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2013年8月 8日 (木)

NPO法人がそれまでの町行政を受託

引用

 

【第74回】 2013730日 著者・コラム紹介バックナンバー

 

 相川俊英  首長も行政運営も談合で決まる無風地帯に「待った」松阪市に“民意反映”の楔を打ち込む若き市長の気骨

 

地方自治の取材を20年以上、続けている。全国各地の自治体を訪ね歩き、様々な行政現場に触れてきた。自治体トップへの直接取材も重ねており、これまで色々なタイプの首長に出会ってきた。

 

たとえば、職員・市民に大号令を発するトップダウン型や、役所の論理を最優先させる内部調整型だ。また、パフォーマンスに傾注するお祭りタイプや、単なるお飾りの神輿のような人もいる。いまだに特定の組織や業界の代表者として首長権限を振るう、利権型も存在する。

 

これまで数多くの首長にインタビューしてきたが、もの静かで奥ゆかしいというタイプは少なく、よく喋る自信家がほとんどだ。それも当然かもしれない。他人を押しのけて「オレがオレが」と前へ出てくるような人でないと、選挙になかなか勝てないからだ。

 

 

 

なぜ首長は民意を反映できないのか?

 

 選ぶ側と選ばれる側の双方にある問題

 

住民から直接選ばれる首長の最大の役割は、住民代表として行政組織のトップに就任し、民意を反映させた行政運営を行うことにある。自治体や自分を世の中に売り込むことがメインではない。民意をしっかり汲み取り、それを具現化するために行政組織を動かしていくことが、首長の使命だ。政策立案とその実行の最終責任者である(政策決定は議会の役割)。

 

しかし、首長の役割をきちんと果たすことは、容易なことではない。むしろ、民意ではなく、行政組織の論理や都合を優先して行政運営する首長の方が圧倒的に多い。こうした民意を反映しない行政運営に異を唱え、改革を標榜して当選する人も生まれている。

 

だが、そうした改革派首長も行政組織の中に入った直後に変節してしまったり、未熟さゆえに挫折してしまうケースがほとんどだ。民意に基づく行政運営は残念ながら、言葉だけの絵空事になっているのが悲しい現実だ。

 

ではなぜ、そうした現象が広がってしまったのか。その要因は、選ぶ側と選ばれる側の双方にある。選挙によって民意が示されるという固定観念がある

 

首長も行政運営も談合で決まる無風地帯に「待った」松阪市に“民意反映”の楔を打ち込む若き市長の気骨

 

確かにその通りだが、民意は4年に1度の選挙によってのみ示されるべきものでもない。なぜなら、政治・行政が取り組むべき課題は多種多様で、しかも常に流動・変化しているからだ。4年に1度の選挙であらゆる課題に対する民意を示せるはずがない。そもそも不可能なのだ。

 

そうであるからと言って、4年間を誰かに白紙委任しなければならないというものでもない。選んだだけで「後は全てお任せ」というのでは、主権者とは言えない。民意を示す不断の努力が必要で、選ばれた側も民意を汲み取る不断の努力が不可欠となる。

 

現実は、その双方が不足している。お任せしてしまう住民と民意を丁寧に汲み取ろうとしない政治と行政である。「面倒だ」と双方ともに手を抜いてしまっているのである。

 

選挙以外の民意を問う仕組みが確立していないことも、要因の1つだ。その結果が、民意を反映しない行政運営となって現れている。では、民意を反映する行政運営を構築するのはどうしたらよいのだろうか。

 

 

 

決定前にまずは住民の意見を聞く市民との直接対話を続ける松阪市長

 

先週の金曜日(726日)、ある地方都市の市長さんに同行取材した。今年2月に再選を果たした三重県松阪市の山中光茂市長。現在、最も注目すべき首長の1人である。

 

「これまでのように(行政がものごとを)決定してから説明するのではなくて、決める前に皆さんのご意見をうかがい、話し合いを重ねて決めていきます。市民の方々にも、役割と責任を果たしていただきたいと考えます」

 

松阪市の山中市長は、お年寄りにソフトな口調で語りかけた。朝見公民館で開かれた地域の高齢者学級での一幕だ。狭い会議室に60人ほどが詰めかけ、山中市長の肉声に耳を傾けた。

 

