と同じステージに立つ」ことを目的としています。男性が家事や育児に参加することはごく一般的な姿で、共同で仕事を守り家庭を守っています。


最近、私も日本の友人から、子供が結婚する、という通知を受ける世代になりました。聞けば彼らは大学を卒業して就職をしても依然実家を離れず、結婚を機に初めて実家を離れて自分の城を持つようです。212・


213頁・そのような実情を知ると、「母親に洗濯も料理も任せて何の経験せずに急に独立して大丈夫なの?」と思わずお節介な心配をしてしまいます。もちろん「案ずるより産むが易し」かもしれませんが。デンマークの若者は18歳頃から実家を離れ独立するのが一般的で(第3章の1)、ここで料理の大変さを味わい、洗濯をしなくては着ていくものがないことを悟り、狭い寮の部屋でも掃除をしなければ埃アレルギー襲われる危険を身をもって経験していきます。

だからと言ってデンマークの男性が全員が料理も家事も上手にできる、という訳ではありません。なかには料理も家事も「どうしてもセンスがない」と伊男性が、女性と同じようにいることも確かです。213・


デンマークの子育て・人育ち―「人が資源」の福祉社会・澤渡 夏代ブラント(著)・・・ 主婦か主夫か・213頁・から・16/2/20 15時44分2秒・

http://amamioosoma.synapse-blog.jp/yosiharu/2016/02/16220-15442-e74b.html

4:48 2016/02/21

ここでま


前号を

デンマークの子育て・人育ち―「人が資源」の福祉社会 単行本– 2005・11 澤渡 夏代ブラント (著) ・1・自分で決める自分の生活・200頁・

http://amamioosoma.synapse-blog.jp/yosiharu/2016/02/200511-02c1.html

8:53 2


アダム徳永追伸:2:44 2016/02/27 早漏の克服は現代の元服式です。まずは「病気だから治らない」とか「体質だから変えられない」といった、従来の間違ったイメージを頭の中から消し去ってください。早漏は単なる現象に過ぎず、決して病気ではありません。

http://amamioosoma.synapse-blog.jp/yosiharu/2016/02/244-20160227-5433.html

5:55 2016/02/27

016/02/19


社会が求める人物像・207・16/2/20 10時57分15秒・ここまで


第4章 自分で決める自分の人生・平成28年2月19日 金曜日


・1・自分で決める自分の生活・200頁・

デンマークの民主儀の中身・

デンマークを訪問する日本人の多くが、デンマーク人は「明るく親切」「通りすがりに目があうと、ニコリとほほ笑む」「生き生きとして人生を楽しんでいるよう」などの感想を述べます。一週間程度の短い滞在でも、何か「生活のゆとり」や「人々が楽しく来ている」姿が感じられ、同時に「日本とは何かが違う」「どうして?」と言う疑問がわいてくるようです。

これはデンマーク人が「生活の便利さ」や「物質的な豊かさ」ばかりにとらわれず、幼い頃から「個」を基本として育てられ、教育では「事項を知ると同時にまわりと連携すること」を学び、「自分の人生を自分で選ぶ」社会で生活していることによります。そしてこの背景には、「民主主義」と言うデンマーク人が日々大切にしている社会理念があることは、言うまでもありません。


ある時、日本の大学生グループに「皆さんにとって民主主義って何でしょう」と尋ねたことがあります。彼らは、少し間をおいて「多数決で物事を決定すること。かな?」と、自信なさげな答えが返ってきました。これは、彼らにとって、民主主義の中身が不透明なせいでしょうか。それとも身近に感じていないからでしょうか。さらに、日本ではまだ「民主主義」と言う言葉は、ともすると政治色が強いのでやっかいなのです。200・


201頁・平成28年2月19日 金曜日

・・世界には、民主主義を掲げている多くの国がありますが、内容や理念間まちまちであり、その国の土壌に挿し木をされた民主主義もあれば、まだやっと芽生えたばかりの民主主義もあります。ところが、デンマークでは今から156年前(1849年)に君主制度が廃止され、民を主とする制度(民主主義制度)が導入された歴史があり、民主主義の根は世界のどの国よりも深く太い根を張っていて、あらゆる分野、状況の中で日常的に「デモクラティと言う言葉が使われています。

それは、「民主主義」という難しそうな定義を超えて、「権利」と「自由」に基本をおいた、「自分の人生を自分で決めることができる社会」を指し、「自分の意思が置き去りにされ物事を決定されることを好まない」社会形成だと言えます。デンマーク国民は、「多くの情報を得て、物事の決定に平等に参加し、自己決定し、それに対して自己責任を持つ」と言うプロセスを重要視しています。そのスタイルは社会、職場、家庭の隅々まで浸透し、それはとりもなおさずデンマーク文化であると言っても過言ではありません。

この「デモクラティ」と言う言葉を抜きにデンマーク社気を理解することは容易ではありません。

しかし、156年前に民主制度が導入され「人権」が語られてきたデンマークでも、1960年頃までは、まだ階級社会にみられる一方的な意見、命令、そして権力などが残っていて、「自分の生活を自分で決める」ことは容易ではありませんでした。親は、子供の将来に干渉し、家庭では伝統的な男女の役割があり、社会では男女の労働条件の格差も見られ、学校では整然と座る生徒の前で、教員が一方的な授業をしていました。201・


