世界一幸福な国デンマークの暮らし方 千葉 忠夫 (著)第2章・腐敗が世界一少ない国・44頁・51頁・そこで、女性議員が「子供を産んでも仕事ができるように」と、産前産後休養(産休)や育児休業(育休)などをしっかりと制度化し、地方自治体は、「しっかり子供の面倒を見る場所がありますよ」と保育園、幼稚園を整備したのです。・
引用
世界一幸福な国デンマークの暮らし方 千葉 忠夫 (著)第2章・腐敗が世界一少ない国・頁・国家予算の約75%が教育や福祉に使われる・52頁・http://amamioosoma.synapse-blog.jp/yosiharu/2016/03/2-628b.html
第二章 『はだかの王様のように騙されない』・ 政治を考える・平成28年3月4日
「はだかの王様」・40頁・
あるところに、美しい新しい着物が大好きな王様がいました。
その王様の国に、二人のいかさま師がやってきました。二人は機織り職人だと名乗って、自分たちは世にも美しい織物を織ることができる、その織物を作った着物は、自分の地位にふさわしくない仕事をしている者、手に負えない馬鹿者には見ることができないと言いふらしました。
その話を聞いた王様は、「面白い、わしがその服を着たら、どの役人がその地位にふさわしくないか、誰が利口で誰が馬鹿なのか、すぐにわかるぞ」と、二人のいかさま師に着物をつくるように言いつけたのです。
二人のいかさま師は、いかにも働いているような振りをしていました。けれども機のうえには何もありません。それでもからの機に向かって朝早くから夜遅くまで働いていたのです。40・
41頁・町には王様の新しい着物の話が評判になっていました。そして、自分のお隣さんが悪い人なのか、馬鹿な人なのか、とても知りたがるようになりました。
ドンくらいでき上がったのか王様は様子を見に行きたかったのですが、自部員の地位にふさわしくないと見えないという話を思い出すと、すぐに足を運ぶことができず、ある大臣に様子を見に行かせました。
その大臣は正直者で、知恵もあり、王様が信頼している人物だったのです。
正直者の大臣は、いかさま師が空の機に向かって働いている部屋を訪れました。思い切って部屋に入ると、何も見えません。「見えない」とは言えません。いかさま師は、からの機を指しながら、「いかがですか?美しいでしょう」と話しかけてきます。正直者の大臣は慌てました。自分が見えないことを誰にも知られてはいけないと思い、「見事じゃ、王様に素晴らしいと申し上げよう」と答えてしまいました。
しばらくして、王様はまた違う役人に様子を見に行かせました。
この役人も大臣と同じ見ることはできませんでしたが、いかにも見えているように振る舞いました。41・
42頁・ついに王様も自分で様子を見に行くことにしました。
大勢のお供を連れて、いかさま師の仕事部屋に行くと、先に様子を見ていた大臣と役人が「王様、三五度ではございませんか」とからの機を指しました。
王様は何も見えません。しかし、大臣と役人は見えているのだと思い込み、慌てふためきました、「見事じゃ!」と大きな声で言ったのです。
町ではこの織物のうわさで持ちきりだったため、ある役人が、「素晴らしいです。今度のパレードで着ぞめしたらいかがでしょう」とすすめました。
パレードが行われる朝、いかさま師は「いかがでしょうか。このお召し物はクモの巣のように軽いです。まるで何も来ていないかのような気心地の良さです」と話をしながら、王様に着せる振りをしたのです。王様は言われるがままに着物に腕を通しました。
王様は鏡の前で何度も何度も見ましたが、何も見えません。それでも、しずしずと歩き出しました。なぜなら、自分が見えていないことを、周りの人に悟られてしまったら大変だからです。42・
43頁・こうして王様は見えない衣装をまとい、街でパレードを行ったのです。
すると、往来の人も、窓からパレードをのぞいている人も、口を揃えて言いました。「なんてステキなんでしょう!」「よくお似合いですこと!」誰も見えないとは言えなかったのです。王様の数多い着物のうちで、見えない着物ほど評判が良かった着物はありません。
そのとき、小さな子供が叫びました。「王様は、裸だよ!」王様はその声を聞いてドキッとしましたが、パレードを続けたのでした。43・
44頁・
