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内田樹(うちだたつる)内田樹(うちだたつる)
思想家
現代フランス思想、比較文化論が専門だが、ユダヤ人問題から、フェミニズム、教育、戦争まで幅広いテーマに発言している。正義と力の押し付けを嫌い、知的興奮を尊ぶその「おとな」の姿勢から、「思想界の正しいおじさん」と評される。また、合気道はじめ、武道を愛して実践し、体が語る知についても考察を続ける。著書は『ためらいの倫理学』(2001年冬弓社、現角川文庫)、『寝ながら学べる構造主義』(2002年、文春新書)、『「おじさん」的思考』(02年、晶文社)、『下流志向─学ばない子どもたち、働かない若者たち』(07年、講談社)など多数。
1950年、東京都生まれ。東京大学文学部仏文科卒業、東京都立大学大学院博士課程中退。神戸女学院大学名誉教授。
ブログ http://blog.tatsuru.com/
[t] https://jp.twitter.com/levinassien
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16:04 2014/04/19
ためらいの倫理学―戦争・性・物語 (角川文庫) [文庫]内田 樹(著)
内容紹介
ためらい逡巡する思考の深みへ『おじさん的思考』『寝ながら学べる構造主義』がベストセラーとなった思想界の「正しいおじさん」の原点。ためらい逡巡する精神にこそ意味がある。内田思想の中核をなす最重要本がついに文庫化。
内容(「BOOK」データベースより)
アメリカという病、戦後責任、愛国心、有事法制をどう考えるか。性の問題、フェミニズムや「男らしさ」という呪縛をどのように克服するか。激動の時代、私たちは何に賭け金をおくことができるのだろうか―。ためらい、逡巡するという叡智―原理主義や二元論と決別する「正しい」日本のおじさんの道を提案する。内田樹の原点が大幅加筆でついに文庫化。
文庫: 372ページ出版社: 角川書店 (2003/08)発売日: 2003/08
目次
なぜ私は戦争について語らないか(古だぬきは戦争について語らないアメリカという病 ほか)
なぜ私は性について語らないか(アンチ・フェミニズム宣言「男らしさ」の呪符 ほか)
なぜ私は審問の語法で語らないか(正義と慈愛当為と権能の語法 ほか)
それではいかに物語るのか―ためらいの倫理学(「矛盾」と書けない大学生邪悪さについて ほか)
5つ星のうち 4.0 なんかちがうんだよねとよくかんじてしまう人向き
あのひとの言っていることは、確かに論理的には正しいことだけれども、なんかちょっと違うんだよね、でも、そのなにかをうまく説明できなくて、いらだってしまうことがけっこうある。そんなふうにかんたんにいえる問題じゃないだろうと。たとえば、アメリカの「正義」、従軍慰安婦問題のこと、教科書問題のことなどいろいろ。これらのテーマを取り上げ、その違和感の在りかの個人的見解をためらいがちに述べたエッセイ集です。この本は、確固たる正義のことばを求めている人、白黒をはっきりさせなければ気がすまない人などには、向かないかもしれません。わからないことがらを、安易に著名人の言説に寄りかかってわかったふりをしないで、わからないといえるひと。わからないながら自分のあたまで考えよう!とするひと向きの本だと思います。
5つ星のうち 2.0 この頃のたつる君はまともだったけど・・・・
本を読めばわかると思いますが、これは内田樹がまだ、メディア的には無名だった頃に書いていた評論や雑文を集めたものです。言ってみれば雑文集みたいなものなのですが、全くもって皮肉なことにこれが内田の最高傑作のように思えます。
まず、この本では、基本的に批判はきちんと名指しでされています。無名だったので、相手の激しい反発も考慮する必要なかったのでしょう。今の内田のエッセイとは大違いです。
第二に、党派性が薄いです。今の内田は、内田曰く「リベラルおじさん」とやらの存在意義を屁理屈で正当化し戦後民主主義的言論メディア媒体の擁護をするだけの存在ですが、当時は無名だったのでマスコミにお仲間がいなかったのでしょう。
5つ星のうち 4.0 なんかちがうんだよねとよくかんじてしまう人向き,
レビュー対象商品: ためらいの倫理学―戦争・性・物語 (単行本)
あのひとの言っていることは、確かに論理的には正しいことだけれども、なんかちょっと違うんだよね、でも、そのなにかをうまく説明できなくて、いらだってしまうことがけっこうある。そんなふうにかんたんにいえる問題じゃないだろうと。たとえば、アメリカの「正義」、従軍慰安婦問題のこと、教科書問題のことなどいろいろ。これらのテーマを取り上げ、その違和感の在りかの個人的見解をためらいがちに述べたエッセイ集です。この本は、確固たる正義のことばを求めている人、白黒をはっきりさせなければ気がすまない人などには、向かないかもしれません。わからないことがらを、安易に著名人の言説に寄りかかってわかったふりをしないで、わからないといえるひと。わからないながら自分のあたまで考えよう!とするひと向きの本だと思います。
「倫理学」とタイトルだけで、引いてしまうひともいるかもしてませんが、その語り口は平明で、けっこう笑わせてもくれます。
5つ星のうち 5.0 内田樹の原点, 2012/1/15
レビュー対象商品: ためらいの倫理学―戦争・性・物語 (角川文庫) (文庫)
今売れてる“思想家”(神戸女学院教授を退任。道場主というのもどうかと思うので、とりあえず)内田樹の初の単独著作の文庫本化。
26篇のテクストが入っているが、戦争に絡んだ思想(思考方法)批判(Susan Sontag,藤岡信勝、高橋哲哉等)、フェミニズム批判(上野千鶴子等)、物語性に関わるポストモダニズム解説に加え、本書名であるカミュ論“ためらいの倫理学”が主な内容である。
内田が90年代後半からウェブ上に書きとめていたテクストも多いようで、頼まれものでなく、とにかく自発的に書きたくて書いた性格から、舌鋒の鋭いものも多い(内田は世間を狭くしたと言っている)。
内田の基本スタンスは“自分が絶対的に正しい”ことを疑わない立場からの発言に対する批判であり嫌悪感である。これが“審問”口調、善悪の単純二元論への批判、そして自らのスタンスとしては“とほほ”的、あるいは“おじさん”的アプローチとなる。これらは現在に至るまでの内田の言説に綿々とつながっているといえよう。
その意味で本書はその原点である。
読者の一人としては“極端なことを言う人、もっともらしいが少し変だと思うことを言う人がいて、どうしたものかと感じていたが、内田を読んで、なるほど、そうだよなあ、こういう風にも考えられるんだなあ、少し安心した”と感じるわけである。
最後のカミュ論“ためらいの倫理学”は少し趣が変わって、本格的なカミュ論である。カミュの著作と生き方に現れたカミュの内面の動きに対する内田の深い理解と敬愛が伺われ、思わず引き込まれた。もう一度カミュを読んでみたいと思った。
5つ星のうち 5.0 息苦しさからのブレイクスルー, 2006/3/7
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青ち (大阪府) - レビューをすべて見る
レビュー対象商品: ためらいの倫理学―戦争・性・物語 (角川文庫) (文庫)
著者の講演を某所で聞く機会があったので、試しに手に取ってみたのがこの本。著者にとっては最初の単著であるらしい。基本的には評論集であるが、やや長い論文も挿入されていて、思ったより読みでがあった。
「私は知らない」ということを出発点にしていかに語るか。著者の発想や評論や批判は、ここから始まっている。俎上に載せられるのは、日本人に限って固有名詞を挙げれば高橋哲哉であり、上野千鶴子であり、果てには宮台真司やら岡真理やら…といった面々であるが、著者の評論にはそういう意味で筋が一本通っている。当人はともかく、これを読んで怒り出すような人は、少し自分を振り返ったほうがいいかも知れない。
本書のタイトルともなっている論文は最後に掲載されているが、著者が差し向かっている「息苦しい思想や言説」からのブレイクスルーを模索するものとして読むことができるだろう。ここから先は自分の頭で、もそもそと考えていきたい。
5つ星のうち 2.0 この頃のたつる君はまともだったけど・・・・, 2012/2/27