202頁・しかし、産業の発達とともに、1960年代後半から70年代にかけて、デンマークでは「自由」と「権利」を基本として社会改革の全般の改良、改革が行われ、生活の質のレベルアップに大きな前進を見ました。この背景には「女性運動」や「青年運動」が多大な貢献をしています。


近代産業の発達とともに社会進出した女性たちは男女平等を叫び、若者たちは


1968年を頂点として、古い価値観から抜け出し、自由で平等な社会を求めて「若者の蜂起という現象を引き起こし、デンマークの政治政策に大きな影響を及ぼして社会変化を促しました。

その真っ只中のデンマークに、私は足を踏み入れたわけです。テレビにニュースで「同一賃金を叫ぶ女性たち」「産休の改革を求める女性たち」のデモンストレーションが映し出されていましたが、私には彼女らの目的すら理解できませんでした。私とそう年齢が変わらない若者たちは、カラフルな服装や長髪で街を闊歩し、敬語を除き、それがスタンダード化して「人」と「人」の距離を近くしました。私自身が後日彼らの運動の恩恵を受けるとは思いもよらずに、当時の私は一連の社会現象を人ごとのように距離を置いてみていました。


こうして、デンマーク人は、1960年代を境に自由と平等を得て、「自分らしく生きる」地盤をせっせと築いていたわけです。そして、なんと2005年には、デンマーク人が「世界一幸せを感じている国民」と位置づけられました。この調査は、オランダ、ロッテルダムにある大学の教授が中心になって90ヵ国にわたって世論調査を行い、2月に結果発表したものです。202・


203頁・平成28年2月20日(土)

デンマークは、アンケート内容の総合10ポイントのうち、8ポイントを得てトップに上げられました。ちなみに日本は5・8ポイントだそうです。

この幸福度調査では、幸福な社会に不可欠な五項目があり、デンマークは、各項目とも満点だとしています。

・1・高収入の国・

・2・高度な民主主義がある・

・3・汚職のない健全な政体で社会構成がよい・

・4・個人の人生の形成することを可能にする高度の自由がある・

・5・宗教や性の違いを超えた寛容さがある・


この調査報告は当日のテレビニュースでも取り上げられ「デンマーク人は世界一幸せな国民と調査結果が出ていますが、あなたは?」と数名の男女の街頭インタビューが報道されましたが、彼らは「幸世」と笑顔で答えていました。


職場の民主主義の一コマ・

ここまで平成28年2月20日 土曜日・203・

日本の多くの職場では、春先に人事異動が行われます。どの部署に配置されるのか楽しみでもあり、不安を感じる人もいるかもしれません。203・


204頁・日本からデンマークの高齢者福祉を視察するために派遣されてきた自治体の職員が、視察した内容を公務に活かす間もなく、他の部署に配置されたケースは多くあります。一方、デンマークの企業では、本人の意思がない限り部署が変わることは、ほとんどないと言ってよいほどありません。これは、日本社会がスタッフをゼネラリストになることを求め、デンマーク社会はスペシャリストを求めている、という違いから来ているようです。

両者ともその国の持つ企業文化や伝統があり、一概にどちらが良くてどちらが悪いということは言えませんが、少なくともデンマーク社会では、本人意思以外で自分の配置が変わることは、企業の倒産または人員整理などの特別なケースを除いて、見られない現象です。自分の学歴・職歴に合った仕事に携わりますから、その職場が気に入っていれば、定年まで勤めることも可能です。

職場異動、赴任、管理職登用についても、上司の辞令で本人が動かされるということはありません。ポストが空席になると、社内または外部に公募され、希望者が応募して、インタビューののちに決定されるというプロセスを踏みます。本人が望まない限り部署も替わりませんから、その道のエキスパートになっていきます。

教育分野でも同じことが言えます。私の友人キヤステンは国民学校の教員でしたが、2003年に定年退職しました。彼女は23歳で教壇に立ってから退職するまでの37年間、コペンハーゲン郊外の同じ学校で勤めてました。彼女のほとんどの場合、一年生から七年生または九年生まで同じクラスを担当しました。ほっぺがまだ優しい一年生から、男子生徒の紙がちょろちょろとしだした九年生までを担当するのは、一つのローテーションとしても長い期間です。204・


205頁・自分が他校で勤務したいと思わない限り、キヤステンのように定年退職まで同じ学校に勤めるのは当たり前のことなのです。退職直後に電話で話した時、「とても楽しい37年間だったわ。まだ子供たちに会いたいと思う気持ちはあるけれど、今は決まった時間に起きなくてもいいことを楽しんでいるわ」と、電話の向こうで声高らかに笑っていました。日本の教員は数年のスパンで他の学校への移動があり、生徒自身もクラス編成で友人が変わり、担任も頻繁に替わると聞きます。どちらの方法がいいか、悪いかの判断がつきかねますが、少なくともデンマーク人の働き方は生き生きとしているように見えます。205・

家庭の民主主義のひとコマ・205・平成28


 

 

 

