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2014年3月21日 (金)

役人よ驕るな [単行本] 山本 峯章 (著) 内容政治家の怠慢と官僚の思い上がり、日本政府と中央官庁がいかに日本と日本人の利益を損ねてきたか、その過程・構造を徹底解明する。

引用

官に組み伏せられた政治家・13頁、12710 17時40分28秒、ところが竹下以降、政治家が利権屋に成り下がって国家運営を官僚に任せてしまった。竹下はこう言い放った。「むずかしい政治向きのことは東大でのお役人に任せておきゃいいがな」田中角栄が「県会議員並み」と評したとおりの人であった。このときから日本は官導型政治へとまっさかさま。プラザ合意からバブル経済、バブル崩壊から平成大不況へと、日本を導いたのは、霞ガ関のお役人、特に旧大蔵省だった

 

 

 鹿児島は変われない、官僚の知事では?!

 

役人よ驕るな [単行本] 山本 峯章 (著) 内容政治家の怠慢と官僚の思い上がり、日本政府と中央官庁がいかに日本と日本人の利益を損ねてきたか、その過程・構造を徹底解明する。

 

 

政治家の怠慢と官僚の思い上がり、日本政府と中央官庁がいかに日本と日本人の利益を損ねてきたか、その過程・構造を徹底解明する。「国家の犯罪」、その病根を抉り出し、日本の明日を考え創る処方箋。

 

 

単行本: 238ページ 出版社: 光人社 (2004/06) 発売日: 2004/06

 

目次

 

序章 なぜ役人が国を滅ぼすのか(複式簿記を知らない悲劇、12/7/7 21時47分16秒

 

 

複式簿記を知らない悲劇・10頁、

 

 

お役人とサラリーマン。あるいは自営業。見ただけでは判然とは区別がつきかねる。同じ勤め人だが、まったく地がつた世界に生きているということをご存じであろうか。民間会社はつぶれるが、「親方日の丸」の官庁は絶対に潰れない。万一、潰れたら国債はタダの紙屑に。だが、決してそんなことにはならない。

サラリーマンとお役人がちがうというのは、そのことではない。潰れない会社なら民間にもある。例えばトヨタや新日鉄なら、まず間違いない。ならばトヨタや新日鉄の社員はお役人と変わらないか。

全然違う。どこが違うのか。複式簿記の有無。サラリーマンは、儲かるか儲からないか、日夜、そのことばかりに頭を痛めている。売り方と買い方。原価計算やら経費。リストラの悲劇もそこから生まれる。利益が出なければ首まで飛んでしまうのが複式簿記の世界を生きる、厳しいビジネスマンの世界なのである。

 

 

11頁、12/7/8 16時7分34秒、

 

 

ところがお役人は、複式簿記とは縁がない。儲かるか儲からないかなど、民間人の出来事。お役人は、予算を分捕り、縄張りを決め権限を振り回すだけ。リストラや夜逃げ、貸し渋り倒産に苦しむ巷のうめき声が、たとえ耳に入っても、一向に実感がわかない。住んでいる世界が違うから「何のこっちゃ」と涼しい顔をしている。お役人とサラリーマン、自営業の方々は、それぞれ全く違った世界に住んでいるという意味、おわかりいただけるであろうか。

 

 

共産主義も日本の役所と同じ、「単式簿記」・・だから潰れてしまった。

 

 

簿記が違えば価値観も異なる。サラリーマン、自営業の方々は、誠実さや信用、勤勉、日々の研鑽を怠らない。働くということを通じて「人の道」を学ぶ。だから民間が元気なときは世の中が穏やかで安定している。

 

 

努力や勤勉、誠実さが美徳とされる時代には、常識や良識が通用するものである。M・ウェーバーが「資本主義の精神」と言ったのがこれである。日本式に言えば「経営者の精神」というべきか。土光敏夫さんは贅沢をきらい、メザシかじっていたという。商道という。ゼニ儲けが人生哲学となっていたのである。本屋にサラリーマンのためのガイドブックがずらりと並んでいる。有能なビジネスマンでなければ生き残れないからである。

 

 