レビュー対象商品: ためらいの倫理学―戦争・性・物語 (角川文庫) (文庫)
本を読めばわかると思いますが、これは内田樹がまだ、メディア的には無名だった頃に書いていた評論や雑文を集めたものです。言ってみれば雑文集みたいなものなのですが、全くもって皮肉なことにこれが内田の最高傑作のように思えます。
まず、この本では、基本的に批判はきちんと名指しでされています。無名だったので、相手の激しい反発も考慮する必要なかったのでしょう。今の内田のエッセイとは大違いです。
第二に、党派性が薄いです。今の内田は、内田曰く「リベラルおじさん」とやらの存在意義を屁理屈で正当化し戦後民主主義的言論メディア媒体の擁護をするだけの存在ですが、当時は無名だったのでマスコミにお仲間がいなかったのでしょう。この本でも、戦後民主主義自体は理屈になってないロジックで肯定してますが、今のように、具体的にどっかの大新聞社を屁理屈で擁護してるとかは無いです。
結論から言うと、内田樹の思想らしきものは全部この本で語りつくされてます。あとの本は、この本と大同小異のことを言っているだけです。
5つ星のうち 5.0 バカとは何か, 2006/8/26
レビュー対象商品: ためらいの倫理学―戦争・性・物語 (角川文庫) (文庫)
今をときめく内田さんの処女作ですが、以降の著作の原型がみんなこの本に詰まっています。文体は学者さん臭さがまだ抜けていなくて読みにくいのですが、よく読むとユーモアとペーソスに溢れていて思わずにやりとしてしまいます。特に気に入ったフレーズはこれ。
私たちは知性を検証する場合に、ふつう「自己批判能力」を基準にする。自分のムチ、偏見、イデオロギー性、邪悪さ、そういったものを勘定に入れてものを考えることができているかどうかを物差しにして、私たちは他人の知性を計量する。自分の博識、公正無私、正義を無謬の前提にしてものを考えている者のことを、私たちは「バカ」と呼んでいいことになっている。(32p)
5つ星のうち 5.0 過不足なき中間, 2006/4/25
レビュー対象商品: ためらいの倫理学―戦争・性・物語 (角川文庫) (文庫)
最初のいくつかの短編の読みやすさ、軽妙な語り口と話題への親しさで、つい引き込まれた。気軽に読めそうなエッセイ集かと思いきや、硬質な論文まで幅広く集められている、お得な一冊。値段のわりにページも多い。特にカミュについて。頭のよい人はこういう風に読み解くのか。なんとなく自分がカミュをわかった気分にさせてくれる。
用語の面でわかりにくさを覚える人もいるかもしれないが、穏健や寛容、中庸なものを意識して好む人と、それらに反感を持つ人の双方に勧めたい。
個人のうちでさえ情緒や思考は一枚岩ではなく、むしろ一つの信念や信条に貫かれて揺らがぬ人のほうがファナティックな危うさを持つ。世界はもともとあまりにも多様。個に優先する普遍があると仮定しても個が普遍や絶対に言及した時点で相対性を帯びる。
その複雑さを複雑なままにしておくこと、自分自身の中の矛盾さや中途半端さを許すことは、言い換えれば、よい対象が実は悪い対象でもあるという抑うつに耐えることでもある。
しかし、自分の中の空白、自己の抵抗が示す抑圧するものを、間断なく見据え続ける作業は、結構、きつい。さぼりたくなることもある。コミュニケーションの修行の困難さに途方にくれながら、私はそれでもほとんど不可能な夢を見る。
5つ星のうち 4.0 文庫化されて読みやすくなった, 2005/10/29
レビュー対象商品: ためらいの倫理学―戦争・性・物語 (角川文庫) (文庫)
現時点での内田の代表作を一冊選べ、と言ったらこれになるかもしれません(個人的には別のにしたいですが)。あちこちに著者が「書き散らしている」主張のほとんどがここに凝縮されています。
基本的な著者の視点は「自分を絶対化しない」ということで、自分の正しさを常に疑ってかかる、というところから、宮台真司やスーザン・ソンタグに対する疑義が表出される。ただし、すくなくとも、内田氏自身の著書からこの姿勢を感じ取れるところはすくない。だから、かれの著書は、原稿にされる時点で「これでよいのか?」という自問自答を経ていると解釈すればいいのだと思われる。もうひとつはあまり指摘されていないことだが(そして著者じしんも明言していないことだが)「あたりまえに、常識的に考える」ということだ。業界の常識で世間を眺めるととてつもなくゆがんで見えることがプロフェッショナルにはままある。その陥穽に嵌まらず、専門家ゆえの大胆な問題提起をどうやって行ってゆくのか、そのバランス感覚に著者は優れていると言えるだろう。その結果、「大衆の常識」に合うかたちで話が進んでいるので、ポピュラリティを得ることが出来る反面、衒学志向のつよいひとから嫌われたり、批判的な読みをすることがむずかしくなったりする欠点もある。それは八方美人を目指さない以上は仕方のないことだ。ただ、読者としては、つねに本書に対しても「どこかおかしいんじゃないの?」の眼を持って読む、ということだけは忘れないようにしたい。
5つ星のうち 5.0 身体は頭よりも物知りだ, 2002/5/10
レビュー対象商品: ためらいの倫理学―戦争・性・物語 (単行本)
理屈ではなく身体感覚として確信していることをバカ正直に思わず口に出してしまい、それが世の中の大方の意見や上司や指導教授や先輩などの考えとはそぐわずに頭ごなしに反論され、罵倒され、貶められてしまうことがある。普通に生きているだけで、そういう場面に遭遇する機会はこと欠かないだろう。そんなことを繰り返しているうちに人は、自分で考えることにだんだんと自信が持てなくなり(というよりもうんざりしてしまい)、ついには本当のバカになってしまうようになる。
そういう真性バカへのチャートにのっかるよりも、たとえば、波に乗っていた頃の高橋哲哉の本などをわからないながらも熟読し、身体が拒否しつつも自分の意見として無理矢理に取り入れ、そのうえで、他人に向かって知ったかぶりを!!することの方がはるかに利口な生き方に違いない。しかしそれは、安易ではあるが情けない生き方である。そういう愚かな選択をあえてしてしまうのはどういう人なのだろう。おそらく、なんらかのコンプレックスをバネとしつつ、知識人という勝者のフリをしようと努め、それによって、社会的勝者たらんとする欲望に惑わされている人なのだろう。なんとも、楽しくない生き方だ。
著者の内田氏はそういうところからもっとも遠いところにいる。彼のなかには、コンプレックスを成り立たせている構図(父権制イデオロギーなど)がかけらもないから、たいした拒否反応もなく仮性バカを演じることができ、身体感覚として確信している持論を自信をもって開陳することができる。実にうらやましい生き方だ。また哲学(主に!!レヴィナス)を、自分を惑わしたり他人を幻惑させたりすることを目的とせずに、実際の生活においてどのように運用すればいいのかをわかりやすく示してくれているところもすばらしい。
武道をたしなむ著者だから「理性としての身体」を生きることができるのか、その逆なのか、いずれにしても、不可解な自分をよく見つめ直すことによって他人の不可解さにも思いを致し、そこに「愛」を芽生えさせる著者の生き方は、新しい世紀を迎えてついに日の目を見ることとなった(ちょっと大ゲサか)。
5つ星のうち 5.0 日本の思想界でこれだけ論争が行われていたのか,
レビュー対象商品: ためらいの倫理学―戦争・性・物語 (角川文庫) (文庫)
「自己の無謬性を疑わない人間はみんなバカ」という視点から右や左の知識人の言説をバッサバッサと切りまくりながら、一方で埋もれている貴重な思索を宝さがしのように掘り出していく爽快な本(カミュの小説の背景にこんなに深い思索があったとは)。現実問題に哲学で対応する方法を示している。レヴィナスの本を読まなくてもレヴィナスが解った気にさせてくれるのもうれしい。内容的には死者や他者との向き合い方についての論説が一番感銘を受けた(高橋和己の小説「日本の悪霊」の主人公がなぜ原爆死者一人一人の生を明らかにしようとするのか解った)。現代思想関係の突っ込んだ議論が多く他の内田先生の本と比べて解りにくい本だが、他の著作のネタがどこから来ているのか解ったような気がしてくる本なので、内田フアンは必読。
5つ星のうち 4.0 加藤、フェルマン、カミュ, 2010/1/13
レビュー対象商品: ためらいの倫理学―戦争・性・物語 (角川文庫) (文庫)