職場の民主主義の一コマ・家庭の民主主義のひとコマ・社会が求める人物像・「あ・うんの呼吸」vs「言葉の社会」・

・2・男女参画型社会・212頁・男女平等とは・主婦か主夫か・パパも育児休暇・自立した女性たち・

・3・生きて歳をとって・221頁・自立している高齢者・弱い高齢者への援助・義母インガのホーム入居・

デンマーク関連の推薦図書・ウェブサイト・232頁・

おわりに・234頁・平成28年2月16日 火曜日・  


デンマークの子育て・人育ち―「人が資源」の福祉社会 単行本– 2005・11 澤渡 夏代ブラント (著)      4件のカスタマーレビュー

容(「BOOK」データベースより)

“愛されれば、その子は人を愛する大人になる。社会に愛されれば、その子は社会の大事な人材となる。”著者は1960年代の後半に片道切符で海外に渡り、フィンランドでの生活を経てデンマーク人と結婚。36年の体験を通して「子を愛する」こと、「経験から学ぶ」ことの大切さを生きいきと綴る。

 内容(「MARC」データベースより)

 デンマークには人が資源という考え方があり、幼い時から個として尊重され、自己決定・管理ができるよう育てられる。この国の福祉・保育・教育の充実した制度と暮らし・子育てを紹介し、日本に欠けているものは何かを考える。

 単行本: 237ページ出版社: 大月書店 (2005/11)発売日: 2005/11

 目次


はじめに・3頁・

序章 デンマークの大事な「資源」子ども

・1・経験から学ぶ・14頁・危ないことも危なくない・経験は師なり・初孫の誕生・子供と両親の絆のスタート・デンマークの大事な「資源」子ども・

第1章 私の手づくり人生

・1・私の手づくり人生・28頁・

青春へのブレイク・めざすは、ストックホルムか・歯科医家族との出会い・衣食住を獲得して・子供たちとのコミュニケーション・「まずはほめる」ことの大切さ・

・2・フィンランドからスペインへ・39頁・

わかれ・私たちはヒッチハイカー・未来への夫とのキューピット・

・3・両親の思い・47頁・両親の切ない気持ち・大学教育断念のとき・負と思うな・入社は、出発の準備・母の長年のしこり・

・4・迷いと決断の頃・54・人生を変える出会い・決断を前に日本に帰ろう・結婚生活スタート・祖母アグネスから学んだこと・

・5・・私たちの子育て・母になって・ママは、子供たちの通訳・お母さんの言葉・お父さんの言葉・お父さんは、いい先輩・父親と子供・

・6・仕事と私・さんざんの通訳デビュー・すべてに「初め」あり・働く親と子供たち・子供に「振り向く」こと・

・7・私の家族・私たちの家族にウェルカム・タニヤの奮闘記・三か国語が飛び交う三ヵ国家族・二人の姪は韓国から・

 

第2章 家庭と社会のハーモニー

・1・社会の子・98頁・統一された保育基本方針・国は、どのような幼児教育を目的としているのか・保育は、自治体の責任・選択肢のある保育・

・2・シャロッテの初産・106頁・

・夫と母の立会い・子育てを一人で悩まない・マザースグループに参加・シャロッテの産休計画・

・3・保育園を訪ねて・113頁・フライヤス総合保育園の子供たち・乳児グループ・幼児グループ・森の保育園・保護会とその他の行事・年間計画の義務付け・

・4・子供は、子供らしく・128頁・見ます、聞きます、話します・グッドナイトストーリー・抱きしめるというスキンシップ・体罰はもってのほか・とにかく話そう・

第3章 みんな違ってあたりまえ

・1・学校が大好きな生徒たち・142頁・

教育は、何のため?・職業意識の芽生え・スクールアドバイザーの役割・労働市場の味見・高等学校の入るということは・自分との競争・スチューデント帽をかぶれる日・18歳は、子供から大人へ・SUと言う公的経済援助・給料をもらって職業教育・子供たちの巣立ち・貧しくとも満足な学生たち・保育士をめざすビギッテ・デンマークの義務教育の課題・

・2・性教育の大切さ・175頁・性の解放・性のカルチャーショック・学区での性教育・性教育の義務づけ・子供は「望まれて生まれてくるもの」・

・3・社会に守られている子供たち・189頁・子供の居場所・子供をウォッチ・

第4章 自分で決める自分の人生・

・1・自分で決める自分の生活・200頁・デンマークの民主儀の中身・職場の民主主義の一コマ・家庭の民主主義のひとコマ・社会が求める人物像・「あ・うんの呼吸」vs「言葉の社会」・

・2・男女参画型社会・212頁・男女平等とは・主婦か主夫か・パパも育児休暇・自立した女性たち・

・3・生きて歳をとって・221頁・自立している高齢者・弱い高齢者への援助・義母インガのホーム入居・

デンマーク関連の推薦図書・ウェブサイト・232頁・

おわりに・234頁・平成28年2月16日 火曜日・

 

子供は神様の贈り物、お年寄りは芸術の賜物

幼い頃から一人の人間として自立して物事を考え行動するように育てられ、人と人とのつながりを大切にする国、デンマーク。教育や福祉の先進国として、世界中から多くの人達が視察に訪れる北欧の国の一つです。

 

日本人にとっては、『人魚姫』『みにくいアヒルの子』などの童話で馴染み深いアンデルセンの故郷でもあります。

 

何事も心を開いて率直にとことんまで話し合う国民性は、長い時間を経て、公平で公正な本当の意味の民主主義を隅々まで行渡らせました。

 