腐敗が世界一少ない国・44頁・平成28年3月4日 金曜日・
デンマークは、政治於ける腐敗が世界一少ない国としても有名です。
その政治運営は非常に透明であり、何が行われているのか、政治の中が見えるように、国民は常に留意してきました。
その根底には「社会福祉国家」としての歩みがあります。
ここでは、デンマークが1960年代に築き上げた社会福祉国家までの道のりをたどってみましょう。
12世紀、バイキングの時代を終えたデンマーク人は、国民すべてが農民と言ってもおかしくない国でした。
農民は、デンマークの各地に点在する大地主である庄屋の下で、小作人として働いていました。当時は「囲い込み法」によって拘束され、自分が多々羅いている庄屋から自由に移動することが禁じられていました。しかし、1788年、自由を求めた農民たちは領主との話し合いにより、「囲い込み法」を無効にさせたのです。44・
45頁・奇しくも翌1789年には「自由、平等、博愛」を謳ったフランス革命が起こっています。これはみなさんも歴史の授業で覚えた年号ではないでしょうか。
1814年にデンマークは、世界で初めて「教育の義務制度」を決めました。さらに、最初の国民学校が1844年に設立され、教育の基盤を作り上げました。
1848年には絶対王政を廃止し、翌年に自由主義憲法を制定しました。
1864年、ドイツ・オーストリア連合軍に領土争いに敗れましたが、デンマークは失われたものを国内で取り返す国づくりに励みました。
シャイ福祉の原型が生まれたのは1866年、英国と並んで世界で最初の農業協同組合を設立したことです。
1900年代に入り、近代工業化に伴い、農民は都市労働者として農村から移住し、農業協同組合の経験を持つ彼らは、新しい職場に労働組合を発足させていきました。労働組合は自分たちの生活を守るための連帯であり、決して過激な政治闘争は目指しませんでした。45・
46頁・そして、1929年、世界大恐慌が起こりました。
デンマークも例にもれず、不況で失業者が増え、大変の時代を迎えます。そのとき、政治家たちはこんな苦しみを二度と国民に味わわせたくないと、社会福祉法の充実に取り組み始めました。
1940年代に入ると、デンマークはナチス、ヒトラーの軍隊に国土を占領されてしまいます。ドイツ軍が越境してからわずか数時間しかデンマーク軍は抵抗せず、軍隊は速やかに解散、後には警察まで解散をしてしまいました。
自由を自分たちの手で勝ち取ってきたデンマーク人、自由を一番尊ぶデンマーク人にとって異民族に統轄されることは苦渋でした。しかし、デンマークの軍隊は占領軍とほとんど交戦せずに解散したことで、「国破れて山河あり」とはならず、日本の第二次世界大戦後のように食料事情はあまり窮しませんでした。戦後は復興のため、たくさん労働力を必要とし、女性の社会進出が進み、1960年代にはデンマークは国民すべての生活を保障する初期の「社会福祉国家」を築き上げたのです。46・
女性の社会進出で好循環が生まれる・47頁・16/3/4 13時4分53秒・
デンマークはよく「社会主義国」と間違われますが、「社会福祉国家」であり、「資本主義」の国です.ですから、経済と福祉のバランスがうまく取れている国、と言ってもいいでしょう。
デンマーク経済が安定しているのは、何と言っても女性の就業率の高さによって生まれる好循環と自給率の高さです。
デンマークでは、女性の社会進出率が高く、80%近い女性が働いています。すると、男性と同じぐらい女性も税金を払うことになります。除染の就業率が低い国と比較すると、国家収入が倍近く増えることになります。
女性が社会進出すると、家庭で子供や障害のある人、高齢者の世話をする人がいなくなるので、保育園、幼稚園、障害者施設、高齢者施設を整備しなくてはなりません。47・
48頁・それらの施設などで働くのは女性が主体ですから、女性の職場が増えてくるという好循環が生まれるのです。
さらに、女性が社会進出するのに伴って、女性議員の数が増えていきます。デンマークでは、地方議員の約30%、国会議員は約40%が女性です。
2009年6月7日に行われたヨーロッパ議会議員選挙で、デンマークが持つ13の議席が争われましたが、なんとそのうち女性議員が六人選ばれました。