ところが、お役人のためのハウツー本など見たことがない。論功行賞がない、能力給がないという以上に、お役人は、絶対に首にならないからだ。したがって切磋琢磨して自分を磨こう、などという気にはなかなかなれない。

 

 

12頁、12/7/8 16時34分40秒、

 

いったん採用になると、国家公務員任用試験の内容によって給与から退官時の身分、退職金までがだいたいきまっている。儲かるか、儲からないかどころか、よく働いたかどうかも問われない。

 

1種、2種、3種、キャリアとノンキャリア、などの身分ですべてがあらかじめ決められている。昔の中国の「科挙」や悪名高かった旧ソ連の、あの共産党官僚制度のようなものですな。

 

国家公務員に「労働論理」がそなわらないのはそのせい。

 

 

週刊文春の「公務員の仕事は暇すぎる!?」というシリーズ企画が大評判だった。毎週、お役人の勤務中のサボり、昼寝、過分な休息やらサボタージュ、息抜き、私用外出、テレビで野球観戦、勤務中の無駄話などの実態が写真でつぶさにレポートされていた。だが、よくもまあと呆れるのは民間人の常識、彼らにとってそれが当たり前なのである。

 

 

お役人の常識は、我々の常識とはかけ離れている。価値観の違いの一例が、先に述べた複式簿記。借方、貸方の感覚に成れているサラリーマンや自営業者は、善悪や適・不適を知らず知らずに仕分けしている。

 

 

民間人が一般常識を外れないのは、この複眼的な思考のせい。

 

 

ところがお役人は「単式簿記」、つまり単眼的な視点で世間を眺める癖がついている。権威主義、省益主義、秘密主義、前例主義、法令主義と挙げてゆけばきりがないが、せんじ詰めていえば、いわゆる官僚主義という血も涙もない、ガチガチ頭。

 

冷血主義、という風にも言えますな。

 

 

これでは到底、世間の事情を読み取ることは出来ない。そのお役人が、下は市町村の行政・許認可から、上は霞ガ関の政治の中枢にいたるまでを一手に牛耳っている。民間人は利益追求、お役人は権限の拡大が行動原理。その権限主義が日本という資本主義国家の中で果たしたうまく機能するものかどうか。

 

 

13頁、12/7/9 6時7分51秒、

2012年7月9日 6:15:30

13頁、12/7/9 6時7分51秒、

うまくいくわけがない。バブル以前まで日本が上り坂に立っていたのは、役人がたの役人でしかなかったから。お役人という特殊な人々があまり大きな力を持っていなかったから政や民が自由にふるまえた。官史が公僕として民間、つまり政治に仕えてこそ(政・官・民)の歯車がうまく回る。

これが近代の「契約社会論」と言ってよい。

政は民の代表。その政が官を仕切ってこそ、国家権力である官と民が対等の立場に立てる。政治家=権力などという話にはのらないほうがいい。政治家は、選挙に落ちたらただの人。権力を持っている政治家を倒せ、というのは普通選挙法がなかった中世の発想・・これをマルクス主義者が反政府運動のスローガンに使った。

 

 

政は民の代表ということをゆめゆめ忘れてはなるまい。政治がダメになったら、日本は、共産党や労働党の一党独裁の、旧ソ連や中国、北朝鮮のような「官僚」国家になってしまいますぞ。

13頁、12/7/10 17時34分39秒、

官に組み伏せられた政治家・13頁、12710 17時40分28秒、ところが竹下以降、政治家が利権屋に成り下がって国家運営を官僚に任せてしまった。竹下はこう言い放った。「むずかしい政治向きのことは東大でのお役人に任せておきゃいいがな」田中角栄が「県会議員並み」と評したとおりの人であった。このときから日本は官導型政治へとまっさかさま。プラザ合意からバブル経済、バブル崩壊から平成大不況へと、日本を導いたのは、霞ガ関のお役人、特に旧大蔵省だった。

14頁、12/7/10 17時46分20秒、

 

 

エイズ薬害の厚生省や外務省スキャンダルをお忘れではあるまい。日本はいつのまにか役人が舵を取る、役人の国になっていたのである。

 