「子供は神様の賜り物。子供には親が必要だが、子供は親の所有物ではなく、社会の未来。だから社会全体で子供を育てるのは当たり前。」というのがデンマークでの一般的な考え方のようです。

 

日本から遠くはなれ、歴史も文化も全く違うデンマークでの子育て事情についての本ですが、今の日本社会が抱える問題を解決するヒントが散りばめられています。

とてもためになった。C層を作るための子育ての本です。

B層の研究、C層の研究という本を読んで、「日本人がこれほどまでにモノを考えなくなったのはなぜなのか?」という疑問にあたり、それは明治時代からの教育にあるとにらんだ。株式会社アシストの会長、トッテン氏(ヒカルランドの書籍を読まれたい)の分析も自分と同じで、自分でモノを考える外国人と上から命令されたことを実行するのには長けた日本人との違いは、そもそも教育のありかたにあることを確信した。

北欧の政治は透明性が高く、福祉国家と言われている。とくにデンマークは世界一幸福度が高いと言われる国である。その国で行われる徹底した民主主義の姿勢は教育にも及んでおり、どんな親の元に生まれたとしても、社会がそうした子供に常に保護とチャンスを与え、金銭的に親に依存するといった親による子供の支配・決定権の侵害を産みかねない制度を改革しているところにもあると知った。デンマークの税金は高く、収入の半分くらいが税金に消える。しかし、その税金の使われ方は一人一人の幸福を作るためであって、使われ方は国民の実感も伴ったものだから受け入れられている。それに比べると、日本の税金は搾取に近い。国民のためにつかわれることはなく、いつの間にか使途不明金になり、どこかに勝手に消えていく。

デンマークの教育は、小さいころから徹底して、自分に決定権がある。そして、その決定権を親は侵してはならない。命令したり、平手打ちなどしようものなら、それはしつけとはみなされず、犯罪行為に当たる。しかし、それは自分の決定したことを最後まで責任をもって遂行するという義務も同時に背負うことになり、その遂行を親や教師は手助けしているのだ。その結果、デンマーク人は、人を信頼しつつも自分で自分の人生を決めていく大人になり、そして自らの行動に責任をもつ大人に育っている。そうした自立・自律の精神を育てられたデンマーク人は、自らのコミュニティに関心をもち、社会に参画することを喜び、問題を感じたら、お上のやることなどと決して政治任せにはしない。まさにC層率の高い国民なのだ。

日本という国が壊れたのは、明治以来続く、古い教育制度と親子関係のあり方にある。それは、戦後GHQによってさらに致命的なものとなった。もし、自分の子供をB層にしたくないのなら、どういう教育をすればいいのか、どういう親の在り方であればいいのか、自律した大人に育つための実践的なノウハウがわかるような、たくさんのエピソード満載の本だった。子育てのヒントをちりばめた、このような良書を出してくれた、著者と出版社の両方に感謝したい。

親が小さな子どもにも人格を認め、しっかりと向き合う社会、デンマーク

デンマークでは、子どもでも人格を認める。どうしてでしょうか。子どもが、自分の意志で、物事を決めていく。決めたことには責任を持つ。大人とは、自分のことは自分で調べ、自分で決めていく、そういう人を育てる。

自分を見つめ、社会でどのような役割を果たしていくか。自分の将来は自分で決める。これが人間として、幸福なことなのだ。と報告されていた。そのために、小さいときから、親は子どもと真剣に向き合い、たとえ幼い子でも、質問や意見はしっかりと聞く姿勢を持つようにする。

日本でもそうしている方も居らっしゃるかと思うが、私にとっては、とても大切な考え方を教えてもらったと思う。これから子育て、孫育て、教育関係の方、多くの方が、この本を読まれることを望んでいます。

こどもの未来を考える人。必見

学校だけが学びの場では無いことを教えてくれます。子どもたちにとっていろんな生き方、育ち方、学び方があって多くの選択肢があるわかりやすいデンマークの社会が日本の教育の問題点を考えさせてくれる貴重な本です。

14:43 2016/02/15


 

 デンマークの子育て・人育ち

デンマークの高齢者が世界一幸せなわけ 単行本– 2009・3 澤渡 夏代ブラント(著)5つ星のうち 5     2件のカスタマーレビュー

容(「BOOK」データベースより)

必要な人に、必要なとき、必要なだけ、無料で援助。デンマークの高齢者の生活環境は実に豊かです。しかし、それはたんに与えられたものではなく、長い時間をかけてデンマーク市民が勝ち取ってきた結果であり、民主主義の成果なのです。

澤渡/夏代ブラント

1946年(昭和21年)東京生まれ。武蔵野女子学院卒業後、デンマークへ。1969年、デンマーク人ブラントと結婚、2男1女の母。フリーランスの通訳業務を経て、1985年にコーディネーション会社を設立。デンマークの医療・福祉・教育分野の研修および講師、テレビ局・メディアのコーディネーションに従事。日本での執筆および講演活動も行っている。十文字学園女子大学高齢社会生活研究所(客員研究員・2004~2006年)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

単行本: 212ページ出版社: 大月書店 (2009/03)発売日: 2009/03

 