原稿を読み上げたり、行政用語が飛び交う場面などはなく、予定の1時間はあっという間に過ぎ去った。山中市長は「皆さんも一緒になって街づくりに汗を流しましょう。その方が楽しいですよ」と、何度も語りかけた。

 

山中市長が目指しているのは、市民と職員が一体となって「役割と責任」を果たしていくまちづくりの実現である。そのための手法として市民との直接対話を重視し、徹底的に行っている。

 

その1つが、課題ごとの「ワークショップ」や「意見聴取会」である。市政全般に関わる重要案件については、政策を決定する前に必ずワークショップや意見聴取会を開き、市民にあらゆる情報を示した上で議論を重ね、政策決定につなげることにしている。住民に政策の形成過程に加わってもらうのである。

 

もう1つが、「市民懇談会」や「このまちミーティング」と呼ばれる地域ごとの住民との対話集会である。こうした対話を通じて、地域のまちづくりを担う組織「住民協議会」を小学校区ごとに設置し、域内分権を進めている。

 

山中市長は就任以来、平日の夜は地域に入って対話集会を行い、土日は課題ごとの意見聴取会などに臨むといった毎日を送っている。そうした対話重視を貫くのは、従来の行政運営への不信・不満・怒りがあったからだ。

 

各党相乗りの首長が続く特異な松阪市 民意不在の「うなずくだけの議会」に

 

山中市長が松阪市長選に初当選したのは、20092月のこと。3期目を目指す現職候補を大差で退け、33歳の若さで市長に就任した。誰もが仰天した番狂わせであった。

 

人口約17万人の松阪市は、政争が表面化しない、やや特異な地域だった。他の地方都市同様に各種業界団体や労働組合が隠然たる力を持っていたが、市長選挙となると互いに手を結ぶことが常態化していた。国政で激しい足の引っ張り合いを続ける自民・公明と民主、社民も、市長選となると話は別。当然のように同じ候補を仲良く擁立し、手を組むのだった。各党相乗りである。

 

その結果、市長選は無投票となることが常態化した。2009年以前の10回の市長選(合併前の旧・松阪市長選を含む)のうち、何と7回が無投票。しかも、選挙となった3回は無風選挙という始末だ。選挙前の水面下の談合で、実質的に市長が決められていたのである。

 

市長すら選ぶことができない松阪市民が、市の政策や各種事業の決定過程に関われるはずもない。事前の説明や民意の確認などなされぬまま、色々な重要事項が行政によって粛々と決められた。市議会も、これに唯唯諾諾と従うだけだった。執行部提案に否決も修正もしたことのない「うなずくだけの議会」になっていた。市民は、上から決定したことを伝達されるだけの存在に過ぎなかった。

 

こうした市民不在の行政運営に疑問や不満を抱きながらも、「仕方ない」「こんなもんだ」と、多くの市民が諦めていた。20091月の市長選挙も、市幹部OBの現職市長が3度目の無投票当選を果たすはずだった。

 

「オール松阪」を打ち破り改革に着手 市民が役割と責任を負う自治体を構想

 

 

 

これに待ったをかけたのが、当時、民主党所属の県会議員だった山中氏だ。党の反対を押し切って出馬し、巨大な「オール松阪」を相手に闘いを挑むことになった。「このままの松阪市ではいけない」という危機感と「市民の意思を反映させる市政に変えたい」という使命感からだ。

 

 

 

組織やカネ、しがらみのない山中氏は選挙戦で、「市民全員が役割と責任を負っていく松阪市を目指していこう」と訴えた。そのため、有権者に「よろしくお願いします」という言葉ではなく、「みんなで一緒に頑張りましょう」と呼びかけて回った。そして、オール松阪を打ち破る結果を勝ち取った。

 

山中市長は就任直後から、市の重要事業の見直しに取りかかった。行政が一方的に決めていた事業をいったん白紙にし、市民に情報を公開し、議論を重ねながら見直しを進めて行った。

 

その1つが、市庁舎の整備問題だった。前市長時代に耐震強度不足の市庁舎を建て替える方針が固まっていた。

 

当時の市の試算では、耐震補強に約333000万円かかるとされた。これに対し、新庁舎建設は約80億円にのぼるが、合併特例債を活用できるので、市の負担分は耐震補強より安くつくとされた。それで新庁舎建設となったのだが、これに山中市長が待ったをかけた。民間企業が持つ技術力を活用して、耐震補強する道を選択したのである。最終的に耐震補強の事業費は約4億円で済んだ。