これがこの十数年、日本がダメになっていった理由。

 

失われた十年、とも言われる。

 

角栄失脚以降、マスコミに叩かれっ放しの永田町が徐々に力を失っていったのに対して、霞ガ関は勢力範囲を広げ、ついに政治の全領域を支配するに至った。政治家はどこへ行ったのか。

 

選挙と利権で目一杯。とても政治まで手は回らない。

 

ゆとり教育の文科省、人権主義の法務省、男女共同参画法の内閣府をあげるまでもなく、役人がじわじわと民間の中に入り込むとそこがたちまち腐ってゆく。人間や世間を知らない官史が権限を拡大させるほどに日本は、ダメに国になってゆく。

 

「ベルリンの壁」が崩壊したのと全く逆。

 

今日ソ連や東欧からマスクす主義と一緒に悪名高き「官僚体制」が消えた。共産党官僚という、とてつもない怪物が消えてくれたがゆえに旧ソ連や東欧はようやく悪夢からさめることができた。

 

悪かったのは、イデオロギーではなく、官僚体制だったのだ。

 

ところが、日本では官という「ベルリンの壁」が増築中。

 

役人が国民を壁の中に押し込め、窒息寸前にしている。構造改革で規制を緩和するというが、規制はいっこうにゆるくならない。

 

弱者を守るためという。だが役人はそれを、既得権や強者を守る規制に口実にしている。日本で新規事業を始めようにも、百カ所以上の役所の窓口を回ってもラチがあかない。許認可にいたっては、既得権益者ばかりが優遇され、戦記参入者は三年も五年も待たされる。

15頁、12/7/10 18時7分17秒、

「リストラ時代」とあって人材紹介会社をおこそうにも、許認可が下りる可能性はほとんどゼロだという。

 

これじゃ新しい産業は起きない。

 

なにしろ日本の規制の数はアメリカの十倍、その不自由さと言ったら今日ソ連並み。日本の外交や経済、治安や教育が停滞している原因は、官がすべてを抑え込んでいる現在の政治体制にある。どこかで歯止めをかけなければ、この国は、旧ソ連のように本当に滅びてしまいかねない。

 

信義が通用しなくなった国は滅びるか、全体主義の強権国家になる。

 

そもそも現在にデフレ不況及び財政不安は、すべて政策上の失敗あるいは背信から生じている。「プラザ合意」によって資産経済をバブル化させ、アメリカの金融政策に与して、みずからそのバブル経済をハードランディングさせて日本経済に追い込んだのは、ほかならぬ日本政府だったのではなかったか。

 

というか、旧大蔵省と日銀。

 

国家が国民を欺いた…これが「国家の犯罪」でなくてなんだろう。

 

ところが、彼らはその過ちを認めない。

 

それどころか、経済・金融の担当相が民族資本を「IMF国際通貨基金、監理下」に組み入れることに血眼になり、首相は日本的システムを猫そげにする改革熱に浮かれ、デフレに沈没しつつある日本経済に行く末を一顧だにしない。別功で詳しく述べるが、このデフレこそが衰弱しはじめた不吉な兆し。インフレと違い、大抵の場合、デフレは政策の過ちから生じる。バブル崩壊の傷痕として残ったのが「資産デフレ」とそれにともなう「不良債権」という二つの、デフレ圧力。

 

 

16頁、12/7/10 18時25分45秒、

 

 

日本経済を窮地から救うにはデフレ・ギャップの解消しかないが、日本政府は、あろうことか経済の縮小化というデフレ政策をとり、次々と日本の企業をアメリカにくれてやろうという魂胆。日本政府は、浸水した船の船底にわざわざ穴をあけるような真似をしているのである。

 

金融・経済ばかりではない。首相みずからが自虐史観を振り回して「中・韓・朝」に土下座外交を繰り広げた挙げ句、日本は、みずからがその完成に手を貸した中・朝の核ミサイルに震え上がるというぶざまなことになっている。

 

政治の根幹である愛国心が政治家からすっぽり欠落しているんですな。

 