デンマークのプロフィール(2008)年平成28年2月15日 月曜日8頁・

・1・国土・デンマーク本土の面積は約4・3平方㌖で九州とほぼ同じ面積。本土のほかに、自治領のフェロー諸島と世界最大のグリーンランドがあります。地形は「パンケーキの国」と呼ばれるように全体が平らで、国内で一番高い場所は178・86㍍のミューラホイ、また、デンマーク人が天山・ヒメルビヤウと呼んで親しんでいる山は147㍍しかありません。

・2・人口・約545万人(2007年デンマーク統計局)

・3・首都・コペンハーゲン(デンマーク語表記)コペンハーゲン市の人口は約50万人、首都圏地域は164万人・

・4・言語・デンマーク語(一般的に英語は堪能)

・5・宗教・1536年の宗教改革により福音ルーテル派が国教となり、現在は国民の82・1%が信徒。ただし、日曜日に礼拝に参加するのは5%弱です。

・6・政体・立憲君主制・

・7・元首・マーグレーテ二世(1972年1月即位)

・8・議会・一院制(179議席、任期四年)

・9・政府・自由党・保守党による右派・中道連立政権・首相・アナス・フォー・ラスムセン(自由党党首)外相・ペア・スティー・ムラー(保守党)

・10・デンマークの国の形・社会福祉国家・1849年にフレデリック六世王がデンマークの最初の憲法「自由憲法」に調印。以来民主主義を基本とした社会福祉政策。

この社会福祉制度は弱者の救済のみならず、国民全員が文化的かつ安心した暮らしを保障するものです。9・

10頁・

・11・高福祉・高負担・高度な社会福祉制度では義務と権利の法則で成り立っています。就労者及び公的給付受給者(年金など)全員が納税者であり、税率は累進課税法で算出されます。

2008年の税率は38・8%~59%・付加価値税・25%・内税ですべての商品・サービスに課税される・間接税(ぜいたく税、自動車、酒、化粧品など)

・12・行政区分・5のレジオンと98の地方自治体・

2007年1月の行政改革施行により県が廃止され、代わりに国内が5レジオンと98の地方自治体に区分されました。レジオンは基本的に医療・保険を管轄分野としています。県の廃止により各地方自治体はより広い範囲の行政分野を担当することになりました。

・13・労働市場・

失業率1・6%(20008年8月、デンマーク統計局)10・

GDP2753億ドル(2007年、世銀統計)一人当たりのGDPは5万2110ドル(2007年、世銀統計)で、世界ランキングで六位・

インフレーション3・8%(2008年7月9)労働者の常勤は、週37時間・

週休完全2日制、年間5~6週間の有給休暇・52週の産休・育児休暇制度の完備・

・14・生活面・親子の同居はほとんど無し・進んだ男女平等社会参画・女性労働率・72・0%・男性労働率78・3%(2007年統計局、16~66歳)成人年齢18歳(選挙権、運転免許可)公的年金受給年齢65歳・11頁・

12頁・

・15・教育制度・九年間の義務教育(小中一貫教育)義務教育の前後に○学年と10年生あり(任意教育)

スクールアドバイザー制度(進路指導)

教育は生きるため(教育と職業が連携)

非入試制度(進路は本人の意思と学力および教員の評価で決定)

全教育費無料・

・16・高齢者事情・65歳以上の甚句は83万4700人で、総人口545万人の15%(2007年)100歳以上の人口は715人、そのうち女性が620人。105歳以上の人は23人80歳以上の77%が自宅居住、23%が介護付き住宅・高齢者政策にGNPの11・1%(2004年)

・17・近年の国政選挙投票率・1998年3月11日86%・

2001年11月20日・89¥7・2%・

2005年2月8日・84・5%・2007年11月13日・86%・

・18・デンマーク在住の日本人の人数・女性693名、男性362名、合計1055名(2007年デンマーク統計局)

・19・平均家庭・

2008年のMr.&Ms.デンマーク平均さんを紹介いたします。名前はアンナが32歳の時に2歳年上のイエンスと結婚。アンナ29歳で長女ソフィーを出産。

アンナとイエンスは1・9人の親で、一家は100~159㎡の一軒家と車一台を所有。年間可処分所得・イエンス18万3500・(約422万円)。

アンナ・14万9400・(約344万円)。イエンスは76歳まで生き、アンナは80歳まで生きる予定です。(デンマーク統計局2008年)13頁・

目次

 

 

1章 老いと退職を迎えて

・1・クオリティー・オブ・ライフ・18頁・

若いつもり・シニア世代の準備・シニアセミナー・

 

・2・老いを知る・26頁・同意はノーサンキュー・あたりまえの世代間交流・みんなで祝う誕生日・三世代で休暇・

・3・退職を迎えて・37頁・待ちにまった退職の日・イングリッドの退職・準給与制度は人気の制度・

・4・退職後の人生・47頁・熟年に戸惑う日本の夫婦・デンマーク人の家族と職場のバランス・退職後の夫婦の生活・子供の自立、親の自立・

 

2章・ 高齢期を生きる・

・1・元気なうちに住み直し・64頁・わが家、わが城・適時に適正な住宅へ・いさぎよく引越し・多様な住み方、「共同住宅」・共同住宅を結成したメンバー・

・2・さかんなボランティア活動・75頁・「奉仕」ではなく「自分のために」・市議会議員もボランティア・高齢者のためのNGO「エルダーセイン」・人が好き、だから「訪問の友」・「訪問の友」はベストフレンド・