もうすでに沢山のレヴューがありますが、あえていまさら屋上屋を重ねる愚を犯します。本書での著者のスタンスは大変明快で「自分を絶対的と信じる立場からの批判は、うさんくさいぞ」ということになります。その観点から戦争論(戦後責任論争での高橋哲哉やソンタグ)、フェミニズム(上野千鶴子ほか)、ラカニスト(あえてこう言いますが、藤田博史など)が批判されてます。また近年の思想系の批評が、<他者>という基準(ではないのですが…)を持ち出して、それをいわば金科玉条として、他の立場を批判するというシェーマを有すること、それがレヴィナスの倫理学、特に<顔>という概念ならざる概念から派生したものであることを強く憂いています。著者いわく、レヴィナスの<顔>は、単に私(自我)を審問するだけではなく、欲望させ、殺意を抱かせるような、きわめてエロス的なものであると。したがってレヴィナスは、他者の<顔>に対しては、神を前にした時のように頭を垂れてそれに従うか、寡婦や孤児を遇するかのように歓待し、愛さねばならないと述べていると指摘しています。
じゃあ著者の立場は?というと、加藤典洋‐大岡昇平(戦争における個人の物語を描くこと)、フェルマン(女という物語を聴き、語ること)、カミュ(レジスタンスのモラルから戦後の「ためらいの倫理」への移行)といった立場、いわば文学的な、ナラティブな立場にシンパシーを示しています。これはこれで、説得力があります。
デリダも再三、「脱構築はニヒリズムではないし、ネガティブなものではない。むしろ肯定的なaffirmativeものだ」と言っていましたが、内田は<物語>の肯定性を称揚していると思われます。
いい本です。あえて付け加えれば, 2003/10/10
レビュー対象商品: ためらいの倫理学―戦争・性・物語 (単行本)
短くて目立たない「越境・他者・言語」と題する小論が収められており、私は感動とともに読みました。純然たる思想の語法をもって書かれながら、内容は「なぜ引きこもっていてはまずいのか」を非常な説得力で論ずる好論文です。「おのれの交通能力をはじめから過度に低く設定するのは、おのれの交通能力を過大評価するのと同じくらいに有害である」。名言だと思います。著者が実生活でどのように他者と接しようとしているかが読み取れます。読み手によっては、この本から私的な名言集を編むことも可能ではないでしょうか。
5つ星のうち 5.0 右から来たものを左に受け流す思想家のその身体技法を味わえ, 2007/9/26
倒錯委員長 "今田祐介" (横浜市と夢半ば) - レビューをすべて見る
レビュー対象商品: ためらいの倫理学―戦争・性・物語 (角川文庫) (文庫)
内田樹という思想家は「固執しないことに固執する」あるいは「立場をとらないという立場をとる」思想家ではないだろうか。彼がプチブレークした「九条どうでしょう?」ではその独特な切り口で「九条このままで何か問題でも?」という論を展開し一躍脚光を浴びた。
日本の外患内憂という、内政と外交の統合できない、矛盾した状況。
矛盾を矛盾のまま維持しておいたことに戦後約60年の日本の平和があったというのが彼の結論だ。
この「矛盾を矛盾のまま維持しておく」こと。
これは彼の初期の作品、この『ためらいの倫理学』から通じる彼の思想のエッセンスである。
例えば、売春の是非について。
売春という性の商品化から少女を守ろうという反対派の意見もありながら、
現に売春で飯を食っているセックスワーカーの人権はどうすればいいのか?という肯定派からの反問も出てくる。
この問題への彼の提言はいたってシンプル。
つまり「セックスワークで生計を立てている女性の人権を保障しつつも、少女たちを売春から守る」ということである。
いっけんこれは「何も言っていないではないか!」という気がしないでもない。現にそういっている知り合いもいる。
しかし矛盾した状況の矛盾した様をかみ締めること、それが彼の思想の根幹であるのではないだろうか。
そしてさらに突き詰めていけばそれは、彼が「世界は変えられない(変える必要がない?)」という経験的認識と「確定事項の状況下でいかにましにふるまうか」という倫理をあわせもっているからではないだろうか。ペシミスティックに聞こえるがそれらの源流にあるのは、前者は彼自身あまり語らない(語りたがらない?)学生運動へのコミット、後者は彼自身が師匠と仰ぐユダヤ人哲学者レヴィナスの思想ではないだろうか。卵が先か鶏が先か。両者がどのように結びついているのかはわからないが、今後も注目の思想家であることには間違いない。
5つ星のうち 4.0 知的なおじさん、おじいさんを目指す人におすすめ。,
レビュー対象商品: ためらいの倫理学―戦争・性・物語 (角川文庫) (文庫)
内田樹の出版界へのデビュー作だと言う。中身は、ご自身の投稿した大学紀要や、ブログの再構成なのだが。とにかく彼の考え方のスタンスに同感できる。素晴らしい知性を持っているが、控えめで、自分の分を弁えながら譲れないところはしっかり発言していく。これは素晴らしいことである。普通の知性ある“おじさん(おじいさん)”を目指す我々にとって、まさに救世主的な存在ともいえる。
5つ星のうち 4.0 わたしも非「極端」でありたいな。, 2012/6/15
レビュー対象商品: ためらいの倫理学―戦争・性・物語 (角川文庫) (文庫)
養老孟司さんのおススメということで、初めて内田さんを知り、たまたま古本屋で見つけたこの本を読みました。
内田さんの「私たちは知性を計量するとき、その人の「真剣さ」や「情報量」や「現場経験」などというものを勘定に入れない。
そうではなくて、その人が自分の知っていることをどれくらい疑っているか、自分が見たものをどれくらい信じていないか、自分の善意に紛れ込んでいる欲望をどれくらい意識化できるか、を基準にして判断する。」(本文引用)
という自己批判能力に重点を置いたスタンスの論文(エッセイ?)に、わたしはとても好感が持てました。
もっと内田さんの本は読んでみたいと思います。
あと高橋源一郎さんの解説がとても面白かった。簡単にいうと「極端」な考えは自分も周りも幸せになれないし疲れる。
だから内田さんのように何事にも非「極端」なスタンスでありたいというような内容。わたしも本当そう思います。
5つ星のうち 4.0 徹底的な知的人間, 2007/5/19
レビュー対象商品: ためらいの倫理学―戦争・性・物語 (角川文庫) (文庫)
内田先生は、私たちがもやもやしていたものを、「なるほど!」と思わせることが上手い思想家。上手いのだが、「で?」と次のステップに思考を移行させてくれるサービスも欠かさない。フェミニストやポストモダニストに噛みつくが、傷跡が付かない程度に噛みつく。
「自分が非常に知的であること」を他人にショウ・オフすることよりも、自分が「ぜんぜん知的でない人間である」可能性について考究することが好きな「徹底的な知的人間」である内田先生は、何が正解か分からない事は「分からない」と堂々と言う。しかし、その分からない事自体のレベルが高い。大多数の人は、理由なき解答を勝手に作っていたか、あるいは考えもしていないところに目を付ける。
日常が多忙すぎて、仕事以外のことが思考停止している人が読むと、より充実感がある。固まりつつある脳みそをかき混ぜてくれる一冊である。
5つ星のうち 5.0 戦争責任やフェミニズムなど、現在の日本人に関する思想的な議論をあざやかに整理し、問題の本質を教示した本, 2012/5/1
レビュー対象商品: ためらいの倫理学―戦争・性・物語 (角川文庫) (文庫)