日本は男性社会で、男性がいろんなことを決めてしまいがちです。人口の半分は女性なのですから、女性がもっと政治に参加してほしいと思います。現在の日本は、女性議員が増えたと言っても、地方に行けば女性の議員が一人もいない自治体があります。
女性知事も47ある都道府県の中で4~5人なのはまだまだ低いのではないでしょうか。
女性議員が増えると、女性が働くための環境が整えられます。出産休暇、育児休暇の制度がしっかりとしていくうえ、保育園への入園を待機しているような子供もいなくなるでしょう。48・
49頁・女性の社会進出は、気鋭材の安定をもたらすとともに、社会福祉の発展につながるのです。
また、デンマークの農業は自給率が300%です。食べ物があるというのは、非常に安心で、経済も安定するのです。
日本では自給率が低いのも関わらず、なぜか休耕田がたくさんあります。なぜ、自分たちで食べ物を作ることを考えないのかが不思議です。
デンマークで少子化が止まった理由・49頁・
日本では電車の車両を見渡すと子どもより高齢者の方が多いですが、デンマークでは子供が多く見られます。
子どもが多いのは、デンマークには母親を支援する制度がたくさんあるからです。
長男が生まれた時、妻が退院してきて三日ほどたたないうちにケースワーカーが、「私はこの町の保健婦です。49・
50頁・あなたのところに子供が生まれましたよね」と訪ねてきました。「お子さんの育児について、いつでもお手伝いをしますから」とわざわざ伝えに来たのです。
まだ生まれて間もないというのに、すぐに保健師が対応できるのは、病院と地域がしっかり連携しているからです。
保健師は、子育ての相談、たとえば日本でいう「公園デビュー」の方法まで教えてくれます。生まれた子供に障害があった場合は、治療方法や今後について教えてくれます。
デンマークのほとんどの家庭では核家族です。核家族だと初めての子供を授かったとき、とくに障害児の場合はいろいろなことに悩みます。でも、保健師が国民全員についているケースワーカーに連絡を取ってくれているので、お母さんはとても心強いのです。
デンマークの子育て支援が確立されてきたのは、1980年代のことです。
デンマークでも女性が社会進出した1980年代は、出生率が1・4%ぐらいまで下がってしまいました。50・
51頁・そこで、女性議員が「子供を産んでも仕事ができるように」と、産前産後休養(産休)や育児休業(育休)などをしっかりと制度化し、地方自治体は、「しっかり子供の面倒を見る場所がありますよ」と保育園、幼稚園を整備したのです。
また、子どもが生まれたら、児童手当が支給されます。18歳までは各市町村から四半期に一回児童手当がもらえます。
日本では障害のある子供が生まれた場合、女性は今の仕事を続けられない状況に陥ってしまうことがほとんどではないでしょうか。
障害のある子供を施設に入れないで自分で育てようとするならば、親は仕事を続けられなくなります。そこで、デンマークでは今の給料の約80%を保障し、子供の面倒を見られるようにするという制度があります。
このように制度をしっかりさせるうちに、少子化が止まったのです。現在の出生率は1・9ぐらいです。51・
ここまで
52頁・
ここまで
デンマークで少子化が止まった理由・49頁・
デンマークで少子化が止まった理由・49頁・
国家予算の約75%が教育や福祉に使われる・52頁・
贈収賄ができない制度づくり・54頁・
なぜ日本人は税金に嫌悪感を抱くのか・57頁・
社会的弱者はだまされ続けている・60頁・
地方分権で政治、福祉が変わる・62頁・
デンマークの投票率は90%・64頁・
平成28年3月4日
世界一幸福な国デンマークの暮らし方 千葉 忠夫 (著) 内容紹介
「マッチ売りの少女」にあるような厳寒、貧困の国であったデンマークは、
戦後の社会福祉国家としての制度改革によって、いまや「国民の幸福度ランキング」で世界第一位の生活大国となった。世界でいちばん幸せな生き方とはどういうものなのか?
デンマークにあって日本にないものとは何か? デンマーク人の心に二百年間宿りつづけたアンデルセン童話を手がかりに、自由、自律、責任、貧困、政治、教育、社会、福祉などの問題について再考する。
目次
はじめに・・・世界で一番幸せな国・デンマーク・3頁・
もし、「あなたは幸せですか?」と聞かれたら、「はい!幸世です」と答えることができますか?