・3・高齢者の声の反映「高齢者委員会」・89頁・委員は全員ボランティア・高齢者委員会の歴史・ロスキレの例・

 

3章 デンマークの高齢者福祉

・1・高齢者福祉―日本とデンマーク・98頁・

・どうすればいい、父の発病・日本の介護は制度が中心・安心して歳を取れる条件・

・2・デンマーク人の価値観・106頁・

・できる限り自分の生活は自分で・この40年の福祉政策の歩み・高齢者福祉の改革・施設意識から住宅意識へ・

・3・援助が必要になったとき・118頁・自立のための補助器具・市営補助器具センター・職業病ノーサンキュー・やさしさのちがい・

・4・安心した暮らし・128頁・

・ケアの中心は在宅ケア・サービスの判定は専門家が・判定部の判定分野・待機は二ヵ月・アンカーの一人暮らし・できないことへの援助・高齢者住宅に住むイリセ・介護住宅に住む義母インガ・義母インガの家計簿・あってもなくてもお隣同士・

・5・ケアワーカーの教育・156頁・

・介護職の充実・積み上げ教育・実習と理論の交互教育・学びに給料・

4章 デンマークの今を築いた人々

・1・民主主義を守るために・168頁・

・レジスタンスの歴史を共有する旅・戦争がもたらした「強制収容所症候群」・

最年少捕虜・サボタージュの果てに・捕虜番号67・050・白いバスの迎・ヨルゲンの安心した老後・愛国心からレジスタンス活動に・

・2・六八年世代の求めた社会・190頁・立ち上がった若者たち・大学の民主化・女たちの戦い・原発vs代替エネルギー・

資料・デンマークの国民年金制度・203・

おわりに・207・平成28年2月15日 月曜日

・1・民主主義を守るために…168頁・

・レジスタンスの歴を共有する旅、

2006年の8月のある日、ロスキレ市にある高齢者ケアセンター・ベアナドッテゴーデンの元施設庁エミーから、「九月に予定している「ドイツ強制収容所の旅」に一人空きができたけれど参加する?」と電話がありました。部外者の私に突然の誘いでしたが以前から興味があったので何のためらいもなく「参加させて!」と答えていました。

このたびは、1940年から五年間にわたるドイツ占領時代にレジスタンス(抵抗運動)に参加してドイツ秘密警察ゲシュタポに逮捕され、といつの強制労働収容所に送られたデンマーク人の過去を知る旅です。旅は「レジスタンスと捕虜の会」の会長モーンス・ヘネリックとエミーが、高齢者ケアセンター・ベアナドッテゴーデンの職員の研修旅行として10年前から実施しています。研修の案内人はモーンス・ヘネリックで、参加者は介護・看護スタッフやリーダー職を含め20名ほどです。

この研修は、ベアナドッテゴーデンに入居する元捕虜たちをより理解するために企画されたものです。費用は「レジスタンスと捕虜の会」基金が全額負担していますが、どうも今回が最終回になりそうです。168・

169頁・平成28年2月14日(日)

それは基金の底も付いたのと、同時にモーンス・ヘネリックが高齢になったのが理由です。

旅の日程は二泊三日で、案内役モーンス・ヘネリックが拘留された南ユトランドにあるフヨイヤスレブ捕虜収容所と、後日移されたドイツの強制収容所ノエンガメを訪問します。

当日の出発は朝八時。二泊三日の旅を支える専用バスも到着し、昼食用の食料や飲み物を積み込むとすっかりピクニック気分で、「重苦しい旅」に出かけるような雰囲気は微塵にも感じられません。

バスはロスキレを出発し、一日目の目的地フヨイヤスレブ捕虜収容所をめざして走り出しました。

・戦争がもたらした「強制収容所症候群」

1945年5月5日、デンマークは連合軍によりドイツ占領から解放されました。この日、人々は占領の暗黒時代から解放され、自由に灯りを付けられるよろこびを、窓辺にキャンドルをともして家族と、隣人と、そして国民皆で分かち合いました。

占領時の五年間にレジスタンスや警察官など約6000人がゲシュタポにつかまり、捕虜となってドイツの強制労働収容所に送られました。しかし、幸いなことにデンマークは赤十字を通じて輔量たちにビタミン剤を含む支援物資を送ることが許されていたために、デンマーク人の強制収容所での死亡率は15%にとどまりました。169・平成28年2月14日ここまで

 

・最年少捕虜・172頁・

・サボタージュの果てに・175・

・捕虜番号67・050・179頁・

・白いバスの迎・182・

・愛国心からレジスタンス活動に・186頁・

・2,67年世代の求めた社会・

・立ち上がった若者たち・190頁・平成28年2月14日(日)

2007年の日本では「団塊の世代」の定年時期がスタートし、「2007年問題」として多様な議論が巷を賑わしました。

一方、デンマークでは2008年に、「68年世代」と呼ばれる1960年代の若者の蜂起から40年ほどが経ち、メディアではこぞって近代史を振り返る動きがありました。

ヨーロッパの1960年代は、ビートルズ、ヒッピー、集団生活、性の解放そしてライフワークなどに象徴されるように、古い価値観に対立し、新しい自由で平等な社会を求める「若者の蜂起」や「学生運動」があちこちで起きました。190・

