・・・「敬老会」などへの補助金をゼロベースで見直す・117頁・
引用
117・平成26年11月6日・
「敬老会」などへの補助金をゼロベースで見直す・117頁・
財政構造の本格的見直しの第一弾とも言えるのが、2002年以降に実施した補助金の整理合理化である。むらが住民サービスとして提供する様々な補助金をゼロベースで見直そうというものだ。
118頁・
ここに手をつけた理由について、柳村はこう語る。
「住民や団体に対する補助金は、例えば5,000円とか一万円というのがいっぱいあるんです。今までそれが全部、政治的な思惑で給付されてきたわけです。新しい首長になると、じゃ補助金をつけてあげますから、という具合にどんどん増える。
しかも、どこかで増えたから、こっちは減らそうというように縮小することなく、新しく首長が代われば、格好をつけるために新たに補助金を付け、その額はどんどん膨らむ構造でした。これでは新しいことは兄もできない。それで一度、全部ゼロから見直そうとしたのです」
補助金交付規制及び基準の整備を行い、従来交付していた補助金をすべてご破産にして、補助金がほしい個人・団体は改めて申請し直す方式に切り替えた。つまり、既得権を廃し、従来から続いていた補助金であっても、改めてその目的と使徒を明確にした上で再申請するというものだ。
2,004年度には外部の有識者による第三者機関を設置し、申請の適否を客観的に判断する仕組みを構築した。
これによってムダな補助金を廃止するのと同時に、住民にとって有意義な新しい活動を促進しようという狙いがあった。
しかし、今までもらっていた補助金を、改めて趣旨を明確にして申請するというのは、住民の反発を買うことは必至だ。
119頁・
2002年度から申請書の書き方などの練習を試行的に実施し、柳村自身も住民や団体説明会に出席をしてその理由を説いて回った。席上、ある老人クラブから「こんな面土くさいものを書いてまで、年間二万円はいらない」という声も上がった。その他にも年間3000円、5000円程度をもらっている団体から、いらないという声が多数出た。
住民団体にしてみれば、役場に反発する気持ちもあるだろう。しかし逆に言えば、そこまでやってもらえるお金が5000円程度というのであれば必要ない、というのは、補助金はその程度の価値しかなかったことになる。
一団体に3000円、5000円の給付と言っても、支給団体は一般的な趣味の会を始め社会教育団体から自治会まで夥しい数に上り、全体としては決して少ない額ではない。村にとっては「いらない」という声はむしろ好都合だった。
補助金の整理統合に関しては、祭事や模様シ者などの村の行事に対する補助金の見直しも実施している。
その一つが敬老会の運営経費である。多くの自治体では敬老の日にさまざまな催事を行っており、運営費を支出している。しかし、高齢者が増えれば増えるほど支出も増えていく。財政状況が厳しくなる中で運営経費を支出し続けるべきなのかという存続論が巻き起こる一方、敬老会自体も形骸化しているのが実情である。
120頁・平成26年11月6日・滝沢村も例外ではなかった。
敬老会の対象者は、かつては65歳以上だったが、高齢者の増加に取もない70歳に引き上げられた。さらに70歳以上の高齢者が増えると、毎年一歳ずつ対象年齢を引き上げるということが行われていた。その結果、69歳の人が翌年は70歳になり、敬老会の対象になるはずが、毎年年齢が引き上げられるために敬老会に行けないという事態も起こっていた。
しかも、敬老会当日は全村の対象者を一つの会場にバスで送迎していた。滝沢村の敬老会予算は1,500万~1,600万円。柳村は、もはや敬老会を村が主催することはないと決断。2,002年から三年計画で段階的に運営経費をゼロにすることにした。
住民に対する説明会で、柳村はこう説得した。
「金額の問題ではなく、ものの考え方を変えて欲しいのです。9月15日に、朝から一時間以上もバスに乗ってきて、1,000円程度の折詰と二号瓶の徳利と缶ビールをもらい、聞きたくもない挨拶を聞いて、またバスに乗って帰るのです。これが本当に敬老ですか、そうじゃないでしょう」
これに対して「年寄りを粗末にするのか!」と反発する住民もいた。
柳村はこう切り返した。
「粗末にしようと言うつもりはありません。たった一日だけ会を開いて、それで敬老になるんですか。
121頁・14/11/6 22時1分・常に年配者を敬うのが敬老の本来あるべき姿ではないんですか」計画一年目は、対象者全員が一堂に会するやり方をやめて、一定の補助金をつけて各自治会単位で実施することにした。これを二年間続けた後、三年目に敬老会に対する補助金を完全に廃止した。
常識的に考えれば、65歳以上の20%を超える高齢化時代を迎えて、苦しい財政下で敬老会に補助金を支出する意義は失われており、その分を別の福祉の充実に使えばいいと誰しも思うだろう。
しかし実際には、長年の慣行だからとか、とりわけ首長や議員にとっては選挙もあり、高齢者を敵に回したくないという思いもあって、廃止に及び腰の自治体は少なくない。
その意味では、常識を常識として踏まえ、あえて既得権益にきりこんだ柳村の勇断は評価に与えするだろう。
121・11/7/2014 5:28 AM・
コメント