哲学者であり倫理学者であるエマニュアル・レヴィナスの研究家(いろいろやってる人だけどとりあえずこういう肩書にしておく)、内田樹氏の最初の単行本(現在はいっぱい本出してます)。戦争や戦争責任、フェミニズムや性道徳といった、現代における難しい問題について、議論の状況、さまざまな意見をきれいに整理して、それぞれの問題に対するそれぞれの考え方に潜む問題点を明快に示したもの。ウチダ氏の著作の中では、いちばんスッキリとした文章で、しかも説得力があると思います。「私家版 ユダヤ人論」もインパクトがあった(ユダヤ人がなぜ迫害される民かというと、それはユダヤ人が迫害されることに存在意義を見出しているから、という驚くべき結論を導くもの)けど、この本もなかなかいい。高校生が参加した国際コンベンションのお題が「ユーゴスラビアへのNATOの空爆について」だったときに、あまり発言できなかった日本の高校生を叱咤した教育者に、著者は強い不快感を表明し、朝日新聞でのスーザン・ソンタグと大江健三郎との往復書簡を想起する。このときソンタグは「わたしは、ユーゴスラビアに行き、空爆と、戦争をこの目で見、体感してきました、だからこのことについて語る資格があるのです」と言う。しかし、直接見聞きしてない人間が沈黙せざる得ないような論理は、裏返せば、「メキシコインディアンを直接殺戮したアメリカの騎兵隊のみが、その事実(殺害の体現者であるのだから)を正当的主張」できるというのと同じであり、何より、直接体験した人間に無謬性はないと言っているのと同じではないか、とする。ここでウチダは、「私たちは、知性を計量するとき、その人の『真剣さ』や『情報量』や『現場経験』などというものを勘定には入れない。そうではなくて、その人が自分の知っていることをどれくらい疑っているか、自分が見たものをどれくらい信じてないか、自分の善意に紛れ込んでいる欲望をどれくらい意識化できるか、を基準にして判断する」と投げかける。これについては、諸手を挙げて賛成。なお、戦争責任において、「戦争によって犯された事実を究明し、その事実を認識し、認めさせることで、真の戦争責任が成り立ち、哀悼という行為を強いることができる」という高橋哲哉の議論に対し、いわゆる戦争における「事実」の究明が果たして可能なのかはさておき、高橋の議論に潜む、戦争当事者を「審問」し、戦争責任を認めるかどうか「査問」するかの語りと思考によって、果たして、哀悼という、多分に内的で複雑かつ二律背反の感情を含む行為を導き出すことができるのか、と疑問を呈する。日本人の兵士の死を悼む一方で、その先には日本人の兵によって死に追いやられたアジアの人や当時の敵国の人がいる。そのことに思いを致すこと自体、「正義か悪かといった二元論的に割り切れないもの」であり、この「ねじれ」を体感し、同時に複数の基準を持って語り得る者こそが鎮魂について語りうるのではないかとする。そしてレヴィナスの論説を引きながらこう述べる。「個々が正義であるか悪であるかを切り分けるには、その者の顔を見ずに行うことが必要である。顔を見ることによって、この切り分けを妨げる感情が生起するからだ。しかし、その顔を見ないという行為は、他者との出会いを否定することであり、その者を殺人することによってしか成就しないのだ。」。
5つ星のうち 5.0 ためらいなく語られるためらいの倫理学, 2009/10/13
レビュー対象商品: ためらいの倫理学―戦争・性・物語 (角川文庫) (文庫)
今をときめく評論家・エッセイスト内田樹の、記念すべきデビュー作である。
「なぜ私は戦争について語らないか」「なぜ私は性について語らないか」「なぜ私は審問の語法で語らないか」「それではいかに物語るのか」の四つの章に分かれている。通底しているのは(『ためらいの倫理学』というタイトルに示されているように)、語りの態度としての「ためらい」の必要性である、と言っていいであろう。
内田は言う。私は自信満々の語りを信じない。ためらいのない語りを信じない。なぜなら「自分は間違っているかも知れない」というためらいこそが、真正な語りの必要条件であるからだ(十分条件ではないが)。「自分は正しい」という信念に基づく、異論反論をシャットアウトするような自信満々の語りは、その時点で他者に耳を傾ける謙虚さを失っており、真正ではありえない。内田はそう言ってスーザン・ソンタグや宮台真司といった「自信満々の」論客を一刀両断する。
内田の言っていることは正しいと思う。しかし気になるのは、「真正な語りにはためらいが必要である」と語っている内田の口調に、ためらいが感じられないことである。「自信満々の語りを私は信じない」と、自信満々に語っていることである。
もっともそんな不満を吹き飛ばしてしまうほど、内容は充実しており面白い。その後の内田の活躍も大いにうなずける、デビュー作とは思えないレベルの高さである。今後も目が離せない論客の一人であることは間違いない――とためらいつつも言っておこう。
5つ星のうち 5.0 自己の正義の無謬性を疑え, 2007/9/17
レビュー対象商品: ためらいの倫理学―戦争・性・物語 (角川文庫) (文庫)
著者には失礼ながら、この本の内容を一言に圧縮するなら「自己の論・正義を無謬だと思うな」ということだろう。
そうした点から、「審問の方法で正義を語り、他人を糾弾する人」「自分を社会の外側において、ある種の超越者の立場から正義を語り糾弾する人」がびしびし批判される。
さらに具体的には、アメリカの正義の戦争を認める人(ソンタグ)や逆に戦争責任を追及する人、フェミニストなどが批判されている。
そうした「審問の語法」の裏に、レヴィナスの思想とその問題点、さらにその思想の(意図的?)誤読があるというのは興味深い。
最後のカミュの分析はわりと面白かった。要するに正義を信じ込みすぎてはダメということですね。常に正義を疑い続けないと
5つ星のうち 4.0 平易な言葉での文章, 2013/8/25
レビュー対象商品: ためらいの倫理学―戦争・性・物語 (角川文庫) (文庫)
全体的に平易な言葉、文章で構成されています。このため自分に当てはめて考えることも充分可能であり、納得しながら読み進むことが出来ます。
5つ星のうち 3.0 思想・哲学書の初心者向け, 2012/4/13
レビュー対象商品: ためらいの倫理学―戦争・性・物語 (角川文庫) (文庫)
内田樹のデビュー作です。内田節全開です。しかし他の小難しい哲学書などに慣れた人には物足りないかもしれません、面白いですが。
5つ星のうち 4.0 ためらいの倫理学を発展させてください, 2011/7/20
レビュー対象商品: ためらいの倫理学―戦争・性・物語 (角川文庫) (文庫)
内田先生のデビュー作にして、その後のエッセイのプロトタイプ。おっしゃっていることは、概ね「部外者になるな。有責性を覚知せよ」「無知の知の自覚こそ知的である」「語ることと語られることを一致せよ」などなど・・・。
一番最後の「ためらいの倫理学」はとても面白い。内田先生、時事エッセイはもういいので、このテーマを発展させて一冊本を書いてください(退官なさったので無理かもしれないけど)。
あと某協会でも話題になった「ラカニアン」「ラカニスト」批判に評者も深く同意。「ラカン語」を使わないでラカン理論を説明できるようになりたいものである(無理か・・・)。
5つ星のうち 3.0 内田パターンの原型, 2011/6/15
レビュー対象商品: ためらいの倫理学―戦争・性・物語 (角川文庫) (文庫)
基本的に、内田先生の本は面白いのだけど。これは、かなり売れっ子になる前の本みたいです。なので、結構実名をあげて批評を行なってます。
モノの捉え方としては面白いんだけど、だんだん飽きて来たなぁ。街角シリーズは好きだけど。なんか、この文体を真似て書いて、なおかつ村上春樹が好きとか言ってる輩が嫌だ
5つ星のうち 2.0 人を呪わば穴二つ, 2009/10/8
レビュー対象商品: ためらいの倫理学―戦争・性・物語 (角川文庫) (文庫)
この本で内田氏は「現実の矛盾やねじれを受け入れ、なるべく白黒をはっきりさせず、ためらうべきだ」と主張します。つまり、政治的な思考を批判して哲学的な思考を称賛するということです。ただ、内田氏も他人を批判する時は(当然ですが)白黒はっきりさせ(内田氏自身も正義だとか正しいという言葉をよく使います)批判するわけで、言うなれば、この本は自分で「ためらわない奴はバカ」と規定しておきながら、内田氏自身が自分の手で自分がバカなのを暴いていくという変な本になっています。(内田氏が設定するバカの基準に内田氏自身があてはまっているという意味です。内田氏が開き直りで使う「無知の知」ではないです)
内田氏の主張以前の根本的な疑問も何個かあります。そもそも内田式処世術(なるべく白黒はっきりさせない哲学的思考)が許されるのは現実から隔離された「象牙の塔の住人」の特権ではないでしょうか。
政治活動家に対して政治的思考をするな、という矛盾した批判が成り立つのかも疑問です。政治活動家は象牙の塔の住人とは違い、常に現実と向き合い、限られた条件、限られた情報、限られた時間の中で、時に悪魔と手を結び、汚い仕事を引き受け(道徳的には非難されても政治的には正しいということはよくある)、社会を変革したり、社会秩序を回復したりすることが仕事なわけで、そもそも内田氏の批判は的外れではないでしょうか。(内田氏はこの問題を知性にリンクさせて批判していますが、この問題は明らかに立場の違いでしょう。内田氏の問題設定では常に象牙の塔の住人が勝利することになり、これは正に内田氏が言うところの「不敗(腐敗)の構造」でしょう)