軍事大国の中国にはODA、北朝鮮には「不法送金」のおめこぼしとコメ援助。外務省「チャイナ・スクール」が暗躍して日本を危うくしているわけだが、それもすべて出世のため。当時の植田アジア局長は北京大使になることしか考えていなかったが、北朝鮮外交で汚点を残した田中均も、外務次官になるために国を売った。

 

祖国・民族への愛着がないから平気で国家を足蹴りにし、国益を捨てることができる。

 

出世のために国を売る。一般人には信じられないが、キャリア官僚にとってこれは当たり前。文科省の「ゆとり教育」からフェミニズムに取りつかれた内閣府・厚生労働省の「男女共同参画社会基本法」。さらには礼節なき人権主義を推し進める法務省。国民的悲願の憲法改正に強硬に抵抗する内閣及び衆参法制局…彼らが国の名誉や国益を顧みず家庭破壊、秩序破壊、文化破壊に精を出すのは、すべて出世のため。

 

金や事業の成功、名声とは縁のない彼らの出世に対する貪欲さは、比類がない。彼らはそのためだけに生きている。すべての情熱を出世にかけている。彼らが国を売るのは、けっして「魔がさした」からではない。

 

 

17頁、12/7/10 20時41分3秒、

 

 

国のことなどハナから頭にない。

官に組み伏せられた政治家・13頁、12710 17時40分28秒、ところが竹下以降、政治家が利権屋に成り下がって国家運営を官僚に任せてしまった。竹下はこう言い放った。「むずかしい政治向きのことは東大でのお役人に任せておきゃいいがな」田中角栄が「県会議員並み」と評したとおりの人であった。このときから日本は官導型政治へとまっさかさま。プラザ合意からバブル経済、バブル崩壊から平成大不況へと、日本を導いたのは、霞ガ関のお役人、特に旧大蔵省だった

 

 

 鹿児島は変われない、官僚の知事では?!

 

役人よ驕るな [単行本] 山本 峯章 (著) 内容政治家の怠慢と官僚の思い上がり、日本政府と中央官庁がいかに日本と日本人の利益を損ねてきたか、その過程・構造を徹底解明する。

 

 

政治家の怠慢と官僚の思い上がり、日本政府と中央官庁がいかに日本と日本人の利益を損ねてきたか、その過程・構造を徹底解明する。「国家の犯罪」、その病根を抉り出し、日本の明日を考え創る処方箋。

 

 

単行本: 238ページ 出版社: 光人社 (2004/06) 発売日: 2004/06

 

目次

 

序章 なぜ役人が国を滅ぼすのか(複式簿記を知らない悲劇、12/7/7 21時47分16秒

 

 

複式簿記を知らない悲劇・10頁、

 

 

お役人とサラリーマン。あるいは自営業。見ただけでは判然とは区別がつきかねる。同じ勤め人だが、まったく地がつた世界に生きているということをご存じであろうか。民間会社はつぶれるが、「親方日の丸」の官庁は絶対に潰れない。万一、潰れたら国債はタダの紙屑に。だが、決してそんなことにはならない。

サラリーマンとお役人がちがうというのは、そのことではない。潰れない会社なら民間にもある。例えばトヨタや新日鉄なら、まず間違いない。ならばトヨタや新日鉄の社員はお役人と変わらないか。

全然違う。どこが違うのか。複式簿記の有無。サラリーマンは、儲かるか儲からないか、日夜、そのことばかりに頭を痛めている。売り方と買い方。原価計算やら経費。リストラの悲劇もそこから生まれる。利益が出なければ首まで飛んでしまうのが複式簿記の世界を生きる、厳しいビジネスマンの世界なのである。

 

 

11頁、12/7/8 16時7分34秒、

 

 

ところがお役人は、複式簿記とは縁がない。儲かるか儲からないかなど、民間人の出来事。お役人は、予算を分捕り、縄張りを決め権限を振り回すだけ。リストラや夜逃げ、貸し渋り倒産に苦しむ巷のうめき声が、たとえ耳に入っても、一向に実感がわかない。住んでいる世界が違うから「何のこっちゃ」と涼しい顔をしている。お役人とサラリーマン、自営業の方々は、それぞれ全く違った世界に住んでいるという意味、おわかりいただけるであろうか。