 

 

 

山中市長は、いわば市民を巻き込む形の新しい行政運営を続けている。その14年間の評価を市民に問う市長選が、今年1月に実施された。失地回復を図る各政党は相乗りで、有力県議を対抗馬に担ぎ出した。業界団体や労働組合など多くの有力組織も支援に回り、またしても「オール松阪」との一騎打ちとなった。

 

築き上げてきた強固な土着権力構造を守るため、何としても連敗を阻止しなければならない。相手陣営は前回以上のエネルギーを選挙戦に投じた。

 

「別の人を選ぶのも市民の判断」 選挙活動なしで再選した信頼感

 

一方、挑戦を受ける立場になった山中市長は、選挙期間中も市役所に日参して公務に専念した。結果は、8000票近くの差で山中市長の再選となった。なぜ、選挙活動に力を入れなかったのかと問うと、山中市長は「別な人が選ばれたら、それはそれ。市民の判断ですからね」と、さらりと語るのである。

 

山中市長は市民との直接対話を続け、休みなしで市域全域を歩き回っている。そんな市長と共に対話の場に加わり、市民と接する職員の意識に変化が生まれていると山中市長は語る。

 

職員の多くが当初、市民との対話に及び腰だったが、回数を重ねるうちに自分の言葉で喋るようになり、市民の前に出ることを怖がらなくなったという。確かに市民の声を聞いて政策をまとめるプロセスは大変だが、決まった後は市民からの反発がなく、スムースに進むという。

 

松阪市議会も少しずつ、変わりつつある。議会改革の検討が重ねられ、議会基本条例が制定された。議員間討議や首長の反問権、反論権などが制度化され、議論する議会を目指す方向になりつつある。

 

現在も山中市長を毛嫌いする議員はいるものの、市民と直接対話する市長の姿勢を評価する議員もいる。当選4回(旧松阪市時代も含む)の海住恒幸市議(一人会派)は、「市民との直接対話をより積極的に進めるべきだと考えています。意見聴取会などを条例化し、市民が意見聴取会の開催を希望する場合どうするかなど、ルール化すべきだと思います」と語る。

 

16:30 2013/08/07

 

 

 

 

 

自治体あすへの胎動

 

13/8/4 84414秒、

 

合併後もNPO法人がまちの個性を残す・・・岐阜県山岡町長・・・山内章祐・・・・87ページ、

 

第一部・・胎動が始まった・・山内章裕・・合併後もNPO法人がまちの個性を残す・・

 

山内章裕プロフィール・・山岡町出身。岐阜県立岩村高校卒業後、山岡町役場に入り、産業、総務、企画開発課長を務めた1994年10月、山岡町長に就任。現在3期目。

 

国の施策を先取りして、次々に対応策を打ち出してきた。95年4月、女性を室長とする女性政策室を設置。96年8月には「新教育の町」を宣言。99年8月、介護保険制度に対応するため、医療の専門家にも福祉行政に関わってもらおうと保健福祉包括医療推進局を設置。さらに2002年4月の学校週5日制スタート合わせて、山岡親子学校を開校。自ら理事長、教授を務める。

 

http://www.city.ena.lg.jp/

 

 

 

200410月、恵那市など6市町村で合併する予定(合併協議会副会長)。合併を前提に、町の行政を住民自治政府にバトンタッチするため、03年9月にNPO法人「まちづくり山岡」を設置した。合併後の受け皿として、全国の注目を集めている。

 

89頁、13/8/4 15549秒、

 

山岡町は木曽山脈の南端の盆地にある、人口5,412人の町。明治時代に98村が集まって出来た町で、昭和30年に2つの村が合併した後も、8区のまとまりが強い中で、まちづくりを行ってきた。

 

NPO法人「まちづくりの山岡」がなぜ生まれ、これからどういう活動をしてゆくか。町長に就任してからほぼ10年間の取り組みと関係している。

 

自治体というと、住民と離れた組織に見える。自治体を、町を住民にもっともっと近い形にしたい、と全国の自治体は思っている。

 