北欧の国デンマークは、この質問に「幸せです」と答えた国民の数が、世界で一番多い国です。
これは、アメリカの研究組織、ワールド・バリューズ・サーベイが各国の個人を対象に、現在の幸福度を調査し、ランキングした「幸福度ランキング」(2008年に発表)の結果です。
幸福度ランキングとは、約100ヵ国の地域を対象に「あなたは幸せですか?今の生活に満足していますか?」と質問をして、「幸世です」と答えた人の数を調べたものです。その結果、デンマークが堺で第一位でした。
4頁・二位はプエルトリコ、三位はコロンビア。アメリカは16位、イギリスは21位、フランスは37位。そして、日本は43位、中国は54位、韓国は62位と言う結果でした。
また、イギリスのレスター大学の心理学者が発表した幸福度マップと言う別の幸福度調査でも、デンマークは一位になりました(2006年発表)。
これは、イラクなどの紛争国を除く世界178か国を対象に、経済状況や医療制度、教育などのデータを分析、幸福度に影響を与える要因となる医療制度、裕福度などを数値化し、ランキングにしたものです。
ここでも、第一位はデンマークの。次いで、二位はスイス、三位はオーストリアでした。そして、アメリカは23位、日本は何と90位でした。
デンマークは、国を対象にした指標でも、個人を対象にした指標でも世界で一番幸せな国、そしてデンマーク人は世界で一番幸せな国民と言えるのです。
実際に国民の約80%は「この国に生まれてよかった」と言っています。4・
5頁・さて、日本にはなかなか馴染みのないと思われるデンマーク。
その場所すらご存じない方もいらっしゃるようですので、ここで少しご紹介をすることにしましょう。
・コペンハーゲンは「商人の港」・
デンマークは北欧にある小さな国です。東はバルト海、西は北海に面しており、ユトランド半島、シェラン島、フュン島など500以上の島々からなる国です。デンマーク領であるグリーンランド、フェロー諸島を除いての総面積は約4万3000㎡で、九州と同じ大きさですが、人口は551万人(2009年度デンマーク統計局)で、東京都(人口は1294万人・東京都2009年4月)の半分以下です。
気温は温和で、夏は比較的涼しく、日本でいう北海道の夏の季節と似ています。緯度は樺太の北に位置しているものの、冬は温暖で東北の岩手よりも暖かく感じるのですが、日照時間が短く、遅い時で午前八時過ぎに日が昇り、午後三頃には沈んでしまいます。5・
6頁・また、夏の最も陽が長い時には、午前四時半に日が昇ると、午後十時近くまで陽は沈みません。ですから、陽の長い夏の季節は国民全体が仕事を早く切り上げて、外に出て太陽の光を堪能します。
人々は広く満遍なく国土の至る所に住んでおり、緑豊かな土地には一軒家が多く、日本では当たり前のように見かける十数階建てのマンションなどは、ほとんどありません。
首都・コペンハーゲンは、デンマーク語で「商人の港」と言う意味があります。デンマーク人の祖先はバイキング。バイキングは、8~12世紀に北欧のフィヨルドから巧みな航海技術を駆使してヨーロッパ各地で活動し、貿易も盛んにしていましたので、「入り江の民」「市場の民」とも言われています。
現在は農業国として有名で、国内でとれる農産物の三分の一で全人口が賄えるほどお高い自給率で、食料は潤っています。日本には主に豚肉やチーズと言った食品を輸出しています。6・
7頁・主食はジャガイモと黒パンで、日本人がお米を食べるとの同じようにじゃがいもと黒パンを毎日食べています。スーパーには何種類のジャガイモと黒パンが、所狭しと陳列されています。
さて、デンマークの観光の見どころは、コペンハーゲン、近郊の森林地帯に点在する歴代王室の古城、そしてなんといっても、アンデスセンの生まれ故郷、オーデンセだと思います。特に、オーデンセのかわいらしい街並みはおとぎの国そのものです。
コペンハーゲンには有名なチボリ公園があり、夏の開園期間は老若男女の憩いの場となっています。街はずれには「ニューハウン」と呼ばれる地域があり、その周りにはパラソルを出したお店が軒を連ねています。7・
8頁・また、日本の子供にも人気のあるレゴブロックがデンマークの玩具であることはご存知でしょうか。
ユトランドには大きなレゴランドがあります。レゴで作った世界の有名な建物などが子供連れの家族に人気でにぎわっています。
さて、デンマーク人の面白い習慣を二つ。
デンマークには「湯船につかる」と言う習慣がありません。