191頁・「68年世代」とは、デンマークにおいてその運動が1968年に頂点に達したことから、その動きに属する人々に名づけられた名称です。彼らは1968年当時に18歳から25歳だった若者で、2008年の今、定年を数年後に控えているか、リタイアしたばかりで、まさに日本の「団塊の世代」と「時」を共有している人々です。

若者たちの新しい社会を求めるさざなみは、第二次世界停戦後の社会的・政策的な問題として起きていた原子力問題、ベトナム戦争、資本主義、消費社会に対する若者のリアクションとして、1960年頃からヨーロッパのみならず世界各国で起き始めました。デンマークでも原発反対運動、環境運動、コペンハーゲン大学での学生紛争、そして男女平等権を訴えた女性運動など、60年代、70年代は民主主義の熟成に向けた戦いの時代でした。彼らは古い権威体制や管理社会からの脱皮を求め、新しい考え方や新しい社会体制を提案していきました。

 

当時、「教育現場は社会的階級分けが見られ、壇上の先生と生徒の間には精神的な距離があり、先生に対して生徒は行儀よく授業を受けることが当たり前。職場は規律や管理に縛られ、大学は教授に全権限があり、違反者には16か月の懲役を強いられた。個人の考えや意見が理不尽に否定され、性別による差別が見られた」と言う古い社会体制を「人が中心」の社会に変えていきました。

彼らは現状の社会体制を黙視して、ただ当時の社会体制の波に乗るのではなく、一人から二人へ、二人から数名に、そして大きな波として団結し、デモンストレーションなどの活動を通して社会に訴えていきました。191・

192頁・そして、この世代の人々が70年代、80年代、90年代のデンマーク社会を動かし、社会形成にも一石も二石も投じたと言っても過言ではありません。

・大学の民主化・192・

1968年3月21日コペンハーゲン大学の正面にあるスチュディオ通りからビートの利いた音楽が鳴り響き、門の壁に赤字で「教授主権の崩壊と学生の参加を今こそ!」と学生の訴えが掲げられていました。

学生たちはコペンハーゲン大学の時代に合わない教育環境に大きな不満を持っていました。大学は1958年に4700人だった学生が10年後の1968年には2万1500人に増加していましたが、職員数や建物が時代に追い付かず、そのために授業や講義に支障ができていました。また、教授がすべての権限を持ち、四角張った古い形の大学運営に不満を抱き、学生の意見をもっと反映できる組織づくりを要求しました。

4月19日、心理学学科の学生100人~150人が心理学研究所を占領し、バリケードを張って授業を妨害し、4月23日には、5000人がデモストレーショ雲に参加する事態に発展しました。これはコペンハーゲン大学が1479年に開校されて以来初めて経験する大規模なデモでした。

大学長モーンス・フォーぐ(当時64歳)は、第二次大戦中にレジスタンス運動に参加し、戦後初の内閣で大臣を務めた後、古巣の国立大学病院精神科教授とし、1966年にコペンハーゲン大学長に任命されました。192・

193頁・彼はヒューマニストであり、以前から九育現場の権威主義に疑問を抱いていました。

フォーグは学生たちと「対立」するのではなく、「対話」を選び、学生たちの要求である「運営に学生参加」を承認し、占領されていた心理学研究所も無傷で大学に戻されました。

フォーグは、大学で起きた大規模な集会でも警察の介入を避ける方法を選びました。警察は学長に混乱した場合の緊急通報を要請していましたが、フォーグはその手段を使うことはありませんでした。

その年の11月、恒例の「コペンハーゲン大学祭」が開かれました。この大学祭の招待客は学生ではなく、王室を含む上流社会の人々で、学生は「階級社会」に対する批判を表すために行動をおこすべく、偽入場券を作り会場に忍び込みました。

そして、心理学の学生フィン・アイナーは、学長のスピーチ壇上を乗っ取り三分間のスピーチを決行しました。学長はフィンにスピーチを許し、彼は「大学祭が国のエリートだけの参加なのは、この社会が階級社会だからだ」と訴えました。フィンと共に会場に忍び込んだ学生たちは喝采を挙げましたが、スピーチ後に学生たちは会場を退出しました。

当時、西ヨーロッパでは約2000の大学で学生紛争が起きていますが、他国に学生運動と異なる点は、流血騒ぎも警察との激しい衝突もなく、フォーグは学生たちと共に大学の古い体制を変え、さらなる民主化に貢献しました。193・

194頁・平成二十八年二月十四日

・女たちの戦い・194・平成28年2月15日 月曜日・ここまで

デンマーク人に「レッドストッキングって知っていますか」と聞くと、「アア、あの過激な女性運動のこと?」という反応が返ってきます。その挑発的な行動は世間を驚かせ、唖然となって首を横に振った市民も多くいましたが、彼女たちの活動に賛成する・しないは別として、今日のデンマーク社会が「世界の中でも男女平等が進んでいる国」として認知されているのには、彼女たちの活動が大いに貢献しています。

1960年代に若者だった女性たちは、彼女の母親たちの「良妻賢母」型と違い、高等教育と自立を求めた世代です。学生紛争が男子学生によって繰り広げられていたことに触発されてか、女子大生が中心となって「レッドストッキング」運動として世の中に旋風を巻き起こしました。