NPO法人をつくったのは、合併がきっかけだが、ずっと突き詰めてゆくと、次のようなことになろう。どこの自治体の首長も、あなたが主役だとか、住民総参加とか、住民主権だとかいうのが、本当にその手法でやっているか。選挙などが終わったら、それまでになっている。どうしたら、あなたが主役になれるのか、どうしたら住民総参加ができるのか。それが出発点だ。

 

90頁、

 

女性の力

 

目標を実現させるために、女性の力を借りようと思った。住民の半分は女性だからだ。真っ先に取り組んだのが、女性政策室という女性ばかりの課の設置だった。足元からやらなければいけない。女性はパワーを持っている。そして実際に働いてくれる。そうした女性の意見、批判を、行政が聞かなければいけない。

 

そして次は女性の登用だ。うちの町は役場を始め町中が、女性の登用に取り組んでいる。公的役職など全役職の36%を女性が占める。例えば、選挙管理委員会は半分が女性、農業員会、民生委員にも女性がいる。

 

女性の力を借りてきた政策の延長戦にあるのが、地域の副区長ポスト。8つ集落があるが、副区長は、全員女性が務めている。

 

行政や関連する分野に女性が入ると、行政が大変だな、とか、こういうふうにしたらどうかとか、前向きの意見が出てくる。そういうところから、徐々に行政の女性応援団が出てきた。

 

今考えてみても、男社会の発想だけでは、全員参加のNPO法人設立という決論につながらなかった。

 

九一ページ、http://npo-ya.enat.jp/

 

 

 

万全の準備期間

 

どうしても「まちづくり山岡」を合併1年前に発足させたかった。準備期間がいるからだ。合併の枠組みなんかあまり考えなかった。

 

平成2584

 

まだどこの市町村とも枠組みが決まっていない段階で、集落ごとの座談会に出席して「合併は避けて通れない」と話した。その理由に町の行政問題を上げた。

 

例えば地方交付税が少なくなるからとか、補助金が減らされるとかの話から、町の借金増えている実情を説明した。これからどの市町特務か話が進むが、これからも我々は、ここに住んでここに暮らしてゆく。

 

行政の枠組みがどうなるかということは、行財政の問題から出発している。しかし住民が日々、どこで誰と生活してゆくかということとは違う。その2つを切り離すよう強調したり、住民がだんだんと理解してくれるようになった。

 

92頁、13/8/5 183411秒、

 

合併は避けられない

 

なぜ合併が避けられないか。これは山岡町だけの現象ではない。財政力の弱い自治体には共通した問題だということを、指摘しておきたい。

 

毎年、予算編成するとき、だんだん編成が難しくなる。各部から予算要求が出てくる。財政課が算盤を入れてみる。町にいくら収入があるか、財政が掴んでいる。自分の町の町税収入など自主財源、それから国の地方交付税と補助金で賄う。

 

例えば10億円の収入しかないのに、13億円の要望が出てくれば、3億円を切らなければならない。ところが、それが3億円だったのが、4億円になり、5億円になりだんだん差額が増えてきた。収入も少なくなったが、要望も経費も増えてくる。仕方がないので、補助金の裏の起債で仕事をする。ところが職員の給与支払いだけで、もう自主財源を越えている。

 

色々な施設、いわゆる箱物の電気代、水道代など経常経費は交付税で払わないといけなくなり、交付税で払うと、もう事業は何もできない。

 

しかし、そこの首長は選挙で公約しているから何かをやらないといけない。なにをやるか。補助金を貰ってきても、補助金の裏負担でさえ払えないから、起債を借りて、むりやりそれを引っ付けてやるだけ。

 

93、

 

一方、補助金を取れない首長は仕事をやらない。補助金を取れても、記載の比率がいっぱいのパンパンになっている。返せなくなると、再建団体になるしかない。

 

財政課に削れといっても、削れないという。ここ3年くらいは事業費を切ってしのいでいる。継続事業も半分に削らないといけない。

 

かつては役場職員が国の事業や補助金要項などをいろいろ調べて、補助金を取ってくると、町長は「腕がいい」と喜んでくれた。議会にもいい顔ができる。その頃はまだ補助金の自己負担分ぐらいはあった。

 

 

 

今は補助金をとっても喜べない時代になった。自己負担が3割負担でなく、2割で済んだと喜べる時代までは良かった。今は手を上げられない。100%補助の金なら褒めてもらえるが、厳しくなった。