 

 

共産主義も日本の役所と同じ、「単式簿記」・・だから潰れてしまった。

 

 

簿記が違えば価値観も異なる。サラリーマン、自営業の方々は、誠実さや信用、勤勉、日々の研鑽を怠らない。働くということを通じて「人の道」を学ぶ。だから民間が元気なときは世の中が穏やかで安定している。

 

 

努力や勤勉、誠実さが美徳とされる時代には、常識や良識が通用するものである。M・ウェーバーが「資本主義の精神」と言ったのがこれである。日本式に言えば「経営者の精神」というべきか。土光敏夫さんは贅沢をきらい、メザシかじっていたという。商道という。ゼニ儲けが人生哲学となっていたのである。本屋にサラリーマンのためのガイドブックがずらりと並んでいる。有能なビジネスマンでなければ生き残れないからである。

 

 

ところが、お役人のためのハウツー本など見たことがない。論功行賞がない、能力給がないという以上に、お役人は、絶対に首にならないからだ。したがって切磋琢磨して自分を磨こう、などという気にはなかなかなれない。

 

 

12頁、12/7/8 16時34分40秒、

 

いったん採用になると、国家公務員任用試験の内容によって給与から退官時の身分、退職金までがだいたいきまっている。儲かるか、儲からないかどころか、よく働いたかどうかも問われない。

 

1種、2種、3種、キャリアとノンキャリア、などの身分ですべてがあらかじめ決められている。昔の中国の「科挙」や悪名高かった旧ソ連の、あの共産党官僚制度のようなものですな。

 

国家公務員に「労働論理」がそなわらないのはそのせい。

 

 

週刊文春の「公務員の仕事は暇すぎる!?」というシリーズ企画が大評判だった。毎週、お役人の勤務中のサボり、昼寝、過分な休息やらサボタージュ、息抜き、私用外出、テレビで野球観戦、勤務中の無駄話などの実態が写真でつぶさにレポートされていた。だが、よくもまあと呆れるのは民間人の常識、彼らにとってそれが当たり前なのである。

 

 

お役人の常識は、我々の常識とはかけ離れている。価値観の違いの一例が、先に述べた複式簿記。借方、貸方の感覚に成れているサラリーマンや自営業者は、善悪や適・不適を知らず知らずに仕分けしている。

 

 

民間人が一般常識を外れないのは、この複眼的な思考のせい。

 

 

ところがお役人は「単式簿記」、つまり単眼的な視点で世間を眺める癖がついている。権威主義、省益主義、秘密主義、前例主義、法令主義と挙げてゆけばきりがないが、せんじ詰めていえば、いわゆる官僚主義という血も涙もない、ガチガチ頭。

 

冷血主義、という風にも言えますな。

 

 

これでは到底、世間の事情を読み取ることは出来ない。そのお役人が、下は市町村の行政・許認可から、上は霞ガ関の政治の中枢にいたるまでを一手に牛耳っている。民間人は利益追求、お役人は権限の拡大が行動原理。その権限主義が日本という資本主義国家の中で果たしたうまく機能するものかどうか。

 

 

13頁、12/7/9 6時7分51秒、

2012年7月9日 6:15:30

13頁、12/7/9 6時7分51秒、

うまくいくわけがない。バブル以前まで日本が上り坂に立っていたのは、役人がたの役人でしかなかったから。お役人という特殊な人々があまり大きな力を持っていなかったから政や民が自由にふるまえた。官史が公僕として民間、つまり政治に仕えてこそ(政・官・民)の歯車がうまく回る。

これが近代の「契約社会論」と言ってよい。

政は民の代表。その政が官を仕切ってこそ、国家権力である官と民が対等の立場に立てる。政治家=権力などという話にはのらないほうがいい。政治家は、選挙に落ちたらただの人。権力を持っている政治家を倒せ、というのは普通選挙法がなかった中世の発想・・これをマルクス主義者が反政府運動のスローガンに使った。