彼女たちのアクションは「男性が女性を「飾り人形」としてみている」と「性差別」に抗議し、女性用の下着を誇張してコペンハーゲン市の目抜き通りをデモンストレーションし、1970年の母の日には男女の賃金差を訴える活動として、一人1・25クローネのバス代を0・80クローネしか支払わないというアクションを起こし、警官に抱きかかえれられてバスから降りたというエピソードは、未だに多くの人の記憶に新しいところです。194・

195頁・デンマークには1871年に設立された「女性連盟」と言う女性運動があり、早い時期から女性の権利を拡張する運動を繰り広げ、すでに世界の中でもかなり女性の平等権が確立されていましたが、デンマークの女性たちにとってはまだまだ発展途上だったようです。レッドストッキングは、家庭内の男女の役割、職場での平等権を追求し、人線中絶の合法化を求め、1973年の立法化に貢献しました。

イングリッド・クローグも、レッドストッキングのメンバーとして若き日を送った一人です。彼女は二年前(2006年)に準給与制度を利用して国民学校(公立小中学校)の教員を退職し、現在は「自分のエンジンオイルとして」カルチャーセンターの「シニア英語教室」で週に二日間教え、その他の日は近所に住む孫の相手をして楽しんでいます。

「私の前夫は自分と仕事が一番大事で、家事と子育てには見向きもしなかった。特に、夫の仕事の関係でシカゴに三年間住んでいた時は最悪だった。本人はジャマイカやあちこちに出張するのに、私はいつも一人で家にこもって一歳と六歳の子供を相手に生活していた」と、1970年代の数年間は「弾圧された生活」だったと言います。私が「そういう生活が弾圧?」と尋ねると、「ほかの国の女性はどうだったか知らないけれど、私は自分の置かれた立場を十分女性への弾圧だと感じていた」と、自分が置き去りの生活に疑問を持つ毎日を送ったというのです。195・

196頁・平成28年2月15日 月曜日・

 

 

 

資料 デンマークの国民年金制度

 

デンマーク高齢者福祉の現場から思想まで

 本書は福祉国家として名高い北欧の小国デンマークの、高齢者福祉の現状を現地住民の視点からレポートしたルポタージュです。

大きな税金を徴収して高い水準の福祉を実現している国を聞いて、国はさぞかし手厚いサービスを提供しているのだろうと思われがちですが、本書第1章で綴られているデンマークの高齢者たちは極めて独立心旺盛です。自分のことは自分でこなす。足りない部分を家族や行政がサポートする程度の、拍子抜けするほど簡素なものです。ただし、サポートが受けられなかったり、日常生活が営めないような状況にはなりません。それらの生活保障サービスに支えられながら、至って穏やかで自然体の暮らしを送っている人々の様を、本書の前半では著者自身の経験を通じて描いています。

 後半ではデンマークの高齢者福祉、その生活保障サービスの実際が紹介されます。普通のアパートのケアスタッフが常駐している介護住宅、自立した生活を支えるためのきめの細かい補助器具、その補助器具の調整をする補助器具センター、自立援助のプロである介護スタッフ、在宅ケアが中心のサービス設計、ケアの判定規準まで、事細かくレポートされ、日本の実態と比較する上で大変優れた資料になっています。加えて、客観的な制度の観察だけでなく、在宅支援、高齢者住宅、介護住宅のサービス利用者の日常を追うことで利用者の視点からも、デンマークのサービスの実態を描き出しており、主観的にも分かるようになっています。これらデンマークの利用者本位の理念の通った福祉の現状と、著者自身が経験した日本での制度ありきで国民の生活実態を2の次にしてしまう福祉の現状との比較がとても対照的で、日本という国のあり方について深く考え込まざるを得ませんでした。

 しかしなぜこの様な国ができたのか。その根本的な疑問にも本書は果敢に挑戦します。民主主義を守るためにたたかった無数の人々、ーナチスドイツに立ち向かったレジスタンスたち、古い価値観とたたかった68年世代などーこの国の民主主義が彼ら国民自らの力で勝ち取られ、守られてきたことが、当事者の発言も交えながら明らかにされます。本書の各所に散りばめられた穏やかで平和な生活の日々を切り取った写真の背後には、この様な揺るぎない信念が一筋通っていたことを知り、日本で暮らす私たちも背筋を正し、私たちは何を求めて生き、何を求めて社会で実現していくのか、真剣に考えなければならないと思いました。デンマークや福祉国家を知ると同時に、日本を知ることのできるまたとない良書です 


 デンマークの高齢者福祉を分かりやすく紹介

著者は20代前半でデンマーク人と結婚、以来40年間デンマーク社会に溶け込み生活している。その豊富な実体験と堪能な語学力を活かした取材により、最新のデンマークの高齢者福祉の現状を、平易な文章で分かりやすく紹介してくれる。しかも著者は、福祉や教育を専門として日本とも頻繁に行き来しているので、日本の現状に照らして日本人が知りたいツボを適格に押さえている。近頃北欧社会の研究書や紹介本が増えているが、本書はその中でもピカイチの説得力を備えている。私は、高齢者というよりも、この国の生きにくさを体感し将来に展望を持てない若者や、政治家、福祉行政に携わる人々などに是非読んでほしいと思う。なお、本書の姉妹編ともいえるデンマークの子育て・人育ち―「人が資源」の福祉社会もあわせて読めば、デンマーク社会への理解はさらに深まるだろう。

14:36 2016/02/14


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