 

そうすると何の仕事をしたらいいのか。単純に職員の首を切るわけにも行かない。静かに机に座って、終業の5時15分を待っているようでは、職員も意欲を失う。仕事もなくなる。そういうことに早く気がつかないといけない。

 

94頁、13/8/5 185646秒、

 

8人の区長が全町民を掌握

 

 

 

山岡町は、明治の時の村が8つあった。それが合併して8つの集落になった。1区平均200戸単位の区を8人の区長がいる。

 

各区ごとに区議会があり、地区行政を進めている。これを。これを「ムラ行政」といっている。

 

 

 

例えば非農家であっても、農業構造事業の推進委員長を区長が務めたり、国・県・町道整備事業の計画立案、用地交渉を区長が取りまとめている。

 

1つ区に組みが6~7つある。組みは各30戸くらい。この口調制度が充実している。「まちづくり山岡」に全戸が加入し、全員参加が実現したのは、この区長制度の存在が大きい

 

町政は執行部と、議会で成り立っているが、執行部は幅広く、住民の中まで入っている。8人の区長は執行部と同列に位置づけている。毎月区長会を開き、自分の集落に戻り区議会を開く。22日が区長会、24~25日が区議会、28日に組合議で全員集会が開かれる。

 

区長会には町役場の全課長が出席する。そして町行政全般を話す。区長には、その区出身の役場職員を交代で、秘書として付けている。区議会で区長が説明できないときは、代役を務める。役場職員も現場を知り、住民も行政に詳しくなる。町政の方針が末端まで徹底して、伝わる。そこまでやってきているので、8人の区長は全町民を掌握している。この区長の力があったからこそ、それがなければ、全員参加のNPOはできなかった。

 

95頁、13/8/6 52036秒、

 

仲良しこよしではできない

 

 

 

なぜ全世帯か、よく全員が参加したものだ、とよく質問される。

 

我々は仲良しクラブでやっているわけではない。行政の代わりを務めるNPOを作るときには全世帯、町民全員が入らないとダメだ。そしてそれには、あらかじめ、区長会のような組織を作るのが重要だ。

 

まずは区長会や区議会の参加率を上げるためには、役場の情報を全部話す必要がある。建前の議論も本音の議論も一緒に話す。裏も表も話していると、出席率がよくなる。山岡町には情報公開条例はないが、全部話しているので、必要がないとも言える。

 

例えば、区長会議で示されたレジメは、区長がメモを書き込み、そのメモごと今度は組長が全戸にそれを配る。町民全員が、区長会議で何が話し合われ、どうなったかを知ることができる。このシステムを作っておかないと、全員参加は実現しない。

 

 

 

96頁、13/8/6 54015秒、

 

 

 

派閥を作らず、集落単位で

 

 

 

例えばNPOをなかよしこよしのグループで作ると、中心になる人たちへの反発や、派閥ができる。町長室に陳情が来たら、「区長と相談して欲しい」と帰す。そのうち区長が町議、場合によっては住民を伴ってまた来る。一緒に陳情してもらったら、公平な判断ができる。

 

「選挙でお世話になったから」と町長などトップが、内緒で個別に住民の陳情を受け、それが実現すれば、今度はそれを聞いた別の住民が反発する。全体がおかしくなる。トップが強い意志を持って3ヶ月も区長、町議中心を続ければ、間違いなく要望ルートが定着してくる。ガラス張りとは、そういうことだ。

 

だから山岡には派閥がない。口調は1年交代で、その集落の人たちが選考会を開き、就任をお願いしにゆく。お願いしているから、任期中、口調の足を引っ張る人はいない。区長は任意制度で、ほとんどバランティア状態。しかし区長任期中、ちゃんと仕事をしないと町会議員に推薦してもらえない。区長の推薦を貰わないと出馬できない場合もある。

 

町会議員の任期は4年。区長は1年交代だから4人いる。その中から、町議が選ばれることが多い。

 

 

 

97頁、13/8/6 55637秒、

 

まちづくり山岡の理事会は、区長会役員会と同じ。理事長は区長会長がなる。8人の区長が理事だから、それにつながる全世帯が加入することになる。町長は顧問。町議は12人は参与だ。

 

理事会の下に総務企画委員会、財務委員会、産業経済委員会、保健福祉委員会、まちづくり委員会、防災・交通委員会、文化芸術委員会など16委員会がある。旧役場の組織図と重なる。