 

 

政は民の代表ということをゆめゆめ忘れてはなるまい。政治がダメになったら、日本は、共産党や労働党の一党独裁の、旧ソ連や中国、北朝鮮のような「官僚」国家になってしまいますぞ。

13頁、12/7/10 17時34分39秒、

官に組み伏せられた政治家・13頁、12710 17時40分28秒、ところが竹下以降、政治家が利権屋に成り下がって国家運営を官僚に任せてしまった。竹下はこう言い放った。「むずかしい政治向きのことは東大でのお役人に任せておきゃいいがな」田中角栄が「県会議員並み」と評したとおりの人であった。このときから日本は官導型政治へとまっさかさま。プラザ合意からバブル経済、バブル崩壊から平成大不況へと、日本を導いたのは、霞ガ関のお役人、特に旧大蔵省だった。

14頁、12/7/10 17時46分20秒、

 

 

エイズ薬害の厚生省や外務省スキャンダルをお忘れではあるまい。日本はいつのまにか役人が舵を取る、役人の国になっていたのである。

 

これがこの十数年、日本がダメになっていった理由。

 

失われた十年、とも言われる。

 

角栄失脚以降、マスコミに叩かれっ放しの永田町が徐々に力を失っていったのに対して、霞ガ関は勢力範囲を広げ、ついに政治の全領域を支配するに至った。政治家はどこへ行ったのか。

 

選挙と利権で目一杯。とても政治まで手は回らない。

 

ゆとり教育の文科省、人権主義の法務省、男女共同参画法の内閣府をあげるまでもなく、役人がじわじわと民間の中に入り込むとそこがたちまち腐ってゆく。人間や世間を知らない官史が権限を拡大させるほどに日本は、ダメに国になってゆく。

 

「ベルリンの壁」が崩壊したのと全く逆。

 

今日ソ連や東欧からマスクす主義と一緒に悪名高き「官僚体制」が消えた。共産党官僚という、とてつもない怪物が消えてくれたがゆえに旧ソ連や東欧はようやく悪夢からさめることができた。

 

悪かったのは、イデオロギーではなく、官僚体制だったのだ。

 

ところが、日本では官という「ベルリンの壁」が増築中。

 

役人が国民を壁の中に押し込め、窒息寸前にしている。構造改革で規制を緩和するというが、規制はいっこうにゆるくならない。

 

弱者を守るためという。だが役人はそれを、既得権や強者を守る規制に口実にしている。日本で新規事業を始めようにも、百カ所以上の役所の窓口を回ってもラチがあかない。許認可にいたっては、既得権益者ばかりが優遇され、戦記参入者は三年も五年も待たされる。

15頁、12/7/10 18時7分17秒、

「リストラ時代」とあって人材紹介会社をおこそうにも、許認可が下りる可能性はほとんどゼロだという。

 

これじゃ新しい産業は起きない。

 

なにしろ日本の規制の数はアメリカの十倍、その不自由さと言ったら今日ソ連並み。日本の外交や経済、治安や教育が停滞している原因は、官がすべてを抑え込んでいる現在の政治体制にある。どこかで歯止めをかけなければ、この国は、旧ソ連のように本当に滅びてしまいかねない。

 

信義が通用しなくなった国は滅びるか、全体主義の強権国家になる。

 

そもそも現在にデフレ不況及び財政不安は、すべて政策上の失敗あるいは背信から生じている。「プラザ合意」によって資産経済をバブル化させ、アメリカの金融政策に与して、みずからそのバブル経済をハードランディングさせて日本経済に追い込んだのは、ほかならぬ日本政府だったのではなかったか。

 

というか、旧大蔵省と日銀。

 

国家が国民を欺いた…これが「国家の犯罪」でなくてなんだろう。

 

ところが、彼らはその過ちを認めない。

 

それどころか、経済・金融の担当相が民族資本を「IMF国際通貨基金、監理下」に組み入れることに血眼になり、首相は日本的システムを猫そげにする改革熱に浮かれ、デフレに沈没しつつある日本経済に行く末を一顧だにしない。別功で詳しく述べるが、このデフレこそが衰弱しはじめた不吉な兆し。インフレと違い、大抵の場合、デフレは政策の過ちから生じる。バブル崩壊の傷痕として残ったのが「資産デフレ」とそれにともなう「不良債権」という二つの、デフレ圧力。