いずれにせよ、ためらうと言いながらためらわず、語らないと言いながら語る、内田氏の自分に対する評価は高すぎると思います。
5つ星のうち 4.0 内田樹はスゴイぞ。, 2007/12/20
レビュー対象商品: ためらいの倫理学―戦争・性・物語 (角川文庫) (文庫)
一読して「ヒデぇな、コリャ」とちょっとがっかり。この人の書くものは読みやすく、読む人を惹きつける力はある。おもしろい。前々からそう思っていたから、読んでみたのだけれど、その「おもしろい」の次元が「笑える」という程度に過ぎないな、というのが一読しての印象。部分々々には「一理あるな」と納得させられるところがあるのだけれど、肝心の結論のところで――フェミニズムへの批判にしても、宮台真司に対する批判にしても――完全に敗北している。「あぁ、上野千鶴子なら~~と言って事も無げに反駁するだろうなぁ」「宮台ならこういう反論であっさり覆してしまうだろうなぁ」ということが、あまりに容易に想像がついてしまう。そういう意味で「内田樹は意外にもあまり知的レベルが高くないぞ」と思いかけてしまった。しかし、時間をかけて考えるうちにこれがこの人の作戦なのではないか? と思い始めた。内田樹の伝えようとしていることは結論にあるのではなく、部分々々の「一理あるな」と納得させられるところの方じゃないかと……。つまり。「これはシロート向けの駄文ですから」というエクスキューズを表面的なスタイルにとっておいて、しかも結論ではあたかも無自覚に馬鹿なことを言っているかのように見せ、「ハナシにならんな」と鼻で笑わせておく。しかし、内田が一番やりたいことは、その結論の馬鹿馬鹿しさ(失敬!)にすら気づかない層もふくめた幅広い読者たちが、結論以外の「一理あるな」と思わされる部分等をもとに疑問や想像を膨張させて「既に決着済み」とされていることにも再考を始める、そういう「揺さぶり」に狙いがあるのではないか。たとえそれが完全に自覚的ではないにしても、それこそ筆者が繰り返し引いているレヴィストロース言うところの「野生の思考」に通じるではないか。内田樹、おそるべし。しかし、それでも結局この人のしていることは「ネガティヴ・キャンペーン」の域を出ない現状批判であって、具体的な対案は何一つ示されない。それで星1つ減らして、4つです。
5つ星のうち 3.0 ちょっとした「不満」, 2007/10/3
レビュー対象商品: ためらいの倫理学―戦争・性・物語 (角川文庫) (文庫)
この人はいつもチクチクとフェミニズムに対する嫌悪感を表しますがあまり賢明とは思えません。正義を御旗にし応答しない不正を声だかに糾弾するというイメージがあるようですが、フェミニズム理論からすれば貧困なイメージだといわざるを得ない。そういう人もいることは否定しませんが(よくメディアに出るし)
彼がそういうイメージを再生産する言説を吐き続けることでかえってそういう貧困なフェミニズム像を本当のフェミニズムだと勘違いする人が増えてしまうように思えます。フェミ倫理学のひとつ「ケアの倫理」などは彼の好きなレヴィナスのそれにだいぶ近いと思いますが。
5つ星のうち 2.0 キレがいいというより、見かけだけ重そうな感じ,
レビュー対象商品: ためらいの倫理学―戦争・性・物語 (角川文庫) (文庫)
内田の本はこれで2冊目だけど、正直言って今回はダメ。古いので、今は彼も変身しているかもしれないが、なんといっても鈍牛のようなキレの悪さ。かといってずっしりとした重厚な論理展開もない。上野千鶴子は別格としても、フェミニズムなんて、論破したり解説するのではなく、無視すればいいのではないか。他の論文も、「よくいろいろと読んでますね」という感じだけで、別段これといったキレはない。
でも、もう少し彼のことは見守っていきたい、というところか。
5つ星のうち 5.0 感動!内田樹フアンになっちゃうよ!, 2004/1/12
レビュー対象商品: ためらいの倫理学―戦争・性・物語 (角川文庫) (文庫)
買って。いいから。黙って。感動しました。とにかく面白い。値段も安いし、買って損はしない一冊です。欠点は、タイトルがつまらないことです。『バカの壁・・改訂版』とでもすればよかったのに。
15:45 2014/04/19
よう
内田樹内田 樹生誕1950年9月30日(63歳)日本の旗 日本・東京都
時代20世紀の哲学21世紀の哲学 地域日本哲学
学派フランス現代思想研究 研究分野
倫理学、人間学社会思想文学、文芸評論、文学理論
公式サイト内田樹の研究室 テンプレートを表示
内田 樹(うちだ たつる、1950年9月30日 - )は、日本の哲学研究者、思想家、倫理学者、武道家、翻訳家、神戸女学院大学名誉教授。東京大学文学部卒業。東京都立大学大学院人文科学研究科修士課程修了。学位は修士(東京都立大学・1980年)。
目次 [非表示]
1 経歴 1.1 政治的な立場
1.2 護憲派としての側面
1.3 保守的側面
1.4 教育問題における立場
1.5 愛国心及び君が代起立問題
1.6 格差社会論批判
1.7 学力低下論
1.8 「地球温暖化で何か問題でも?」
2 ブログ
3 著書 3.1 単著
3.2 共著・編著
3.3 翻訳
3.4 ダウンロード・コンテンツ
3.5 USTREAMアーカイブ
4 脚注5 外部リンク経歴[編集]
東京都大田区下丸子に生まれ育つ(父は、満鉄、戦時中は政府機関に所属した。戦後、サラリーマンを経て会社を経営し、日中友好協会にも関わった)。1963年に大田区立東調布第三小学校を、1967年に大田区立矢口中学校を卒業。1966年、東京都立日比谷高等学校に進むが、高校2年で成績が学年最下位になり、のち品行不良を理由に退学処分を受け、ジャズ喫茶でアルバイトをする。しかし家賃も捻出できず、親に謝罪し家に戻った。
大学入学資格検定を経て1969年、東京大学入試中止の年に京都大学法学部の入学試験に失敗。1年間の浪人生活を経て、1970年に東京大学文科III類に入学し、1975年文学部仏文科を卒業。指導教官は菅野昭正。
大学時代、畏友竹信悦夫から多大な影響を受けてレヴィナスの研究を志し、東京都立大学大学院に進む。大学院生時代には友人の平川克美とともにまず学習塾を、ついで平川を社長とし自身は取締役として翻訳会社「アーバン・トランスレーション」を経営して成功を収める。1980年東京都立大学大学院人文科学研究科修士課程修了。指導教官は足立和浩。1982年4月東京都立大学人文科学研究科博士課程を中退し、東京都立大学人文学部助手となり、1990年から神戸女学院大学文学部助教授[1]。同・総合文化学科教授。私生活では、1989年、一人娘の内田るん[2]をひきとって離婚した。2009年、大倉流小鼓方能楽師の高橋奈王子と再婚[3]。2010年7月から2012年11月まで平松邦夫大阪市長のもとで特別顧問に就任[4]。2011年4月、第3回伊丹十三賞[5]。
2011年に同大学教授を退職し、同大学名誉教授。合気道7段、居合道三段、杖道三段の武道家でもあり、神戸女学院大学合気道部顧問を務める。専門はフランス現代思想、ユダヤ人問題から映画論や武道論まで幅広く、同年11月に東灘区のJR住吉駅前に道場兼能舞台の「凱風館」が完成した[6]。
政治的な立場[編集]
自民党と公明党による連立政権である安倍内閣に対して、独裁[7]という強い表現を使って反対の立場を表明している。日本共産党に対して機関紙『赤旗』のインタビューで、「マルクスの教えのもっとも本質的なところ、すなわち「ものごとを根底的にとらえる」という意味でラディカルな政党であってほしい」と期待を表明している[8]。
護憲派としての側面[編集]
護憲派であり、共著『9条どうでしょう?』で独自の護憲論を展開した。『すばる』2007年1月号で高橋源一郎、矢作俊彦と対談した際、矢作が、有事に現自衛隊法では自衛隊員は銃を撃つこともできない、こういった「あいまいさ」は関東軍と同様で危険だ、という意見に対し、日本人は原理原則が行動原理ではないので、憲法もあいまいなままでよい、という立場を主張した。
保守的側面[編集]