昔は湯船があったのですが、国内がオイルショックで節約志向になった時、人々は湯船を捨てたのです。お風呂は「温まるもの」から「体を奇麗にするもの」へと合理的に変化しました。今では、各家にシャワーのみがあり、湯船をおいている家はほとんど見かけれません。たまに郊外の牧場に行くと、家畜の水飲み場に昔の湯舟が使われている光景が見られます。
また、デンマーク人は、写真の撮り方が日本の習慣とは多少異なります。
写真を撮る時、日本では、「はい、チーズ」と声をかけて、ポーズをとったところでシャッターを切ります。しかし、デンマークでは気づいたら取られていることがほとんどです。8・
9頁・「ちょっと待ってくれよ」といっても、「自然な姿がいいんだよ」といっぱしの芸術家口をたたかれることがあります。ですから、アルバムの中には、個性的な芸術性あふれる写真が並んでいます。
・アンデルセンが描いた未来社会・9頁・
さて、みなさんは「アンデルセン童話」を読んだことがあるでしょうか。
きっと子供のころの記憶に、絵本や児童書として残っているのでは、と思います。私はこれまでデンマークがどのようにして社会福祉国家になっていったのかをいろいろな角度から探求してきました。最近になって、200年ほど前に生まれたアンデルセンの心の中に、デンマーク人を代表する心があることに気がつきました。
アンデルセンの童話にはその時代の社会と、生活している人々の喜怒哀楽、望ましい未来社会を実現するための願望が描かれています。
アンデスセンが描いた望ましい未来社会は、その童話を愛したデンマークの人々によって実現しました。9・
10頁・デンマークの人々は160年という年月をかけて幸福度世界一の国、幸せな国デンマークをつくりあげたのです。
では、そもそも「幸せな国」とは何でしょうか。私は、幸せな国とは人びとが「生活しやすくて住みやすいこと」につながると思います。
日本からデンマークの社会福祉を学びに来た学生に、私はこんな質問をします。「住みよい国って何ですか?」
たいていの学生は、食べ物があること、住む家があってお金に困らないこと、物価が安い、病院がある、交通の便がよい、仕事がある、夢が実現できるといったように、まずは衣食住の面が満たされることを挙げます。
次に格差のない社会、平等、個人の自由、人権の尊重、障碍者や高齢者の生活保障、安心して老いられる国、自由に教育が受けられる、民主主義の国・・・と、社会問題に目が向けられていきます。
そして、緑が多い、空気がきれい、天災害がない、紛争や戦争がない・・・と、社会がおかれている環境、世界へと視野が広がっています。10・
11頁・人間は誰もが一番身近な自分自身のことから考え始め、そして世界を考えるという順序になるのは当たり前のことでしょう。
アンデルセンと同時代に活躍したデンマークの哲学者キルケゴールは、単独者の主体性こそ心理と説く個人主義、実存主義を唱えました。キルケゴールの思想もデンマークが社会福祉国家になった一つの要因と言えるでしょう。社会と個人は相反するもののように思われますが、「個人を大切にすることが、個人の集まりで構成されている社会を大切にすることにつながる」のです。
ならば当然のことながら、個人が住みよい社会であり、それが集まってできている国は、住みよい国と言えるでしょう。
では、デンマークは昔から住みよい国だったのでしょうか。
アンデスセン童話の中でもっとも有名な作品の一つ、「マッチ売りの少女」を知らない人は少ないでしょう。
これはアンデルセンが43歳の時の作品で、今から160年前のデンマークを見事に表しています。当時はマッチ売りの少女のような貧しい子供たちが、デンマークにはたくさんいたのです。11・
12頁・それから時を経て、デンマークは世界一幸せな国なりました。そして、経済福祉国家としての道をしっかり歩んでいます。
貧しかった「マッチ売りの少女」の国は、なぜ世界一幸福な国になれたのか、その仕組みを本書で紐解いていきたいと思います。
第一章 『マッチ売りの少女』―― 貧困を考える、
「マッチ売りの少女」・25頁・
寒くてどうしょうもなかった・27頁・
少女が望んだ幸せとは・29頁・
働かざる者は食うべからず・31・
日本の貧困率は世界五位・32頁・
問題解決には助けが必要・34頁・
貧困をなくすには・36頁・
第二章 『はだかの王様』―― 政治を考える
「はだかの王様」・40頁・
腐敗が世界一少ない国・44頁・