 

 

16頁、12/7/10 18時25分45秒、

 

 

日本経済を窮地から救うにはデフレ・ギャップの解消しかないが、日本政府は、あろうことか経済の縮小化というデフレ政策をとり、次々と日本の企業をアメリカにくれてやろうという魂胆。日本政府は、浸水した船の船底にわざわざ穴をあけるような真似をしているのである。

 

金融・経済ばかりではない。首相みずからが自虐史観を振り回して「中・韓・朝」に土下座外交を繰り広げた挙げ句、日本は、みずからがその完成に手を貸した中・朝の核ミサイルに震え上がるというぶざまなことになっている。

 

政治の根幹である愛国心が政治家からすっぽり欠落しているんですな。

 

軍事大国の中国にはODA、北朝鮮には「不法送金」のおめこぼしとコメ援助。外務省「チャイナ・スクール」が暗躍して日本を危うくしているわけだが、それもすべて出世のため。当時の植田アジア局長は北京大使になることしか考えていなかったが、北朝鮮外交で汚点を残した田中均も、外務次官になるために国を売った。

 

祖国・民族への愛着がないから平気で国家を足蹴りにし、国益を捨てることができる。

 

出世のために国を売る。一般人には信じられないが、キャリア官僚にとってこれは当たり前。文科省の「ゆとり教育」からフェミニズムに取りつかれた内閣府・厚生労働省の「男女共同参画社会基本法」。さらには礼節なき人権主義を推し進める法務省。国民的悲願の憲法改正に強硬に抵抗する内閣及び衆参法制局…彼らが国の名誉や国益を顧みず家庭破壊、秩序破壊、文化破壊に精を出すのは、すべて出世のため。

 

金や事業の成功、名声とは縁のない彼らの出世に対する貪欲さは、比類がない。彼らはそのためだけに生きている。すべての情熱を出世にかけている。彼らが国を売るのは、けっして「魔がさした」からではない。

 

 

17頁、12/7/10 20時41分3秒、

 

 

国のことなどハナから頭にない。

 

それが「国家は悪」という戦後民主主義で育ったエリートの怖さ。無駄工事で壮大なる自然破壊を重ねてきた国土交通省、食糧自給率や狂牛病対策などで無能ぶりをさらけ出してきた農林水産省、国益どころか省益、個人欲に取りつかれた外務省が、これまでどれほど日本の国益を損じてきたことか。

 

悪いのはエリートばかりではない。出世の望みが絶たれたノンキャリアは、権力を私物化して私腹を肥やす。いずれにしても始末に負えない。

 

日本がダメな国になったのは、「役人の国」になったからである。私はその病根を根こそぎえぐりだしたいと思う。日本政府及び中庸館長がいかに日本および日本人の利益を損ねてきたことか。その過程や構造をはっきりと指摘し、読者と共に炯眼を磨きたい。

 

17頁、12/7/10 20時48分58秒、

9:42 2014/03/21

 

それが「国家は悪」という戦後民主主義で育ったエリートの怖さ。無駄工事で壮大なる自然破壊を重ねてきた国土交通省、食糧自給率や狂牛病対策などで無能ぶりをさらけ出してきた農林水産省、国益どころか省益、個人欲に取りつかれた外務省が、これまでどれほど日本の国益を損じてきたことか。

 

悪いのはエリートばかりではない。出世の望みが絶たれたノンキャリアは、権力を私物化して私腹を肥やす。いずれにしても始末に負えない。

 

日本がダメな国になったのは、「役人の国」になったからである。私はその病根を根こそぎえぐりだしたいと思う。日本政府及び中庸館長がいかに日本および日本人の利益を損ねてきたことか。その過程や構造をはっきりと指摘し、読者と共に炯眼を磨きたい。

 

17頁、12/7/10 20時48分58秒、

9:42 2014/03/21




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