初期の著作より一貫して、自身の経験とレヴィナスの思想をもとにマルクス主義批判(マルクス批判ではない)、学生運動批判、フェミニズム主義批判(フェミニズム批判ではない)を行なっている。『敗戦後論』を巡る中道派の加藤典洋と左派の高橋哲哉との論争に関して、加藤に対するシンパシーを、一方高橋に対しては強い違和感を表明している。ただし、『諸君!』、『正論』やネット右翼に対しては批判的である[9]。
教育問題における立場[編集]
教育/学習については、その効果は予見的に測定不可能である、との立場をとっている。「事後的に有用性が明らかになるモノを先見的に拾っておく」感性について繰り返し述べており、「その教育/学習はどのような効果が見込まれるのか」という問いを厳しく批判している。この観点から、アウトプットの定量を要求する経営主義的な学校運営に反対している。
教育行政については、一貫して政治や政治家は教育に関わるべきではないとする立場をとっている。それは学校教育という制度が非常に惰性の強い制度であって急激な変更はなじまないと考えている。つまり政治家が替わるごとに教育に急激な変化が起こるのは決して良いものではないという考えである。大阪市長特別顧問に就任した際の記者会見において平松市長に対してこう述べている。「私が市長にお願いしたいことが一つあります。一つだけです。それは地方自治体の首長は教育行政に関与して欲しくないということです[10]」。この“政治が教育行政に関わりすぎるべきではない”という点において、大阪維新の会の教育政策には批判的である[11]。
公立中学校での武道の必修化について
公立中学校での武道の必修化については内田樹は反対の立場である[12]。それは、その目的が礼節や愛国心を身につけるためという功利的なものだからである。礼儀正しく振る舞うのは手段であり目的ではない、武道の必修かでは手段と目的が逆転しており武道に対する敬意を欠いている、と主張する。
愛国心及び君が代起立問題[編集]
国家は私事であり擬制であるという意味で幻想である、という考えである[13]。本質的に恣意的な構築物である国家に服従を強制すべきできないと考えている。その恣意的な「つくりもの」の国家を遠い昔からそこにあった自然物のように敬うことができるというのは市民的成熟の一つであるとする。そのため、国旗国歌に対して敬意を抱けない人間はただ市民的未成熟の段階にあり、彼らに起立などを強制し、それに反するものは処罰をするということに反対している[14]。
格差社会論批判[編集]
格差社会論を一貫して批判し続けている。格差社会は裏返せば拝金主義であり、金のことなど気にしなければ良い、と主張している[15]。
特に内田が問題視するのは朝日新聞の「ロスト・ジェネレーション」論を始めとする、「ロスト・ジェネレーション」と「団塊の世代」の世代間格差を問題視する論であり、内田は格差社会論は全てこのような「資源の不当な収奪への異議申し立て」であると定義し[16]、こうした議論については徹底的な批判を加えている。その論法は教育論におけるそれと同様、「ロスト・ジェネレーション」の内面が「ロスト・ジェネレーション」の問題を創り出しているというものである[17]。
学力低下論[編集]
同学齢集団内の競争というシステムが、「他人のパフォーマンスを下げる」という相対優位の戦略を取らせると主張している。学力低下問題では大学の入学定員の多さが学力低下の一因であるという指摘を認めず、逆に「大学教育によって高校までの教育の不完全さを補っているのだ」との論陣を張った[18]。ただ、教育問題については、以前は現場の教員の指導能力に教育問題の元凶を求める論調が強かったが、講演会などによって現場の教員との交流が始まった後は、むしろ教育行政や保護者・児童・生徒の教育観を問題視する立場にシフトしている。教育行政がリアリスティックに「勉強すれば金になる」というイデオロギーによって政策を決定し、それを親も教師もメディアも政治家も賛同しているからであると主張する[19]。安倍政権が成立させた教育関連三法案には断固反対の態度を貫いた他、中央教育審議会や文部科学省の施策には批判的ことが多い。因みに、自身は博士号・Dr.・Ph.D等は、有していない。
「地球温暖化で何か問題でも?」[編集]
内田は、地球温暖化問題については、池田清彦の説に依拠し、大気中の二酸化炭素濃度上昇と温暖化の関係は実証されていないと考えている。やがて地球は再び氷河期に向かうのでそれほど怯えていない、という意味のことをブログで述べている。現在の温暖化問題は、「現状と違うこと」が起こると困る「政府」が必要以上に騒いでいるだけかもしれない、と主張している[20]。
ブログ[編集]
「内田樹の研究室」というブログを運営している。著書の多くは、このブログのテキストを編集者がテーマ別に編集したものである。
『ためらいの倫理学』など初期の著作は、ブログに移行する前にサイト(1998年開設)に掲載された文章が収録されている。『ためらいの倫理学』は、編集者(冬弓舎の内浦亨)が内田のサイトのテキストを発見したことから刊行された(初版は1200部であった)。
かつては、ブログにはコメント機能が設けられており、しばしば主張への批判や反論も書き込まれていたが、本人からの反批判や再反論は少なかった。これについて内田は、「どちらが正しいかは読んだ人の判断に任せる」との立場を取っていた。
内田の著書の多くは、ブログの再編集により成り立っているため、類似のエピソードないしは同じ主張が複数の本に採録されている。内田は、このことについて、名人落語家の十八番(5代目古今亭志ん生の「火焔太鼓」)のようなものと主張している[21]。特に映画「エイリアン」についてフェミニズム論、映画論などテーマを変えて何度も論じているが、これも火焔太鼓のようなものと述べている[22]。
「書くことの目的が生計を立てるではなく、一人でも多くの人に自分の考えや感じ方を共有してもらうこと」との考えから、ネット上での公開物については「著作権放棄」の考えを示しており、剽窃での出版すら容認する発言をしている[23]これはロラン・バルトの「作者の死」に着想を得ていると思われる[24]。一方、講演については謝礼が必要(ノーギャラは仕事の価値を認めていない)としている[25]。
コラムニストの加藤嘉一によると、現代日本人を理解するテキストとして、中国の大学では、ルース・ベネディクト著『菊と刀』とともに『日本辺境論』が親しまれているという[26]。内田は、はじめから中国や韓国の読者に読まれることを前提として、本書を書したと述べている。
01 『ためらいの倫理学』 冬弓舎 2001年 ISBN 4925220020 角川文庫 ISBN 4043707010
02 『レヴィナスと愛の現象学』 せりか書房 2001年 ISBN 4796702369 文春文庫 ISBN 4167801485
03 『「おじさん」的思考』 晶文社 2002年 ISBN 4794965303 角川文庫 ISBN 4043707053
04 『期間限定の思想―「おじさん」的思考2』 晶文社 2002年 ISBN 4794965494 角川文庫 ISBN 4043707061
05 『寝ながら学べる構造主義』 文春新書 2002年 ISBN 4166602519
06 『女は何を欲望するか?』 径書房 2002年 ISBN 4770501803 角川oneテーマ21 ISBN 4047100900
07 『子どもは判ってくれない』 洋泉社 2003年9月 ISBN 4896917596 文春文庫 ISBN 978-4167679910
08 『映画の構造分析』 晶文社 2003年 ISBN 4794965753 文春文庫 ISBN 4167801256
09 『私の身体(からだ)は頭がいい』 新曜社 2003年5月 ISBN 4788508478 文春文庫 ISBN 4167717441
10 『疲れすぎて眠れぬ夜のために』 角川書店 2003年5月 ISBN 4048838199 角川文庫 ISBN 4043707037
11 『他者と死者』 海鳥社 2004年 ISBN 4874154980 文春文庫 ISBN 4167801493
12 『死と身体』 医学書院 2004年 ISBN 4260333666
13 『街場の現代思想』 NTT出版 2004年 ISBN 4757140754 文春文庫 ISBN 4167717735