 

2003年9月12日に設立総会をした。まちづくり山岡の初仕事は秋の3大祭りの実施だった。体育祭、文化祭、産業祭を街から、NPO法人の主催に切り替えて、初めて開いた。町長は顧問なので、主催者側の高い席ではなく、来賓席に座り、来賓挨拶をした。その時町民もNPO法人になるということが、どういうことかを本当に分かってくれたのではないか。

 

98頁、13/8/6 6728秒、

 

NPO法人がそれまでの町行政を受託

 

 

 

来年4月から社会福祉施設などの運営も、NPO法人が8つの地区から業務を受託する。介護保険のディサービス、ショートスティにも事業者として参入する。そのほか公園管理、体育館、公民館、文化センター運営も行う。

 

 

 

例えば現在、5人の町職員が仕事をしているとする。

 

1人は責任者。残りの4人がボーナスをもらい、1ヶ月30日間フルに働いている。それをNPO法人の「まちづくり山岡」が職員の3倍の12人の町民で受託する。ボランティアではないが、1人の町民は最低賃金で一ヶ月に10日間働く。そのローテーションで回せば、1人あたりの人件費が抑えられ、しかも町民がワークシェアリングもできる。

 

経費面だけではない。効率化も図れる。

 

役場職員が直接仕事をすると、勤務時間中、利用者がなくても働き、時間外は帰宅する。利用者が自ら管理運営すれば、祝祭日、朝や夜の時間帯も含めて効率的に利用できるようになる。スポーツクラブが運営し、自分たちが使う場合、大会が迫ると練習のために利用時間を延ばすこともできる。

 

99頁、13/8/6 62141秒、

 

 

 

合併後の職員はスリム化

 

合併すると、役場職員はスリムにせざるを得ない。

 

新しい合併市(恵那市と周辺5町村)は2004年10月に発足する。だからNPO法人を1年前に作り、準備をしてきた。

 

新市になる自治体の職員が全体で779人(03年12月現在)いる。新市ではそれを545人にする計画だ。

 

例えば毎年退職すると、3分の1ずつ新規採用する。10年後には目標を達成できることになっている。計画は立てても、それまでの仕事の中身を変えないとうまく移行できない。

 

「うちの町は住民政府を作り、住民が仕事をする。新市の職員に指導してもらってもいいが、管理的なことは自分たちで一切をやる」と言っている。

 

山岡町が新市の運営を、助けてやらないといけない。

 

合併後の仕事を受託するNPO法人の会員と、役場の職員の能力に差がないかとよく聞かれる。答えは言いにくいが、「ない」。

 

現在の職場の職員もNPO法人の会員になる。町長も顧問だ。行政のノウハウは持ち込める。いずれ町役場を退職すると、出身の地域に戻り、NPO法人を助ける。

 

100頁、13/8/6 7036秒、

 

 

 

町の個性を守る

 

山岡町の施策で、合併すると他の自治体がやっていない独自事業が45ある。広域的課題を解決する21世紀委員会、親子学園、ふれあいサロンなどだ。

 

町の個性は大きな橋や道路を作りたいということじゃない。一つひとつの取り組みを住民とともに行っていることが個性になる。合併後もこの個性を引きつくために、住民に問いかけなければならなかった。

 

素晴いい事業をやっていたので、合併後も、新しい市で続けなければならない。しかし合併後に廃止になる恐れもある。その個性を守っていくためには、組織を作って、続けていかなければならない。いろいろな組織を考えた。その時たまたまNPO法人に行き当たった。NPOは住民が行政をやる組織だなと思った。それが「まちづくり山岡」の結成につながる。

 

 

 

家族でできるものは地域にまかせない。地域でできることは市町村にまかせない。市町村でできることは都道府県にまかせない。どうしてもできないものを都道府県とか、国にやってもらう。自分たちでできるものは、自分たちでやるんだよ、と言い続けている。

 

101頁、

 

商売ではないから、民間政府というのもおかしい。本当は山岡町自治政府と言いたいが、合併するほかの自治体に悪いので、隣近所の近隣を使い、近隣自治体政府だと言っている。

 

外国の制度とか、全国市長会の研究会が近隣政府という考え方を打ち出していることなど何も知らない。自分でそう思っただけだ。

 