女性の社会進出で好循環が生まれる・47頁・
デンマークで少子化が止まった理由・49頁・
国家予算の約75%が教育や福祉に使われる・52頁・
贈収賄ができない制度づくり・54頁・
なぜ日本人は税金に嫌悪感を抱くのか・57頁・
社会的弱者はだまされ続けている・60頁・
地方分権で政治、福祉が変わる・62頁・
デンマークの投票率は90%・64頁・
第三章 『みにくいアヒルの子』 ―― 教育を考える
「みにくいアヒルの子」69頁・
人は見た目で判断する・72頁・
自分の生き方は自分で決める・73頁・
デンマークの国民学校法とは・74頁・
国に必要な人を育てる・76頁・
義務教育に学ぶべきこと・79頁・
教科書の指定がない授業・81頁・
「義務教育」と「教育の義務」との違い・83頁・
登校拒否には理由がある・85頁・
好きなことを勉強させる・86頁・
高校の授業が分かる人は三割程度・88頁・
高校への進学率は約45%・91頁・
在学中にしっかり実習経験を積む・94頁・
大学全入は大きな無駄・96頁・
役職ポストは公募制・99頁・
デンマークには勤務評定がない・100頁・
教師と生徒が寝食を共にする・102頁・
第四章 『赤い靴』―― 社会のあるべき姿を考える
「赤い靴」・106頁・
ルール違反の付けは大きい・110頁・
幸な国の方程式・112頁・
自由の使いかをどう教えるか・115頁・
自由の代償と連帯責任・117頁・
職場を離れたら「目線」は同じ・120頁・
ピザの公平な分け方・122頁・
一人で持てないものは二人で持つ・126頁・
デンマーク人にはできて、日本人にはできないこと・128頁・
出した分だけもらわなくては損?130頁・
自由、平等、連帯、共生、・132頁・
○第五章 『ナイチンゲールの歌声は介護の心』―― 福祉を考える
「ナイチンゲール」・136頁・
思いやりのある介護とは・139頁・
機械にできること、人にできること・141頁・
福祉国家の医療制度・142頁・
国民全員にケースワーカーがつく・144頁・
デンマークの高齢者施設に驚いた・146頁・
住み慣れた家にできる限り住みたい・147頁・
キーワードは「自律のための支援」・1150頁・
ヘルパーが10分以内で駆けつける・152頁・
成人以降の親子関係・154頁・
ノーマリゼーションの始まり・155頁・
大規模収容施設をなくせ・158頁・
障害ゆえに不可能なことがある・160頁・
在宅生活にも一長一短・162頁・
障害者福祉は社会が担う・165頁・
「親なき後」の心配は不要・167頁・
障害者が一番求める支援・169頁・
○第六章 『人魚姫の選択』―― 自律することを考える
「人形姫・174頁・
自己決定は利己主義となりうる・178頁・
自律と自立・180頁・
生活を守るための労働組合・182頁・
仕事が続けられない社会的障碍者・185頁・
可能な限り社会復帰を促す・186頁・
男性の育児休暇取得率は高い・189頁・
第三の人生で社会に貢献する・190頁・
奉仕活動ができるようになるには・191頁・
デンマークの社会問題・193頁・
社会的弱者が困らない社会をつくる・195頁・
おわりに・・・デンマークを目指した私・198頁・
生まれて初めて見る外国・200頁・
デンマークは「おとぎの国」そのものだった・202頁・
平成28年3月2日 水曜日
内容(「BOOK」データベースより)
「マッチ売りの少女」にあるような厳寒、貧困の国であったデンマークは、世界大戦後、社会福祉国家としての制度改革を成し遂げ、いまや「国民の幸福度ランキング」で世界第一位の生活大国となった。デンマークにあって日本にないものとは何か?世界でいちばん幸せな生き方とは?「みにくいアヒルの子」「はだかの王様」「人魚姫」など、デンマーク人の心に百五十年以上宿りつづけたアンデルセン童話を手がかりに、自由、責任、政治、教育、福祉、貧困など日本社会が抱える問題について、身近な視点から再考する。
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新書: 206ページ出版社: PHP研究所 (2009/8/18)
言語: 日本語発売日: 2009/8/18
目次
6:26 2016/03/02
世界一幸福な国デンマークの暮らし方・
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