14 『知に働けば蔵が建つ』 文藝春秋 2005年 ISBN 4163677003 文春文庫 ISBN 4167753138
15 『街場のアメリカ論』 NTT出版 2005年 ISBN 475714119X 文春文庫 ISBN 4167773686
16 『先生はえらい』 ちくまプリマー新書 2005年1月 ISBN 4480687025
17 『私家版・ユダヤ文化論』 文春新書 2006年 ISBN 4166605194 第6回小林秀雄賞受賞
18 『態度が悪くてすみません』 角川oneテーマ21 2006年 ISBN 4047100323
19 『狼少年のパラドクス』 朝日新聞出版 2007年2月 ISBN 4023303771 改題『街場の大学論』角川文庫 2010年10月 ISBN 4043707045
20 『下流志向』 講談社 2007年 ISBN 4062138271 講談社文庫 ISBN 4062763990
21 『村上春樹にご用心』 アルテスパブリッシング 2007年 ISBN 4903951006
22 『もういちど村上春樹にご用心』 2010年 ISBN 4903951375 『村上春樹にご用心』の増補版の色が濃く、同書と重複する文章が多い。
23 『街場の中国論』 ミシマ社 2007年6月 ISBN 4903908003 増補版 ミシマ社 2011年2月 ISBN 4903908259
24 『ひとりでは生きられないのも芸のうち』 文藝春秋 2008年 ISBN 4163696903 文春文庫 ISBN 4167801159
25 『昭和のエートス』 バジリコ 2008年 ISBN 4862381189 文春文庫 ISBN 4167838087
26 『こんな日本でよかったね』 バジリコ 2008年 ISBN 4862380964 文春文庫 ISBN 4167773074
27 『街場の教育論』 ミシマ社 2008年11月 ISBN 4903908100
28 『日本辺境論』 新潮新書 2009年 ISBN 4106103362 2010年度新書大賞受賞
29 『邪悪なものの鎮め方』 バジリコ 2010年1月 ISBN 486238160X 文春文庫 ISBN 4167900157
30 『街場のマンガ論』 小学館 2010年4月 ISBN 4778037170 小学館文庫 ISBN 9784094060218
31 『街場のメディア論』 光文社新書 2010年8月 ISBN 4334035779
32 『武道的思考』 筑摩選書 2010年10月 ISBN 4480015078
33 『最終講義』 技術評論社 2011年6月 ISBN 4774147095
34 『うほほいシネクラブ 街場の映画論』 文春新書 2011年 ISBN 4166608266
35 『呪いの時代』 新潮社 2011年11月 ISBN 4103300116
36 『街場の読書論』 太田出版 2012年4月 ISBN 4778312880
37 『僕の住まい論』 新潮社 2012年7月 ISBN 4103300124
38 『街場の文体論』 ミシマ社 2012年7月 ISBN 4903908364
39 『修業論』 光文社新書 2013年7月 ISBN 4334037542
40 『内田樹による内田樹』 140B 2013年9月 ISBN 4903993183
41 『街場の憂国論』 晶文社 2013年10月 ISBN 4794968116
01 『映画は死んだ』 松下正己 いなほ書房 1999年 ISBN 479520599X 新版
ISBN 4434034871
02 『現代思想のパフォーマンス』 難波江和英 松柏社 2000年 ISBN 4881989324 光文社新書
ISBN 433403277X
03 『大人は愉しい』 鈴木晶 冬弓舎 2003年 ISBN 4925220063 ちくま文庫
ISBN 4480423559
04 『東京ファイテイングキッズ』 平川克美 柏書房 2004年 ISBN 4760126252 朝日文庫
ISBN 4022615311
05 『14歳の子を持つ親たちへ』 名越康文 新潮新書 2005年 ISBN 4106101122
06 『身体(からだ)の言い分』 池上六朗 毎日新聞社 2005年 ISBN 4620317314
07 『健全な肉体に狂気は宿る』 春日武彦 角川oneテーマ21 2005年 ISBN 4047100064
08 『いきなりはじめる浄土真宗―インターネット持仏堂1』 釈徹宗 本願寺出版社 2005年 ISBN 4894167778 角川ソフィア文庫
ISBN 4044089043
09 『はじめたばかりの浄土真宗―インターネット持仏堂2』 釈徹宗 本願寺出版社 2005年 ISBN 4894167786 角川ソフィア文庫
ISBN 4044089051
10 『東京ファイティングキッズ・リターン』 平川克美 バジリコ 2006年 ISBN 4862380344 文春文庫
ISBN 4167773376
11 『身体(からだ)を通して時代を読む―武術的立場』 甲野善紀 バジリコ 2006年 ISBN 4862380034 文春文庫
ISBN 4167773988
12 『身体知―身体が教えてくれること』 三砂ちづる バジリコ 2006年 ISBN 4862380050 講談社プラスアルファ文庫
ISBN 4062813947
13 『9条どうでしょう』 小田嶋隆
平川克美
町山智浩 毎日新聞社 2006年 ISBN 4620317608 ちくま文庫
ISBN 4480429948
14 『逆立ち日本論』 養老孟司 新潮選書 2007年 ISBN 4106035782
15 『合気道とラグビーを貫くものー次世代の身体論』 平尾剛 朝日新書 2007年 ISBN 4022731648
16 『大人のいない国 成熟社会の未熟なあなた』 鷲田清一 プレジデント社 2008年 ISBN 4833418886 文春文庫
ISBN 4167838540
17 『橋本治と内田樹』 橋本治 筑摩書房 2008年 ISBN 4480814981 ちくま文庫
ISBN 4480428488
18 『現代霊性論』 釈徹宗 講談社 2010年 ISBN 4062159546 講談社文庫
ISBN 4062775166
19 『現代人の祈り-呪いと祝い』 釈徹宗
名越康文 サンガ 2010年 ISBN 4904507592 サンガ新書
ISBN 4904507975
20 『おせっかい教育論』 鷲田清一
釈徹宗
平松邦夫 140B 2010年 ISBN 4903993108
21 『沈む日本を愛せますか』 高橋源一郎 ロッキング・オン 2010年 ISBN 4860520939
22 『どんどん沈む日本をそれでも愛せますか?』 2012年 ISBN 4860521080
23 『若者よ、マルクスを読もう』 石川康宏 かもがわ出版 2010年6月 ISBN 4780303605 角川ソフィア文庫
ISBN 4044086125
24 『大津波と原発』 中沢新一
平川克美 朝日新聞出版 2011年5月 ISBN 4022508744
25 『身体で考える。』 成瀬雅春 マキノ出版 2011年6月 ISBN 4837671594
26 『橋下主義(ハシズム)を許すな!』 山口二郎
香山リカ
薬師院仁志 マキノ出版 2011年11月 ISBN 482841651X
27 『原発と祈り』 名越康文
橋口いくよ メディアファクトリー 2011年12月 ISBN 4840143269
28 『嘘みたいな本当の話 日本版ナショナル・ストーリー・プロジェクト』 高橋源一郎共選、浅井愛編 イースト・プレス 2011年6月 ISBN 4781606237
29 『嘘みたいな本当の話 みどり 日本版ナショナル・ストーリー・プロジェクト』 2012年6月 ISBN 4781608000
30 『日本の文脈』 中沢新一 角川書店 2012年1月 ISBN 404110078X
31 『辺境ラジオ』 名越康文
西靖 140B 2012年9月 ISBN 4903993132
32 『荒天の武学』 光岡英稔 集英社新書 2012年12月 ISBN 4087206718
33 『評価と贈与の経済学』 岡田斗司夫 徳間書店 2013年2月 ISBN 4198635676