 

 

教育、福祉の全員参加ボランティア

 

独自施策を紹介したい。

 

21世紀委員会は住民がまちづくりを検討する唯一の組織。町が検討テーマを設定し、住民が集まって自由に意見交換する。結果を取りまとめ、町執行部、議会に提言する。

 

 

 

山岡親子学園は19968月の「新教育の町」宣言により、99年8月に開講した2002年4月から学校週5日制が完全実施。公立の小中学校はゆとり教育で毎週土日が休みになった。

 

山岡町は土曜日も日曜日も、春、夏、冬休みも親子学園を開いている。子供たちの出席は自由。教団の先生が違うだけ201人の地域のボランティア先生がいる。キノコの先生は食べられるものと、食べられないキノコを教える。

 

102頁、13/8/6 8744秒、

 

町長が小学校4年生と、中学の2年生を教えている。この町の文化、産業を教えている。合併のこともみんなよく知っている。英語の勉強もグレードによって選べる。

 

ふれあいサロンは介護保険拠点整備関連事業として行っている。

 

2000年4月以降、8つの全集落に11のふれあいサロン(宅老所)があり、「痴呆や寝たきりにならない」「要介護者を作らない」ために、介護予防策を展開している。送り迎えからケアまで全員ボランティア。

 

バリアフリーにした公民館を利用している。行政は直接タッチしていないが、地域の住民が全員参加で企画段階から運営している。有志が参加するだけでは、なかなかうまくいかない。これも自治区住民の全員参加に意義がある。

 

 

 

町役場職員の時代から組織つくり

 

 

 

町役場の職員の時代から、組織づくりを心がけてきた。改めて強調したいのは、仲良しこよしのグループ作りはダメ。後から入ってくる人が続かない。何かやろうと発想したら、その地区でやってくれないかと、あるいは小さな班でやってほしい。それを外したら、続かない。グループで旅行に行くとか、楽しむことは仲良しこよしでいい。嫌いな人と言って、同じ部屋で寝るより仲のいい人のほうがそれはいい。しかし、行政として考えるときはそれではうまくいかない。

 

103頁、

 

都市部でももちろん全員参加は実現できる。視察に来られて、とてもできないという頭からできません、というのはおかしい。

 

それでは1つの町内会から始めてみなさいと言っている。そこが始めると、隣の集落がいいことしているなとな、と私のところもやろうと広がる。はじめから全体でやろうとしてもできない小さいところからはじめる。都会でも、田舎でもできる。

 

例えば山岡町のふれあいサロンの場合も、ある集落が始めて、と何の集落が続いた。2年間で全集落に広がっていった。55歳から65歳くらいの人たちが中心のこの人たちに第2の働き場所を作る。行政が少しサポートすると、どんどん広がってゆく。

 

104頁、13/8/6 8297秒、

 

2004年4月から婦人会も全世帯加入の婦人会に切り替える。入らない人はいない。小さな地域で、空き缶を山ほどふてられていたらどうするか。これまでは役場に電話して、片づけに来い、と言っていた。

 

役場にはお金がない。人を雇うと、その税金は跳ね返ってくる。地域でみんなで集まって、片づける。それがこれからの原則になる。

 

近所の人が、自分の家の前の空き缶を片づけてくれているのに、黙って家の中に引っ込んでいるわけにはいかない。婦人会に入る入らないとか以前に、そういう行動を引き出すことが重要だ。

 

 

 

寒天と陶土の町

 

 

 

山岡町は農業と寒天、陶土の町、

 

ここは山間部にあるが、寒天は寒暖の差があるところで、テングサを干して乾燥させる。天草を煮て、布で絞る。その液を一昼夜おいて、ところてんのように突き出す。これを田に並べると、夜は凍り、昼間溶けて水分が落ちる。自然を使った凍結乾燥をしている。

 

主に和菓子のようかん原料に使われた。夜は気温がマイナスで、昼間は温かい。しかし雪は降らない。雪が少ないから、真冬でも作業ができる。3つの条件がそろい、さらに田んぼや畑があり、農家が農繁期に出稼ぎに行くより、副業で作業をでき、収益が安定している。大正末期の不作の時期に、国が奨励してくれた。

 

105頁、13/8/6 84652秒、

 

 

 

 

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