34 『大人の作法』 名越康文
橋口いくよ メディアファクトリー 2013年3月 ISBN 4840151261
35 『脱グローバル論』 中島岳志
小田嶋隆 他 講談社 2013年6月 ISBN 4062184273
36 『聖地巡礼 ビギニング』 釈徹宗 東京書籍 2013年8月 ISBN 4487806380
37 『能はこんなに面白い!』 観世清和 小学館 2013年9月 ISBN 4093883114
ムック・アンソロジー
『生きる意味を教えてください-命をめぐる対話』 田口ランディ他 バジリコ 2008年 ISBN 4862380727
『この国はどこで間違えたのか』 小熊英二他 徳間書店 2012年11月 ISBN 4198635099
翻訳[編集]
1.レヴィナス『困難な自由―ユダヤ教についての試論』(国文社 1985年、抄訳)ISBN 9784772000925 改訳版、国文社、2008年、ISBN 4772005242
2.レヴィナス『超越・外傷・神曲―存在論を超えて』合田正人共編訳(国文社 1986年)
3.ノーマン・コーン『シオン賢者の議定書(プロトコール)―ユダヤ人世界征服陰謀の神話』(ダイナミックセラーズ 1986年)
4.レヴィナス『タルムード四講話』(国文社 1987年)
5.ジェフリー・メールマン『巨匠たちの聖痕―フランスにおける反ユダヤ主義の遺産』(国文社 1987年)
6.ベルナール=アンリ・レヴィ『フランス・イデオロギー』(国文社 1989年)
7.レヴィナス『タルムード新五講話―神聖から聖潔へ』(国文社 1990年)
8.レヴィナス『暴力と聖性―レヴィナスは語る』(国文社 1991年)
9.レヴィナス『モーリス・ブランショ』(国文社 1992年)
10.サロモン・マルカ『レヴィナスを読む』(国文社 1996年)
11.レヴィナス『観念に到来する神について』(国文社 1997年)
12.『ユダヤ教―過去と未来』R.アロン,A.ネエール,V.マルカ(ヨルダン社 1998年)
13.コリン・デイヴィス『レヴィナス序説』(国文社 2000年)
14.『ヒチコック×ジジェク』スラヴォイ・ジジェク編 鈴木晶共訳(河出書房新社 2005年)
ダウンロード・コンテンツ[編集]
『京都大学集中講義2005』(音声資料:http://eau.jp/)
ラジオデイズ「内田樹」
USTREAMアーカイブ[編集]
内田樹・平川克美の、たぶん月刊「はなし半分」 ラジオデイズ(2011.8.17配信)
内田樹・中沢新一・平川克美「いま、日本に何が起きているのか」 ラジオデイズ(2011.4.5配信)
後に『大津波と原発』中沢新一,平川克美(朝日新聞出版 2011年)として出版される。
脚注[編集]
特記なき物は全て本人ブログ。
1.^ 内田樹おもいつき的研究史
2.^ ラヴラヴ企画のブログ(内田るんのブログ)
3.^ 刻々是好刻(大倉流小鼓方十六世宗家大倉源次郎公式ブログ)
4.^ 内田 樹氏を市長特別顧問に委嘱します 大阪市公式ホームページ
5.^ 伊丹十三賞に内田樹氏 時事通信2011年4月21日
6.^ みんなの家。(「凱風館」建設の記録) - ほぼ日刊イトイ新聞(設計者の光嶋裕介が「建築家一年生の初仕事」として刊行。(ISBN 978-4903951560))
7.^ これを「独裁」と呼ぶのです。 しんぶん赤旗日曜版 2014年3月16日
8.^ しんぶん赤旗 2013年5月31日
9.^ 特にネット右翼や行動する保守に対しては「自称情報強者だが、その実態は自分の見たくない・知りたくない情報は全て陰謀論の名の下に切り捨て、同様のジャンク情報だけが集まる場に入り浸る情報難民」と評している。朝日新聞2011年9月13日「私の紙面批評」。
10.^ 平松さんの支援集会で話したこと
11.^ 平松さんの支援集会で話したこと 今日は維新の会が提案した教育基本条例案の理論的な難点を指摘していきたいと思っていますが、最大の問題点は、この条例案は「学校教育というのは非常に惰性の強いシステムであって、頻繁な変更になじまない」という現場の人間にとっての常識を理解していないということです。
12.^ 潮 2013年2月号「親と子の居場所はどこにあるのか」84頁。
13.^ 「リアリスト」に未来はあるか?
14.^ 「リアリスト」に未来はあるか?
15.^ 「格差社会って何だろう」
16.^ 格差社会論(再録)参照。湯浅誠など、世代間格差に言及しない形で格差社会論を展開している論者についての内田の評価は不明。
17.^ 「東京でお仕事」
18.^ 「一億総学力低下時代」
19.^ 利益誘導教育の蹉跌 日本の子どもたちが学習意欲を失ったのは、「勉強すれば、金になる」という利益誘導のロジックが学校教育を覆い尽くしたせいである。親たちも、教師たちも、メディアも、政治家も、みんな同じことを言った。
20.^ 「地球温暖化で何か問題でも?」
21.^ 「生きて迎えた夏休み」
22.^ 本人著『映画の構造分析―ハリウッド映画で学べる現代思想』晶文社、p10-11
23.^ 「書物について」
24.^ 『寝ながら学べる構造主義』P131 文春新書、2002年発行
25.^ 「配偶者の条件」
26.^ 加藤嘉一の「だったら、お前がやれ!Ⅱ」思考停止のニッポンをぶった切る
外部リンク[編集]
内田樹の研究室
内田樹の研究室(2010年6~10月の日記)
内田樹の研究室 旧ホームページ
京都大学集中講義2005
内田樹 (levinassien) - Twitter
内田樹&名越康文の辺境ラジオ
ラジオデイズ「内田樹」
凱風館
典拠レコード: NDL: 00158777 | VIAF: 108319924 | LCCN: nr2002024227 | WorldCat: LCCN連携
15:24 2014/04/19
内田 樹・1950(昭和25)年東京都生まれ。東京大学文学部仏文科卒。現在、神戸女学院大学文学部総合文化学科教授。専門はフランス現代思想。ブログ「内田樹の研究室」を拠点に武道(合気道六段)、ユダヤ、教育、アメリカ、中国、メディアなど幅広いテーマを縦横無尽に論じて多くの読者を得ている。『私家版・ユダヤ文化論』(文春新書)で第六回小林秀雄賞受賞、『日本辺境論』(新潮新書)で第三回新書大賞を受賞。二〇一〇年七月より大阪市特別顧問に就任。近著に『沈む日本を愛せますか?』(高橋源一郎との共著、ロッキング・オン)、『もういちど村上春樹にご用心』(アルテスパブリッシング)、『武道的思考』(筑摩選書)、『街場のマンガ論』(小学館)、『おせっかい教育論』(鷲田清一他との共著、140B)、『街場のメディア論』(光文社新書)、『若者よ、マルクスを読もう』(石川康宏との共著、かもがわ出版)などがある。
内田 樹の著書
寝ながら学べる構造主義 (文春新書) 内田 樹 (2002/6)
¥ 745 新書
下流志向〈学ばない子どもたち 働かない若者たち〉 (講談社文庫) 内田 樹 (2009/7/15)
邪悪なものの鎮め方 (文春文庫) 内田 樹 (2014/1/4)
その他のフォーマット: 単行本(ソフトカバー)
街場の教育論 内田 樹 (2008/11/15)
日本辺境論 (新潮新書) 内田 樹 (2009/11)
¥ 799 新書
先生はえらい (ちくまプリマー新書) 内田 樹 (2005/1)
街場のメディア論 (光文社新書) 内田 樹 (2010/8/17)
¥ 799 新書
態度が悪くてすみません ――内なる「他者」との出会い (角川oneテーマ21) 内田 樹 (2014/3/20)
ためらいの倫理学―戦争・性・物語 (角川文庫) 内田 樹 (2003/8)
レヴィナスと愛の現象学 (文春文庫) 内田 樹 (2011/9/2)
疲れすぎて眠れぬ夜のために (角川文庫) 内田 樹 (2007/9/25)
ひとりでは生きられないのも芸のうち (文春文庫) 内田 樹 (2011/1)
私家版・ユダヤ文化論 (文春新書) 内田 樹 (2006/7)
現代思想のパフォーマンス (光文社新書) 難波江 和英、 内田 樹
街場のアメリカ論 (文春文庫) 内田 樹 (2010/5/7)
街場の現代思想 (文春文庫) 内田 樹 (2008/4/10)
健全な肉体に狂気は宿る―生きづらさの正体 (角川Oneテーマ21) 内田 樹、
15:16 2014/04/19